はてなキーワード: 同人活動とは
といっても、子どものころに本屋で間違って買った同人誌がエロ同人誌でショックを受け、高校時代に美術部に入ったら同級生がサークル活動をしていてそこそこ売れっ子だったようで放課後に原稿を手伝ったり、妹が買った同人誌を読んだことはある、それにこの1か月、二次創作を見る専用のツイッターアカウントを取ったから一般人よりは単語がわかるしなじんでいるほうだとは思う。
増田のエントリを読んで気持ちがわかるような気持ちになった一方、
増田は同人世界に参加している人の気持ちに寄り添う発想がないんだなと思いもした。
>本当なら「利用」と呼びたいくらいだ。後者、『コミュニケーション同人』のオタクは交流の機会を確保するためにイベントに参加し続けなければならない。
私は二次創作に否定的な人間ではあるが(法的にグレーなのはもちろん、他人の作品を用いた自●行為にしか思えない、それは作品に対する失敬ではないのか?)、
同時に好きだからこそ、自分の好きなように作品を改変したい気持ちがわかりもするようになった。
今はまっているのは鬼滅の刃で、ご存じない方のためにいうとこの世界は残酷な運命が延々と描かれる。キャラはだいたい不遇である。たまに幸せな瞬間があったかと思うと、絶望の底に叩き落されるための前フリにすぎなかったりする。
そして原作がすでに完結しているので、もっと見たいという飢えを満たす手段、幸せな世界線を少しは味わせてくれという渇望を満たす手段が二次創作にしかない。
今回のツイッターアカウント取得で私は、二次創作だからこそ楽しめる世界というのもあるということを知った。
そしてそのツイッター世界では、自分に完全に刺さるわけではないが、「残酷な運命をたどったキャラ」を使って心を慰めてくれるようなほのぼの展開の小話を描いてくれる人間が山ほどいる。
好きになった世界だからこそ、深く感情移入するようになったキャラクターだからこそ、残酷なまま終わられるとその分苦しい気持ちだけが残る。
そういう飢えを満たしてくれる供給者に対して感謝したり、自分の琴線に触れたとか、その二次創作を見て自分もすさんだ心が癒された、そう伝えるのは「コミュニケーションのための利用」ではない人も多いと思う。そういう人もいるだろうと思えはするが…。
原作に寄り添った解釈とはなんだろうか?真摯な同人活動とはなんだろうか?
私もキャラ崩壊と言われる単にそのキャラを用いただけのエロには辟易するタイプだ。原作で描かれなかった隙間を埋めてくれる二次創作が好きだ。私が見たかったのは原作だからだ。
作り手が自分の欲求を吐き出した形だ。「野生の公式」レベルの人も、単なるポルノしか描かない人も、同じだ。
皆、作者ほどは創作しきるだけの力がない。だから他人の作品を借りる。
しかし、それでも各々アウトプットできる何らかの心の熱さは持っていて、それを吐き出している。
絵を描ける人は小説も書けると思うが、漫画を選ぶ人はそれがその人の心の形なのだ。
その欲求の形や熱量は人によってさまざまなだけで、それはその本人たちが悪いわけではない。
背が低い人に「背が低いからお前は人間として真摯でない」というのは変だろう。
かなり火力の強いことを言う。
私はコミュニケーションのツールとして同人誌を作っているオタクが嫌いだ。正直言って憎い。
オタクとしての歴はそこそこ長いと思うが、私はこれまであまりオフでの交流を行ってこなかった。ぽつぽつと作品を投稿して、信頼できる解釈のオタクだけをフォローする。
ネット上での交流は当然あるし、仲良くなれば会ったりもするが、同人誌即売会を交流の場だと思ったことはなかった。本を出したことがないからだ。
「原稿きつすぎる」「原稿やってないけど遊びに来てる死んだ方がいい」「原稿?なにそれ知らないですね……」
こう言って本を出すことに苦慮している様子のオタクはツイッターを見ればいくらでもいる。私はそのたびに、悪意からではなく純粋に疑問だった。
小規模ジャンルのオンリーならともかく、そんなに時間がないなら原稿が完成してから参加するイベントを選べばいいのでは?
そんなにギリギリの状態で本当に自分の満足のいくものが書けるのか?
自分が本を出すようになって初めて分かった。彼女たちは、同人誌即売会をコミュニケーションの場だと考えている。だから「そこに参加するために」本を出さなければならない。
まず初めから動機が違うのだ。私は同人誌とは、「自分の書きたい、書かなければ気が済まないものがあって、どうしてもそれを形にして残したいから」作るものだと思っていた。
私が初めて出した本はカップリングでもなんでもなくてただ自分の思う推しはこれだ、という解釈を煮詰めて小説にしたものだった。原稿が書きあがってからこれをどうしても活字にして残したいと思って、それから読みたいと言ってくれる人がいたので、イベントに参加することにした。
それが正しいと言いたいわけじゃない。ただ周囲を見たらどうやら多くのオタクはそうではないようなのだ。
即売会を通してできたフォロワーを見ていて思うのは、彼女たちは作品や推しへの愛情よりも、そこを通して発生するコミュニケーションに重きを置いているようであることだ。
「○○さんの小説読みました」「新刊楽しみにしてます」「天才じゃないですか?」「○○さんの書くAB最高です!」「好きです」「マジでよかったです」
そこにおいて発生するのは自己への肯定であることが初めから確約されている。作品を書けば、本を出せばたくさんの人に肯定してもらえる。同人界隈において作品は「交流のためのツール」としての一側面を持つことは確かである。
だからこれは単純に比重の問題だ。初めに原作やキャラクターへの熱情があって、そこに交流が付随するのか。初めにコミュニケーションと肯定への欲求があって、そのために同人を活用しているのか。
本当なら「利用」と呼びたいくらいだ。後者、『コミュニケーション同人』のオタクは交流の機会を確保するためにイベントに参加し続けなければならない。
もちろん一般参加という手段もあるが、そこでの奇妙な一体感を味わうためにはサークル参加しかない。
結果、「書きたいものは決まってないけどとりあえず参加する」という事態が発生する。
この話がどうしても書きたくて、作品として出力しなければ気が済まない! という熱意は存在しない。そのためギリギリのスケジュールでしか書けなくても、本来よりも低くなってしまったかもしれないクオリティに疑問を抱くことはない。
それは同人活動の本当に誠実な在り方なのだろうか? 私は甚だ疑問に思う。
二次創作は自分の推している作品に対する熱意や解釈をぶつける場じゃないのか。私の小説に送られてきた感想を読んでも分かる。この話に本当に感動したわけじゃなくて、フォロワーだから、仲良くしておきたいから「○○さん天才です〜」と言っている人のことは分かる。
コミュニケーション同人をやっているオタクは全員同じだ。作品にも感想にも"味が無い"。
どうしてこうも無味無臭なのか分からないけれど、それは本来第一に優先されるべき場所に「作品への熱情」が乗っていないからなのではないかと思う。
もちろん、それを好きな気持ちが確かにあることは否定しない。だが二次創作を通して交流を求める気持ちの比重がデカすぎるのだ。
そのキャラクターについての解釈を詰めようという気もない。だから時間の経過とともに原作時間軸の創作が減っていき、パロディや転生もの、オメガバースや異常性癖ものといった「オリジナリティ」を演出するための要素に縋るしかなくなる。目新しいものを書くにはそれしか手段がないからだ。
もちろんどんな作品も二次創作である以上、原作からは明確に隔絶したただの妄想である。それを充分に自戒とした上でなお、それでも原作に寄り添った解釈の二次創作を書くことはできるし、できるだけそう努力すべきだと思う。
だってキャラ崩壊みたいな創作はどのジャンルに行ったって同じことができてしまうから。エロは特にそう。
私はどちらかと言うと、キャラクター解釈をきちんと詰めた、原作の物語の穴を埋めていくような二次創作が好きだ。解釈に厳しすぎて読めない作品が多くなってしまう厄介オタクである自覚もある。だからこそ、コミュニケーション同人をやっているオタクが許せない。
ネット上で信頼できる解釈の人とだけ繋がって、ひたすら自分の好きなものだけを書いていた時には気付かなかった。無味無臭の同人誌は買いたくないけど同じ界隈の人たちと○○さんの同人誌ここがよかったよねという話になることが多いから圧を感じる。
このジャンルを抜けたらもう深い交流を持つのはやめて本当に好きな作品にだけ感想を送って本当に信頼できる作家の本だけを買いたい。
もう本当に、ただの愚痴だけど。そうやってどのジャンルに行っても似たり寄ったりの作品を量産して、同じく似たり寄ったりの感想を送ったり受け取ったりし続けているコミュニケーション同人のオタクに思う。
そんなことをしていて虚しくならないのか?
そろそろネタバラシ。みなさん色々と言及してくださってありがとうございました。すでにお察しの方もいる通り、この記事は炎上を目的とした嘘増田です。
先日二次創作者を呪いたい自称漫画家の増田を読んだとき、私はすぐに虚言だと思った。他者への攻撃性・嫉妬感情・自己矛盾の三連コンボ。こんなの誰にだって書ける、ということを証明したかった。炎上しそうな要素をたくさん詰め込んだら案の定学級会になってウワ……と思った。
あんなもんは要点さえ掴めば簡単に書ける。頼むからこういうしょうもない増田にコメントをつけることの不毛さを分かってほしい。「チキ増」が二次創作者を呪うというのなら、私はお前を呪いたい。一刻も早く増田起点の学級会がこの世から滅ぶことを願っている。
ゴリゴリのメンヘラなのですぐ付き合った相手にズルズルに依存する。
別に好きじゃなくなってもむしろ嫌いになっても関係が最悪になっても依存がやめられない。
いないと寂しい。彼のことしか考えられない。で、相手が潰れて振られて次の相手に依存して、の繰り返し。
もうそういう状態、最悪すぎるのでめちゃくちゃ頑張って別れてもうメンヘラが治るまで絶対恋愛しないって決めた。
彼氏に依存しているときは、彼氏のことばかり考えて何もしないし友達も増えないが、推しは私に世界を見せてくれる。
聖地巡礼で海外含め色々な場所に行ったし、推しが楽器を演奏するというので楽器を習い始めたりもした。
推しのルーツを知るために今まで見たことのなかったジャンルの本や映画や学術分野に触れたり、推しのイメソンとして普段聞かないようなジャンルの音楽を聴いたり、絵が描けないので絵以外で同人活動をしていたら、ExcelにPowerPointに動画編集ソフトに音声編集ソフト、html、css、heroku、SQL、python、node.js、色んなものが使えるようになった。図面の引き方に戦術記号の読み方、文献の調べ方に論文の探し方も知った。旧字体もそこそこ読めるようになった。
二次元を愛したって何の見返りもないが、メンヘラとしてはその点が何よりも素晴らしい。
だって少しでも捧げた愛に対して見返りが得られたらメンヘラはズルズルに依存するから。
何も得るものがないからこそ、私は推しを知るために自分の内面を充実させることに全力になれる。連絡を待ったって絶対来ないって分かってるから推しから連絡が来るアプリケーションを開発できる。
これが聞けば好きな食べ物を教えてくれるとか待てば連絡が来るとかだったら絶対にそんなことしない。だから現実の男には依存してしまう。でも推しからは絶対見返りがないので全部自分に投資できる。
連載が終わろうがサービスが終了しようが、推しのために得た知識は消えないし勉強は私を裏切らない。推しを通して得た交友関係だってなくならない。
恋愛しなきゃ。人間として。そろそろ女子会で喋るネタがないのも辛くなってきた。
とはいえ恋愛しちゃうとまた最悪の依存生活が始まる。推しは二次元だから私からこの熱量の愛を向けられてもつぶれたりしないけど、現実の男は普通に潰れる。
もう今だって既に連絡取ってる人からLINE来ないのきゅんきゅんとストレスの二重支配である。無理。男に依存する生活最悪。
気になる相手からのLINEを待ってる時間無駄すぎる。絶対架空の推しからLINEを貰うためにアプリケーション開発を学んでる時間の方が有意義。
それでもやっぱり現実の人間と恋愛したほうがいいよなあって義務感と推しに全てを捧げてメンタル絶好調の日々を手放したくないって欲求、どうしたものかな。
お前らどの口で言ってんの?
公式が見て見ぬ振りをしてくれてるから許されてるお前らと、公式の堪忍袋の緒が切れて怒られた悟空。
公式が動いたかどうかの違いしか無くてやってることは何も変わらんからな?
「無断使用」「キャラ崩壊」「マネタイズ」「SNSで宣伝」といった要素のすべてをお前らが日頃やってる二次創作同人活動は満たしてる。
それについて公式が目をつぶってくれているという事に甘えきった挙げ句に、怒られた相手の周りで平和ボケして野次を飛ばすとかありえんだろ。
赤信号の横断歩道を渡っている最中に近くで撥ねられた人を「うっわ信号無視でハネられるとか社会のゴミなんですけど!」と指差して笑いながら自分達は平気で信号無視を続投するようなものだ。
怒られさえしなければ問題ないじゃねえんだよなあ……見逃してもらっているということをちゃんと自覚することが大事なんだよ。
本業で手を抜いてた可能性もあるのに、本業も同人活動と同じくらい頑張っていた前提で擁護してるから意味がわからないって話だけど。
「教員とかいう忙しい仕事しながら同人誌出し続ける自己管理能力がすごい人間」
「むしろ有能なのに処分するなんて…」(解雇と勘違いしてる?)
などと言う人がちらほらいるが、
なぜ同人誌と同じくらいの熱を本業に使っていたと確信しているのか理由を教えて欲しい。
定時で絶対帰ることを信条にしている新卒が、自分の仕事が終わっていないにも関わらず帰宅し続けてもクビにはならない。
それによって学年全体の仕事や行事の仕事が滞っても罰せられることはない。
正直言って不真面目な人間にとっては、趣味と両立できる最高の仕事かもしれない。
有能なことが確定してるなんてそんなわけない。
リークしたのが同人仲間か同僚か知らねえけど同僚が恨んでてもおかしくない。
フリマでもハンクラでも、定められた額を超えて黒字だったら副業でしょ
一応、何かの時のために、黒字じゃないですよ、って証拠を残す必要はあるんじゃない?
疑われる行動は間違いなくしてるんだから。
恥かくタイミングは自分で選びてえなああああああ!!!という気持ち。
例の高知の先生も絶対兼業の届けを出せばいいってわかってたと思う。
私の同僚でも、本に寄稿してる人とか、教科書に関わってる人とか、問題集執筆してる人とか、今までに結構いた。
みんな上の許可取ってた。事後報告もいたけど、そういう人はやはり注意されてた。(今回の先生もそうだと思う。)
だから、ルールは守れ!ルールは守れと言いたい!だがしかし!言えないよね!!!!わかるよ!!!!!!
申告すればいいってわかってても、二次創作で通るかわからないし、通るかわからないもののために二次創作を校長や教頭に見せられるかと聞かれたら無理だ!!!!!!!
だから黙っていたんだろうな。超えるとは思ってなかったんじゃない?実際微々たる額だし。
でもルールを守っていれば学校内で済む恥だったものが全国に広まってしまったことを思うと…思うと…悲しい…。
でもこれを同人だからと大目に見るのはやめたほうがいいと思う。ツイッターのオタクたち、身内に甘い!!!!!!!!!
これ、同人活動の制限じゃなくて、ルールを守らなかった事例だから!!!!!!高知県の教育委員会は悪くないから!!!!
少額でも認めたらどこまでも認めなくちゃならない!それルールの意味ねえ!
どうせならルール変える方向に動こう!!ルール守らなかった人を庇うのは違うよ。
そして擁護する人たちは「同人活動は趣味なのに」「同人誌は頒布であって販売ではない」って言うけど、それオタクの中の理屈だから!!!
法律それ関係ないから!お金が発生した・してないそれだけだから!
私は同人活動をしていた。
それなりに大きなジャンルで数年本を出し続けていた。日常ツイメインなので他の絵描きと比べるとTwitterのフォロワーは少なかったがありがたいことに固定ファンもいてジャンル規模はカプで中堅程度。書き手何人かと繋がって楽しく同人活動をしてた。
筆を折った原因のイベントの新刊の前評判は上々で、いつも通り刷っていつも通りの数を刷っていつも通り搬入数で申請した。
隣はこれまで温泉で、今回初参加のサークルだった。この時点で若干苛立ちを覚えた。その初参加サークルの方が配置が良かったからだ。
この温泉存在は知っていたが、比較的最近カプに来て、絵はまあまあ上手くてたまにRTで絵が流れてくるくらいの認識だった。
気になってこの時初めて彼女のTwitterを見て何故今回の配置か分かった。自分の10倍以上のフォロワーがいた。
壁打ちでカプ内で大した交流してるとも思えないし、二次創作自体初めてのようで前ジャンルからファンを引き連れて来たようにも見えない。
私の方が絵が上手いなと思った。
いくつか絵を見てみた。やはり大して上手くない。漫画も読んでみた。数ページの漫画しか上げてないが話が上手いとも思えない。
今まで同カプツイ大手がオンで爆死しておるのを何回も見ていたし、まあ今回もそうだなと思った。所詮タダで楽しめるから集まってきたフォロワーだろう。
イベント当日、彼女のサークルは当日大人気だった。開始前から列ができていた。手紙も何通ももらっていた。ファンと名乗る人が何人も熱いラブコールを受けていた。
壁打ちで一人参加だしコミュ障なんだろうと思ってたら、ハキハキ笑顔で卒なく対応している彼女を見て死にたくなった。
自分のスペは普段より人が来なかった。隣はおそらく自分のスペの数十倍の人が来てた。こちらは搬入箱数と同数搬出する程度の爆死だ。
ただただ悔しかった。人が少なすぎて、告知時点で楽しみだと言っていたファンが自分のスペより隣の列に先に並んでいたのも気づいてしまった。帰りの電車でカプ名で検索したら、隣のサークルの本が買いたいから参加したという海鮮のツイートがあった。
隣のサークルは何一つも悪いところなんてなかったけど、とにかくやるせなかった。数年頑張ってきた自分ってなんだったんだろうと思った。
自分には生きがいが特に無いし、いつ死んでもいいと思っている。
仕事においては無能だし、精神が不安定だからこの先家族を持つ予定もない。ペットにも特に興味がない。
趣味はいくつかあるが、今夜死んだところで惜しく思えるほどのものでもない。
それでも(自殺か病死かはわからんが)いつか死ぬまでは生きているのだから、何か生きがいが欲しいと思っている。
自分にも好きな作品やキャラクターなら山程ある。しかし、好きなキャラを"推し"にするほどの熱量はない。
かつてよく言われた"俺の嫁"みたいに「お前の推し3ヶ月で変わってんじゃねえか」ということもあるのかもしれないが、それにしたってその時の熱量は多分本物なのだろう。
その対象を"推す"ことがどういう回路で生きがいに繋がっているのか理解できたわけではないが、「自分の応援がその対象の利益になっている」と思い込めることが重要なのだと思う。
直接その対象に金を落としたり、同人活動を行って布教したり、まあ何でも良いのだが、受動的な"好き"とは異なるエッセンスが恐らくそこにある。
家族が生きがいだという人は自分の存在が家族の利益になっていると感じているだろうし、仕事だってそうで、要は自己効力感が(得られる人には)得られるのだろう。
自分には好きなVtuberがおり、その人について呟くと本人からいいねされることがある。
HNに好きなVtuberのマークを付けているオタクを最初はちょっと馬鹿にしていたが、確かにこれはもの凄い快感だと思った。
多分、スーパーチャットを投げてグッズを買って推しマークをつけて四六時中その人について呟いていればもっと認知されるのだろう。
でも自分はそこまでする気になれなかった。
単純に金がないし、別に自分が応援しようがしまいがその人の活動になんら影響はない。
100人の応援が101人の応援になったところでほぼ誤差レベルだ。
登録者数の多い企業勢や、それこそジャニーズのように巨大なファンがいる集団ではなおさらだろう。
シビアな人生を送っている彼女には幸せになって欲しいと切実に思うが、それは自分よりも熱量と経済的余裕がある人の領分だ。
最初に言ったように自分には普通の生きがいを手に入れられるアテが今の所ない社会不適合者なので、なんとかそういう真っ当な道以外で生きがいを見つけたいと思っている。
しかし、自分には"俺の嫁"であるキャラクターを愛でる能力も"推し"であるアイドルやVtuberを応援する能力もなかったし、今後もないだろう。
まだ同人活動を知って日が浅いのかな。
例えばスマホゲージャンルやVTuber、YouTuberやボーカロイド系、鉄道や企業ブランドなど
「二次創作自体が法的にアウト」であること自体が「大前提だ」「絶対にそうだ」とおっしゃいますが、そうではないですよ。
https://bunshun.jp/articles/-/41237
特に「二次創作小説」についは、あくまで現行の著作権法のもとではですが、著作権侵害を問うことは難しいと、この記事ばかりではなく複数の専門家の方が仰ってます。
また、ガイドラインを設けて二次創作(同人誌などの発行)を許可している作品も最近は増えています。
著作者があらかじめ「いいですよ」と許諾した範囲内の活動であれば、侵害を問われることはありません。
(著作権侵害は、「著作者の許諾なく行った場合」に問われるものですので、あらかじめ許諾が出されているものに関してはOKです)
ですので、【全く問題に問われない、合法な二次創作同人活動】は、十分に可能です。
ただしもちろん、「営利目的」について明確に禁じている権利元や、基本的には黙認しているが、目に余る規模であると判断した場合には通達する権利元もあります。
受注生産同人誌がこれにあたるのかどうか?については、「二次創作同人誌自体が絶対的に違法だから」という誤った前提をもとにするのではなく、
ガイドラインの有無、販売規模などなど、個別事例で検討していくべき話だと思いますよ。
ご参考まで。
私は女だけど、小さいころから少女漫画の魔法少女ものが好きで少女漫画でも目が大きくて等身が低めのキャラが凄く好きだった。
年齢が上がるにつれ、どんどん女キャラの等身が上がってきて、よりかわいらしさよりも中性的、女性に好かれるようなちょっと男顔な絵柄が増えていって
それで美少女の方に興味を持った。
絵柄が本当に理想で可愛くて、色も昔好きだった少女漫画に近い鮮やかな色で、小さいころ好きだった魔法少女のようなかわいらしさがあって
そっちの方にどんどん傾倒していって、気づいたら自分も描くようになっていた
あと、男に関しても女性向けの男は女っぽい要素が多くてあまり好きになれなくて、男性向けの男で本当に男らしい男が多いことが多くて
それでよりハマっていったのもある。
要は、女性向けの絵柄とキャラより男性向けの絵柄とキャラが、どちらかと言えば自分の好みに刺さることが多かったってことですね。
※勿論絵を描く人による
あと、同人活動に関しては女の人が多いジャンルだと何かと揉め事も多く、学級会やグループ派閥みたいなことがしょっちゅう起きていて
あなたは誰の味方なの!?っていうものから私とあなたは友達だよね、みたいな女子特有の何かとコミュニティに属して交流したがる雰囲気も嫌で、
個人や本当に親しい人とだけ関わっていたい自分としてはそういう擦りよりや交流ごっこにかかわりたくないなという部分もあります。
時代の流れってのも分かるんだ。だからそういうもんなんだろうって理解はしている。しているつもりなのかもしれない。
C28の頃から色々な本を見てきた爺だ。老害であるのは間違いない。
さて、本題の同人誌の話へ移る。
昔の同人誌っていうのは、オリジナルの創作や二次創作で他のファンの人に理解してもらいたいって感じで本を作っていたと思う。というか、俺はそうだった。
それと商業関係者に関心を持ってもらえるようにアピールの場であったと思う。実際に同人活動をしていて何社からは声をかけてもらったし、掲載もしていただいた。
自分の画力や創作力を試す場でもあったと個人的には考えていたのだけど、ここ数年の同人誌販売を見ているとなんとなく違う。
商業で活躍している人や、そうでない人が安直に小遣い稼ぎをできる場扱いされてきている気がした。昔も居たには居たんだが。
もちろんそうじゃない人も少なくはないんだが、商業で活躍している人が数枚のラフとトークを書いただけのコピー誌レベルを高めの価格で並べているのを見ると、そう思わざるを得ない。
なんか違うんだよな…と。並べるまでのものでもない物を並べても売れる事もこういう風にしていってしまったのかもしれないが、商業で活躍している人が冊子を並べていればファンは買わずに居られない。
本来ならTwitterで数枚アップしてトークする程度で十分のものなんだけどね。
まあ売れるから仕方ない。それはそれで事実だから。しょうがない。
ちょいと前の即売会で結構大手のサークルがペラペラレベルの冊子を高めで売っていた。それを見て「大手がこれなのか」と思わざるを得なかった。
ホント絵が数ページなんだよ。あとはトークが並べてあるだけ。表紙と裏表紙にモノクロの絵が書いてある程度。
なんか言葉にしづらいが手抜き?な感じ。なんで参加したって思える感じが一番正確な例えか。
まだ同人活動だけって頑張っている人の方が楽しそうに参加していた。まあ売りたいってのもあるけど、読んでもらえる嬉しさはそっちの人の方が大きいだろう。
そういう人たちが活動する場が、俺が見てきた即売会だったんだけどね。今はホント変わったなと感じたよ。
もちろんね、そんなの『お前の狭い世界で見た即売会だろ』って言われるだろう。
それも仕方ないがそれなりに古くから参加してきているからな狭い世界と言われると、一体広い世界はどのくらいの広さなんだと教えてほしいくらいだが、そんなやりとりは不毛だし互いに引かないで争うだけなのでやらない。
なんにせよ時代の移り変わりを見てきたので、そう思ったわけだ。
爺として思うのは、もう昔のような流れは見られんのだろうかなという所だ。もっと楽しそうに会話していた頃も今はあんまり感じない。サークル参加者も一般参加者も作業しているだけにしか見えなくなってしまった。
活気づいてるといえば人の数だけで、売る方も買う方も楽しそうじゃない感がある。
まあそれもまた時代なんだろうなあ。
https://anond.hatelabo.jp/20201024104736
でも「受注販売にすればリスクがあまりない」という一言で、モヤっとしてしまった。
たとえば増田が印刷代と同程度の価格で頒布しているなら、営利目的ではないだろう。
しかし販売という単語を用いている時点で、増田は同人誌のガイドラインや定義については詳しくはなかったのかもしれない。だが、カバーイラストを描いた絵師や周りに同人活動経験者はいなかったのだろうか。
利益が出ないなら受注販売のスタイルをとっても問題ないから、誰も言及しなかったのだろうか。
そもそも私が、注文を受けた数だけ頒布するというのは、営利目的と誤解される可能性もあるとか、部数に悩み在庫を抱える不安、同人作家が通る苦悩をぶっ飛ばしたことへの嫉妬なのだろうか。
たしかに印刷代は安くはない。だからなるべくなら赤字は極力減らしたい。全部頒布できて印刷代と帳尻があうならそれに越したことはない。
しかも昨今の状況下で通販での頒布が増えてきている中では、受注販売というスタイルは今後、同人活動の中では主流になっていくのだろうか。
どうしても受注販売という頒布方法に引っかかってしまう。同人誌はあくまで、本を手に取ってもらう代わりに印刷代だけは頂戴しますね、というやり取りではないのか。などと、この考えがすでに古いのだろうか。