はてなキーワード: 支持層とは
コア支持層は味方してくれるやん
僕は消極的野党支持者で、固定支持政党を持たず立憲、共産、国民にそのときそのときで投票している。自民党はもう少し議席を減らしてバランスを取ってほしいと考えるからだ。とはいえ、安倍元首相が殺害されたのはとても遺憾であり、犯行はどんな理由があろうと同情も支持もしない。
事件以来、インターネット上では統一教会批判一色だが、僕は自分の態度を決めかねている。もちろん感覚的には理解できて、政府にカルトが食い込んでいるのはとても嫌だ。しかし統一教会そのものを、または自民党との繋がりを確実に断てるだけの法的根拠があるのか?について僕は疑念を持ってしまった。
まず党と宗教団体の繋がりについて。
公然の秘密として、自民党や公明党は特定の宗教団体と懇意にしているが、これを排除することはできるだろうか。「政教分離の原則」を考えてみることにする。
信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
“国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。”
この解釈が争点になるはずだ。
広義に捉えると、政治家・政党に宗教団体が介入すること自体が「政治上の権力を行使」と捉えることができ、
自民・公明両党(もしかすると他の政党も)は違憲ということになる。
狭義には、政教分離は国民の信教の自由を保障するためのものであり、宗教側からの政治介入はグレーゾーンとも言えるようだ。
そのため、狭義解釈では政党と宗教団体との繋がりを即座に排除できるものではない。
実際に、公明党や幸福実現党はこの解釈をエクスキューズとして採用している。
https://info.hr-party.jp/faq/2492/
狭義・政教分離の観点から自民党を追及するには、特定の事案で政府が統一教会に肩入れした、特別扱いしたと証明する必要がある。
しかしながら、安倍元総理がプライベートに肩入れしていたとしても、これは根拠として弱いのではないだろうか。もし仮に行政での事案が見つかったとすればモリカケ・桜くらいのインパクトを自民党に与えることになるだろう。(逆に言えば、誰かが謝罪したり辞任したりで幕切れ、または関係者である元首相がこの世を去ったことで有耶無耶になる程度かもしれない。)
9条の自衛隊解釈を見れば分かるように憲法解釈は神学論争に陥りやすいので、白黒つけるには改憲・立法・裁判所による違憲判決を待つしかなさそうだ。付け加えると、世界に目を向けてみても広義での政教分離を成し遂げている国は米国も含めて殆ど存在しないのではないだろうか。また、仮に内閣全員が統一教会信者でも、それは個人の信教の自由であり、やはり排除することはできないだろう。
もう1点、見落としがちな点としては、たとえ組織票だとしても自民党や公明党を支持する信者は確かに存在するということだ。宗教団体の支持する政治家がこれによって当選し、(政教分離に抵触しない範囲で)宗教に都合の良い政策を行うことは通常の選挙・政治プロセスと見分けが付かない。僕は保守的な反LGBT政策には反対の立場だが、それを是とする宗教と政党が支持され、議席を持つことは民意であり否定することはできない。これは反ワクチンを掲げる参政党についても同じことが言える。必要なのは支持層への関心と対話であり、一足飛ばしに政治家や政策をキャンセルすることはできないのではないだろうか。
次に、統一教会そのものをカルトとして断罪することはできるか考えてみる。
いくつかの記事では、オウム真理教同様に統一教会の宗教法人格を剥奪するという話が出ていたようだ。もちろんこれができれば良いが、その基準と法的根拠は何になるのだろうか?(間違っていたら申し訳ないが)僕の知る限り、カルトの定義は日本の法律では存在しないように見受けられる。オウム真理教のようにテロ・国家転覆・殺人を計画・実行した組織なら公安による監視・取り締まり対象だろう。しかし、(詐欺や人身売買などで立件できるならともかく)悪質な宗教団体、というだけでは警察も公安も動けないのが現状ではないだろうか。
やまとQ(正しい漢字を調べるのも面倒だったので割愛)は取り締まりの動きが早かったが、これは医療施設への妨害行為が原因と考えられるので、やはりサボタージュなどで教団外の社会・一般人に対する直接被害の有無が分水嶺と見て間違いなさそうだ。また、オウム真理教の関連組織であるアレフは宗教法人認定されていないが、その後も活動を続けていることから、銀の弾丸にならない可能性があることにも注意したい。
公安や警察による取り締まりにしろ宗教法人認定の厳格化にしろ、(意外なことだが)国による宗教の選別となり、政教分離的には後退にあたると考えられる。立法によるカルトの定義明確化なしでは国による恣意的運用を許すことにもなる。
僕の意見としてはフランスのように反セクト法相当の立法をしてカルトの定義を明確化し、宗教法人格の管理と罰則化は必要だと思うし、これを欠いて恣意的に宗教を規制するのは法治主義とは言えないはずだ。それに加えて累進的な宗教課税も検討すべきときが来ていると思う。さらに僕なりの結論としては、現行の法体制で統一教会に感情論以上の追及は難しく、居直って自民党との関係を公然のものとし、公明党と同様のスタンスを取り始めたら手が出せない可能性がある。法整備が急務である。
自民党と統一教会の繋がりを良しとする人。あなたは今後も自民党に投票し続ける自由がある。
それはあなたの権利だし、法根拠なく自民党や統一教会を止められるものでもない。
私の職場はシフト制で、選挙当日も私含めて皆普通に出勤している。
そこで、仕事終わりに20代4人に選挙に行ってほしいということを言った。
自分の住んでいる地域は一人区で、自分の支持している政党が出馬していなかったため、具体的な候補者を勧めたりはしなかった。
公明党みたいな押し付けがましいことはしたくない。ただ純粋に若者の投票率が上がってほしいと思った。
今日出勤していた4人の20代は全員期日前投票に行っておらず、投票にいくつもりはないと言った(1人は私の説得で投票に行った)
自分も今の街に配属されたばかりで投票所の場所の場所が分からなかったから気持ちはよく分かる。だから役所で期日前投票をした。
投票所に場所が書いてあっても行ったことない場所は不安だよね……すごくわかる。
当日は決められた投票所でしか投票できないのもめんどくさい。通勤路の投票所を使わせてほしい。
よく考えてみれば政治に詳しい人は政党名からどんなことするのか分かるけど、全く政治を知らない人はその候補がどんな政治を目指してるのかを知らない。
学会員が公明党に投票してと周囲に言って回るのは政治を知らない人からしたらどこに投票すればいいか分かって有難いのかもしれないと思った。
ちなみに政党マッチングを勧めたら、面倒くさいからやらないと言われた。
しかしやったところで、政党マッチングに出てくる用語が分からない姿を容易に想像できる。
儲かったら嫌な政治家が当選しないように行くのが選挙なんだけど、彼らはそもそも政治家そのものが大金貰うのが嫌らしい。マシな候補を調べるのは面倒くさいらしい。
とにかく選挙はめんどくさい!何もかもがめんどくさい!だそうです。
いくら投票率が上がったら世の中がよくなるとか、投票に行くだけでえらいって褒められるよとか言っても面倒くささには勝てないようだった。
今回話した人の中には以前、「山本太郎の演説がすごい」と言っていた人もいた。しかし彼は選挙には行かなかった。れいわ新選組の支持層が何となくわかった。
ちなみに今回の説得によって1人だけ選挙に行った人がいる。
その人は「死んでも選挙行きたくない」「非国民でいい」などと選挙に行かないことに謎のプライドを持っていた。
でもその人は私に惚れているようだったから、「選挙行かない男はダサい」と言ったら、選挙に行ってくれた。
やっぱ性欲くらいデカいもんがないとめんどくささには勝てないね。
実際のところ、栗下善行の言ってることって、立憲民主党の従来の政策とそこまで大きくは変わらないんだよね。
「表現の自由を守る」にしても、枝野や辻元はもともと表現規制反対の人だし(赤松健もそれは認めてる)。まあ一部の議員がときどき変な動きをするけど、それを言うなら自民党もそう。「インボイス導入反対」なんかはもともと野党がずっと言ってたことだし。
でも世の中的には「栗下善行はいいけど立憲民主党は大嫌い」っていう人が多いわけでしょ。はてサは別として。それって要するに、立憲民主党が自分の支持層以外の大多数の人とこれまでちゃんと向き合って来なかったってことだと思う。
少し前に一部で話題になったHPVワクチンの件にしても、実は立憲民主党にはHPV推進派の候補者もいるわけ(比例代表で立候補してる石川雅俊)。彼は、はたともこの「子宮頸がんは検診で防げる」っていう主張を「とんでもないデマ」と言って批判してる。同じ党の候補者なのに。しかも選挙期間中なのに。でも誰もそんなこと知らないでしょ。話題にもなっていない。完全に情報発信に失敗してるんだよね。
栗下善行が今のところそこまで嫌われてない理由は、要するに世論に対する感度が高いってことだと思う。今の立憲民主党に欠けてるのはこれ。HPVワクチンでも「この件はコメントしないとやばい」と思ったのか、話題になった当日に「自分はHPVワクチン推進していきます」ってコメント出してたし。ちゃんと世間の空気が読めてる。
そういうコミュニケーション能力とアカウンタビリティが、立憲民主党には絶対的に欠けてるところ。(そもそもワクチンデマの候補者を平然と立てること自体が、科学リテラシーの欠如だけじゃなくて世論に対する感度の低さでもあるし)
自分は個人的に維新には期待していないし、国民民主党も残念ながら支持率がいまいち上がらないみたいだから、なんだかんだで立憲民主党に立ち直ってもらわないといけないと思ってる。
最近、赤松健候補をレドマツ呼ばわりするのがニガーと同種の深刻な差別問題だという主張が頻繁にされていて、酷暑の残酷さに心を痛め後遺症を心配するところなのだが、「ニガーを当事者が言うのはOKだが外部が言うのはダメ」という言説はちょっと違うので一言言わせてくれ。
この「罵倒文句を己らの呼称として使うようになる」っていうのはアメリカの伝統なんよ。
Yankeeは元々北部のアメリカ人の事で、主に南部人(デキシー)が使う罵倒語だった。
ところがこれを北部の連中は気に入ってしまい、自分らの事をヤンキーと自称するようになった。NY州の大リーグチームはNYヤンキースだ。今ではアメリカ人=ヤンキーという使い方も一般的だ。
一方外国がヤンキーという場合は大抵が罵倒語だ。でも当のヤンキー達は気にせず使い続けた。
日本の『アルプス一万尺』はアメリカの愛国歌、ヤンキードゥードゥル Yankee Doodleの歌詞を勝手に改変したものだ。
元は独立戦争に先立つフレンチインディアン戦争時に参戦したアメリカ植民地軍を揶揄した歌だった。
軍服も揃えておらず統率も取れていない、キビキビも出来ないアメリカ人達を正規軍人の英国人達が嗤った歌詞だ。
doodleとはダラダラテレテレしてる、ボケっとしてる、暇なのでイタズラ描きするってな意味だ。特別な日にGoogleロゴが特別なモノに変わるアレもdoodleだがこれは最後の意味のイタズラ描きって意味だな。
そんなアホアメリカ人が手入れもちゃんとしてるか判らん鉄砲持ってテレテレタラタラやってきたよ、あーあ。ってな感じの歌なんだな。
「いなかっぺのキョロ充が街に行った。羽付き帽被っただけでダンディのつもりだ。イカしてるねぇ神聖モテモテ王国だねぇ」
ところがアメリカ人たちはこの侮蔑的な歌を気に入ってしまった。それで自分らの歌としてしまったのである。
独立戦争で歌われ演奏され、独立後の米国軍の行進曲にしてしまった。
ペリーが日本にやってきた時に上陸後は鼓笛隊の演奏で行進したのだが、その時の曲はヤンキードゥードゥルだったのだ。
こんな風に建国の初めからしてこうなので、「罵倒語を気に入って使い始める」というのは後にアチコチで見られるようになった。
思いつく限り列挙してみたい。
The blackとかblack manとか使われていたが、肌の色を直接に示すので差別的だった。特にトイレやバスの座席、施設の入り口の区分けなどで「black」「colored」と書かれていたので猶更である。
だが公民権運動で「ブラック イズ ビューティフル」のスローガンが使われると当事者のプライドと結びつき、やがてblack musicなど一般化された。
南部の白人の事で、農作業で首が赤く灼けた様をからかった語で、保守退嬰的、閉鎖的、進取の気性が無い、低学歴、民度が低い、反国家的など酷い意味が凝縮された罵倒語。
それは「なんでも自分らでやる」というライフスタイルへの愛着と自負で、南部の農家は食料の入手から機械の手入れ、家の修繕、家具の作成、車の修理や改造など、何でも自分でやる。これは日本の農家なども変わらない事で、全体的に器用貧乏だったり詰めが甘かったりするが都会の人間からすると広く何でも出来るスーパーマンみたいに見えるものだ。
以前、トラクター会社が機械部分をブラックボックス化して信頼性を上げる代わりにメーカーじゃなきゃ修理できないようにしたら大炎上した事があった。https://jfaco.jp/column/2435
「レッドネックスタイル」を理解していなかったのが原因だ。これは米国では結構大きな問題になり、欧州の「修理する権利」と結びつける形で法制化が進んでいる。
日本メーカーやアップルが欧州の「修理する権利」で叩かれて電池交換や社外インク可能にさせられているが、この背景にもこの「何でも自分でやりたい」というマインドがあるのを忘れてはいけない。金と財産権の問題にしか見えないのは飼い慣らされている為だ。
だから今では米国外で何でも自分で作ってみる、直してみるのを動画にしているDIY youtuberなどもレッドネックを自称している。
Queerは元々罵倒語で変なやつ、男性同性愛者(婉曲)とかの意味だったのだが、意味が逆転されてポジティブな意味になった。
1985年のバロウズ著『Queer』の日本語は『おかま』だ。この題は訳者の山形浩生が付けたのか?ちょっと意味が違うと思うのだが。つーか、1985年でも男性同性愛を一緒くたにおかま呼ばわりはしてなかったんじゃないか?どうも腑に落ちない邦題だ。
Wikipediaには頭でっかちな事ばかり書いてあるが、実際はドラッグクイーンとかのワザとらしい性的倒錯仕草をクィアとよんでたのが、マジのトランス女性などが世間に認められるようになると(イスラエルのDana Internationalなど)弾き出されて「LBGTに収まらない性的違和」を是認する意味になったとう感じだ。
この辺の変化、日本だと90sドラッグクイーンの代表格井原秀和円奴S(まるやっこスーパー)が女性目指すようになったのが象徴的。90sのクィアポジティブ化は米国のハウスシーンと共にあった。
ロバには馬鹿、間抜け、グズ、ウスノロ、ノロマ、うすらバカ等の含意がある。
勘違いしてはいけないのは、当初の民主党は南部の農民が支持層の保守政党で黒人奴隷解放に大反対していた。民主党、共和党共に今と支持層、支持地域が逆転しているのである。
大統領選で、そんな南部の民主党出身の大統領候補、アンドリュー・ジャクソン(Andrew Jackson)をスマートで都会的な北部の共和党の議員たちがjackassと詰って呼んでいた。jackassは雄ロバの事だが、馬鹿、間抜け、グズ、ウスノロ、ノロマ、うすらバカ等の意味もある。
これをレドマツさんじゃなかった、アンドリュー・ジャクソンは気に入ってしまい、「アンドリュー・ジャッカスです(観客ワハハ)」とか自陣の象徴として使ったのである。
それでその後もそのうすらバカでグズで間抜けの象徴であるロバを大統領選で使うようになって今に至るというわけだ。
ビデオチャットで「いい女やな~」「ぎゃ!ちんこある罠や!」っていうイタズラが元々なんだけど、すぐに生えてないなら興味ないっていう増田みたいなのが増えてtrapは売りに。
これはアメリカの伝統関係あるだろうか?3%ぐらいは関係ある気がする。付いててお得だし。
1987年のブライアン・デ・パルマ『アンタッチャブル 』では主任捜査官エリオット・ネスがガサ入れでヘマした所を記者に写真に撮られ新聞のトップ記事にされ、その記事をオフィスに貼るシーンがある。
これもアメリカの伝統があっての事なんだろう。屈辱に耐えるのではなく、「侮辱を気に入る」のだ。それが先人がしてきた事だから。
という訳で単にいつの間にか意味が逆転してしてしまうのではなくて、アメリカの場合「侮辱を気に入る」「恒久的に自分の表象にする」というコードがあるのだ。単に悪口を逆手にとって「○○ですが何か?」というのと違うのはその語をずっと使うって事だ。逆手に取るのとは違うマインドなんである。
だからニガーを当事者だけが言ってもいいというのはこのアメリカ的伝統の過渡期にある可能性があって、そのうち普通に使われるようになるかも知れないって事である。
だったら差別語は何言ってもいいんだな、とか言って差別発言で炎上して失職したり家が突き止められたりというバカが出るのもネットの常である。