はてなキーワード: 小学校とは
北京大学や精華大学、深圳大学でコンピュータサイエンス専攻して起業するかテンセントなどに入社し金持ちになってから共産党に入党しイケイケ。ウイグル美人や高身長中国美女と結婚し北京や上海の高級マンションで悠々自適
ソウル大学法学部に入って検察官(韓国の検察官は国内の官公庁で最も権力を持った特権階級)になるか医学部に入って美容外科医に。高収入で尊敬もされ将来も安泰。韓国人美女と結婚しソウルでイケイケ人生。
裕福な家庭ならボーディングスクールを経て名門大学でコンピュータサイエンスを専攻しカリフォルニアのテック企業エンジニアに。いずれはスタートアップを築き売却してリタイア。
貧しい家庭なら高校卒業後に海軍兵学校、陸軍士官学校、空軍士官学校のどれか、或いは予備役将校課程で奨学金を貰いながら大学へ。将校として尊敬されながら名門大学で修士号を経て政界デビューし国防省の高官へ。
パブリックスクールからオックスブリッジに進み、秘密情報部か保安局に勤務。尊敬の念を集めながら上流階級の女性と結婚し余暇は地方のカントリーハウスで過ごす。
高校卒業しプレパを経て高等師範学校、パリ政治学院、国立行政学院を卒業して財務官僚か会計検査院判事に。フランス美女と契約結婚して愛し合いながら出世しいずれは大統領か首相。
小学校から塾通いし胃を痛めながら勉強し有名男子中高一貫校へ。さらに胃を痛めながら英語と数学を勉強しまくり国立医学部へ。卒業後は病院でブラック労働。ブスなジャップメスに必死に媚を売って結婚してもらい、専業主婦の妻と家事や子育ては折半。子供が生まれ家を買ったら生活は苦しく、やりたいことも買いたいものも全て諦める人生。なおこれが唯一日本でまともな人生を歩めるコースでありここから脱落したら悲惨な低収入孤独人生。
他の国に生まれていればいくらでもイケイケな人生が待っているが、オワコン日本に生まれると死に物狂いで医師になる以外に道はなく、仮に医師になっても幸せな生活が待っている訳ではない。
「子供は家で”誰か大人が”見はってろ」じゃなくて、「子供は僕が見ています!24時間子供につきそう父親の会代表!議会にも常に子供を連れてきます!小学校への送り迎えは父親がやりましょう!仕事は9時5時残業なしを徹底!寝かしつけもして夜は家から一歩も出ません親だからね!」とかやったらまだ説得力あったし面白かったけどあれ暗に「母親が見ろ」って話にしか思えなかったもんな
大学が怖かった。
小学校からエスカレーター式の私立出身。これまでずっと、仲のいい少人数イツメンの閉じたコミュニティーにいたため、大人数にとにかく圧倒された。
大人数でワイワイやるということに慣れていなかったし、本当に苦手だった。
一応クラスはあり、ゼミにも所属していたので飲み会の誘い等も無くはなかったが、すべて断るくらいもはや飲み会恐怖症だった。
大学は実はぼっちに優しいんじゃないかと思う。友達を作ろうとしなくてもクラス単位で行動することがほぼないため、
ハブられているという目で見られることがない。
授業も一人で受けようと思えば全然受けられるし、お昼を一人で食べていても一人席を使えば色眼鏡で見られることがない。
強制的に毎日不特定多数の人間に営業をかけ、足を運び、社内の飲み会にも参加せざるを得なくなった。
4年間ほぼ誰ともかかわらず過ごしていたので、私のコミュ力は地に落ちており、毎日それはもういろんな人から怒られまくった。
3年ほど罵倒されまくって今があり、最近転職活動をしていたのだが、
あれほど苦手で緊張しまくって変なことを口走っていた面接が、得意とはいかないまでも人並みに話せるようになっていた。
そして、あれほど苦手だった飲み会も普通にふるまえるようになっていた。
振り返ってみて思うのだが、やはりこういった気質を直すのは暴露療法的な方法しかないのではないかということだ。
https://twitter.com/arimoto_kaori/status/1711934020320440424
さすが人権のない国はちがうなー。
おたくの流している汚染水は日本のよりキレイだとでもおもってるんですかね……
===
と言われながら、歯を見られているとき、
脳がグワッグワッと上に波打って飛び出そうな感覚になる。
これは何なんだ。
YouTubeによく上がっている歯医者のASMRを見ても同じ感覚に襲われる。
脳イキだとも思ったが、
脳が飛び出そう、それ以外の感情はない。
もし同じ感覚が起きる奴がいるなら、分かち合いたい。
小学校の頃の人間関係は大人になった今と比べると,相手を一個人として認識していたように思う
瀬戸くんは瀬戸くんでしかないし,市川くんは市川くん.古田さんは古田さんだし,中川さんも中川さんとして認識していた
いつの頃だろうか,新たに知り合った人を瀬戸くん的な人,古田さんと中川さんを足して2で割ったような人というような認識をしていることに気づく
もちろん職場内での異動や転職など,仕事で付き合う人が増加する一方で,
その人たちと深く付き合う時間もないため,過去の人間関係とのパターンマッチングで対応している
あたかもWord2vecの埋め込まれた空間での演算やトピックモデルの各トピックの線形和表現のように,
既存の人間関係の亜種として新たに知り合う人たちを認識しているのだ
今回反対したのはPTA。つまり教育委員会の人も反対ってことだよ。
未就学くらいの小さい子供を家であれ保護者なしに放置するのは虐待だが、小学校にもなって子供同士が公園で遊べないとは。
一人っこ症候群といわれる人付き合いの下手な大人が量産されてしまう。
近所の小学校は都市部にあるが少子化による統合で交通量の激しい道路を3~4本横断しないと小学校にいけなくなると予想されている。
なのに自治体は学バスを運用しないから歩いてこいといっている。
こういう地道な「こまった」をいっぺんに解決できる細かい予算だてをしてからなら
今の「ただ議員が勢いで言ってみただけ法案」じゃ教育産業は全部違法産業化してしまいつぶれるし、子持ちが埼玉の家を買い控える動きもでていたよ。
国の予算は国が手当てしろ、うちはもうこれ以上法人税を払いません。
これでいいねん。
※この記事の趣旨は決して「昔こんないじめに遭った、ひどい」ではありません(世の中にはもっともっと凄絶で深刻ないじめが蔓延しているのだから、大昔のこの程度のことを訴えるために書いたのでは当然ない)。
しいて要約すれば「男性の優しさを厳しく見極めようとしてしまう変な癖がついてしまった人生」の話です。
私はアラサーになった今でも「子どもの頃スポーツが得意だった」「明るくて優しい」男性のことを一切信用できない。それゆえ、好意を打ち明けてくる男性がいると必ず変な尋問にかけてしまう。
小学生の頃、一日だけいじめにあったことがある。原因は私にもほかの誰にも、おそらくいじめてきた男子本人にすらわからない。ただある日突然、クラスのひとりの男子がこう宣言したのだ。「俺は今すごくイライラしているから、今日一日だけ、誰か一人をターゲットにしていじめる」と。その標的になったのが私だった。その男子は普段いじめっ子ではないし、また私も普段いじめられっ子ではなかった。たしか「だれにしようかな」とかでランダムに選ばれたのが私だったけど、その男子は足が速くて、私はめちゃくちゃ足が遅かったので、小学校でありがちな強者と弱者の構図にぴたりとはまっていた。
それで何をされたかというと、かなり記憶が薄れてはいるが、覚えているのは体育館でひたすら一対一でドッジボールか何かの硬いボールを繰り返し投げつけられて私が逃げまわるという光景だ。あれが体育の時間だったのか休み時間だったのか、私がそこに行かない/そこから逃げ出すという選択肢はなかったのか、同級生や先生たちはそのとき何をしていたのか、その場面に至るまでの状況は残念ながらもうまったく思い出せない。
普段問題児でもない子が、普段からいじめに悩んでいるわけでもない子に、一回限りだと宣言してやったことだから、周りの人たちもまあ反応に困っただろう。ボール遊びをしていて(同時に罵倒もされていたが)私が一方的にボールを当てられてしまうのは、単にその子の運動神経がよくて私がどんくさいから、とも言えるかもしれなかった。
このほかにも、たぶん私がトロいせいで、小学生男子の有り余るエネルギーを暴力として喰らってしまったことはある。掃除の時間に床の雑巾掛けをしていたら男子がいきなり頭の上に座ってきて、床に顔面を強打したことがあった。どうもその男の子は、雑巾掛けをしている子たちの上に次から次へのしかかろうとして、雑巾係はその股の下を潜って避けたらセーフみたいな遊びになっていたらしかった。でも私はトロいから避けられなかった。床にぶつかった衝撃で鼻の付け根がツンとして涙がぽろぽろ出たが、目の辺りを打った生理的反応だと思われたのだろう(実際そうではある)、周りの子たちに「目、大丈夫⁈」と聞かれたのに対して咄嗟に「うん大丈夫だよ」と答えてしまったらそれ以上はなんの騒ぎにもならなかった。
上記の男子の二人とも、もし小学生の頃の様子を友だちとか親とかに語らせれば、「スポーツが得意で明るくて優しい男の子でした」という具合になるんだろうと思う(知らんけど)。でも、私はそうじゃないことを知っている。だから私はいまだに信用できないでいる。「子どもの頃スポーツが得意だった」「明るくて優しい」男性のことを。
私は男性に好意を打ち明けられると真っ先にする質問がある。「小学生の頃、女の子にボールをぶつけたことはある?」だ。平成生まれのわれわれの多くはドッジボールというきわめて暴力的かつ非人道的な競技を強いられていたはずだから、「ない」と即答されるとむしろ変だなとか思ったりしつつ、まあその後もいろんな質問をしてみる。これはべつに答えだけのドボンクイズじゃなくて、表情とか言葉の選び方から私は相手が「件の男子」からどれだけ遠いかを必死に見定めようとする。そんなことは不可能で無謀だとも思うし、「本当の優しさとは何なのか」なんて私にもわからないけれど、どうしても探らずにはいられないのだ。
(ないと思うけどもし万が一この尋問に覚えのある人がこの記事を読んでいたら、どうか私の身元はバラさないでそっとしておいてください。)
大人になった今考えると、当時のそういった男子たちは有り余るエネルギーだけではなくて中学受験勉強のストレスなんかも抱えていたのかもしれない。私が通った公立小学校の学区域は地価の高いエリアが含まれていて、ハイレベルな中学受験をする子が非常に多かった。エネルギーにせよ親からのプレッシャーにせよ、それを正しく言語化できずに誤った仕方で発散してしまう子どもはきっと少なくないのだろう。
過ちという点で言えば、私だってその後の女子校時代や大学時代には、性格が弱々しいタイプでもなかったから(運動神経が悪い=弱者という動物的慣習は小学校で終わるのが世の常だ)、言動を誤って他人を傷付けてしまったことは何度もある。だから「小学校時代の」「男子の女子に対する」「身体的暴力による」いじめだけをあげつらうつもりはない。言葉による暴力がどれだけ深く他人を傷付けうるか知っているつもりだし、自分がやってしまったそれは一生後悔し続けると思う。
私がここで語りたいのはもっと軽薄なことで、ようするに、結婚式の回想ムービーだかスピーチだかで「スポーツが得意な、明るくて優しい男の子でした」とか形容されてニコニコしているけれど実際は猿から人間に進化しきれていない野蛮な小学生だった過去のある男性がそのイメージを保ったまま幸せな結婚をして平凡な家庭を築いているケースは日本全国そこらじゅうにわんさか転がっていると思っていて、ただ私だけは絶対にその類の男性にだけは引っかかりたくないし、そんな男に抱かれた日には死んでやるという気持ちで生きているということだ。
私が今のところ最も「優しい」と思えるのは、「自分の優しくなさや社会の優しくなさ(政府とか入管とか)に対して厳しく在ることのできる人」だ。いつでも穏やかにニコニコしていることとか、横にいる人の荷物を持ってあげることなんて、誰でも思いつくし誰にでもできる(下心があれば尚のこと)。「優しいは作れる」のだ。そんな小手先の優しい行為からは、その人が他者の痛みにどれだけ鋭敏で、自他の暴力性にどれだけ怒れるかなんて窺い知ることはできない。だから、私が無駄な問答を通して知ろうとしているのはおそらく、その人が自分の無意識の暴力の可能性をどれだけきちんと検討できるのか、みたいなことだと思う。
特に子供が不登校になった家の親はゴミ捨てにもいけなくなる、買い物も出来なくなる、仕事も共働きやシングルなら失業だ。
兄弟が居たら不登校の子供が兄弟の学校送迎についてきてくれないと完全につむ、登下校に付き添わない虐待親として通報される。
不登校の子供がついてきてくれないと、兄弟が一人で外に遊びに行くことも出来なくなる。
こども園小学校の兄弟の帰宅時間がかぶったら、兄弟がそれぞれ違う場所で遊びの約束をしてきたら、虐待放置親になる。
子供を家に残してゴミ捨ても虐待、何より周囲に親を監視して通報するのを義務にしているのもエグい。
罰則も考えているらしいが、育児罰がここまでエグくなったら産むに産めないだろう。
自民公明しか賛成していないのにスイスイ通ってしまう、自民党王国埼玉の悲劇だわマジで。
さぞかし育児への手助けが手厚いのですねと思ったら、待機児童全国ワースト2で学童も保育園も入れないのにこれって何のジョークだよ。
都会とも田舎とも言えない街済み。
30歳。
彼女いない歴=年齢。
顔はまあフツメンより上くらい? 性格は温厚な方だと思うけど、キレたらヤバそうって言われるw
友達は少ないが……
こんな感じだろうか? まあ、ざっくり言ってしまえば貧乏なことを除けばどこにでもいる弱者男性である。
具体的には、幼稚園や小学校では同級生達にイジメられ、中学校は遅刻ばっかりだった。
高校はたまに叩かれたりしてイジられキャラだったけど、大学は行かなかった。
なぜ自分が弱者なのかと考えたこともあったが、結局周りが悪いと思っている。
社会人になってからはオナホをとっかえひっかえして遊んでみた。
「これで禁欲生活から抜け出すぜ」と思っていたけど、彼女は何時までもできないのに、たまにちんちんが痒くなったりして不思議だった。
反対派(特に女)が多くて驚いてる。
子ども一人で留守番させれないと言うが、対象は小学校3年生以下。子ども一人を車や家に放置して外出は良くないのは当然
子どもを置いて買い物行けなくなる
→連れていけばいい
子どもが熱を出したら買い物に行けない
朝のゴミ捨て
→保育園に送るついでに捨てるとか、小学生なら子どもが家を出てから捨てれば良い
懲役や罰金はないんだし、もし本当にやむを得ない事情で一時的に子どもを一人にした場合、児童相談所に通報されたとしても子どもを取り上げられることはないだろう。
小学校でその扱いだったんだけど、中学では俺以上のばい菌が現れて俺はばい菌じゃなくなったんだよね
でもその俺以上のばい菌になった奴がそこまで嫌われるような悪いことしてるようには見えなかったよ
ここの米欄にも出てくる、「女としてではなく人として扱われたい」ってやつ、それ自体にはすごーーく共感する。
ただ、その「人として扱われる」ためには、何よりも男から「モテる」事が必要なんだと思っている。何故か世間では逆の風説が幅を効かせているけれど。
モテない女はそれこそ「女として」扱われるよ
性的魅力云々ではなく、都合よく雑用を押し付けても顧みなくていい下女として。
モテない女は幼稚園や小学校の頃から男子から(時には女子から)苛められからかわれるし、カースト上位の可愛い子達がお喋りしている傍ら一人だけ黙々と掃除をしているなんて実にありがち。
仕事でもワーママの皺寄せで仕事を押し付けられてちょっとでも愚痴を言おうものならお局やマタハラ加害者として叩かれる
こういうのがまさに「人としてではなく女として」扱われるという事なんだよ。女ジェンダーの特徴って何よりも、金にならない雑務の押し付けが主だし、皆婚社会ではなくなった現在においては寧ろ家庭外においてそれは起きている。
同じく非モテでも男ならそれはやられない。女にさせるような仕事をモテない底辺だという理由で男にさせる事はない。
男はどんなにモテなかろうが最低限「人として」は扱ってもらえるし、逆に言えばモテた所でそこまでとんでもないメリットがある訳ではない。
結局、この社会において人間のデフォルトとされているのは男なんだから、女が「人として」扱ってもらうには、
父親や夫や上司といった何らかの形で権力持ちの男に気に入られてその恩恵に預かるしかないのが現実
女が「人として」扱って貰うためには男からの「モテ」が必要なんだよ
都内済み。
30歳。
彼女いない歴=年齢。
友達は少ないが……
こんな感じだろうか? まあ、ざっくり言ってしまえば貧乏なことを除けばどこにでもいる弱者男性である。
具体的には、幼稚園や小学校では女子にからかわれ、中学校では男子にはいじられる。
高校ではクラスの中心人物に絡まれてパシらされ、大学では陰キャぼっちだった。
なぜ自分が弱者なのかと考えたこともあったが、結局答えなんて出なかった。
社会人になってからはセフレをとっかえひっかえして遊んでみた。
「これで弱者男性から抜け出すぜ」と思っていたけど、彼女は何時までもできずに弱者男性のままだ。
シソの天ぷら食ってて、葉っぱの裏側が舌に接するように食ったらなんとなく味を強めに感じたような気がした。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/282205
家に保護者がいるか不明なので集団下校はできなくなる。親が小学校まで迎えに行く
同様にリスクがあろうと連れて行かないといけない。土日に行くのは大変
登校は持ち回りになると予想される。登校と下校のあいだしか仕事はできない
近所に遊びに行くのすら無理。友人宅へ行くのも送り迎えが必要
あとなに?
仕事仲間は国立理系のエリートも多いけど中には同じように人生を呪ってばっかの人もいるから、
気の持ちようなんじゃないかと思う
俺はその「国立理系のエリート」に該当すると思うけど、無根拠に人生ポジティブになれない理由は結局のところ小中学校あたりでゴリゴリにいじめられた経験が効いてるんじゃないかと思う。超早生まれで遺伝的にも小柄で小学校卒業時点で身長130cmくらいしかなかった上にASDくさい特性(これも遺伝だと思う)だったのでそれはもういじめられまくった。
両親は全然頭よくなかったし家庭教育もゼロだったけど途中でなぜか勉強に目覚めてそれだけでここまで来た感じ。当時俺をいじめてた連中は田舎のマイルドヤンキーになってるので、今の自分は小中学校のほぼ全員より良い暮らししてるだろうとは思うけど、それはそれって感じで基本的に社会には馴染めないし意味わからんなって思ってる。
一人一人が持ち寄ればM=総数。
総数のソース。
俺さ、3月生まれ。
しかも発育も弱め。
特に無理なのが「書き方」の授業だった。
今思うと握力が根本的に足りてなかった。
めっちゃ強く握ってようやく字をかけるだけの安定性を得た。
んで教師は言う。
「もっと力を抜いて」
「抜きすぎだよ」
「ふざけてるの?」
マジで辛かった。
俺は死にものぐるいで黒板を写したよ。
内容を理解してるかどうかじゃないんだ。
黒板を写してるかどうかが全て。
全ての生徒に「内容わかってますか?聞いてます?そもそも?」とやっても限界がある。
全員に「とにかく写せよ。黒板をよ」と命じるしかない。
出来ないやつは晒し上げる。
楽とかじゃないんだ。
ミミズののたくったような字を通り越していた。
そのラインを攻め続ける。
俺ですら読めない。
教師も読めない。
でも「きっとこのコなりに頑張ってる」と信じさせる。
俺が字を字として書けるスピードでは。
チョークが走る。
内容はもう耳に入らない。
教師が待つ。
俺の指はまだ動く。
そして黒板が消える。
間に合わない。
もはや字ではない。
字ではない字を書く癖だけが積み上がる。
字は駆け抜けるもの。
そこにあるのはフィーリングだけ。
理屈はもうどこにもない。
形は失われる。
俺も読めない。
誰も読めない。
でも書きはした。
誰もが諦めた。
ギリギリで読める。
そして採点を受ける。
点数は他の子と変わらない。
じゃあもうこれでいいや。
そうして誤学習は進む。
字の書き方なんて分からない。
形だけの習字の授業。
ここでちゃんと学べていれば。
でもここでも同じだ。
教師はとにかく埋めろという。
必死に埋める。
何十枚も書く。
いつか許される字が出てくる。
それで通す。
魔法のようだった。
読めるような字が書けるようになった。
驚いた。
俺の20年はなんだったんだろうと。
地獄だった。
せめて4月に生まれていれば。
字とは読むために書くものだと学べていれば。
誰も読めない字を書くことばかりを学ばなければ。
悔しいよ。
これが俺のソースだ。
N=1でしかない。
だがここには確かな重みがある。
俺のNはニュートンのNだ。