はてなキーワード: 演劇とは
もう10年かそこらくらい、ラーメンズや、小林賢太郎単独の舞台や作品を見ている。
この間も最新作の「うるう」(小林賢太郎の演劇作品、KKPに分類されている)を観てきた。
もちろん、彼らしい、素晴らしい作品だった。彼が38歳のおじさんに片足突っ込んでいる年齢とは思えないくらいの体力を舞台から感じられて、ファンとしてすごく嬉しかった。
でも、思うところがある。
ここのところ、小林さん、新しいことやってない気がする。
Potsunen、小林賢太郎テレビは同じ仕組を使って新しい話を繰り出してることが多い。(もしかしたら目立つので多いと感じるのかもしれない)
うるうもそう。まだ東京公演と大阪公演が残ってるはずだから、ネタバレは避けるけど、僕はこの舞台の随所に散りばめられた「笑い」は彼が「創りだした」「過去の手法」を使ってる部分が多かったと感じた。
僕はもうそろそろ小林賢太郎がつくりだした「新しい」「表現方法」を使った「笑い」を見たい。
そして、うるうを観て、小林賢太郎は、自分で自分自身を収束させようとしているのかなと感じた。
過去自分が創りだした手法を用いて表現し、客席を笑わせる彼を観て、自分も声を上げて笑いながら、ふと、そう思った。
僕の杞憂かもしれないけれど。
いうなれば、ロックバンドの解散前みたいな感じだ。ライブで昔の曲をやり、昔からのファンはしみじみする。解散ライブではそのバンドの集大成、総集編みたいなセットリストで〆る。
ラーメンズ本公演が何年もやらないのは、ファンとしては当たり前のことだ。いつまでもゆっくり待ち続ける。
上に書いたことは僕の思い過ごしであればいい。切に願う。
ちなみに、僕は「男女の気持ち」が一番好きなコントです。
くっせえ糞まみれのマンコ広げて公衆でオナニーしてそれがセルフプロデュースとかいいやがって超不愉快なんだよクソ女。
下手すぎて誰からも相手にされなかったから一人演劇モドキやってんだろ。
ちょっと文句言われればわたしは楽しくやりたいだけだとかゴミ以下の人間の言い訳。
てめえのおかげで人生史上最悪の年末年始だったわ本当にありがとうございました!
何もかもぶっ壊して本当に楽しかったでしょうね
ニ度と俺に関わるな。
以下はショッピングカートに入れておいたけど買わずに削除することにした作品一覧。(☆はAmazonじゃなく書店で買った本)
◆社会
第三の波 (中公文庫 M 178-3)
富の未来 上巻
レクサスとオリーブの木―グローバリゼーションの正体〈上〉
余震(アフターショック) そして中間層がいなくなる
いま〈アジア〉をどう語るか
☆困ってるひと
西洋哲学史 1―古代より現代に至る政治的・社会的諸条件との関連における哲学史 (1)
チーム・ファシリテーション 最強の組織をつくる12のステップ -
チーム・ビルディング―人と人を「つなぐ」技法 (ファシリテーション・スキルズ) - 堀 公俊
白熱教室の対話術
ご機嫌な職場
ゲームストーミング ―会議、チーム、プロジェクトを成功へと導く87のゲーム
ロジカル・ディスカッション
☆ディシジョン・メイキング―賢慮と納得の意思決定術
☆話し方入門 新装版
◆マネジメント論
なぜリーダーは「失敗」を認められないのか―現実に向き合うための8の教訓
◆人事・モチベーション論
「見せかけの勤勉」の正体
モチベーション3.0 持続する「やる気!」をいかに引き出すか
図解 きほんからわかる「モチベーション」理論 (East Press Business)
人を伸ばす力―内発と自律のすすめ
リーダーの値打ち 日本ではなぜバカだけが出世するのか? (アスキー新書)
「働きたくない」というあなたへ
日本人事 NIPPON JINJI~人事のプロから働く人たちへ。時代を生き抜くメッセージ~
会社は変われる! ドコモ1000日の挑戦
働きながら、社会を変える。――ビジネスパーソン「子どもの貧困」に挑む
「発達の最近接領域」の理論―教授・学習過程における子どもの発達
心の仕組み~人間関係にどう関わるか〈上〉
☆わたし、公僕でがんばってました。
◆自分の演出
あなたの魅力を演出するちょっとしたヒント (講談社文庫) -
対話のレッスン
演技と演出 (講談社現代新書)
見城徹 編集者魂の戦士―別冊課外授業ようこそ先輩
「しがらみ」を科学する: 高校生からの社会心理学入門 (ちくまプリマー新書)
パブリック―開かれたネットの価値を最大化せよ - ジェフ・ジャービス; 単行本
「ヒットする」のゲームデザイン ―ユーザーモデルによるマーケット主導型デザイン
◆その他
幸福優位7つの法則 仕事も人生も充実させるハーバード式最新成功理論
残念な人の仕事の中身 ~世界中の調査からわかった「組織で評価されない人」の共通点
ベスト・パートナーになるために―男と女が知っておくべき「分かち愛」のルール
新・絶望に効く薬
千の顔をもつ英雄〈上〉
はじめて考えるときのように―「わかる」ための哲学的道案内 (PHP文庫)
☆料理の四面体 (中公文庫)
結ぼれ - R.D. レイン
あるヨギの自叙伝
◆読み物
☆ダイナミックフィギュア〈上〉
☆ひとびとの跫音〈上〉 (中公文庫)
MOTHER(マザー)―The Original Story (新潮文庫)
☆空の都の神々は (ハヤカワ文庫FT)
ゼウスガーデン衰亡史
生贄のジレンマ
Carver's dozen―レイモンド・カーヴァー傑作選 (中公文庫)
塩壷の匙 (新潮文庫)
☆姫椿 (文春文庫)
☆お家さん〈上〉 (新潮文庫)
ストレンジ・プラス 1 (IDコミックス ZERO-SUMコミックス)
聖なる血 (扶桑社ミステリー) - トマス・F. モンテルオーニ
スノウブラインド - 倉野 憲比古
少年の国―MYSTERY OF NEW RELIGION
ソドムの百二十日
悲惨物語
めちゃくちゃ面白かった。もうワクワクしながら読んだ。
ひとことで言うと、もしドラの完全上位互換Verの物語。(※)テーマは鋭いながら荒削りだった作品をプロの手で洗練させました、という印象の内容になっています。
もしドラが「高校生」のための物語だとしたら、シアター!は「大学生(特に就職活動前)」に読んでもらいたいです。というか私が就職活動を目前に控えている大学生なので、今読めて本当に良かったと胸が震えてます。
本当は今の時点の感想をダーっと書き連ねたい(私はキャラメルボックスとか見に行くのが好きで、主催の方の本とかも読んでて、その本との関連とかもう観客視線から見た演劇の話とか語りたいことはいっぱいいっぱいあるのです)のだけれど、この話は就職活動中何回も読んで、自分の体験と照らしあわせながら読み深めていきたいと思ってるのでまだ書きません。就職活動がうまくいったら、その体験も踏まえて語りたいと思います。
とりあえず、今回は就活を共にする同年代の人にぜひぜひ読んで欲しい、この作品共有したい!と思ったので一足先に「面白いぞ-!」って絶叫しておきます。社会人になるってどういうことか、社会人として考えるというのはどういうことかっていうのが、ネガティブでなく前向きなイメージとして自分の中に入ってきます。
子供の頃に「機動警察パトレイバー」を読んで「大人って汚いなぁ。でも格好いいな」と思った人なら絶対気にいると思います。もう今から就活中に知り合った人に進めてまわる気満々ですよ。ついでにパトレイバーを語れる仲間みつけてやる。 なんだか就活が楽しみになってきたー。やるぞー。
他にも、就活前の大学生に「これ読むといいぞ!」「これ読むと元気がでるぞ!」みたいな読み物があればぜひぜひ紹介して下さると嬉しいです。あとできればニュースサイトの方とかで、この作品読んだかたいらっしゃったら、私の記事の紹介はいいので「シアター!」面白いぞって広めて下さい。お願いします。
(参考)
私の「もしドラ」についての感想はこちら。(今から読み返すと頓珍漢ななこと書いてます)
http://anond.hatelabo.jp/20111110101750
前に書いた就職活動についての記事。
http://anond.hatelabo.jp/20111021103234
※この本読んで、なんでもしドラが大ヒットしたのか、とかもしドラの作者の強いな姿勢ってのは作り手としてとても大事なのだ、みたいなことがまた少し分かった気がします。小説としてではなく、大人の仕事としてみてみると「もしドラ」の成功に学ぶことはたくさんありそうです。単に読み物としての優劣を考えると「シアター!」が完全に「もしドラ」の上ですが、それでも「もしドラ」のほうが売れる。この作品で語られるルールに従ってもそうなる。そういうことを認めるあたりから仕事についても考えたいと思います。
あの頃の僕は、毒の唾で世界を汚すことが無常の喜びだった。本や
映画で得た受け売りの理論で身近な大人たちを追い詰め、彼らを軽蔑
することだけが生きているリアリティと感じていた。目で見える世界のほと
んどが許せず、ニ十歳まで生きていることはあるまいと本気で思っていた。
あの頃、高校時代、僕にはFという同級生のガールフレンドがいた。
正直、彼女を好きでもなかったのだが、女のひとりも口説けないのかと
周囲に思われるのが癩だったのでなんとなくつき合っていた。二人で観る
映画はいつも二番館の面倒臭そうなアート系の映画で、Fは僕に映画の
解説を求め、僕はそんなたわいないことで男のプライドを保っていた、どう
せ刹那的なつき合いだと酷く冷め、やがてくる彼女との別れの日をドラマ
チックにシミュレートして悦に入っていた。そんなある日、Fが僕を演劇に
誘った。芝居はテレビで紀伊國屋ホールを収録したようなやつを観たこと
がある程度で、それもおそらくそんな感じだろうとまるで期待していなかった。
が、打ちのめされた。体の震えが止まらなかった、舞台音楽が僕を子供の
頃の暗闇の恐怖にいざなった。その後、Fは地方に就職先を決め、卒業
の日、明るく「さよなら」と僕の前から去った、以来、彼女とは会っていない。
結局、見透かされていたのは僕のほうだった、そして間違いなく、あの頃、
彼女は僕の母だったのだ。今回、シーザー氏の歌に僕が固執したのは、
あの頃の無知な自分と母との時間を追体験したかったからかもしれない。
存在するものがこの世界にはある。我々の前では、美しすぎたり、
醜悪すぎたり、日常であったりして、正体は曖昧なものと感じられ
ているが、それは確かに、明確にこの世界に存在するはずなのだ。
私は、それをアニメーションという手段で整理分解して、判りやす
く伝えようとは思っていない。セル画で数値化、セリフで言語化でき
る部分だけを抜き出して、それを伝えようとは思っていない。むしろ
段を使って、混沌のまま明瞭に、確かに存在することを示したいのだ。
私は、光宗さんと上谷さんを尊敬している。二人は紛れもなく、
十四歳の頃、僕は学校が嫌いだった。いや、正確には、学校という名の世界での自分の状況が嫌いだった。
その頃は、いわゆる“校内暴力”なるものが全国的に取り沙汰されていた時期で、僕の通ってい
た学校も例に漏れず相当に荒んでいたと思う。生徒が教師の胸ぐらをつかみ上げ授業中断、など
ということも珍しいことではなかった。学校とは箱庭ではあるが、言うまでもなく「ひとつの社会」で
あり、「現実世界のミニチュア」だ。その社会の中で、僕は凡庸な者だった。休み時間にトイレでタバ
コを吸う勇気も、教師の胸ぐらをつかむ勇気もなかった。そして、僕はそのことが嫌で仕方がなかっ
た。子供だったが、凡庸が美徳だなんてウソだってことぐらいは知っていた。「ミニチュアの社会」の
中ですら凡庸な自分に控えている未来.凡庸な人生の予感に言い様のない絶望を感じていた。
あれから十数年。現実は残酷で、やはり僕は凡庸なる大人になってしまった。絶対に裏切って
はいけない人を、何人も裏切ってしまった。そうまでして手に入れたのが、凡庸なる自らの姿だった。
だが、いかなる夢も見ることを禁じられたこの世界で、僕はまだ密かに夢を見ている。まだ密かに
モラトリアムでありたいと甘えている。そのことを「少女革命ウテナ」はうまく表現できただろうか…。
J・A・シーザー氏の音楽を、僕は遥か十代の頃に体験した。氏の音楽はその時から、そして今も変わらず僕
シーザー氏と仕事の機会を得ることができたのは、ひとえに大月プロデューサーの手腕によるところだ。
いや、実はそのことだけではない。大月氏は、アニメーション作品「少女革命ウテナ」を世に送り出すために、
多大なリスクを負った。我々スタッフは、その彼のリスクの上に、完全な創作の自由を与えられたのだ。「自分の
若さと可能性を信じろ」などと言うインチキな大人には数多く出会ったが、リスクを負うと言うことを体現して
見せる大人に出会ったのは初めてだった。もちろん、僕自身もリスクは負っていたが、彼のそれは比べようもなく
大きかったはずだ。にもかかわらず、彼が僕にリスクを強要したことは一度もなかった。彼は、作品作りにおける
リスクの尊さを改めて僕に教えてくれた。そしてそのことは今回の作品制作において僕個人にとって貴重な
モチベーションになった。おそらく「少女革命ウテナ」という作品は、僕と大月氏の共同監督作品だったのだ。
だから、ある意味で僕は敗北者なのだろう。なぜなら、僕は絶対に裏切ってはならない友人を、数多く裏切っ
「女の子はみんな夢見るマリーアントワネット」って話聞くと違和感をもつ。
小さい頃は確かにドレスに憧れたけど、読書をしないことやダンスや演劇に興じるって理解できなかった。
「錠前作りばかりに興じて、重度の真性包茎で不細工でのろま」とバカにされてもルイ16世の方が理解できた。
「ルイ16世か王妃マリーアントワネットに生まれ変わらなければなりません。しかし歴史は変えられません。」
っていわれたらルイ16世を選ぶ。
例え、王権についた時点からルイ14世からつづく財政困難と戦争への莫大な出費を減らそうと努力しても実らなかろうと、
婚前に当時の不衛生な手術に耐えて王妃に無事「初夜」を迎えさせても愛されることなく、非難の的となる浪費をやめさせようともしても無駄としても、
本を読む楽しさと自ら当時の高級なガジェットを作り出す喜びは、着飾る喜びと比べて色あせることがないと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20110422235719
ブコメで「エヴァに呪われている」とか「エヴァ脳の恐怖」とか「エヴァをアニメの物差しにしている」といったコメントを見て、なるほど的を得ているなと。
そして残念ながらid:kyo_ju、ネタじゃない。マジで書いた内容なんだ…orz
てか自分でもマジでエヴァ脳だと思う。じゃなきゃ増田で書かない。
俺がこんなコメントを普通のブログに投稿してる奴をみたら、とりあえず全力で叩く。
何でだ?
自分なりに考えてみたんだが、エヴァに前のめりで楽しんでた人達、というか後ろに引いて見ることが出来なかった人達は、
エヴァが終わった後の娯楽としてそれぞれ別個の道に進んで行ったかと思う。
まずアニメという枠に傾倒する道。
アニメは当時の世相を反映してか「自分探し」のような内容か、あるいは「萌え」に特化した内容ばかりだった。
自分探し的な部分は十分エヴァで堪能したし、萌えは視聴者が勝手に後付けするものであって主食として作者が提供するものじゃないものと考えているので無理だった。
SFは─漫画だろうと小説だろうと、作者の設定自慢ばかりで人の営みが希薄なのが多かった。「イカにSの面白さを最大化するか?」が最大の関心事になっている世界だった。
Fだけでいいから人間ドラマが欲しくてSFの道には進まなかった。
※その中で何故か『BLAME!』だけは面白いと思ってた。我ながらかなり謎。
「設定?誰がんなもん語るか。察しろ。」というスタンスがよかったのかも知れない。
あるいは設定の説明がない分、人間(と愉快なクリーチャー達)の営みに思考が集中できたせいかも知れない。
自分は娯楽なしで生きられるような人間ではない。おそらくは他の人もそうだと思う。
大人になって仕事や家事に忙殺されても、アウトドアや人付き合い以外の何かしらの娯楽を大なり小なり楽しんでるんじゃないか。
人によって、それが映画だったり、ドラマだったり、推理モノだったり、歴史モノだったりすると思う。
自分は「エヴァの次の娯楽」として、最終的に「古いモノ」を選んだ。
小説に手をだし、散々色々な誇大広告に騙された結果、最低10年以上「これは良い」と語られる小説は、少なくとも個人の趣味で好き嫌いはあっても外れはないことに気づいたからだ。
そしてこの単純な法則が、小説という枠だけでなく他の枠にも当てはまることを知った。
「古いモノ」を楽しむコツとして、「その当時の世相や時代背景を同時に知る」ということ。
今ではやや物足りない部分があったとしても、当時としては革新的な技術や手法、あるいは独自の視点が盛り込まれていたために長らく語り草になることが多い。
それと同時に他人の解釈をガン無視すること。例えるなら、どれだけ権威ある人が「このキャラはツンデレだから萌え」と言っても自分が「ツインテールだから萌えであってツンデレなのはどうでもいい」なら自分の直感に従って楽しむこと。
こんな風に古いモノ、かつ娯楽として時代の振り落としを生き抜いたモノを、自由気ままなオレオレ解釈で楽しみ、アニメを見なくなった結果、自分はアニメの物差しはエヴァとジブリと千年女優だけになったorz
敢えて弁明、というか開き直らせていただければ…
だって仕方ないじゃん!1年間で1割より少ない程度で面白いアニメは出てると思うよ?
けどその1割弱を探すためだけにアニメの世界に飛び込めば、まさに「渡る世間は萌えばかり」、あるいは「前門の厨二アニメ、後門の監督が厨二の自称芸術unkoアニメ」ばかりじゃん!
アニメの作り手にしても、ちょっと成功して有名になるとすぐ芸術気取りしたり宮崎駿の後継者気取りしてばっかじゃん!
そんな中途半端なことをするくらいなら、いっそワーグナーみたく「アニメはただの芸術じゃない。神聖な祭事だ!」ぐらい突き抜けつつ「よろしい!私に投資する権利をやろう!」的なノリで資金調達&製造とかやれるだけの実力と人間としてゲスな気概を持って挑めよ!>ヤマカン、細田
特に'00年代は酷かったよ!観客の声を聞かずに監督が見たいアニメか、大向うの観客の声しか聞いていないアニメばっかだったよ!
「そもそも今客席にいない人を、どうやって小屋に来てもらうか」を考えている人なんて皆無だったよ!
00年代はまだブロードウェイ- ミュージカルの方が観客を呼ぶためのモノ作りをしてるよ…
例えば「Wicked」はファンタジーで低年齢児を釣り、女の友情で少女を釣り、あげくに社会派的要素で親を釣り上げる万能釣り竿だよ。
「Next to Normal」なんて狂気の中から家族愛を導き出すーそれも母親が主役でーっていう化け物ミュージカルだよ。
ミュージカルってさ、親しみが無い人には「子供が見るモノ」あるいは「軽いモノ」ってイメージがあるんだ。
酷いと「演劇と歌が同居する必要性がないんじゃねーの?」って言われる始末www
まぁ当然だよね。舞台としては戯曲という枠が、歌劇としてはオペラという枠が、ダンスはバレエという枠が、技巧も歴史も名作も持ってる。
けどミュージカルが子供やミュージカル自体にマニアックな人ばかり相手にしてたってお金にならない。
彼らが飯を食っていくためにミュージカルという枠のファンを増やすしか無かった。
かと言って技巧だけで挑めば間違いなく他の枠に負ける。
だから彼らはあらゆるものを取り入れ名作を作り上げた。
例えば古典の悲劇の恋愛をベースに、彼らの身近にあるダンスや風俗、そして身近にありすぎるマイノリティへの差別問題を注入したWSSとかね。
そういったことを繰り返し繰り返し続けた結果、今のブロードウェイミュージカルの地位が出来上がった。
アニメを作ってる側の人からも、「売れない、売れない」という声ばかり聞こえた。
けど自分からしたら、なんでアニメを作ってる人は「今、テレビの前にいない人」を捕まえようとしないんだろうと思ってた。
筋を古いモノから流用し、装飾や人々を今の時代に合わせ、最後の結末に自分たちのメッセージを盛り込む。
これだけでも十分面白いモノが出きるのに。
「守破離」の全部が大事なのに、今のアニメは「守」だけ「破」だけ「離」だけみたいに、個別の実装しかないものが多い気がする。
「魔法少女」っていう小さな視野で見ても、かなり綺麗に守破離してる。もちろん違う角度から見たときにも様々な守破離があるのがまどまぎの魅力。
けど、きっともう後16年くらいは守破離をしっかり出来たアニメは出ないんだろうなぁ…
まどまぎの脚本の人は「ロボットものを書きたい」って言ってるらしいから、おそらくロボットを書くのに夢中になって客席を見なくなるか、大向うの客席しか見なくなる。
そうすると悲劇が好き過ぎる人みたいだし、シェイクスピアを消化しないままシェイクスピアの再発明を得意気にしちゃったりするんだろうなぁ…
かといって他のアニメの作り手は、まどまぎのパラメーターだけみてメソッドを見ず、もっと酷いものを作るんだろうし…
「処女厨がウザい・怖い」的な発言をよく作り手側のコメントで見かけるけど、
なら小デュマみたく処女厨を逆手にとって、ビッチであることが生きるために必然である椿姫を処女厨の目の前に置いて、
「それでもお前らこいつを罵れる?」といけしゃあしゃあと言ってのけるような人は今までいなかったし…
私は大学生のとき芝居をやっていたことがある。公演の準備のために劇場を整えることを「仕込み」と言って、だいたい10時間くらいかかる。学生演劇ではそれが普通だった。
大学を卒業してから小劇場活動に関わった。何年かすると「プロ」と関わる機会に恵まれた。出資金は全員同じだったので、企画段階から同等の立場で興行に関わった。計画を立てるとき「仕込みには10時間くらいで」と発言したらプロに目を剥かれた。「この規模の劇場なら、どれほど凝っても2時間で終わる」と断言し、実際に、その通りに終わった。
たいした社会経験の無い私ですら、段取り一つで掛かる時間は何倍も違うということは知っている。
リーダーだって、もちろん知ってる。今回は「全員が関わること」を優先したのかも知れないし、「バケツを買うお金をどこから出すか」の決断が出来なかったのかも知れない。
元増田に出来たことは、自分がプロであることをリーダーに明かし、段取りを変えることで「みんなの作業負担を軽くする」ことが出来るかも知れないと訴え、もっと、全体を俯瞰するために必要な情報を教えてもらうことだったのではないか? 全体を見れば、リーダーと同じ結論を出したのかも知れないし、リーダーの危惧を回避しつつ効率化を図ることが出来たかも知れない。
・絵を描く人
・歌をうたう人
・演劇をする人
みたいな人がいるとする。つっても、上に挙げたのはあくまでも例で芸術や芸能だけに限らないけど・・・
歌を歌っているところや役を演じているところで「この瞬間が私(俺)なんだ」と言ったら
彼らのアイデンティティがそれということになる。
そういう人たちに「あなたの魅力はXXXです」って言うときに、XXXの内容が全然違うところだとしたら
それは相手への侮辱につながるんだろうか?
昔付き合った女性に「そんな所じゃなくて、もっと私のこういう見て欲しい」みたいな所を昔言われたことがあるんだよね。
でも自分は歌を歌ったり絵を描いたりそういう所に惹かれたわけじゃないんだよ、と正直に告げたら悲しそうな顔をされた。
まぁ、神事としての出し物・・・演劇のようなものと考えれば八百長でも問題ないな
ただ、神事であるのに騙していたことが問題なわけで
これは演劇の話だけど
話と話の間を無理に繋ぐ必要はない。
話を作っている方は、話と話を合理的にいかにつなぐか?って事考えるけど
見ている方は、そんなん気にしない。暗転があるのは何のためだと。言われたことがある。
急に場面が変わるのは読者も慣れている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/プライド・運命の瞬間
左派系の識者やジャーナリストからは、「右翼映画」との批判や上映反対運動が起こり[9]、製作した東映の労働組合を中心に「映画『プライド』を批判する会(事務局長:高橋邦夫)」が結成され、公開中止を東映に申し入れたが、最終的に東映系145館の映画館において公開された[10]。
10.^ 映画演劇労働組合連合会(中央執行委員長:高橋邦夫)は、この映画や『ムルデカ17805』については上映に反対し、『靖国 YASUKUNI』については表現の自由を根拠に上映するように主張した[1]ことから、大原康男や井沢元彦などから、そのイデオロギーからの二重基準を批判されている(『産経新聞』2008年4月23日)。井沢は、『靖国 YASUKUNI』では表現の自由の危機を訴え、公開への圧力や妨害を批判した高橋が、『プライド・運命の瞬間』に対しては全東映労働組合連合会の中心人物(副執行委員長)として「検閲」をおこない、「侵略戦争美化の映画」のレッテル貼りをおこなったことや公開中止の圧力をかけていたことを挙げ、「このような二枚舌の人間に「表現の自由」を語ってもらいたくない」と述べている(『SAPIO』2008年5月14日号「SAPIO'S EYE 特別版‐映画『靖国』論争で思い出すべき10年前の「上映中止要求」事件/井沢元彦」)。
↓こんなことを言ってるのもいるが。3羽の雀の日記なる「はてなから真実(キリッ 」か知らないが、瀬戸弘幸界隈に粘着している。
http://d.hatena.ne.jp/three_sparrows/20110115/p1
気に食わない表現の取締りを求める瀬戸弘幸サンが「言論・表現の自由を守るシンポジウム」を主催するという茶番とか言ってるけど、気に食わない表現の取り締まりを団体でしてきたのがサヨクだから。サヨクがしてきたのは、茶番どころじゃないよ。瀬戸弘幸どころじゃないんだが。映画のプライドでサヨクが何をしたかを知ってるのか?まぁ、かいつまんで少しは知ってるかもしれないが、あれは本当に、相当ひどかったね。そして、あのサヨクどもが表現の自由、言論の自由を守れー!とか言ってるのさ。
本当にサヨクって腐ってるよね。
瀬戸弘幸とか個人がどうとかでなくて、映画のプライドはサヨクが団体で上映するなって言ってたんだよね。完全な表現の自由の制限だよ。表現の自由を言うサヨクのリトマス紙の一つが映画のプライド。
在特会が表現の自由、言論の自由を言うなとか言ってるのは、プライドの上映中止を求めたようなサヨクにこそ猛烈に批判しないといけないが。映画プライドなんか上映するなという側に立つサヨクが、「左派知識人」とかいうのにいるわけだよ。サヨクって、イデオロギー次第で表現の自由規制派にもすぐになるからね。
結局、サヨクが言っていることは自分の気に食わない表現はするな!ってだけで、表現の自由なんかどうだっていいというのは、プライドの件でも分かる。
正直、嵐とかakb48とか、その他アイドルに熱中してるやつとか
どーにかしてるぜって思ってたんだ。2010年の途中までは。
なんで、そんなに熱中しなきゃいけないんだって。
普通のおじさんやおばさんが「嵐いいね!AKBの前田も篠田もいいよ!」
かもしれない。その逆で批判的なことなら、ガンガンと話のネタに
するのかもしれないけど。
個人的には、若い子たちがキャーキャー言ったり騒いだりするための
っていう見方が大半だと思う。
前で公言して、そういったアイドルグループに本気になる
大人が大量にいたら一般的にはおかしい気がする。
自分は、そう思ってた。あの時までは。
そう、ももいろクローバーに出会うまでは。
フシギなアイドルグループだと思った。
聞いてみたけど、その時は、怪盗少女と走れ、以外は
ろくなもんじゃないと思った。
そのろくでもない歌に価値があることを知った。
歌だけ聞くと、ろくなもんじゃないんだけど
舞台作品になった。
本格的な芝居やミュージカルとは比べ物にならないっていうのは
よくわかるんだ。自分も実際にNYに行ってブロードウェイ見てきたから。
挑戦していてスゴイと思うんだ。
だけど、ももいろクローバーを見た時に感じたのは
そういう種類の感動じゃなくて、「学校の文化祭が上手くいったよ!」
みたいな種類のものだった。
すごい感動するじゃん。そういう感動。
それが楽しいって思える。
実際に、自分もチケット買って、ももクロの世界に入ってみたけど
普通の日本社会というワールドにいたら、決して見ることのなかった
景色なんだよね。
「ああ、こういう視点のスライドっていうのは何年ぶりだろう」
みたいな感動があったわけ。
その代表的なのが、次のやつだろう。
「同じCDを何枚も買わしたり、金を払って握手したり、写真とったり
するなんて、会社のオッサンたちに搾取されていることに気づいてないの?」
自分は、ライブには行っても、同じCDを何枚も買ったりとかしてまで
これからもしないだろう。だがメンバーの生写真は一枚づつは購入する。
これなら映画館に行ってポスターを買うのと同じレベルだと思う。
ああやって、一般的には「搾取されている」部類の人たちというのは
それが好きでやっているんだから放置しといたら良いんだと思う。
普通なら金が底をついたら諦めるでしょう。
ビジネスの手段であって、それで実際に儲けになっているんだから
車をディーラーで買ったことのある人ならわかっていると
売る時にだって、あれもこれもつけたらもっと安くするとか
いろいろ必要ないようなサービスまで付いていたりする。
進んで買いに行かないよね。
ブランド料を払ってでも、服や車を買うわけでさ。
まあ、デザインとか色々理由をこじつけようと思えばつけられるけど。
何にでも難癖をつけて、あれがダメ、これがダメっていう人たちは
結局その人自身がダメってことに気づいていない。そういう人たちに
「そんだけ偉そうなこと言ってるあなたは一体どんな人なんですか?」
まあ、かつては自分もそうだったんだけどね。
人それぞれ、そうやって良い点っていうのが必ずあって、それを
見いだせるかどうかっていうのが、重要なんじゃないかなって思ったわけ。
悪い点を見つけることっていうのはすごく簡単なんだけど
良い点を言えっていわれると見つけるのに四苦八苦する。
以前、アメリカで暮らしてた時に、ひどい人種差別にあったわけ。
日本人っていう以前に、アジア人っていうことだけで、殺されそうに
なったりね。そんな時に、ホームステイ先のおじいちゃんが
言った言葉があるんだ。
「いくら酷い悪口を言われようとも、その場では、そういうことを言った人
だけが愚か者であって、自分の愚かさをわざわざ言いふらしているような
というわけで、まあ、そういう経験があったんで、
「ももいろクローバーの世界」を知っている人からしたらso what?だから。
あと、ファンのストーカー化っていうのは別問題で
それはその人が悪い。
色々書いて長くなってしまったけど、「ももいろクローバーの世界」
が好きだからそこにいるだけで、嫌になったら帰って来るだろう。
なんか宗教みたいな世界だが、要は信じるか信じないかっていうことだと思う。
小学生時代のこと。
授業か何かで演劇みたいなのをやる機会があり、その練習のために放課後、誰かの家に集まることとなった。
地理的な関係で自分の家に劇のメンバーである男子女子が数名集まったのだが、入るなりみんな「わーっ!!」と家中(1F〜2F)をドタバタしまくり(なんだろう、絵に描いたようなわんぱく小学生というか…)
クラス内の授業のグループだったから、日頃お互いの家に行きあって遊ぶ友人関係とは違うのだが、そのあまりの違いに面食らった。
自分が「ちょ、ちょっと止めてよう!」と言っても当然聞く訳がない。
後で母親が「なんなのよもう!」と嘆いたので知ったのだが、どうやら冷蔵庫をパカパカ開けて遊んだやつもいたらしい。初めて入った人の家でやるかなあ?(自分的には親しい友人の家でもやらない行為だと思うのだが)