はてなキーワード: 危険物とは
でも、個人的には全く興味がそそられない。
というのも、マイクラの紹介文やらレビューやら解説サイトやらで必ず言われる
というくだり。これが心底気に食わない。
だってさ、これ要はあのクソ大量にあるwikiをいちいち見て回りながらプレイしろってことでしょ?
なにそれきっつーってやつだわ。
ちなみにこの「自分で調べろ」系ゲームで、国産タイトルの代表格は艦これ…と書けば、筆者が嫌悪する理由をわかってもらえるだろうか。
あのクソゲーの、筆舌に尽くし難い苦痛の一つが、何をやるにもwikiが手放せないことだったわけで。
ついでに言うなら、自称有識者が主にwikiのコメ欄と5chでうるさく言ってくる、ああしろこうしろというアドバイスの皮を被ったマウントを見た日には
「ぶち殺すぞ」
って感じ。
そういう、調べてるのかプレイしてるのかよくわからないことになるゲームなんかに比べたら、死に覚えゲーのほうが脳死プレイできる余地がある分まだマシだとすら思うわけで。
だからってわけじゃないけど、もし自分がマイクラ始めるならサバイバルモードのマルチプレイサーバ一択で、wikiは可能な限り見ないプレイスタイルで行くし、それが不可能ならやらない。
もちろんマグマやTNTみたいな危険物も「とりあえず使ってみて覚える」と。
そっからエンダードラゴンをソロで倒すまで、何回アイテム全ロスすることになるかなんて考えたくもないが。
でもこういう遊び方って、多分マイクラ好きな奴ほど冷笑的に思うんじゃねーの?
そこなんだよなあ、マイクラが一番好きになれないのは。
初めての長期で頭痛とかあったので薬の効果が来るまで紛らわしに書く
1日目
薄い頭痛が1日続く「夏バテかな?」と思ったが薄い長時間の頭痛とか今までない。
常備してある葛根湯を飲む
2日目
薄い頭痛が治らない。両側か頭全体にじわりときて硬い物を噛むと来る頭痛みたな感じ。
3日目
通常は葛根湯なしで一晩寝れば頭痛なんか治るので(そもそも長期で頭痛はありえない)
ヤバイと思い明日は暇なのでそんな痛くないが病院行く予定を入れる。
夜から本格的に痛くなってくる。寝付けないのでネットで症状しらべてマッサージとかやったが効果がなく時間かせぎすらできてない。時間かせぎに5分でも休憩が欲しい。
4日目
少し痛さが増している。脳内スキャンやらその他検査してもらったが脳内に腫瘍やら危険物は存在せずちょっと安心する。神経なおすうんたらの薬をもらう。
薬飲んだが効くまでに時間がかかる(長く感じる?)。風邪ならプラセボ効果で薬飲んだら「どんどん良くなるぞい!」感があるが頭痛にプラセボ効果はゼロである。
1時間半ぐらいかかって軽くなってきたんでやっと休息がとれ横になる。
夕方ごろからじわじわ痛みだしたので薬は痛み引いても飲もうと忘れないようにしたが、夕飯少し前にまた激痛が戻ったので早めに夕食を取り薬をのむ。
今ここ 若干薬がきく
そういうわけで、1975年生まれの俺を「構成した」ゲーム10本を時代順に紹介していく。
それはとりもなおさず、俺自身を紹介することとほぼ同義になるはずだから、長たらしい自己紹介とか前口上はなしで……では、参る。
俺にとっては、ヴィデオゲームの魔法は全て本作に詰まっていると言っても過言ではない。
結局のところ、俺の人生におけるヴィデオゲームは『パックランド』に始まり、『パックランド』に終わるだろう。
今作に出会ったのは俺が8歳の時、駅前にできた『カニヤ』というゲーセンだった。
『カニヤ』は薄暗く、当世風に言うところの「ツッパリ」と「オタク」(という言葉が生まれる前のオタク風大学生たち)でひしめきあい、
当時の彼奴らは『忍者くん』や『ソンソン』や脱衣マージャンに興じていた。
忍び込むようにして入ったこのゲーセンで、俺はこのゲームにひと目で惚れた。
『パックランド』には俺がそれまで見てきたゲームとは全く違った吸引力があった。
キャラクター、BGM、色彩……全てにおいて、ゲームにこれほど「魅せられた」ゲームは生まれて初めてだった。
消火栓を押した時の、水しぶきに押された時の、モンスターの頭上に乗っかた時の、妖精にもらったブーツで空を飛べた時の感動。
それは俺がヴィデオゲームと「契りを交した」瞬間だった。その契約は今なお解消されていない。
もし本作をプレイしてなかったら、初代ドラクエを発売日に購入することもなかっただろうし、
「ADV」というジャンルに注意を払うこともなかっただろうし、
中学生になってから推理小説にどっぷり浸かることもたぶんなかった。つまり、俺は俺でなかった。
推理小説よりもゲームブックよりも面白い「推理もの」をゲームで作り上げてみせたことに大きな意味と意義があった。
シナリオ・堀井雄二/制作・チュンソフト。ゲーム史的に考えても偉大すぎるだろ。
本作がなければドラクエも(おそらく)存在しなかったってことだ。
けどまあ、そんなこともどうでもいい。これまでもこれからも、ポートピアは俺の血であり肉である。
子供ながらに、「堀井雄二で、チュンソフトで、エニックスなら絶対面白いに決まってるや!」みたいなノリで近所のおもちゃ屋に予約した。
初プレイ時は……のっけから震えた。こんなに面白いゲームがあって良いのかと。ゲームにはこんなことができるのか、と。
作者と開発元が同じだけあって、テキスト文体とUIがポートピアと一緒だな……などと子供らしくないことも思ったっけ。
そういえば、ここに挙げたゲームは殆ど全て泣いたな。今となってはゲームで感動して泣くことなんてそうはないけど。
それが年齢によるものだったのか、ここに挙げたゲームの凄さによるものだったのかは知らん。
ある種のゲームが「想像力」を膨らませる最良の媒介であるっていうことはウィズが教えてくれた。
「RPG」というジャンル/概念を意識したことも、ドラクエよりウィズの影響が大きい(というか、ウィズがなければドラクエもおそらくないのだが)。
「?ぶき」を鑑定して、「むらまさ」だった時を上回る驚きと喜びって、もう体験できないんじゃないか?
もろ鳥山明なドラクエとは違って、おどろおどろしくリアルな姿/形状のモンスター(末弥純デザイン)たちに慄いた。
寺院に駆け込んでも、死者が蘇生するとは限らない——人も物も永久に失われてしまうというリアリティに泣いた。
ウィズは俺に「隣り合わせの灰と青春」を理屈ではなく、ゲーム体験として叩きこんでくれた。
おおっと、故羽田健太郎氏の作ったBGMの素晴らしさについても触れないわけにはいかない。
あらゆるクラシック音楽から「いいとこどり」の手法で極上の音楽を作り上げるすぎやまこういち氏に対して、
バッハ以前のバロック音楽へのストイックな愛がびしびし伝わってくる荘厳な旋律は羽田氏ならでは。
タイトル画面、カント寺院、キャンプBGMは永遠ものだろう。もし未聴ならyoutubeで聴いてほしい。
当時、プレステ派とサターン派でゲーオタ勢は真っぷたつに割れたが、俺は迷わずサターンを選んだ。本作をプレイするためだ。
当時は震えるほど高価だった(44800円)不格好きわまりない鼠色のハードをファミマでバイトして購入した。
膨らみ過ぎて破裂しそうになっていた、こちらの勝手な期待ははたして外れなかった。ポートピア以降のADV観はこの1本で刷新された。
トラベルの中でトリップし続けているような、唯一無二のゲーム。それが『MYST』。
インターネットなき時代に本作を自力でクリアできた時の感動は筆舌に尽くしがたい(泣いた)。
ゲーム史的に言っても、その後の国内外RPGやウォーキングシミュレーターというジャンルへの如実な影響が……や、ゲーム史云々の話はよそう。
ここに挙げたどのゲームも、俺にとっては「自分を作ったゲーム」であり、それ以上でもそれ以下でもないからな。
つい最近まで「自分はローグライクなゲームが好きなのだ」と思いこみ、それっぽいゲームには積極的に手を出し続けてきた。
当時、俺は浪人生だったが、心は勉強にも恋愛にも向かわず、文字通り、寝ても覚めても今作とともに過ごした。
タクティクスオウガもドラクエⅥもテイルズオブファンタジアも素晴らしいゲームだったけど、
朝晩取り憑かれたようにプレイしていた今作のせいで、この時期に出たゲームは自分の中で必要以上に印象が薄くなってしまっている。
後期SFCらしい完璧なドット絵も、和風すぎやまこういち傑作BGMも、チュンらしい快適操作とUIも、寡黙なシレンも小生意気なコッパも、
ガイバラもペケジも※アスカも、どのモンスターより恐ろしい店主も、全てが愛おしかった。
手持ちのROMカセットは内部電池が切れてしまってたから、数年前、Amazonで新品を再購入。
「フェイの最終問題」をどうにかこうにかクリアし、地球の裏側に再び出でた。
中年になった今でも、俺の腕と勘は(少なくとも初代シレンにおいては)まだ衰えていないようだな……。※訂正 アスカ→お竜
「昨年ついにSwitchで配信されたし、もうすぐパッケ版も出るから、絶対やっとけ!!!」
それで終わらせてしまいたいところだが、どうも気が済まない。
数多の熱狂的ファンや批評家たちによってすっかり語り尽くされている感のある今作。
俺にとっては、世界の見え方をがらりと変えてしまった哲学書のような作品である。
あるいはクラブカルチャー、サブカル、世紀末感……90年代後半、自分にとって全てだった世界をそのまま封じ込めたCD-ROM。
本作はゲームでありながら、「ゲームを超えた何か」という感じがしてならない。
人生をすっかり変えてしまうかもしれない、それまで夢中になってきた「ゲーム」をやめさせてしまいかねない、超危険物。
もはやゲームから素直に感動を得られなくなっていた、すれっからしの俺をもう一度「ゲーム」に住まわせてくれた、まったき「ゲーム自体」。
世代的にゼルダはディスクシステム時代からやってるが、正直、ドラクエと比べるとゼルダにそこまでの思い入れはない。
『神々のトライフォース』も『風のタクト』も確かにめっちゃ良くできてると思ったが、「自分を作った」とは言い難い。
正直、世界中で大絶賛されたBotWもそこまでとは思えなかった。
あれがオープンワールドの傑作なら、俺はこれからもクローズドワールドで結構。
なぜか? 「広がる世界」を生まれて初めて感じたゲームだから。
BotWと比べれば全くオープンワールドではないのだろうが、俺にとっては本作のハイラルこそ、生まれて初めて感じたゲーム内に広がる「世界」だった。
エポナを手に入れ、高原を走り回っている時以上に「世界」を感じたことは、今のところ、まだない。
夕暮れ時、ロンロン牧場でマロンちゃんとオカリナ演奏しながら過ごした時間よりも麗しい青春を感じたことは、今のところ、まだない。
『moon』ディレクターである西健一氏が数少ないスタッフと生み出した傑作。
『moon』が作り出したうずたかい第四の壁をよじ登り、ついに超えてみせた作品は今なお本作のみと感じる。
エンディングではいい歳して号泣した(物心ついてから号泣した最後のゲーム)。
坂本教授がBGMを作ったにもかかわらず、本作はろくすっぽ売れてない。
内容も恐ろしいほど過小評価されているように思う。
(ドリキャスという幸薄いハードで発売したことと、高めの難易度設定に拠るところが大きいだろう)
おまけにリメイクもアーカイブもないから、『moon』と違って「やってくれ」と気軽に言うこともできない。
だけどもし、ここまで読んでくれて、「こいつとはゲームの趣味近そうだな」と感じてくれたなら、どうか本作をプレイしてみてほしい。
とくに『moon』に強く打たれたゲーマー諸氏! 本作は『moon』の唯一の精神的続編と思ってほしい。やれば、わかる。
しつこく。再発売(配信)をせつに、せつに、せつに、望む。
本作発売時、75年生まれの俺はとっくに「中年」と呼ばれる年齢にたっしていた。
本作はそんな「まさか」という頃にやってきた、俺のラスト・オブ・アオハルだった。
それまでスタンドアローンでしかゲームしなかった俺に、本作はオンライン/共闘でしか味わえないゲームの楽しさと厳しさを骨の髄まで叩き込んだ。
その体験は視界を塗り替え、時間感覚を刷新し、現実を異化した。
これほど夢中になってプレイしたオンラインゲームは本作と『ARMS』しか思い当たらない(やっぱ俺は任天堂シンパなのだな……)。
『PUBG』も『Overwatch』も『Fortnite』も面白かったけど、初代スプラから受け取ったJOYには届かない。
汗を流しながらでかいゲームパッドを握りしめていたあの2年間を死ぬまで忘れることはできないはずだ。
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俺を作ったゲーム10本は以上です。暑苦しい長文を最後まで(途中まででも)読んでくれて心から感謝。
何年生まれか知らんが、そちらの「俺を作ったゲーム」もぜひ教えてほしい。何本でもいい。マジ知りたいから頼む。
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【追記】
ブコメ全部読みました。
こういう「○本」みたいな括りって、そこからこぼれ落ちた大事なゲームの思い出とか括りでは語れない気持ちを排除するみたいで、
あんま良くなかったか……って書いた後はちょっと落ちこんだけど、
この度の解釈改正(「桜を見る会」めぐる首相告発を不受理 東京地検:朝日新聞デジタル)によって、以上の犯罪の告発はできなくなりました\(^o^)/
この煽りの元ネタはとある絵師が描いたイラストで、内容はメガネをかけた青年が「すいません、三色チーズ牛丼の特盛に温玉付きをお願いします。」って口にしてるだけのもの
これが元イラスト
↓
https://i.imgur.com/y4hIO4q.png
・このイラストの青年の見た目が地味で冴えないという意味で「陰キャ」の特徴を見事に捉えていること
・注文台詞を早口でボソボソ喋ってそうなこと(後述の流行の経緯から見るとこれは副次的なもの)
こうした理由から主に匿名掲示板で煽りや自虐目的で使われる様になり、そこからまとめサイトを経由してTwitterでも使用される様になり、現在では日本のインターネットのそこかしこでこの画像やこの画像から発展した「チー牛」というジャーゴンが煽り目的で使われる様になっている
前述した様に元々は「陰キャ」の優れた表象として評価された「チー牛」だったが、今ではその立場が完全に逆転してこれまで「陰キャ」が使われていた場面でも「チー牛」が使われることの方が多くなってきた
もはや「チー牛」がインターネット界を席巻しており「陰キャ」はすでに過去の栄光になりつつある
そして俺はこの「チー牛」煽りが苦手だ
説明口調の長文を書く人や対抗言論を述べる人に対してこの「チー牛」煽りは使用される傾向にあるのだが、これって単純に気に入らない奴に「ブサイク」って言ってるのと変わらないんだよ
思い出してほしいんだけど、チー牛が流行ったのは陰キャ→ブサイク→チー牛イラスト→ブサイク→陰キャっていう循環的な連想があったからなんだよ
流行の初期は陰キャを自称する人が「俺マジでこんな顔だわ」って自虐を込めて貼り付けたり、「お前らどうせこんな顔してるんだろ?」と陰キャを揶揄する目的の人が貼り付けたりしてたのが「チー牛」イラストなんだよ
いやだったらそもそも大元の「陰キャ」からしてブサイクを揶揄する意味が込められてんじゃん?って指摘は当然起こると思う
それはその通りなんだよ
でも「陰キャ」にはブサイクだけではなく「根暗」とか「インドア」とか「内向的」っていう意味も含まれてて、そうした「陰キャ」の多義性が「陰キャ」煽りの精神的逃げ口でもあったんだよ
「陰キャ」煽りっていうのはそういう意味で致命的なものではなかった
だけど「陰キャ」から派生した「チー牛」は上述した通り完全に「(早口)ブサイク野郎」って言ってるのと同義なんだよ
これ本当に酷い致命的な悪口なんだよ
逃げ場がないんだよ
「(早口)ブサイク野郎」として世間から肯定的な承認を集める「チー牛」の英雄とかいないんだよ
なのに「チー牛」っていう可笑し味のある語感のせいでインターネットの至るところでこんな危険物が気軽に投げつけられる現在の惨状を招いてるわけ
本当にこれは酷いインターネットだよ
>>組合は、「グレーゾーン遺体」と呼ぶ遺体が増えることは、亡くなった人の尊厳にも関わる問題だとして、引き続き、県や医療機関などに対して対応を求めることにしています。
>>福岡県葬祭業協同組合の金澤義和副理事長は「陽性か陰性かはっきりしないご遺体をそのままお出しになることがどれほど危険か認識していただきたい。グレーであればあるほど、私たちも業者として対応できなくなる。指針や線引きをきちんと国や行政が行うのが一番だと思います」と話しています。
https://www3.nhk.or.jp/fukuoka-news/20200422/5010007674.html anond:20200422205818
結局本当の危険物は政府も医者も役人も誰も触らず民間に丸投げか
原発と一緒だな
他人の子は「動くリスク爆弾」全くその通り
私たちのその場その場で「こうあるべし」と思った願望の積み重ねが、ポリコレ型無縁社会です。こんな冷たい社会は望んでないと思っても、一つ一つの事例はこうした冷徹な対応をするしかないのです。慣れますよ。@terrakei07 #note https://t.co/5tX58x28PC— NadegataPapa (@NadegataPapa) 2020年1月19日
今や他人の子供所か自分の子供すら動く地雷と化しているのだけどね(苦笑)
これも児童ポルノ禁止法や都条例から兆候があったけど、奴等が子供を盾にお気持ち規制のツールとして扱った結果、もはや子供に関わるだけで逮捕されかねない事態を招いたとも言えるんだけどね。
下手に子供に関われば、不審者扱いされるし、実際、迷子の子供を交番に届けたら、その届けた人がなぜか逮捕される様なふざけた事例まで起きれば、そりゃ誰も子供に関わりたくもなくなるよね。
しかしフェミや児童保護団体が子供を盾にしたお気持ちで何もかも規制をした結果、関わるだけでヤバい危険物と化したせいで、誰も子供に関わらなくなって、余計に子供が危険に晒される結果を招いたのだから、皮肉以外何者でもないよね。
そりゃ寛容性や人権や平等をお題目としてきたのに実際やっている事は人権屋が人権屋平等を盾にして、ポリコレ棒片手に規制ばかり推し進めると言う寛容生徒は真逆な不寛容な社会の構築ばかり行ってきたのだから、リベラルやフェミニストが社会から毛嫌いされるのは当たり前だよ。
前にアレな人がフェミやリベラルキリストカルトはアカ共の手先と言っていたけど、中国のひき逃げの例と現状の日本の結果を見れば、案外その説もあるかもなと思えてくるから怖いよね(笑)
実際、冷戦が終わった後、こいつらフェミやキリスト系が大暴れした結果、西側諸国がおかしくなったのは事実としてあるからな。
フェミ「不審者と間違えて父親を通報した女は悪くない。顔馴染みになってない方が悪い」