はてなキーワード: 土俵とは
といっても自分の結婚式ではない。中学時代の友人の結婚式に呼ばれている。
この数年で友人たちが次々と結婚していく。もうじき三十路を迎えようという年齢だが、田舎という地域性のためか結婚は皆早い。
特に“マイルドヤンキー”と言われるような人間たちではなく、ごくごく普通の社会人でも30前には身を固めている。
自分の周りだけかもしれないが、中学時代の友人達で地元に残っている人たちは、ここ1,2年であらかた結婚した。
特段これと言って恨めしいとか、妬むとかそんな思いはまったくない。
財布へのダメージは頭が痛いが、素直に祝福できる間柄だ。参列するつもりでしっかり準備も整えている。
新郎は公務員。田舎では羨望の眼差しを贈られる、エリートの代名詞だ。
で、そのお相手、新婦側も公務員と、なんとまあお固い雰囲気になるのかどうなるのか、少し下世話な好奇心も湧いてくる。
ところで新婦側のプロフィールを確認してみると、何となくその経歴に覚えがある。
数年前、居酒屋で男女2対2で飯に行ったときのこと。男側は今回の新郎と自分、女性側は今回の新婦とその友人だったか同僚か。
これがきっかけで新郎と新婦が出会ったのかと思うとそうではなく、実はその以前からお付き合いをしている関係だったらしい。
となると、あの食事会って何だったのだろうか。
新婦の友人さんが、誰か紹介してほしい、とかいう流れにでもなったのだろうか。
よくよく考えると、この新郎にはとても世話になったもので、何度も合コンやら異性の絡む飲み会などに呼んでもらうなど随分気を使ってもらった。
実際のところ、中学でもクラスは違うし、高校も違う。中学時代も一緒に遊んだ覚えはあんまりなく、共通の友人を介して絡みがあったかどうかくらいの仲だった。
社会人になってから何人かで集まった飲み会でたまたま再会して、それから飲みに行ったり遊びに行くようになった。
特に、これと言って彼女がほしいとか誰かを紹介してとは一言も言ったことがないが、自分の恋愛遍歴について話すことも無かった。これは当然の話で、今まで彼女がいたことが無い以上話せることが欠片も存在しないのだ。
だから恋愛ネタを振られたときは「彼女いない=年齢」を全く隠さなかったのだが、かえって彼に気を遣わせていたのかと反省。
そしてわざわざ気を遣わせたにも関わらず、恋人ができるなどの成果を出せなかったのが大変申し訳無い。穿った見方だが、この結婚式に呼んだのも無理にでも出会いの機会を作ろうと取り計らわれたのかと思ってしまう。
この新郎だけではない。
年収は20代後半男性の平均程度はあり、極端に悪いわけでもなく性格も特に問題ないと思われているようで、「彼女いない=年齢」である旨を告げると驚かれ、何度か会う内に「女性を紹介したい」と持ちかけられる。
だが如何せんコミュ障の身には、いきなりLINEのIDやメールアドレスを渡されただけでは、相手に興味も抱けず、特に話すこともないなぁ・・・と思ってしまうのである。それでも20代前半の頃は「いい加減この歳になって彼女がいないのは気持ち悪いと周りに思われている」と考えて、何とかメールやLINEのやり取りをしたりアポを取って飯に行ったり頑張ったが結局「彼女いない=年齢」のままだ。
ここ最近も友人と職場の人からそれぞれ女性を紹介されたが、片方については1通目のやり取りの自己紹介で力尽き、もうひとりの方はとうとう何も連絡を取らなかった。そんな訳で、ここ最近は女性を紹介される流れになると、「いきなり連絡先渡されても相手に興味を持てないから連絡しないんですよね」と言ってしまうようにしている。その方が相手に失礼もないし、今後の面倒も減るだろうし。
結婚式に行くために、散髪にも行ってきたが、そこでも「紹介したい女性がいる」と言われ、連絡先を渡されそうになった。「連絡取らないかも」と匂わせても「なんならこっちで日程調整しようか?」と一歩も引かない。個人的に仕事や趣味で予定が12月半ばまで詰まっている以上、アポ取ってもらっても予定通り動けるかもわからない。
何とか結婚式終わってから考えると答えて解放されたが、次の回避策を検討しなければならない。
心配してもらえるうちが華なのかもしれないし、とても贅沢な悩みかも知れないが、正直恋愛も結婚も諦めているし、したいとも思えない。
今でさえ家に帰ったら一言もしゃべらないしメールもLINEもやり取りはしない。家に帰ったらコミュニケーションのスイッチを完全にオフにしたいのだ。恋人や家庭を持ってしまったらそういう訳にはいかないだろう。
まして、恋人を持ったことが一度もない以上、恋人がいることの良さもわからない。甘い蜜を一度でも吸ってしまったら、無くてはならない物のように認識するかもしれないが、経験がない以上そんな心配もない。
ある社会人サークルに入ってるんだけど、
男女何人かで行動してても、常に男を周りにはべらせてる。アニメとか、がっつりオタクサークルではないので、過度にベタベタされることはないものの、
それでも常に男が周りにいる状態。何人かはマジで好きになってたし。
顔はそこまでかわいくない。
で、そいつ見て思ったのは、俺はオタサーの姫があんまり好きじゃないってこと。
コミュニケーションにおいて、自分の勝てるところでしか戦わないのは、あまりにも怠惰だ。努力して努力して、男女どっちからもモテる人間を目指さんかい。
> ここ5,6年の悩みで最近はっきりわかってきたんだけど、俺いつのころからかどうやって勉強していいのかわからなくなった。
> 一番大きいのは結婚して子供できて自由な時間が減ったことなんだろうけど、でもそれ以前から勉強ぜんぜんできなくなったの。
お前は俺かってくらいまったく同じ状況。なので最近ずっと「俺ってもっと優秀な人間じゃなかったか」って思って自己分析してるんだけど、ここ数年で一気にスキルセットが変わったのが大きな原因かなと思ってる。デザインパターン、アスペクト指向、UML、プロジェクト管理手法、積み上げてきたものはたくさんあるけど、今はまったく使えない。若者より知識はものすごくあるけど、意味がなくなった知識ばかりなので実質的な比較をするとほぼ対等。アジャイル、クラウド、機械学習・・・新しく出てきて若い世代が中心的に学んできた技術の存在を考えると、おっさんたちはむしろ若者よりマイナスになってしまったわけ。知識の量は若者より多いのに関わらず。
なので、勉強をするときも「若者よりスタート地点がだいぶ低い」という観点で勉強しないとダメだと言う結論に至った。その方法とは、簡単なコンテンツを、大量の時間をかけて大量に吸収する、ということ。
後、子供はもう致命的な。特に休日今までは合計で16時間くらいは勉強に使えていたのが0時間になる。一ヶ月だと64時間くらい消えてるのね。勉強できないってより勉強してない。となると、前述の「大量の時間をかけて」が無理ゲーなので、すでに詰んではいる。
> もう俺は嫁さんと一緒にあと20年近くかけて子供2人育てなあかんからITが好きか嫌いかで仕事選べる立場じゃねーーーの!
「すでに詰んではいる」と書いたとおりなのだが、これもまったくの真実。「技術ができない人」が「大金を得なければならない」。しかもそれは自分のためではなく、家族という他人のため。その行為は悪ではなく、善。
驚くべきことに結婚して子供ができると「能力の低下」と「収入の増加」を同時に満足させなければならない。そのためにできた制度が、おそらく年功序列であり、管理職なのであろう。そして今はその制度が壊滅しつつある。それでもこの矛盾と戦わなければならないので、結局は能力がなくても若者からお金を奪っていく方法を考えて、どんな手段を使ってもそれを実践していかなければ家族(言い換えると次の世代)を守れない、ということになるだろう。
管理職になる他にも、自分の持ってるレガシーな技術を後輩に強制して、自分のレガシーな知識が有効となる土俵に議論を持っていくという手もある。いずれにしてもろくでもない。
それでもまだちらほら「個人を訴えて訴訟ちらつかせる企業は酷い」みたいな反応があるのだが
初回ならともかく、2回目以降も収入を求めて起こしたサービスなんて企業と同様の業としての行為である
コストと権利とコンプライアンス引っ提げて企業と同様の土俵に立って勝負して頂きたい所存
多分個人でWebサービスを収益化っていうとほとんど広告収入がベースとなってると思うんだけど、
ブログやまとめサイトじゃなくて、ユーザー投稿型のWebサービスに単価はダントツで高いがアダルトサイトへのリンクが1つあるだけでも垢バンのリスクがあるGoogle AdSense貼るのって相当リスク高いように思えちゃう
もしかすると彼も一番稼いでたのはゲームWikiとかキュレーションメディア的な奴だったのかなぁ
自分もWebプログラマーの端くれとしてこういうの憧れるけど、やっぱりWebという土俵の中で個人が一番稼ぐ可能性が高いのは
検索結果を汚染するようなクソブログでクソ記事を量産しまくるっていうのが一番高確率なのかなぁって思えて、なんか悲しくなってきちゃった
中国人が艦コレを見て「日本の右傾化!」とか言っているうちはまだ良かった。
同じ土俵に乗っかられて勝負されるともう完全に勝ち目ないよね。
ちょっと触ってみればゲームの出来や運営の質の差は明らかで、はっきり言ってアズーレーンは艦コレの完全上位版と言っていい。
きっと今の勢いそのまま、アズーレーンが艦コレを駆逐していくだろう。
これはまさに象徴的で、多分ゲームとかに限らずあらゆる分野でこうやって日本は中国によって追いやられていく。
中国は今まさにグングン伸びている国であるのに対し日本は衰退国なんだから当然だ。
日本人は変なプライドを捨てて二等国として周辺国に迷惑をかけないように大人しくしているべきなんだけど、アベを筆頭とした憲法改悪して軍隊を合法化し日本を「普通の国」にしようとしている人たちは、ヒステリックな嫉妬からこういった歴史の流れを力によって逆行させたいんだと思う。
10月から新たに放送が始まったアニメ『Wake Up, Girls! 新章』
様々な面からいろいろな問題が吹き出していますが、この作品のどの辺が一番やばいのか、個人的に答えを得たので書き残します。
正直これに尽きると思います。
私自身の感覚ですが、普通アニメを見てどのような感想をえるかというのは『期待』に対してどのくらい答えてくれたかによって変わるものだと思います。
「この作品ならばコレくらいの出来の作品になるだろう。こういう結末になるだろう。と思うが、実際はどうくるのだろうか…」と言った『期待』です。
コレに対して実際に用意された作品の出来不出来やストーリーの良し悪しなどで、良かった悪かったなどの感想を言い合えるのが通常のアニメ鑑賞になると思います。
さて、ここで表題のWUG新章ですが、この作品は前述の『期待』の土俵に乗る以前の問題が発生しています。
それが見出しにもある『信頼』です。
これは別にアニメにも限らない話ですが、そもそもとしてどのような産業にも、良い悪いの話をする以前に保証されてしかるべき最低限の信頼と言うものがあります。
飲食店であれば少なくとも安全な物を出してくれるだろうという信頼。販売店ならば正規品を丁寧に扱ってくれるだろうという信頼。ライザップなら少なくとも痩せられるように全力を尽くしてくれるだろうという信頼。
これは、その事業がいいものか悪いものかという判断を下される以前に、それがなくては成り立たないレベルの最低限の土台です。一言で言うならば、視点が内向きではなく外向きになっているかということです。
もちろん、産業である以上自分たちの儲けが出ない仕事などしてくれるはずもありませんが、自分たちのことしか考えていない産業というのも同様に成り立ちません。客側がこいつらは最低限の信頼に応える意志すらないと気づけば、客が去っていくからです。
では、アニメにおける最低限保証されてしかるべき『信頼』とはなんでしょうか。
答えはいくつもあるとは思いますが、私の考える最低限保証されてしかるべき『信頼』は『いいものを作って見る人を感動させたい』と願っていることかと思います。
ここで言う感動とは別に良い感動とは限りません。胸糞悪い話を書いて心に引っかかるようなものも『感』情を『動』かす感動です。それから、感動させたい願っていればいいんです。実際感動するかどうかは、ここがきちんとできていればその後の『期待』の土俵の話です。実際のアニメ制作には期限や予算と言ったキャパシティがあります。少なくとも、その範囲の中でやれることをやろうとしてくれている。というのがわかれば良いんです。
しかし、今のWUG新章はこれすら欠けているように感じてしまいます。作品の出来もそうですが、その前の企画を動かす段階で前任のスタッフを外しながら、そこに対するフォローをまったく行っていません。結果どうなったかといえば、現在大絶賛場外乱闘が発生しています。スタッフの交代自体はよくあることだとは思いますが、やることがあまりにもお粗末です。
また、その結果として生み出された作品もまあ見るも無残なものです。旧作からいろいろなものを引き継いでいるように見せかけているが、実際はとにかく作っておけというのが感じられる適当なものです。そもそも、旧作スタッフを追い出してそのフォローもしないのに、旧作を引き継いだ作品を作ろうという精神が相当やばいと思いますが…。このように、今のWUG新章はその内外において、見るものを感動させようという意気込みすらまるで感じられないままで公開されてしまいました。はっきりいって、ここからのリカバリーは困難だと思います。場外乱闘はすぐに決着するとは思えませんし、たとえこの先のアニメのできが良かったとしても、見る側には場外乱闘を続けているしなぁ…というしこりが残ってしまい、まともな評価は下せなくなってしまいます。
正直、私自身場外乱闘は好きにやれと思います、アニメの出来がどうだろうと、所詮は3ヶ月で終わる数ある作品の1つです。まあそんなものでしょう。
ただ、不憫でならないのはこれまで信じてついてきたファンの人達です。これらはWUG新章に『信頼』すらも裏切られ、完全に路頭に迷っている状態です。これまでのWUGが好きだったが、それに携わっていて人はもう外からコンテンツを燃やしにやってきている。かと言って今の作品は褒めるに褒められない。
この作品を心の拠り所の1つにしてきた人達もいるだろうに、このような状態になってしまったのは本当に残念でなりません。一応そこそこにオタクをやってきていますが、これほどまでわかりやすく音を立ててコンテンツが崩れていくのを見るのはそうありませんでした。
色々な証言が色々な所で出ているが、ニュースで報道されている内容で考えてみる。
・時と場所
6月5日21時35分頃
東名高速下り神奈川県足柄上郡大井町赤田付近及び中井PA(下り)
夜になるとまぁ、暗い。
車が塞いでいたであろう場所
https://www.google.co.jp/maps/@35.3428491,139.2038278,3a,75y,203.8h,86.72t/data=!3m7!1e1!3m5!1sFZp2Zp7wFmhqrl-hZHznHA!2e0!6s%2F%2Fgeo0.ggpht.com%2Fcbk%3Fpanoid%3DFZp2Zp7wFmhqrl-hZHznHA%26output%3Dthumbnail%26cb_client%3Dmaps_sv.tactile.gps%26thumb%3D2%26w%3D203%26h%3D100%26yaw%3D142.88913%26pitch%3D0%26thumbfov%3D100!7i13312!8i6656
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・被害者について
中井PA(下り)にてDQNの車が道を塞ぐ様な形で止まって居る事に対して、夫が"注意"をした。
これが事が始まりの一つ。邪魔な所に止めているDQNが悪いんですけどね。
まず、何故運転をしている妻が言わずに後部座席に座っている夫が"注意"をしたのか。
https://www.youtube.com/watch?v=KqCdF8iQx4s
わざわざ、停車させて言ったのか、去り際に言ったのかは不明だが……ニュースを見る限り、去り際っぽいけど。
そして"注意"とあるが、ニュースでは「邪魔だ」という報道が多い。とある場所での書き込みでは「すみませんね」と言っていたとか……え??
邪魔なものを邪魔と言うのは悪い事ではないけど色々鑑みて言うべきだったのかなぁと。関わっちゃいけない奴と言うのはいるわけで。
邪魔ではあるが通過できていると言う事を考えると"注意"ではなくあてつけに罵声に近い事を捨て台詞的に言ったのではないだろうかと。
家族が乗っている状況で、見ず知らずのよくわからない輩に"注意"すると言うリスクは計り知れない。
通れなければ、癪だが移動するまで待つか、お願いしてどいてもらったほうが安全だし、邪魔でも通れたのであれば心の内にしまっておく方がいい。夜のPAって正直あまりよろしくないし。
"注意"したら追われて煽られるとか、本当に"注意"だったのかなと。
ニュース通りなら「邪魔だ」と注意したみたいだけど。いや、「邪魔だ」は注意じゃないよ。
で、煽られてそれにつきあうのもどうなのかなって。結局DQNと同じ土俵に上がっちゃったわけだし。煽られた時点で、路肩に正しく停車して警察よぶなりなんなりすればよかったかと。
きっと、邪魔だった事、煽られた事で停車した時にハザードも出せないくらい頭に血が上っていたんだろうけどさ。
停車後のやりとりも、車を下りてきたDQNに後部座席の扉を開けられたのか、開けて迎え入れたのか……高速で。なんにせよ走行中はロックはしておくべきですよね。
さわらぬ神に崇り無し。藪蛇。
・煽ったDQN
全ての元凶。
そもそも、これが邪魔な場所に停車していなければ何も起こっていなかった。
大型トラックの運転手の証言で「前方のトラックを追い越す為に、追い越し車線に出たらすぐ目の前に車があって急ブレーキでも間に合わなかった」と言った証言が夕方のニュースであった。たしかnews every.だったかな。
そのニュースでは、トラックの運転手の勤め先にインタビューしており、ドライバーは大変まじめな人で、今回の事故をおこしてから会社に出勤できず、わけもわからず困惑と後悔をしているとの事。
高速道路でよく見かける大型トラックがよくやる追い越しの仕方が問題。よく高速を利用しているドライバーなら思い当たる人も多いんじゃないかな。
追い越す車輛の後ろにぎりぎりまで近づいてから追い越しをする大型トラックが多い事、しかも追い越し車線の車を平気でブロックするしね。
まぁ、仕事で到着時刻やらタコグラフやら大型トラックの置かれている状況もわからなくもないが……正直やめてほしい。
夜の高速でハザードもつけず追い越し車線に止まっているという、普通ではまずありえない状況だが右車線に事故者が止まっていると言う事例はあるし。
そういう可能性があるのに、前方の視界がトラックで塞がれてほぼ確認できないような状況で追い越すという状況も危ない。
そう考えると、もらい事故でかわいそうといいきれないのでは?
https://anond.hatelabo.jp/20171011142108
こういう意見も正しいけど、自分から危険に飛び込む必要は無いよねって話。
。
読んで欲しいわけじゃないので支離滅裂です
誰かに言いたいのに楽しみを前にしてる人達の前で言うととてもじゃないけど、担当のオタクのイメージ下げられそうで言えないので誰かは見るかもしれないここでぶちまけます。
またこんなこと書いたら越境のときみたいにアニメはじまる前にネガキャンとか言われるのかな
ネガキャンとかじゃなくて運営に物申すことと同じことを言っておきたい
ひとりよがりの僻みと思われても実際そういうとこもあるけどやっぱりなんか言わなきゃやってられん
この怒りが少しでも冷めたりしたらすぐ消します
最初からいるみんなも途中から出たところもみんな大好きなんだけど、
担当として応援してるのは最初からいるよに後から声がついただけで露出が少ないユニット。
後から付いた組は個性強いから最初は馴染みやすいところから売ったみたいな意見も見た。ゲームの顔のクセがすごいからそこ強調したかったのかなあ。でもファンにはそんなの関係ねえ〜〜平等にしろ、機会を減らすな
露出少ないのを嘆いたらなぜかいつも同じユニットの人に格差があるなんてしょうがないでしょって言われる。うるせえこっちを排除すんな。自分の担当がそうじゃないからそう思えるんだ。当たり前だけどこんな苦しい思いをするために担当にであったわけじゃない。
ソロは全員出た(出る)し、今まででたものは全部聞いたけどソロなのかキャラソンなのかあやふやな歌詞の曲がたまにあったり言葉がおかしいのあってつもりつもって爆発しちゃいそうだわ。降ろせとは言わないけどなんでこれを通したんだ
数曲のせいでこのシリーズはソロではないのかなと思うようになってしまった
きいてない人にこのシリーズは全部ソロだってすごい言われたけどよく聞いてみて、ソロだったらこんな歌詞歌わねえからっていうのあったから。間違い探しかよ。曲はいいのにな。
そういえばシャッフルもなんでこっちいないのにこっちの大事な曲歌われないといけないんだって意見見た。わかる。でもなんかこのユニットじゃないと歌えないみたいなの多いから(それがいいか悪いかはまた別。)こっちからは選ばれないだろ。と思ってたのが中間では出てたりして。
もうつかれた。
なんか作品の顔のユニットに負けねえみたいなことを言ってた気がしたんだけどでも露出多いから言えたんだろうな……
正直元々あるところと作品の顔的なユニットはアイコンとしてわかりやすいからどんどん露出増やして知ってもらう機会もダントツにあっていいと思うしそれはあるべき格差とも思う
けど、そことだけでなく、そこの次に声がついただけの最初から平等なはずのユニットと、後から付いただけしか違いのないユニットの露出の差もそれによる曲数の差がどんどん増えていって悲しい。
少ないところの声の人たちが引け目に思ってるだろうとは思ってないし全くもって声の人たちの力不足だなんて思わないからこうやって言えるんだけど、現状、よくわからないけど驚くほどの格差によって土俵が違うみたいになってしまっているから辛いし辛いしただただ辛い
誰の力不足でもなく見込み不足じゃない?
ゲームの顔からアニメのスタメンで顔を増やしてこっちもいずれ対等になれるのかな。なれたらうれしい。なれるはずなんだけど。
ここまで読んでもし万が一同じ思いをしてる人がいたらみんなで運営に言いましょうね。みんな大好きだけどだから余計こんな格差があってはならないと思えて辛い。別事務所も、そういうのたくさんあったとも言われるけど。初めて便乗だけじゃない真っ向から好きになったところだからやっぱりこんなのおかしいよーと思えてしまう。
なる議論があるらしい。
学生がWordで論文を書いて来たら、それだけで不合格の推定が働くという研究者の方もいらっしゃった(さすがに理不尽だと思う)。
私自身は出身学部がバリバリの文系で、職業も数式と無縁の類なので、Wordの方が圧倒的に使う頻度が高い。
だが、最近趣味で数学をやるようになって、TeXにも触れるようになった。
それで何となくTeX派の言いたいことも分かってきた(そもそもWordとTeXを同じ土俵で比較するのがおかしいという批判は一旦措く)。
ぶっちゃけて言えば、TeXでできることのほとんどは、Word2010でもう出来てしまう。
そのためTeX派の主張・反論はかなり苦しく、感情的なものが多いのだが、なぜそこまでTeXに固執するかと言うと、TeXの方が楽しいからではないか。
いくらショボい文書を作るにも、TeXだと様々な問題が生じ、それをググって解決する。そして出力される美しい文書。
この過程が非常に楽しく、無味乾燥になりがちな文書作成の作業が創作性を帯びてくる。
競馬の世界じゃインブリードなんて当たり前に行われているわけだし、長年のトライアンドエラーで最適な血の濃さや危険な濃さも実証されてるわけだから、科学的な見地における合理性については「許可しても良いんじゃね?」って言い分はわからんでもない。
ただ、人の社会を形作る要素には全てが合理性で片付く話ばかりじゃなくて、むしろ多分に感情論や感覚値が入り込むものだし、それを愚かとか現代的じゃないと切り捨てるのは少々乱暴というか、人という生物への理解がちと足らん気はするよね。
あと、敢えて合理性の土俵で話をするなら、現行の禁止ルールを敢えて「許可」に変えて行くにあたり、それ以外の様々な法律やルールにも修正が必要になったりするわけよな。
簡単に「それも直せば良い」というが、影響範囲の調査と落としどころの検討と、それほどまでの多大な手間をかけてそれを押し進める事に対して、結果社会全体で得られる利益がどれほどあるかどうかってあたりも検討の余地があるんだよな。