はてなキーワード: マクロとは
これ成立しないのわかるかな?
例えば、『覚醒剤』(購入も販売も違法)で考えたらお前みたいな脳の小さいゴミにもわかりやすいかな?
買った人間が「勝手に売ったのは売人じゃん」と言っても、これ通用しないの分かる?
「女性が性的に搾取されてる」は、生活保護の水際対策で「風俗があるでしょ」「風俗はセーフティネット」みたいな言動が実際に繰り返されている事、賃金格差やマミートラックがあるにも拘らず放置している行政の怠慢や社会への批判であって個別の取引の話ではないよね?
全く返事になってないの分かる?バカだから階層構造とかミクロとかマクロとか理解するのは無理そうかな?無能なオスには高度すぎるもんね
マリファナの害、というのは、医学的だとか法律的だとかそういう風に論じようとすると分からないんだよね。ぶっちゃけた話、社会全体のマクロな問題と考えるしか無いのよ。マリファナって、体への影響とかはそれほど大きくなくてただラリるだけの薬なんだけど、その「ただラリってる」だけの人が社会の中でどんどん増えたらどうなる?
たとえば、昔ながらの「100人の村」があったとしてさ。働く世代は50人、この50人が残り50人の年寄り子どもを養っている状態の中で、たとえば1人がこっそりラリってるくらいなら、「誰にも迷惑かかってない」ように見えるよね。でも、それが10人になったとして、「誰も迷惑をこうむってない」と言えるかな? 結局ドラッグって「社会の豊かさへのフリーライド」みたいなとこがあるんだよ。オラがラリってても、誰かが働いて社会を維持してくれるから、安心してラリっていられるっていうね。
薬物って意味ではアルコール、煙草はかなりキツいんだけど、アルコールは集団で接種するパーティードラッグとしての有用性から許容されているので、実際、一人呑み始めると急速にアル中路線を走って社会的に害が大きいから、合法ドラッグなのにアル中への世間の目は相当冷たい。また、煙草はめちゃくちゃタチの悪いドラッグで、習慣性が強く短期的には覚醒作用が強いから無茶な労働に耐えられるようにする一方で、長期的には体をボロボロにする。医療が発達してなかった時代は、国民に煙草吸わせておきゃ文句言わず死ぬほど働いてくれてドッカドッカ税金納めてくれて、その上年金貰う年になる前に死んでくれるという二度美味しい便利なドラッグだった。でも医療が発達したせいでヤニ中もなかなか死ななくなり、医療費を食い潰すようになってきたので、規制されることになった。
つまり、あるドラッグが規制されるか否か、その規制に妥当性があるかないかっていうのは、巨視的には社会全体の利、あるいは許容度で決まってるんだよね。もしマリファナ決めたら気持ちイイだけでなくバッチリ覚醒してバリバリ働けて、かつ本人の体にも大した影響が無いとかってなれば、むしろマリファナの摂取は国が推進するだろう。でも現実は、マリファナ決めたらみんな働かねーだろ? 働くのが正しいことかどうか、って哲学は置いといてさ。働かない人が一人増えるごとに税収カウントしてるおっさんの眉毛はピクピクするわけよ。そんなわけで、迷惑とか健康どうこうとかではなく、マリファナには合法化の目がない。
でもだから、まあもう少し日本がいろいろダメになってそんとき「マリファナで税金がっぽり」みたいな利権構造を作ってやれば、ワンチャン悪い大人の手で合法化あると思うよ。でも、国民を薬漬けにして金搾り取るような国に未来があるとはとうてい思えんけどね。
20数年生きてきてようやく分かったんだけど、
ホストとかアイドルとか果ては配信者なんかにも広義に依存している
その人の居場所になる
もちろん人生をマクロな視点で見なくともライフステージごとに居場所は存在する
最低でも1つの集団に対して帰属意識があると、精神面で大きく安定する
愛されずとも最低限存在することが確実に受け入れられているという保証は大きい
不登校児のケアなんかはまず居場所の創出が即決だと思ってるし、
別に学校以外に居場所が見つかるようならそこで過ごさせればなんの問題もない
共通の敵があるグループの結束感に依存しているだけのケースはたくさんありそう
どれだけ強くても人には居場所が必要で、人の自立度合いというか、そういう意味での精神的強度については
この居場所にどれだけ依存する必要があるかという点であるように思う
そもそも恋人関係というものが裸の自分を預けてもらうという考えうる中でも最大級の承認なんだから、そんなのに依存しちゃダメだろ
そして恋人への依存を質ベースの承認と捉えるとSNSは量ベースで最大級の承認を得られる
だからSNSに依存してるやつもめちゃくちゃ弱いし、なんならSNSが手軽なのもあってこの2つは両立しやすい
多分強い人間は居場所への帰属意識があれば十分なんじゃないかな
たまにいる一匹狼的なやつは、自分一人しかいない集合に対して帰属意識を持っているイメージ
だからまあ、俺はSNSとか恋愛に依存してる人間見るとダサいとかああなりたくないと思ってしまうけれども、
これは確かに日本の問題で、そういう境遇の女性が行動しなさすぎなんよな。
客観的に証明できるぐらい差別的待遇を受けてるなら訴訟起こせばいいし(女性差別が認められた勝訴の判例もある)、
そこまでいかなくても、
「同期の男性と同じ仕事をしているのに役職・給料が低いのはおかしい、同じにしろ。しないなら退職する」と会社と交渉しなさいよと。
なんなら便利なフリーソフト作ってやると息巻いてたもんだ。
それがね気づいたら事務職としてマクロ弄ったりマクロ弄るの諦めてひたすら関数と「書式を維持して貼り付け」を組み合わせてひたすらエクセル弄ってるんだよ。
メールの返信なんてのはね、GPTなんて出てくる前からランダムで前略の部分書いてくるソフトがあったもんだからソレを今でも使ったりしてね。
「やっぱ俺には無理だな」って。
やっぱねゲームってのは基本的にはビジュアルのコンテンツなんだな。
有名フリーゲームの中にはVIPRPGなんかもあるけど、それだってメインとなるキャラクターは自分で描いてないとインパクトが出ないだろ。
やらない理由がなくなってきちまった。
じゃあなんでやらないんだろうな。
「思うぞ」ってお気持ちで言われましてもw
出来ねえなら死んでもろてw
例えば近所のコンビニを考えてみろ
生産性を出す式を書いてみな?
よーし一つ賢くなったな
これすら知らねえのに生産性の話で人様に食い下がってくるんじゃねえよ
「賃上げに耐えられるぐらい生産性上げられないゴミ企業は死んでもろて」と言ってるの
一つ賢くなった今ならちょっと前の自分の書き込みが以下にバカ丸出しかわかるだろ?
「生産性って言葉の意味も知らねえクセに何を吠えてたんだろう、俺ってバカだなー」
と思えたならお前一個成長したよな
お前の問題は「学もねえのに産業だのマクロだの生産性だのそれっぽい言葉を振り回しつつその中身をちゃんと精査してない」ってところな
単純にお前は知識も考え方も入ってないわけ
きっとまともな学校にも行けなかった奴なんだからそこは同情するとしても言えることは結局
なんだよな
「学問的にはっきり言えるのはここまで」「ここから先は政治決断」という分業が世の中では概ね成り立っているのだが、マクロ経済については実際の手当てまでのフルパッケージが専門家に求められる構図がある。
サイエンスコミュニケーターみたいに経済学の知見と一般人を繋ぐ役割が求められているのではないか。池上解説みたいなしょーもないレベルではなくて、リアルタイムの問題に即して。
政治家の頑張りどころはそこだろうという気もする。政治家自身が解説しろと言うよりエコノミストとの対話をオープンにするという意味で。
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2012/06/post-7a96.html
偶然はてなブックマークの上の方にあがっていた極東ブログの記事を読んでうんざりしたので、思うところを書いておきたい。とは言え、finalvent氏の議論それ自体を批判するつもりはない。その裏側にある、「不景気の主因を日銀に帰さないと気が済まない人たち」の困った思考パターンに対して一言もの申したいのである。
氏のちょっと出来の悪い陰謀論については措いておこう。気になるのは、というより、前から気になっていたのは、日銀を非難する人たちは何故こうも自分の意見の正しさに確信を持てるのだろうかということだ。自分たちの意見の方が間違っている可能性を慎重に考慮した議論をついぞしばらく見たことがない。現状の日本で金融政策が有効である、インフレターゲットを採用すれば期待インフレ率は上がる、量的緩和すべきだ、等々、自信満々でまくし立てておられる。たまに反論があってもまるで聞く耳を持たないご様子だ。
しかし、当の経済学界においては、これらの意見はどれもコンセンサスとは言えない。どちらかというと、2000年代半ば以降「ゼロ金利下での金融政策の有効性」についてはあまり目新しい論考が出ていないというのが現実と言って良いのではないか。「不景気から脱却した後も利上げをせず、過剰なインフレを放置することを約束すれば、ゼロ金利下でも中銀は影響力を行使できる」というKrugman他の議論は、「でもその約束を信じる理由がないじゃん」という十年来のツッコミに対して依然として回答できていない。この議論が死に絶えたわけではないが、最近の議論ではこの「約束」を信じてもらえない(=金融政策が機能しない)可能性にあらかじめ言及する論文が多いように思う(Mankiw and Weinzierl (2011)など)。
一方で、財政政策の研究は急速に進んでいる (ゼロ金利下では財政乗数が大きくなるとしたChristiano et al (2011)やWoodford (2010)などが代表的だろうか)。これは、むしろ復活したという表現の方が正しいのかも知れない。いわゆるDSGEマクロモデルでは財政政策の効果は無きに等しくなるので、マクロ経済学者の間では「景気対策は金融政策で行うべき、即ち、中銀が責任を取るべき」、という理解が一般的になった。いわゆる「リフレ派」とかその界隈の人たちが日銀をやたらと非難したがるのも、元々はこの理解を出発点としている(はずである)。だが、ゼロ金利下では、この常識それ自体が成立しないらしいことが少しずつ分かってきたのである。
この「常識の通用しない世界」では、色々なことが起こりうる。「ゼロ金利下では減税が景気を悪化させうる」としたEggertsson (2009)の論文もそうだし、逆に「消費税増税でデフレから脱却できる」と論じた論文もある。今年のアメリカ経済学会で話題になったCorreia et al (2011)の論文がそれだ。結論は、「ゼロ金利の下では金融政策は有効ではなく、むしろ消費税を緩やかに増税していく(同時に裏で所得税を減税する)ことで利下げと同等の効果が得られる」というものだ。大雑把に言えば、消費税増税でも物価は上がるわけで、これがインフレ(=実質金利低下)と同じ効果をもたらすという理屈になる。ちなみに、所得税減税を伴わず、消費税増税単体で景気回復が可能とする論文をWren-Lewis (2000)が10年も前に書いている。彼のブログに簡単な解説があったので、興味のある人は読んでみると良いだろう。
http://mainlymacro.blogspot.co.uk/2012/04/more-on-tax-increases-versus-spending.html
ちなみに、アメリカ経済学会ではこれ以外にもゼロ金利関連で面白い論文が発表されていたのだが、The Economistの以下の記事が良い要約になっているのでそちらを参照してもらいたい。金融政策に対して学界が悲観的になりつつあることも、これを読めば概ね理解できるだろう。書き手は金融政策の有効性を信じる人らしく、金融政策はもう無効だという考えを少し批判的に書いている記事なので、自分に都合の良い記事しか読みたくない類の人も気持ちよく読めるのではないかと思う。
http://www.economist.com/blogs/freeexchange/2012/01/monetary-policy
蟲毒の壺の物語
さて、ここまで読んでなお「日銀は議論の余地なくワルモノ」と思えるものだろうか。日銀改革が景気対策の最優先課題と断言できるのだろうか。別にリフレの信仰を捨てて日銀を真の神として崇めなさいと言いたいのではない。世の中には正誤定かならぬ「よく分からない」ことが山ほどあるのであって、この金融政策をめぐる議論もそのひとつだと理解してもらいたいだけのことだ。
知識の足りない人ほど目の前の景色が世界の全てだと思い込む。その景色を共有しない人を見下したがる。知識が足りないことが悪いのではない。自分だって景気対策は門外漢で、趣味で気が向いたときに論文を追っているに過ぎない。大切なのは、自分は世の中をろくに理解できていないということを理解した上でモノを語ることだと思う。
Twitterでの議論を見ていると、知識の足りない人同士が互いの誤解を肯定しあって自信を漲らせていく過程をたまに見かける。なんだか、毒虫が相食んで更に自らの毒を強める蟲毒の壺を覗き込んでいるような気分になったのを今でも覚えている。たまには壺から出て外の空気も吸おうよ。
参考文献
Christiano, Eichenbaum, and Rebelo (2011) “When is the Government Spending Multiplier Large?”, Journal of Political Economy.
Correia, Farhi, Nicolini and Teles (2011), “Unconventional fiscal policy at the zero bound”, mimeo.
Eggertsson (2009), “What fiscal policy is effective at zero interest rates?”, FRBNY Staff Paper.
Mankiw and Weinzierl (2011), “An exploration of optimal stabilization policy”, Brookings Papers of Economic Activity.
Wren-Lewis (2000), “The limits to discretionary fiscal stabilization policy”, Oxford Rev of Economic Policy.
Woodford, (2010), “Simple analytics of the government spending multiplier”, mimeo.
今コンサルをしてる人が中心だろう
なんでって
取り入れればコスト削減って方向での金稼ぎもあれば
でも、ちょっと考えればわかる事だが
動けばいいレベルなら、別に今だって、コピペでほいほい書けるのだよね
それをAIが出来るからすごいってことを言いたいのかもしれないが
逆に考えたときに、そこをAIに頼らないといけないレベルの人間が作ったプログラム(やマクロ)って信頼できるか?
入力と出力を繰り返して、製品のレベルを確認し、責任者がOKを出す
結果として、「決まった工程に対して信頼のおけるライン」が作られて稼働する
フレキシブルな入力で、素敵なパンを何でも作れるライン、ではない
ここを勘違いさせている言説は、全部、一から十まで、信頼しなくていい
どこぞの事務屋が適当に放り込んだ結果出てきたコードに社運を賭けれるか?と言う話で
当然に答えは「無理」だ
「産業革命」は分かる
ChatGPTが予想した在庫に基づいた発注は人の決済が必要ないか?
ChatGPTが出力したコードのセキュリティやバグについて、だれが責任を負うんだ?
アホ抜かせって話なんだよ
の夢を見るレベルなら良いよ
Excel はマイクロソフトの一流どころが作っていて、影響範囲だって高が知れてる
けど、プログラムを、請求書を、提案書を、AIが作れるから仕事が無くなりますとはならんよ
そうなるくらいなら、ググれる時点でもうとっくになってる
その上で、だ
その上で
もし万が一
AIの出力を信じましょうって世の中になったとしたらば
それは「AIで失業しちゃうから対策を考えなくっちゃ」なんて軽薄なレベルの話じゃないからな
そん時には、ほとんどの人は働き口を探せない状況になってる
その時に考えるべきことは、もっと別のナニカだろう
そろそろ5年経つから、書いてみる。
新卒で都内の大手SIer下請け(というか孫請け)で消耗して3年。心身ともに限界に達し、地元(近畿の田舎町)に帰ってやり直すことを決意。
とにかく病んでて逃げ出すことしか頭になかったので、名前も聞いたことがない地元のメーカーの中途採用(営業職)にエントリーして、見事内定。
入社してから知ったことだけど、とある工場設備で世界的シェアをもつ企業で、完全にB to B。
価格よりも信頼性が重視されるし、頻繁に買い替えるものではないので、パイが小さい。
そのため、参入障壁が限りなく高く、競争は存在しないに等しい。
ほぼ独占企業。
営業なんて日程調整がメイン。
地方なので、パソコン得意な人が少ないから、マクロが組めたら即エース。
昔から知ってる近所のおばちゃんやおっちゃんがめっちゃチヤホヤしてくれる。
総務や人事にも余裕があるから、最新の情勢をちゃんと把握してるし、福利厚生もちゃんとしてる。
男の育休もなんか普通だし、社内全体でとにかく休みが取りやすい。
というか、年休は出来るだけ消化するように指導される。
給与は、まあ、当然のように減ったけど、実家から通えるから可処分所得でいうと逆にかなり増えた。
ムラの草刈りとか消防団とかあるけど、それでも時間的余裕は東京にいた頃とは比べ物にならないほど多い。
というか、ムラの行事は小学校の同級生と十数年ぶりに遊べたりするので、それもまた楽しい。
あの頃のあだ名のまま呼び合えるのも嬉しい。
休みの日には、1時間あれば大学時代に馴染みのある大阪まで出られるし、特に不便も感じない。
不満があるとすれば、出張が多いこと。
まだ独身だからそこまで困らんけど、海外行くとすげー疲れるタイプなので、これだけはしんどい。
世界規模で小さい市場を独占してるから仕方ないんだけど、しんどいのはしんどい。
もちろん、地方の企業がすべてこうだとは言わんけど、地元にこういう理想郷があったりすることもあるので、転職考えてる人や就活する人には、会社の名前だけじゃなくて色々見てほしいと思って書きました。
自分が読んだことある本だとこの辺を読むともう少し理解が深まるかもしれない。
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遺伝はマクロから見て統計的な有意差があるというだけの話で、個人レベルでみると全員が優秀なわけではない。逆にミクロ側の個人からみると学習スキルを持てるかどうかの方がIQや学歴に与える影響は大きい気がする。(ちゃんと双方の因果関係を調べたことはないけど)
個人的には遺伝による有意差はあまり気にせずに個人として成長できるかというコントロールできるところに焦点を当てて生きたほうが良いんじゃないと思うが。