Twitterでどんな上司/先輩に当たったら病むかということについて次の5つが挙げられていた。人格否定してくる、我流を押し付けてくる、否定批判から入る、人の気持ちを推し量れない、あらかじめ用意した正答にに導きたがるという要素らしく、そして決して悪い人ではないという枕詞がつくらしい。私の前職の上司が全て当てはまっていた。二人いたのだが、見事に私は彼らに追い込まれて退職するに至った。
上司Aの場合。私の職場は管理職の人間が2年ごとに転勤するのだが、その上司の悪名は来る前から伝わっていた。いざ来てみるとあれ、思ったよりまともな人じゃないかと私も含めた同僚皆が安心していたのだが違った。彼は我々を安心させた後本性を表し職場の人間を慢性的なイライラ状態に追い込んだ。私個人に対しても仕事のミスで説教からの公衆の面前での人格否定、他の人間と同じ速度もしくはそれ以上のスピードで仕事を進めているのにそのやり方は間違っているといって自分のやりかたを押し付ける。明らかに職場の人間を差別的な評価で選民している。職場の全員が疑問をもつようなことであっても自分の設定したやり方で押し通す。ほかにも多数の悪行を働き社員の士気を下げてきた。しかしその中には彼のやり方に多少の批判をいうものの、「でも悪い人じゃないから」とか「仕事はできるから」などいってかばうような人間もいた。それをいった人間は上司Aに贔屓されている人間だった。そして私は仕事を辞めることを本気で考えるようになった。
上司Bの場合。ほぼ上司Aと同じようなことをしていて周囲から煙たがられていた。しかし同じように彼をかばうような人間もいて、その人間もまた彼に贔屓されたにんげんだった。もしくは彼と以前寝たといわれていた。上司Aと違うのは彼が職場内のお局様だったことだ。彼は長年同じ職場で同じ中間管理職につき、同じことをし続けて嫌われていた。私はその職場に2年しかいなかったのだが、彼のやり方に反発して退職した人間が何人もいたらしい。そして彼のやり方に誰もが嫌悪感を感じながら、誰も改善しようとは思わず、ただ喫煙所や飲みの席で愚痴をこぼすだけだった。この職場に嫌気がさして結局2年、次の職場も決まらないまま辞めた。
彼らの下で働く人間は3種類に分けられるのじゃないかと思う。彼らの愚痴を言い合ってうっぷんを晴らす人間、彼らのお眼鏡にかない気に入られるもしくは順応して同じような種類になる人間、そして私のように根性もないのですぐやめる人間である。現代は新卒離職率が上がっているし私のような人間が増えて、社会的にもこのような上司、職場環境をなくそう、社員に気持ちよく働いてもらおうという機運が高まっているようにも思える。しかし実際のところそのような動きは一部の企業にしかなく、ほとんどの企業、社会人はそのような考え方を疎んじているだけなのではと感じてしまう。狭い視野ではあるが私の身の回りの人はそうだった。結局どこにいっても嫌な奴はいるのだからやめるような人間は甘えているだけ、社会不適合者なだけといわれているような気がした。昔はすぐにやめるなどもってのほか、継続したらいずれ慣れるという了解があったのだろうが、この情報過多の社会で自分よりいい環境をのぞくことのできる私のような人間には我慢なんてできないし、慣れることもできない。一連の出来事を通して日本の本音と建て前の文化や、安定を求める国民性がわずかながら理解できたような気がした。もし自分がこのような上司・先輩のいる職場に適応できる人間だったらと思う。そしたらこのように思いつめるような経験をせずに済んだのに。だからといってこのような上司たちの立場になったとき彼らと同じように好き勝手に振舞いたいとはみじんも思わない。彼らは若かったころ自分がやられたことをただ繰り返しているだけなのだから。私は自分がやられたことを繰り返さず、よりよい職場環境に貢献できるようにいつでも柔軟な姿勢でいようと思う。そして同じような状況に陥らないようにしたいし、陥りそうになる人がいたら助けてあげられる人間になろうと思う。