はてなキーワード: 家族愛とは
映画感想見ると「ストーリーは大したことないけど音楽と映像が素晴らしい」っつー感想だらけだよなあ。
ストーリー褒めてたとしても「子供向けにしては良い」程度が大多数。
はてなで言われてるほど女性の解放素晴らしい!!!!と言う感想抱いた人は一般的には殆ど居ないと思われる。
っつーか女性向け創作で友情なり家族愛なり女性の生き方なりがメインで恋愛メインじゃない話っていくらでもあると思うんだけども。
(むしろ恋愛「しか」無いという方が少ないのでは。恋愛っつーかエロしかないエロマンガとかなら別だが)
アナ雪褒め称えているフェミって、普段余程創作読まないんだろうか。
それとも女性向けなんてどうせ恋愛しか無いから最初から読まないと言うタイプなんだろうか。
http://anond.hatelabo.jp/20080920063129
まだ付き合ったばかりのカップルにオススメの映画をセレクトしました☆
一緒に寄り添いながらDVDを観ると、二人の距離が縮まること間違いナシ!?
・ピンクフラミンゴ:家族と動物のふれあいを描く感動作。ラストは映画史に残る名シーン!
・イレイザーヘッド:出来ちゃった結婚をした青年と彼女の、日常にある愛の風景をモノクロ映像美で描く感動作。
・π(パイ):理系男子のちょっとヘンテコな日常が、リズムの良い音楽とともに描かれていくさわやかな作品。
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http://blog.plutan.org/entry/2014/01/22/114547
この人と同じように自分も、いわゆる「恋焦がれて食事も喉を通らない」みたいな感情を感じたことがないけど結婚した。両親を見て結婚にまるで憧れもなく、自分が結婚するなんて想像だにしなかった。
いわゆる「恋愛脳」の人のような気持ちになったことがない。年頃は好きな人が誰でも必ずいるはずと言われても、わからなかったし。
で、結婚のきっかけはやっぱり同じように信頼と相性がキーワードだったと思う。
自分の場合、標準から見てどれだけスペックが高いか低いかじゃなくて、自分にとってどれほど違和感なく、楽でありのままでいられるかだったかな。
すごく楽しいとか、つまらないとかじゃなくて、以前から知り合いだったっけというような、なじむ感じ。
これはやはり生育環境がある程度似た部分があったのかもしれない。
まあただ楽な相手というだけじゃなくて、なんとなく好ましいという部分は合ったけれど(服の好みとかいろいろ。)
夫の家に行ったとき、自分の機能不全気味の家族とは違った健全な家族というものを見た気がした。
義母は実母よりも母親のようにすら感じたし、義父も面白い人だ。非常に居心地がよくて、付き合っている当時から随分泊まらせてもらった。
夫は友人であり父親のようでもあり、兄のようでもあるような、やはり家族愛に似たものがある。
一緒にいてもう10年以上になるけども、最初はいろいろ自分が原因で修羅場も合ったけども、やっぱり最初の印象は間違っていなかったなとは思ってる。
実際、この増田は、親がダメダメで現在底辺のたうちまわってるだけかもしれないわけで。
だからこそ、
諦めなければ、どこからでも逆転できる
とかの美談でまとめようと。
自分の親が愛情なくて底辺会社で働いてることを「諦めた」と思ってるんだろうね。ま、実際そうなのかもしれんが。
事業起こして大成功、ウハウハ、家族サービスバッチリ愛情バッチリ、の状態から、
事業で失敗して転落、家族愛も冷め、逆の意味での大逆転、なんて人もいくらでもいるのに。
ま、テレビとかに出てくる人は最終的に成功した人しか出て来ないから知らないんだろうねえ。起業()とかに対する認識や、はてまて株やFXで成功した、って人に対する認識と一緒だよね。
同棲していて2年が経つような状況
実家の近くで呑むと行って出かける事が日々多くなり、ある行動の結果浮気だと分かってしまった。
よく見るまとめ系にこんなのが載ってたけど、ホントにホントだった。怖い。
・様子がおかしい
・急に素っ気なくなった
・何か聞くと機嫌が悪くなる
・話しかけてこなくなった
・週末に家に帰って来ない
・知らない服や下着が増えた
性欲が減った、無くなったなどでレスの状態が1年程、浮気の期間は半年強、呑みで仲良く男友達と遊んでる事は
全く苦にならないけど枯れた恋愛感情を他の人に向けている事実を目の当たりにする度に死にたくなる。
割と思った事を言うタイプの相手だったので、男友達とは会ってるが浮気はしていないという言葉に心底安心してしまっていた、
映画「奇跡のリンゴ」が好評のようです。私も見てきました。感動しました。
いっぽう、はてなのニセ科学批判クラスタ界隈では、この映画を見ずに「奇跡のリンゴ」のモデルになった農法を批判するのが流行っているようです。追従礼賛ブクマもたくさんついています。
http://d.hatena.ne.jp/locust0138/20130609/1370789361
http://d.hatena.ne.jp/locust0138/20130612/1371052702
http://d.hatena.ne.jp/doramao/20130618/1371549428
http://d.hatena.ne.jp/doramao/20130619/1371611793
これらは映画に対する評ではないのですが封切りに合わせたエントリーですから、映画を観てきた身として、これらの評を読んで???となってしまうところを指摘しておくのも悪くないかと思います。
まず、映画は何も農法を学ぶために観るものではありません。「奇跡のリンゴ」でいえば、阿部サダヲ、菅野美穂、山崎努、音楽:久石譲といった顔ぶれで観にいく人も多いでしょう。またもちろん、作品に100%のめり込めなくても観にいきますし、感動もできます。この映画はそういう映画です。「海上自衛隊全面協力!」という宣伝文句にあまり良い感情を持てない人間でも「灰原哀が出てるなら」で映画館に足を運ぶことはあるでしょう。
「感動している人間は思考力が落ちて大事なことを色々と見落とし、判断を誤るからです」とわざわざ赤字強調で書いている人もいますが、感動したからといってそうならない人間のほうが圧倒的多数です。アクション映画で感動した人がみな現実と混同するかといえばそんなことはありません。
「実話と銘打ってるから危険」――は? 映画「大脱走」は実話に基づいており、観た人は《多少は》本当はどうであったか気にするかもしれませんが、本格的に調べようとはまずしないでしょう。「実話に基づく」は基本的には映画を楽しむ際の参考として機能するだけです。また、シネコンだと関連書籍置いて売る、ということもあまりないかと思います。もちろん本屋では積んでありますが、映画見て出たところに本があるのとでは影響はかなり違うでしょう。
さて、映画「奇跡のリンゴ」についてはYahoo!映画の次のようなユーザーレビューが参考になるかと思います(固定URL表示できないので、投稿時間で示します):
http://info.movies.yahoo.co.jp/userreview/tymv/id344360/
2013/06/15 01:25:41
とは言え、僕自身鑑賞前は
突っ込んだ内容を想像していましたがさにあらず。
と簡単に思わせないところがよかった。農薬を使っている農家の方を
悪者に仕立て上げたら嫌だなとも思って見ていたのですが
この映画では、既存の農薬を使った農法を批判する箇所はほとんど全くと言っていいほどありません。まわりの農民、池内博之、笹野高史、ベンガルらも実はいい人です。
冒頭のナレーションでは
とあって、菅野美穂が農薬で苦しんでいる場面へと繋がります。しかし、このナレーション、言い換えると、農薬を使って作ったリンゴでも食べるのは安全、ということです(1980年代前半までだとこう言い切ってしまうのは言い過ぎではないか、という気もしますが)。
同様に、無農薬リンゴの利点について何か語られる、ということもありません――さいごの「おいしい」という以外には。
はっきりいって、この映画、主人公がなぜそこまで無農薬に固執するのか、という点では弱いと思います。ここまできたからにはもう止められない、というような言葉が何度となく語られますが、それは本人たちの事情です。
これらの点は製作側が、木村農法に対する批判をある程度知った上でつくったからではないか、と私は推測しました。今後、もし木村農法を批判するのであれば、映画のこういう姿勢を知っておかないとズレたものになります――というか上の批判はその典型。
言葉をかけなかった木だけ実らなかったというくだりは本人の書籍にもあるそうですが、映画でこういう「奇跡」だけいくつか押し出して「科学的説明」はほとんど付けないというのもダブル・ミーニングで、双方に配慮してるからだと思います。
映画全体でも、雄大な岩木山、リンゴの花の可憐さ、などの風景や原田美枝子、伊武雅刀らも含む家族愛、隣人愛が一番印象に残りました。人によってかなり違いはあるでしょうが、「無農薬のすばらしさ!」がまず刻印される人はそんなにいないと思います。(もちろん、そういう人もいるでしょう。ただ、映画館でみた客層でいうと、最初からそう思っている人が自らの信念を確認するケースの方が遥かに多そうです。)
ということで、映画を見ずに批評したり、それに追従ブクマを付けたりする人がおそらく想像してないことを述べておきます。
この映画見て、「無農薬」という言葉にそれほど影響されずに単純に、津軽りんごいいなぁ、食べたくなったなぁ、という私みたいな人はけっこう存在するのではないでしょうか。つまり、この映画が大ヒットすることで、木村氏だけでなく、(おこぼれとも言えますが)他のりんご農家にとってもプラスに働く可能性もそれなりにありそうです。―――もしそういうことになれば、それは既存の農法に対する批判を抑え、まわりの農家も良い人として描いたスタッフの心遣いのたまものでしょう。
最後は私からのお願いです。「農薬は安全」という人は、中国等の農薬やTPPについても必ず触れていただけないでしょうか?
良い映画でした。
ふたりが会話しているところを見たことはほとんどなく、たまに口を開けば口論だった。
どうしても連絡の必要があるときは、父も母も子供である自分をとおして伝言した。
これはとても苦痛だった。ストレートに伝言を伝えれば、両親とも自分のことを棚にあげて「どうして直接言わないんだ!」と機嫌を悪くする。
だから「父さんが(母さんが)言ってたよ」ではなくて、「○○があるらしいよ」とか、ぼかして伝える必要があった。
自分がどちらかと出かけると、もう一方の機嫌が悪くなった。
どちらかと話をすれば、もう一方の機嫌が悪くなった。
常に両方の機嫌をバランス良くとらなければいけなかった。そうしなければ、家の中で生きていけなかった。
どうして離婚してくれないのか。話もしたくない相手と、どうして一緒に暮らし続けているのか。
子はかすがいという言葉が大嫌いだ。かすがいにされるのが、どれだけ苦しいか。
そんな家から逃げ出して早十余年。
数日前にはてブで、「23年間会話のない夫婦が~」という話が感動話として上がっているのを見かけて、慌てて緊急回避したのだけれど、昨晩、旦那が嬉々としてこの話題を振ってきた。
なんでもこの夫婦、子供ができて以来旦那さんがすねてしまって会話がなくなり、そこからどう会話をしてよいかがわからなくなり、23年間奥さんが話しかけても無視状態。
だけれど番組の働きかけで、旦那さんが経緯を奥さんに話し、「いままですまなかった」と謝る。
そこがとても感動的だったのだそうだ。良い話としてネットで話題だそうだ。
純粋に自分の感動を語る旦那の話をニコニコして聞いていたが、聞き終わったところで、どうしても耐えられず、旦那に聞いてしまった。どのへんが良い話なのか。と。
すると「旦那さんがすねていた理由がいじらしい」「家族愛を感じる」だそうだ。
23年無視され続けた奥さんの気持ちや、両親の会話がない環境におかれる子供の苦しさを横において、この話が良い話にされる理由がわからない。
旦那に言うと、「まぁナイトスクープだから。そんなうるさいこと気にする人はいないんだよ」と。
うるさいこと。か。
自分の子供時代と重なって、見方がひん曲がっているのは理解している。
けれど、これがいい話として流通する世の中は、とても嫌だと感じた。
旦那ともネット上の反応ともかちあわず、もやもやとはてブコメントを見に出かけたら、批判的なコメがそこそこあって、少し楽になった。
やっぱりミカサが女っぽすぎる 何あのケバケバしいまつ毛と唇。
エレンとミカサの関係性って限りなくやおいに近い何かだと思うのだけれど。
女性としてエレンに恋する気持ちは匂わせてる程度で、基本的には性愛でも家族愛でもない『何か』で結ばれてるんじゃないかと思う。
俺はミカエレのそういうところに萌えてた。腐女子でも何でもないけれど、男ヲタだってそういう関係性に惹かれてしまうのは同じだよね。
だからあまりにもミカサの見た目が『女』すぎるとこの先の色んなシーンがちょっとね……。
『女』として性の赴くままに奔走してる感じがするじゃないですか。正直そういうの見るのヤなんですよ。
1話は『これはすごいな』って思って感動したけれど、2話3話とどんどん幻滅してきたなー。残念。
恋愛することが目的で、片思いが両思いになって、途中ライバルが登場して色々あったけど結ばれましたと。
大体これで説明がつく、どれも似たりよったり。
これなら幼児向けマンガのほうが設定にも独創性があって面白かったりする、それこそハム太郎なんかは、ハムスター目線で描かれるストーリーの新しさ、友情や家族愛をうまくまとめてて、恋愛だけの少女漫画より数倍面白い。
昔、萩尾望都や竹宮惠子の時代はこんな判で押したような恋愛漫画だけじゃないストーリー性があったし、理不尽な絶望や、想像したことが無いような心理面まで見事に描かれていた。
月9も同じ理由でくだらなく感じている。見なくても結果が分かるからつまらない。
少年漫画もある程度型が決まっている。
こうやって見ると少女漫画の「主人公が恋愛する話」と大差ないように見えるけれど、少年漫画の舞台は広い。
有名どころでは「ジョジョ」「幽遊白書」「BLEACH」「NARUTO」などなど
いつも戦ってばかりなんだけれど、それが面白くどの話も魅力的だ。
いま付き合っている人と、いわゆる恋人みたいな形での付き合いをやめようと思ってる。相手の人とはこれ以前に何年も交友のある友だちだった。友だちに戻りたい、というより、今の関係であると同時に、友だちであるということを失いたくない。
もともと私は他人に対して恋愛感情を抱くことができなくて(相手も私にこういう部分があることは多少知ってくれている)、でも、相手からの申し出と、自分の中にもぎりぎり家族愛かなにかに近いような特別感は確実にあるという自覚に基づいて、この人と付き合おう、と判断したんだけど、それはちょっといい加減な判断だったかもしれない。どんどん申し訳ないような気持ちと自己嫌悪が募ってきている。
私は、人間嫌い・人間不信とまではいかないが、そもそも男の人が苦手だ。男の人がより好意的に特別扱いしてくれると嫌悪が募ってくる。これがどんなに誠実で良心的な人でも、何かの瞬間にひどく嫌悪感を抱くことがある。異性に対する性的な目線や感情の発露が嫌というのではなくて、その人がまともに振舞おうとしていることがうわべだけの良識派を気取っているように見えてきて憎たらしくなる。まじめゆえに面倒ごとを後回しにするような平和主義もどきの発言をされたりするのがうっとおしい。彼とも、ただの友人であった時は許容できていたものが付き合い始めてからはすぐに許せなくなった。
とりあえず目の前から消えてほしいという意味で「死ね!」と吐き出したくなる位の衝動に駆られることがある。実際に死んだりいなくなったりしてほしいわけではない。冷静になるとどうしてそんな事くらいで「消えてほしい」とまで思うのか、ちょっと行き過ぎだと感じる。この衝動をはっきり表に出したことはないが、これに苛まれている時の私は、とても不機嫌でつっけんどんに見えるだろう。
私は友だちに対するスキンシップが好きで、ある程度仲良くなって相手のことを知っていれば、手を握ったりハグしたりなどがテンションあげずにためらい無く出来る。付き合い始めてからは、彼と並んで歩いているときになぜか体がぶつかってくるのがとにかく腹立たしい。ただ、これは彼とさほど仲良くない頃に密着されたときもかなり不快だったので、相手から意図がわからないまま触られることが嫌なのかもしれない。好意からなんとなくくっつかれるよりは、思い切り抱きつかれるほうが相手の感情がわかってまだ安心する。
両親の不仲と経済的な理由による離婚によって、私は小学生の頃から父親が不在であったことによって育んでしまった何かが、これらにどれだけつながっているかわからない。父親に対する期待など一切なかった分、引きずるような憎しみなどもない。本人から直接聞かされたわけではないが、父親のほうが私よりもいびつな少年時代を過ごしたのを知っているため同情のような気持ちは抱いている。でも父と私では時代も土地も性別も違っているので歪みや苦しみの質は多分違う。ただ、私も父も、身内をただのストレスのはけ口としてしまいろくに思いやりなどなくなるという点でそっくりだ。未だにファザコンだ、くそ。
付き合っている彼以外の人とお付き合いのようなものが出来る可能性など今後ないだろうし、彼は以前の関係を変えたいわけではないとも言ってくれた。代え難い存在でいてくれる彼には感謝しなくてはならないのだけど、私と付き合うことで彼の人生において不利益な時間や感情を費やさせているだけにしか思えなくなってきたし、覆し難い嫌悪から彼をむやみに叩くだけの存在になりたくない。彼が変わらないと言ってくれても、私は変わってしまう。
私は自分のことしか考えていなくて、相手を好きか相手が好きかなんてことは私の中で二の次以下のものだった。特別でなくていいから、彼の友だちに戻りたい。
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20110903/p3
コウキにも家族愛を渇望する傾向が見られたと思うのですが、その方向はコウキママではなく常にりんに向かっていました。
コウキはりんを通してダイキチみたいな父親が欲しかったのかもしれません。しかし、逆にその言動がりんの「安定した家族愛」を刺激していたようにも思えます。コウキママは描かれ方が少ない分、可も不可もないシングルマザーとしか見えないのですが、登場ごとに出てくる台詞は「大人」だなぁ、という感じで非常に納得感のあるものでした。
後半で主役を明け渡してしまったダイキチにも同じく「大人」を感じる部分があっただけに、血のつながりがないという違いはあれど「父親」としての愛を貫いて欲しかったなぁ、という感想を持っています。
本編だと本当に世界が閉じてしまって、今まで開いていたはずのコウキやコウキママとの繋がりまで、さらに言えばダイキチの実家とも切れてしまいそうな予感をさせる結末です。
話は飛びますが、最近読んだ秋山はるの『オクターヴ』でも世界を閉ざしていく主人公にやりきれないものを感じていたけど、ちさととの関係や両親へ再開しに行く最後シーンはすごくポジティブに描かれていただけに、うさぎドロップの最後はどうしてもネガティブな予感を彷彿させるものが多くて、せっかくの名作が台無しだなぁ、と思うのです。
本家ブクマ米にも書いたけど、どうしても長文を書きたくなってしまいました。
コメ欄でも良かったのですが、コメントよりトラックバックの方が独立性が高いだろうという小さなプライドから、また自分のダイアリーより増田の方が目立つだろうというコンプレックスから、ここに書いてます。
だ、騙された…タイトルに騙された‥
http://anond.hatelabo.jp/20110522135053
先月、「まどかおもしれーエヴァ以降でまともに見れたアニメは久しぶりだわ(意訳」と増田でのたまい(http://anond.hatelabo.jp/20110422235719)、
さらにはてブの数に酔った勢いでテキトーな事を書いて顰蹙をかいつつも「いやいやアニメも面白いのあるYO!」という意見をもらった俺は、
早速「なんかおもすれーアニメ今やってないかな…」とはてブのアニメカテゴリとおもしろカテゴリから探しまくった。
こんなある意味で不毛なことをやっていた俺が元増田のエントリ名をはてブで見たとき、まさに歓喜した。
なぜなら「元増田が底辺煽りしつつ古今の名作を挙げ、『俺様の嗜好スゲー論』が展開、はてぶでは『うぜえ死ね』『お前の趣味はわからない。俺なら○○だ』的なレスで伸びる」そんな内容のエントリだと予想したからだ。
「よっしゃ、面白いアニメの情報が何か仕入れられるかもしれない」-おれの中ではほんとにこんな気持ちでいっぱいだった。いわゆるwktkってやつだ。
ところがどっこい。URLを開くとただのブヒヲタ否定論だけがそこにあり、俺の求めていた素敵嗜好お披露目会場などではなかった。
かくも無情とはまさにこのこと。俺はブヒ系以外の「スゲー」なアニメの情報が欲しくてはてぶ経由でここを開いたんだよ時間を返せよorz
てかそもそも我が国が誇る世界最古の小説からして変態要素てんこ盛りなんだからブヒが多くなるのは諦めれ。
まぁ萌え系はもうちょい男のライバルと女を巡ってガチバトルしたり成り上がり要素を盛り込んでも良いとは思うけど。
その意味で最後でドンジョバンニしちゃったnice boatは若干ヨカタ。最後だけといえばそれまでだけどね。
ところで話は変わるが今年(ってか去年の末からか)はアニメの当たり年のように思えるんだが、実際のところ今年のアニメってどうなの?
っていうのも、先月も書いたとおり自分はアニメ用の物差しが少ない。
何せ宮崎駿を除けばエヴァとまどかしかアニメ物差しを持ってない。あ、あと千年女優か。
そんな俺からすると、
この流れが既に大当たりであることを象徴している気がしてならないんだが。少なくともハルヒの頃はこんな感じじゃなかった気がする。
ひとつの枠の中で1シーズンに当たりが毎回1個あるのって何気に凄い。
どんな枠だって本当に面白い新作は年1個か2個くらいが関の山なのに、ここのところアニメは毎シーズン面白いの出してきてね?
唯一ミステリ小説だけは毎年コンスタントに面白い新作がそれなりの数出てくるけど、あれは海外勢というチートがそれを後押ししてる面もあるし。
個人的にはミュージカルのNext to Normalが思い出されてあの花は楽しい楽しい。
しかしNext to Normalクラスの面白さにはなり得ないかなとも思ってしまう。
ここから家族愛について説得力のある内容で発展していったり実は鶴子あたりが最初からめんまのこと見えてるとかそんなネタが来ない限りは無理だろうなぁ。
果たしてあの花はアニメの物差しになりえる内容に発展できるかねぇ…
N2N! N2N! ( ゚∀゚)o彡°
とりあえずBBQ編が物語の位置的にYou Don't Knowに対応してて俺得でした。
N2N的に考えると主人公以外の誰か(鶴子か主人公の父親あたり?)がメンマのこと見えてるんじゃね?と思う今日この頃。
N2Nは家族愛を中心にしたけど、こっちはまだ何を中心に持ってくるか読みきれない。
今のところ「のすたるじー」とか「望郷」みたいなのがテーマか?とは思うけど、
母親ネタの転がし方次第で全く違うものになりえるのでまだまだ様子見。
2013年に東宝がN2Nをやるらしいけど、日本語公演になるだろうし…orz
ぶっちゃげN2Nは役者の技量に大きく依る所があるので、日本語での公演は爆死フラグのような気がしてならない…((( ;゚Д゚)))
http://anond.hatelabo.jp/20110422235719
ブコメで「エヴァに呪われている」とか「エヴァ脳の恐怖」とか「エヴァをアニメの物差しにしている」といったコメントを見て、なるほど的を得ているなと。
そして残念ながらid:kyo_ju、ネタじゃない。マジで書いた内容なんだ…orz
てか自分でもマジでエヴァ脳だと思う。じゃなきゃ増田で書かない。
俺がこんなコメントを普通のブログに投稿してる奴をみたら、とりあえず全力で叩く。
何でだ?
自分なりに考えてみたんだが、エヴァに前のめりで楽しんでた人達、というか後ろに引いて見ることが出来なかった人達は、
エヴァが終わった後の娯楽としてそれぞれ別個の道に進んで行ったかと思う。
まずアニメという枠に傾倒する道。
アニメは当時の世相を反映してか「自分探し」のような内容か、あるいは「萌え」に特化した内容ばかりだった。
自分探し的な部分は十分エヴァで堪能したし、萌えは視聴者が勝手に後付けするものであって主食として作者が提供するものじゃないものと考えているので無理だった。
SFは─漫画だろうと小説だろうと、作者の設定自慢ばかりで人の営みが希薄なのが多かった。「イカにSの面白さを最大化するか?」が最大の関心事になっている世界だった。
Fだけでいいから人間ドラマが欲しくてSFの道には進まなかった。
※その中で何故か『BLAME!』だけは面白いと思ってた。我ながらかなり謎。
「設定?誰がんなもん語るか。察しろ。」というスタンスがよかったのかも知れない。
あるいは設定の説明がない分、人間(と愉快なクリーチャー達)の営みに思考が集中できたせいかも知れない。
自分は娯楽なしで生きられるような人間ではない。おそらくは他の人もそうだと思う。
大人になって仕事や家事に忙殺されても、アウトドアや人付き合い以外の何かしらの娯楽を大なり小なり楽しんでるんじゃないか。
人によって、それが映画だったり、ドラマだったり、推理モノだったり、歴史モノだったりすると思う。
自分は「エヴァの次の娯楽」として、最終的に「古いモノ」を選んだ。
小説に手をだし、散々色々な誇大広告に騙された結果、最低10年以上「これは良い」と語られる小説は、少なくとも個人の趣味で好き嫌いはあっても外れはないことに気づいたからだ。
そしてこの単純な法則が、小説という枠だけでなく他の枠にも当てはまることを知った。
「古いモノ」を楽しむコツとして、「その当時の世相や時代背景を同時に知る」ということ。
今ではやや物足りない部分があったとしても、当時としては革新的な技術や手法、あるいは独自の視点が盛り込まれていたために長らく語り草になることが多い。
それと同時に他人の解釈をガン無視すること。例えるなら、どれだけ権威ある人が「このキャラはツンデレだから萌え」と言っても自分が「ツインテールだから萌えであってツンデレなのはどうでもいい」なら自分の直感に従って楽しむこと。
こんな風に古いモノ、かつ娯楽として時代の振り落としを生き抜いたモノを、自由気ままなオレオレ解釈で楽しみ、アニメを見なくなった結果、自分はアニメの物差しはエヴァとジブリと千年女優だけになったorz
敢えて弁明、というか開き直らせていただければ…
だって仕方ないじゃん!1年間で1割より少ない程度で面白いアニメは出てると思うよ?
けどその1割弱を探すためだけにアニメの世界に飛び込めば、まさに「渡る世間は萌えばかり」、あるいは「前門の厨二アニメ、後門の監督が厨二の自称芸術unkoアニメ」ばかりじゃん!
アニメの作り手にしても、ちょっと成功して有名になるとすぐ芸術気取りしたり宮崎駿の後継者気取りしてばっかじゃん!
そんな中途半端なことをするくらいなら、いっそワーグナーみたく「アニメはただの芸術じゃない。神聖な祭事だ!」ぐらい突き抜けつつ「よろしい!私に投資する権利をやろう!」的なノリで資金調達&製造とかやれるだけの実力と人間としてゲスな気概を持って挑めよ!>ヤマカン、細田
特に'00年代は酷かったよ!観客の声を聞かずに監督が見たいアニメか、大向うの観客の声しか聞いていないアニメばっかだったよ!
「そもそも今客席にいない人を、どうやって小屋に来てもらうか」を考えている人なんて皆無だったよ!
00年代はまだブロードウェイ- ミュージカルの方が観客を呼ぶためのモノ作りをしてるよ…
例えば「Wicked」はファンタジーで低年齢児を釣り、女の友情で少女を釣り、あげくに社会派的要素で親を釣り上げる万能釣り竿だよ。
「Next to Normal」なんて狂気の中から家族愛を導き出すーそれも母親が主役でーっていう化け物ミュージカルだよ。
ミュージカルってさ、親しみが無い人には「子供が見るモノ」あるいは「軽いモノ」ってイメージがあるんだ。
酷いと「演劇と歌が同居する必要性がないんじゃねーの?」って言われる始末www
まぁ当然だよね。舞台としては戯曲という枠が、歌劇としてはオペラという枠が、ダンスはバレエという枠が、技巧も歴史も名作も持ってる。
けどミュージカルが子供やミュージカル自体にマニアックな人ばかり相手にしてたってお金にならない。
彼らが飯を食っていくためにミュージカルという枠のファンを増やすしか無かった。
かと言って技巧だけで挑めば間違いなく他の枠に負ける。
だから彼らはあらゆるものを取り入れ名作を作り上げた。
例えば古典の悲劇の恋愛をベースに、彼らの身近にあるダンスや風俗、そして身近にありすぎるマイノリティへの差別問題を注入したWSSとかね。
そういったことを繰り返し繰り返し続けた結果、今のブロードウェイミュージカルの地位が出来上がった。
アニメを作ってる側の人からも、「売れない、売れない」という声ばかり聞こえた。
けど自分からしたら、なんでアニメを作ってる人は「今、テレビの前にいない人」を捕まえようとしないんだろうと思ってた。
筋を古いモノから流用し、装飾や人々を今の時代に合わせ、最後の結末に自分たちのメッセージを盛り込む。
これだけでも十分面白いモノが出きるのに。
「守破離」の全部が大事なのに、今のアニメは「守」だけ「破」だけ「離」だけみたいに、個別の実装しかないものが多い気がする。
「魔法少女」っていう小さな視野で見ても、かなり綺麗に守破離してる。もちろん違う角度から見たときにも様々な守破離があるのがまどまぎの魅力。
けど、きっともう後16年くらいは守破離をしっかり出来たアニメは出ないんだろうなぁ…
まどまぎの脚本の人は「ロボットものを書きたい」って言ってるらしいから、おそらくロボットを書くのに夢中になって客席を見なくなるか、大向うの客席しか見なくなる。
そうすると悲劇が好き過ぎる人みたいだし、シェイクスピアを消化しないままシェイクスピアの再発明を得意気にしちゃったりするんだろうなぁ…
かといって他のアニメの作り手は、まどまぎのパラメーターだけみてメソッドを見ず、もっと酷いものを作るんだろうし…
「処女厨がウザい・怖い」的な発言をよく作り手側のコメントで見かけるけど、
なら小デュマみたく処女厨を逆手にとって、ビッチであることが生きるために必然である椿姫を処女厨の目の前に置いて、
「それでもお前らこいつを罵れる?」といけしゃあしゃあと言ってのけるような人は今までいなかったし…