はてなキーワード: 方眼紙とは
Excel方眼紙がなんでつくられるかというと、そこらにあるもろもろの帳票をExcelで書くために使われているんじゃないかと。
帳票っていうのは、あれね、役所とかに出す申請書類みたいなのを想像してもらえればOK
罫線が職人芸によって寄木細工のように見事に組み合わされたあれです。
あと、ある欄に記入した金額とかを別の欄の値に足したり引いたり掛けたり割ったりします。
こういう帳票を作ったり印刷したりするなら、別にExcelじゃなくても、ふつーに帳票作成ソフトを使えって話になるんだが、
これには帳票を提出する側も、帳票を受け取る側も同じソフトを使ってないといけない。
そうでないとファイルもらったけど見れねー印刷できねー使えねーって言われる。
それを言っちゃあおしまいだw
手軽に「世の中バカが多くて困ったもんだなあ」と悦に浸れるネタだから盛り上がりやすいってだけだね
どこかで具体的なデメリットを挙げてる人もいるけれど、そういうのも結局はお互いの運用ルールを詰めて改善させていくしかないし、実際殆どの現場はそうしてる
ビジネス文書で罫線使った表をこんなに多用する必要があるのかという部分に問題があると思う。
http://wol.nikkeibp.co.jp/article/column/20130523/153361/
追記読んで思った。
おまえみたいな考え方だから方眼excelで迷惑する人間が後を絶たないんだ。
「データ入力がうんたらかんたらってのも、打ち込む奴にルール守らせればいいだけだと思うんだけど」とか
おまえのルールに全員が従う事を前提に物事を言っている。
自分は表計算ソフトの正しい使い方を守っていないにも関わらず、だ。
excelをレイアウトに使う用途と、印刷に使う用途と、どちらがツールとしてのルールに沿っている?
方眼紙というかマス目として使うことにガタガタ云ってる人がいるが、スプレッドシートを表計算と訳すところに問題があるのではないか。
本当かどうかはしらないけど、初期は"electronic spreadsheet"って言っていたようだ。
いつも思うんだけど、Excelを方眼紙代わりに使う事にどんな弊害があんの?
批判してる人の主張をいくつか見てるけど、具体的な弊害が今ひとつ見えてこない。
「○○(聞いたことがない、調べたら結構高価なソフト)を使うべき」とか「××(ノウハウの習得に時間がかかりそうな手法)を使うべき」みたいなのしか出てこないし。
http://anond.hatelabo.jp/20130528175543
うーむ、その程度で叩いてるのだとしたら叩く側がちょっと狭量というか…
http://anond.hatelabo.jp/20130528193905
そもそも外部にそんな手間をかけさせるようなファイルは出さないだろ。
追記
なんか妙にブコメついてんな。
データ入力がうんたらかんたらってのも、打ち込む奴にルール守らせればいいだけだと思うんだけど
http://anond.hatelabo.jp/20130529002013
お前みたいにいきなり喧嘩腰なのがいるのも減らない理由だと思うよ。
ブコメもそうだけど、分かってない人間をバカにするたけでちゃんと説明しない奴多すぎだろ。
で、Excelの代わりに何を使うべきなんだ?
生まれて初めてExcel方眼紙の実物を見たときはカルチャーショックを受けました。
ある意味感動したけど、なんか理由のわからない恥ずかしさを感じました。
あれはなぜでしょうね。うまく言葉に出来ません。
たびたび方眼紙が批判されているのは見たことがあって、下記のブコメでも批判は多い
http://b.hatena.ne.jp/entry/wol.nikkeibp.co.jp/article/column/20130523/153361/
「Excelは表計算ソフトだから」とか言ってる人はフォトショでお絵かきしてる人にも同じような事言うんでしょうか。
Excel方眼紙の本質は、それが(余計なことをしない)フリーカーソルエディタであるというところにあります。
とはいえExcelはもともとそうなので、方眼にするのはレイアウトの自由度を上げるためでしかありません。
普段使いの道具としては、フリーカーソルであるということは大きな利点です。
そして、複数のツールに熟練するというのは、そこらのオジサンたちにとってはなかなか大変なことであります。
ちなみに文書の美しさという点から見れば、ワープロ専用機のビシビシ決まった罫線で文書を作っていた人がWordに移行できたはずもないですね。
「思い通りの線を引ける」というのは、とんでもなく重要です。
エクセルによるバグ管理からウェブベースのBTSへの移行を試みた。
結果としては失敗したので、失敗した要因を備忘録とする。
開発メンバ以外も起票するため、エクセル台帳に起票させることにした。
しかし、こちらが提供した台帳とBTS上のフォーマットに乖離がありすぎた。
アナウンスした理由としては上長を含めた会議を、この資料をベースで行うため。
結果二重管理状態となり、メンバはBTSのメリットが理解できなくなる。
よってメンバが合理的に行動する帰結は、マスタの直接更新である。。
走りながらでもなんとかなると思っていたという見込みの甘さ。
根回しが下手くそだった
ロビー活動を行う
メンバーの興味は最初は高かったが、結果的にエクセルとの二重管理状態になり負担を増やしてしまった。
もちろん解決すべき課題も増えるので、次第にではなくエクセルのステータスを変更していくことになった。
快適な環境を準備できずに生産性を下げてしまったと認識している。
エクセルがBTSのマスタを取り返した結果、何も生み出さない管理に工数を費やした。
このような生産性を下げる工数をある程度削減することこそ、BTSに期待するものである。
今回BTSとエクセル両方の面倒を見る中で、やはりエクセルによる管理は貧弱だと感じた。
ユーティリティプレイヤーのエクセルと、専門家を比べたとき、やはり専門家は高パフォーマンスである。
エクセルが邪悪なのではなく、BTSが「そのような使い方においては」より効果的に機能するということである
エクセル方眼紙を使うことが邪悪であって、エクセル自体は…いや、やっぱ邪悪か…
ビジョンすらない。
何も考えていなかった、モノが作りたいという漠然とした想いと、とにかく安定した職に就きたい、という気持ちだけで、一発目に内定くれたところに入った。地元企業だった。
二年目に入って、炎上していたプロジェクトに入れられた。地方から、わざわざ都内の大きなビルの開発室に、長期の常駐。スルガ銀行や、特許庁みたいな、クソ巨大なプロジェクトで、全然前に進まない泥沼タイプの炎上だった。
三ヶ月の研修と、九ヶ月のゆるーいプロジェクトの、その程度の知識で放り込まれた先に待っていたのは、こんなんで動くわけがないアバウトなんてもんじゃない曖昧模糊とした設計書作成(将来的には中国に丸投げ)とエクセル方眼紙の枠を直すお仕事、あとは意味不明な指標で作り上げられた工数管理のこれまたぐちゃぐちゃになった数字をなんとか合わせなきゃいけない仕事だった。
多分、ひどい、仕事だった。
砂遊びの方がまだ生産性あるんじゃないか、そう思っていた。穴掘って埋める仕事だな、と思っていた。
高度で繊細すぎるエクセルを用いた、意味不明な指標で工程を管理する表を作成していたときは、「お前もどうせすぐ捨てられるのにな」なんて呟きながら作っていた。
長期出張+常駐だったが、同じ会社の先輩たちも同じように何人もそこに軟禁させられていた。みんな疲れた顔をしていた。頼れそうな人はいなかった。
もともと精神の強くない私が、壊れるまで三ヶ月かからなかった。壊れたといっても、毎日会社に行く前と会社をでた後と寝る前とたまに就業時間中に涙が止まらなくなったこと、多少の起死念慮、若干の不眠程度ではあったが。それでも、すごく、辛かったし、現にこれを書いている今もつい涙を流してしまっている程度にはトラウマだ。
プロジェクトについてから半年でドロップアウトし、半年の休職を経て、前職を辞めた。
それからすぐに今の職に着いた。今の職は金融系の一般事務だ。定時あがりで楽で、ただし給料は安い。
総合職につくのが、怖かった。ただそれだけではあった。
今は毎日、名前とか一部の数字が違うだけの書類の同じ場所に蛍光ペンで印をつける、簡単なお仕事しかしていない。割と誇張ではない。本当にそんな仕事だ。
IT部門が頑張ってペーパーレス化進めれば、すぐになくなるであろう仕事だな、と思いながら仕事をしている。
毎日私の上を書類が素通りしていく感じ。半年前の私よりかは少しその書類の捌き方がはやくなったよ、とは言えるけれど、それ以外は何もない。貯まって行くものがない。そんな感覚を受け、悲しくなる。
何かものを作りたい。同じ平日八時間+α時間使うなら、何か、作る仕事がしたい。
誰かが喜んだり楽しんだりするものを作りたい。
でも、こんな、新人に毛すら生えていないのに無駄に年をくった状態で、誰が雇うんだろうか?こんな御時世に?技術なんて皆無だぜ?
そもそもIT業界入りたいって、お前何したいの?少なくともSIerで常駐はしたくねーだろ、でもそんなこといってらんなくね?少なくとも現時点で能力とか皆無なんだし。
プログラミングも素人程度、デザインもできるわけがなく、企画もなんもできないじゃん!やったことないじゃん!
今年で26、カビの生えたクリスマスケーキ状態じゃね?誰が食べたいと思うの?
新卒ならともかく、もう社会人経験今年で一応四年目だよ?教えて教えては甘えじゃない?未経験からって他の経験もろくにしてないでしょ?
まぁ未経験でもとってくれるところあるけれども、きっとブラックなんだろうなぁ。
そんな言葉が頭を回る。
でも、今後ずっと今の職を続けるの?と考えると、背筋が凍る。
確かに私は運が悪かった、それ以上に私はあまりにも自分のことを考えてなさすぎる部分はあったんだろう。
一社目を選ばなければ、もっとこういうことがやりたいってちゃんと考えておけば、二社目選んだ時も楽だからって選ばなければ。
後悔は尽きない。けれど一社目を辞めたことに後悔はないことだけは、唯一の救いかなと思っている。
もう新人の扱いは終わっている時期だ。第二新卒すら今の職につくのに使ってしまった。
今から新しいキャリアを描きたい、だなんて、とても、甘えているような気がする。
というか、今までいろいろなものに甘えすぎた結果がこれな気がする。
きっと、何かをあきらめて、何かを獲得しに必死にならなければいけないのだ。
まだ、その覚悟が、きっと、足りていない。
これから、私はどうしよう。
どんな風に、生きていこう。
最後に、新社会人の皆さん、後悔しないように、ポジショニングとスキルアップがんばってね。
追記。
ちょっと狙って書いてはいたけどあっさりホッテントリ入ってびっくりした。
幸い、余暇はあるのでそこでまずは何か一つ作るところからだよな。
プログラム:定義づけられた物事を進めていく妥当な手順・方法の決定、および物事・手順・方法の記述書
(コンピューター)プログラミング:コンピューターが進めていく物事を定義し、妥当な手順・方法を決定し、記述すること。
プログラミング = デザイニング union コーディング;
デザイニング:進めていく物事を定義し、妥当な手順・方法を決定すること。
コーディング:コンピューターが進めていく定義づけられた物事の決定された妥当な手順・方法を、記述すること。
CD(コーダー):コーディングする人。プログラマーとは限らない。
SE(システムス エンジニア):進めていくべき物事を定義する人。プログラマーとは限らない。
PM(プロジェクト マネージャー):(プログラマー)プログラマー。(コンピューター)プログラマーとは限らない。
※日本のソフトウェア業界ではSEが定義した物事を、何の工夫も無くそのまま記述するCDという体制となっている。
つまり「物事を進めていく手順・方法」が余りにも稚拙で、PGと呼べるSEやCDが居ない。
※「物事を進めていく手順・方法」の巧拙の例としては、
PG: (初項 + 最終項) x 項数 /2
というように、例えば巧拙の差は「上手い・エレガントな方法・アルゴリズム」だったりします。
・継続的に勉強できない(1週間で最低10時間は、何があっても勉強しましょう)
・論文・学術書が読めない。(コードはお堅い理論的に筋道立った文章の極致の一つです)
・100ページくらいなら一晩で修得してやろうという気合いが無い(一晩で仕様書読み込んで次の日から活かす必要があったりします)
・仕事のやり方に疑問を抱かない(楽するためにはどんな苦労も厭わず、常に最善を考えましょう)
・いつかはマネジメントをしたい(人を使うよりも、プログラム組んで仕事させた方が、安くて速くて正確ですよ)
※(笑)なマネジメント:下僕に進捗という数字を報告させて、自分の握っている進捗管理という方眼紙のマス目を埋める作業。
自身の雇い主にマス目の埋まり具合を報告する作業。
※ここで以下の1~4を6ヶ月がんばっても挫折する方は、「一山いくらのコーダー」にしかなれない可能性が高いため、
しがみついてしまうと、真っ当な技術者の足を引っ張ることになります。
・逐次実行、条件分岐、反復実行
・ポインタ ※最近、情報学科のくせに学部でポインタを教えない大学があり、そういうところは真っ当な大学ではございません。
1)O'REILLYの[amazon:C++実践プログラミング]を最初の「ポインタ」まで読んでください。
2)C++の実行環境をC99で整えてください。(環境の準備は自分で面倒を見てください)
3)ポインタを用いて、文字のLinkedListクラスを実装してください。
※LinkedListとは以下の仕様を満たすクラスとします。(C++でJavaのLinkedListを実装)
http://docs.oracle.com/javase/jp/6/api/java/util/LinkedList.html
4)LinkedListの入れ子でTree構造をつくり、再帰を用いて、全要素をコンソール出力するプログラムを作ってください。
5)4)をクリア出来た人は、この本を1年以内に全部読んでください。
ただし、C++は複雑怪奇な言語のため、これ以降は知識レベルの修得で構いません。
私は中3の時、STLやBoostどころかbooleanの無い時にこの本を9ヶ月で読んでおります。
※私が面接に出る場合は、当該内容のLinkedListやQuickSortの概要を直ぐさま説明できる人は、可能性有りと○を出します。
面接で「LinkedListを勉強してきました、直ぐさま説明できます」といって、「そんなの出来て当たり前だ」と言ってくれる会社は殆どございません。
大抵はポカーンとして意味不明という顔をする文系人事だったり、「そんな技能必要ない」というところが殆どです。
逆に「できて当然」と言ってくれる会社は、技術をしっかり学べる可能性大です。
★ここまでクリアした方は、「入門者」と呼んで差し支えございません。次は「初級者」への挑戦です。
※初級者になるためからは、べらぼうに学ぶべきことが広がります。
燎原の火のごとく。
※筆者の立場
http://anond.hatelabo.jp/20130310152356
元増田に便乗したお陰か、思ったより多くの方に読んで頂けたようでとても嬉しいです。
こんな付け足しを書くのは興ざめかもしれないけれど、
似たような境遇の人も多いようだし、
もうちょっと具体的な事を「あとがき」として補足しても良いかな、
という気になりました。
(申し訳ないことに、この付け足しも長いです)
私の文章は、元増田
「上流エンジニアなんて死んじまえ」
http://anond.hatelabo.jp/20130309233920
「上流にも技術力はあるはず」
という、上流下流のどちらが優秀かという議論が問題からやや外れているように思えたため書いたものです。
優秀な人がいても活躍できず、当たり前のような施策もうまく働かない、
(下流にいたほうが技術力の見せ場が多いため、
下流に優秀な人が多いように見える傾向はありそうです)
そして、その他の19人~49人は基本的に普通の人です。
20~50人に1人の人をあてにして仕事を進めるのは(現状のSIer周辺では)不可能なため、
19人~49人の普通の人が持つ価値観・思考・ペースで仕事を進める事になります。
さて、システム開発でソフトウェアの基本構造を決める部分について、
どうしても一種の才能(パターン認識・適用能力)が必要なのですが、
才能のある人が適切に作業に割り当てられる可能性は低くなります。
その結果、普通の人が納得しやすい下記のような方法が取られがちです。
こういった構造は、当時は場当たり的なつもりでも結局は規約化してしまい、
「途中で何を思いついても設計書の通りに絶対作れよ」
といったSIerにありがちな規約と相まって、未来永劫負の遺産として残ることが多いです。
そして、一旦ダメな土台が出来上がると、その上には基本的にダメなものしか重ねられないため、
どんどんダメになっていき、最終的には手のつけられない沈没船になります。
プログラムの基本構造がダメだと、どんな優秀な人であっても出来ることが限られます。
当然リファクタリングすれば良いのですが、
といった、普通の人による突っ込みには、現場での反論がなかなかしにくいです。
そして、リファクタリングもやはり才能のある人が中心になる必要があり、
ここまで書いてきたようなことが、
現場の中に居たままそこを良くする方法は、結局思いつけませんでした。
これをこの先何年続けても無意味だな、と思い、転身することにしました。
正当な取るべきリスクを取った結果だと思うのです。
沈没船では最初から沈没寸前のため、リスクを負うことができないか、異常に増幅されます。
運用上リスクを負うことのできない(機能追加できない・構造を改善できない)システムなど、
黒船は、取れるリスクの幅が大きいからこそ難しい航路を選べるし、
そこで失敗したとしても、それ自体が業界や人類全体の資産になるのだと思います。
黒船は水平線のはるか向こうで、船長はそれらが見えないため気楽です。
ちゃんと沈没してくれれば、最終的にはまともな船しか残らないので助かるのですが、
まともさに関する競争が働きにくいところがあるらしく、
リスク満載のはずの沈没船を安泰とさせている事によるコストは、
最終的には企業全体・社会・国家・人類といったものが負っていると思われます。
普通の人というのは、
家に帰ってから基本的には勉強せず(資格や仕事で必要な場合は別)、
仕事で決められた範囲のツール・技術・問題領域で満足できる人の事です。
これは不真面目とか怠慢とかそんなわけではありません。
例えば、マクドナルド店員が、
自宅でもビーフパテを練ってハンバーガーの焼き色を研究したりレシピを何冊も書いたり、
毎日毎日ポテトやハンバーガーをキーワードにググったりブログを読んだり、
枕元には常に藤田田の著作を数冊積んでいて、本棚には完全なコレクションがあったり、
1日に5度は銀座1号店の方角へお祈りを捧げたりしたら、
やはり変だと思うのです。
「才能のある人」とは、そういう事をごく自然に、
それこそ食事や睡眠のように日々やっている人です。
さらに言えば、これはマクドナルド店員を例に出すと変に思えるのであって、
ギタリストやピアニストや作家や写真家やデザイナーといった専門家であれば
不自然でも何でもない最低限のたしなみです。
20人~50人に1人という割合も、それがプロのギタリストであれば納得できる数字です。
本来そのぐらい特殊な専門領域を広く一般に開放してしまっているという問題が、
やあ。分かるやつには分かると思うが、俺だ。ネット見てると一見真面目でマトモな空間にも2ch的な低俗で野卑た対立煽りがぎょうさんひしめいていて現実から乖離した事実認識が続々と形成されているのが観察できる。
さらに問題なのはその事態を2chと同等の低俗さだと気付いて「いねえ」人が結構というか殆どだということなんだな。いま何が起きているのか、世の中や人の心の仕組みはどうなっているか、その実際の姿が見えているか、
それとも見えて「いねえ」か、その違いは凄まじく大きい。真実を洞察できる慧眼が求められている時代。冬の時代。いま、言葉の究極的な意味で「実際的」な人間が貴重。
さて。
記憶術の話なのだが、そもそも世の中のテクニック本の類は二重にワンパターン化されてしまっていると思っている。1つ目は受け手すなわち読者の問題で勝手にパクリ認定したりそうでなくともあの方法の改変か
といった形でしか物事を理解できない人間が多いこと。理解は単なる既存のフレームワークへの当てはめとする創発のカケラもない受動的な認知モデルはとっくに古くなっているのに。2つ目は書き手の問題で読者と同じくワンパターンにしか
考えられないから世の中の本はしょせんパクリだらけと「ガチで」思っているから自分もそういうパクリ本の量産に加担せんとて書くという輩である。
つまりはワンパターンじゃないミュータントもかなり混入しているのに関わらず二重のワンパターン化の力が強力過ぎて業界全体が完全なるワンパターンのマンネリの泥沼に陥っているかのように大半の人が錯覚してしまうのである。
で。
具体例を言ったところで上記のワンパターン脳には効き目が無いので具体例をあえて挙げないのが俺の習性なのだが、ここではあえて具体例を挙げる。
そうだなイメージが苦手な人もいるだろうからこうしよう。方眼紙タイプの小さなメモ帳を携帯し、そこに罫線にそってテキトーな図形を描き、その内部のマスに記憶したい事項を入れていくってのはどうだ?
ここまで聞いてなんだ「場所法」か等と思った記憶術マニアだとか別に新しくないじゃんと思った一般人だとかはこのエントリを読んでも意味がないことを保証する。
あえてこの方法について突っ込んだ説明はしない。どこが新しいのか、どこが強力なのか、など。何か新しさを感じた人だけやってみたらいい。
で。
なんでこんな話をわざわざしているかというと、新しさってそもそも思い込みを外して見れるってことなんだよな。とくにネット漬けの人。記憶術そのものはどうでもよろしい。
と言ってもネット漬けの人を俺が治せるとは思わないし、せいぜい出来るのはネットから距離がとれている人を呼びかけてネット漬けの人について何か働きかけるキッカケを与えるくらいだな。
そのくらい彼らは思い込みで支配されているしこの世界もまた思い込みで埋め尽くされてしまっているんだ。すごい音楽や絵画ってすごいのは伝わるけど何故すごいかは伝わらないんだよな。
何故が分かると言葉による思い込みが働いて新しさが欠如する。元電気グルーヴの砂原良徳もそういうコンセプトで「take off and landing」を制作したんだ。
ニュースを見て実際の有り様、つまり<実態>だな、それを確認することなく鵜呑みにするのは危険だろう?だがその罠を回避しようとしようとするフリはしつつも結局<実態>から逃げてるんだよな。
そんな時代だからこそ、自分の足で歩いて自分の目で見たことだけ信じている人間の脳のつくりはまるで異次元だよ。たとえば、大前研一氏はそういうタイプの人間だよな。
先日、3年半ほど勤め上げた会社を辞めた。
辞めた理由は外面は家庭の事情による一身上の都合ということになってるけど、本音は職場での意識の低さに辟易したところが大きい。
中堅SIerでにわかSEみたいなことをやってたわけだが、とにかく内情がひどかった。
プライドとかプロ意識とか呼ばれている類の者は全く存在しなかった。
ある先輩社員は仕事をしながら机にiPhoneを置いて堂々とモバマスをやっていた。
そしてそれを注意する社員もいなかった。
当然のごとく、仕事はほとんど進んでいなかった。後から聞いた話だと納期がかなり緩いプロジェクトだったようだが。
忙しいふりをしてだらだら仕事をするのはよくあることだとは思うけど、ここまで来るともうなんというか開いた口がふさがらないぐらい呆れる。
ある上司の下で仕事していたときに、お客さんに急ぎでメールを送らなければいけないときがあり、資料探して10分で文面書いて上司に送信をお願いした。お客さんとの連絡と調整は全部上司がやっていたからだ。
で、私が文面書いて送ったメールがbccで自分のところに届いたのはそれから3時間後。メール送信時間は受信時間と同じだった。
それでいてわざわざよくわからない言い回しに変えて送信する始末。
結局、送って10分後ぐらいにお客さんから電話があって上司共々怒られる羽目に。
またある上司に業務改善を提案したときには「それめんどくさいね」「問題が起きたら全責任君がとれるの?」「やるんだったら1から10まで全部君がやってよ」と言われる始末。
それでもなんとか説き伏せ「じゃ資料作って」と言われて資料作ったものの、「やっぱりめんどくさいね。今のままでいいじゃん」と門前払い。
結局その上司、とあるプロジェクトでExcel方眼紙直すために3徹ぐらいしてた。見ていて若干気の毒だったが。
別チームの社員はというと、お客さんから言われるがままに仕事をしていた。
そこから聞こえてくるのは、お客さんに対する愚痴と、つじつま合わせの言い分けの打ち合わせとため息ばかりだった。
そんな状況になってしまったのは提案に大失敗したから、とかそんな話のようだったが、それでも何も言わないのでは哀れな傀儡のようだ。
会社としてはお客さんから金をもらえるからそれでいいのかもしれないが。
高い金かけて以前と何ら変わらないシステム作るぐらいなら、その金でそれまでのシステムが動いていたハードをなんとかして調達すればいいんじゃないの、とか思う。
ハード屋さんは大変かもしれないけど。
とにかくこんな職場に嫌気がさし、実家のごたごたも重なったところで衝動的に仕事を辞めた。
前々から違和感は感じてたからあまり衝動的ではないかもしれないけど。手取りも少なかったし。
再就職とか起業も考えたけど、結果的にぬるま湯に浸かりすぎてしまったせいでどこに行ってもダメだろうし、実家戻ってゆっくり考えようか。
実家もわりと大変だし、実家から近いところで非IT系の仕事でも探した方がいいのかもしれない。
同じ事言ったわ。でも、世の中新しい技術だけで動いてるわけじゃないんだよね。
どんな糞システムだろうが今動いてる事に価値があるんだとさ。気づいた時にはもう遅かったけど。
うちもExcel方眼紙だし。BTSなんかもちろんないしソース管理はVSSだし。
かといって新しい事やれそうなベンチャーとかWeb系は妙に元気ありそうな感じ出してるのが逆に怖い。
技術は好きだけど大して明るい訳じゃない、興味無い案件だと話を何度聞いても上手く理解できない。
そもそも残業したくない。そんな自分は、IT業界は向いてなかったと諦めてハロワでも逝くかなって考えてる。
ソフトウェア開発会社に新入社員として入社して1年とちょっと。
今俺は先行きについてものすごく悩んでいる。
こういうのは業界柄よくあることなので致し方ない、とは思う。
別にそれはこの際どうでもいい。
一世を風靡するしたJavaも今では一部でオワコンと呼ばれる時代だ。
新卒面接の時には「新しい技術を追いかけ続け、会社に貢献したい」とか言った気がする。
だが、その想いは入社半年を過ぎたあたりから見事に裏切られた。
レガシーコードとの戦いも覚悟はしていたが、俺が想定していたスマートなレガシーコードとの戦い方とはひどく遠いものだった。
テストなんてものは書かない。テストはExcel方眼紙で書かれたテスト項目が全てだからだ。
xUnitだとかSpecなんてものはもちろん知らないし覚える気もない。
極めつけはExcel方眼紙のテスト仕様書兼報告書と呼ばれる代物の抜けの多さ。素人でもわかるレベル。
足りなさそうな部分は経験則に則り適当にテストする。だがその結果は報告書には書かない。
バージョン管理なんてものも存在しなかった。上司に聞いたところ、あるにはあるらしいがCVSらしい。
だがそんなもの社内のどのチームを見ても使っている様子すらない。唯一のバージョン管理はファイルサーバー上の日付が書かれたフォルダーのみ。
とにかく現状がひどい現場だが、誰も変える気がない。
現場改善に向けていくつか提案もしてみたが、ただただ否定の言葉だけが帰ってくる。
なんとかしてやろうとも思い、個人的にいろいろやってみたものの、必要かどうかもわからない大量の雑務に押し潰された。
彼らには新しいものを学ぶ気なんて全く無かった。
会社を変える気も無かった。
俺はとにかく現場に失望した。憧れた業界はこんなものなのか、と。
同期や上司と気軽に話ができなくなった。
雑談でさえも話を続けることができない。
現場の問題点だとか新しい技術だとか業界の動向だとか、話したいことはたくさんあるのに。
彼らはそんな話に見向きもしない。
元々静かな現場であった上、コミュ障気味であることも災いし、その結果会社で話せる人はほとんどいなくなった。
雑談でもいいから話せなかった俺も悪い。だが今更何かを話にいく気にもなれない。
明日の飯を食うだけのために、1ヶ月、あるいは1年、もしくはそれ以上かかるようなつまらない仕事でも淡々とこなす。
生きていく上でのれっきとした一手段だとは思う。
だが俺はそんな生き方をしたいと思わない。
だが、現場ではどれだけ訴えても理解してはくれなかった。
俺は今、先行きに不安を感じすぎて俺自身が潰れそうになっている。
転職すればいいのかもしれないが、第二新卒枠がまだなんとか使えるとはいえ、今の実力でどこまで通用するのかわからない。
1年ちょっとで会社を辞めてしまう奴などクズだと見られるだろう。
その上就活もうまくいっていたほうではなかったから、その時の思いが蘇り、踏み出すこともできない。
八方塞がり。
きっとこの業界で自殺を考える奴の心境ってこんな感じなのかと、今日も1人日陰者としてExcel方眼紙の画面を睨み、与えられた作業を淡々とこなす。
こんな身近にExcelでwebの下書きを作って、外注する係りの人がいるとは思わなかった。
いつも軽快な鍵打音が響いていたのは、外注の人に仕事を頼むための注文書をExcelを方眼紙的に使って作っていたのだった。
「外注のデザイナーに出すとこれがこんなにかっこよくなって戻ってくるですよ。すごいでしょ。」
そんなことを自慢されても困るんだ。
その外注係りを奉る営業もよくないし、それをわかっていない経営側もよくない。
その鈍感力こそがこの会社での有能な構成員として立場を彼に保障しているのであろう。
パソコンにインストールされたソフトを数えることを仕事にしている人もいた。
マイクロソフトのオフィスが入っていて、たまにアドビのソフトが入っているそのくらいだ。
買った時期によって、OSの種類は違うけど、やれることは大してちがいない。
パソコンは、年間で、100台に1台が壊れると統計的な数値が出ている。
社員の総数は変化がないのだから、パソコンの総数も決まっているし、ソフトの数も決まっている。
それ以上に必要ないことは明白だ。
でも、それを大真面目に数えて、深刻な顔をして報告書を作っていた。
報告書を受け取ったさらに上役の上司も、眉間にしわを寄せて承認のはんこをついていた。
肩書き上は、この人たち、閑職じゃないんだよ。
まともに仕事をすることがアホに思えるようになってきた。
これまで切れ者といわれた人たちは、けんか別れして、退職していった。
退職するときに引継ぎはない。というか残る引継ぎ者が理解できなかった。なので、蓄積がなく全体のレベルが落ちていった。
たかだか下っ端は、せいぜい遅刻しないように会社にいくことしかできない。会社のトップの考えを越えるような仕事は今後ないのだろう。
そろそろ進退を考えるときがきたのだろうか。