はてなキーワード: マクグラスとは
思いつく順に列挙すると、
(1) 今の人生がとにかくつらくて、悩みを解決する処方箋が欲しかった。
(2) ジブリ作品、フィンチャー作品、『資本論』を観たり読んだりしたせいで(+周囲の人間を見ていて)、消費社会・競争社会の価値観に疑問を持った。それ以外の価値観が欲しかった。
(3) 本屋で偶然、内村鑑三(高校日本史で不敬事件の当事者として出てくる)の聖書注釈に出会ってこれが分かりやすかった。
(4) ニーチェとドストエフスキーを読んだせいで、神を否定するとヤバいことになると漠然と思っていた。
(5) マクグラスの『科学と宗教』を読んだことで、現在の科学水準でもキリスト教を否定し去ることはできないということが分かった。
(6) 何より、読んでみたら聖書の一節一節が心に刺さりまくった。
辺りかな。
[追記]
(8) (4)と関連するけど、植松聖の事件を見て、「結局重度障害者が生きる意味(≠殺してはいけない理由)はあるのか」という問いについて、神なしではうまく答えられないことに気付いた(異論はあるだろうが)。
最近いろいろあってキリスト教でも勉強してみようかと思っていろいろ読んでるんだけど、越えないといけないハードルがめちゃくちゃ高い。
というのも、教えの全体像が『聖書』っていう誰でも理解できる一冊に示されてしまっているからだ。これを読んでいると素人でも、「愛の神って割に神様人殺しまくってね?」とか「処女受胎とか無理じゃね?」などなどの疑問が噴出する。
んでこの辺を納得しないととてもじゃないが信仰なんてできないわけだが、この納得のいく説明を得ようとすると、神学に関する本(A.E.マクグラスをはじめとする)を色々読み込まないといけなくなる。そして神学の本ってのは売れないもんだからえてして高額になりがちである。1冊5千円なんてザラ。絶版本になると1万円を越えることもしばしば。俺のように田舎で生活していると、図書館や大学図書館にも頼れない。
んであれもこれもと買って読んでいったら、結局初期投資は10万円を超えてしまった。今では立派なキリスト教信者だが、かかった金と時間を考えると、そうそう人が真似できるものとは思えない。
この点、仏教や神道ってのは良くできている。まず仏教については、経典が大量にあって、その1つ1つがめちゃくちゃ難解、どの経典を正当とするかどうかについて各宗派で議論がある(キリスト教でもあるけど仏教の比ではない)。そうなると、素人が読んですぐ議論ができないし、逃げ道もいっぱいあるもんだから、聖書について抱く上記のような疑問が湧き出てこないのだ。
次に神道については、教えっていうものがあるのかどうかすらよく分からないという代物だ。
このことをもって、「だから日本人にはキリスト教は普及しないのだ」とか言うつもりはない。けど普及を阻害する一要因になってるんではないかな?とは思う。