はてなキーワード: 校閲とは
フェミ側はエログロのゾーニングを求めながら(規制)、公的機関からの校閲に反対したり(自由)してるんだけど、
これはポリコレ的活動全般に言えるが、活動を表現規制にしないために、公共のコードwとか、シャカイテキゴウイwとか言い出す
フェミはいつも表現一般についてを話していて、表現規制とか自由とかどっちでもないのかな、と最近思った。
フェミ側はエログロのゾーニングを求めながら(規制)、公的機関からの校閲に反対したり(自由)してるんだけど、表現の自由戦士は「エログロのゾーニング」の部分しか見ないし(それもマンガアニメだけ)、意見を言わないしその部分の自由にしか興味がないからフェミが「表現規制派」でまとめて騒ぐしかなくなってる印象。
だから国とかからの規制、検閲では?みたいな問題に表現の自由戦士の多くがだんまりでフェミが声を挙げてたりする。
表現の自由戦士を名乗るならプライド持って表現につて戦ってほしいしそれができないなら「漫画とアニメのエログロだけを守りたい戦士」とでも名乗ったら良いと思う。
(追記)
ブコメ少し見たんですけど、
どこにも「表現の自由戦士は検閲を望んでる」とは書いてないのにそう曲解してコメントしてる方がいるのはなぜなんだろう…?
本当に文章力落ちてきてる。
増田に転がってるようなしょーもない文章ばかりよんでここ20年ぐらい過ごしてきたのがボディーブローみたいに効いてきた。
エモいだの神だの草生えるだのンゴだの言ってりゃコミュニケーション取れてしまう世界に長くのは不味かったらしい。
定期的にちゃんとした文章が書かれてる物を読んで、どういう文章がまともなのかを認識し直さないとあかんね。
ラノベやエッセイレベルでもいいから、一応は校閲通過済みの文章をもうちょい読むべきだった。
あの頃は週1冊は本読んでたから、どういう文章を書けば少しはマシに見えるかがすぐにイメージ出来てた。
頭の引き出し開ければ少し前にインプットしたまともな文章のパターンがいくつも出てきたからなあ。
最近は句読点省略してるような文章やビックリマーク多用してるような文章ばかりインプットしてるから引き出しの汚染が進みすぎて使い物にならない。
ガベージインガベージアウトの法則だね。
いやいや人間やっぱ本は読んどけですよ本当。
本読んだ所で一見何の役に立たないように見えても、最低限度まともな文章はどう書けばいいのかが無意識レベルで修正されるから。
まともな文章を一行読むたびに、微粒子レベルで自分の文章構成における微妙なズレが矯正されていくんだよ。
その重要さが改めて実感できた。
勝手に殺すな~~
積読消化を苦痛に感じながら、正直読書という趣味の継続に困難を感じてるんだよな。
この記事見て、また最近のラノベ叩きだとか内輪で騒ぐてめェーだよてめェー。(いや昔からつまんないラノベは沢山あったから、最近の話ではない)
人気投票でランキング上位見ても結局認知度調査でしかないんだよな。メディアミックスした作品が上位に来るのは当たり前だ。
おっと、このラノで言えば協力者票があるから、そういう認知度だけじゃないマニアの推薦する図書もランキングに入る仕組みはあるな。
そうだよ、てめェーだよてめェー。ゴミばっか推薦しやがって。
書評ブログとか、全く信用できなくなってんだよな。献本文化と、案件とかもらってんのか知らねえけど、批判しねえし、大した出来でもないゴミを過剰表現のオンパレードで絶賛してやがるからな。
ミミズクと夜の王とか、イリヤの空UFOの夏とかと比べて、お前らがここ最近で絶賛してた魔王2099とか、わたし、二番目の彼女でいいから。とか竜と祭礼がどれくらい面白かったのか、点数表示で愚かな俺様に教えてくんねえかなー。
バズった作品書籍化してりゃいいと思ってる編集者、てめェーだよてめェー。
ハーモニーや華竜の宮に比べて、最後にして最初のアイドルやJKハルは異世界で娼婦になったがどれだけ面白いのか比較で教えてくんねえかな。
俺には分かんねえんだよな。帯に適当な宣伝書いてる奴も同罪だからな。
与えられた餌食ったら全部美味しいって叫ぶ鶏どもがさ。発言権与えちまったばかりに検索を汚染してて迷惑してんだよ。出版社がそういう鶏向けの飼料メーカーでその従業員である自覚してんだったらいいけどさ。そしたら編集はバズの数字見てるだけの工員として自覚を持て、二度と作品の質に一家言ある風なツイートすんじゃねえぞボケ。
なあ、鶏さんたちよぉ、紫色のクオリアや皇国の守護者に比べて星系出雲の兵站やねじ巻き精霊戦記 天鏡のアルデラミンや彼女のL ~嘘つきたちの攻防戦~がどれだけ面白いのか教えてくれよ。
これはラノベに限らないんだけどネガティブ評価をしない文化が広まっていて、ツイッターはあてにならんし、アマゾンレビューでも一番参考になる星2ぐらいの評価が全然なくなった。
他にも今ではすっかり害悪として名高いラ研の書評を見てみよう。
2003年発売の涼宮ハルヒの憂鬱と、2011年発売のやはり俺の青春ラブコメは間違っているの読者投票の結果では、投票数に占める最高評価の割合が明らかに変化していることが見てとれる。
なんでも絶賛文化のせいで本当の傑作が傍から判別できず、結局ジャケ買いと大差ない判断力で買うしかないんだよな。そのせいでゴミを何十回と掴ませられるとかこんな文化もう滅んだ方がいいだろ……。
MF文庫が猛威を振るってた頃にラノベって結局ソフトポルノじゃんとか言ってたやつを思い出すわ。
今や、右も左もシチュエーションラブコメとか、縮小再生産みたいなジャンル小説、お題小説のオンパレードだ。
高齢化するオタクくんの性欲や社会での鬱屈解消のためになろうで生産されるゴミを読まされるのもこりごりだよ~。
なろう系はあくまでなろうランキングをハックするための工芸品だから、まあ読まなきゃいいだけなのでまだ良心的だ。
ライト文芸はひと昔前はラノベ表紙としては見向きもされなかったpixiv青春系の表紙が面陳で青一色とかになっててそれはそれで食傷気味なんだよな。結局さぁ!編集者が何のポリシーもなく後追いしかできねえからさぁ!
女性向けポルノっぽいのもここに集中してるから、それもまあ表紙見ればある程度判別できるから回避可能。
一般文芸読みにいってもアニメキャラみたいなのばっかなのは草。昔文学賞のクソ爺どもが言ってたことがちょっとわかるわ。インターネットを通じて、アニメの流行を通じて、作家の想像力や語彙力に明らかな影響を与えてるんだよな。まあそれはいいんだけど、肝心の内容がつまらんのよ。
一般で売れてたところで和菓子のアンとか、ライト文芸でSNSの身内褒めと宣伝だけやたら上手だった、「私が笑ったら、死にますから」と、水品さんは言ったんだ。とか、シンプルに筆折れと思ったもん。こういうプロモーションで出てきて内実がカスなの、将来の読者減らす結果になってる気がするんだが。
そん中だと閻魔堂沙羅の推理奇譚は頑張ってたな。上手いの分かるよ。medium 霊媒探偵城塚翡翠もまあまあよかった。作者のやりたいことは分かるわ。屍人荘の殺人もよかった。ミステリばっかじゃねえか。
てかよぉ、ライトノベルと呼ばれたくなくて、ライト文芸ってジャンル作ったってのに、何年経っても傑作が出たって話が聞こえてこねえんだが?
ブームの起点になってたビブリア古書堂の事件手帖 ~栞子さんと奇妙な客人たち~なんかは時代が下ればコピー品が増えてるし見劣りするかもしれんが、あの時点で出した作品としてはそれなりによかったと思う。ぼくは明日、昨日のきみとデートするあたりも意外と出来がよかった。傑作とは到底言えないが、この辺りぐらいは商品として維持してほしいクオリティだわな。
はてなでは嫌われている知念氏の天久鷹央の推理カルテも悪くない出来だと思うよ。一巻しか読んでないが。
君の膵臓をたべたいの読者層はもう昔からあの層ぐらいで諦めがついているけど、中身は読まないと確認できないから、食ってゴミなの確認するのやっぱつれぇわ。
正直言うていい?ラノベのラブコメ、だいたいマンガの劣化やろ。
小節の利点ってさあ、俺様みたいな貧困層出身のガキが購入する上でマンガに比べて価格と消費時間のコスパがいいってところぐらいだろ。
文庫本一冊の新刊を買うぐらいなら同じ値段でサブスクに加入すればいい。なんなら家族が加入していれば無料で、消費し尽くせないほどのコンテンツを浴びるほど楽しめる。
そうすると逆に時間の価値が高くなってくるんだよな。ラノベは一冊の消費にかかる時間が長い。ハズレを引いたときの徒労感が尋常じゃないんだよね。(俺は買った作品を途中で投げることがなかなかできなかった。作者がオチや終盤に全力を込めていた場合、そこまで読んでから酷評するのがマナーだと思うから)
今やラノベはコスパ最悪の娯楽だ。つまり貴重な時間を使って、一定以上の快楽を摂取したいという願望を速やかに満たすには、なろう系的なスカッとジャパンファンタジーやシチュエーションラブコメというほぼほぼツイッタークソマンガの劣化版をさらに劣化させた産廃を生産せざるを得ないのだ。悲しいねえ。
胸躍るようなものを見たけりゃアニメや映画見てればいいんだよね。単純に作者とイラストレーターと編集、校閲のせいぜい四名程度で制作してるコンテンツと何十人が力合わせて創ってるコンテンツ、どっちが面白いかなんか聞かなくても分かるし、市場規模が実質、客から見た面白さの差なんだよね。(クリエイター馬力理論と名付けよう)
マンガとラノベでなぜ売上が歴然と違うのか?ラノベがつまらねえからだよ。
あー すっきり・・・・・
しねぇんだよ
てめェーだよてめェー。
ラノベがディスられるたびにきっしょいお気持ちツイートばっかしやがってよ。フォロワーの間でお気持ち表明とよいしょで傷口ペロペロしとる作家ほど見たくなかったもんはねえよな。
こういう記事にお前の感性が老化したんだとか、他人のせいにして自分の作品のゴミっぷりから目を背けてるカスども。一部でも面白いと言ってくれる読者がいればいいとか言ってるカスども。
言っちゃ悪いがお前らの作品10年後には誰も口にせんし、覚えてもねえわ。覚えてるのはゴミ食わされて未だに下水の味が口に残ってる俺みたいな奴だけだわ。この記事書きながらうんこ垂れ流した奴らのことめっちゃ思い出したもん。
ここに例示した作品すべてを眺めて、なお自分の方が面白いと叫べるような奴いる?いてもどっかのvtuber小説の人みたいに自分の実力を過大評価してる奴ぐらいだろうが。
それでも俺は、小説には小説でしか表現できない面白さがあると思っている。
まあせいぜい気張れや。
そういえば せわになった ひともいたな・・・・・
いつもゴミの中から食べられるものを選り分けてくれるフォロワーありがとう。
どうもでした。
今、日本に百いくつもあるオタクコンテンツの中でも公共交通系オタクは最近毎日のように批判を日本中から受けてますよね。もちろんそのなかにはこれを見て恥ずかしいって気持ちは当然なんだけど、1人がそう思って盗撮してそれをSNSにアップするっていうことはあるけど、その運動が社会全般に巨大化した時に、すごく吊し上げや糾弾のような、それも彼ら彼女らが引っ込むまでそれを騒ぎ続けるのかって、それはそれでつまらないことで騒いで飯を食う人間の思う壺なんじゃないか。それはそれで考えないといけないって気がするけどね。
戦後昭和のころから2010年代ぐらいまでは公共交通系オタクの中でも鉄道を楽しむオタクな人間が撮影したメディアを雑誌がそれを掲載して、校閲通してそれが盛んに店頭で販売されていた。いまでもかなり衰退しているけど雑誌が残っているんだっけ。そういう局面が昔から続く、そのサブカルチャーの中にあった。
かくいう私なんか昔は腕の良いネトゲ民だったから大学入ったころから大学卒業後間もなくしてしばらくまでネトゲでリアルマネー換金OKのネトゲでアイテムを換金したこともある。それはすごく若気の至りだったし、大人がやることじゃなかったし、若い人や子供たちのやることって大体残酷でしょう、今鉄道オタクやられている人の中でも若い人とか子供の世代もいますから老害階級からあーだこーだ云ってもアレですからこんなの今から考えりゃね、そういう意味でいうと、そういう過去があったっていうのを、その過去ごと否定されると、自分たちももしかしたら……
それに鉄道趣味に限らずサブカルチャーっていうのはとある社会背景があって成立する可能性もあるんだよね。その時代の価値観を言い訳にするなよって言われるだろうけど、現実に、公共インフラがお金儲けありきの時代になって鉄道好きがお得意様として受け入れられる文化っていうのはコロナ期の今から考えたらあまりにも下火になって考えられないけど、その時代の価値観と今の価値観とで、今歴史を評価するときに、その時代の価値観を知りながら評価しないといけないのはどの文化でも同じ。
今の価値観で断罪してしまうことっていうのはダメだと思う。もちろん当時私もこの時代生きてたわけだから、これはちょっと腹が立つなって思ったけどね。
昔の価値観ではOKだったということについて私が言いたいのは迷惑行為云々ではなく鉄道オタクという公共インフラを商売や趣味の道具として使う文化・思想である。
「何の自慢にもならならないけど」って言ってるけどウソじゃん。
「長文で1000超えた」とか、具体的な数字出してる時点で自慢になってるじゃん。
こっちは生まれてこの方貧乏で家族に疎まれていて恋人もいなくて苦しんで鬱屈した人生を歩んできていたんだよ。その気持ちを文才の無い頭を振り絞って何日もかけてキーボードをたたいて文章にしてそれを消してと繰り返してお気持ち増田を書いて、文章の誤字に気を使ったりタイトル名とか投稿時間とか気にかけてそれでもブクマ0・記事への反応0なんだよ。
せめて増田の中くらいは自分の存在価値を認めてもらいたいと考えているのにそれが叶わない気持ちってわかる?わかんないよね。自分の書いた記事を元にビジネス系のブログなんて書かれたらそれはそれはうれしいでしょうね。こっちは底辺普通科高校中退でそんな教養なんてあるわけないのに。
それに有名ブクマカにブクマカしてもらった上に、そのコメントが大したことないなんてマウントとっちゃうなんて贅沢過ぎない?こっちは渾身の増田にブクマ0なんてしょっちゅうだし、たまにブクマついても無言ブクマだし、でも無言ブクマでもメチャクチャありがたいんだよ。ブクマにコメントがついていたら、うれしさのあまり何度も見返しちゃうね。それが批判だったりや本文を無視したただの罵詈雑言だとしてもね。
「鼻息荒い長文コメントを書く人もいるけど」って何?ネットの文章で鼻息なんてわかるわけないじゃん。有名ブクマカだけでなく熱意のこもった長文コメントにまでマウントしちゃうなんてそこまであなたは立派なの?昨日の飯について書いてもバズらないってのに。文章を読んでくれた上に間違いを指摘してくれた人にまで「野良校閲マン」なんて見下すなんてどういうつもり?
結局なんだかんだ書いてるけど、あなたはおもしろいから増田書いてるだけじゃん。でも「Twitterでバズるより100倍おもろい」とかいかにも「俺はTwitterでもバズったことあるぞ」みたいな自慢するくせに、「自分のチラ裏で己の呪いを撒き散らせ」なんて自分以外の増田を呪いと呼んで見下すなんてやっぱり性格悪くない?
バズるの基準は知らんがデイリーに何度も入っているからまぁ多分そこそこバズってんだと思う。長文で1000とか越えたことあるし。
まぁ何の自慢にもならならないけど
匿名で気持ちの赴くままに書き散らかした文章に多方面から反応をもらえるのは面白い、自分の書いた記事を元にビジネス系のブログを書く人もいたし。人のチラ裏を飯の種にすなと思ったけど。
書き手になると分かるが、有名ブクマカと呼ばれる人は本文読んでない人が多い、タイトルだけ読んで自語りするイメージ。それにスターが山ほど付いていたりするから謎。
読解力のある人のコメントはさほどスターはつかないことが多いが、質が高くて参考になる。
ブコメは一応ユーザー名を待つ『個』なので最低限の品位は保たれている印象。まぁやばい人もいるが大抵スルーされている。
匿名性が高まるほどに人間は醜悪になるのか、はたまた匿名性が高い場所に醜悪な輩が集まるのか、謎。
何故赤の他人にこれほど攻撃的になれるのかと思うもの必ずあるし、卑屈すぎると思うおっさんのぼやきも必ずと言っていいほどある。自信持てよ。人のチラ裏で嘆くんじゃない。ちなみに自分は記事にコメントしたことはほぼない。
ここでは書き散らかすのがメイン、それにコメントは自分が上の理由から結構読み飛ばしてるから。だって開口一番「馬鹿だろおまえ」なんてコメント読むと思うか?投稿者に読まれなくて可哀想だなこの人って思いながら読み飛ばしてるよ。
鼻息荒い長文コメントを書く人もいるけど、その熱量を自分の昨日の飯についてでも書いた方がバズると思う。
人間のアドバイス欲と説教欲って業が深いよね、おもろいなとつくづく思う。
あと野良校閲マンも絶対にいる、匿名で書く1円にもならん文章を文章を推敲すると思わないでくれ。これもアドバイス欲に入るのか『細かいことに気づく自分』という一種の優越感なか。人の記事で承認欲求満たすんじゃない。