はてなキーワード: プロレスとは
元: https://twitter.com/fuquiague/status/1143162885100597249 , https://twitter.com/fuquiague/status/1143163134636519424
今更感は否めませんが、九大のアカハラ問題についてもしTwitterで検索している人がいたら読んでもらいたいと思います。僕あのラボの出身なので、あのニュース記事では見えてこない部分で、自分の知る限りを書きます。
たしかにその教授はとても厳しい先生でしたが、サイエンスへの情熱が並大抵ではない方でした。ゼミ(文献紹介)では、確かに皆の前で1時間や2時間説教をされることはザラです。でもそれは、ゼミの準備をしっかりしてこなかったり、考えが浅い学生に対する対応であり、適切な論文を入念な準備をしてゼミに挑めば、議論の白熱した質の高いゼミが執り行われるのです。
「学生の発表中にスマホを見ていた」とありますが、僕の知る限り、この怒られた先輩はタイトルの英文に誤りがあるレベルの酷い論文を提示し、それに対して先生が「こんな論文についての発表を聞くのは無駄だ。俺はサッカーW杯の予選を見る」といってスマホの動画を見ていたそうです。
確かに少しやりすぎなのかもしれませんが、僕は怒って注意するのと行動の本質は同じだと思います。先生には黙って聞いていたり、居眠りしたりする選択肢もあったと思います(現にゼミで不甲斐ない生徒に怒るのはどうなのか迷ってらっしゃる時もありました)。しかし怒り、動画を見るのは研究室、ひいてはサイエンスのための"プロレス"です。
先生は一介の研究者のレベルではなく、その分野では日本を引っ張っている研究者の1人でした。それは、厳しい教授のもとで、生徒達が発破をかけられて懸命に研究に励んでいるからです。日本にあるこう言った風潮は、若者にヌルい社会になる一方で、日本のサイエンスの衰退に繋がりかねません。先生が明日から「反省したよ怒るのはやめるね」となれば、研究室としてのレベルが低下して日本がその分野で世界に遅れを取るんです。そのラボには厳しいながらもその熱血な指導(先生が何日も徹夜で論文の添削したりしてくれます)に魅力を感じて博士課程に進学した先輩が大勢います。僕も熱心に研究に取り組める環境を大変気に入っていました。
当然、こういった環境が合うか否かは人それぞれですが、研究室は選べるし変えられます。僕はこのような問題が生じてラボが画一化し、選択肢が狭まっていくkとに強い危機感を抱きます。僕も含め、やや世間のアウトサイダー感が否めない学生が多く在籍するラボでしたので、尚更です。僕は今回の件は「アカデミックハラスメント」ではなく、単なる「アカデミックアクション」だと思います。日本のサイエンスの為にも、多様性確保の為にも、あのラボが今まで通り運営されていくことを望んでいます。
ちなみに「メールで特定の生徒への叱りつけを他生徒にも見えるように行った」とありますが、この方は学歴ロンダリングについてメールで公開叱責をされたようです。おそらくこの方が学校名につられて修士から院を変えるような旨に対しての叱責だと思います。これも生徒側の非は大きいと思います。
僕はこのラボから修士で東大に行っているんですが、その旨を教授に告げた際、「君は本当にやりたいことがあって東大に行くということは分かった。単なる学歴ロンダリングじゃなくてそういうことなら私は何も言わず送り出す」と返答をもらいました。レベルの低い研究室なら出ていかれても仕方ないですが、先生も含めて全体で誇りを持って研究に取り組んでいるラボだったので、そこを単なる学歴ロンダのために出ていこうとするのは失礼ですし、怒られても仕方ないですし、それであのラボを出ても後で自身が後悔すると思います。そう言い切れる程、良いラボだったと思います。
僕が心から恩を感じているラボとその教授がメディアに悪く書かれ、ネット上でも酷い言われようであることに大変心を痛めています。もちろん被害を訴えられた方にも相応の言い分があることとは思いますが、今回の事件の裏の一面として、このニュースに関心を持った1人でも多くの方に読んでいただけますと幸いです。
「マイケル・ジャクソンみたいなヤツだよ」と答えたら
「あー」みたいな半端な感じで納豆食ってる。納得している。
「ジャネット・ジャクソン知ってる?乳首ぽろりの」
この路線で広げても駄目か。
「そうそう。いや、まあそんな感じ」
「最近のだと誰が良いんすかねえ。周りに聞いてる人いないんですよね」
あ、これさらに困るやつだ。
「カマシ?」
「はあ、ジャズすかあ」
「そう、ジャズ、と、まあマイケル・ジャクソンみたいな感じだね」
薄い世間話だと結局マイケル・ジャクソンに頼ってしまう。
それにしてもマイケル・ジャクソンで若者にまだ通じるってあたり、やっぱ偉大だわな。
ソープを予約した。
なので正しくは「童貞を守れなかった(予定)おっさんの童貞最後の夜」だ。
本当は終わった後に書くべきなのだろうが、上手く行ったならこれが童貞最後の夜になるだろうから書こうと思う。
自分は典型的な、「周りに合わせて進学して周りに合わせて就職したらいつか勝手に結婚して幸せな家庭ができてる」と頭の何処かで考えていて主体的に何もせず、気付いたらアラフォーの高齢童貞コースの申し子だ。いやまだ40の大台には乗ってない、とつまらないプライドも拗らせている。
童貞がソープに行きたがる理由なんてそれこそ、性欲、いちいち童貞と煽られるのに辟易した、この世に絶望した、清貧に生きるよりも五濁に塗れる道を選んだ、童貞を捨ててでも守りたいものができたあたりだと思うし、他の人もだいたいそんなもんだろう。
自分の理由を付け加えるなら、女性という生物に興味を持ったこと。ずっと二次元コンプレックスを拗らせていて、現実の女性は正に遥か彼方の存在、夜空に浮かぶ月の如く手の届かないものという認識で、完全に別世界の生き物と考えていたと思う。
三十路を過ぎても二次元が好きなオタクで居続けることには高いエネルギーが必要であることに気付き、戯れにAVを見るようにしてみて1年少し、当初は全裸プロレスに全く性的なものを感じられなかったが漸く性的興味が向くようになった。
AVを参考にするとか正に童貞だと草を生やすのは自分でも思うけど、政治的に正しいセックスの方法なんて誰が興味有るんだってのとAVはあまりにアクロバティック過ぎて本気で真に受ける人はいないだろう。正直、オリンピックの演目を見てる感じがしてくる。よって、プロ野球選手に憬れて河川敷で草野球を始めようとする小学生並みのきっかけだ。
ただ女性と話がしたいだけなら幾らでも非風俗系のサービスがあるだろうというのもわかる。
が、見栄と虚勢だけは来世の分までストックしてる童貞にはハードルが概して高い。他のサービスを利用して女性を口説き、デートを3回重ねてホテルへ行くまでの時間的・金額的コストは高級ソープ2時間1回よりも高いのだからむしろこれは効率的である。という意見に100%賛同はしないが、別に私はナンパをしたいわけではないので強ち否定する気も起きない。
そう考えると結局自分は、童貞というスティグマを少しでも消し去りたいだけなのかも知れない。
「童貞はどれだけバカにして煽っても許される」がネットで可視化されたのは本当に醜悪だと思う。誰かの何かを確実に傷付けるにも関わらず、冗談の一言で語られ続ける悪しき風習だ。
童貞がソープに行ったところで所詮、素人童貞であって童貞という煽りが生み出す本質的なスティグマを消し去りはしないし、これは卒業ではなくディプロマミルの利用だ。
でもそれでも私は、行きたいと思った。
(ネタバレもあるんで一応注意)
すっごい良かった。一点以外は。
どこが良いって、怪獣のリアリティ、迫力が凄い。安っぽい部分が全くない。
シン・ゴジラも別に安っぽくは無かったが、あれは別物というか、生物というより無機質なキリングマシーンみたいな存在だったから、生物としての怪獣では本作が頂点と言える。ちょっと顔がブッサイクでくしゃみ我慢してるような顔つきがダサいけど、それは細かい話。
キングギドラとか、着ぐるみじゃない怪獣は良いよねえ。日本の怪獣は二足歩行型以外はもろ人形だもんな。
パシフィックリムと同様、ちょいと画面暗くない?辛気臭くない?全般的に灰色過ぎない?という部分は無いでも無いが、これはゴジラに限らず最近のハリウッド映画の傾向なので大目に見る。
監督がゴジラ大好きを自認するだけあって、ゴジラのブチ切れ方も割と出てて良かった。
特に良かったのが、ラストのバーニングな放射熱線で、それまでの青い放射熱線がイマイチ迫力ないというか、せいぜい波動拳程度の位置付けだったのが、一気にファイナルサイコクラッシャーくらいの火力に上がってて、ゴジラの放射熱線が何かというのを監督分かってる感が大きかった。
そう。あれは飛び道具じゃなくて「おんどりゃあ」って感じの怒鳴り声のような位置付けが正しい。怒鳴るついで殴る。これがゴジラの放射熱線。
とりあえずぶん殴る。怯んだ所に放射熱線をぶち込む。面倒臭くなっても放射熱線。急いでる時も放射熱線。イライラしても放射熱戦。ジャブからの黄金の右ストレートのような放射熱線。
それを監督はよく分かってた。
で、不満点なんだが、あれこれ綺麗にまとめちゃダメだと思った。
観るまではそんな事思ってなかったけど、観終わってから思った。ゴジラ映画(というか怪獣映画)は綺麗にまとめちゃダメだわ。
当事者の都合とか考えずに、何もかもぶっ壊す。後は野となれ山となれ。それくらい他人の迷惑を考えないのがゴジラの魅力であって、ラストシーンみたいに頂点に君臨しちゃダメよ。
細かい家庭事情とか人の感情とか回収しなくて良いから。そういうのが馬鹿馬鹿しくなってしまうのが怪獣の良いところだから。
希望としては、人間の出番は野球場での放送くらいで終わりにして、後は怪獣プロレスでギドラ爆破してラドンも爆破して、世界中から集まってきた怪獣も片っ端から爆破して、人間の秘密兵器もぶっ壊して戦意喪失した軍隊無視して海に消えていく、みたいな無責任な展開の方が良かったんでないかなー、と思った次第。
まとめ
これだけ騒いでこれで終わり?
メッセージは何なの?
まー最初に言いたいのは、怪獣でブンドドしたいのか、何か意味深な話がしたいのか、人間ドラマを描きたいのか、どれかに絞れよってことです。
包み隠さずに言えばマクガフィンとメアリー・スーを悪魔合体させた環境テロババアを暴れさせたのがただの舞台装置でしかないからもっと手短にやれ。違うというなら単なる仲直りじゃなくてしっかり描けってことです。
主人公気取りのオルカ一家が丸ごと不要だったとすら言えますね。ガメラシリーズやゴジラシリーズにはちょくちょくああいう家族が出てくることは確かにあるんですけど、それは怪獣映画が子供向けであるが故になんか道徳的なシーン入れないと見せに来た親御さんがモニョるよねって要素の解消としての装置なわけでして、単におっさんオタクがうおおおおするだけのモンスタープロレスでしかないならいらんのですよ。
ドラえもんでもなきゃクレヨンしんちゃんでもないんだから、ただただ怪獣が暴れてりゃいいんですよ。
あの一家がテロリスト活動を通じて何かを取り戻す過程なんてのは、映すにしても映像感をつなぐための接着剤として割り切って10分ぐらいでいいんですよ。
マジでね。
ババアいらね。
娘もいらね。
親父もいらね。
んでまあ次に言いたいのはね、オチショボくねってことです。
ギガデストロイヤーと戦ってるわけでもないのにバーニングしだしたのはビックリしましたけどね。
でもそれやるならもうギガデストロイヤーやスペースゴジラと戦えよって話ですよ。
キングギドラが怪獣として最高なのは確かでしょうけども、この令和の時代に世界中の怪獣をキングコングまで含めて叩き起こしてまで倒す相手としてはちょっとまだ足りないです。
結局はオーバーキルであっさり終わってましたし。
最後にチラっとそんなシーンがありましたけど、あそこまでを開始1時間15分でやって、そんで最後にバーニングしてたら最高だったんすよ。
ゴジラとギドラ死んだ→メカキングギドラ登場人類終わった→実はメカゴジラ作ってた→やっぱ勝てねえ→芹沢とキングコングが犠牲になりゴジラ復活→メカキングギドラ+ファイヤーラドンvsバーニングゴジラ+モスラ+ガメラ
ぐらいのやりすぎ座組でやってこそのKoMでしょう。
怪獣大決戦にスタースクリームと化したラドンおまけしただけの話で終わられちゃ消化不良なんですよ。
そんでまあなんでこの映画が尺とスケールの割にオチがショボかったのかというと、ひたすら人間ドラマやってたからです。
それもまあ怪獣との共存とか未知との遭遇とか科学兵器開発とかよりもメインは、どっかの被災者家族が、頭おかしくなって暴れまわって娘がそれに振り回されてるうちになんかスッキリして和解、っていうただそれだけの話に尺を使いまくったからです。
なんですかコレ?
我々が映画館に払った2800円(3Dメガネ込み)は超弩級の怪獣プロレスを見るための値段なんですよ。
突然リングに上がり込んできた裏方スタッフによる家族への手紙朗読会をブックと言い張って見せられても困るんすよ。
その時間があるなら話をもう一回り回転させろよってことです。
最高クラスの映像も、重量感も4DXとの完璧な相性も、原爆とゴジラの関係性へのリスペクトも、最高すぎるメインテーマアレンジや、しみったれた自衛隊なんてテーマソングすら関わらせてやらねえという割り切り方も、中学生が教室でするような妄想を幼稚園児がクレヨンでコンテにしたためたようなジャンクさも、全部、全部、この勿体なさが台無しにするんですよ。
なんで?なんでこんな素晴らしい映像を作れるのに安っぽい環境テロリストとヒスババアによるくだらん終末論が物語の柱として居座ってるの?となってしまうんですよ!!
テロババアによる凶行なんてのは最初の1時間でかたをつけて残りは全部怪獣と科学者による殺戮パーティーであるべきだったんですよ。
必要ないんです。
世界を滅ぼしたいテロリストはまだしも、愛を叫びながら地球を滅ぼしたがる頭お花畑のおばちゃんも、後悔することが仕事みたいな面した陰気なおっちゃんもいらないんですよ!
結論!
映像 最高!
座組 おしい!
重量感 最高!
4DX 超最高!
リスペクト 最高!
ストーリー 💩💩💩
キャラ まあまあの💩
https://www.videor.co.jp/tvrating/past_tvrating/boxing/01/index.html
具志堅と辰吉と亀田の人気があっただけでもともとこんなもんやろ。
それでもボクシングは定期的にゴールデンタイムに放送されとるし、PRIDE・K-1の没落やプロレスの低迷に比べたらぜんぜんマシやで。
パッキャオの6階級制覇がもう10年前、ドネアの5階級制覇でさえ5年前と考えると
むしろ最近やとクロフォードやウシクの主要四団体統一のほうが注目されとるで。
そのWBSSバンタム級で井上尚弥は圧倒的な強さをこの二試合で見せつけたというのに、日本ではそんなに騒がれている様子がない、という寂しさ・・・
というかボクシングの弱点はそこやで。
これで勝てば有名になれる権威のある試合、っていうのがないんや。
日本の格闘技は競技を憎んでるオールドプロレスオタクのオッサンと反社が乗っ取ったので
競技へのリスペクトもなく、受け手を育てるつもりもなく、パンダを作って下層ミーハーだます商売してる
同じこと述べてる人は他にもいるけど、ヤンキー的メンタリティのオタは昔からいましたよ
(1980~90年代当時ならプロレス・格闘技オタ、ここ10年くらいなら、ニコ動の歌ってみたでオタク自嘲ネタラップとか挙げてる層が特にそう)
平野耕太とかヤンキー的ノリ大好きだよね。平野のドリフターズみたいに、世界観設定はファンタジーとかSFだけどキャラのメンタリティは不良、という作品を描く人も多い
思うに、一部のオタがヤンキー的メンタリティを示す理由のひとつは、ある種の背伸び
「強そう」「ナメられない」「大人っぽい」という人物像の類型事例をヤンキーしか知らないから、その真似をしちゃうパターン
たとえば表現規制派みたいなオタにとっての「外部の敵」と接する場合は、とくにそういう態度になるのではないか
さらに言えば、リベラル派によく見られるインテリ的気取りへの嫌悪感もあるのかも知れない
現実に身体を動かしたりきびしい上下関係の中で生きる体育会系になるのは無理だが、ミリタリー物は大好きなオタには、その傾向があるのではないかと思われる
で、不良が大人になってからいじめ武勇伝を気取るメンタリティなのだが
これは案外、ネット普及以来のアングラ気取り、1990年代末に大流行した高卒差別のマミー石田(「ドキュン」という語句を広めた人)とか
2ちゃんねる開設後に広まった差別ブーム(在日叩きとか)と、相通じるものがあると感じる
かつて1990年代中期、小山田圭吾が雑誌の『クイックジャパン』で、ドヤ顔で高校時代のいじめ体験を語っていた
当時の小山田と『クイックジャパン』編集部は、半ば本気で、そういうのが「いじめはよくない」という良識にあえて逆らう過激な本音主義カッコイイ、とか思ってたわけだ
それが10年ぐらい経ってネット普及後になってから発掘されて、小山田はぼろかすに叩かれたわけだが
90年代当時の小山田のメンタリティと、「在日や女をタブーなく叩ける俺たちスゲー」と盛り上がっていた2ちゃんねらって、根底は同じだと感じてる
それは不良もオタクも同じなんだ