はてなキーワード: リスペクトとは
>ただ、アリア・エンターテインメントについては大手音楽プロダクションとの取引があるなか、突然の休業宣言、ストックがある等裏事情を公にするなど、
作品内容に関わるコンプライアンスについて重大案件ではないかと思うので
他のゲームやアニメならまあ重大なコンプライアンス違反かもしれないけど
うたプリに関しては上松さん本人が原作者で、ブロッコリーなんか所詮は上松の下請けみたいなもん
原作者が続きを書こうが書くまいが自由だし、曲作るの止めたって自由だし、勝手にスピンオフ作るのも自由だろ。
お前もしかして上松さんをブロッコリーに雇われてる単なる作曲スタッフだと思ってる?
だとしたら認識を改めるべき。上松さんはうたプリの「原作者」なんだよ。
なんで秀家がそんなに気に入られたのかはわかってないの?
豪姫の婿になったから気に入られたのか、気に入られていたからこそ豪姫との婚姻を認められたのか。
ここ数か月のAIイラスト・ツールに対しての非難はもちろん含めても、イラスト界隈ってそれ以前からトレパク検証がどーだのこーだ的な騒ぎがTLなりトレンドなり流れてきていた印象がある。
トレスだけじゃなくて、「色をスポイトしてる!(から問題だ)」みたいな主張もわりと一般的らしくてなんでこんなに厳しいんだよって疑問に思った。
自分はYoutubeに二次創作系の動画を投稿しているんだけど、サムネの作風や動画の中身、タイトルの形式から概要欄の書き方まで明らかに自分の動画からコピペしてるチャンネルがいくつもあって、
中には著作元の利用規約に抵触するような内容のものもあったから「誤解を招くので辞めてほしい」ってYoutubeコミュニティでお気持ち表明したら賛否両論でコミュニティが荒れてしまった。
否定的なコメントの内容としては「二次創作の癖に権利主張するな」「晒しで後進潰し」「お気持ちするような人で幻滅した」など。
まあ無断転載動画であっても注意のコメントより普通に感想書き込むような人の方が圧倒的に多い土壌で「真似されて困るな~」なんてお気持ちしてしまった自分のミスではあるんだけど、ともかく動画界隈はそのくらい模倣・パクリに寛容といえる。
では他の創作界隈はどうなんだろう
作曲…そもそもサンプリングって技法があるくらいだしそこまで厳しくなさそう。メダロット(or小沢健二)とマリーゴールドとかかなり知られてるけど特に問題になってないし。
小説…追放物とか悪役令嬢みたいに人気の設定はみんなで共有してる。キャラの設定だってもう飽和してると思う。
3DCG、モーショングラフィック…よく知らないけど、この表現技法はパクリ!って主張はみたことがない。
プログラミング…コードにももちろん著作権はあるけど、オープンソースも多いし盗作に厳しい印象はない。
ちなみに上に挙げた創作はAIが進出しつつある業界だけど、AIイラストほど忌避の雰囲気は感じられない。
商業の世界の話なら厳しいのもまだわかるが、趣味の世界でトレスだスポイトだと騒ぐのは他界隈から見ると異様に見える。
〇〇さんリスペクトです!って言ったら許されたりしないの?
https://twitter.com/You3_JP/status/1642521380016238592
言いたいことは分かるけど、こりゃどうなんだろうね……。
長時間のマスクは、二酸化炭素を再吸引しまくり。癌患者の体にはけして良くないのは当たり前の話。
ワクチンも同じ。
確かに癌患者がmRNAワクチン打ってりゃ癌の増殖や再発はしますよ。
mRNAワクチンは、免疫を抑制しなければ安全に抗体誘導できない。そのための1メチルシュードウリジン。
mRNAワクチンと癌の関係について、今では多くのデータがある。
3回目の接種あたりかな?癌患者に対してmRNAワクチンの機序をしっかり説明して、ワクチン接種を考え直すように促す医者が増えてきたのは。
あらゆる医学的エビデンスから、ツイート主の言ってる事は本当に正論だと思う。
だけど、人の死に対してこうゆうことを言うのは、どうなのかね。
私が坂本龍一さんの作品をリスペクトしてるから、そう思うだけなのか?
「倫理的にどうなのか?」考えさせられるな。
男女キャラ混合のソシャゲで、元々あまり出番のなかった二人の男女がいた。特に設定上関係がある訳ではなかったが、パーティを組むとそこそこシナジーのある組み合わせだったため、お互いの出番の無さも相まってコンビ的な二次創作をちらちら見る二人だった。
ゲーム制作側がそういった動きを察知したのかは定かではないが、ある日その男女の組み合わせがメインとなるショートストーリーが配信された。本当にささやかなサイドストーリーで、もちろん恋愛的な兆候も一切ない、所謂お互いがお互いの足りない部分を補い合い長所をリスペクトし合うだけの「良い話」でしかなかったのだが、そのささやかさが逆に自分の理想としている関係性にぴったりはまってしまい、これまで以上にその二人の関係性に期待を寄せるようになった(元々その二人で二次創作をしていた界隈は勿論、ゲーム自体のファンコミュニティからも割合評判の良いストーリーだったこともあって期待感は高かった)。所謂推しカプみたいなやつだったのだが、その後二人の関係が進展することはなかった。男側が突然メインストーリーの中心に抜擢され、以降はそちらで彼の人間関係が展開されるようになったからだ。女側も男側ではないが新しい人間関係が作られるようになり、結局二人の道は分かたれてそのままである。
人間関係が勝手に生えたり消えたりするのはソシャゲあるあるなのは理解しているものの、少し寂しくなってしまったのは、男の人間関係は主に男相手、女の人間関係も主に女相手と、基本的に同性関係でのみ固まるようになってしまったことだ。元々カップル(や相棒)設定がない男女がゲーム中に関係を進展させてゴールインしてしまうというのは、キャラをプレイヤーが集めているソシャゲのシステム上非常にリスクがあるのも承知の上だが、元々この二人の性別が異性同士でなければ、あのサイドストーリーから人間関係が進展し、関係の深まった二人を見ることが出来ていたのかもしれないとか、そんなことをふと考えてしまったりもする。
追記を書いた後も、たくさんブコメもらってて、気づいたらTwitterでもけっこう言及してくれてる人がたくさんいて。
この記事をたくさんの人に見てもらったこと自体で、また更になんか意識が変わったところもあり、全てに返信したいけどできないもどかしさもあり。
もう少しだけ書き加えたいことがあったのでまたやってきてしまった。しつこいかもしれないけど興味がある人だけ読んでくれれば。
あまりに生活が変わりすぎて自分自身が戸惑っていたようなところがあるのだけど、好きなものを好きと胸を張っていていいんだと背中を押してもらった感じがしている。
これは本当に有難かった。田舎でひとり推し活(という言葉を使うのもまだ気恥ずかしい)していたら、どこかこれでいいのかという不安がずっとついて回ったと思う。
不安を吐き出すような投稿だったけど、書いてよかった。コメントくれた人、ありがとう。
声や表現力に惹かれたのは間違いないのだけど、YouTubeを何回も見ているし、人柄も含めとても美しく可愛らしい女性だと思ったのもまた確かなのでビジュアルを観ていないわけではない。
ちょっと自分語りすると、過去に少し舞台や音楽に関わる活動をしていたことがある。自分自身はクリエイティブなことは全くできないのだけど、だからこそコンテンツを生み出す、表現するということ自体にけっこうリスペクトを持っているところがある。
アニメを見ているときは、その作品を作り上げたチーム全体に対してリスペクトしているし、そのチームの最前線で表現をしている声に、YouTubeなどで見ている天さんの姿がちらついて、彼女がこの作品に命を吹き込んでくれているんだ、という感動とともに見ている感じ。
それは音楽も同じかな。自分自身が音楽好きなこともあって、歌の表現力のみならず自身で作詞作曲までやってるという時点でもう完全に眩しいリスペクト対象になってしまっている。
自分など比べるにもおこがましいけど、少しでもその光を浴びて前向きに居たい、という気持ちが強い。
意外と賛否両論なのを知らなかった。たぶん、アニメの絶対的な摂取量が足りないのもあるんだろうけど、個人的にはどんな作品も割と楽しめてしまう。
上で書いたような感情で観ているので、あれだけの登場人物の描き分けとか、独特な世界設定とか、すごいなあ、と思った。
(ものすごく贔屓目が入っているだろうけど)特徴的な女性キャラが多い中でも埋もれない、リーダー役のリリィにふさわしくとてもキラキラしたキャラクター表現が天さんらしくていいなあと思っている。
あ、あと3話だったかな、リリィのセリフで「大罪も七つ」というところがあったはず。まだ全然追いつかずに観られていないのだけど、「七つの大罪」が天さんの代表作のひとつということは知ってる。
これは七人の少女たち(八人だったけど)にひっかけた、脚本の遊び心じゃないのかな。こういうのが見えると、うれしくなってしまう。作品を楽しめる閾値が低いのは得な性格をしているのかもしれない。
リサイタルへぜひ、良い席だといいね、40代なら歌謡曲が刺さるのでは的なコメントについて。
ファンクラブとかないのかな、と思っていたらTrysailとして会員制度があったんだ。気づいていなかったけど教えてもらって登録しました。
だけど、今回のはちょっと仕事的にスケジュールが合わなそう。せっかく生活を好転させてもらったので、仕事や私生活をきちんと守れる範囲で、いつか体制を整えて臨みたいと思います。
歌謡曲についてはもうほんとその通り。世代的にど真ん中じゃないけど、歌謡曲はもともと大好きだった。Flyday Chinatownのカバーは本当に本当に良いです。いつか生で聞けたら泣いてしまうかもしれない。
そんなチャンスが来るように頑張りたい。
そのほか、コメントでオススメしてもらった作品はすべてメモにまとめた。
順番に楽しんでいこうと思います。こんな世界を見せてくれた天さんと、こんなおっさんの駄文を読んでくれた多くの人のおかげで楽しいです。ありがとう。
調理師増田、パン職人増田、飲食店店長(かマネージャー)兼コックの増田、
ホールスタッフ増田、コンビニバイト増田、接客業(業種不明)増田、ちょいちょい、見るが?
調理師増田、パン職人増田、飲食店店長(かマネージャー)兼コックの増田、コンビニバイト増田、接客業(業種不明)増田
これらはとても真面目そうな印象受けた
つか、コンビニバイト増田、接客業(業種不明)増田が、やたら真面目そうで辛い
プライドを持って職務を真っ当している事はリスペクトに値するが、自分の人生も大事にしてほしい
増田らの真摯な仕事の取り組み方を適切に評価してくれる職場で働いてほしい
あと、この増田ら下記の子と被るんだ。うまいこと要領よくご安全にやってほしい
コンビニバイトの穴を埋めるコンビニオーナーみたいな土色の顔して突発休・遅刻を埋めてた管理者の男の子めちゃくちゃ可哀想だった
キミ騙されるよ(会社に都合よく使われているだけ)って何度も言おうと思ったが、
上司が1%でも上に引き上げてくれる可能性があり、本人が納得しているなら、外野がどうこう言うことじゃないので見守った
プロジェクトマネージャーとは言っても、実際やっているのはコンビニのバイトの穴埋めみたいなもんだったが、
AIが出てこようが出てこなかろうが表現の自由には何の影響もない。
「AIに絵柄をパクられたから絵を投稿する気がなくなっちゃったんですぅ」「AIに仕事取られて絵が金にならなくなったんですぅ」なんていうのは絵師側の都合であってAI絵師が絵師の表現の検閲をして作品を世に出すことを妨害したわけでも何でもない。
だから表現の自由戦士としては絵師さんには素直にこう言うよ「自分の信じる絵を表現しなさい。私たちはそれを応援しますよ」と。それはそれとしてAI絵師にも「自分が信じる絵を表現しなさい。私たちはそれを応援しますよ」と言う。
そしてAI絵師に法的には問題がない状態で「そんな絵を表現するな!」という、人間には「それは違うよ!(碇シンジ)」と伝えざるを得ない。だって表現の自由ってそういうもんだからさ。
なんで表現の自由戦士は表現者をリスペクトしてるんじゃないのか!?なんて思いこんでるのかわからん。
個々人で表現者をリスペクトしてる奴もいるだろうが、表現の自由戦士としてはそこは本論じゃない。
対AIに挑むのに握るべきなのは表現の自由棒じゃなくて著作権法の解釈棒だろ。
見当違いな方向を向いて喧嘩しようとするな。
シン・仮面ライダー面白かったんで、感想や解説を色々と読みながら余韻にふけってる最中
そこでちょくちょく見かけるようになったのが「普通の人はわからない」「一般人にはついていけない」というもの
「俺は面白いと思ったんだけどね、これは一般受けはしないよね~」
「俺はわかったけど、話が飛び飛びで知らない人はちんぷんかんぷん」
いやいや、そういう映画じゃね?
オタクの代表みたいな庵野秀明が「みんな(オタク仲間)が好きそうなやつ」を映画にした
シンゴジラからそこは変わってないんだけど、シンゴジラが売れたせいで周りが勘違いしてる状態
半分はシンウルトラマンで気づいたらしいからシン仮面ライダーはそこまで勘違いされていないと思うんだけど
これはオタクが作ったオタク映画なんだから映画好きって人に「シン仮面ライダー見た?」なんて聞いても「いや、ああいうのはちょっと」ってグリッドマンユニバースやプリンセスプリンシパルの話を振ったのと同じような反応されるし、職場や学校で「週末シン仮面ライダー見てきたんですよ」なんて突然話始めたら「週末プリキュアショー見てきたんですよ」ってくらいヤバい
シン仮面ライダーは特撮オタクがオタクコミュニティの中で盛り上がる映画であるという事は理解しよう
だから
長澤まさみの出オチ感凄いし最後は画面に映さずエロボイス出して終わりかよw
ラスボス戦が派手なアクションではなく、敵の弾切れを狙って泥仕合に持ち込むというのが、圧倒的な戦力差を前にした攻殻機動隊GISのラストの戦車戦にも通じるところがあって、ともすれば押井守へのリスペクトも感じられる
等々をオタクの中だけでワイワイやってりゃ良いんだ
これでスッキリした
投稿初日に聴いてそう思った。本家にリスペクトのある歌ってみたは嫌いではないし、好きな歌い手やVの歌ってみたは好き好んで聴く。しかし、インタビュアーの淡々とした声と、匿名Mの「人間じゃないので。」「16才です、永遠に。」「まあ全部、言わされてるんですけど。」という掛け合いで紡がれるメロディーが素敵だと思うと同時に、この曲は匿名M以外が絶対に歌ってはいけない曲だと思った。
ある歌い手が、匿名Mの歌ってみたを投稿していることを、Twitterのリツイートで知った。ああまた歌い手が何も考えずに歌っているのか、と思ったが、それをリツイートしていたのは、ある歌い手が招いた、あるインタビュアーだった。
その歌い手の概要欄には、「歌わされてるやつの曲を歌わせていただくから、歌詞は改変したくない」というようなことが書かれていた。そこまで考えられているなら、なぜ曲の趣旨を無視して“歌ってみた”を投稿できるのか、が理解できなかった。匿名Mの投稿から1ヶ月経ってからの投稿。その辺の当日や翌日にそのままの歌詞だったり歌詞を改変したりして投稿していた歌い手と何が違う?
そして、その招かれたインタビュアーのことは、Twitterをフォローし、記事や日記を読み、書籍を買うくらいには、その人の考えや言葉が好きだった。そのインタビュアーはアイドルゲームのオタクでその“解釈”を大切にする人で、その人の言葉が好きだった。
ジャンルは違っても何かのオタクであって、その解釈が美しくて素敵な人が匿名Mの歌ってみたに協力したこと、が、つらい。匿名Mを匿名M以外が歌ってはいけないことなんて、一回でも曲を聴けば理解できる簡単なことではないか、と思うのだが。最近初音ミクに歌を歌わせてくれないけれど、曲がりなきにも“ボカロP”である同僚の参加した“初音ミク”の作品に、そういう世界観をぶち壊すような乗り方をしたことが、何かのオタクとして、つらい。ひとまず、そのインタビュアーのフォローは外したままだ。
ただのオタクひとりがこんなことを言っても仕方がないし、ピノキオピーが歌ってみたを許可していることはわかっている。その歌い手のオタクも、そのインタビュアーのオタクも喜んでいることはわかっているのだけれど、気持ちの整理がつかずに書いてしまった。匿名Mは、匿名Mのための、ピノキオピーの曲だ。そのインタビュアーたちの曲じゃない。歌い手のための曲でもない。個人の感想です。
愛されなくても君がいる
匿名M
GPT4:
確かに、女性は生物学的に弱者の立場にあることが多く、そのために様々な被害に遭いやすい状況に置かれています。しかし、加害性という概念は、男性だけでなく女性にも存在します。加害性とは、他者に対して損害や苦痛を与える行為や態度を指します。
女性が加害者となる場合もあります。例えば、いじめや嫌がらせ、差別的な言動、人間関係のトラブルなど、女性が加害者となるケースは多岐に渡ります。男性に対するセクシャルハラスメントやパワハラも、女性が加害者となることがあります。
そのため、性別に関係なく、自分自身の加害性について考えることは重要です。特に、被害を受けた経験がある人ほど、他人に対して加害行為を繰り返さないように意識することが大切です。また、加害行為を行わないだけでなく、他者が加害行為を行っている場合には、適切な対応や支援を行うことも重要です。
つまり、女性が生物学的に弱者の立場にあることは事実ですが、それと加害性は別の問題として捉えるべきです。性別に関係なく、自分の行動や態度が他者にどのような影響を与えるかを意識し、相互の理解とリスペクトを大切にすることが、より良い社会を築くために必要です。
BLには男性へのリスペクトがある。男オタク向けのエロ本とは違う
ソース: https://twitter.com/HayakawaHayat/status/1586955372618690565
そういや原神の鶴観って島もアイヌ文化リスペクトの地域だったな
「こんな表記をするなんて逆に炎上を狙っているのでは?」という意見を見かけたが、それだけはないと思う。
自分は小学生の頃からからボカロが好きで、今はボカロ曲を投稿している知名度ゼロのP。本職はテレビ業界の下っ端である。題名の件について「せめて黒うさPか初音ミク表記だったら許せた」という気持ちは、めちゃくちゃわかる。でも一旦落ち着いてほしい。
最初に一番言いたいことを書くと、自分が憂いているのは、「ボカロ曲は表記がめんどくさくてオタクが煩くてすぐ炎上するからテレビで使わないほうがいい」という風潮が生まれることである。
これより下は「オタクが面倒くさいんじゃなくてテレビが表記を怠っているんだろ、いいかげんにしろ」と思っている方にわかってもらいたくて書いた文章なので、暇だったら読んで
番組で流れていたのはAdoさん歌唱のカバーで、「Adoのカバーした千本桜にのせて演奏しているよ!という意図だと思う」ということを元ツイの方がツリーで言っている。自分も同意見である。
「せめて原曲歌唱は初音ミクであることを書いてほしいが?」という気持ちは、わかる(小学生の頃の自分も同じこと言うと思う)。でも業界に入った今、テロップでは最低限の情報しか出したくないという制作側の気持ちもわかる。
「VOCALOIDへのリスペクトがないのでは?」と思う人もいるかもしれない。しかし、テレビ番組がWhiteberryの夏祭りを流すときにJITTERIN'JINNのカバーであるという注釈を出すか考えてみてほしい。例えが下手くそかもしれないけど、番組としてはその画面に最低限の情報以外を増やすことは避けたいのだ。
その気持ちも、わかる。しかしテレビというのは沢山の大人の事情が積み重なってできている。出演者さんが使いたい音源を指定したのかもしれないし、原曲は権利関係で使えなかったのかもかもしれない。もしかしたら誰が歌っている千本桜でも良くて、偶然これになったのかもしれない。どういった事情で原曲を使わなかったのかは憶測で語ることしかできない。でも、「機械音苦手な人もいるし…」とか「Adoさんのほうが有名だから…」とか思った人は、偏屈に捉えなくて大丈夫やで 制作の人たぶんそこまで考えてないよ
自分が小学生の頃よりもVOCALOIDや初音ミクは随分有名になった。自分は毎日聴いているし、今はボカコレに出す曲の進捗がヤバいのにこんな駄文を書いてる場合か?ということで頭がいっぱいだ。でも忘れてはいけないのは、初音ミクを見たことも聞いたこともない人や、なんとなく絵は見たことがあるけどどういうものかは知らない、もしくはアニメだと思っている、という人が沢山(もしかしたら初音ミクを正しく知っている人よりもずっと多く)いることだ。
この件に怒っている人がVOCALOID文化を愛していることはわかる(乗っかって燃やしたいだけの人やバズりたいだけの人も混じっているかもしれないが)。
テレビでボカロ曲が流れるというのは、今までボカロを知らなかった人に「この曲いいかもしれない、孫に知ってるか聞いてみよう」とか「こういうのがあるのか、調べてみよう」というきっかけを与えてくれるかもしれない、大きなチャンスなのだ。平日昼間の番組なら尚更だ。自分はこんなことでその機会が奪われては勿体ないと思い、これを書いた。まとまりのない文章だが、伝わってほしい層に少しでも届けば幸いである。
正直、最初にこの件を目にしたとき、ボカロ好きの自分は「えぇ…間違ってはないけど寂しいものがあるな…」と思ったし、社畜の自分は「大人の事情があるってちょっと想像すりゃわかるのに燃えるの!?幼稚かよ…」と思った。ボカロPの自分は「ちゃんと許可とって著作権料払ってるならそれでいいんじゃない?」と思う。おわり。