ご存知の方も多いと思うが、就活のくるしさの背景には新卒一括採用と、メンバーシップ型雇用の2つがある。
企業は、一定期間の間に一括で採用しなければならない。学生はその期間内に就職先を決めねばならない。
これが日本の新卒採用の基本ルールであり、時間的なリミットが明確なため、期間内(卒業まで)に就職先が決まらなければそのままどの社会集団にも所属することなく卒業することになる。
それでも既卒枠もあるし、20代後半までフリーターとして働いてから再度就職活動して立派にキャリアを積んで幸せな人も世の中には意外と多く存在している。だが大学生の大半にはその現実は可視化されておらず、リミット内に就職先が決まらない=人生終了と思い込んでいる。
これは大部分が親の責任で、高度経済成長時代に形成された「大卒⇒企業戦士として1社に勤め上げる」というルートだけを「幸せな生き方」と思い込み、子供にもその価値観を刷り込み続けた結果だ。ちなみに1社で勤め上げるのは昭和世代でも3割程度で、残りの7割は実に様々な組織を渡り歩く。日本人だってほんとうは、実に多様な生き方をしている。
また新卒一括採用は基本的に「業務は入社してから割り振ります」というメンバーシップ型雇用。欧米などは「この業務がこなせる人を募集します」というジョブ型雇用が基本だ。
メンバーシップ型雇用の場合、採用時点ではジョブが明確ではないためポテンシャル採用となる。すると採用基準は「社風に合う価値観かどうか」と「自社で働く上で必要な基礎能力があるか」という、ジョブ型雇用と比較して曖昧になりがちな基準が重視される。さらに、求められる基礎能力は組織によって大きく異なる。
就活生の視点では入社してからどんな仕事をするのかが明確ではないため、何をアピールしたらいいのかが一見してわかりづらくなる。そのため、就活生の多くは「性格のよさ」や「人格」をアピールしようとしてしまう。ここに悲劇の原因があって、ピュアな就活生は人間性や人格をアピールしているつもりなので、選考に落ちるたびに人間性や人格を否定されているような気分になる。
このような思い込みはまともな就活本の一つでも読めば即座に解消されるたぐいのものだ。しかし最初から人間性で評価されると思いこんでいるため、採用選考のプロトコルに合わせて適切に自分を伝えるテクニックが存在することに思い至らないし、思い至ったとしてもそれは彼らの目には「ズル」に見える。それはアピールすべき「人間性」を傷つけることになるため敬遠してしまう。そうして毎年NNTの苦しみが生まれることになる。
そこに大手信仰や企業ブランド信仰が加わると更に悲劇が起きる。たとえば、従業員規模5000人以上の企業に区切ると新卒の有効求人倍率は景気の良し悪しにかかわらず一貫して0.3程度だ。
親からは大手信仰を植え付けられ、採用選考のプロトコルを知らずに性格のよさをアピールし続ける就活生が、有効求人倍率0.3程度の超大手にアタックし続けるとどうなるかは、想像に難くないだろう。
さらにリクナビやマイナビなどがそこに拍車をかける。彼らは課金している企業に「エントリー」という価値を提供しなければならないため、就活生に対して大量にエントリーするよう煽る。バカな就活生たちは、何も考えずにとりあえず知っている企業にエントリーする。「とりあえず知っている企業」がつまり、求人倍率0.3の企業たちだ。
ただ、個人的にはメンバーシップ型雇用は学習意欲のない大半のアホな大学生には福音だと思っていて、まともな職能もないのにそこそこの初任給と賞与が担保されてホワイトカラーの仲間入りができるという大きなメリットをもたらしている。ジョブ型雇用が基本の欧米は欧米で、大学出たての職能のない人はインターンとして薄給で奴隷さながらのハードワークを強いられ、一部社会問題化している。
長くなってきたので短くまとめたい。
幸福度は所属先の集団のブランドには大きく左右されない。「自分で自分の人生をコントロールしている。自己決定できている」という感覚がもっとも幸福をもたらす。
大企業だのブランドだのと、一過性の承認欲求に惑わされて進路を選ばないほうがいい。
そのためにはクソ短い面接のなかで的確に自分の特性を伝える必要がある。その方法はすでに数多の就活本などで型化されているからそれを読め。
そこに書かれているのは嘘をつく方法でもないし、自分を陽キャに偽装する方法でもない。そのままだと生臭すぎて他人には飲み込めない「あるがままの自分」を、面接のプロトコルに合わせて加工し伝える方法だけだ。