はてなキーワード: エゴサーチとは
中途採用した社員が経歴を、完全に詐称していた。これが俺の係で大問題になっている。
問題の電話を受けたのは俺で、電話を受けると英語でまくしたてられてしまって、英語なんて偏差値40の俺は何を言ってるのか全然分からない。
「あー、ソーリー、アイムノーイングリッシュ」みたいなダメな英語を口にしてテンパッてしまうが、弊社の社員に英語が話せる人間なんて一人もいないので誰も関わろうともしない。
泣きそうな顔でブロークンイングリッシュですらないもので応対してると、隣から手が伸びて来て「代わります」と中途採用したオッサンが言う。
すると、オッサンは何を言ってるのか全く分からんが、ペラペラと流ちょうな英語で応答している。途中で代表番号を教えてくれと言われて教えた後、オッサンは電話を切った。
「何だったの?」と尋ねると、「営業電話です。こちらは代表番号ではないので、ご用向きがあれば代表番号におかけ直しくださいという風に答えただけですよ」、と言う。
このオッサンときたら面接の時には英語が話せるなんてことを一言も言ってなかったので、課長が面食らって「英語が話せるなんて面接で聴いてないぞ!」と声を上げてしまう始末。
「いや、まぁ聞かれませんでしたし、業務に必要でないスキルをアピールしても仕方ないので」と、オッサンは言う。それで、どれくらい英語が話せるのかと他の社員が質問して分かった事は
今もたまにオンライン英会話で1時間ほど話していて、TOEICでなら800点くらいあるという・・・・(多分、これも過少申告だ。俺は英語は分からんが、映画みたいだったのは分かる位には映画は好きだからな)
それだけなら良かったのだが、実はこの人は凄いのでは?って事に興味を持った社員がエゴサーチをしてみると、実は科学論文を幾つか出している人であることも判明したので大変だ。
なんなら書籍を共著(何人も著者がいるオムニバス形式の1節担当らしい)もしているし、大学では優秀者として年度代表で表彰を受けている超秀才であることも分かったから、もう驚天動地の騒ぎになる。
例によって、オッサンは賞罰の欄にはそんな事は主張していなかった。何故と聞くと、「いや、まぁ聞かれませんでしたし、業務に必要でないスキルをアピールしても仕方ないので」と答える。
大手企業の開発部で仕事しているが多忙で生き方を変えたくて転職を決めたという話は聞いたが、その実態がこれほどのものだとは聞いてないという話だ。
くたびれたオッサンで冴えないけど、経験はありそうですねなんて笑って採用にGOサイン出した俺が恥ずかしい。
これは大変なことですよと、上司が面談をもって色々と話を聞いてみると、
第一線で働いてきてもう疲れたので命を削らない仕事をしたかったのだと。
経歴を詐称するのではなく、スキルの一部と成果を申告しないだけなので問題はないと思った。
驚かせてしまったなら申し訳ない。自主退職しろというならするので、懲戒免職は許して欲しい。
と言うような事を答えたらしい。確かに嘘をついて経歴を詐称して出来ない事を出来ると言ったわけではない。そう学歴にも職歴にも嘘はない、ただ賞罰やスキルの申告を怠っただけだ。
でも、その能力で何でうちみたいな中小に来るんだよ・・・ってレベルの人が、俺よりも安い給料で働いている(俺は係長、オッサンは平)のは苦しいし、使える気もしないのでクビにして欲しい。
だってさ、詐称は詐称だろ?ほら、以前、大卒の癖に高卒と偽って仕事してた奴が解雇されたってニュースあったよね?あのパターンだよ、これ。。。
女子社員が色めきだってるのも気に入らないし、どうにかして処分してしまいたいが、課長なら俺のクビ10個切っても解雇なんてしないって言うだろうなぁ。
日経225に載ってる程度の大企業で、ネット対策してる。エゴサーチとか不正書込みへのクレーム活動
正直、自分は文系だから、ウェブの知識なんて、素人同然でしかない。
はてなブックマークを見る限り、ウェブ・ITに詳しい人ははてな民にはゴロゴロ転がっていて、自分のウェブ偏差値は「はてな民」の中では50を切ってると思う
自分は単に、1998年から趣味の分野でホームページをやってて、掲示板を運営したり、2011年からツイッターやり始めた程度。「はてな」は2005年からやっていたか。
この程度の、はてな民の中ではウェブ偏差値50に満たない程度の自分なのに、「IT化の遅れた日経225企業」の中では、何故か「ウェブの専門家」「ホワイトハッカー扱い」され、ウェブ偏差値が80越えてるような扱いされてる。
ハッキリ言いますが、はてな民の中でウェブスキル偏差値50程度の人ならば、ちょっとIT化が遅れてる企業にアタックして潜り込めれば、「チヤホヤ」されるぞ?
ITやウェブに詳しい人は、自分のスキルを生かせるのは先進的にIT・AI投資してる企業の筈ということで、そういう企業ばかりリクルート活動してるかもだが、全く逆。
自分程度のウェブスキルの人間が重宝されるというのは、日本の日経225企業でも、「遅れてる企業は、どうしようもなく遅れてる」ということか。
ずっと話題を追っていて徹夜気味の頭で書くので、細かい誤字脱字やミスがあっても大目に見て欲しい。
「セイウンスカイ・ニシノフラワーのオーナーはエロ同人誌を嫌だと思うのだろうか」という旨のツイートが投稿される
↓
オーナーの西山茂行氏、そのツイートをエゴサーチで発見し(重要!)、「わしは全然OK。話題になるだけで嬉しいんですよ」とリプライする
(※現在削除済み。スクリーンショット→ https://imgur.com/a/CJQ4gGx )
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そのツイートを見た不特定多数が「セイウンスカイ・ニシノフラワーのエロ同人が解禁された」と判断する
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西山氏、他のアカウントへのリプライで「ただし許可を取るように」という旨のツイートをする(も、時既に遅し)
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情報が拡散し、中には明らかな捨て垢が「おもちゃにして良いって許可出た!!!」とツイートするなど、騒動が大きくなる
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騒動を察知した西山氏、「わしも今回誤解を招くツイートをして申し訳ありませんでした。【うちの馬の創作2次使用、エロ使用、固くお断りします。】」という旨のツイートをする
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「普通のファンアートをアップするのもやめた方がいいですか?」という質問に対しては「わかりません」「意味がわかりませんのでお答え保留します」と答える
こういうのは取り急ぎまとめないとどんどん尾ヒレが大きくなるので書き記しておいた。
「ウマ娘」の権利関係については既にいい増田があったので下にリンクを張る。
端的に言うと馬主に「ウマ娘」の二次創作を直接禁止する権利はない。
https://anond.hatelabo.jp/20210317171527
個人的な感想を述べさせてもらえれば、馬鹿な捨て垢は論外としても、西山氏もよく分からず発言しているせいで情報の錯綜を招いた面はあると思う。
【追記】
西山氏、全年齢向けの2次創作なら可という見解を表明 https://twitter.com/seiun0005/status/1385718281592446978
繰り返しになるが、馬主には「ウマ娘」の二次創作を直接どうこうできる権限はないため、行き過ぎた発言を修正したという見方が正しいように思える。
恫喝DM事件及びその後に起きたパワハラ事件の加害者。さらに被害者女性に二次加害を行った人間。
彼らの事を批判すると、奇妙な事を言って彼らを擁護しようとする人間が現れます。かつて町山智浩自身が言った言葉ではありますが「被害者しぐさ」と云う行動を取ることによって、彼らは悲劇の主人公を演じようとするのです。こんな具合に。
例1:「被害を受けた当事者でもない人間たちがゴチャゴチャ言うな」⇒それを言ったら何の問題についても、誰も批判することができなくなりますよね。関東大震災当時の在日朝鮮人虐殺や第二次世界大戦当時の南京虐殺、従軍慰安婦問題やその他の戦時性暴力etc.これらについて私は「被害を受けた当事者」ではないですが批判はしますよ。「自分は恫喝DM攻撃やパワハラ・セクハラの被害を受けた『当事者』ではないから口を挟むのは止めよう」と云う態度で見過ごし続けてきた果てに行き着いた先が、今回発覚した映画秘宝のスキャンダルなのではありませんか?
例2:「いくら謝っても批判する人間たちは許さない。反撃できない人間を一方的に攻撃するな」⇒恫喝DM攻撃やパワハラ問題が発覚して、まだ3か月も経過していません。「いくら謝っても」と言うほどの年月は経過していません。それに、たとえ戦時中や戦前の事でも、何年経過しようとも「反省するべき事は反省するべきだ」と私は思います。加えて言うならば、被害者及び第三者の立場から岩田や町山ら、双葉社に対して求めているのは「公開の場での説明」です。すでに「被害者が非公開を望んでいる」と云うのは虚偽の理由だったと判明したのだから「経緯」や「再発防止の為の取り組み」について早急に説明をしてくれと望んでいるのです。
例3:「匿名で批判をするのは卑怯だ」⇒これまでエゴサーチしての恫喝DM攻撃や、信者ファンネルを利用した多人数攻撃と云う手法を行ってきた町山や岩田を擁護する人から、それを言われると驚きますね。私も基本的には「批判や議論は公平に行われるべきだ」と考えます。しかし「もしも匿名でなければ、批判した時に報復行為としてどんな物騒な事をされるか分からない」と不安を抱かせて、議論の場における必要最低限の相互信頼を損ね、顕名での批判を躊躇させる原因を作ったのは、町山や岩田に外なりません。
お願いだから、これまでトランプ政権や自民党政権を批判する時に貴方たちが披露し続けてきたのと同じぐらいの饒舌さで、自らが果たすべき「説明責任」を果たして下さい。
正確には、有名人がエゴサーチしていいねしてくることが嫌いだ。というか嫌だ。
僕はVtuberが好きだ。面白い動画や新しいVtuberをYouTubeで見つけたらツイートするし、いいねやリツイートもする。
僕はボカロが好きだ。10年前の殿堂入り曲も、つい1週間前に投稿された無名な曲も何でも聞くし、いい曲なら高評価・ツイートする。それが礼儀だろう。
すると、VtuberやボカロP本人からいいねが飛んでくるのだ。エゴサーチによって。(有名な曲や動画なら反応されることはほぼないが。)
それがどうしようもなく嫌なのだ。
有名人が僕たちのツイートを見ているのはまだいい。Twitterは自由なものだし、いろんな視聴者の意見を取り入れてより良くしていくというのも理解できるからだ。
ツイートは本人に向けたもの、例えばYouTubeのライブコメントやコメ、Twitterのリプライなどではない。それにいいねされると、監視されているような気がしてくる。
いいねでアピールして、「批判を書いたらダメだぞ」と暗に言われているような。
僕は批判や批評をツイートしたことはないけれど、もしツイートして晒上げられて炎上でもしたらと考えると、委縮して「尊い」「草」しか言えなくなってしまう。もちろんただの杞憂だろうが。
どこかで「自分のことを覚えていてほしくないオタク」みたいな画像を見たが、それと似ているかもしれない。
その著名人は少しの批判も許さなかった。こんなバカがいるぞと吊るし上げたとたん「著名人に擦り寄りたい怪しげなプロフィール」のアカウントを中心とした信者フォロワーが批判者の人格攻撃まで繰り広げた。著名人は正面からは反論せずとも、信者が忖度して批判を潰してくれるから便利だろう。自らの影響力も十分に行使できるし愉快なのかもしれないが、傍から見るととても醜悪な風景だ。権力者ゆえ普段から〜先生などとチヤホヤされている程、許せないのだろう。その著名人はよく愛や正義について説教するが、少しばかり楯突く者にも容赦なく吊るし上げる振舞いに、相手への愛や正義はあるだろうか。著名人にとっての愛や正義は、多くの男性がそうであるように、きっと子どもや若い女性に対してだけ向けられるものなのだろう。
澤部のインタビューとそのブコメを見てて、澤部のことを書きたくなった。
別に誰かの意見を批判したり否定したりする意図はない。ただ澤部とハライチのファンの回顧録だと思ってもらっていい。
■彗星のように、彼らは。
今から11年前。2009年のM-1。ハライチは、テレビ界に躍り出た。結成4年、まだ23歳だった。
当時のM-1は長らく、「笑い飯」というコンビを持て余していた。その笑い飯が「鳥人」を引っ提げ、島田紳助から100点を引き出した、その直後だった。
顔も名前もまったく知らない若者が、現れた。目つきの悪い右側の若者が、いきなりこんなことを言うのだ。
「今日、ここに来る途中、犬が車に轢かれて死んでいた」
繰り返すが、笑い飯が100点をかっさらった数分後である。空気が、完全にリセットされる音がした。静まり返った、日本中が。
そしてハライチは、「だから犬を飼いたい」という漫才を披露した。結果としては5位。芳しい成績ではなかったかもしれない。
ネタを作る人間を「0→1」、それ以外を「1→100」とするならば、澤部は「1-100」の天才だった。
ハライチは、澤部さえいれば、岩井は「0→1」だけやればいい。「0→1」以上の発声や動作は必要ない。そう割り切ったのが、岩井が設計したハライチのノリボケ漫才だった。
岩井の発する単語の「1」を、澤部がすべて「100」に昇華する。
近年、盛り上がっている「受取師」トークの中で、岩井は何度も繰り返している。
「オレは、澤部が何をしても100になる言葉を言っている。だからオレの『0→1』に価値があって、澤部はオレの木偶だ」
あの夜から10年、いまだに澤部は、誰からも「やーつ」を振られる。そのたびに、澤部はけなげにそれに応じている。それなりの60や70を演じて見せている。
だが、岩井が澤部以外の誰かに「やーつ」を振ったことは、一度もない。
つまり、そういうことなのだ。岩井の1を100にできる木偶など、この世に、澤部以外には存在しないのだ。
■そして澤部の天賦と、膨大なインプット
澤部の最大の天賦、それはフォルムだ。
例えばノブコブ吉村が澤部のフォルムを持って生まれてきていたら。彼は間違いなく、今以上のテレビスターになっていたに違いない。
幼少期から、誰よりもテレビ・ラジオのバラエティをインプットしてきた澤部は、本能的に「テレビスター」こそが自分の生きる道だと理解していた。
そしてすべての振る舞いを「好感度を得る」というベクトルに全振りした。
ピンで呼ばれれば、あれほど自由に泳ぎ回れる芸人はほかにいない。
コンビで呼ばれれば、幼馴染という関係性を武器に、とっつきにくい岩井を無遠慮に突き崩し、弱さを露呈させることでコンビごと好感度を上げていく。
たくみもまた、テレビスターの資質を持った芸人だった。たくみがハライチ2人の要素を1人で抱きつつ、それを抱えきれず、まなぶには「好感度を得る」資質がない。
比較対象を挙げれば挙げるほど、澤部の無敵っぷりが際立っていく。
■誰よりもハングリーな澤部。
ハングリーな芸人といえば、それこそ相方の岩井。バカリズム、03飯塚、オードリー若林、山里、劇団ひとりあたりが思い浮かぶところだ。
だが、彼らはあくまで道を求めている。道を求めるとは、人気や好感度についてあきらめたということだ。
澤部はまだ、ここまできて人気や好感度を渇望している。町で顔を差されることに至上の喜びを感じ、自らの第3子誕生がネットニュースになっていないと知れば、夜通しエゴサーチを繰り返す。
この、好感度への執念こそが、澤部の最大の強みだろう。
それはアンジャッシュ渡部が追い求め、ついに自らの願望と欲望の狭間に落ちてしまった類の執念だ。
ハライチのターンを聞いていると、時おり澤部の家族に対する視線の冷たさに寒気を覚えることがある。
平気で妊娠中の嫁に手コキさせたエピソードを披露したり、娘を売春婦に例えたり、岩井が「離婚するつもりなの!?」と驚くほどの冷淡さを見せる。
大企業の社長令嬢をめとり、子宝に恵まれても、澤部の渇望は止まない。
第七世代の猛追も、澤部の目には入っていない。追っ手が目に入るのは、振り返る余裕がある者と、すでに抜き去られた者だけだ。
ただ全身全霊で、「オレを見てほしい」「ほめてほしい」と、絶叫し続けているのが澤部という男だ。
それが、そう見えない。だから、澤部は強いのだ。
ネット上の会社の悪評を見つけて対策する仕事(所謂エゴサーチ)してるが、フェイスブックでウチの会社の社員を名乗って色々変なこと書いてる野郎を発見した。
この野郎を放置してると、「●●の社員が、こんなヒドイことをフェイスブックで言ってる!」と悪評が立ちかねないので、なんとか対策したいのだが、どうすればいい?
ダメもとで、そいつに「あなた、ウチの社員名乗ってますが、本当ですか?社員名簿にありませんよ?」と警告メッセージ送ったが、黙殺された。
で、これが一番問題なんだが、フェイスブックは「自分の成り済まし」「友達の成り済まし」に対して報告するフォームは存在するが、「勤務先の成り済まし」を報告するフォームが存在しない。
「プロフィールが、規約違反である」という報告ボタンはあるので、そこをクリックしたが、その後に「どのように、オカシイのか?」を記入する自由記述欄が存在せず、いきなり報告となった。
案の定、「プロフィールに違反は確認出来ませんでした」という定形文が戻ってきた。
フェイスブックは日本事務所のメアドも電話番号も非開示だから、この野郎をフェイスブックに告発する手段が閉ざされてる。
どうすればいい?
ちょっと前に書いた文章(ってほどいいもんでもないが)が予想外にウケて、人生初ってくらいに反響があった。正直嬉しかったからしばらくエゴサーチしまくってたんだけど、物書きっぽい人が「嫉妬してしまう」みたいなことを書いてるのが目に入った。
衝撃的だった。俺は自分で言うのもなんだけど文章はヘタだしストーリーの発想力も全然ないし根気もないし、とにかく小説というものに向いてない。ので、あらゆる物書きを尊敬してると言っていい。小説家になろうに6話くらい投稿してエタってる作家すらすごい、俺は1話すら書き上げたことがない。内容とか質はどうあれ、小説を書いて公開してる人は全員すごいと思ってる。
そのすごい物書きの人が、こともあろうに俺の書いた(書いたってほど書いてないのだが)文章を読んで、「悔しくて何も手につかない」「酒を飲んで寝るしかない」みたいなことすら言っている。
興奮と罪悪感が混じった奇妙な感覚に襲われた。襲われたなんていうとちょっと白々しい感じがしてイヤなんだけど、ホントに胸が痛くなるような感覚があったしこのくらい言ってもいいだろう。
なんとも説明しづらいんだけど、つまりは自分より圧倒的に優れた人が自分のマグレに嫉妬してるのを見たときの感情ということですね。どう?劣等感の反動の優越感と、ズルまがいで勝った背徳感と、ズルまがいとはいえ勝ちは勝ち、みたいな汚い喜びと……
チョー気持ちいい、と言っても過言ではなかった。いや、申し訳なさというか、そもそも純粋に俺が書いたもんではないし、クソみたいな一発ネタだし、そんな嫉妬するようなもんじゃないですよという萎縮もあるんだ。でもやっぱりこう暗い喜びがあったことは否定しがたい。おうおう、参ったかオラ、ひれ伏せ、と、そういう気持ちも間違いなくあった。
俺が普段から物書きで、かつその悔しがってる人が普段は勝てない憧れの人だったりしたらストーリー性があったんだろうな。でも俺は増田に入り浸ってるだけの小説素人で、あの人はエゴサに引っかかっただけの知らん人だった。現実はつまらない。
それでもあのとき俺が抱いた感情は本当にかなりデカかったんですよね。それだけは伝えたい。いや別に伝えたくはねえな…吐き出したい?というか言語化したいというか……
マグレ当たりに知らない人がすげえ嫉妬してるのを見たときの感情、すごいですよ。ヤクいと言ってもいいくらいだけど、2度と味わえないだろうな。くそう…
同人界隈に身を置いているとTwitterで定期的に出てくる話。
「感想が欲しい」。これはわかる。
「小説は漫画に比べて手に取ってもらいにくい」。これもわかる。
「文字書きは絵描きに比べて感想もらう機会が絶望的に少ない。ゼロなんてしょっちゅう。」これはわからない。
小説に比べて漫画やイラストだと目につきやすい。わかりやすい。手に取りやすい。これはよくわかる。
Twitterでも同じ内容のことを文字情報だけで流すのと図解や画像を添えて投稿するのとでは反響が全然違う。
文字と絵では視界に入る、手に取るという行為のハードルが全然変わるんだろうなというのは痛感する。
でも、だからって、感想の量が劇的に変わるかというとそんなことないんじゃないかというか。
分母は変わるけど感想を送るっていう面倒な行為をしてくれる読者ってのはどちらもそう変わらんじゃないだろうか。
(分母がめちゃくちゃ大きければ、ある程度は変わってくるんだろうけど…)
「絵描きに比べて文字書きは感想もらえない」みたいな文字書きの被害妄想みたいなツイを定期的に見かける。率直に言って、この言い回しが嫌いだ。
漫画の本だって感想ゼロとかざらだし。いいねや閲覧数は小説に比べたら数字は大きいかもしれないけど、おっ良いじゃん!くらいのインスタントな反応が大多数だし。
紙媒体で考えても小説本は全然手に取ってもらえない!というけど、それが例え片手に余るほどの数だとしても、漫画本で同数しか手に取ってもらえない人もいる。
暗に「漫画なのに手に取ってもらえない」と突きつけてるようなものだと言われたら、なんていうんだろう。
自分は今は同人活動していない絵描きで、オンラインで壁打ちで作品を発表している。
でも活動していた頃はありがたくも壁に配置されたこともある。そこに行くまでに在庫を抱えまくったり失敗も多く重ねた。
感想に救われることもあれば渾身の新刊が全く反応なくてただ売れていくだけの状態に何とも言えない感情を持ったりもした。
文字書きの友人とプロット好感して合同誌を出したり、多くの文字書きさんと交流もしてた。その頒布数も反応の有無もそれとなく把握してる。
自分の経験や絵描きの友人との話から考えると、「手に取ってもらえる機会に違いはあれど、漫画か小説かという違いに感想の数はそれほど差がない」、と思っている。
結局隣の芝は青いでしかないな。と。
感想は欲しい。この欲求は当たり前だけど、感想がもらえないという嘆きに、「絵描きはこのくらい感想もらってるんだろう」「漫画だからこのくらい手に取ってもらえてるだろう」の前提は必要?