はてなキーワード: 健康とは
人間は役割を与えられたいものなのかも.というか自分のことを明示的に求めてくれる人が1人でもいれば,それは救いになる.
私は理解ある彼氏に救われた話を全部バカにしていた.ケッそんなぽっと出の彼氏の出現だけで救われる人はいいですね,それだけで救われるなんてそんな大したことなかったんじゃない?と意地悪なことも思っていた.
私は,頭は悪すぎず,それなりの学歴があり,両親も健在でそれなりの収入があり,お金をかけて育てられ,それなりの能力があり,世間からすればきっと恵まれている方だ.それにも関わらず,ずっと満たされなかった.17歳から慢性的に病み続けた.椎名林檎の曲が心の慰めで,精神科で椎名林檎のCDを配布するべき!と主張していた.絶対行ったほうがいいことは自覚していたが,世間体というか,自分を"精神科に通う人"と認めるのは大きなハードルだったため,結局精神科に初めて行ったのは21歳の時だった.どんなに色々なことを始めても,自分の思うまま活動しても,海外に行っても完全には満たされなかった.自分は丘サーファーなんじゃないか.それどころか,とりかえしがつかないくらい生活で実害がでたためでとうとう精神科に行った.
今までの話をしたら双極性障害と診断された.一年以上服薬したが,全く効果を感じなかった.いや,そもそも精神科医を信じていなかったのかもしれない.「つらくなったらすぐきてください」と日頃口をすっぱくして言われていたので,いざ死にそうになったときいったら,休診日だった.絶望した.またその次の日いって受診したら,ただ薬の量を2倍に増やされただけだった.絶望した.すぐきてくださいと言うくせに何もできないじゃん.そうやって世の中回ってるんだ.精神科ってどうせ,患者側が言うことコントロールすればどうとでも薬も病名も調節できちゃうじゃん.お薬サーバーじゃん.
そもそも自分に躁なんてなかった.ただ定期的にうつ状態になること,あと金遣い荒い時とアイデアが出まくる時がある,ということをもって双極性障害とつけられた.ただこの躁要素みたいな部分は,ただの個人的な気質であり,躁じゃない.わたしは破産するほどお金を使わないし,周りの人の声が入らなくなることもないし破滅的行動もとらない.
一番嫌われる自己診断(笑)によって名前をつけるならば,恐らく発達障害とその二次障害としての鬱だと思うが,今更躁鬱じゃなくてこれなんです!と主張するのも憚られたし,その病院では発達障害を扱っていなかったし,自分は薬の効果よりも副作用に意識がいってしまい,もうこれ以上薬を飲みたくなかった.結果的に自己判断で通院をやめ断薬して一年弱たった(一般的には明らかにこれはしない方がいいだろう).どうせ状態が変わらないなら,通わない方が,自分の力で生きている感じがして満足できた.しかしもちろん気分が落ちない訳もなく,元々自分を追い詰めやすい生き方もあり,苦しみは続いた.今だって続いている.ずっと精神的に健康な人はピンとこないかもしれないが,一度落ちた人間は,落ちるという選択肢が常につきまとう.それを選ばない,そちらに行かないというコストを常に払い続ける必要がある.(精神科を批判してしまったが,多くの人にとって精神科は効果があるだろうし,長く精神的不調が続いたら,どちらにせよ一度精神科に行くことは,生活を変えるきっかけになるので行くことを推奨する)
ずっと救われたいと思っていた.救われたいという感覚は現実逃避と精神の拠り所を求める気持ちの現れかもしれない.カウンセリングとかは別として,他人に自ら助けは求めないし,求められてもどうしようもないと思うから求める気もない.そもそも他人によって自分が本質的に救済されるってあり得ないと思っていた.確かに人が話を聞いてくれれば,一時的に楽にはなるけど,結局自分で問題を解決しなければいつまでも事態は好転しない.
助けてくれるなら神でもいいと思い,信仰という形で精神の安寧を得られる人を羨ましくも思ったが,自分は神からの救済を信じることはできなかった.
そんな中彼氏に出会った.5年ぶりに会った知り合いだった.別に,彼氏ができても,うつ状態になることはあるし,1人でずっと泣いてる時もある.寛解した,とまでは思わない.自分の精神に気を遣って生きてるから動けないってほどにはならないけど.ただ,ある時,私がいれば幸せと言われて,雷に打たれたような衝撃をうけた.わたしはずっと肯定されたかったのかも.自分をこの世に繋ぎ止めてくれる人が欲しかったのかも.いつも弱い弱いと思って辛くなって,勝手に孤独を感じて,助けを求めるのも苦手で,でもずっと認められたかった.自分が認めている人に.理解ある彼氏によって全てが解決される訳ではないけれど,私のなんとなく感じていた「救われたい意識」が成仏した気がした.
https://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2001/00082/contents/00003.htm
ハリウッド映画のキャラクター、ハリウッド映画に出てくるいろいろな造形を、どれだけ日本のマンガから取っているか。いっぱいあります。その都度、泣き寝入りだったのです。逆に言えば、日本には、魅力的なキャラクター(素材)が文化財産としてたくさんあるということです。真似されて、「ああ、日本は真似されるようになったのだ」と思う一方で、真似を指摘しなければ、それを許したことになります。日本人はまだまだ、著作権という面に関しては、シビアではないと思います。これからは、もう少ししっかりしてもいいのではないかと思います。今回の「ふしぎの海のナディア」も何らかの形で、誰かが指摘してくれないかと、勝手に思っています。
里中 「ライオンキング」のとき聞いたのですが、ディズニーは「こう指摘されたら、こう反論する」と、シミュレーションしているそうです。そのうえで、勝てると判断すると、制作に入るわけです。
鷺巣 手塚治虫を尊敬するあまり、里中先生はそういう行動をとったと思います。手塚治虫がディズニーを尊敬していて、「ファンタジア」を8回も見た。手塚治虫は亡くなりましたが、手塚プロの松谷社長は、手塚治虫がディズニーを大変、尊敬しているのだから、真似されても本望ではないかみたいなことを言っている。里中先生が、あれだけ頑張ったのに、拍子抜けするのではないか、と思いました
我が国が生んだキャラクター、我が国が生み出した作品で、日本人はもっと胸を張って誇りに思っていい作品が山ほどあるのです。「これは何だ!」というような、そっくりな造形が、ハリウッド映画にたくさん見られる。ハリウッドの関係者が、「危ないかな?」と思っても、日本人は結局、何も文句を言ってこないだろうとたかをくくって使う。どうもなめられているなと、みんなで思ったことがあります、現在、健康でぴんぴんしている、ある作者の描いた造形にそっくりなものが画面に出てきて、ハリウッドの映画会社に抗議しても、逆に、こちらがこてんぱんにやられる。とても太刀打ちできない。あちらに勝てるほどの弁護士は、いくらお金を出しても、日本にはいないだろうと、みんなあきらめてしまうのです。
里中 協会の役員は漫画家です。表現の自由はマンガだけの問題ではなくて、ほかの分野全般にわたっているようです。日本の戦時下とまでは言いませんが、検閲のような感じです。
ただ、検閲のようなものがあると、それに抵抗しようというエネルギーが湧くものですから、かえってよい作品が生まれることもあるのです。
でも、活動にお金をいただくと、いただいて当たり前というか、生活の安定が後ろにあると、やはりよくないと思います。どこかで、怠け心が出てしまうと思います。そうなると、旧態依然の表現で終わってしまうのです。
浜野 「ライオンキング」がまかり通ったから、今回、「ふしぎの海のナディア」もあった。「バグズライフ」のストーリーは、黒澤さんの「七人の侍」そっくりです。だから、黒澤久雄さんが少し「似てる」と言ったとたん、本社の副社長が資料を持ってとんで来たということです。あのときに強く押さなかったから、露骨に「バグズライフ」や「アトランティス」を作ったと思います。
日本の漫画やアニメは世界一優れているのでガイジンたちにあの手この手で狙われているという弥助騒動にも繋がる被害妄想を拗らせ、アイデアに著作権は無いという著作権法の根本を知らないまま暴れまわったことが今起こっている反ポリコレ言説に影響を与えていることは間違いない。
しかし里中満智子に対して責任問題を問う声は一切聞かれない。これは彼女が日本漫画協会の理事長であると同時に、“女性”であるが故にリベラル側からスルーされていることも大きい。しかし今の反ポリコレ言説を止める為には絶対に避けて通れない道だ。本丸を攻めずにネット上での下らない小競り合いがダラダラ続く現状はいつまで続くのであろうか。
いや、待って、まず何が言いたいの?
スキンケアと化粧品が同じものだなんて、そんな話は一言もしてないよな?
ていうか、スキンケアって言葉自体が曖昧すぎるし、人によって解釈違うだろ?
全部ひとくくりにして話すのがそもそも無理があるんじゃないの?
あと、食事や生活習慣が関係するってのは、それもう健康全般の話だろ?
それをスキンケアの話に持ち出すのは、ちょっと論点ずらしすぎ。
だとしたら、もう何でもかんでもスキンケアになるわけで、結局定義が曖昧なままだろ。
スキンケアとは、肌を健康で美しく保つためのケアのことを指し、化粧品を使ったお手入れもその一部です。
スキンケアには、クレンジング、洗顔、化粧水、保湿クリーム、日焼け止めなどの使用が含まれます。
安楽死を拡大して、任意の日を個人できめて使えるようにならないだろうか。(病気とかの要件無しで)
下記のようなことがメリットがはず
個人として
・日が決まっているので丁度資金を使い切れる
・日付を早めに設定すれば健康なうちに資金を使えるので生きている間のQoLが上がる(fireに近いことを享受できる)
・長生きのリスクを担保するための過剰な備えが不要になることによる資金の有効活用が可能になる(保険であったり、資産運用の取り崩しペースであったり)
社会として
・生活保護に頼りたくないが、リスク取ってチャレンジしたいという人のセーフティネットになり得る
・過剰な延命医療がかなり減る
いざその日が近くなって嫌なら伸ばせばいいという緩めの運用であれば個人にとってはデメリットはあまりないと思うのだけどいかがだろうか
社会的デメリットは当然あるが個人の権利を妨げるのは違うのではと思っている。
もし既にこういう制度になっている国があったら教えて下さい
分かったこと
お菓子はほぼ全部太る
あと揚げ物と中華もだいたい食えない
食えない(のに美味いことを知っている)ものが世の中に存在しているとストレスがすごい
なんでこの世にお菓子ってこんなにいっぱいあるの?
なんで社会は人間を不健康にするものをこんなにたくさん開発しているのか
一方でダイエット食品もたくさん開発している
太るものをいっぱい作って、やせるためのものをいっぱい作っている
そんなもん作るな!美味すぎるのに身体に悪すぎる
してくれ
むかしから歯だけは健康で虫歯も何もなくノートラブルだったんだけど、最近奥歯の一部がちょっと欠けて、硬いものを噛む時だけそこが痛いので治療したい。
だけど最後に歯医者に行ったのは十代の頃で、あまり記憶がない。数十年前だ。
たしかその時は、今日は何をやる、次は何をやる、何がどうなれば終了、といったプロセスを何も知らされないまま「では来週また来てください」というのが何度も続いたので、最終的に予約をブッチして行かなくなった気がする。永遠に通わされる気がしたから。
今回はそういうことはないようにしたい。
スパッと患部を治してもらって、ありがとうございましたと後腐れなく通院を終わらせたい。
どうすればいいの?
大学4年で単位取りきって就活も終わってるため、3月末までの超長期休暇が確定したんだけどおすすめのやることを教えてくれ
今考えてるのは国内旅行×3と海外旅行×2、田舎の祖母の家へ2週間滞在、気になる本を片っ端から読む、趣味に没頭する、何かしらの資格や勉強をする、健康関連のメンテナンスをする、などを考えてるけど時間があるからこそ出来るおすすめのやることがもっと知りたい。バイトは4月になったら否が応でも働くのに今労働する意味が見い出せないので必要最低限のみの予定。(新卒として必要な経費は自分で賄える位の貯金があり、本当に必要なものはある程度親も助けてくれる予定)
また人事にやるべきことを聞いても、残りの期間を楽しんでくださいに加えてもし触ったことなければOfficeに慣れとくと良いとの返事で入社までに必要な資格とかも特にない。入社後に必須で取らされる資格があるそうなので先取りでそれを学ぶのもありかなとは思ってる。ちなみに首都圏住みで内定を貰ってるのは営業職、実家を出るかは検討中。
私は2年前まで渋谷ベンチャー企業でゴリゴリ働き、12時出社3時退勤、土日も稼働、コンビニ飯生活を続けていたらあれよあれよと鬱になり遺書を書いて自◯スポットをロケハンするくらいには追い込まれてしまったので、退職して実家に戻らせてもらった。
母とはそれなりに仲は良い方なのかもしれない。
けど実はめちゃくちゃ苦手な人物でもある。
面倒見は良いのだけど、基本的に人の話が聞けない。傾聴能力が0に等しい。
例
母「今日雨だったから自転車じゃなくてバスで買い物行ったら、ポイントカード忘れちゃってさ」
ってくらいには会話ができない。
子供の頃からずっとそうで、母は会話ができない人として認定しまっている。なので母に何かを相談したことがほぼない。確定事項を報告するのみ。
それに加えて全ての言動が否定的で、同意をしてもらったことが基本的にない。
なので結構線を引いて接していたところはある。
1年ほぼニートをして、鬱もだいぶマシになり、母との暮らしは精神的に良いものとは言い難い部分が結構あったので離れて暮らすことを決意。
今はひょんなことから私は北陸に引越し、友達も増えて仕事も楽しくて鬱の薬を絶ってもう9ヶ月になる。順調にきていると思う。
最近はちょこちょこ母が北陸に遊びにくるようになり、昨日と今日は一緒に過ごしてきた。
昨日は母と珍しく2人で飲みに行き、ひょんなことから父の話になった。
父は平成最後の夏にガンで亡くなっており、54歳でこの世を去った。闘病生活を支えるのはとても大変だった。正直時間も体力もお金も4年くらい削られ続けたと思う。
父のことは嫌いじゃなかったけど、父のこともまた苦手だった。
怒ると怒鳴るし殴られるので、子供の頃は父が怒らないように気をつけながら生活をしていた。
幸い私は末っ子なので兄と姉が怒られるタイミングを学び、極力地雷を踏まない瞬時に空気を読むスキルを身につけた。
優しかった時もあった。子供の頃車で遠出した帰りに寝てしまった私を寝室まで運んでくれたのが嬉しくてわざと寝たフリをしていたこともあった。
まあ、基本的に家にいなかったから思い出はあんまりないのだけど。
とにかく怖くて強くて敵わない存在だった父が、最後の方はカリカリに痩せこけて弱々しい存在になってしまったことが結構ショックだった感情はいまだに鮮明に思い出す。
会話ができない母、怒ると暴力的になる父の2人が円満な家庭を築けるハズもなく両親はめちゃくちゃ不仲だった。
お互いの悪口を聞かされて育ったのであった。
と、いう感じの両親だったのだけど昨日母から新事実を聞かされる
母「私実は2人堕ろしてるんだよね」
えええ??
聞くところによると
兄
堕ろした
堕ろした
姉
私
まじかよ…
父は全然避妊してくれず、堕ろさざるを得ない経済状況だったらしく、姉の時も平然と「堕ろさないの?」と聞いてくるような人だったらしい
もうその頃から夫婦仲は基本的に終わってたらしく、私が成人したあたりで母は離婚しようしていたらしい
そんな時に父のステージ4のガンが見つかって、介護生活が始まったのだとか。
父が亡くなりそうな時期に、勘当していた兄に連絡をした。
(兄は親戚中に借金を作りまくり、誰が何を言っても改善の余地はなく、もうどうしようもないやつだったので勘当していた)
これから心を入れ替えて力を合わせて頑張ろう!という話をしていたのだけど、まさかのその直後に窃盗で捕まり執行猶予になっている。クズです。
しかも父の死後借金400万が残っているということが発覚した。生命保険もガン保険も入っていなかった。
なんとか相続放棄できたけど、一家の危機ではあった。母は専業主婦→パートの暮らしだからいまだに経済の自立ができてない状態で娘からの仕送りが必要ではある。送れる金額は少額だけど。
なんでこんな感じなんだろうな…
多くは望まないけど、もう少し普通の家庭に生まれたかったと思う。むしろなんなら生まれてきたくはなかった。この世に。めんどくさい、色々
人生は楽しくはあるけど、根本的に生きることに積極的ではない。
デスノートが手元にあったら即自分の名前を書くし、進撃の巨人ではジークの思想にひどく共感してしまう。
まあ何が言いたかったかというと、愛のない家庭で避妊しなかっただけで産まれちゃった存在なんだな、私はこの世に。
ということが分かった。
あと、母の苦労も分かった。それは性格歪むよね。
家族の中で唯一姉はまともで、優しくイイ奴。ほんとになんでこんな環境で優しく真面目に育ったんだ…。
人をなかなか信用できない人間に育った私も、姉だけはこの世で唯一全力で信頼できる。
そんな姉が最近妊活を頑張り、無事妊娠。望まれた子供だ。母体健康でいてくれることを願う。
まとまりない長い文章だけど、読んでくれてありがとうございました、、!匿名のインターネットって本当にありがたい。ほんのちょっと、ちょっとだけスッキリしたかもしれない。
咀嚼にまだ一ヶ月はかかりそうだ。
おわり!
の続き。
無事に上の子が小学校に入学して2学期も始まったのでのろけの続き。結果として今のところ小1の壁はなんとかなったと思う!!!
夫がGW明けまで当たり前のように毎日小学校まで付き添って一緒に行ってくれて、こどもからもう1人で行ける大丈夫、って言ってくれるようになってくれたのがめちゃくちゃ助かった。あと小学校側も普通の公立だけど保護者への連絡とか凄く密にしてくれるし担任の先生も学校全体としても当たり(?)だったのが大きいと思う。この辺りは土地柄とかあるからなんとも言えないけども。
子どももすぐに学童に馴染んでくれて夏休み中も毎日弁当は大変だったけど一回も行くの嫌といわずに楽しく過ごしてくれたので助かった。このあたりも個人差めちゃくちゃあるところだろうなと思う。
夫は4月から無事に昇進して忙しくもなったけど相変わらず良い意味での空気の読まなさを発揮してて、育休も後に続く後輩が出てきたり看護休暇を男性社員がとるのも普通になってきたらしい。全然絡んだことない別部署の人からこの会社で男性で育休とる人がいるなんて思いませんでした!俺も取ります!って感謝されたって笑ってたw
私の仕事も元々融通効かせやすい職場ではあるけど最近後輩(男)のところに子どもが産まれて、育休とる代わりに毎日2時間早く帰ってて、寝不足でヤバイっす、とか愚痴ってるのでいろんな意味で当たり前が変わってきたんだなぁって実感する。
子育ては忙しいし大変だけど夫と2人で週末に子どもたちが寝てからわざわざTSUTAYAで借りてきた旧作の映画のDVD見ながら高級スーパーで買ってきたちょっといい生ハムとワイン飲んだりするのが楽しかったりする。あとたまにチェーン居酒屋で5時から空いてるところに子どもたちも一緒に行って子どもは唐揚げとかポテトフライ食べて満足して、大人もビール飲めて、19時からキッズルーム併設のカラオケで1時間歌って帰るっていう大学生みたいなことしてみたり。旅行も行きやすくなってきたし大人も子どもも一緒に楽しめる場所が増えてきた感じある。地元の広報紙に乗ってる地元の博物館のワークショップとかちょっとしたイベントにわざわざ行ってみるのも楽しい。
たまに夫は独身の学生時代の友達の家に集まってゲームばっかりやって過ごしてたりもするし、私もたまに学生時代の友達と遊びに行ったり飲みに行ったりしてて、そういう日はお互い子どもよろしく!っていうんだけどワンオペで子ども見るのも楽になってきた。
私と夫はとにかく話すのが好きなのでその日あったことか不満とかすぐに言うしネットで見つけた面白かった記事とかすぐ共有するし頑張ったと思うことは私えらくない!?凄くない!?って主張するし相手が頑張ってたらえらい!ありがとう!って褒めあうのがいいのかもしれない。
もちろんこれからも大変なことがたくさん待ってると思うし、お互いアラフォーになって今度は健康のことだったり互いの両親のことだったりいろんな要素があると思うけど、やっぱり2人で得意分野生かして頑張っていこうな!って思う。
「怒りを遅くする者は勇気ある者に勝る、そして、自分の霊を治める者は町を攻め取る者に勝る」(箴言 16:32)。
シロクマ氏の記事が描く「低感情社会」は、怒りや感情の表現を制御しようとする傾向にありますが、それが必ずしも悪いわけではありません。確かに、すべてをニコニコで統一することが妥当かどうかは議論の余地があります。しかし、制約され過ぎた感情表現が健康な人間関係を妨げる可能性も含め、慎重に考えていく必要があります。アーメン。
砂糖の摂取にも何らかの規制を設けようってなってる健康志向の昨今、過食嘔吐中毒がいるならバイキング・ビュッフェのようないわゆる食べ砲台の類に対しなんらかの規制を検討した方がいいんじゃねーかな
牛角の件で男性差別が注目されてるけど、年金周りの話で男女の寿命差に言及する人もちらほら見るようになった。
ようやく女性が男性から何を搾取しているのかの本丸に近づいてると思う。
平均寿命差とか健康寿命とか自殺率とかデータを見るとわかるけど、結局女性は男性の"命"を搾取してるんだよね。
より具体的に言うと健康とか。
根本的に男性の命を吸い取って女性は生きてるんだけど、ここに気づいてもその差分があまりにも大きすぎて見逃してしまうんだと思う。
男女が平等にならないのであれば年金を女性に多く払ってもらったりする必要があるんだけど、なかなか気づきづらいよね。