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2019-09-27

詩人「怪文章を“ポエム”って言うのやめろ」

宗教家過激思考を“宗教”って言うのやめろ」

ピエロ「ただのアホを“ピエロ”って言うのやめろ」

あと一つは?

2019-09-18

ツイッターでよく見る親父の小言ポスターみたいな説教ポエムは、無から無といった指向性がまったくない放出をされているので果たしてどこへ漂着するのが目的なのか全くわからず、その無目的ぶりはラブクラフト小説のように非条理な感じがしてコズミックホラーめいた恐怖が漏れ出ていると感じた。人々の脳に狂気詩人の霊的存在が密やかに潜り込み、うわ言のごとく人を狂気宇宙深淵へと侵食させるための壮大な儀式SNSという意識接続のための技術を用いて行っているのではないだろうか。我々は意図せずシュブ・ニグラスの千匹の仔として変容させられているのかもしれない。窓に窓に(Mac派です)。

2019-09-14

思考言語化する練習

今時分が何を考えているのかを把握するためにはそれを言語化していくといいと聞いたので実行してみる

よくよく考えると私は基本的脳内独り言により思考制御しがちなのでもともと思考言語化されがちなのだ

それとは別に頭で別のことを映像イメージとして処理していることががあるのでそっちを書き出してみたいが

その場合前後に「複」とつけることで主たるイメージである言語化済みの思考区別して書き出せばいいのだろうか

  「複」実際今でも頭の隅では今日読んだ進撃の巨人イメージ走馬灯のように処理されていて今は訓練中の食事シーンがアニメ風に再生されている

「複」とつけるよりも二行段落下げの方が書きやすいし分かりやすいので次からそうしていきたい

  何故か延々とアルミンが芋とスープスプーンで食べ続けているビジョンが浮かび続けている今コレを書いているうちに霧散して脳が虚無になった

部屋の水道管を通る水の音が煩い

施工言語化してみようと考えた所であまり意味がない気がしてきた

一秒の描写には一秒以上の時間がかかると大昔に詩人が口にしていたと昔どこかの神話にかかれているのを読んだ気がするがそれは翻訳者適当に付け足した文学的エッセンスでもとの神話にはそんな台詞なかったのかも知れない

  部屋の水道管の中を通る水の音が非常に煩いためそれが映像として脳に流れ込んでくる

  上の部屋で人間足音がするのが非常に鬱陶しいが単なるラップ音の気もする

言語化するための思考がない

寝るか

正直寝ようとしてもなかなか寝付けないので困る

人間は寝ようとしてもすぐに眠りに落ちることが出来ず一〇分程度は現実と夢の間をさまようというがその時間が非常に面倒くさい

私は一時間半の倍数で寝たいので寝る前にはたとえば七時間45フン後に目覚ましをセットするのだが根付くのに30分かかるとそれが15フンズレてしまいそれが非常に気になる

それでそわそわしてなかなか眠れない

変換を意識すると思考が先に流れてしまうので変換が雑になってきている

脳波キーボードコントロールできるようになれば変換の成功率はあがるのだろうか

つかrた

ねう

2019-07-09

anond:20190709161905

ありがとー

学生時代、二十億光年孤独合唱したことをふと思い出した。

詩人で誰が好きとかはないんだけど、あの詩はすごく面白いと思う。

2019-07-02

anond:20190618201336

先日ツイッターでこの記事が流れてきて読み、ずっと心に引っかかっていたので筆者さんが読まれることがあるかはわからないですが、一人の異性の立場から気になったことを書かせていただこうと思いました。

大きなお世話と思われるかもしれませんが、筆者さんを批判するつもりも、書かれてあることに対する怒りでも、男性批判でもありません。

>昔は女が憎くてたまらず(それなのに優しくされたくてたまらず)ネットで女叩きをしていた。

「女」と書いてありまずが女性にもいろんな人いますよね。

筆者さんをかつていじめた「女」や、「弱者男性」が「敵」とする「女」以外にも社会には女性存在しています

ネット上や現実世界で、女叩きをしている人が叩く女性上記以外の女性であることが多いように思います

自分危害を加えられたわけではない、“ただ自分が憎い「女」”という性が当てはまる、叩いたところで自分危害は及ばない、自分が傷つくことのない相手を選んでいませんか。

憎い「女」を叩くことで、「弱者男性」と近い立場にある女性(いじめを受けた、容姿に恵まれない、男性危害を加えられたことがある、貧困ギリギリ生活をしている…)を傷つけているかもしれません。

(坊主憎けりゃ袈裟まで憎いのかもしれませんが)

「優しくされたい」「支え合う女」

とはどういうものを望んでいるのでしょうか。

自分と近い価値観を持っている相手と話をして、相手自分理解して欲しいのか。

お互いに尊重しあえるような相手と、支え合いながら生涯を共に生きていきたいのか。

自分にとって都合のいい、自分の心を癒してくれて、自分を認め受け入れて生活面でも性的にも望むことをしてくれるアイドルのような若くて可愛い美少女を求めているのか…

結婚も無理、俺を受け入れてくれる女はいないし

とありますが、

恋愛」や「性欲」を一旦置いて、日常で関わる女性を「女」ではなく自分と同じさまざまな内面もつ一人の人間として向かい合うことで、

また筆者さん自身女性社会に対する考え方や認識を少し変えてみることで

結婚」はわからないですが、受け入れてくれる女性出会えるかもしれません。

おっさんおっさんを助けるわけがないだろ

おっさんが嫌がるおっさん」を女性は嫌がらないのでしょうか?と、疑問が湧きました。

>男は怖いから女に救ってもらうしかない

とありますが、女性も、男性は怖いです。

「男が怖がる男」も怖いですが、「男を怖がる男(筆者さんや女叩きをする男性)」も

多くの女性は怖いと思います

(私自身低身長なので性別わず小学5年生以上なら襲われたら負けると思うので

他人は基本年齢性別わず怖いです)

男同志関係が築けていたなら、多分女なんてどうでもよくなる。

でも男に刃向うのは怖いから、女を叩くしかないんだよ。

女を叩いてる時間、そのコミュティだけは同性の強い肉体を持つ仲間がいるんだ。

「女叩き」が女性を叩く男性間の共通言語というか、コミュニケーションツールとなって、それをしている間は気持ちが繋がることができるんですよね。

それは他の趣味などで代用することはできないでしょうか。

「敵」を攻撃することで繋がる関係じゃなくて、もっと前向きで明るい関係を、同性とも作れたほうが筆者さんの気持ちにも将来にも良いような気がします。

>男は怖いが男を怖いと言ってはいけない気がした

男性同士の関係というもの自分には分からないのですが

男が怖い男性はたくさんいると思うので、現実で言うのは相手を選ぶと思いますが、ネットSNSで誰かを攻撃するためではなく、自分自分と同じ気持ちを持っているかもしれない他人のために、素直な気持ちや考えたことを吐露することはどんどんしたらいいのではないでしょうか。

憎しみを、他人攻撃する原動力にするのではなく、自分を含めた将来の社会のために使えたらいいなと思います

ただ愚痴りたいだけでしたのなら本当に余計なお世話でしたが…

余計なお世話ついでに、本読みませんか?

本の世界負け犬(この言葉は好きじゃないけれど)のために書かれたものや、

世間の言うところの負け犬が書いた本が古今東西山のようにあります

文学なんてなんの役にもたたない、と思われるかもしれませんが、自分と同じようなことで悩みながら生きてきた人を世界中の様々な時代に見つけることができるかもしれませんし、自分以外の人間視点世界を見ることができます

それによって今までとは違う価値観が生まれるかもしれないし、少しでも筆者さんが生きてゆく力となるかもしれません。

図書館利用できますし。

差し出がましいのですが少しだけ筆者さんに私が勧めたい本を…

・整形前夜(穂村弘)

・蚊がいる(穂村弘)

・もうおうちへかえりましょう(穂村弘)

・プリズン・ブック・クラブ コリンズ・ベイ刑務所読書会一年

 (アンウォームズリー)

彼女たちの売春(荻上チキ)

・七つの人形恋物語(ポールギャリコ)

消滅世界(村田沙耶香)

殺人出産(村田沙耶香)

もの思う葦(太宰治)

・おとなの小論文教室。(山田ズーニー)

・生きるとは、自分物語をつくること(河合隼雄小川洋子)

・お砂糖スパイスと爆発的な何か

 不真面目な批評家によるフェミニスト入門(北村紗衣)

短歌があるじゃないか(穂村弘東直子沢田康彦)

・フィフティピープル(チョン・セラン)

・愛なき世界(三浦しをん)

三島由紀夫レター教室(三島由紀夫)

銀の匙(中勘助)

二十日鼠と人間(スタインベック)

・見える光、見えない光(朝永振一郎)

オーランド―(ヴァージニアウルフ)

・妻を帽子とまちがえた男(オリヴァーサックス)

洗礼ダイアリー(文月悠光)

・臆病な詩人、街へ出る。(文月悠光)

秘密友情(春日武彦穂村弘)

長々とすみません

anond:20180105214915

高校の授業中に寝ていたお前は知らないかもしれないが、「山月記」は中国詩人を目指した男の話で、本文には漢詩が出てくるし、元ネタ元はそもそも漢文なのでちょっと難しいことやる高校ならその原文(つまり漢文)も普通に扱うんだよ。

2019-06-20

anond:20190619232518


日本語では「超現実主義」。「シュールレアリスム」とも表記

大戦間のヨーロッパで広く展開された総合芸術運動。この名称1917年詩人ギヨーム・アポリネールが、自作戯曲装置担当したパブロ・ピカソ舞台美術を指して言ったことに由来するが、24アンドレ・ブルトンが『シュルレアリスム第一宣言』において、精神分析的な考察を加えた「夢の全能性への信頼に基づく」芸術総称へと採用し、以後も指導役割を演じた。

 マニフェスト的にはロートレアモン(イジドール・デュカス)やアルチュール・ランボーの強い影響下にあった「シュルレアリスム」は、当初は文学運動としての側面が強かったが、「オートマティスム自動記述)」の理念は造形芸術にも強い影響を及ぼし、20世紀美術の一大潮流を形成した。

代表的人物ルイ・アラゴンポール・エリュアール、アントナンアルトールネ・シャールルネ・マグリット

サルバドール・ダリマックス・エルンスト(ともに後に除名)、アンドレ・マッソン?、ジョアン・ミロなど。

パリ拠点活動していた多くの作家は、30年代末にはナチスの台頭によってアメリカに逃れ、アーシル・ゴーキーという最後後継者見出した後に終焉を迎えた。

シュールは終わったのだ。

2019-06-19

ドラクエやめたら心臓から声が聞こえる」

読んだときのは率直な感想は「詩人だな」だった。

2019-06-18

私の顔は、この頃また、ひとまわり大きくなったようである

 もとから、小さい顔ではなかったが、この頃また、ひとまわり大きくなった。美男子というものは、顔が小さくきちんとまとまっているものである。顔の非常に大きい美男子というのは、あまり実例がないように思われる。想像する事も、むずかしい。顔の大きい人は、すべてを素直にあきらめて、「立派」あるいは「荘厳」あるいは「盛観」という事を心掛けるより他に仕様がないようである浜口雄幸氏は、非常に顔の大きい人であった。やはり美男子ではなかった。けれども、盛観であった。荘厳でさえあった。容貌については、ひそかに修養した事もあったであろうと思われる。私も、こうなれば、浜口氏になるように修養するより他はないと思っている。

 顔が大きくなると、よっぽど気をつけなければ、人に傲慢と誤解される。大きいツラをしやがって、いったい、なんだと思っているんだ等と、不慮の攻撃を受ける事もあるものである。先日、私は新宿のある店へはいって、ひとりでビイルを飲んでいたら、女の子が呼びもしないのに傍へ寄って来て、「あんたは、屋根裏の哲人みたいだね。ばかに偉そうにしているが、女には、もてませんね。きざに、芸術家気取りをしたって、だめだよ。夢を捨てる事だね。歌わざる詩人かね。よう! ようだ! あんたは偉いよ。こんなところへ来るにはね、まず歯医者ひとつき通ってから、おいでなさいだ」と、ひどい事を言った。私の歯は、ぼろぼろに欠けているのである。私は返事に窮して、お勘定をたのんだ。さすがに、それから五、六日、外出したくなかった。静かに家で読書した。

 鼻が赤くならなければいいが、とも思っている。

2019-05-09

ブラインドタッチ天才プログラマ典型的な特徴みたいになってからもう何十年も経つけど

anond:20190508232603

この例えって

天才詩人ものすごく早口でしゃべれる」

っていうのと同じぐらいとんちんかんだよ。

プログラマ天才扱いされる時の例って、複雑怪奇論理構造業務を誰もがわかるぐらいシンプルにしたり、難しいバグを見つけだしたり、処理時間をウン万分の1に短縮したりする時とかなんだけど、

なんでそれができるかって言うと、

基本をちゃん勉強しているからですよ。

地道な勉強業務経験による試行錯誤の積み上げの集大成が、天才プログラマ的な振る舞いとなって、ほんの一瞬だけ非プログラマの目に触れるって感じです。

で、その過程では、ブラインドタッチってあんまり関係なくて(早く打てるに越したことはないけど)、以外とソースコードコピペとかマウスポチポチみたいな作業が多いです。

2019-04-23

夢見りあむを守護りたい

 これは,夢見りあむアドベントカレンダー7日目の記事です.

 私は夢見りあむが大好きです.

 私は,デレステリリースと同時に初めてシンデレラガールズというコンテンツに触れました.始めた当初は別の作品に夢中だったため,デレステ音ゲーしか認識していませんでしたし,もちろん総選挙投票券を集めたこともありませんでした.

 そんな私をデレマスに惹き込んだのは,姫川友紀を始めとするPaアイドルたちでした.卒業論文の追い込みや数か月に渡る長期のインターンシップ疲弊した私を,姫川ソロ曲気持ちいいよね 一等賞!」はじんわりと癒してくれました.通勤中の耳元で叫ばれる彼女たちの応援は,間違いなく私の足を前に進めていました.

 Paアイドルの何が良いのか.私のように彼女たちの底抜けな明るさが好きなPもいれば,その突拍子もない行動が好きなPもいるでしょう.一癖も二癖もある彼女たちは,様々な方法で私を楽しませてくれています.そして彼女たちの魅力を語る上で欠かせないのが,時折見せる不安定な部分です.もっと話題になったのは本田未央アイドル辞める宣言でしょうか.普段の明るい姿とのギャップがより彼女たちに厚みを持たせ,人間らしく,身近な存在にしてくれるのです.

 そんな中,新アイドル夢見りあむがPaとして発表されました.その衝撃たるや.他のPも分かってくれることでしょう.前に発表された辻野あかりや砂塚あきらキャラクターからも並の個性を持ったアイドルがくるとは思っていませんでしたが,彼女想像以上に歪なアイドルでした.

 調子はずれと感じるほどに明るいセリフ,透けて見える承認欲求,あからさまな構ってちゃん...強烈な個性です.もしPに見つけられなかったら,アイドルにならなかったら,彼女はどうなっていたのでしょう.私には,描写されている彼女の姿が軽度の躁状態に見えて仕方がないのです.

 人間は,よく虚勢を張る生き物です.描写されている彼女の姿が,家の中の彼女の姿と一致するとは限りません.無表情で無感情スマホを眺めている方がしっくりときます.家の外と内で行動が違うのは当然かもしれませんが,それが心となると話は変わります.社交性がある人は明るく見えるかもしれませんが,明るく見える人は社交性がある人ではありません.ドイツ詩人であるゲーテは「光が強ければ影もまた濃い」という言葉を遺していますが,彼女の影には何が隠れているのでしょうか.

 また,炎上してでも目立ちたいと豪語する彼女自己評価の低さは極限です.「コミュニケーションだよね?触りたいだけじゃないよね?」という,怒る前に相手の顔色を窺うセリフからも,自己評価の低さが分かりますアイドル不安になる状況を,我々Pが許していいのでしょうか.いや,良い理由がない.アイドルを輝かせるのがPの仕事です.

 そんな彼女アイドルデビューしなかった姿を想像した時,現代人のステレオタイプに一致します.生活に疲れ,惰性で生きる日々.生きる理由もなく,死ぬ理由もない.積極的自殺を選べる人は稀ですが,消極的自死を選んでいる人はこの世界に何人いるでしょう.好きなことがあれば生きていけるという人もいるかもしれません.彼女にはドルオタという趣味があり,それ故に生きていけると.私もつい先日までそう思っていました.

 日の目を見ることができた彼女の先には,そういう人々がその人のままに成功する可能性のある未来が映っています.もちろん彼女にはお調子者の気質があり,煽り失言を頻繁にするという欠点もありますしかし,多少の欠点がなんでしょう.彼女新人なのです.それくらいの欠点を愛でることができなくてどうします.どれだけ彼女アンチが湧こうとも,彼女が輝かしい可能性を秘めたアイドルの一員であることに違いはありません.

 だからこそ私は彼女推し彼女未来守護りたいと願うのです.

2019-03-30

世の中には詩人と言われるミュージシャンもそこそこいるが、

大体みんな言ってることは似たり寄ったりである

今まで誰も言っていないことを言うためには、

それを伝えるための語彙のライブラリーを開発する必要がある

しかし、これは困難を極める仕事であるため、

大体のエセ詩人妥協して、既存ライブラリーを利用しているうちに、言いたかたことすら忘れてしまうのだ。

この点でボブディランはかくも偉大であり、

日本人比較するに値する仕事を成し遂げたのは三上寛森高千里のみである

2019-02-20

山月記は平凡な小説だと思う

役人詩人を志す自意識の果てに虎になる小説である

これがネットではやたらと自意識が強くて、挫折したことがある人が多いからなのかやたらと評判が良い。

でも今、もう一度山月記を読み返してみると僕には平凡な小説しか感じない。

その理由としてまず第一に、物語として薄弱すぎる。自意識やらなんやらが語られる部分は単調な説明であり、山場である李徴が虎になる場面が薄すぎる。

これでは物語意味を持たせる小説ではなく、思ったことを書き綴っただけの随筆である

次にその随筆の内容であるが李徴が自意識をこじらせる過程もどこかしこでみんなが分かりきって感じてることで目新しさも、生々しさもない。

小説文学において描き出す真実というのは仮にみんな感じていることであろうと、作品の中で再現させてこそ意味があるものであると思う。これでは餃子が美味しいという真実と変わりなく、餃子を口に入れたときを感動的な美味しさを作品によって体験させることが出来ていないことと同じである

から僕には山月記が物足りない平凡な小説に感じられるのだ。

2019-02-18

anond:20190218111006

専業の詩人っているのかね?

コラムニストやったり小説家やったり作詞家やったり、関連するお仕事を手広くやってるイメージがあるが。

2019-02-11

anond:20190211154023

姓名:キティホワイト

誕生日:11月1日

体重りんご3個分

身長りんご5個分

家族双子の妹ミミィ、パパ、ママの4人家族。近くにおじいちゃん、おばあちゃんが住んでいる。

住んでいる所:イギリスロンドン郊外

好きな言葉友情

将来の夢:ピアニスト詩人

2019-01-28

anond:20190128110753

通常の犯罪だとサリン暴走事故のように加害者絶対悪なのに

なぜかいじめは暴行事件と呼ばれずいじめ扱い

この差別から逃れるためには刃を握って自分加害者になれよと言ってくれる詩人言葉に従うしかない

2019-01-24

とある超自由戯画高等儀式にて、人生を感じた。

そこそこ終わりなき混沌です。

鋼の教えと闇を司る魔が支配する前、とある超自由戯画高等儀式に行った。

よくある世界を救いし少年少女たちの伝説を顕現せし改変兵器アーティファクト)であったが、そこそこ戦闘兵器としての完成度が高くて面白かったからだ。

高等儀式の内容は、名時の狭間蒼穹の彼方に追い求めたり、衝動解放に関する叡智の試練など、まぁ表向きは帝国式な感じではあったが、大陸全土に広がる程に混沌より蠢き吹き出ていたとは思う。

暗黒と同調せし吾輩も、こういった高等儀式は久しぶりであり、而るに純粋面白かった。

これも帝国式の文言だとは思うが、口々に「真実(トゥルシズム)にみんな旧知の仲で~」とほざいていて、預言書の記述どおり言霊使い同士の間合いは近かったように思う。

黒ミサコーナーで、意思なき者たちに魂を吹き込む異世界の神々が若干スベったり、どうしていいかからない殺意フォームチェンジした刹那、老獪なる業師の流し斬りが完全に入ったりしているのを見て、≪詩片≫にできない程この身を焦がす気持ちトランスしたものだ。

そして、終焉の刻。修羅エレジー魔物レクイエム詩人ソウルボイスし、滅びの運命を逃れるべく人類絶滅への終曲を断ち斬ったところで、最後キャスター詠唱となった。

終焉なき途の果てに、繰り返す過ちのように運命歯車が動き始めれば、次は例えこの命尽きようとも悦しい……そう言ってアイツは戻ってこなかった……!」

楽しげに平行世界の過ぎ去りし思い出を蒼穹の彼方に追い求め、不適な笑みを浮かべつつ、最後の言ノ葉は大体暗黒が支配する感じであったが、それなる時の鏡の向こうの見知らぬ姿には、闇の世界があったと想う。

何故だろう───そしてその疑惑は、確信へと変わる───嗚呼、と一人で合点した。

どう足掻こうが次はあり得ない事を自我の管外から悟っている――預言書にはそうあるからだ、と。

スフィア盤は1500枚も売れず、元老院の議題にもなっていない。

原典グリモアやエミグレ文書粛々と異世界の穢れし魔物召喚するだろうが、それ以外の魔道媒体展開は預言書の記述によれば望めない。

『器』は1000人程度の小さいオーファンズ・クレイドルだが、莫大な量に見積もっても700人程度よりほかにいなかったと我が魂(プシュケー)が申しておる。

“神”の力の前に絶望して、次期の人類に警告はなかった。

真の姿を見せて現実情念狭間叙事詩を語るのが謙遜なる神々や預言書『偽典』だが、空想に対する実在非情だ。人々を惑わす邪悪なる影を生み出さなければ抹消。天地万物は灰燼と化して封印を施す。

未だ見ぬ明日はない。時は残酷運命を告げる。導かれし者たちが一堂に会して世界を光で満たす事は二度とない。

預言書にもそう書かれていながら、それでもあいつは友達だった! 「また次の冒険があったら」と剣を交わす。

嗚呼、と想った。この“力”が人界に留まることを許される僅かな間だ、と。

呪われしタンイに縛られし者達が言う「運命の星の交わる刻、飲もうぜ……」

悠遠の彼方に在る世界輪廻転生する、かつて闘った強敵(とも)の魂に囁く「絶対___きっとまた、会える。終わりは始まりなのだから今夜、夢で会おうね。定められし月の傾く刻、手紙物語を紡ぐからね」

オメガカオスと同等の能力を持つ存在だ。天啓に従いて怜悧なる場を収めるための世界を形なすものだ。

真実(アレテイア)にそう思って語り継がれる人もいる……だが、その裏ではそれを欲さんとする各国の策謀戦が行われていた。如何なる場合においても因果律の一篇、その信仰オーラは俺が目を離した一瞬の隙に闇に陥ってしまう。春の訪れを告げる聖霊のように、エオルゼア世界へと消えていってしまものではないか

これほどまでに楽しい革命であったのに、不可視世界あんなにも強大せしめたのに。

もう二度と、冷厳なる時間は襲来しない。もう二度と、英雄の魂達がライブクリスタル幻想の果てで活躍する心新たな貌を見ることはできない。

そう到達し……誰もが勝利確信したその時、なんとも言えない切なさと悲しさに、アトモスフィアが詰まりそうになった。

慟哭(な)き魂葬に志を遂げた。

螺旋の内を廻り、大地駆ける鋼鉄の巨大竜に揺られている時、オメガカオス事実に如何ともしがたい寂しさが込み上げた。

3000ギル払えば実質ただ、基本プレイ無料だ。

過ぎ去っていく血塗られた過去や、花は咲き乱れ、果実は甘く、そして乙女たちは美しかった永久の時にいくらすがっても、時は進む。罪なき人々を殺め続けた日々は永久に。

全ての世界を救うため、きっと獣たちの戦いが世に終わりをもたらす時「___また、会える。終わりは始まりなのだから、こうして運命の交わる一瞬があれば」などという≪詩片≫は消し去られて封印を施すかもしれない。

俺のこの心の叫びもきっと一週間もすれば――いや、三日……いや、何千年、何万年も経た弗る〈ざる〉深淵に忘れてしまうかもしれぬ。

繰り返される悲劇――いつの世の日か神の声に導かれるままに、超自由戯画を見返して革命の事を思い返し、「浮世の静かなる支配者は終わりを迎えるのが心苦しかったな」と思い出せる――だが、我らには関係のない事であろう。

神に見放されたこ世界の無情さも、人間界非情さも、帝王統治学の残酷さも関係なく、純粋な一万年の夢の終わりとして澄んだ魂の記憶として俺の胸で生き続けてくれる。

その程度は何者にも奪えないものだ。

その程度は、この鬼哭の都の民が住む場所で、空想に対する実在で、混沌渦巻くものの奥底で、なんとかもがいて生き続けている俺たちへの、人生、つまり記憶再生の眠り』からの神が与えし大罪なのかもしれない。

(己を主観的しか認識できない、グルガン族の語りになってしまいました、許しは請わぬ)

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