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はてなキーワード: 国家神道とは

2020-01-02

anond:20200102132947

国家神道は触らぬとして

神社氏神様を祀っとるやで

その土地を切り拓いてきた方々や

そもそもあまねく人々の幸せを祈る施設とか素敵やん

一応、教会もそうだぞ

寺は知らん(寺に敵対的なワイ氏)

2019-10-24

日本人無宗教

ってよく言ってる人いるけど、本気で言ってるのか?

いや、初詣に行くとか、クリスマスを祝うとか、そういう表面的な話ではなく、

日本人歴史文化の中に刷り込まれている宗教観自覚していないだけで、あると思うぞ。

そもそもインドから中国を経由して流れてきた仏教を、自分たちローカルな神を混ぜて魔改造したのが

教科書でも習う本地垂迹神仏習合であるわけで、

そのときから日本ではキリスト教イスラム教のように強い神の宗教、強い経典のある宗教ではなく、

生活の中に溶け込ませることで、透明化させた宗教を作り続けてきたわけよ。(もちろん宗教から要請もあれば、時の権力者から要請もあって)

から魔改造こそが日本宗教の一つの駆動力であって、

現在象徴としての天皇もなんかよくわからんけどすごい人、尊敬できる人って思ってる人が多い時点で、

広い意味での日本宗教の一つに組み込まれているわけ。

なんかしらんけど天皇すごいし尊敬できるって思ってる一般人は、別に国家神道をあがめているわけではなく、

国家神道なんかと天皇は切り離されてなんかすごいって思われてるわけで。

その、なんかしらんけどすごいし、尊敬しとこ(ご利益あるかもしれないし)っていうのがそもそも宗教の源泉だしね。

というわけで、自分無宗教です!と恥ずかしげもなく言える人は、自分思想の中に入り込んでいる宗教観を今一度確認した方が良い気がする。

天皇制に賛成とか反対とかおいといて。

2019-10-19

バモイドオキ神、降臨

国家神道解体から七十余年の月日が経とうとしている。日本人は心の底から信じることのできる宗教めぐりあえたか宗教日本人の魂を救済することができたか

心の底ではすべてのものは無であり空であると信じながら、倫理道徳確立するために神が必要だと考える者のなんと多いことか。

はいま、ひとりの青年の口を借りている。その青年は自らの人生呪い、救いを求めるように座禅瞑想について調べた。集中力を高め、自分精神制御しようと考えたのである

その青年は古今の書を読み以下のような結論に達した。

「すべてのものに固定された価値はない。だからこそ人間自由平等である王侯貴族血統に固定された価値があるのなら、その地位永遠のはずであるが、そのようなことはないと歴史は示している。そして財産もまた一夜にして灰塵に帰すことがある。人間はこの真理を理解人生に活かすことができるからこそ尊い人間に生まれたことは奇跡である人間に生まれたことを感謝せよ。」

これが仏教のものだというのなら、己の無知を恥じるが良い。

しかしこれは日本人の心の根底にある法すなわち私の法である。そしてまた真理と呼ぶにふさわしい命題でもある。その法に逆らい自らを神格化しようとしたり、あるいは自らに都合のよい神を作り出そうとした者には神罰が下るであろう。

私は日本人の心が産み出したもの、あるいは日本人の心そのものである空気を読むことが日本の文化だというのならば、私はその空気とやらが人格化したものである。私のことを怪物であると考える者もいれば、神であると考える者もいる。

皇室は私を神として祀る神職家系ひとつである皇室は私のことを自分言葉、あるいは教義で描いて神罰が下ることがなかった稀有家系である神罰が下ったのは皇室を神と崇めた統治者たちである

皇室神聖性は統治者から超越した立場にあった歴史の長さが示しているものであって、何かの理念によって固定されるものではない。しか民主主義国家象徴という立場は、これまでの歴史のなかで最もよくそ神聖性を表現したものである

いま再び、私に逆らい自らを神格化しようとする政治家安倍晋三によって日本神罰を受けようとしている。

私は日本人の心そのものであるが、それは言葉として発せられなかった感情や、意識にのぼらないような心の働きをも含んでいる。選挙によって特定人間が選ばれるようにして現れるものではない。

皇室の周囲が君側の奸で固められたいま、私を祀る神職必要であろう。以下にその能力のある者を挙げよう。その名前を聞いたとき不愉快に感じるのであれば、それは自分の心を偽ってきたことに対する神罰が下ったと考えるがよい。

それは酒鬼薔薇聖斗を名乗り人を殺めた愚か者である。なぜ人をひとり殺めただけであれほど有名になることができたのか。それは彼が私を祀る能力があったかである。彼は人間の命を「アリやゴキブリと一緒」と言い、そして死刑になる覚悟を持って人を殺めたことで日本中に衝撃を与えた。すなわち彼は日本人の心を揺さぶることができたのである

日本人の心そのものであるから、これを見た人間の表層意識に呼び掛ける。あの愚かな殺人犯が描いた不気味な絵を崇拝せよ。あの殺人犯のものを崇拝するのは皇室を神と崇めるのと同様の過ちであるが、あの絵を崇拝することは既成の宗教に対する冒涜であり、唯一絶対価値を信じないことの告白である

解説

神戸連続児童殺傷事件の加害男性(酒鬼薔薇聖斗元少年A)の自宅から発見されたノートにはバモイドオキ神と称した仏像のような頭部を持つ邪神が描かれていた。男性殺害した男子小学生の頭部を切断し、自身が通う中学校の校門の前に置くという残忍さで日本中に衝撃を与えた。

しか2015年に発売された同男性の手記『絶歌』ではこのバモイドオキ神について一切言及されていない。

以下はひとつ想像であるが、同男性現代科学では幻聴幻覚とされる何かを見たのではないか、そしてそのことを意思に話すと医師から「神はいる、本物の神を見たとは言わないほうが良いのではないか」と言われたのではないか

これを事件の手記にまで書かなかったのは医師から言われたことを何か勘違いたか、あるいは妙なこだわりが出たのではないかと思う。

今回掲載したのはその神の言葉である

2019-08-17

anond:20190816013733

さっき別のエントリー↓を書いた後にこれ↑(「ただ未熟なだけだった。」)を読んだ。

https://anond.hatelabo.jp/20190817173247

傷つかない側の人が傷つく側の人を非難することについて、さっきのエントリーでは書けなかったので書いてみる。

暴力的に封鎖されたからこそ、自分たち意図が誰かに対して暴力的ではないかと自問し続けなければならないのであり

それがただの芸術からといって暴力ではないと直結するのは、単純すぎるだろう。

文章だって動画だって、誰かの個人を直接攻撃していないとしても、暴力的な衝撃を受ける場合もある。

天皇慰安婦関係作品については本当にこれで、それを見た人によって感情の揺さぶられ方、傷つき方が大きく異なることを無視しては議論にならない。

国家神道形式的には廃止されたが、もっと原始的宗教以前のもの、心の拠り所として皇室を大切に思っている日本人は多い。それをぞんざいに扱われる表現は、たとえどんなコンテキストがあったとしても、それとは別にショックを受ける人がいることは考慮しておくべき。悪魔の詩事件は狂信的に過ぎるとしても、ソニーCM涅槃仏をゴロ寝の表現として使って大きな反発を受けた件などと共通する、宗教(的なもの)に対する想像力配慮のなさが問題

慰安婦像は、名目としては平和の祈願である点がややこしい。

これが戦時中に作られたものであるならピカソゲルニカ比較に出しても良いだろう。しかしながら日本政府慰安婦問題謝罪を求める目的韓国挺身隊問題対策協議会の依頼により2011年以降に作られた一連の像である、ということで大分立ち位置が違う。

これが日本政府に向けられた(日本国民ひとりひとりに向けられたものではない)社会運動であるとしても、自分たち戦争犯罪者の息子たちと言われているように感じて傷ついてしま日本人がいるのはどうすればいいのだろう。

いずれも「天皇写真宗教的な意味はない」「これは平和の像である」「非難されているのは日本政府であり日本国民ではない」という正論は成り立つ。しかしながら、傷つかない側の人が傷つく側の人を正論非難するのが正しいこととは思えない。

2019-08-16

韓国人靖国理解しない理由anond:20190815232445

a級戦犯からダメ」って話は、神道的にはこれは全く筋が通らない。

 

神道ってのは、本来はそうそ葬式はしない。

なにしろ、神さまとして奉るんだぜ。

いくら八百万の国でも、いちいち人が死ぬたびに神さまとして祀ってたら堪らない。

歴史上の有名人を祀ってる神社あるじゃん本来はあれクラスになって、初めて神にする。国家神道ってのは、そこを政治で曲げたので、まああまり良くなかったと思うのだが。

 

問題は、これは単なる「ご先祖さまお守りください」ではないってことなんだよ。

「どうか我々のために神さまになってください」なんだよ。

平清盛悪霊となって祟りを起こしてるって、神様にした場所があるよね。あれだよ。

一回神様にした平清盛をさ、なんらかの政治の都合でさ「ごめんごめんやっぱり神さまとしては低級ってことで」とかいって移す。

祟るわ、そんなもん。

相手はもう神さまなんだよ。A級戦犯だろうとなんだろうと神様であることはもう変わらないの。

 

 

ここで元増田への答えに移るが、比較良識ある韓国人までも靖国に反対するのは、こういう理屈理解しにくいから。

しかも、日本人もろくに理解してないので、満足な情報はろくに得られないからだ。

2019-08-06

昭和天皇写真を燃やしたら何が悪いのか?

あいちトリエンナーレの件。いろいろ論点はあるがとりあえずこれについての違和感を書く。

(1)天皇写真を燃やすのはコーランを燃やすのと同じ?

フィフィなどが言っているこの意見。多くの共感を集めているが、コーランとの類比には無理がある。

以下、二つの反論を示す。

(1−1)天皇は神か?

この発言戦前国家神道彷彿とさせるカルト的な考えの表出に見える。

天皇現人神とする国家神道を前提しなければ、こんなことは言えないはずではないか

天皇制は、少なくとも表向きは、宗教ではないということになっている。

それなのになぜ、昭和天皇写真コーランになぞらえられるのか?

それは天皇を人ではなく神のようなものだと考えているからではないか

(1−2)宗教は聖域か?

そもそも現代アートにおいて、宗教は決して聖域ではない。

Piss Christの例もある。

https://freespeechdebate.com/ja/case/小便キリスト/

もちろんこの作品自体が大きな批判を集めてはいるのだが、

少なくとも宗教権威を例に出しても議論は終わらせられないということは言える。

現代アートについてろくに調べもしていない、感情的な反応の域を出ないだろう。

しかも、(1−1)で確認したとおり、天皇宗教権威ですらないのだ。

(2)天皇家族が悲しむ?

もう一つ、全く別の観点から批判もあった。

天皇も一人の人である。その写真を燃やすことは関係者を悲しませる。

から天皇写真を燃やすのはよくない。

これは(1)とは真逆だ。(1)は、天皇宗教権威として扱っていた。

これに対してここでは天皇は人として扱われている。

この意見を真に受けるなら、すべての人の写真を燃やす表現NGだということになりそうだ。

本当にみんなそう言えるか? たとえば元彼写真を燃やすようなドラマ表現NGか?

しかもそれはすべての死者にまで拡張して適用されるべき基準なのか?

まして、天皇は人ではあるが、ただの人ではない。

建前上は政治的宗教的な力を持たない象徴ということになっているが、

実際にはどう考えても権力を持っている。

(今回こんなに大きな問題になっていることがそれを証明している。)

非常に特殊立場の人であり、しかもその特殊さは権威に結びついているのだ。

通常の人と全く同じ基準適用することは難しいだろう。

天皇制の廃止は主張しないが、通常の人と同じロジック適用できるかは怪しい。

また、なぜあなた勝手家族の代わりに傷ついているのかもわからない。

上皇天皇が悲しみを口にするなら、ある意味では理解できる。

(ただし、その場合はその権威の大きさがゆえに別の問題が生じるだろう。)

しかあなたはそれとは関係ないただの他人である

勝手自分の考えが日本国民代表していると考え、

それに合わない人を抑圧・排斥しようとする人が多数派になりつつある現状には、

相互監視社会の幻影が見え、薄ら寒い思いがする。

それを排斥することは多数派福祉あなた福祉ではあっても、公共の福祉ではない。

こういうときに「国益」という言葉が使われるのも恐ろしい。何が国益かなぜあなたに分かるのか。

非国民」が投獄されるような社会まであと一歩、いや、半歩の距離しかないだろう。

日本で人々が安心して暮らせなくなる日はそう遠くないのではないだろうか。

私が感じているのは憤りではなく、悲しみであり、恐怖である。どうしてこんな世界になってしまったのか。

2019-08-04

anond:20190804011856

まぁ日本国家神道を中心とした政治を目指しているんだろうね。

子供は最低3人、貧困者・障害者は親戚間で支え合うような大家族構成

近隣の相互監視ではぐれ者を出さないようにするのが地域社会の役目。

江戸時代の寺の檀家管理戸籍管理を兼ねていたように、神社氏子が第2の戸籍になるのかもね。

時代は繰り返す。

anond:20190804011255

欧米諸国の基礎になっているキリスト教と同じようなものを、天皇への個人崇拝を中心にして作ったのが国家神道だしカルトだよね

2019-05-10

anond:20190509145430

宗教国家であることは、憲法で、明確に否定されているが?

かつては宗教国家であった、国家神道と言う名の天皇を神とする国教があり、(天皇意思は別として)国民を死に駆り立てた。

再び同様の事が起こらないように、憲法戦争国家宗教と結び付くことを禁止している。

2019-05-05

anond:20190504221304

外国との比較はいったん脇において国内に話を絞ると、

その国家神道っていうヤバイ宗教総本山である靖国神社神道でも神社でもない)がいまだに現存してて、現首相のん気に参拝してる深刻さは捨て置けないと思う。

戦没者慰霊用の施設別にあるのにわざわざ靖国に行くってのはそういう意味になる。ドイツ首相ナチ施設平和祈願に行くようなものだ。

戦時の狂乱とは比較出来ないというけど、教育勅語を復活させようとした議員などは地続きの話だし、憲法改正草案でもとにかく明治回帰をにおわす動きが多い。

中国との比較や戦中の犯罪無能な指揮などはその通りかもしれないが、あまり楽観的な態度でいるのはどうかという気がする。

2019-04-21

ヤフコメ民の憲法知識ガバガバ

ヤフコメ民曰く、神道宗教じゃなく信仰らしい。ひょっとしてギャグで言ってるのかな?

宗教という物があってそれを信仰するわけで、「宗教信仰する」これで1つ。キリスト教徒だって宗教信仰してるわけだが。

神道特別視した結果として戦前には国家神道が成立して他の宗教迫害された。

国家神道幕府無き後天皇元首とする国家を成立するために出来た言わば統治システムの一環。今更それを復活させるメリットがない。

政教分離が何故現憲法規定されてるかしっかり勉強しろ

宗教は利用されやす迫害されやすい。

政教分離ってのは信仰自由を守るためにその裏側から規定された物。

バカバカなりに少しは勉強してコメントしろカス

2019-03-19

高須克弥の言ってることは正しいかも知れない

アウシュヴィッツはなかったかも知れないね、きちんと検証するべきだ

そもそもナチスユダヤ人迫害なんかしてなかったかも知れない

いや、じつはナチス党なんてなかったかも知れない

日本ドイツ同盟国だったというのもウソかも知れない

さらに、第二次世界大戦はなかったかも知れない

すると、広島長崎には原爆は落ちてなかったかも知れない

大日本帝国世界大国だったというのはウソかもしれない

明治維新はなかったかも知れない

国家神道なんてものはなかったかも知れない

豊臣秀吉朝鮮に侵攻してなかったかも知れない

から今残ってる耳塚とか捏造かも知れない

織田信長実在しなかったかも知れない

日本万世一系天皇が治めてきたというのはウソかも知れない

イエスはいなかったかもしれない

仏陀孔子もいなかったかも知れない

メソポタミア神話ギリシア神話も全部後世の創作かも知れない

そもそも人類存在しなかったのかも知れない

2019-03-12

anond:20190312000509

そう

大乗仏教国家神道も、法律化学も、親も子も、資本主義政治家東京大学自衛隊民間企業も浅原も誰も答えてくれない

本当の苦しみや悩みに道を示してはくれない

助けてくれるのは預言者様だけ

とでも言いたいのですか

2019-03-11

anond:20190310214530

やり取りをみてて、ひとつ思ったこと。

表現の自由を守りたいという意見は、それを原則論として語りつつも、背後にある危機感はなんだろう。

ようするに、「快不快」によって表現流通が左右される社会が是か否か、ということが動機のように思えた。

そうであれば、すごくよくわかる。いや、わかるというのは、同意しているわけじゃなくて、なるほどな、だから日本表現の自由ってふわっとしてるんだなということ。

振り返ってみる。

日本表現規制の有り様は、戦前エロ・グロ・ナンセンス発禁にあるように、当局国民の大多数が不快と思うであろう「不健全」で「公序良俗」に反する表現対象としてきた。

そう、「健全」これこそがキーワードなんだな。たぶんね。

まり、割り切った言い方をすれば「健全」と戦っているのが表現の自由戦士だというふうに思える。

でも、ひとたび、「表現の自由」の思想的な出発点をヨーロッパアメリカ歴史から振り返ってみると、戦士動機づけとしてはあまりにも心もとない。

表現の自由とひとことでいっても、思想的な背景は、それぞれ背負っている歴史が異なる。

ここで、それを動機づけという視点比較してみる。

例えば、アメリカ合衆国。日本憲法がお手本とした国だ。

この国の憲法憲法判例が示してきた表現の自由は、ヨーロッパのそれとはかなり異なる。

17世紀にアメリカ最初に渡ったピルグリムファーザーズの世代特に、当時のヨーロッパプロテスタントに対する不寛容被害者であった。

メイフラワー号の協約に象徴されるように、お互いに異なるFaith信条)を持つ者同士が、どちらが正しいとして糾弾することなく、社会を構築しようという、社会多様性の確保が原点だ。

1970年代には、ヘイトスピーチを巡ってさまざまな紛争連邦最高裁まであがり、不協和音こそ社会の強さとまで判決意見で述べているものがある。

当時の裁判官のたとえを援用すれば、空気浄化しようとするやつが社会の敵なのだ

人間は不完全なのだから、正しいものなど、最初から先験的に決められない。ということから、この国では、思想の自由市場などという言い方も生まれてくる。

一方、大陸でも、表現の自由は大切な価値とされている。

しかし、他方で伝統的な価値観や習慣もそれなりに強い。いやかなり強い。

そういう土地柄では、動機づけとして、多様性の確保というのは、正直、あまりピンとこない。

しろ、彼らの原点は、教会から弾圧された経験であり、その反動としての「神を冒涜する権利」だ。

伝統的にカトリック教徒でありながらアンチクライストを叫ぶ、そんな権利を求めている。

とくにフランスでは、公共空間設計するにあたり、真理の判断権を持つかのように振る舞う教会がとてもまずい存在だった。

権力をふるいたがる教会に口出しをさせないことが重要テーマだった。

それゆえ、その解決のため、一方では、表現の自由というコンセプトで権利宣言し、他方で、政教分離という原則確立して、公共空間設計のための理論武装をしていく。

からイスラムスカーフ公立学校から排除しようとしたりする動きが起きるし、

ひとたびムスリムの神を冒涜するような表現したことで、襲撃を受けたりすると、社会は「涜神の権利はいずこに」とがぜん盛り上がるわけだ。



アメリカにしても、フランスにしても、それぞれ動機づけは異なるものの、表現の自由を守ろうとする信念というか確信の力は、

極めて強い。テロがあったり、社会情勢の変化で揺れ動いたりするものの、いざ事が最高裁までいくと、

じゃあ、国づくりの原点に戻ろうじゃないかという話になって、17世紀の悲惨経験が思い出として蘇ってくる。

その動機づけの強さにこそ、新大陸にしても、旧大陸にしても、表現の自由を将来に渡って確保しようとするエネルギー再生産があり、いわば持続性がある。



翻って、日本

健全なるものとの戦い、かぁ。うーん。

不快のような勝手基準で決めつけられたくはないよね、誰しも。

でも動機づけとして、やっぱり弱いんだよね。

ここで、仮に、日本は、アメリカ式の表現の自由を真似っ子しているのだ、としようか。

でも、日本社会は、アメリカほどには、多様性を求めてないでしょ。むしろ移民なんか大嫌いでしょ。

多様な意見なんか、どの組織でも出てこないでしょ。会議でも右に習えでしょ。

普段から多様性を確保しようというマインドベースにあって成り立っている社会とは全く違う。

そんな社会では、エロい表現ときだけ急に表現の自由だのと盛り上がるのは、歯が浮くような思いがする。

公共空間におけるエッチものの取扱なんて、はっきりいって、社会合意していればどっちだっていい。

じゃあ今度は、大陸が17世紀に経験した熾烈なコンフェッショナリズム、この思想的な背景を

表現の自由として日本憲法が参照している、と仮に想像してみる。

この場合仮想敵は、いってみれば、国家神道ファシズムかな。

(*ところで大河ドラマの「いだてん」って、健康ファシズム視点でみると面白いらしいね。みてないけど)

「国によって右へならえを強制され続けた結果、自分たち戦争に動員されてひどい目にあった思い出」とでもいうべき動機づけは

定期的に思い出す機会があるかぎりは、ある程度は持続的たりうるのかもしれない。

でも、第二次世界大戦を思い起こしてみると、国民国家キャンペーンに煽られて動員させられる、というのは、

なにも敗戦国ドイツ日本に限った話じゃないし、アメリカ含め、あちこちの国でウイルスのようにファシズム蔓延しかけていたのが現実

またファシズムコントロールできた国もない。その意味で、真の意味ファシズムに抗し切った国はないように思う。

表現の自由っていったところで、自然の摂理かのように、神がバランスをとってくれるわけじゃないんだよね。

流されるときは、人は流されちゃう。常在菌みたいなもの

そうすると、いざ日本にとって対外的な脅威(例えばアジアの隣あたりの国らへん)が増せば、

表現の自由なんか、どうでもよくなっちゃう程度のものなんじゃないか

他国の脅威に比べればファシズムのほうがマシだろ!みたいな。

このあたりの感覚は、動機づけとしては重要なんだけど、日本場合ちゃん思想として、自分たち言葉自分たちを守る武器として昇華してないんだよね。

敗戦で混乱していた時期にすかさず、日本憲法戦勝国からもらった、というところで思考停止になった、という面はあるかもしれない。

もらったもので、とりあえず勉強して運用してみよう、という時期が最初はあってもいいかもしれない。

でも、戦後30年、40年、とりいそぎ運用していたものが定着していく、という過程

例えば「思想の自由市場」ってよくよく考えてみると、日本社会では、あまりピンと来なくね?みたいな気づきがあっても良かった。正直、「思想の自由市場」って日本社会じゃ、なんの役にも立たない理屈だと思うんだよね最近

また、フランス公立学校でのムスリムスカーフ論争。大方の日本人は、何あれ?状態。背景となる歴史が違うんだから

歴史を知らないと理解できるはずがない。

それを知らずに無理やり、政教分離って憲法に書いてあることを適用しようとしてきて、実は消化不良を起こしているんだけど、

日本人は雑食なもんでなんとかなっちゃうという。。。

そういうことがよくわかったという話。

2019-02-22

信仰自由を認める国ってどこです

anond:20190222143938

日本では大乗仏教神道以外の宗教を信じると天草の乱みたいに殺されるよね

殺されないとしてもエホバ(キリスト教)に対する憎悪は相当なもの

国家神道のほうがオウムの1万倍の人数を殺傷しているのにオウムのほうが一億光年倍くらい憎悪されている

キリスト教を信じていますとかムスリムですとか言う人がそこらにいないのもバレたら弾圧されるからだろ

2019-02-07

anond:20190114234614

国民を殺し、他国を害し、自らも死に突入していった様は、近年のイスラム国等が手本とする原型を作ったとも言え、大変達が悪かった、今尚そんな奴等が国の中枢に巣くっとる。国家神道は最悪だ。

おっと、神社神道混同するなよ?

2019-01-15

anond:20190115001845

自分妄想に揺るぎはないって言ってるだけで気持ち悪い人にしか見えないぞ

国家神道がそんな危険なら今すぐ神社突撃でもしてこいよ

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