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はてなキーワード: 諸悪の根源とは

2022-12-30

anond:20221221162735

円高絶対悪」「デフレ諸悪の根源」「デフレ貨幣現象であり、金融政策で変えられる」

について、1はどちらでも良い。2は正しい。3についてはリフレ派も新自由主義も同じ過ちをしてるだろ。

まだ財政出動必要だと気づけて3を捨てただけリフレ派は正しいだろ。MMT自国通貨建て国債外貨借金政府にとって別物だとわかってきたから。

新自由主義は小さい政府緊縮財政固執してるから、経常赤字垂れ流しで外貨がないイギリスの話をわざと巻き込んで緊縮財政ほざいてるけどさ。

金融政策がだめとして、財政税制対策うたないとして、一体何ができるの?アホをおだてて無理強いして使い捨て起業イノベーションだほざく悪趣味人形遊び?

2022-12-27

例えば、変な連中が「共産主義のような暴力思想学校で教えるな!」と騒いだとして、共産党員が「教育自由侵害だ!」などと騒いでしまうと、「つまり教員個人の信念で政治思想を教えようとしているってこと?それって教育基本法第14条2項に反しない?」という反論が成立してしまう。そうなってしまうと、「憲法違反法律無効!」のような再反論も流石に厳しい。

ここで共産党員立場から本当に言いたいことは「少なくとも共産主義暴力思想ではない」という話なわけで、「共産主義教育を、教育自由として認めるべきか否か?」というところに論点がズレ込んでしまうと議論はどんどん間違った方向に進んで行くよね。

とは言え、そうした誤謬責任が全て「共産党員反論が雑だから」という点にあるとしてしまうのは非対称なわけで。そもそもが「共産主義暴力思想」というレッテルを貼った連中こそが諸悪の根源であることも共有されなければいけないわけで。

公共空間と「表現の自由」に纏わる諸々の議論も、そういう誤謬に陥ってるんじゃないかなぁ。

2022-12-21

はてな運営はこのリストのやつ全員2週間利用停止にして、その結果はてなブックマークがどう変わるか事件してほしい

https://anond.hatelabo.jp/20221221101018

その結果はてなブックマーク空気が良くなるなら、こいつらが

諸悪の根源なので垢BANすればよい

ただし2:8の法則で今後もこういうやつらは定期的に出てくる。

その際にこいつらよりひどかったかどうかが判断基準になる。

なんか年々仕事が遅くなってる気がする

12月ちゃんこ忙しくてまじで休日ないんだけど

休日に朝から晩まで仕事しても、「あれ?進んだのこれだけ・・・?」っていつも思う

平日も同じ

 

平日はまあ周囲のお世話とかも増えたし仕方がないかなという面が無くもないんだけど、

一人で集中できる休日効率も落ちてきているのが本当に残念

なぜなんだ

しょっちゅうツイッター増田眺めてるからかな

うおおおおおお!!!!!諸悪の根源イーロンマスク許せねええええ!!!

2022-12-14

トンキンって都合の悪いことあるとすぐに上京してきた地方人になすりつけるよな

バカウヨ在日なすりつけるみたいに

そんなに地方人が諸悪の根源だと思うなら人の流入シャットアウトしててめぇらだけでやれよ

ついでに農産物も電力もトンキンの外に頼るな

2022-11-28

anond:20221128070212

端的に言ったらそれだね。諸悪の根源

しか広告に勝るモデルはなかなかないんじゃよ…

2022-11-25

anond:20221125190747

そっちじゃなくて創価大勧めてる方がひどいと思った。

しまされてる諸悪の根源増田をすがらせるのかと。

anond:20221125043012

そういうても、諸悪の根源ひとつインフルエンサーには手も足も届かないし、せいぜい身内にしょぼい嫌がらせするくらいしかないじゃん。

潰れるコミュニティなんか、小さいやつでしょ。

大きな復讐ができますよみたいなこといってるけどできないのが現実

2022-11-24

サッカーが嫌いだ。

子供の頃から積み重ねられたサッカーに関わる人間への憎悪が消えない。

 

とにかく子供の頃から印象が悪い。Jリーグ元年辺りがほんのりと子供の頃の記憶にある年齢だが、とにかくサッカーが大嫌いだ。

プレイヤーファン(サポーター)も、W杯の時だけバカみたいに盛り上がる民衆も、周辺の物すべてに腹が立つ。

 

第一プレイヤーいけ好かないクラスの上澄み、カースト最上位の人間がやっていた印象が強い。

自分たちの言ったことすべてが通ると思いこんでいるクソ性根。少人数の別意見とか見えない聞こえない。陰キャには人権ないと言わんばかりの扱い。ど田舎なのでサッカー派はほぼヤンキー同意。ソリが合わない奴のほとんどがサッカー派だった。

そういう何でも出来る奴に見下されるようなタイプからこそ余計に苛立つ。ポールをぶつけられた事すらある(サッカープレイヤーからすれば避けられない方が悪いことになる)

 

サッカー見てない、見たくないと言ったら非国民扱いされたこともある。別に日本代表世界と戦ってくれとか頼んでねぇんだけど、応援しないと国籍すら取り上げてくるのかよ。

 

サッカー部は規律クソゆるで素行不良の数も多かった。近付くだけで派手な馬鹿が移りそうなのがサッカー野郎共。徒党を組んで他人馬鹿にすることでカーストを確定させるクズども。格好いいを履き違えて派手な格好をしてるやつもサッカー部ばかりだった。社会ルールマナーなんて存在してない世界に生きてる奴らが多すぎる。

 

成人したプレイヤーすらも見た目が派手で苛々する。幸い近年はマイナー寄りの扱いで中継などは少ないが、ニュースなどで目に入るとこいつ等がこんな格好してるのが諸悪の根源なんだろうと苛々する。

派手な広告塔が格好つけて見せることでそれに憧れたバカガキどもが真似をする悪循環パフォーマンスと言う名の自己満足自己陶酔が酷すぎる。他のスポーツでも大なり小なりあるだろうがサッカーはあまりにも鼻につく。

頭の変な紐も手首足首の変な紐(ミサンガ)もそのバサバサ髪型スポーツには要らんだろ。たくさん走るんだから乱れる髪で格好つけはなくていいだろ。どんなスポーツ選手必死にやってるだけで十分格好良く見えるわ。派手な見た目にしてるのはただ目立ちたいだけだろ。

 

サポーターも輪をかけてクソだ。サッカーが好きというだけで自分が上にいるつもりになっている勘違い共の集まり

応援の仕方の強制は他のスポーツにもアイドルライブにもあるが、サッカーサポーター常軌を逸している。サポーター取材レポを読んだだけでも近づきたくなさ過ぎる。勝手ルールを決めて強制的に押し付けてくるのは子供の頃のサッカー野郎共とほぼ変わらない。

あと熱量が異常なサポーターの数が多すぎ。興味のない素人にまで同じ熱量要求するし、海外もっとやばいってどんな民度だよ。サッカーが好きなやつくらいだよ、ここまで他人自分たちのやり方を押しつけてくるのは。

 

今、とあるサッカー漫画を読んでいる。読み始めたのは偶然だがとても面白くてサッカーを好きになれるかもしれないとほんの一瞬思った。

せいぜいポジション名前位置関係くらいしかわかってなかったのが解像度が上がって楽しくなった。

 

でも結局現実側は派手好きのおカッコいいサッカープレイヤー様と熱心なサポーター様共がクソでか大声を出して威嚇してるから陰キャは入ってくんなって感じだし異様なコミュニティになってて近づきたくない。

やっぱりサッカーに関わる人間が嫌いだ。

2022-11-20

なんだっけ。忘れないうちにメモ


最近ゴッホ絵画など芸術作品トマトスープをかけたり、ウォーホルアートカーに小麦粉をかけたりする気候変動対策を訴えながら過激抗議活動が耳目を集めている。

ブクマもよくされているが、ほとんどが環境テロ、という認識で眉をひそめたコメントにあふれている。

もちろん許されない犯罪として国内外報道されているわけだが、しかし、海外メディアでは、テロという表現ラベリング)は少なく、抗議団体自称するCivil resistance市民抵抗)という表現を紹介していることが多い。正直、この種の活動で昔から有名なグリーンピースもそうだが、テロ呼ばわりされてもおかしくない運動ではあることは確かだが、報道ニュートラルに構えているのだろう。

そんなおり、斎藤幸平が、「ゴッホ名画にスープ投げ」を理解しないのは、日本人想像力の欠如だ、と述べてブコメから総すかんを食らっていたのをみかけた。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/toyokeizai.net/articles/-/631285

しかそもそもテロという認識日本では強いのはわかるけれど、実は欧米での反応というのはそれほど強くなく、むしろ彼らが自称するCivil resistanceへの一定の理解の上に立った報道も多く見受けられるように思える。

https://time.com/6234840/art-climate-protests-margaret-klein-salamon/

そして、よく考えると、そもそもテロまがいのデモというのは、現代人権歴史を振り返ると、一定程度、社会変革の不可避な副産物として、憲法などのシステムビルトインしてきた経緯がある。典型的かつ最初の事例は、20世紀初頭の資本主義社会における労働環境を前提とした社会権。

この問題は二つの視点から興味深く、注視している。

ひとつは、抗議のコンセプトの抽象性。

もうひとつは、抗議運動市民社会的な価値

抗議運動抽象性について。

https://artnewsjapan.com/news_criticism/article/508によると、世界的な環境活動グループ「Extinction Rebellion」の共同創設者であり、ジャストストップ・オイル活動に加わっているサイモン・ブラムウェルは、アートニュースインタビューで、若い活動家がこの抗議行動のスタイル選択した理由を次のように説明する。

「これはアートの美しさを否定するのではなく、今の私たち優先順位絶対的おかしいということを言いたいのです。アートに美を見出しギャラリーを訪れる人たちがいる。にもかかわらず、消えつつある太古の森の美しさや、日々絶滅していく何百もの生物たちには目を向けないのです」

アートの美しさを否定しないといいつつ、美の概念の相対化というか、再構築といった意味では、形而上学的な禅問答である

この説明を聞いて、素直に納得できる人の割合が多いか少ないか、という視点でみると、ヨーロッパに比べると恐らく日本人は少ないだろう。

アリストテレス時代から愛だの美だの徳だのといったことをテーマに発展した形而上学から学問が枝分かれしてきた欧米と、近代以降のすでにたこつぼ化した個々のジャンルとして完成形をみた成果を受け取ってそれを解読して発展してきた日本では、こういう抽象的なテーマの抗議の趣旨理解できるのは圧倒的に少ないだろうと想像できる。

これは、作品の美の価値が分かればわかるほど、スープをかける行動の意図もわかる、という構図でもあり、実際、被害を受けた美術館環境問題の意義に言及するなどしている。作品に接したこともなく、それこそ「ウォーホル」だ、「ゴッホ」だと資産的な記号程度にしか理解していない人ほど抗議行動の意図自体を測りかね、なんじゃこの奇行は?という反応になっているようにみえる。

そういう意味では、当然、環境急進派の行動は、そもそも抗議の意図が分からない地域では成功しない(日本ではテロ以外の認識は生まれないだろうし、絶望的に無理だろう)。

しかし、欧米では、意外と功を奏しているのかもしれないと思える。感心はしないが、ああ、なるほどね、くらいの素養のある人は日本よりは多いだろう。

おおざっぱにいうと、日本人経験から教訓を得て社会設計をしていくのが得意。いわば帰納法的な解決が染みついている。一方、欧米、ひろくラテン系言語圏含めて、日本人とは比べ物にならないほど、なにかにつけ演繹的な入り方をする。言葉定義からまり指導原理を引き、タスクを明示する、という物事の進め方へのこだわりが強い(日本人自分からみると)。

組織でも、経験常識が共有できていないと不安なのが日本人

一方、構造化された概念ルール化された行動原理(法)にのっとって行動する、という相互の信頼がないと不安なのが欧米社会。そこに、デモ過激運動の機会に、自分たちが共有していない別の概念オルタナティブとして提示されたときにみせる反応というのは、おのずと異なる。


そのもうひとつ理由が、市民不服従という考え方や人々の認識の違い。

日本人社会迷惑をかけるのがとにかく大嫌いなのだ

欧米では、恐らく日本人想像している以上に、Civil resistanceというアプローチ自体価値社会変革のダイナミズムとして認めている。

それが今回の場合、限度を超えたものであり、法的に違法である、というときに、運動趣旨理解はするが違法である、という具合に飲み込みながら。

この違法性というのは、実は重要視点。それを理解するには、市民社会根本から支える憲法など、法について考えないとわからない。

近代から現代20世紀に法の考え方が近代法が大きくバージョンアップした際に、社会権が組み込まれたのは、中学生で習う話。

日本学校では昔から社会権を生活保護など、上から目線な形で教えてきた傾向があった。

しかし、社会権のうち、争議権を思い出してみればわかるように、実際はボトムアップな契機をはらんでいる。

他者危害禁止近代法の原則をはみ出した形で、ストやピケなど市民的な抵抗暴力性を認める市民権が存在する。

考えてみれば、他者に損害を与え暴力的な行動をとっていい、というのが「労働」に関してのみ例外的憲法に組み込まれている、というのは、よくよくなぜなのか歴史を知っておく必要がある。一歩間違えれば、革命トリガーになりかねないボトムアップ暴力。これをあえて憲法に明記するのは、明記することでコントロールしたいという、上と下のせめぎ合いのようなものも感じる。しかし、なんだったらいつでも政府おかしければ転覆して革命をおこせるんだぜ、と市民に思わせておく、オーナーシップ感覚絶妙バランスで持たせる機能果たしているともいえる。

マルクス時代、そしてワイマール憲法時代社会権を育んできた思想運動社会歴史のなかで、当時「労働」が最重要課題で、社会権の大きな柱として考えられたのは自然な流れだっただろう。抵抗暴力は、労働問題を争うツールであるというのが20世紀だった。しかし、抵抗暴力資本主義社会のなかで、たまたま労働キーワードになっただけであって市民社会としては、労働である必然性はない。20世紀には「環境」といったテーマシステムビルトインされなかったわけだけど、80年代後半にブルントラント委員会が「我ら共有の未来」といって今日SDGの原型となるコンセプトを立ち上げたときに、労使間に代わる、世代間の闘争といったことがテーマになりうることはうすうす予測がついていたように思う。

なので、抵抗暴力労働問題ではなく、環境をめぐる世代問題だとしても、その新たなムーブメント市民社会における意義が注目されるのも自然な流れだ。

ここで、はい違法です、はいテロです、といってしまうのは簡単だが、思考は停止する。


一方日本では。

労働」というキーワード戦後日本ははじめて市民不服従権利を手にした。市民社会における抵抗という考え方に「労働」というコンセプトが、時代要請でむすびついていた、というのは押さえておくべき文脈

GHQの五大改革から。勤労者から労働者への主体認識の転換。

しかし、その権利過激行使は、1950年代から60年代大衆の心を猛烈にイラつかせた。

日本高度経済成長を支えた大手企業は、大規模な争議に悩まされた。

民間では、1960年三井三池炭鉱紛争など半年を超える争議も珍しくなかった。しかし、ほぼ100%ユニオンショップで、従業員全員が労働組合員という会社組織風土のなかでは、会社家族みたいなものであり、労使一体みたいなのが当たり前であり、60年をピークに民間の争議はピークアウトする。そのなかにあって、国鉄だけは年中行事のように、順法闘争ストライキを繰り返して市民生活に甚大な影響を及ぼし、会社のみならず社会的に損害を与えた。さらベトナム戦争反対や成田闘争など、新左翼政治闘争が加わっていくなかで、日本人のいら立ちは頂点に達していく。

国鉄やら共産党やら新左翼にひどい目にあわされた、という日本社会のこの経験というのは、争議だなんだといっても社会迷惑をかけてはいけない、という教訓を強く残し、憲法に組み込まれ暴力的な契機をできるだけ抑制的にするべきだ、という認識支配的になるきっかけだったんだろう。1973年最高裁は、それまでリベラル保守裁判官の間で揺れ動いていた官公労組の争議権の是非について、完全に保守化の方向に舵をきり、封殺する結論に至る。公労協のスト権奪還スト(1975年)を時代の潮目に、公社民営化路線が進められていく。争議権だかなんだが知らないが、憲法に書いてあったとしても、市民としては正直、うんざりしてしまったというところだろう。戦後、長い間、政治闘争旗手として大きな存在だった総評、そしてその大半を国労が占めていた時代は終わる。

ということで「労働」をキーワードにせっかく手に入れた不服従暴力は、迷惑をかけんじゃねーという市民社会常識を繰り返し強化する経験を重ねることにより、空洞化した。

その後の日本社会では、エスタブリッシュメントと化して長い間、社会運動の先頭に走っていた労組が今度は勢いを失うと、どういうことになるか。

例えば、正規雇用非正規雇用ギャップみたいに新たな問題が浮上してきたとしても、ユニオンショップ非正規も入れてあげたほうがいいんじゃない?、という手続き的な、上から目線的な議論の仕方に収れんしてしまう。日本社会があまりにも保守化してしまって、そもそも争議という暴力的な手法は何のために憲法というシステムに組み込まれたのか、根本的な思想がわからなくなってしまっているようにも思える。言い換えると、憲法さらメタ視点からとらえる思想的な背景がさらに弱くなっている。

歴史を振り返ると、20世紀初頭、メタ視点があったからこそ、資本主義社会の現状と課題に即して、社会権という新しい権利が組み込まれたのだが、現行憲法を頂点とし、人権普遍性憲法の最高規範性を強調してしまうと、憲法思想根拠はと問われたときフリーズしてしまう。日本では制憲者の意思議論は起こらず、代わりに基本書読め、といってなぜか憲法学者に振られるのが定番。(制憲者があいまいなのも諸悪の根源かもしれないし、ステートに対するネイションオーナーシップの違いとも思える。)

欧米環境運動というのは、あるいはLGBTも同様だけど、恐らくそうじゃないんだと思う。

既存規範に書いてないものであっても、新たなムーブメント意味真剣に見極めようとする思想文化があるんじゃないと思える。

そのムーブメント暴力性を違法認識しつつも、時代ダイナミズムとしてとらえようとする、というか。

繰り返すと、

・美の概念など、概念の構想力、概念について深く考えたがる文化の違い。

憲法など国の根本的なシステムアップデートするのに必要社会ダイナミズムへの関心の低さ。

この二つをひとまとめにして、斎藤平氏のように想像力の欠如といってしまえるのかもしれないが、因数分解すると、社会設計をするのに基本的重要な2つの能力、この二つには欧米社会と大きく差があるように思える。

2022-11-15

リボ払いとか言う諸悪の根源

マジでどうして合法的存在しているのかわからない借金製造マシーン

しかもやたらとキャンペーンを謳って利用を勧めてくるしマジで悪質。

どうにかしろ

2022-11-14

anond:20221113185641

やっぱ現実問題、発達持ちの高齢出産はやめた方がいいよね。こういう結果が目に見えてるもん。

うちは母親が25歳(父31歳)の時に産んだ子供知的障害者だぞ。高齢出産諸悪の根源なんだ〜若いうちに産めば問題ないんだ〜という都合のいい話ではない。

ゆたぼん叩いてる奴らがマジで怖い

ゆたぼん自体被害者だろ

叩かれるのは諸悪の根源の親父だろうが

子供使って虐待して金稼いでるようなもんだよなこれ

2022-11-06

anond:20221106133911

子供希望しているか

という理由だけで通らんものってたくさんあるけどなあ売春とか。

スポーツってそもそも金持ちの娯楽なのに、それを分かってない貧乏人が背伸びしてるのが諸悪の根源なんだろうな。

金ないならやめるべき。

2022-10-27

炎上のお手本

※これはフィクションです

  

  

とある配信者が炎上していた

別の配信者と揉めて訴訟騒ぎになっていた

  

知った時には1年ほどイザコザが続いていた

  

配信者(以下A)の片方はあまり多くを語らず静観していた

もう片方(以下B)は全てAが諸悪の根源と喚き散らしていた

A,Bどちらも家庭を持つ大人だった

  

  

Bは勘違いしているか認識の違いをしているようだった

少しのボタンの掛け違いでイザコザになっているように見えた

  

  

碌な事にならないと感じ、悩んだ末Bにアクションを取ってみた

  

ダメだった

認識世界観が大きく外れていた

  

同様にアクションを取る人が居たが全て追いやられていた

  

  

Bの炎上は続いた

  

  

多数の人を巻き込んで炎上は広がった

Bの過去が掘りおこされた

  

過去発言現在発言矛盾

黒歴史が掘りおこされた

  

感じていた事が現実になった

想定していた事だった

  

Bが真実を話すことを望んだ人がいた

  

Bは全てを否定した

  

  

Bの炎上は続いた

  

  

Bにとって出てきてはいけない過去が掘りおこされた

  

これに気づいた人がもうやめようと言った

  

  

Bは変わらなかった

  

  

想定していた以上の事が起きるのかもしれない

女の強者も狙われないよね

無敵の人が行動する時

諸悪の根源たる男性強者が狙われなくて、女子供が狙われるっていうけど

女の強者も狙われないよね

容姿が優れてて女の中でヒエラルキー上位の奴じゃなくて

下層の方の人間ばっか殺されてる感ある

どうせ潰すなら弱者搾取しまくってる強者を潰してほしいんだが

 

女の強者だってそいつらが楽するために弱者犠牲になってるんだしさ

2022-10-25

anond:20221025125845

女性は自立しなくてOK, 低学歴OK, 文系事務職でもOK, 低収入OKっていう、そんなことが暗黙的に許容された社会諸悪の根源だと思う。

2022-10-07

anond:20221007104350

なんでお前らひろゆき写真パシャってツイッター晒しageて煽ってるのを「間違いを指摘してるだけなのに怒るなよ」みたいな認識なんだ

そもそもひろゆきの突っ込んだやり方が諸悪の根源なのであってそれを見抜いてるのに対応できなかった基地反対派が悪いというのが主立つの

結局お前らもひろゆきの思い通りじゃないのか

2022-10-06

anond:20221006121404

うそ2chずっとやってた連中はひろゆきご意見番化に違和感しかないんだよな

ひろゆきのこと自分を導いてくれる大人だと思いこんだキッズ諸悪の根源

その代償は自分たちで払えよ、知らんからな。と思っている。

2022-09-29

「誤解を生む表現から

差別助長する可能性があるから」「誤った認識を植え付けるから

創作上の表現にぐだぐだケチ付けてるやつ、そもそも創作上の表現を見て差別するやつや誤解するやつの方を何とかしろよ。

創作物を正しい表現かいう胡乱な概念ガチガチに縛ったところで、諸悪の根源である創作上の表現鵜呑みにするようなやつは野放しなんだから結局この世にありふれたデマ食って同じ結論に辿り着くだけだぞ。

本当に差別や誤解を無くしたいなら、創作物を矯正する時間ちゃん人間の方に向けてやれよ。

てかそもそも創作物が誤解を生む可能性がある、で表現を縛っていいなら「誰かと交際すると幸せになる」「子供が産まれることは良いこと」「家族とは尊いもの」みたいな表現さえも、必ずしも現実合致するわけじゃないんだから縛ってくれよ。

しろ市民権のあるポピュラー表現なわりに、現実でしくじると悲惨なんだからこっちもヤバいだろ。なのにこっちは多くの人間の目に留まるような一般的コンテンツとして打ち出されてるんだぞ。

からそもそも創作上の表現現実に則してるかどうかっていうより、見る人間がその表現に惑わされないで創作物は創作物、現実現実で分けて考えられることの方が汎用性高いと思うんだけど。

まあ自分不快に感じる表現正義の名の下に糾弾する方が圧倒的に楽なんだろうな。

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