はてなキーワード: 研鑽とは
「下駄を履いた男性医学部受験生/不利な状況で受かった女性医学部受験生」
って構造をそのまま
「下駄を履いたが故に相対的に劣った男性医師/不利な状況で受かったが故に相対的に優秀な女性医師」
ってみなしてるコメントもあって尚更アホやなって思った
それが許されるのは
「大学受験における試験の点数の優越」→「医師の臨床能力の優越」
「東大理三から医学部に進級して卒業した東大医学部卒の医師」が最も優秀な医師ということになる。(東大入試で男女差別はありえないのでこの場合医師の性差をないものとする)
つまり女性受験生を差別してた私立医卒の医師は(問題になった大学のうち順天堂以外はだいたい中堅から底辺なので)男女問わず医師としては劣ってることになるだろと
実際はそんなことなく、本当に不出来ならば医学部6年間+国試で淘汰されるし、そもそも医師としての臨床能力は臨床に出てからすなわち医師になってから磨かれるものであるから、それなりに良い教育環境の中で医師として研鑽を積んでいれば実力はプラトーになるんよ
そんなことも考えずに大学入試ごときでヤブがどうとか思えるの、思考が素朴すぎるわ
もちろん私は入試で女性というだけで減点するようなクソ私立医はクソofクソと思っているし、入試は入試問題の解答能力の評価としてはフェアであるべきと考えているから、今回の結果は歓迎している
最近は作家と公務員の2足のわらじに対する世の中の風当たりがやたら厳しい。
仕事で知ったことを平気でバラすようなやり方をしなければセーフだと私は思う。
そもそも金を貰えるにしろ貰えないにしろ私達は文章を書きたくてたまらないわけで、むしろ書かなければ体調を崩して公僕としての機能が落ちるのだから。
言ってしまえば排泄と同じなわけで、仕事に専念するために書くのをやめろなんて我々に言うのは、ウンチをしないアイドルになるために肛門に栓をしようと提案するようなものなのだ。
実際、私の作品が市場の需要を満たせないと判断されて仕事がなくなった今でも私自身は適当な書き散らしは好き放題にやっているわけで。
締め切りという概念から開放されたと思われるかも知れないが、私のやり方は連載作家のそれではなく完成してから納品してそれを編集が見て売れるものかどうかを調べるやり方なわけで。
結局の所、収入が公務員一本になっただけで時間の使い方に大きな違いはない。
お役所仕事は相変わらず嫌いなままだし、組織への忠誠心は文筆業を退いたからといって増えたわけでもなく10年以上前から続く空っぽが今も続いているだけだ。
気持ちの上では作家が本業だっただけで、時間を使う割合で言えば間違いなくフルタイムの副業が上回っていた。
収入についてもなんかの賞を取った瞬間に月収の内訳を比較してようやく作家業が勝つ状態である。
私と同年代の作家が大学を出てすぐプロになった話を聞くたびに、単純な経験値の比較でどれほど差がついているのかを計算してしまう。
こっちが役所のボロっちいパソコンに向き合っている間、あっちは作家として研鑽を積んでいる。
週50時間、月で200時間、年で2500時間、その上向こうにはこちらにないようなサポート体制がある。
10年なら25000時間、よっぽど両者の才気に差がなければ埋めきれない。
そして才能がないのはコチラの方だ。
才能はない、積み上げた時間は違う、モノが違う、それでも負けたくない。
なんで負けたくないのかと言えば、他に自信があるものがないから。
アイデンティティを能力の優劣に委ねるような幼い人間性を成長させることより、能力によって自分の存在を証明する方が楽だと見誤って生きてきたから。
言い訳をさせてもらえば、存在意義を人間社会の存在価値に委ねるような人類全体の幼さに付き合わされなくていいならこんな事に悩む必要がないのだ。
今や本業の収入はゼロだが本業が作家であると言い張ることを辞めたくはない。
公務員として立派に働くことに人生の意味を見出してしまえば、あのねばついた組織の空気と同化してパワハラを繰り返す怪物の一員となるのだから。
それだけは避けなければならない。
副業がしたい。
新卒からエンジニアとして働いて苦節11年、2回の転職を経て年収が800万を超えた。去年のことだ。
今年、仕事にもずいぶん慣れた。リモートワークも肌にあっている。子供も小学校に入学した。
学生時代は恋愛などにうつつを抜かすことなく努力を続けたことで、コンピューターサイエンスの基礎を身につけ、希望の企業から内定がいただけた。
社会人になってからはエンジニアという職業が想定とは違い、エンジニアリングより対人コミュニケーションが重要であるギャップに苦しんだ。
しかし技術が好きなことは変わらずその道の研鑽を怠らなかったことで、紆余曲折ありながらも居心地のよい職場に巡り会うことができた。
妻とは今時珍しい両親から強烈プッシュされたお見合い婚だったが、落ち着いた人柄で一緒にいても穏やかな気持ちでいることができる。
一人でいるよりも、二人でいる方がリラックスできるという感覚は今まで想像したことがなかったので驚いた。
子供は、私が大好きだった祖父の面影をどことなく持っていて、時折かわいいという感情と懐かしいという感情が入り混じる不思議な感覚になることがある。
イケてる人たちを横目に黙々と生きてきたつもりだったが、気づけば公私ともに恵まれた環境にいる。
技術以外にはさほど欲がなかったので、今新たに何を求めて生きていけばいいのかわからなくなってしまった。
その幸せを生み出す事業か、幸せを損なうものを排除する事業に自分の力を使いたいと考えた。
こんな自分でもなんとか生きていけている社会に対して貢献したくなった。
今の会社は業績的にも安定しているし、エンジニアとして長く働けそうないい環境なので転職は考えていない。
「副業 サイト」「副業 マッチング」でググればいくらでも候補が出てくる。
しかしそこで辿り着くサービスはほとんど採用時に成果報酬がかかる。かなり高額の。それは不本意だ。
自分がどれくらいマッチするか、作業時間を確保できるか、パフォーマンスを発揮できるかは働き始めなければわからない。
そして働くのはきっと私が惚れ込んだ社会の役に立とうとする気概をもつ企業だろう。
その企業に私がジョインするだけで数十万円の負担をかけたくない。だから成果報酬がない副業マッチングサービスを探したい。
wantedlyは企業を探すのには良さそうだがスカウトが来ない。自分から応募するほどの情熱はないというか、情熱を持てるほどの事業かチームかというのを見分ける術がない。
PayCareerはいくつかスカウトをいただけたが、残念ながらマッチするプロダクトではなかったので友人を紹介した。面談して報酬を貰えるサービスというのは素晴らしい体験だった。
友人・知人の紹介だと、断る時に断りづらそうな気がして敬遠している。
これリアルタイム処理だぞ?リアルタイムでボーンへ反映してエンターテイメントとして成立させる処理があらゆる意味で"軽い"と思ってるのか?
この技術は昔から漫画やSF小説の世界で描かれたいた人々の空想、妄想、夢想、理想の一端なんだぞ!?
これが発展すりゃどれだけの連中の仕事が捗るようになると思っているんだ?
これが進化すりゃどれだけの障害者が健常者と同じ様に動けるようになると思っているんだ?
もっともっと多くのユーザーやデベロッパーが参加して、一般化して、当たり前になって、そこにあって当然になるまでのたったの一歩が今見ているVtuberなんだよ。
Vtuberをたかが自由の旗頭程度に評価を小さくしてんじゃねぇよ。
将来のお前が年食って足腰立たなくなって、それでもエンターテイメントを、旅行を、思い出を観たくなったときに体験するバーチャルリアリティの技術の先祖にVtuberは居る!
なんか時代に取り残されてる人って感じ。
時代は政府といかに距離を取るかだと思うんだけど(利用できるところは利用するけどね)、ネトウヨや左翼は政治に時間使いすぎじゃね?
今時は政治や政策に影響を受けづらい所謂多国籍企業に就職して、年金に頼らず投資して老後の資金やお金を増やして、ルールに則った範囲で節税して…等とにかく国から離れるのがトレンドじゃん?
もちろん、それでも国の影響は受けるよ、受けるけどその影響を最小限にする方法を考えるのが今の賢い生き方じゃない?
コロナだって国に文句言ってる人いるけどマトモな企業なら在宅勤務を進めてたり、マスク配ったり、ワクチン(これは国を利用できるパターンね)打てたりするじゃん。
マトモな企業に勤めていれば、国と距離を保ちながら生活できるんだよね。
だから、ネトウヨや左翼みたいに政治に時間を使ってる人たちがなんかしょうもないことに労力使ってるなーって気分になる。
その労力を自分のために使えよ、と。
マトモな企業に就職するために学生のうちから勉強して、社会人になってからも研鑽した方が国を変えるより簡単だし建設的だし金も儲かるし今の時代に合ってると思う。
なんでそういう生き方をせずに国がーとか政府がーって言っているのだろうと思うと、なんか気持ち悪い。
高校生のワクチンに対する誤解に驚いた…!若い世代の「ワクチン不信」の根にあるもの
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/85833
筆者の稲葉 可奈子医師、自身で運営するみんパピサイトによると京大医卒(厚労省サイトではH20)、東大で学位取得。
卒後市中病院・大学病院等での勤務を経て現在は関東中央病院産婦人科勤務とのこと( https://minpapi.jp/staff/ )。大きな病院、名のある病院にいる間なら
そのネームバリューにより、見ず知らずの若い医師でも通院してくるぐらいには信用されていたことだろう。また、自身も研鑽に励んできたことだろう。
わたしは産婦人科医なので、HPVワクチンの説明をする機会も多いのですが、「なんとなく不安」な人というのは、正確な情報が届いていないため判断材料がない、もしくは、自分で調べてもネットにはあまりに多くの情報が氾濫しており、どれを信じてよいか分からない(往々にして不安な情報の方が印象に残ります)ため、判断しきれないまま接種をためらっています。そういう人の中には、かかりつけ医に質問し、正確な医学情報に基づいた説明を受けることで不安が払拭される人もいますが、医師に質問する機会がない人もいます。
まるで、「正しい情報」をあなたが話すれば必ず信用され不安が払拭されるでもといわんばかりだけど、あなたが一人の医師として見ず知らずの高校生に話したとして、どうして信じてもらえると思うの?
・こういうの学校で教えてくれたらいいのに
という声が多数届きます。
っていうけど、あなたの話聞いて「うさんくさ」とか思った人がわざわざ「いややっぱり接種しません」とか声を届けに来ると思う?もうその時点で入ってくる情報にバイアスかかってるよね。
ワクチン不信の根底にあるもの? そりゃ医療や保健行政に対する不信感そのものなんじゃないのかね。私が卒業したころは医療におけるエラー削減など掛け声ばかりで、現場では各医師テキトーな
医療やってて看護婦(当時呼称)が何か意見しようものなら烈火のように怒りだす人もいた。ぺいぺい(PayPayじゃないぞ)が疑問を口にできるような雰囲気ではなかった。そのような環境で
「医療ミス」は割かし頻繁に起こっていた。大事に至るのは少ないが、それをエラーの防止に役立てようなどという意識は低かったように思う。製薬業界との関係ではプロパー(当時呼称)に
たかるのは当然で、ことあるごとに薬の説明会と称して、製薬企業もちの昼食付き講演会、飲み会が行われていた。つまりはもうべったり「もちつもたれつ」みたいな意識だった。COIなにそれ?状態だった。
世間が白い目で見るのも当たり前と言えば当たり前で、こんな過去があって今に至るのに、最近マシになってきた上澄み部分しか知らないような人が「医者がちゃんと説明ればわかってもらえる」とかナイーブすぎて苦笑してしまう。
2って、こう、明らかに少ないじゃん
2番目に小さい自然数だぜ シケすぎだろ
仕事の疲れで1日グアーってなってたらもう半分過ぎてる 体力回復だ!と思って寝てたら全部終わってる
何もできねー できやしねえ
やっぱ、3日は欲しいんすよ
だいたい、7分の2しか休みがないのって非人道的だと思わないか?
30%にも届かないんだぜ、休み!
3日ありゃだいぶ違うよ
しかも、あれだよ 4日働いて3日働くってことだろ それならいけるよ
5日働くってところもキツいし、2日しか休めないってところもキツい ダブルパンチなんだ今は
それが、4日の労働ですみ、3日休めるんなら、かなり違ってくる
別人のようなパフォーマンスでキリキリ働けるかも 部屋が綺麗になるかも 人間としての研鑽を積めるかも
どう考えても少ないんだ 少なすぎるよ
みんなで畑やってないと餓死するって時代でもないのに、なんでこんなに働かないといけないんだ?
一方では仕事がないとか、ボーシットジョブだとか、そういう話もあるわけじゃないですか
意味ある仕事だけをみんなで回して、休みをたくさんとる そういう方向に行くべきだったんだって、絶対!
みんな必死に走ってんだけど、それがなんのためだか分からないんだ
マラソンに強制参加させられてる感じですよ 俺はただの散歩でいいのにさ
どうせおんなじ道を行くんだったら、歩いたっていいじゃないですか なぜ走るのか そして、なぜ走る人の方にあわせるノリになってるのか
わかんねえよ
ゴールも時間制限もない、近所をうろつくための散歩で、みんな血反吐を吐きながら走っている そういうふうに見えるんだ
もうちょいヘボい暮らしでもいいから、衣食住は確保できつつ、気楽〜に週休3日以上とりてえなあ
そういうことなんすよ
実は可能なのかな
フリーターになりゃいいのか?
実際フリーターになったらどうなるのか、というのには結構興味がある 親の介護とか出てきたらどうするんだよ、詰みだぞ、みたいな言説をよく見かけるが、ホントに50とかまでフリーターやってる人はいるわけで、そういう人は親の介護が出てきたらどうなってるんだ
つか、介護とかしたくねえなあ 俺は介護じゃなくて介錯してくれていいから、両親も介錯してえ
と思うと、案外、今の人類も昔の人類も似たようなことに困らされていて、本質的には変化してないのかも?
いやいやしかし、やっぱりこう、こんなうつ病になりそうな仕事を週5でやりつづけないといけないのはおかしいですって!
「うつ病になりそうな仕事」っていうとブラック企業みたいだけど、実際やってることは低レベルだし、そう苦じゃないんだよな
結局誰か助けてくれという話ですが、誰も助けてはくれないのだった
俺はマジな話、かなり爽やかな遺書が書けると思っていて、それはこの世に未練がないから
「とうとう勇気が出たので、イチ抜けです!
俺自身としてはいま嬉しさと解放感しか感じていないので、どうか暗い感じにならないでください!故人にとってこの死は望ましいものです、それもメチャクチャ!ドリーム・カム・トゥルーです!」
そういうことを書いて死ぬと思う
まあもっと言うとたぶん遺書は書かないで死ぬし、さらに言ってしまえば、結局勇気がなくて死なないだろうな
妥協として惰性で生きているという感じがある
できなかった
俺は弱かった 弱かったので苦しんでいる(ネオリベ)
ガイジすぎw
学力差の是非や学力による社会待遇の差の是非なんか語ってないぞ
「学力が足りないのは本人の研鑽不足のせい」という主張は機会が不平等である実社会や、統計的事実が分かってないし、アメリカリベラルが好きといいながら主張の中心が差別主義の保守と同じという点におかしみがあるって話でしかない
「機会の不平等とかを無視して「学力が足りないのは本人の自己研鑽不足のせい」って言い切るのアメリカの保守っぽくて好き」
という一文をみて
学力差で社会的待遇を考慮しないのなんて、共産主義国を含めてもポルポトくらいだ。
ソ連ですら高学歴であれば給料差のある職についていたし、学歴があれば当然上位の政治職についていた。
お前が望むのはポルポトなのか?