はてなキーワード: ガリレイとは
アトミックハート、ボレロのが好きなんだよね。名もなき詩、マシンガンをぶっとばせ、ありふれたラブストーリーは最高だけど。暗いのが悪いっつーより、手紙とか花は歌詞が陳腐すぎんだよね。桜井の野暮ったい歌詞は好きなんだけども。タガタメで言えば「ディカプリオの出世作ならさっき僕が録画しておいたから」って詞はなんも上手いこと言ってないけどすげぇ好き。でもそっから後はもう説教で面白くないんだよな。深海は説教つか言い訳部分が長すぎ
スピッツ「おるたな」
B面集とカバー曲。花鳥風月も色色衣も好きなんだけど、これは演ってる側が楽しみすぎつーか、趣味出しすぎじゃんって。三日月ロック以外微妙。でもA面曲は全部いいんだよな。
吉井はジャービスコッカーの生き別れの弟を自称してるし、カバーアートもピーターサヴィルのパロディだし、ジャムやバラ色の日々で曲のセンスがいいのも知ってるし、秀逸な和製ブリットポップが詰まってんだろうなぁ…で、期待して聞いたら微妙でした。
ガリレオガリレイ「Baby, It's Cold Outside」
ミニアルバムだけど。「ポータル」が良かった分、なんでそれよか微妙になってるねん…という。今調べたらワザと音数減らしてたらしく、そこが好みに合わなかっただけかも。(ベルベッツもあんまり良さわからんのだが、やっぱり音スカが苦手なんだろうな。メタルマシーンミュージックの方が好き)
ダサPVことバビロン天使の歌、毎回カラオケで歌うくらい好きでアルバムも楽しみに聞いたら…バビロン以外微妙で、シングルだけ良かったパターンだった。(星野源のアルバムもシングルだけパターンだけど、シングルは売れ線でヒットさせてアルバム曲で好きなことするってのはやり方として理解る)
コンセプトアルバム好きなんだけどなぁ。オペラだからダメなんかなぁ。アメリカンイディオットは好きなんだけどなぁ。たまにどこかで聞いたフレーズがあってそこは面白かった。なんかのBGMで引用されてたのを聴いてたんだと思う。歌詞がわかってたらまた違うのかも。
名盤と言われて聴いてみたら微妙だったパターン。カバーアートはサイケだけどなんか普通。曲はいいんだろうけど好みではなかった。
ザ・キュアー「Staring At the Sea - The Singles」
ボーイズドントクライは良かったけどあとは合わなかった。シングル集だけどシングルだけよかったパターン。
ヒプノシスは好きだけど、このアートも名作とは言われてるがそんなにいいとは思えん。演奏は上手いとは思うが好みじゃない。やっぱ音数が少ないと微妙なんだろうな
パルプ「WELOVELIFE」
ThisisHardcoreはまだわかるが、これはメンバー変わってないけどパルプじゃないじゃん
suedeのNewmorningは躁すぎてついていけなかったけど爽やかブレットアンダーソンって珍しいモノが見れたから無価値じゃないんだよ。でもこれはジャービスがやる意味なくね?って。
suedeは再結成の来日でNewmorningの曲やってた(気がする)が、パルプは1月の来日でwelovelife曲やるんだろうか。
ガリレオガリレイとか小保方晴子さんとかも逃げても逃げなくてもたぶん本人の辛さは同じだったし
早く逃げた方がむしろまわりにとってはマシだったんじゃないかっておもう
というか周りが元増田をどう扱ってよいかわからずにうっすら脅かされているからこそ正常性バイアスでたちなおろうとして辛い人を蹴ってたちなおっていくので、
これはもう本当に人間の性なのでなんとか宗教とか山奥とか海外とかににげたほうがいいよ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E5%B8%B8%E6%80%A7%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%82%B9
https://twitter.com/frroots/status/1556797875123732480
https://twitter.com/frroots/status/1556856073016856577
https://twitter.com/ekodayuki/status/1556829119878336517
小宮友根先生と千田有紀先生の「論争」について、内容自体は専門的なものも多く、その当否については判断できないが、Twitter上では千田先生への同情票が多いように感じる。しかし、あくまで個人的な印象としては小宮先生に対して軍配をあげている。というのは、小宮先生のほうが、明らかにトランスジェンダー研究クラスタの多数派に沿っているからである。
外野から見ると、千田先生トランスジェンダー研究クラスタから不当に排除されているに見えるかもしれない。しかし、歴史でもサブカルでもなんでもいいが、冷静になって自分が関心のある詳しい分野について思い浮かべて欲しい。そこに必ず少数・異端の「トンデモ」な人がいて、専門内の人からは相手にされていないが、専門外の人から妙に共感を集めている人がいて、それを苦々しく眺めていないだろうか。
たとえば自分の関心は社会保障だが、時々経済学者による社会保障政策論で、「鈴木亘」を全面的に参照しているものを目にすることがある。その時点で、こいつは真面目に社会保障を勉強する気がないのだなと見切りをつけて、もう読まない。関心のない人からすれば、特定の説を読まずに排除するなんて閉鎖的でけしからんと感じるだろうが、関心のある人間からすれば、「鈴木亘」を跋扈させたことで、どれだけ社会保障への不信感を増大させ、ネオリベ的な政策に誘導させていったことか、長年蓄積されてきた怒りや恨みがある。事実、鈴木氏は社会保障入門というタイトルの新書を書いているため、最初に手に取って厚労官僚陰謀論や世代間対立論にはまる学生を一定の確率で生んでおり、現場の大学教員はそれをたしなめることが最初の指導になっている。鈴木氏も学会誌に書くことがあるが「こんな奴になんで書かせるんだ」と苦々しく思っているのは、自分だけではないと思う。
ジェンダー研究は全くの素人だが、小宮先生も同じ気持ちなのだろうと想像する。千田先生を直接というよりも、反トランスの人たちとつるんでいたり、反トランスの人たちの差別的な言動に甘くなっていたり、ということに怒っているのだろうが。
そもそも一般論として、「異端」の人は多数の「正統派」からの批判を意に介さないか、アンチのスタンスをとることが自己目的化しているので、「トンデモ」な情報に飛びつく可能が高くなる。それに対して「正統派」は身内の多数の専門家からの批判に敏感にならざるを得ないので、間違った情報を流さないように慎重になる。一般にはガリレイのような事例ばかり思い浮かべてしまうけど、基本的に「異端」と「正統」が論争して、前者が正しいことは滅多にない。
程度問題であって、「大手企業」で語りが終わってしまうような解像度なんだとするとやってる仕事は高卒でもできるレベルだろうと思う。
また、「誰でもできる」と「自分にしかできない」の間にはかなりのギャップがあって、「誰でもできるわけではない仕事」は無限に近いくらいあり、それに対して人間の数はずっと少ないので、他にやる奴がいない仕事に自分を注ぎ込んだ結果は「自分がいなかったら存在しない仕事」にはなるんだよね。
相対論だって、電磁気学とガリレイの相対性原理との矛盾は当時よく知られていて、相対論はアインシュタインがいなくても誰かが作っていただろうと言われている(そもそもアインシュタインのノーベル賞受賞理由は相対論じゃなくて光電効果だというのは有名な話)。本当にそいつ以外できなかったかもしれない仕事というのはガロア理論とかだろうね。
小田急線車内の刃物殺傷事件の犯人がサラダ油を引火させようとした事について、ネット上でサラダ油の話が炎上している。
https://anond.hatelabo.jp/20210809214314
お前は危険物甲種名乗んな
https://anond.hatelabo.jp/20210810082208
https://www.asahi.com/articles/ASJC731X5JC7UTIL005.html
この時のFラン学生を非難するコメントは凄まじいものがあって、Fランは木くず+投光器で引火することすら知らない、知能を持たない社会のクズとして扱われていた。
そして、この件についてコメントする全員が「木くずは投光器で引火する」ことを知っていた。
木くずの引火点も把握してないし、そもそも投光器を見たことはあれど触ったことがない。
そのため、想像すらできなかった。
その点サラダ油とライターは身近にあるものだったので、想像する余地はあった。だが引火するかまではわからなかった。
サラダ油の件では
引火するかどうかわからないと名乗り出る人がいた。
というのも、投光器の件では引火するかどうかわかりません。と名乗り出る人は自分の観測範囲には一人もいなかったからだ。
投光器の件で一人も名乗り出てこなかったのは
名乗り出ることによって、自分は無能者であり、常識しらずの異端者であると
実験も計測もしていないのに起きる事象がわかるし、容易に想像もできるとコメントしている人達を見ると
非常に強烈なバイアスがかかり、意識・行動が歪んでしまっている状態に見えてしまう。
現に歪んだ行動の異様さに本人たちは自覚すら出来ていないようだ。
サラダ油と投光器の件を見ていると
地動説を宗教裁判で有罪として裁かれたガリレオガリレイを連想してしまう。
望遠鏡の天体観測結果から地動説を実証したが異端として裁かれた。
観測結果がどうであれ、常識外れとは罪であり非難されて当然であるべきものなのだ。
異端・無能・無知性などは、どうやら人の意識を変えてしまう何かがあるようだ。
「私はサラダ油や木くずの引火点も分からないFラン並みの知能しかない有してない無能である。」
今のネット民の反応を見てると大部分の人が認められないのではないか。
Fランと無能というワードを出しただけで強烈な忌避を感じてしまうのではないか。
腋臭の原因の400%が体質以前の腋のノーケアだから腋毛剃ってくれ。
例え地動説が実は嘘で天動説が正しかったとしても腋臭対策に腋毛を剃ってくれという主張は変えない。
「それでも腋毛は剃ってくれ」俺は現代のガリレオガリレイ、です。
腋毛を剃ると皮膚を傷つけて余計酷くなる
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%9D%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%B3%E8%85%BA
腋臭症
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%85%8B%E8%87%AD%E7%97%87
腋臭症が少数派である東アジアなど、人間集団の傾向によっては腋臭症は軽視することはできない重要な健康問題となる。
また、腋毛が汗などを腋窩部に留め、臭いが出やすい環境を作っている。腋毛や陰毛は、そもそもアポクリン腺分泌物に起因する臭いを効率的に保持する形質として進化してきたとする仮説も有力である。
人類全体では腋臭症である人の方が圧倒的多数派であるが、例外的に日本人、中国人、朝鮮人などの東アジア人においては腋臭症が5%-20%と少数派である。
読めない馬鹿のために要約すると
・腋臭はアポクリン腺から出る汗が常在菌が分解することで臭いを発している。つまり腋毛が生えていて汗が付着できる脇の全体表面積が多いほど常在菌総数も同様に増加する。それ以外に風通しの悪い環境になり保湿・保温され菌にとってはユートピア。
・アジア人は腋臭持ちが5-20%と少ないが、それ以外はアポクリン腺持ちが圧倒的多数派。食生活の違いと共に外国人を臭く感じる理由がこれ。なので比較対象にしても腋毛処理=腋臭発生原因のエビデンスに全くならない。
難しく考えなくても消臭スプレーを吹きかけるのに腋毛モッサのところにかけるよりも
素肌にかけたほうが効果あるだろ。
脇を吹くときに腋毛モッサモサよりもサラサラのほうがすぐに拭けるだろ。
まともなOSが脳に搭載されていれば腋毛を処理したほうが清潔に保てることは理解できただろう。
でもここまで説明しても理解できない馬鹿のために、馬鹿が納得したくない理由も書いておく。
・めんどくさい
そうか、死ね。
お前日常生活で頻繁に股間と脇を打ち付ける生活でもしてんのか?
・傷つける
単にお前が下手なだけか、初めて利き手と反対で剃るのに力入れる馬鹿なだけです。
あと剃刀じゃなくて普通に3・4枚刃の髭剃りでいいから。抜くのはNG。
腋毛処理処女で痛い思いしたからって、それがデフォだと思い込むのも言いふらすのもやめて冷静に反省してください。
・男が剃毛とかきもーい
黙ってろクソブスw
前カノも今カノも毛を生やせなんて命令してこないので普通に支持されてます。女は気に入らないことがあれば命令してきます。しないということは何とも思ってないってことです。
中途半端なブスは男が化粧などできれいになるとアドバンテージ消失すると焦って男に美容ハラスメントしてくるけど
お前らクソブスは選ばれるのを待つ側なんでかみついてこなくていいです。
磨いてる男ほど良い女が来る、剃毛は正義。ブスノーサンキュー。
こっからは
「とりあえずクソリプで殴っといたけど俺もチャレンジしてみるか」
「絶対許さねええええ」
①先が丸いハサミで新聞紙引いてなるべく短めに腋毛を切っておく。
②風呂に入って体をこする。
③泡を脇につけて3,4枚刃の髭剃りで「なるべく力を込めずに」剃る。
④上手く剃れなくても焦らずに肌につけたまま前後に動かすと毛を倒す・立たせるでよく剃れる。
⑤いっぺんに処理しなくていいから適当に剃れたらシャワーで流す。
傷つけるってやつは完全に剃る力が強すぎ下手すぎ案件なので可能な限り優しく剃ってれば傷つきません。
それに肌っていうのは摩擦を受けないところは角質化が進まないから最初はどこも弱いもんです。
少しヒリっとしたりチクっとしたくらいでギャーギャーうるさいわ繊細チンピラが、死ね!
そりゃホモやレズみたいなもんでマイナーアピールにすぎません。
それにセクシーカットと無手入れボボボーボ・ボーボボをイコールにすんじゃねーよ野蛮人が。
剃毛してくれ。
死ね。
バークも言ってるけど経験主義はリベラリズムの専売特許じゃなくてむしろ保守主義のバックボーンだろ
この話の科学的とか経験的みたいななんかよさげな属性をとにかくリベラリズムに帰する様はよさげな商品を手当たり次第に買い物かごに放りこむのに似てる
昨今、議論するほど取っ散らかって、結局ちっともまとまらないリベラルとは何か、ということについて
皆さん自由はもちろん、権利や、公正や、分配のことだと言うんですよ。でもね、それって本当にそうですか?そもそもなんでそんな考えが出てきたんですか?
遡るとリベラリズムはジョン・ロックという人に行き着きます。ここまでは普通です。彼はイギリス経験論の人でした。そう、この時代までに経験論哲学が生まれ、同時にそこから近代科学が誕生したのです。
ロック氏は経験論を根拠に、国王の統治権、王権は“神”に与えられたものではなく、各人の持つ自然権を守るために委任されたものだ、という思想を発明します。これがリベラリズムの誕生です。本当です。
これってさ、科学じゃん。観測に基づいた帰納と仮説じゃん。リベラリズム、自由の生みの親は、経験主義と科学的思考や方法論なのです。
※ブコメなどから、社会契約説の元ネタは聖書である、だから信仰の一種である(科学ではない)とのご指摘がありました。
私はこの時代の科学と宗教を、そんなに区別していませんでした。ガリレイはキリスト教の“異説”を唱えたキリスト教徒であり科学者です。経験主義の祖のベーコンもキリスト教徒です。
なので、ロックもプロテスタント(だから王権神授説の異説を唱えた)であり社会科学者のプロトタイプなのではないでしょうか。
(続き)ロック氏から始まるリベラリズムは、この仮説をもとにして以後、市場経済や功利主義、ロールズの正義や公正などを発明していきます。また、自由と科学知識をもった者は産業革命を担い、社会そして個人の生活を科学技術的に豊な方へと変えいきました。
でも私は思うんです。いつの間にが、現代のリベラリズムからは「科学主義」が失われているんじゃないか?自由のための公正や分配もいいけど、まずそれらを科学的に考えることがリベラルなんじゃないか?
リベラリズムの遠戚である共産主義には、最初は科学がありました。そしてその頃までは栄えていました(笑) これはリベラリズムにも言えて、現在低調と言われたりするのは、科学的手法や科学技術を援用し政治することが足りてないからなのではないのか!?
翻って日本のリベラルを見てみると、どう思いますか。あれ、自民党の方が「現代経済学に根差した金融政策」してませんか?なんで理系やギーク系が自民党支持なんてすか?自民党がリベラルと言うのは、なしです(笑)
日本、または世界のリベラルが低調なのは、きっと保守に科学的手法を上手く使われているからなのだと、私は思います。リベラルの革新的な利点そのものが無くなりますからね。必ずしもナショナリズムや感情の時代だから、ではないのです。マイナンバー制度の根幹はIT技術です。IT技術であるツイッターは世界でも保守言論がよく使っています。
だからリベラルは、ごちゃごちゃとリベラルとは何だなどと議論する前に、現代の科学的議論に基づいた政策と、科学技術振興策を取ってください。
そして物理科学社会科学者と科学技術者の信頼を取り戻し、本来の科学的進歩的なリベラルに戻っていただきたい。 枝野さん、お願いしますよ。
増田がそう思うのは、僕らがこの世界を3次元ユークリッド空間と認識しているからだろうね。
実は両目に映っているのは2次元の画像なのだけれども、その視差を利用して3次元であると認識しているらしい。
僕らの脳はずいぶん高度なことをやっているのだ。
ところで、どうやらこの世界は少なくとも特殊相対論においては 空間3次元+時間1次元 の4次元空間(ミンコフスキー空間)だということがわかっている。(量子化された一般相対論によるともっと高次元のようだけれどもここでは置いておく)
それなのに僕らはガリレイ変換を自然だと考え、ローレンツ変換を不思議に思う。(電車から外を見て、木が動いていると感じる人はいないだろう。一方でローレンツ収縮を僕らは不思議に感じる)
これはどういうことだろうか?
産まれてから爆発的に増えたニューロンはあるときから急激に減りはじめ、5歳くらいで落ち着くそうだ。
幼児期に聞き分けられた r の音が、日本人はある年齢になると聞き取れなくなることで有名だね。
動物を使った実験で、産まれてすぐの赤ちゃんに目隠しをしていると永遠に視力が失われることが知られている。
人間を使った実験はないが、幼児に眼帯をしているとやはり視力が失われることが知られている(ただし、その後のトレーニングで回復可能)
(3Dテレビは5歳以下の幼児には見せないでというのはこの辺りに起因する)
もしかしたら、僕らがこの世界を4次元ミンコフスキー空間と知覚出来ないのは