はてなキーワード: 入園とは
潰すんじゃなくて、これ以上増やさない。
入園基準を高くして、貧乏な人、働かないと生活できない人しか利用できないようにする。
需要が高まれば高騰するって言うけど、そこで民間事業者の参入を促して供給を増やせばいいと思う。
保育園に入れない(けど15万+αは払える)人が増える
→シッターに預けて働こうと言う人が増える
→シッターが不足し高騰
→儲かるんならやろうかという事業者が参入
→値段が下がり、利用しやすくなる&シッターが増えて待機児童が減る
・・。という流れ
認可保育園>無認可保育園orシッター という順で人気が出るのは仕方ないよ、安くて質のいいサービスは誰だって受けたい。
ただ、ベビーシッターが手の届く料金で利用できれば、今の保育園入れない人の選択肢になるんじゃないかな。
認可外を未認可と書く時点で増田もあまり分かってないと思われるけどそこは置いといて
金持ちパワーカップルが優先的に認可保育園に入れて大量の税金つぎ込まれているのに
貧乏夫婦は認可保育園に入れず高い認可外保育園代を払うか専業主婦で極貧生活するかしかない
と言う現状は間違っているのではないか?ってって意見なら
保守速報なんかは何も知らない子無し独身者が多いだろうが、育児系なら当然上記の事情を分かってる人も多いし。
私立幼稚園のように園が園児を選びたいから敢えて認可を取らないとか(認可保育園の入園児は園ではなく自治体が選ぶ為)
園庭が無いけど英語オンリーですとかお受験対策教育しますとかそういうのを売りにしてるとか。
認可外保育園としての許可すら取ってない(ただの「習い事教室」扱いの)所もある。
そういう認可外を選ぶ親は、「認可に入れないから仕方なく」だけではなく
積極的に「DQNもモンペもいて教育もろくにしてくれない認可保育園なんて入れたくない」って親も多いだろう。
今回の保育園に入れなかった人が少なくとも世帯所得が約1000万円以上だったというまとめサイトの記事に
「年収なんか関係ないだろ!バカか?」というコメントが多かったし、スターも多かった。
もちろん、はてなは東京周辺の高所得者共働き左派ユーザーが多いから
本当に年収が高い人も全員公立保育園に入れるようにするのが国の責務なのだろうか。
保育園に入れないのは都市部だけだし、年収高い人も優遇するようにするのであれば
当然地方の年収の低い人たちも彼らのために税金を負担することになる。
もちろん、公立保育園に全員入れるようにするという政策を僕らは選ぶことができる。
しかし、それに対する負担を国民全員が負うべきかどうかは議論すべきことだと思う。
お金持ちでも公立保育園に全員入れるようにするという国にするべきか。
これに反対するのが馬鹿と言われるのは低所得者の僕としては納得がいかない。
あと、保守を馬鹿にするコメントも多かったけど、左派の意見がお金持ち目線だったのが気になった。
逆進性についても全く触れられてないのも気になった。
だから、今回のコメント欄で「貧乏人」だとか「浅ましい」だとか「馬鹿」だとか議論を抹殺するコメントが多かったけど
状況が切実だから汚い言葉で押し通すことが今回も許されるのかなと疑問が残った。
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<追記>
「保育園に全員入れるようにするのがベストなのは間違いないが、その財源どうするの?って話をしてるんだよね。
ワーキングプアの若者から税金取って、金持ちパワーカップルの補助するのが正しいのかね?」
そういうことです。
"保育園はインフラ。逆進性は存在するかもしれないが、全員入園できるようにすべき"という正直な説明なら納得できるかもしれません。
しかし、「金持ちを優遇して働かせることで税収が」とか急に左派がトリクルダウン的なことを言い始めて誤魔化しているのはやっぱり納得いきません。
お金持ちの人も、希望する人全員保育園に安く入れるといいとは思うんですけど、それって全部でいくらかかって、どれだけ地方の貧乏人の僕の負担増えるんですか?
認可外やベビーシッターを活用した方がいいと思うけど、何でこんなに避けられてるのか分からない。
認可外でもどこにも入れないほど状況が厳しいというのなら話は別だけど違うでしょ。年収5000万円の人は認可外に行ける余裕もあるし。
現状年収が低い人から認可保育園に入れるべきだとやっぱり思う。
あと、認可外がひどい環境だという論調だけど本当にそうなのだろうか。そんなにすぐ保育園なんて増やせないなら、認可外に目を向けるしかないんじゃないの?
<追追記>
良い評判を保たないと入園希望者が減る=経営に支障が出る幼稚園の違い、ってのもあるかと。
幼稚園不足地域だと保育園と同じく幼稚園も評判悪くても淘汰されにくい、って事はあるようだけど、
それでも親が専業主婦なら、近くの評判悪い園に通わせるくらいなら遠くの良い園に通わせるとか
認可保育園は、制度上園側が入園児を選べない(入園児を選ぶのは行政だし、親の労働時間等で決まるので子や親の性質は基本関係ない)&
モンペでも退園させられない、ってのもあると思う。
私立幼稚園は園側が入園児を選べるし、園の方針に従わない親子は退園ってのも出来るからね。
敢えて認可取らない高級保育園なら園児選んでるし、ガラの悪い親の子は入れないだろうけど(その場合でも高級お受験幼稚園の方が伝統もあるし上だろうとは思うが)
今時は保育園並みの「預かり保育」時間を用意している幼稚園が多いので
元々共働きだと2歳までは保育園で、3歳で幼稚園に転園する親も多い。
(勿論幼稚園に入れるまでは専業主婦で、入れた後に働き始めるという人も多い)
むしろ都会は保育園どころか幼稚園も足りていなくて幼稚園難民が社会問題化している地域も多い。
保育園に入れなかった子は皆幼稚園に行く(しかない)んだから当たり前。
途中で転勤等で引っ越しすると入れる幼稚園が見つからないってのもよくある話。
都会でもお受験系ではないごく平凡な幼稚園はいくらでもあるし、
幼稚園不足地域だとそういう庶民幼稚園でも定員の何倍もの入園希望者が殺到、ってのもよく聞く話だ。
何故現実を全く知らないのに堂々と誤った事を書けるのか謎だ。
通知表も終わってないんですよね、まだ。
肉屋のがらのわるいおっさんがクレームにきて対応させられるわ、
もう火に油を注ぐからって、新任の代わりに家庭訪問させられてんですよ。
変なやる気出して「おれ、行きます」じゃねーよ。逆に時間かかるんだよ。
まだ、通知表おわってねーつーの。
で、なんで、おれは給食費を子供の家まで訪問して集めてんですかね。
「いま、油モノしてるから、またあとで」じゃねーし。
回収の仕組み作れっつーの。まだ、全部集め終わっないのよね。
行ったら、どうせ「意識が足りない、こんな教師に教えてもらいたくない」だろ?
大体、こういうこと言ってくるのは、
「おれなんか」って誰も聞いてないし、
なんで無いんだろね。
でも、それでもいいや。
だって、高給取りになったら、私怨まで込めてクレームしてくるでしょ。
そんなんだから、地域の平均所得に合わせて、数百円ほど減らさせたんだよね。
楽して安泰、定職ウハウハって思ってんのかな。
お前が選んだ道?給食費回収まで選んでねーよ。
嫌なら、辞めろ?
なんで学校まで巻き添えくうんだっつーの。
ランドセルに傷が付いた?つくよ、ばか。
まだ、通知表おわってねーつーの。
http://anond.hatelabo.jp/20160320112744
息子はまだ入園前だったと思う。
で、息子はおなか一杯になって時間を持て余してたんだよね。
俺はその食べ残しを食べてて。
息子が突然思い出したようにタッタッターってレジ前に走って行っちゃったんだよ。
俺はまだ食べてる途中だったんだけど息子を追っかけていって「はいはい買わない買わない」って息子を連れて席に戻ったんだよ。
そしたら、店員さんが席を片付け始めてたんだよね。
息子の食べ残しの入った皿の上にも別の皿が重なってて。
そしたらその店員さん、俺の方を見て「あっ」っとだけ言ってどっか行っちゃったんだよ。
テーブルの上には片付けの途中で重ねられた皿がそのまんま。おおマジかって思って。
そんで、そのまま息子連れてレジでお会計して2回目の「買わない買わない」して。その時の店員さんは別の店員さんで。
まぁ、サイゼリアなんてそんなもんだよね、って感じ。
最近の「保育園落ちたの私だ」関連のニュースやエントリーを見ながら思ってたのだが、
落ちた原因に書類不備の可能性はないのかな?
待機児童多い。
保育園の倍率高い。
職場も近め。
たぶんポイントは他の多数の家庭と横並び。
同じような環境でも落ちた家庭はあるわけで、
「承諾/不承諾の原因はどこにあるのか?」と考えていた。
各家庭がポイント横並びの状態でどうやって役所の皆さんが比較検討するかというと、
文字が汚い、誤字脱字がある、間違いがあるなどのほか、
はては有利になるような嘘を書いてしまったりなど、
書類の不備で落とされている場合も多いのでは?と推測している。
不承諾の理由は本人には伝えられないので(だよね?)、
気づいていなかったりするかもしれないけど。
嘘を書いても役所が調べればすぐばれる。
もしミスがあっても連絡が来て再提出できるらしいけど、心証悪い。
明らかに適当に書いていたり、何を記入する欄かちゃんと読んでいないと思われると、
「通園中も何かトラブルを起こしそう・・・」と低い評価をつけられる気がする。
「ちゃんと文章を読んで書けるスキル」はチェックされてるのではないかな。
(どちらかのチェックだけだと必ず漏れが出ると思う)
保存用にまたコピー(これは翌年の継続で同じ書類を書く時に重宝した)。
やはり「書類をきれいに正しく書く」のが一番近道じゃないかなと思っている。
役所の皆さんの労力も減らせるしね。
増田は激怒した。増田には政治がわからぬ。増田は、日本の国民である。子どもを産み、子育てし、社会に出て働いて、税金を納めてきた。しかして待機児童問題に対しては、人一倍に敏感であった。きのう増田は見事に保育園に落ちた。増田は一億総活躍社会で活躍できない。会社を辞めなければならぬのである。増田は、それゆえ、思いの丈を文章にした。書いているうちに増田は、日本の様子を怪しく思った。どうかしている。もう既に保育園に子は溢れて、入園しにくいのは当たり前だが、けれども、なんだか、待機児童問題ばかりでは無く、少子化問題全体が、やけにおかしい。のんきな増田も、だんだん不安になって来た。ネットで見つけたはてな匿名ダイアリーを開いて、何なんだよ日本、国が子供産ませないでどうすんだよ、と書いた。金があれば子供産むってやつがゴマンといるんだから取り敢えず金出すか子供にかかる費用全てを無償にしろよと、語勢を強くして書き込んだ。
「子育て支援には、財源が無いのです。」
「なぜ無いのだ。」
「少子高齢化のためというのですが、オリンピックでは、無駄に使っております。」
「たくさんの金を使ったのか。」
「はい、はじめはエンブレムに。それから、国立競技場に。ほかにも、ウチワに。それから、不倫で辞任した議員の補欠選挙に。それから、賄賂を受け取った議員の調査に。」
「おどろいた。日本は乱心か。」
「いえ、乱心ではございませぬ。ただ、『保育園も増やせないし児童手当も数千円しか払えないけど少子化なんとかしたいんだよねー。』というのです。」
保育園落ちた日本死ね!!! http://anond.hatelabo.jp/20160215171759
保育園落ちましたわ日本おくたばりあそばせ!!! http://anond.hatelabo.jp/20160310225226
1歳の娘をバギーに乗せ、3歳の娘の手をとりながら、私は横断歩道の前で待っていた。
住宅地にあるバス通り、それなりに交通量は多いが、信号機はない。
朝の通学時間帯には、地域の父母が旗を持って立ち、子どもたちの通学の安全を守っている。
結局、スピードを落とすことなく走り去る自家用車やタクシーを十数台ほど見送った後、やってきたバスが横断歩道の手前に停車してくれた。
3歳の娘は危なっかしく傘を肩に預けながらも笑顔でバスの運転手に手を振り、私は軽く会釈をしながら横断歩道をようやく渡り終えた。
自宅への道を急ぎながら、娘は「みんな、なかなか止まってくれないよね」と、ぽつりと呟いた。
つくづく、この国で子どもを産み育てていくのは大変なことだと思う。
出産費用にはじまり、医療費に教育費はもちろん重くのしかかる。
家族が増えれば住居の広さも必要になり、自炊するにも食材が増えた分だけ、食費の増加は避けられない。
年に一度くらいは遠方の祖父母に子どもと会う機会をつくろうと思えば、交通費もかなりのものだ。
子どもを育てるコストを負担しつつ、自分たちの老後に備える必要もある。
問題は、その原資となる収入だが、今や雇用の安定など私たち20代や30代には望むべくもない。
成熟し、縮小していく社会において、高度成長期のような右肩あがりの成長に伴う給与上昇は考えられない。
となれば、椅子取りゲームで競争に勝ち、立場と給与を力づくで手に入れるしかない。
勝利しなければ、生き残らなければ給与の上昇を見込めないどころか、今の仕事すら失うかもしれない。
そしてその競争に参加するには、子どもの存在は重たい足かせになる。
家に帰って子どもの世話をするために、そして週末には子どもに時間を使うために、働く親たちは必死の思いで自らの仕事を効率化する。
だがそれでも、突発的なトラブルがあり、夜遅い時間に設定される会議があり、そして就業時間後のコミュニケーションが命運を握る社内政治がある。
子どもを持つ親は、子どものいない同僚たちと対等に競争に参加することは難しい。
この国のビジネス社会は、仕事にすべてを捧げ、集中する覚悟と実践を要求する。
この競争は、ブラック企業だろうと、優良企業だろうと、実はさほどの違いはない。
では、夫婦の内の片方が仕事に全力を注ぎ、もう片方が子育てを一手に引き受ける分担をすればいいのだろうか。
私たちの親世代で一般的だったように、企業戦士と専業主婦という分業により、家庭を経営していけばいいだろうか。
答えはノーだ。
なぜなら、私たちの親世代と私たちでは直面しているリスクの大きさが違いすぎるからだ。
かつて、日本企業は滅私奉公を要求するかわりに、少なくとも正社員として働く男性たちの雇用を守ってきた。
そのしわ寄せは、結婚によって退職する若い女性社員や、パートタイム労働者が負っていたが、彼らは主たる生計者ではなかったから、それでも「雇用の安定」というお題目は守られていた。
今は違う。
主たる生計者が期間限定の雇用に甘んじている状況は珍しくない。
正社員ですら、いつ競争に敗れ、仕事を失うかわからない危機感に常にさらされている。
どちらかが仕事を失っても、次の仕事を見つけるまで、家計を支えるためだ。
競争に勝たなければ所得の上昇が望めない社会で、成長し、お金を必要とする子どもたちに応えるためだ。
そのためには、母親である私は急いで仕事復帰しなければならなかった。
数が足りない認可園に入れないリスクに対処するために、先着順の無認可園を徹底的にあたって予約金も支払った。
秋生まれになるように調整したのは、産休明けにシッターを利用して急いで仕事復帰し、認可保育所選考のポイントを加算するためだ。
11月生まれで1月後半からシッター利用で復職、生後半年を待たず0歳で認可保育所に入園できれば、私たち夫婦の収入でも対処できる。
本当は4月や5月頃生まれの方が、0歳入園でもほぼ1歳に近く、子どもとの時間を持つことができるが、それでは約一年も仕事を離れることになり、復職のハードルが高すぎる。夏から翌4月までをシッターで乗り切るのはあまりに経済的負担が大きかったので、断念せざるを得なかった。
結局私は2人の娘を産んだが、仕事を離れていた期間は通算で一年に満たない。
そこまでして復職しても、いわゆるマミートラックからは逃れられないが、それも甘受するしかない。
「保育園落ちた日本死ね!!!」というブログが話題になったが、ネットで何を叫ぼうと誰も助けてはくれない。
同情の言葉くらいはもらえるかもしれない。数年先には状況が変わるかもしれない。
それでは目の前の子ども、不運にもレールに乗れなかった家庭には手遅れだ。
誰もが自分の生きる場所を守り、しがみつくことに精一杯の世の中で、他者に手を差し伸べる余裕がある者などほとんどいない。
保育園に入れないのも自己責任だと切って捨てられる、それが現実だ。
ちなみに、そこまでして入った保育園も、子どもが体調を崩せば利用できない。
行政が提供する病児保育のサービスはあまりに貧弱で、フルタイムで働く私たちには使いこなせる余地がなかったから、いざという時には高額な病児ベビーシッターサービスも活用している。
そこまでしてでも、母親が正社員という立場を守って働き続けなければ、子どものいる家庭を守ることはできない。
少なくとも私はそう考えている。
母親は一度仕事をやめ、子どもが手を離れる年にまで育ったら、再び仕事を探して働けばいいという識者がいる。
そういう人は、十分な学歴と意欲があり、健康な体を持ち、自分自身以外に面倒を見るべき存在がいない若者ですら、安定した仕事を得ることが難しい社会の現状を知っていて、そんなことを言っているのだろうか。
誰もがいつ仕事を失うかわからない、そして失業した際のセーフティネットがあまりに貧弱なこの国の仕組みを理解していて、言っているのだろうか。
ひとり、あるいは複数の人間を新生児から社会人まで育て上げる責任の重さを、親になったからには背負わなければならない。
それも親になるという選択をしたのは自分たちなのだから、自己責任の範疇である。
費用も、機会も、制度をいかに利用して乗り切るかも、すべて親の才覚にかかっている。
それでも、私は自分たち家族が驚くほど細い綱渡りをしていることを自覚している。
もし娘たちや私たち夫婦の誰か1人にでも何か不慮の事故や病気があれば、この綱渡りを続けられる保証はない。
ここまでは、物質的な話だ。
子どもを育てるには、物理的金銭的に大変な努力が必要なのはもはや否定できない。
次に、親になる者が直面するのは、精神的な困難だ。
公共交通機関に子どもを乗せるなという論争が、日々至る所で巻き起こっている。
冒頭、娘が呟いたように、横断歩道をゆっくりとしか渡れない幼い子どもを連れた親は、道を渡ることすら容易ではない。
必要なしつけはしているつもりだし、公共の場でのふるまい方を教育するのは当然親の務めだと考えている。
それでも、子ども連れでいることで向けられる世間のまなざしに、どうしようもなく辛い思いをすることはある。
一人だったらとくに気にすることもなく車の間をぬって渡ってしまえる道も、子どもが一緒だから、安全を確認するまで辛抱強く待つ。
走り去る車をじっと見つめる娘の澄んだ瞳と、だんだん冷たくなっていく小さな手のひらに、どうしようもない心の痛みを感じながら、私は待つ。
もちろん、指定席を子どもも含めて人数分取っているが、たまたま私たちの近くに乗り合わせたビジネスマン風の男性は、あからさまなため息をつき、はしゃぐ娘たちを見て舌打ちする。
大きな声はださせない、椅子にはきちんと座らせる、そして食べ散らかすような菓子類は与えない。
飲み物はこぼさないようにストローやマグを準備し、それでも万が一に備えてタオルや着替えは常備する。
万全の準備をしているつもりでも、子どもの機嫌が悪くなることがある。
だが、帰省シーズンともなれば、指定席車両のデッキも自由席券の乗客で溢れ返り、苛立つ彼らは泣きじゃくる子どもを抱えて現れた親を睨み付け、ため息をつく。
一体、子を持つ親はどうふるまえばいいのか。
子が公共の場所で泣かず、疲れたとわがままを言わないようになるまでは、外になど出るべきではないのか。
容赦なく投げつけられる批判のまなざしを、せめて子どもが直接こうむることがないよう、親は細心の注意を持って配慮し、矢面に立つ。
自分で選んだ生き方なのだから仕方がない、これも自己責任だと言い聞かせ、今日もぐっと奥歯をかみしめる。
仕事を持ち、愛するひとと結ばれ、子どもをもうけて家庭を築き、社会に参加する。
本当に幸せなことだ。
川の字に並んで眠る夫と娘たちの寝顔を見る時、私は自分の歩んできた道が間違ってはいなかったことを自覚し、そしてたとえようもないほどの幸福感に満たされるのを感じる。
だが同時に、ひどく不安にもなる。
私はこの先も、この幸せを守り続けていけるのだろうか?
家族の健康を守り、仕事を守り、娘たちの未来を保障し、自己責任をまっとうできるだろうか?
身の丈に合わない幸せを追い求め、手にしてしまったのではないかと悩むことがある。
本当は、私のようなごくありふれた個人がまっとうできる責任など、自分ひとりが生き抜くくらいのことなのかもしれない。
仕事に集中し、結婚も出産もしなければ、私がとるべき自己責任の対象は私1人分でよかったはずだ。
ただ、保育園に子どもをいれられなかった親が怒り、子どもの障害とともに生きる親が絶望してしまうこの世の中で、ありふれているはずの家庭を持つ親が何を考えているのかを伝えたかった。
今、この国で子どもを持つということは「自己責任」の範囲を子ども全員にまで広げるということだ。
それでも子どもが欲しいなら、産み育てる責任をまっとうしてほしい。
…ありふれた幸せに憧れているだけなら、残念ながらお勧めできない。
だが、各論では真逆であり、子どもを持つことはリスクであり、ペナルティでしかない。
私たちは誰もが自分の幸せを自由に追求する権利があるが、子どものいる幸せは非常に高価だ。
子どもを持っても、誰も褒めてはくれないし、助けてもくれない。まして見返りなどないし、批判にさらされることが増えると覚悟してほしい。
それでも子どもを持つのは、子どものいる幸せがそのリスクやペナルティを度外視させ、高価さに見合う以上の精神的な充足をもたらしてくれるからだ。
私は正直、覚悟が甘かったから、今でも時々こんな風に心を痛めたり、迷ってしまう。
まだまだだな、と思うばかりである。
これを書いた人です。
お前のほうが税金使ってるだの、お前が政治家になれば日本国が潰れるだのお前みたいなのは死ねみたいに叩かれてびっくりした。
確かに税金は人より使っているかもだし、政治家になれば国が三日ともたずに潰れるでしょう。
でも、そういう方々はソースに頼らずどこまで考えたのでしょうか?
そもそも、日本の人口ってどれぐらいが適正で少子化対策は必要なのか?
中学校の教科書を思い返せば、子どもより高齢者が多い少子化状態になっている。
これまた、中学校の授業を思い出すと、日本とドイツはよく似た土地面積ですっていうのを覚えている。
あと、ヨーロッパで1億人を超えている国っていうのは少ないというのも記憶がある。
ドイツも同様に1億人満たないはず。 それを考えると日本は人国が多い。
(関西在住の俺からすると今の人口の半分ぐらいでもいい感覚。6000万~7000万人くらいかな。
全くの感覚です。頭がいい方、適正人口があれば教えてください。)
「お前何言ってんの?」みたいになって勢いで書いてしまったのですが....
ここまで書いて、やっと理解した。
保育園にお子さんを入園させられず、日本のGDPが下がったことについて怒りをぶつけていたに違いない。