はてなキーワード: エントリーとは
今年1月よりつみたてNISAを開始してはや半年、コロナショックの波乱はあったが順調に積み立て投資を続けている。つみたてNISAに特に不満はないのだが、いかんせん、積み上がる速度が遅い。自分はそこそこいい歳でそれなりに銀行預金があるので、つみたてNISAだけだとリスク資産の比率がほとんど向上しないのだ。そこで手元にそこそこの余剰資金がある場合にどういう資産運用がよいのかを自分なりに検討して考えてみた。
あくまで自分のために考えた方法なので万人に適しているというつもりはないが、参考になる人もいるかもしれないので、自分の考えを整理してメモする意味でも晒してみる。
長いのでエントリーを分けた。
とある水族館の飼育員が紹介されたニュースを見て、イケメン飼育員はいいのに◯◯女子は駄目なのか!と紛糾している人がいるが
「女子」はただ単に性別が女性という意味しか持たないはずなのに清楚で可憐で美少女という意味も内包しているイメージがついてしまっている
なので「◯◯女子」というのはそのラベルを貼られることにより、自分がブスだという自覚がちゃんとある人まで勝手に「あなたがミスコンに選ばれました!!」と無理やりステージに上げられ、じろじろ見回されて「何がミスコンだ!全然美女じゃねえだろ!!身の程を知れ!!」と罵倒されるような居心地の悪さがあるのだ
美少女コンテストにエントリーするなんておこがましいことなんか一切考えていないのに、美術館に絵を見に来ただけなのに、「美術館女子」というラベルを貼られることにより「美術館のキャンペーンガールコンテストにエントリーしに来た女」のように見られ審査対象になることへの不快感
美術館女子に限らず「◯◯女子」への反発はそういう心理から来ているのではないだろうか
少なくとも私はそうだ
私が女子高生の時はブスなのに女子高生という肩書きを背負うのが苦痛で仕方なかった
女子高生というのは長い睫毛を少し伏せて気だるげに携帯ポチポチしてミニスカと黒髪ロングストレートの似合う美少女でなければならないはずで私のようなキモヲタデブスが名乗っていいものではないのに高校に進学したら女子高生にならなければならない
◯◯女子だけではなくて女性にまつわる色々な言葉、例えば巨乳なんかもそうだと思う
胸の大きい人向けのブラジャーやシャツを扱った専門店ができたというニュースを見て、巨乳美女を見放題!と反応していた人がいたが
なぜ美女が来ると思うのだろう
ボディービルダーが努力を重ね胸板をパンプアップさせるのと違ってほとんどの巨乳は言ってみればただ「生まれつき胸の腫瘍が大きい」だけの人であり、大きなサイズのブラを求めるのも足が大きすぎる和田アキ子がわざわざ大柄な外国人男性用のブランド靴を取り寄せるようなものと同じである
だから巨乳と言ってもとんでもないデブやブス、おばあさん、レズビアン、幸せな家庭を築いている二児の母とか、しまむらに靴下を買いに行くのと同じでただ単に買い物をしたいだけの色々な人間が客として来店するだけなのに勝手に巨乳=自らの意思で男を誘うイキモノ、ナンパOK、美女、などのイメージを付随させる
そもそも「女」と聞けば勝手に美しいものと勘違いする男性が多すぎる
自己責任論を否定するときって大体どうしようもない先天的な障害とか貧困とかそのへんを引き合いに出すじゃん 本人とは関係のないところが大きいんだから努力の話にするな!みたいなさ
一方、俺のスペックは
でも現実には全然勤労意欲がなくてニートだし、自殺してえなあとずっと思ってる
なんというか、今の苦境は全部俺のせいというか俺の人格のせいな気がするんだよな
ネットでやれるADHDの診断なんかをやってみると可能性中〜大って出るから発達障害のセンも捨て切れないんだが、病院行くのがめんどくさすぎてわからんまま
恵まれた環境からクソみたいな人生だ 同じ身体でも違う性格で生まれたらもっと大成してたんじゃないかと思って申し訳なくなることがある
習い事だってやりたいといえばできただろうし、受験ももっと真面目にやってればもうちょい良いとこに行けた気がする
「俺は本気出せばすごいんだぞ」と思う時期は終わった 「俺には本気を出すことができないんだ、あるいは俺に"本気"なんてものはないんだ」と今は思う 人生掛かってても1日1時間勉強できるか怪しい 就活はノーエントリーで終わった
戸塚ヨットスクールにでもぶち込まれたらいいのかな でも終わったあと自殺しそうなんだよな
俺みたいなのはどうしたらいいんだ 自分の性格的欠陥だけが原因で人生を失敗してる 気力に障害がある なんなら幼稚園のときからそうだった ゴネて登園時間を2時間遅らせてた
助けてくれ、と思うがその「助ける」っていうのは不労所得を年200万円くれとかそういう感じだ それ以外じゃどうやっても助からない でも無理だろうな
死なせてほしい 合法的に…というか、公的な感じで 薬を飲んでスッと死にたい 死への恐怖はなくて、未来への恐怖の方が大きい
ご存知の方も多いと思うが、就活のくるしさの背景には新卒一括採用と、メンバーシップ型雇用の2つがある。
企業は、一定期間の間に一括で採用しなければならない。学生はその期間内に就職先を決めねばならない。
これが日本の新卒採用の基本ルールであり、時間的なリミットが明確なため、期間内(卒業まで)に就職先が決まらなければそのままどの社会集団にも所属することなく卒業することになる。
それでも既卒枠もあるし、20代後半までフリーターとして働いてから再度就職活動して立派にキャリアを積んで幸せな人も世の中には意外と多く存在している。だが大学生の大半にはその現実は可視化されておらず、リミット内に就職先が決まらない=人生終了と思い込んでいる。
これは大部分が親の責任で、高度経済成長時代に形成された「大卒⇒企業戦士として1社に勤め上げる」というルートだけを「幸せな生き方」と思い込み、子供にもその価値観を刷り込み続けた結果だ。ちなみに1社で勤め上げるのは昭和世代でも3割程度で、残りの7割は実に様々な組織を渡り歩く。日本人だってほんとうは、実に多様な生き方をしている。
また新卒一括採用は基本的に「業務は入社してから割り振ります」というメンバーシップ型雇用。欧米などは「この業務がこなせる人を募集します」というジョブ型雇用が基本だ。
メンバーシップ型雇用の場合、採用時点ではジョブが明確ではないためポテンシャル採用となる。すると採用基準は「社風に合う価値観かどうか」と「自社で働く上で必要な基礎能力があるか」という、ジョブ型雇用と比較して曖昧になりがちな基準が重視される。さらに、求められる基礎能力は組織によって大きく異なる。
就活生の視点では入社してからどんな仕事をするのかが明確ではないため、何をアピールしたらいいのかが一見してわかりづらくなる。そのため、就活生の多くは「性格のよさ」や「人格」をアピールしようとしてしまう。ここに悲劇の原因があって、ピュアな就活生は人間性や人格をアピールしているつもりなので、選考に落ちるたびに人間性や人格を否定されているような気分になる。
このような思い込みはまともな就活本の一つでも読めば即座に解消されるたぐいのものだ。しかし最初から人間性で評価されると思いこんでいるため、採用選考のプロトコルに合わせて適切に自分を伝えるテクニックが存在することに思い至らないし、思い至ったとしてもそれは彼らの目には「ズル」に見える。それはアピールすべき「人間性」を傷つけることになるため敬遠してしまう。そうして毎年NNTの苦しみが生まれることになる。
そこに大手信仰や企業ブランド信仰が加わると更に悲劇が起きる。たとえば、従業員規模5000人以上の企業に区切ると新卒の有効求人倍率は景気の良し悪しにかかわらず一貫して0.3程度だ。
親からは大手信仰を植え付けられ、採用選考のプロトコルを知らずに性格のよさをアピールし続ける就活生が、有効求人倍率0.3程度の超大手にアタックし続けるとどうなるかは、想像に難くないだろう。
さらにリクナビやマイナビなどがそこに拍車をかける。彼らは課金している企業に「エントリー」という価値を提供しなければならないため、就活生に対して大量にエントリーするよう煽る。バカな就活生たちは、何も考えずにとりあえず知っている企業にエントリーする。「とりあえず知っている企業」がつまり、求人倍率0.3の企業たちだ。
ただ、個人的にはメンバーシップ型雇用は学習意欲のない大半のアホな大学生には福音だと思っていて、まともな職能もないのにそこそこの初任給と賞与が担保されてホワイトカラーの仲間入りができるという大きなメリットをもたらしている。ジョブ型雇用が基本の欧米は欧米で、大学出たての職能のない人はインターンとして薄給で奴隷さながらのハードワークを強いられ、一部社会問題化している。
長くなってきたので短くまとめたい。
幸福度は所属先の集団のブランドには大きく左右されない。「自分で自分の人生をコントロールしている。自己決定できている」という感覚がもっとも幸福をもたらす。
大企業だのブランドだのと、一過性の承認欲求に惑わされて進路を選ばないほうがいい。
そのためにはクソ短い面接のなかで的確に自分の特性を伝える必要がある。その方法はすでに数多の就活本などで型化されているからそれを読め。
そこに書かれているのは嘘をつく方法でもないし、自分を陽キャに偽装する方法でもない。そのままだと生臭すぎて他人には飲み込めない「あるがままの自分」を、面接のプロトコルに合わせて加工し伝える方法だけだ。
なんか見下してくる感じで接してくるようなやつ。
本当ならすぐに離れて関わらないはずだったけど、同じ友達のグループに属してしまい、たまたま家も近いと来た。
おそらく俺を自尊心を満たすのに都合のいいやつだと思っているため、向こうのほうから近づいてくるし、一度キッパリと縁を切ろうとしたら同じグループ内の友達に迷惑がかかったため、程々の距離を置いてここまできた。
そして就活の年。
俺はなんとか志望度の高いところから内定をもらった。結構嬉しくて、たまたま道でばったりあったそいつにも内定先の企業名や面接の情報を話してしまった。
これが本当に失敗だった。
かなり多くの人数を取る割にはあまり知られていない企業で、見下している俺ですら合格する企業だと知るや否や、そいつは俺の企業にエントリーした。
偉そうに就活理論を言い、志望していた業界が全滅したあいつにとっては絶好の獲物だったのだろう。(ちなみに内定先とそいつの志望業界は正反対と言ってもいい)
うざいやつはここまでうざいのかと思った。
配属先が別だろうが、職種が別だろうが、そいつが同じ会社にいると言うだけでモチベーションが落ちる。
叫びたいことはいろいろあるが、とりあえず最終面接では是非とも不合格を突きつけていただけるよう、見る目がある面接官とマッチしてくれることを願う。
二十数年生きてきて、自分もスーツを着て電車に揺られる社会人になると信じて疑わなかった。
50社程落ちて、内定はない。
小さい頃はスポーツ選手や漫画家に憧れて、サラリーマンにはなりたくないなんて思ってたけど、まさかサラリーマンになることがこれほどハードルが高いとは思ってもみなかった。
ネットを眺めていても、コメントをしてるユーザーが全員この就活を乗り越えてきたのだと考えると、どこか違う世界の人間のように感じられる。
自分より話し下手な人、自分より単位を落としている人、自分よりプレゼンが下手な人、自分より英語が苦手な人、自分より就活を始めたのが遅かった人…みんな内定を持っている。
彼らを見下しているわけじゃない。彼らには彼らの秀でている部分があり、そこを上手くアピール出来て企業に評価されたのだろう。当然そんなことは理解している。
Aは責任感の欠けた人間で、彼女が自分の論文の担当箇所を仕上げてこなかったせいでスケジュールが遅れあれほどチームに迷惑をかけたのに、結果的にプレゼンが成功したのはゼミ長の私が徹夜で資料を作成したお陰である。彼女は内定がある。
Bは内気な人間で、後輩との飲み会の場であるにも関わらず全く面白い事も言わず愛想笑いをしているだけの人間である。集団が集まる場所では私は話題の中心であり、彼は居ても居なくても変わらない人間である。彼も内定がある。
Cは学がない人間で、推薦で入学したため碌に漢字も読めない。受験で数学も必要なかったため、授業について行けず私が助けてあげた。彼は私が知っている知識の1/10ほどしか知らないだろう。彼も内定がある。
脳裏に浮かんできた知り合いは全て、私より能力が劣る人間ばかりだった。普段よく目にするネットユーザー達も、政権を口汚く罵ったり面白くもない大喜利を繰り返すばかりで、倫理もユーモアも私より劣っている。なのに彼らは社会人をやっている。
私にはわからない。
【追記】
沢山のコメントやアドバイスありがとう。どの企業からも興味を持って貰えなかった私にとって、どんな形でも関心を寄せてくれることが励みになります。
プライドの高さが滲み出ているというコメントが多いが、本当にそれに尽きると思う。
ABCなど周りの人に相談は出来ない。周囲の人間に陰口を叩かれるのは屈辱的なので、周りには内定があると嘘をついているからだ。SNSでもそのように振る舞っている。
なんなら、この前も後輩の前でしたり顔で就活のアドバイスをしたくらいなので、おそらく少し頭がおかしくなっていると思う。
自分の欠陥については十分すぎるほど自覚しているし、地獄がもう目の前に迫っているのも理解しているが、今はアルコールで不安をバグらせながらエントリーを増やし続ける日々を送っている。
「内定」さえ取れれば、全て解消すると信じて。