はてなキーワード: 保育園とは
すでに息子が一人いるが、以前から二人目が欲しいと言われていてかなり辛い。
妻のことは当時も今も愛していて、妻は子供が好きなのもあって、"子供は作らない" と簡単に告げることはできなかった。自分は自身の時間も大事にしたいとも強く思っていて、それが削られるのも嫌だなぁという気持ちがあった。ただ、妻に一生我慢させるのもそれは違うので、最終的には、「一人なら子供が好きじゃない自分でもなんとかなるかな..気持ちも変わるかもしれないな..」と思い、長男を授かった。
実際のところ自分に子供が生まれてみると親としての感情なのか、可愛いと思う気持ちはあるし、人生が幸せになってほしいと考えられるようになった。それでも、同時に「愛するように努力しなければ」と意識している自分もいて、本気で無償で子供を可愛いと思っている人とは根本から考えが違うなぁと感じる機会も多かった。保育園で自分の子供以外の子供を見ても特に可愛いとは思えない。ただ、生まれてきた子供には何の罪も無いので、自分のこの気持ちは息子は一生知らなくてもいいかなと思ってる。
今現在は時間的や精神的な余裕があり、子供が一人であることによる恩恵が多い。本人が興味をもった習い事もさせてあげられているし、ある程度欲しいものも買ってあげられている。息子が今後どういった道を志すかもわからなく、一人のほうがその時に自由な道を選ぶことができるようにしてあげられるかもしれない。今は小学生になりある程度落ち着き、子供が生まれる前と比べるともちろん減ったが、自分の時間もある程度確保できており精神衛生を保てている。
でも、子供が生まれてから数年間はめちゃくちゃ辛かった。子供が好きじゃないことを自覚しながら、周りは誰もが「子供が生まれてよかったね」「可愛いでしょ」という感じで、「実は子供好きじゃないけど頑張って可愛いと思おうとしてるんですよね」とはまったく言えなかったし、言える空気になかった。そういう気持ちにならなければと「可愛いですね〜」と無理矢理ヘラヘラ言ってる自分がすごい気持ち悪かった。
ただ、相方は以前から子供が二人欲しかったようで、息子の友達も兄弟がいる人が多いのもあり、定期的に二人目が欲しい旨を伝えられてきて精神的にツラくなっている。
上記の一人っ子による利点を話しても「兄弟がいるのが普通」「一人っ子だとワガママになる」という話になってしまう。自分の実際の気持ちは「子供が好きじゃないし、息子のことは頑張って好きになった。二人目はその気持ちになれるかわからない。」という話になるのだが、万が一息子に伝わってしまうことを考えると、これを実際に口に出すことはできないし、人として今更これを言ってはいけないのではという気持ちもあり、言語化することができていない。
自分は妻のことは愛しているが、二人目の子供がいないと一生妻は幸せになれないのだろうか?
自分の些末な感情は殺して社会通念的に必要な二人目を作ればいいのだろうか。
でもそれで今後の人生上手くやっていけるのだろうか。
京都大は15日、霊長類研究所の正高信男・元教授(66)が、2014年から19年に発表した論文4本で、実際に実験をしていなかった捏造(ねつぞう)の研究不正があったと発表した。正高元教授は20年3月に定年退職している。京大は退職金支払いを止めており、今後、処分を検討する。
調査委員会の報告書 https://www.kyoto-u.ac.jp/sites/default/files/inline-files/211015-kaikensiryo-d825afb27efaa25500ea68b226f58ea1.pdf によると、対象の論文は以下。
なんか、どれも教育・コミュニケーション関係の限定的な界隈が喜んで言及しそうなテーマよね。「大麻オイルがコミュ障・ひきこもり改善に役立つの!」とか「自閉症はダイバーシティのひとつ!美的判断能力が高いの!」とか「デジタル絵本のほうが紙より教育効果が高いの!」とか。周囲にそういうのがいて、感化されたのか、コメンテーターか広告塔になるつもりだったのか。...と思ったら、2003年頃からの著書が、なんかおかしなタイトルばかりだね。この頃に悪い編集者にでも捕まったのか。
子供のが通ってる保育園の近くで起きた事件でさ、捕まるまで1日近くあったじゃん?
その日は本当に怖かったんだよね
東京じゃ秋葉原に車で突っ込んだり、電車で刃物振り回してるけど山梨で無差別ってのは本当に見ないんだよ
子が自閉症スペクトラムと診断された。
いわゆるアスペルガー症候群というやつだ。
2013年に診断の世界基準とされるDSMが改定された(DSM-5)ことで、アスペルガーは自閉症の一形態ということになっている。
診断と言っても、傾向があり可能性が相当に高いという話ではあるけど。
自閉症スペクトラムがその名の通り連続体(スペクトラム)なので個人差が大きく、
その上血液検査みたいなもので数値判定することもできず、症状が広範で明確に区別できないので診断も難しいと思われる。
今のところ知的障害はないように見える。
自閉症は他人と関わりを構築するのが苦手・或いはできないだけであって、知的障害を伴わないものがある。
幸いというか、数ヶ月前にあるきっかけで自分自身がアスペルガーではないかという疑いを持ち、
田舎であり心療内科の数がほとんどなく予約が取れないこと、主訴(実際に生活で困っていること)がないことから
心療内科にかかることもできなかったけど、思い当たることが多すぎて100%間違いないと確信している。
そしてその才能(アスペ)をいかんなんく発揮し自閉症スペクトラムについて無駄に広範な知識を手に入れ
診断がくだる前から知識武装がされていたこと・パートナーにその事実を伝えておいたことで
それで困難と感じていないのであれば障害ではなく個性と認識される。
その意味で高機能自閉症は「自閉症スペクトラム」であって、「自閉症スペクトラム障害」ではない。
いかに「障害」にしないか、がこれからもっとも重要なところだと思っている。
保育園も含めてどうこれから「介入」していくのかということを考えているときにふと気付いた。
本人を社会に順応させるのが目標ならば、家族は本人を取り巻く環境の一部であって、本人に合わせて介入される側だ。
ある程度知識を得たとしても、それは生半可なもので、臨床経験が豊富な人の意見に従う必要はあるだろう。
子供の教育に介入するのは、プライベートに土足で踏み込んで来るようなもの。
それなら我々が用意しておくのは雑巾(掃除道具)なんだろうなと。知識よりも心の準備の方が大切だなぁと思った。
未満児の段階で自閉症スペクトラムを診断される。
自分が同じように診断してもらえていたら、おそらく全然違う人生を歩んでいたんだろうなと思う。
障害を個性だと主張しても、やはり障害は障害なのだ、目が見えない人はどう頑張っても本を読めないように、
僕はどう頑張っても普通の人のように円滑な人間関係を築くことはできない。
努力で解決すべきか、諦めて他の道を探すかの選択をするときに、
「これは障害であり、自分には不利である」と分かっていたら、どれだけいい選択ができたことか。
姿勢が悪いのを物差しを背中に当てられて強制されるようなこともないだろうし、
(姿勢が悪いのもアスペあるあるらしい、おそらく同じ姿勢をとることがあまりなく自然に体幹が発達しないのだろうと推測)
時間の多くを長所を伸ばすことに当てられたらどれだけ良かっただろうか。
アスペルガーのもう一つの特徴は興味の局所性と集中であり、興味がないことはとことんできないということだ。
人との関係を構築する能力を失う代わりに得ているものがあるそうで、多くは数学的能力(論理的思考)か、言語的能力だそうだ。
自閉症スペクトラムの子供に調査を行ったアメリカの研究では、一人も自分の障害をなくしたいと思っている子はいなかったそうだ。
僕も同感だ。
障害が自分の能力の一部であり、危ういバランスの上にいることを自覚しているのだろう。
自閉症スペクトラムは遺伝性のものであるという強いエビデンスがあって、
自閉症の親から自閉症の子が生まれる確率は通常の50-100倍だそうだ。
そう、100%僕が悪い、と同時に、100%僕の親が悪い、と同時に・・・・遺伝とはそういうものだ。
妻には申し訳ないと思う。しかし生まれつき他人と違うというのは、メリットになりうる。
子にもそう思ってもらえるよう、色々模索して行きたい。
幸いと言っていいのか、僕も通ってきた道だ。
登山で延々藪漕ぎをするのはしんどいが、アスファルトで舗装されていても醍醐味がない。
ちょうどいい登山道を用意し、同時に登山道の作り方を教えて行けたらいいなと思う。
しかし楽観もできない。
知的障害がないとは言えないし、
これから発達が進むにつれて見えなかったものが見えてくるだろうし、
前途は多難だ。
ちなみに今のところ生活に何も困っていないが、特別児童扶養手当の申請はしておく。
困ってからではなく診断が出た段階で申請するのがベストだと思うし、
行政の用意してくれているセーフティネットには引っかかりやすくしておいた方がいい。
運よく検診で拾って貰えたのは本当によかった。
私は恋人どころか友達いない歴が小学校入学以来続いているコミュ障女。
保育園まではまあいたんだけどな。卒園と同時に引っ越し&引っ越し先がマンモス園からほぼ持ち上がり進学というハードな環境にやられちまったよ。
仕事もひぃこら残業してやっと人並みにできるくらいには手際が悪い。
なので愛するカレピッピと同じ姓になりたいの♥️みたいなもんはないし、
姓が変わると今までのキャリアが途切れて云々なことも起こらないし、
今までの「家」が破壊されて伝統がーみたいなもんは背負ってないし……。
個人的には姓が変わった程度で揺らぐほど安くてペラい人生を送ってきたつもりもない。
億が一結婚することがあったとして、姓は私が変えてもいいし向こうが変えてもいい。ただ手続きはお互い有休とって一緒にやろうぜ、そんな程度の愛着しかない。
初めは選べんならそれでいいんじゃね?とは思ってたのよ。
ただ「夫婦別姓=片方の親と強制別姓」と知った(気づいた)ときに待ったがかかって、そして「現段階では反対派」になった。
親や祖父母世代はどうしても「男が家を継ぐ」みたいな価値観は強いだろうし。
あと「お前はずっと腹の中で子供を育ててきて、痛い思いをして産んだから母親の自覚は存分にあるだろう。
だけど俺はお前の苦労は見てきてお前の夫だという自覚はあるけれど、この子の父親であるという本当の自覚があるかは怪しい。だから俺と同じ姓にしてしっかりと自覚とけじめを~」みたいな。
クソな言い分だな、とは思うけど言うやつは絶対出てくるし、家事の分担とかですこーし男が負担を増やせば「まぁ…」って女は出てくるんじゃないか。
それと国際結婚はあくまで「例外」で認めてるだけっぽいし……。
あと、これが一番気になってるのに話題にしているのを見たことない。
夫婦別姓だったら離婚したっていうのが分かりづらい。(子供のために結婚時のままの姓にしておく親子もいる、っていうのは承知済)
あそこは離婚したから父(or母)が迎えに来るはずない、とか子供を渡しちゃいけないとか、そういうのって離婚して姓が変わる(戻る)からこそ印象に残るイメージ。
元から夫婦で違ってて、そのまんま別れていって、だといつ離婚したか?どっちの子になるか?ってわかりづらいと思うし、ミスが生まれると思うんだよな。
死別とも重なるけれど、例えば佐藤父と鈴木母の子である佐藤娘で両親離婚、鈴木母が佐藤娘の親権を持ち一緒に暮らすとか、絶対面倒だと思う。
まだ自分も周りもよくわかってない二歳三歳だったり、自立している/自立が目前に迫る年齢であればいいけど、でも、それ以外の年齢だとなぁ……。
不倫もさ…これ今の段階でも「既婚者だと知らなかった」と証明されれば慰謝料は取れない。
この言い分はわりとシビアに判断されるそうだが、別姓になるとそのハードルは下がるように思う。
AとBは名字が同じ=家族や親戚である、という判断は一度はしたことがあると思う。
不倫を知って訴えを起こしたらCから独身だと思っていたと主張され、Cの言い分が認められ。Cから「独身と偽って交際され傷ついた」と訴訟を起こされ負けたら。
夫婦は家計を同じくしてるから、結果として負担がかかるのは妻と子供だよなぁ…。
あと単純に結婚詐欺できそう。「君を尊重したいから」なんて言って別姓婚したと思ったらしてなかった、みたいな……。
「自分のため」を優先しないと別姓でいるのが難しい気もしてる。
子供を作る気ないし、とかいう人たちもいるだろうけど、ヤるだけヤって自分だけ気持ち良くなって無責任な男に捨てられた、追い詰められてどうしようもなくて遺棄して子供を殺した母親の何割かは子供を作る気なかったと思うし。
夫婦別姓問題は女が弱者、という論調で進んでいくのが見えるけれど、本当の弱者は(まだ生まれていないが、それなりの確率で生まれる)子供だと思うんだよ。
その子供を尊重し、納得して託せる法律案みたいなのが見えてこない限り、賛成にはなれない。
こんなぼんくらですら浮かぶ疑問の解決法がないってことは、それ以上に厄介な問題が出てきたとき対処に後手に回るってことだろうし。
賛成派の人でこの辺論じてるひとおらんのか
先週土曜から咳の気配アリ
土曜昼に俺「病院連れてくよ」「一人の時連れてくの大変でしょ」
嫁「(連れてかなくて)いい」
昨日は席が出たので保育園休む。嫁も急遽パート休む。(保育園連れてっても熱37.5度になると迎えに来るよう電話が来る)
「子供を病院に連れてくので遅れます」会社電話した俺の背後で嫁の雷が落ちる。
「何勝手なことしてるの!!」
作り出す。
風呂もまだだったので風呂、子供がぐずって全力で嫌がったので嫁が入れる(俺が入れるよ、とは言ったものの)
娘受け取る。寝室でさんざんごっこ遊び
嫁髪乾かして寝室へ→嫁就寝22時。
俺、嫁にくすぐられてハイテンションの娘氏を
就寝後の咳は2度程度
板間に寝ていた娘を布団上に戻すときの「いたい」で嫁一瞬飛び起きる→「大丈夫」で寝る
俺、1時にシャワー浴びて寝る。
娘も嫁も寝ている。
朝6時45分俺起床、「休んでてもいいよ」を無視して嫁起床
3歳児の「たーべーたくない」に逐一嫁激怒。
9月はじめに保育園から「陽性者が出たので明日から10日後まで休園です」と連絡があった。「そうかぁ、いよいよ来たなぁ」という感想。
・休園1日目
園から「接触者リストにはいってる」と連絡をもらう。(=濃厚接触者ではなかった。濃厚接触者かどうかはこのリストを元に保健所が決めるとのこと)
「接触者リストに入ってる」というのはどれくらいの危険性なんだ…と思いながらも特に全員体調に変化がないので外に行かずそのまま過ごす。
・休園2日目、3日目
37度と38度で寝たら落ち着いたのだけど、「接触者リストに入ってる」という言葉から「子供は陽性かも」と疑う生活を始める。
常に全員マスク、部屋の換気、シーツやタオルなど洗濯しまくる。寝るときは一緒の布団なので二重マスク。
でも、ごはん、おふろなどはノーマスクだし、やっぱり10歳未満の子を隔離なんてできない…。
・休園5日目
ようやく「濃厚接触者ではない」と連絡がきた。が、発熱もあったので安心できない。
・休園6日目
・休園7日目
連絡が来てようやくほっとしたし、マスクを外せて本当に嬉しかった。
自治体の方針で 陽性者の情報が全く知らされなかったのだけれど、子供のリスクの高さが全くわからないまま、一週間すごすのはとてもきつかった。(先生なのか、生徒なのか、親なのか。いつごろ発症したのかなどもう少し情報が欲しかった……のだけど、教えてもらえないのは仕方ないのか)
同じクラス・同じ状況のお母さんは、収入の面から出勤せざるをえず出勤していたようだし、もし子供が濃厚接触者だったら、この「濃厚接触者」と認定されるまでの5日間のタイムラグは結構な被害を作ってしまう期間じゃないかと思った。(もしくは、はっきりした濃厚接触者ではなかったから連絡が遅かっただけ?)
あと、家族が陽性者ではないのか、と思いながら家から出てはいけない生活も辛かった。
一瞬だけ人がいない空き地に行きマスク外した時があったんだけど、ようやく息ができた感あった。
そして部屋に戻るときにはまた「…よし」という気合でマスクを付けていた。
本当に疲れた1週間だった。
我が家は結局陽性者ではなかったけれど、それが本当にそうだった人も、この夏は多かったと思う。本当に、つらい夏だったな…。
隔離もしてもらえず、自宅療養→家庭内感染、救急車呼んでも置いていかれる、なんて異常事態だったよな…。
(後半、今は戦時中みたいだ、と思っていた)
トップも変わったし、第6派がきたとしてももうああいう自体にならないようにしてほしい。
ほんと、ちゃんと準備しておいてください。
家族が陽性者だった・自宅療養をしていた方々にはこんな何もない状態で疲れていて申し訳ない気持ちはあるし、言いたいこともまとまってないのだけどひとつの記録として投稿しておきます。