はてなキーワード: フェイスブックとは
と思う。
常にフェイスブックにログインし続けている人がいるけれど楽しいのだろうか。僕にはわからない。
誰かとつながっていないと不安にでもなるのだろうか。つながっていることで安心感が得られたりするのだろうか。
ご縁のあった人との関係は大切にしたいと思っているのだが、年がら年中どうでもよい、落ちもない話を延々と提示され続けるのは苦痛でしかない。
あれをしたこれをした、だから何だ、何がいいたいのか、すごいねと褒められることが望みなのだろうか。
同じサークルの中で気を使いながら近況報告し合うことを続けていては、人生が先へ進まないような気がした。だからフェイスブックはやめた。
出かけようとすると隣の車の開錠音が鳴る。
帰ってくると出てきて、どんなに私達が悪いか言ってくる。大声でないので、罵声でも脅しでもない。
カメラが庭に向いている。
庭で子供と遊ぼうとしたり、庭の手入れをしようとすると家から出てくる。
時折、どんなに私達が悪いか言ってくる。大声でないので罵声ではない。
自転車で走行中、あと20センチずれていたらぶつかる距離で車で脇を通っていく。
自動車で停止中、自動車を猛スピードでバックさせてくる。ぶつからない距離で止まり、すぐに立ち去る。
子供が泣こうが注意なのでよいらしい。
町内会名簿でなまえをチェックし、フェイスブック等を見つけ、チェックする。
公開している人間が悪いので、定期的に見ようが構わない。
婚活パーティー、街コン、アプリ、結婚相談所で約3年ほど婚活してきた。
それを結婚できないままやめようと思っている。
幼稚園の時の将来の夢はお嫁さんだった。小さい頃から漠然と大人になったら結婚できるものだと思っていた。
実際は大学まで共学で男性と関わりがあったにも関わらず趣味に没頭していたせいもあり結婚どころか彼氏もできなかった。
社会人になって周りが女性ばかりの職場になりいよいよ焦って婚活をはじめた。彼氏も欲しかったし、30歳までには結婚したいと思っていたからだ。
友達に紹介や合コンを頼めればよかったけど私含めて友達もまったく浮いた話がなく頼めなかった。フェイスブックの同級生には結婚している人が多いけれど現在も私の周りは誰も結婚していない。
まず婚活パーティーに参加したけれどカップリングできなくて落ち込んだ。そこでカップリングがない街コンに参加した。
何回か参加して何人かとご飯にいったり映画をみたりデートみたいなことができた。ただ、何回か会うと毎回疲れて次に会うのが面倒になりフェードアウトしてしまう。
でも一人だけ本当に会うのが楽しくて好きだなと思える人がいた。
その人と付き合う前にセックスしてしまった。今思えばその人はヤリモクで、だからこそ私に優しくしてくれていたのかもしれない。
セックスした日から段々連絡は少なくなって向こうからフェードアウトされた。こちらから連絡する勇気はなかった。
しばらくは落ち込んでいたけどまた婚活を再開させてアプリで趣味のあう人を見つけて会ってみたりしたけれど、やっぱり会うと疲れてそこから先が面倒になるのは変わらなかった。
それで人の力を借りてみようと思って今年結婚相談所に入った。アドバイザーの人がついて色々相談できるのが魅力だった。
そこでまた何人かと会った。その中の一人が真剣交際を申しこんでくれた。彼はとてもいい人で好印象だったので交際をうけた。
相談所では真剣交際期間が決まっていて期間内に成婚退会か交際中止かを決めなければならない。
真剣交際期間に何回か会うと彼は成婚退会を申し込んでくれた。それは嬉しかったのに全然喜べなかった。
やっぱり前に会った人たちとと同じで会うたびに疲れるし、楽しくない。一緒に映画をみている時もどうやって交際中止を伝えようか考えていて内容が入ってこなかった。
趣味も会うし外見も嫌いじゃないし何が嫌なんだろうと考えていたけれど結局、私は彼を好きじゃないんだと思う。
結婚と恋愛は違うと言うし上をみたらきりがないけれどやっぱり好きな人と結婚したい。
結婚相談所は退会しようと決めた。でも婚活を辞めたら一生結婚できない気がして怖い。
そもそも好きな人とこの先会えるかなとか20代後半になっちゃったのにどうするんだとか不安はつきない。
どうしよう。どうしたらいいんだろう。
きっかけはゲームで仲良くなったこと。そのまま他のサイトとかでも遊んでたりしてLINE交換して通話する仲になった
住みがかなり近かったが、俺は正直乗り気じゃなかった
だって22歳の俺が彼女とリアルであって話が合うわけでもなさそうだし(通話では割とあっていたが)、親の了承が得られていなければ未成年誘拐になってもおかしくない
そのうち彼女が諦めてくれると思ったのだ
ゲームのIDから俺のツイッターアカウントとフェイスブックアカウントを入手、顔や住所まで彼女に漏れた
それを悪気なく俺に伝えてきた
リスカだのアムカだの依存だのボーダーだのいつも話していたからだ、学校にとあまり行けていないという
誰か対処法を教えてくれ。ちなみに繋がりをすべて断ち切るということは出来ない
いわゆるギークとかナードというか、昔のインターネット大好きな人間のものではなく一般社会の延長に成り下がった今のインターネットでは皆平然と顔出しをしている。
TwitterでもフェイスブックでもYoutubeでもインスタでも、媒体に差はあれ、インターネットで顔を晒すという行為が当たり前という人間は世代によってはもう多数派になってるかもしれない。
でも俺のような日陰者の懐古主義者のように、インターネットで顔を出すなんて行為がありえないと思う人間だって一定数いるだろう。
だって、そうだろ?
みんな怖くないの?
そりゃ顔を出すのが当たり前になれば自分だけってことはないし、今やYoutuberなんて当たり前にいるわけだから今更何言ってんだオッサンと言われりゃそれまでだけどさ、それでも毎月、いや毎週、毎日のように何処かの誰かが有名無名を問わず炎上して、どこの誰かもわからない正義の人たちに現実じゃとても言えないような罵声を浴びてるわけじゃないですか。
そりゃ、炎上する人間が一番悪いんだという理屈はあるかもしれないけど、ネットで炎上したらごめんなさいしても解決しないじゃん。
一度目をつけられたら過去の迂闊な言動とかを逐一掘り出されて、燃料の足しにされちゃうわけじゃないですか。
卒業文集だの写真だのが流出するなんてよくある話だし、自称知り合いがあることないこと語り出すまである。
ネガティブに考えればキリがないのはわかっているけど、それでも現実そういったことはもう珍しいことじゃなくなっている。
自分がそんなことになるはずないって、本当に言い切れる?
俺は無理だね。人間誰しも後ろめたいことや人に言えないものはあるし、これからないとも言えない。
ちょっとした間違いで、酒の勢いで、些細な気持ちで発信した何気ない情報が三日三晩燃え続けるかもしれない。だってさ、もう炎上自体が当たり前じゃん。ネットニュースとかみてるとこんなので炎上すんのかよみたいな案件あるでしょ。
なんだよそんなの運も絡むじゃねーか。炎上するやつは運が悪いってか。肝練りかよ。
話が長くなったけど、顔出しをやめろとか物申すとかそんな偉そうなこと言いたいわけじゃなくて、言ってしまえばみんなすごいというか、俺が時代についていけていんだなということが言いたいんです。
インターネットは変わって、自分は自分の頭のなかにある古き良きインターネットを引きずっている、それだけなんですよね。
もうインターネットはおもしろFlashで盛り上がるような奴らのものじゃなく、現実社会を精一杯生きるキラキラしたみんなのものになったんだよ。それを受け入れなければいけない。
それでも、今なおやっぱりインターネットのしっとりジメジメしたところにいる人間というのは一定数いるし、良くも悪くもインターネットを現実と切り離して振る舞う人間は存在するってこと、覚えててほしい。
そう、それはまさにここ、「はてな匿名ダイアリー」のように────
伊藤詩織氏と山口敬之氏との件について、最初の彼女の会見から、事件の本質と関係ないことも含めて多くのことが語られ、多くの人がその事件の本質と関係ないことに気を取られてややこしくしてるように見えるので、整理する意味でちょっと書く。
実際、「レイプがあったかどうか」という核心にだけ絞れば出来事はかなりシンプルだと思う。で、先に結論めいたことから言うと、(真実はひとつだとしても)今回の両者の言い分や状況から第三者が客観的に判断しようとした場合、どちらかが間違っててどちらかが正しいということだけでなく、ある程度のところまで両者の言い分がともに正しいという可能性がある、ということを考えてる。
まず、俺はとりあえず男な(一応、これは最初に言っておこう)。伊藤詩織氏の最初の会見、先日のFCCJの会見をはじめ、公になっているインタビュー記事やそれへのネットの反応などは一通りチェック済み。Blackboxは申し訳ないが未読。山口氏のフェイスブックでの投稿や先日上がったHanada動画は視聴済み。
法律の専門家じゃないのでそのへんの解釈や定義は曖昧なところあるかも。いずれにしても素人の感想ではあるので、そのつもりで。
就職を斡旋してやるからセックスさせろとか、就職を世話してやる俺の酒は断るな、ということはなかったようなので、そういう点でのセクハラ、パワハラ、アルハラというのは除外していいよね。あくまで二人で食事に行ったきっかけに過ぎない。
これは重要かつ決定的物証となり得ると思うけど、実際どうだったかを今の段階で科学的に検証できないのであれば、この論点に拘り続けることはできない。
この辺はやや重要なところではある。刑事事件としては一応結論が出てしまったわけだけど、この件の本質的な争点は、当時の伊藤氏の状態が準強姦の定義である「心神喪失」「抗拒不能」に当たるかどうかだと思うから。
でも、タクシーの中では「駅でおろしてほしい」とわりとまともなことを言ってたようだし、このタクシー運転手の証言だけでは、山口氏が挿入した際に「心神喪失」「抗拒不能」だったとまで断定することは難しいだろうと思う。一目撃者に過ぎないのでは。
これについては山口氏がHanadaの動画の中で自分で確認したと言っているが、伊藤氏はふらふらながら自分でカバンを抱え、自分の足で歩いていたという。ここで伊藤氏の主張と食い違いが見られるが、民事でこの映像が証拠として出ればはっきりするはずなので、これ以上はここでは触れない。何か明確なものが写ってることを願う。
2軒目の寿司屋のトイレあたりから記憶を失っていた伊藤氏。目を覚ましたときには山口氏に挿入されていたという。それに対して山口氏は、伊藤氏は嘔吐して水を飲んだり土下座して吐いたことを謝ったりしていたという。ここは完全に二人にしか分からない上に、伊藤氏は自身でも記憶を失くしていたと言っているので、証言という点で伊藤氏は不利にならざるを得ないだろう。
ここで俺が引っかかったのは、「行為中に目を覚ました」ということだ。
ちょっと本筋から外れるけど、これまでいろんなテレビドラマや映画、漫画など創作の世界(敢えていうが欧米のも含めて)で、羽目を外して飲み過ぎて記憶を失い、翌朝目が覚めたら見知らぬ男の部屋のベッドで事後だった、みたいなのってあるよなぁって。
物語だと、だいたい自分の失態として、あちゃーやっちゃった、みたいな後悔と二日酔いを抱えてとぼとぼ家に帰るってことになるんだけど、考えてみれば、それもほとんどレイプ(準強姦)と同じなんだなってこと。だけど、自分が楽しく酒を飲んでたっていう記憶と、行為中の記憶がないっていうことによって、「レイプだ」とまではなかなか本人(また、そういう創作物を見ている側)は思わないというのも、人の心理というか、人情なのかもしれない。
(断っておくが、俺は、だからこうした演出や筋書きをすべて準強姦的だと非難したいわけじゃないし、そういう女性は「レイプ被害者」だと自覚を持てとか言いたいわけじゃない。まあ、なんていうか人の営みってそういうところあるよねって感じ。何でもかんでも法律だ警察だってことではないだろとは普通に思う)
ともあれ、伊藤氏がここまでこの件を引っ張るのは、行為中に我に返ったからで、実際に痛みと恐怖を感じたからなんだろうな、と察することはできる。
あと、アルコール性健忘症というのもなかなか厄介だ。その時は普通に受け答えをしているけど後になると本人は覚えてないってやつ。これも、後から本人がそういう状態にあったということを科学的に立証することはできないんだろう。
この件を、確定的な出来事に即してシンプルに見れば、男と女が飲みに行き、女が飲み過ぎか体調不良で意識が朦朧とし、男がホテルに連れ込んでセックスがあった、という、ありきたりといえば言い過ぎだけど、珍しくはない話でしかないだろってこと。そして、アルコール性健忘症を鑑みたときに、伊藤氏と山口氏のどっちが正しいということでなく、伊藤氏が記憶を失くしているときに山口氏の主張したとおりの行動をしたのかもしれず、たまたま挿入中に目覚めた伊藤氏が痛みと恐怖で逃げ出した、という、両者の言い分が相当なところまで両立することも有り得るんじゃないの、という可能性を指摘したかった。
だって、最近伊藤氏の応援側は、酩酊した女性を病院に連れて行かずにホテルに連れ込むとは何事だ、ぐらいなことしか言えなくなってんだもん。いやまあ、そりゃあそうだけどさ。実際、本当に明らかになっていることで第三者がはっきり言えるのってこれぐらいのことなんだよな。そりゃメディアも取り上げにくいだろ。
伊藤氏がまるきり嘘ついてるとは思わないし、望まない性行為があったのは事実のようだからいろんな意味で彼女の行動が報われてほしいと思うけど、実際、これからメディアで発言していくにしても、「刑事事件としては不起訴処分」みたいな注釈をいちいちつけられるわけだろ、なんか運が悪いっつーか。
で、最後に、敢えて触れなかったが、逮捕状が出たけど直前でもみ消された件。
人によっては、この点こそがこの件の本質だと思ってるんだろうが、これについては俺にはよく分からん、ので特に言えることはない。そもそも、ここまで書いてきたようにこの件で本当に客観的に準強姦が立証できるかというのもなかなか難しいんじゃねって俺は思ってるけど、実際に政権上層部の人間の恣意的な判断があったならぜひ明らかになってほしいとは思う。安倍政権にかかわらず、権力に何ができるのかということは国民は知るべきだろ。
以上、読んでくれてサンクス。山口氏に肩入れするつもりはないけど、まあ、そう読めるかもしれん。何度も言うように伊藤氏が嘘をついているとも思ってないので、山口氏に味方していると言われるのは本意じゃない。念を押すが、両者の言い分がある程度までともに正しいという可能性がある、ということを主張したかっただけ。あと、行為中に我に返ったというところが事態のかなり大きな分かれ目になってるのでは、ということは言われてないように思えたので。大した結論出てなくてすまん。民事でどうなるかは、ここで俺が書いた以上の決定的な新事実が出てこない限り、どっちかが完全勝訴みたいにはならないんじゃないかな。まあ、裁判のことはよくわからんが。最後に、デートレイプドラッグはきちんと啓蒙すべきだ。これ大事な。
少し前に彼女と別れた。
生まれて初めて付き合った彼女ではないけれど、うまれて初めて好きになった人だった。
僕は彼女のことがすごく好きだったし、彼女も僕のことを好いていてくれたと思う。結局半年くらいで価値観や人生観の相違や、恐らくだけど、加えて僕への物足りなさもあり、別れることに。
別れは死ぬほど辛かったけれど、納得はしてるいるし、今は上手く消化もできている。
もちろん、こんなことなら出会わなければよかった、付き合わなければよかった、なんてことも思っていない。
というのも、ある種恋愛童貞だった僕に、彼女は色々なことを教えてくれた。彼氏彼女という関係性において、彼氏とはこうあるべきという女性目線の男性像から、他人への思いやりの気持ちや想像力などの内面的な部分の指摘はグサグサと僕の心を踏みにじり、強くしてくれた。
当時はそれが辛くて、そんなことを言わなくても、想像力想像力言うなら僕の気持ちもわかるよね?と思っていた。けれども、今は全て分かった上で伝えていてくれたと思うし、その教えは恋愛だけではなくて仕事もに活きていると実感している。
その甲斐あってか、その彼女と別れた後にまた別の彼女ができた。でも、その彼女へ当時の彼女に向けていた同じ感情が向けられない。好きという感情はおろか、性欲すらも湧いてこない。
今まで付き合った彼女に対して、好きという気待ちはなくても、性欲が湧いてこなかったことは、ただの一度もない。だからこそすごく戸惑い、色々と考えを巡らせた。
しばらく考えても全く答えが出てこず、苦悩したが、ある日答えに気がついた。気がついた、というよりも「気付かないようにしていたこと」に「気がついてしまった」のだ。
もうお分かりかと思うが、僕はまだ別れた彼女のことが好きで好きで仕方がないのだ。
消化しているのは別れたという事実を受け入れられた、というだけのことであって、僕が別れた彼女を好きという事実はまったく変わっていなかったのだ。
(別れの原因は長くなってしまうし、さして重要な要素ではないで割愛するが、もう絶対に復縁することはない。)
長くなってしまったが、
TwitterやInstagram、フェイスブック、LINE、あらゆるSNSで僕からコンタクトを取ることは一切ない。それどころかミュート機能のないInstagram以外は全てポストがフィードに流れてこないように設定している。
別れた後にInstagramのフィードで別れた彼女のポストを見ると、ドロッとした感情が胸を締め付ける。
幸せになって欲しい
もう一度戻りたい
僕以外の誰かといないで欲しい
不幸になって欲しい
心から幸せを願っている一方で、僕と別れて幸せになることが受け入れられず、善の感情と悪の感情がぐちゃぐちゃに入り乱れている。
でも、それはまだいい。
時折僕のポストや、なんでもないことで、別れた彼女の方からコンタクトを取ってくることがある。
そらに対して僕はちっぽけなプライドと自尊心を守るために「なんとも思ってないですよ」言わんばかりの、嘘にまみれた言葉を突き返している。
きっと相手からすれば、僕にコンタクトをとるのは、なんでもない日常のワンシーンなのだろう。
でも僕にとっては違う。
付き合っていたという事実は消えていても、好きだという事実は消えていないのだ。
私の友人に市議会議員がいる。彼は日本某産党員としてかねがね活動していて、ある時、周囲から「某市の市議会議員になってくれ」と頼まれ、立候補することになった。
彼には実家の和菓子屋を継ぐという責任があった。このまま行けば二代目として間もなく家業を継ぐ、という頃であった。だけど、彼はそもそも「こんなレールに乗った人生でいいのか」とかねがね疑問に思っていたらしい。
立候補に際しての決起集会において彼は「『このままでいいのか、何か始めなければ』という悶々とした思いがあって、今回思い切って立候補した」と言っていた。約一年半前「レールに乗った人生は嫌だ」とたった数ヶ月で大学を辞めて起業を企図した石田某を思い出す人もいるだろう。
彼が家業を継がずに選挙に出ると聞いて、例外なく誰もが驚いた。息子が跡取りになることを想定して事業計画を推進していた両親もいきなりの事に驚愕しただろう。彼は少し前に「一緒にやっていこう」と友人を会社に入社させており、その友人も驚いたに違いない。彼を跡取りとして会社が存続するものだと思っていた数多くの社員も驚いた。ローンで家を買ってしまった社員もいた。
選挙に出ると決まってから彼はその政治思想を喧伝するようになった。人が変わったようだった。例えば「選挙で棄権するなんてもったいないですよ」とタクシー運転手に説教をし、「是非とも次の選挙では日本某産党に投票してよね」と友人たちに触れ回り、与党たる自由民主党に投票したという者に対しては「某産党にしか未来はないよ。それは誤った選択だよ」と諭した。
投票日が来た。若さもあって彼は2位で当選した。任期は4年である。
議員になって1ヶ月後、彼は言った。「やー、本当にやりたかったことって、これじゃなかったみたいなんだよね。何で選挙になんて出たんだろう」
議員になって半年後、彼は言った。「議員なんてもうやりたくない。○○市にいるのが恥ずかしいよ」
議員になって1年後、彼は言った。「金は超貯まるよ。ボーナスも出るし。でもなぁ、議員になんてなるんじゃなかった。某産党になんてもう全然興味がない。隕石でも落ちて地球が滅べばいいのに」
彼には議員としてのウェブサイトがありフェイスブックも開設しているけれど、ウェブ上で熱心に情報を発信したのは議員になって初めの1ヶ月だけで、それ以降は殆ど更新していない。飽きてしまったようだ。従って、政治家としての彼の活動を知ろうにも有権者には何の手立てもない。
私たちがここから学ぶべきことはたくさんあるけれど、集約すれば「議員に『転職』する候補者に投票してはいけない」ということである。
要するに彼は「選挙に出てみたかった」のであり、「政治家になりたかった」のではないのである。にも関わらず、当該者が当選してしまったらその後数年間、何のプランもイデオロギーもなく衝動で立候補、たまたま当選した暁に「議員になんてなるんじゃなかった」なんて宣う者のために税金から多額の給与が支払われる(法外な額のボーナス、議員年金まである)。「なんとなく」議員になった者が行き着く先は、某仁多議員のように「なんとなく」無責任に突然辞めるか、某今井議員のように「なんとなく」不倫に陥る(可能性が大いにしてある)。そういう者に私たちは税金を生活費として渡してはいけない。
突然辞職したり不倫に走ったりしなくとも、「なんとなく」議員になった者が突然に政治に目覚める、なんてことは決してない。「なんとなく」代議士になった者は、その衝動の度合いが凄まじかったとしてもそれは単なる衝動であり、結局は「なんとなく」議員としての期間をやる気のないサラリーマンさながらにやり過ごすことになる。それでもサラリーマンはやる気がない・生産性が低いとみなされれば常時監視している上司に叱責されるが、代議士は不祥事でも起こさない限り叱責されることはない。「なんとなく」で金が貰える職業は代議士以外にない。
比較すれば、特に、フリーランスという働き方は自らの人的資本を全力で金融資本に変換する作業を日々行っている。だけど、代議士には生産性はないのであり、税金という金が空から毎月降ってくる。私はフリーランスの対義語はサラリーマンではなく、代議士であると考えている。
結論。私たちは議員に「転職」する候補者に投票してはいけない。私たちが真面目にひいひい言いながら働いているのが馬鹿みたいだ。あなたが過去に投票した候補者も、もしかしたら議員に「転職」した者のうちの一人かもしれない。今頃、「議員になんてなるんじゃなかった」なんて愚痴をこぼしながら何の仕事もせず、空から降ってくる税金を懐に収め、あまつさえ不倫でもしているかもしれないのだ。
フェイスブックでいいような気がするぞ
ありそうな名前よねと調べてみたけど、
誰も出てこなかったので大丈夫よね。
言ってもいいレヴェルね。
そんな千田ちゃんと
バッタリ街ですれ違ったみたいなのよね。
私の目の前通っていって、
もう5~6年も会ってないから
似た人がいるもんだなぁ~
と武田鉄矢の
思えば遠くへ来たもんだばりに思ったんだけど、
声は掛けなかったのね。
そしたら、
しばらくして
「さっきすれ違ったでしょ!久しぶり」って
来ててちょっと笑っちゃったわ。
やっぱその時声かければよかったけど
今度ばったり出会ったら
うふふ。
ひょっとして炭水化物って
実際はどうなのかしら?
ゆで玉子よ。
最近それにハマってるわ。
しばらく様子と見てみるとしましょう。
痩せたらいいわね。
また暑くなってきたので、
この時期の寒暖の差は油断大敵よっ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
ひとりでいるのが好きで、本とか映画とか、ひとりで楽しめるものが好き。知らない人と話すのは好きだけど、友達と会うのはおっくうで仕方ない。昔からそうだった。高校までは「友達がいない」ということへの恐怖からつまらないグループに入れてもらっていた。大学は心地よかった。しばらく会わなくてもてきとうにわいわいできて、恋人もできて。
今、社会人4年目、心地よいと思った友人たちとも連絡を取り合うのは面倒で、フェイスブックにも興味を持てず(でも週に30分オンライン的な社交性で「友達」をキープできるならそれは割りにあう努力だ)、友達とすっかり疎遠になって、別に苦もなく寂しくもなく、でもふとはっとして、この先どうなるんだろうと怖くなった。
でも昔から無理に好きでないひとたちや好きでないものを好きとして振る舞ってつかれて、好きでないものは遠ざけてなにも残らない生活もしてみて、特に問題はない。なんとなく怖いという理由でまた友達に連絡をするのは中学生の頃に逆戻り、だとも思う。
大人なんだから好きになれる人とつながろうと思っていろんな人に会ってみたけれど、誰とも続いていない。申し訳ない。めんどうくさい。疲れてしまった。