はてなキーワード: 方眼紙とは
こんなのシステム開発と言えるのか。
「方眼紙状にしたエクセルを印刷して、判子をつく」作業なんてのをシステム化する提案すれば、予算ゲットできそうだぜ!
うは~夢ひろがりんぐ!
とぼくはおもう
注意しなければならないのは、IT系と一口にいっても、サブジャンルは腐るほどある点だ
Joel Spolskyは5つに分けていた
ソフトウェア開発には、しばしば交わっているがたいていは分かれている、5つの世界があると思う。その5つとは:
http://local.joelonsoftware.com/wiki/5%E3%81%A4%E3%81%AE%E4%B8%96%E7%95%8C
そして、これらのIT企業が、最先端のシステム開発をしているかというと、そんなことはないのである
ファイルサーバに空き容量が無くてローカルに退避する作業に一日費やしたりする
「打ち合わせご希望日を添付のエクセルシートに記載の上ご返信ください。なお、ファイル名は”社員番号_指名_記載日付”の形式でお願いいたします」
ほとんどの現場が、方眼紙状にしたエクセルを印刷して、判子をつく(客の都合でもある)
そんな作業ばかりしているし、本質的なコーディングの作業は1割もないのだ
夢打ち砕かれ
http://anond.hatelabo.jp/20070831005830
俺は80文字×32行の緑文字を見つめながら、遠い夢を見続ける。
ってExcelでA3で作ったら画面からはみ出て見えへんやないの!!!!
誰かが編集してる間はどうしたらええの?
情報をデータベースに入れて色んな観点で検索したり抽出したりソートしたりリアルタイムに更新したり履歴を保存しておいて比較したりするのって情報処理の基本中の基本じゃないですか。なんでみんなそんなExcel好きなんやろ。
<Excelのいいところ>
・シートごとにページを作れば目次代わりで見やすい。
・表がすぐ作れる。
・テキストボックスでありとあらゆるところに文字が書けて見栄えの良いレポートができる。
・セルの幅を全部小さくして方眼紙みたいにするとインデントの整った文章が書ける。
・シートごとに縦向き、横向き印刷が選べる。
・オプションで読み取り専用にできるので間違って更新されることもない。
・みんな知ってる。
・メールで送れる。
・印刷して配れる。
・共有フォルダにおける。共有ストレージにおいておけばバックアップもばっちり。
・その上ファイル名も変更できるのでリビジョン番号をつけて管理できる。
・ファイルが増えても_oldとつければいける。
・もっと増えたらoldフォルダを作ってそこに入れれば何とかなる。
・ファイル名に_最新ってつけておけば誰もが最新版だとすぐわかる。
・解決した行はグレーアウトで。
・ついでに計算もできる。
あらゆる漫画作品を、何らかの直交する二変数の平面上に置くことを考える。方眼紙に目盛りをうったものを考えてもらえるとありがたい。方眼紙の端が、あなたの想像しうる作品の限界。
このとき、「頭おかしい作品」というのは、方眼紙の外にある作品。あなたの想像の埒外にあるもの。
たとえば「ケンペーくん」。
内容はいちいち書かない。ググッてください。
その一方で、「作品自体は方眼紙の中にあるけど、とにかく『すごい』作品」というものもある。これは主観的に二つに分けられる。つまり、「理解できる」か「できない」か。
理解できる作品というのは、フォロワーがでやすい作品と言ってもいいかも知れない。アイデアが模倣可能で、しかも商業ベースでいけると判断されたもの。たとえば、個人的には「ヒカルの碁」がそう。
もちろん「マイナージャンルの競技を取り扱った作品」というのは昔からあったけど、特に現代的な少年漫画の範疇では、ヒカ碁で一気に火がついた感がある。同時期にライジングインパクトがあったのも大きかった。両者ともテーマがマイナーであるということに甘えず、また「ぶっとんだ」、言い換えれば「マニア向けの」面白さを求めず、純粋にストーリー漫画として面白かったのが良かったのだと思う。
コミュニケーション力が低く、「名刺」や「時候の挨拶」「家柄」「スポーツ新聞」といった旧時代のコミュニケーションプロトコルに頼らないとコミュニケーションができない日本人の間にインターネットを普及させるために、彼らは何かしがの役には立ったのだろう。
彼らは率直に話し、お互いのプロフィールについては聞かなかった。よく冗談をいい、話のほとんどが冗談であっても、困っている仲間に金や食料を差し出したり、自分のベッドを分け与えたりした。非常にインターネット的だ。
選挙の人気取りで大臣がよくわからず決め、大学教授が道楽で計画を立てて半官半民企業が方眼紙エクセルで設計する日本のインフォメーション・テクノロジーのなかで、彼らは底辺のIT土方やコンテンツ土方を生業にしていたようだ。少ない給料から接続費を払い、せっせとコンテンツをダウンロードしたり、ニッチなコンテンツを制作したりしていたのだろう。それも非常にインターネット的だ。インターネットの片隅に、匿名とコピーと非合法の固まりのような場所があるのはかまわない。
facebookは学歴と職歴で相手を判断し、テレビを見てテロップの笑いどころできちんと笑う人に向けたサービスなのだ。
「人材の流動化か囲い込みか(http://remote.seesaa.net/article/147006872.html)」で示される問題は、SIerの案件であれば1つや2つはよく起こっている。ここまで問題が積み重なっててひどいのはあまりない(...と思いたい)以下は実際にみてきた現場の惨状。
excel方眼紙はよく見かけます。修正にやたらと手間がかかるので苦痛です。継続的にメンテナンスする必要があるドキュメントには向いてません。あと、ソースコードを日本語訳したようなひどい設計書が多いです。そんなもんソースコードで十分だろって思います。
本番環境でコンパイルしたりとか、恐ろしい事をしている現場がありました。それでソースコードレポジトリとの同期が取れてなくてどのファイルが実際に稼働しているコードなのか分からなくなったりもしていました。
ユニットテストがないのはデフォルトです。テスト仕様書が残っていればまあいい方ですが、テスト項目に「正常に動くこと」としか書かれてない場合もあって信用できません。
5.GUIがひどすぎる
RDBMSをつかったシステムで、会社の休業日を管理するテーブルの編集画面にレコード番号が必要かどうかで議論が始まり一時間くらいぐだぐだと会議をしたりします。そんなもん年月日でユニークキーにしておけば十分。いちいちユーザに番号を振らせるという手間をとらせたいんだろうか。
自社で一貫して設計から実装まで担当しているSIerは別として、そうでないSIerには実際にモノを作っている人間は居ない。仕様の検討段階での資料作成から、アーキテクチャ設計、設計、テスト、運用までほとんど外注にたよりきっており、ざっくりなマネジメントをしているだけだったりする。
設計から外注に丸投げしているSIerでは、日本式のやりかたとか言う以前に、そもそもSIerの社内にシステム開発を行ったオリジナルメンバーが存在すること自体少ない。
すでにSIerでは内製することすら出来ない状態まで空洞化している。
元記事のコメントより
コストダウンの名の下に人減らしだけは進みましたが、そのことがどれくらい破壊的な影響をもたらしているかを、上の人が全く理解できていません。上の人ほど開発経験に乏しく、細部を理解できていないのです。
『鉄筋減らしてコストダウン』して住めないマンションを大量生産したマンション販売会社がありましたが、IT業界は減らすどころか「鉄筋も柱も無くしてコストダウン」を目指してる感さえあります。
IT業界は減らすどころか「鉄筋も柱も無くしてコストダウン」を目指してる感さえあります。
ってのは言い得て妙だ。
「SIerはモノを作るのが仕事ではありません、マネジメントするのが仕事です」キリッ!
ってよく言うけど、マネジメントに関しても、技術的な問題が起こっても解決するだけの力がないので、下請けに残業してくれという根性マネジメントしか出来てない。顧客から仕様変更の要求があった場合でも、どういう影響があるかも理解できてないので、全部請けてきて下請けに丸投げとか。
たちが悪いのは見当違いなルールを課して管理したつもりになっている事。
外注に頼り切っているSIerでは、アーキテクチャ設計、ドキュメント整備、ソースコード管理、テストの自働化、GUIデザインは社外の他人まかせになってしまっており、現状の開発方法でどのような問題があるのか気づくことができない。そういった現場から遠い場所にいる連中が現場をうまく回すためのルールを作れるとは思えない。
俺の住む世界はアイティーとやらに支えられているらしい。
アイティーに関われば、俺の住む世界をさらに素敵なものにしていけるに違いない。していきたい。
そう願って、何も知らなかった文系新卒の俺が金融系のシステム会社に入って、もう一年以上が経つのだ。
昔、お遊びでゲームを作ったことはあった。RPGツクールなんかが好きだった。
パズルみたいで楽しかった。コンピュータの中身が理解できて、わくわくした。
楽々と基本情報技術者の資格を手にし、半年後にはほとんど勉強もせずにソフ開も取得した。
研修の課題では同期の誰よりも速く、短く効率のいいソースを仕上げた。
現場に出て、本番機に触った。
30年間親会社を支え続ける偉大なシステムの中身を、わくわくしながら覗いた。
そこには、俺の求めていた世界とはまったく違うものが広がっていた。
俺が産まれる前から、入れ替わり立ち替わり何人もの手によって継ぎ足されたロジック。
何千行にもわたって、似たような処理が何回もひたすら繰り返される似たようなモジュール何十本。
1993年に行う臨時処理のロジックが、今もコメントもなしに埋め込まれている。
仕様がわからなくなれば、キャビネへと走って、黄ばんだ方眼紙に鉛筆で書かれた仕様書を探し、
そして修正履歴のみが書かれているのを確認して肩を落とす。
半年後に臨時で行われる業務に対応するため、いくつかのモジュールについて、処理可能なユーザーコードをひとつ、条件に加える。
与えられた期間は2週間だった。ずいぶん長いなと思った。
何枚もの設計書を書いた。つまり、方眼紙状のExcelテンプレートに同じ文章をコピペした。
追っていったモジュールはどれも、ヒープもソートもメモリ管理も論理演算も出番がなかった。
あるのはただ、IF文とMOVE文とばかりだった。ソースの難易度は使われている命令の数とは関係ないことを学んだ。
テストデータを作るため、階層型DBを何回も辿ってデータをアウトプットさせるモジュールを書いた。資格試験で学んだSQLは、無用の知識だった。
協力会社への仕事割り振りやユーザー対応に毎日忙しそうだった上司が、夜遅くまでの残業続きでくまのできた目を皿のようにして設計書をレビューした。
ロジックを丸々コピペしてソースを修正し、コンパイルし、実行した。
2週間はあっという間だった。
俺のせいで、半年後以降は使われないロジックがソースにまたひとつ増えた。
今回の対応については、Excel方眼紙にレポートをまとめて共有ドライブに入れておいた。
だが共有ドライブの検索には時間がかかるし、Excelシートの中身となれば検索から漏れることも多い。
きっと誰にも読まれないだろう。
2バイト文字が使えない関係上、原則、ソースにはコメントはあまり入れられない。
数年後の新人はきっと、俺の書いたモジュールを見て「このロジックは何だ」と首を捻るんだろう。
数年後の俺はきっと、今回のレポートを共有ドライブから探し回って新人にパスを教えてから、
協力会社の管理に追われる作業に戻って目の下にくまを作るのだろう。
俺がやりたかったシステム開発って、こんなものだったのか。
俺は部署の中で、俺の望む仕事を探し続けた。
先輩たちは忙しくて誰も興味を持ってないけど、自動化できる作業はいくらでもある。
よく使われるExcelシートを改造し、定例作業をクリックだけでできるようにした。
ExcelVBAとはいえ、書いていて心地よかった。引数が明確な関数と変数のスコープと全角文字があったからだ。
COBOLで打つプログラムより、控えめに見て100倍くらいの生産性を発揮できていたと思う。
先輩たちは喜んでくれたが、ただし俺の仕事を、あまり仕事とは見なさなかった。
それでもよかった。業務時間外は俺は相変わらずスクリプトを書いていた。とても楽しかった。
VBAから入って、WSHなんてものを知り、やがてJavaScriptを学び、ネットで資料を探し、はてなを知り、はてブでWeb技術についての記事を読みふけった。
知れば知るほどに、どんどんCOBOLが、メインフレームが嫌いになっていく。
先輩は誇らしげに言う。システムはたいしたことをやっていない。業務知識こそが大事なのだ。
ユーザーより詳しく業務を理解し、適切に提案し、設計する能力。
協力会社を率いて、わかりやすい文書で指示を行い、スケジュールを調整する能力。
人を動かすぶん、責任も大きくやりがいもある。優秀な人材こそが我が社の強みだ。
そんな人材が育つよう、我が社は安定して働ける環境と福利厚生を整えている。
ああ、そうだよ。先輩、あなたは正しい。
俺だってメインフレームの信頼性のすごさはわかってる。
密なユーザーとの関係から生まれるシステム子会社としての強みも認識してる。
それだけじゃない。社内環境も悪くない。給料もいいし休みも取れるし先輩は優しい。
ここは、いい会社だ。
けど駄目なんだ。
30年前のシステムを枯れた言語でツギハギする仕事じゃ、俺の心はやっぱり満たされない。
ユーザーの業務知識ばかり身につけたって、俺自身の人生には、いいことなんてない。
俺が求めていたのは、この仕事じゃないんだ。
社内の誰も、TumblrもTwitterもやっていない。ライフハックなんて聞いたこともない。
Joostやモバゲーや2ちゃんねるが社会に与える影響について誰も語れない。
休日はゴルフや酒に興じている。自宅にPCを持ってない人までいる。
おかしいことじゃない。普通の人たちだ。
それどころか彼らは、仕事とプライベートを切り分けている、立派な人たちだ。
でも、やっぱり俺の生きていきたい世界は、ここじゃないんだ。
たぶん俺がいるのは極北なんだろう。
ここが、人月計算とExcelとスーツの世界というやつなんだろう。
俺は80文字×32行の緑文字を見つめながら、遠い夢を見続ける。
社内で2職種分の欠員が出たので補充することに。
いつもは媒体使ってやってるんだが、上のほうが急に
2職種とも違うならまだしも、片方合ってて片方違うとか。
それと、手書きで提出させるの止めたら?細かいところは手書きでもしょうがないと思うけど、
最寄駅からの地図まで手書きを強要させるのはどうにかしてくれ。
応募しといて、後からあんな物売ってるなんて知らなかった!取り消す!とかザラ。
もう少し調べてから応募してください。ググれば何売ってるかすぐに出てくるぐらいの会社なんで。
アホかとバカかと。
定年まであとちょっとで何するつもりですかアナタ。
紹介する側もちったぁ考えて紹介してくださいよ。
少しは見る側のことも考えてください。
あと、象形文字みたいな字で書くぐらいなら、PCで出力してください。
メモ紙みたいな方眼紙で作成された職務経歴書とか、本当に就職する気ありますか?
これがもう最悪。
同じハローワークから3件連続で電話あった時は流石にまとめてから電話かけてこいと言ってしまった。
もうハローワークなんか登録しねーよ!
ウチの会社で働きたかったらググってから来い!
俺は断言するが、あの設計書でまともなコードが書けると思ってる奴はバカだ。これは100%断言できる。
何であれがいいと思うの?なんでああいう設計書を書いちゃうの?本当に分からない。
あれゴミじゃん。ただのゴミだよ?まともなプログラマならあれ見てゴミだっていうのは一瞬で分かる。
あれがいいっていうのは、頭がおかしいとしか言いようがない、というか、脳が退化してるんだよ。それしか説明がつかない。
つまり、設計と実装が区別つかなくなってるんだよ。だからいいと思って書く。これは馬鹿としか言い様がないだろう。SIerの将来は大丈夫か?
本当におまえら頭冷やして考え直せよ。おまえらは馬鹿か、またはコン猿に乗せられてるだけだ。まあそれを馬鹿と言うんだがな。
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ギークの方か、SIerから逃げ切ることに成功した方はイラッシャイマセンカ?
暇がありましたら、お助け下さい。
生まれつき、生活保護が下りない程度のコミュニケーション障害を持っている者です。 (診断書はないですが)
なぜかSIerのプロジェクトに投入されてしまいました。ここで変に夢を持ってしまったのが過ちでした。
それからというもの、わけの分からない規約に縛られる度に落ち込み激しい鬱状態になり、
その他数え切れないほどのローカルルールの存在理由が何一つわかりません。
なんであんなものを理解でき、従順に従うことができる人がいるのか不思議でなりません。
そして、それでもプロジェクトがやめられません (決して楽しいという意味ではありません!)
向いていない、鬱になるだけとわかっていて一々指示に従い、ますます死にたくなってしまう始末です。
なぜかSIerではプログラミングの難易度は低く扱われる傾向があります。わかってない老害が多いからでしょうか。
自分が知らないだけで何かデスマーチを簡単に収束させる圧倒的抜け道のような方法でもあるのでしょうか?
そんな甘いものがないとしたら、せめてSIerから逃げだす方法はありませんか?
遺書に似たような事が書いてあった人間が万が一報道されたらTVデビューしてしまいます。
このままでは本当にSIerに殺されます。どうかお助け下さい。
※http://anond.hatelabo.jp/20090310095053 の症状にかなり近いです
※告発するつもりは一切ないので、労働基準監督所には一切通報しないで下さい
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プログラミングは人を殺すことはないが、
老害は人を殺すことがあるような気がする。
俺の住む世界はアイティーとやらに支えられているらしい。
アイティーに関われば、俺の住む世界をさらに素敵なものにしていけるに違いない。していきたい。
そう願って、何も知らなかった文系新卒の俺が金融系のシステム会社に入って、もう一年以上が経つのだ。
昔、お遊びでゲームを作ったことはあった。RPGツクールなんかが好きだった。
パズルみたいで楽しかった。コンピュータの中身が理解できて、わくわくした。
楽々と基本情報技術者の資格を手にし、半年後にはほとんど勉強もせずにソフ開も取得した。
研修の課題では同期の誰よりも速く、短く効率のいいソースを仕上げた。
現場に出て、本番機に触った。
30年間親会社を支え続ける偉大なシステムの中身を、わくわくしながら覗いた。
そこには、俺の求めていた世界とはまったく違うものが広がっていた。
俺が産まれる前から、入れ替わり立ち替わり何人もの手によって継ぎ足されたロジック。
何千行にもわたって、似たような処理が何回もひたすら繰り返される似たようなモジュール何十本。
1993年に行う臨時処理のロジックが、今もコメントもなしに埋め込まれている。
仕様がわからなくなれば、キャビネへと走って、黄ばんだ方眼紙に鉛筆で書かれた仕様書を探し、
そして修正履歴のみが書かれているのを確認して肩を落とす。
半年後に臨時で行われる業務に対応するため、いくつかのモジュールについて、処理可能なユーザーコードをひとつ、条件に加える。
与えられた期間は2週間だった。ずいぶん長いなと思った。
何枚もの設計書を書いた。つまり、方眼紙状のExcelテンプレートに同じ文章をコピペした。
追っていったモジュールはどれも、ヒープもソートもメモリ管理も論理演算も出番がなかった。
あるのはただ、IF文とMOVE文とばかりだった。ソースの難易度は使われている命令の数とは関係ないことを学んだ。
テストデータを作るため、階層型DBを何回も辿ってデータをアウトプットさせるモジュールを書いた。資格試験で学んだSQLは、無用の知識だった。
協力会社への仕事割り振りやユーザー対応に毎日忙しそうだった上司が、夜遅くまでの残業続きでくまのできた目を皿のようにして設計書をレビューした。
2日後、承認が出た。フェーズが設計から開発に移った。
ロジックを丸々コピペしてソースを修正し、コンパイルし、実行した。
2週間はあっという間だった。
俺のせいで、半年後以降は使われないロジックがソースにまたひとつ増えた。
今回の対応については、Excel方眼紙にレポートをまとめて共有ドライブに入れておいた。
だが共有ドライブの検索には時間がかかるし、Excelシートの中身となれば検索から漏れることも多い。
きっと誰にも読まれないだろう。
2バイト文字が使えない関係上、原則、ソースにはコメントはあまり入れられない。
数年後の新人はきっと、俺の書いたモジュールを見て「このロジックは何だ」と首を捻るんだろう。
数年後の俺はきっと、今回のレポートを共有ドライブから探し回って新人にパスを教えてから、
協力会社の管理に追われる作業に戻って目の下にくまを作るのだろう。
俺がやりたかったシステム開発って、こんなものだったのか。
俺は部署の中で、俺の望む仕事を探し続けた。
先輩たちは忙しくて誰も興味を持ってないけど、自動化できる作業はいくらでもある。
よく使われるExcelシートを改造し、定例作業をクリックだけでできるようにした。
ExcelVBAとはいえ、書いていて心地よかった。引数が明確な関数と変数のスコープと全角文字があったからだ。
COBOLで打つプログラムより、控えめに見て100倍くらいの生産性を発揮できていたと思う。
先輩たちは喜んでくれたが、ただし俺の仕事を、あまり仕事とは見なさなかった。
それでもよかった。業務時間外は俺は相変わらずスクリプトを書いていた。とても楽しかった。
VBAから入って、WSHなんてものを知り、やがてJavaScriptを学び、ネットで資料を探し、はてなを知り、はてブでWeb技術についての記事を読みふけった。
知れば知るほどに、どんどんCOBOLが、メインフレームが嫌いになっていく。
先輩は誇らしげに言う。システムはたいしたことをやっていない。業務知識こそが大事なのだ。
ユーザーより詳しく業務を理解し、適切に提案し、設計する能力。
協力会社を率いて、わかりやすい文書で指示を行い、スケジュールを調整する能力。
人を動かすぶん、責任も大きくやりがいもある。優秀な人材こそが我が社の強みだ。
そんな人材が育つよう、我が社は安定して働ける環境と福利厚生を整えている。
ああ、そうだよ。先輩、あなたは正しい。
俺だってメインフレームの信頼性のすごさはわかってる。
密なユーザーとの関係から生まれるシステム子会社としての強みも認識してる。
それだけじゃない。社内環境も悪くない。給料もいいし休みも取れるし先輩は優しい。
ここは、いい会社だ。
けど駄目なんだ。
30年前のシステムを枯れた言語でツギハギする仕事じゃ、俺の心はやっぱり満たされない。
ユーザーの業務知識ばかり身につけたって、俺自身の人生には、いいことなんてない。
俺が求めていたのは、この仕事じゃないんだ。
社内の誰も、TumblrもTwitterもやっていない。ライフハックなんて聞いたこともない。
Joostやモバゲーや2ちゃんねるが社会に与える影響について誰も語れない。
休日はゴルフや酒に興じている。自宅にPCを持ってない人までいる。
おかしいことじゃない。普通の人たちだ。
それどころか彼らは、仕事とプライベートを切り分けている、立派な人たちだ。
でも、やっぱり俺の生きていきたい世界は、ここじゃないんだ。
たぶん俺がいるのは極北なんだろう。
ここが、人月計算とExcelとスーツの世界というやつなんだろう。
俺は80文字×32行の緑文字を見つめながら、遠い夢を見続ける。