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2023-12-31

アブラゼミ妨害電波だしている

なんだこの頭にアルミホイル巻いてる奴が作ったような俳句

2023-08-19

anond:20230819153920

昆虫食普及ネットワーク 内山昭一理事長

基本的には天ぷら素揚げがいいです。

中でもニイニイゼミは小さくて殻が気にならず、食べやすいです。

また、アブラゼミうまみが強くて、赤身の肉の味に近いですね。

クマゼミは大きくて食感が固いのが特徴です」

中でも、内山さんオススメセミ料理は、幼虫を調理した「エビチリ」ならぬ「セミチリ」です。

「幼虫をむき身にしているので、とても食べやすいです。ぜひお試しください」

2023-07-10

anond:20230710125539

家の近く、6月の末にはもうミンミンゼミが鳴いてた。

7月頭には梨畑でアブラゼミネットに引っかかってもがいてたし。

うるせーんだよなあいつら。

ったくよー。

2023-04-19

スズメヒナが落ちてきたので保護した時の話(※ハッピーエンド

2016年5月8日の昼ごろ、我が家の裏手にスズメヒナが2羽落ちてきた。隣の家の軒下にでも営巣してたんだろう。

うち1羽は成熟しており「巣立ち」の最中なのか余裕があって、しばらくすると自力で飛び立っていったが、もう1羽はまだ羽も生えそろっておらず、飛行もジャンプもできない様子。ういのキッチン横の室外機の下に自主的避難し、縮こまって親を呼んでいた。ネットで軽く調べてみると、スズメヒナは巣から落ちるのが普通で、落ちたら落ちたで、その落ちた先で親は育児を続けるらしい。まわりを探してみると、両親と思われるスズメがとなりの家の屋根の上から見下ろしており、ヒナとさかんに鳴き交わしていたので、そこに退避したことには気づいているらしい。きっとその場で育児を続けるだろうと思い放置。ちなみに巣立ちヒナのほうは気づいたらいなくなっていた。飛べるので、もう親離れしたのか、あるいは両親が別の場所で世話し始めたのか。

夕方が過ぎ、そして夜になるが、両親はヒナから離れていってしまった。人間を警戒して、室外機の下に入り込めなかったのだろうか。小さな箱に布を詰めて、その中にヒナを移動させ、上から視える位置に移動させるが、結局ダメ。落下してから時間くらいが経ち、エサも貰えず、気温の低下で体温も下がり、ヒナはどんどん弱っていった。

母は助けてやりたいと言うが、私はこれが野生の摂理から仕方ないよ、と首を振った。夕食後、ひとりでヒナを見に行ったが、死んでたら埋めてやろうくらいにしか思っていなかった。

ヒナは箱のなかで横倒しになり、目を閉じ、脚をぴくぴくと痙攣させていた。もうだめだ、あと数分で死ぬな、と思ったそのときヒナが私の気配を察して口を開けた。なにか食わせてくれ、という風だった。私はショックを受けた。「助けて」と懇願された気がした。

今考えたら「じゃあ気取ってないで最初から助けろ」と思うのだが、その瞬間、私の心に「守ってやらなきゃ」という炎が燃え上がった。ほぼ衝動的に、ヒナを抱えて家の中に入り、玄関避難。まず40度ほどのぬるいお湯を注射器で与えてみた。誰かが自分を助けようとしていることに気づいたのか、声が出ないほど衰弱しきっているのに「ピイ」と鳴いてくちばしを開く姿に涙が出た。ぬるいお湯を与えたあと、足温器タンから引っ張り出してきて電源をつけ、その中にヒナを突っ込んだ。たまに水を舐めさせ、足温器で暖めながらじっと見守っていると、30分ほどして突然目を開き、大音量で鳴き始めた。体温が上がったこと、水を飲んだことで体力が戻ったらしい。その後、私は夜通しヒナに寄り添い、砂糖水を飲ませたり、きな粉を混ぜた卵の黄身(なんかググったら出てきた)などを与えて、なんとか夜を越させた。相手人間だと分かっているようだが、平気でエサをねだってくるし、注射器相手にもくちばしを開いてくれた。

9日、日の出とともに親鳥と思われる2羽がウチのまわりを飛んでいた。目の細かい籠に足温器ごとヒナを入れ、昨日ヒナが落ちていたあたりに置いてみると、2羽はヒナの声を頼りに右往左往し始め、やがてヒナ位置確認したのか、虫らしきものを咥えて飛んで来るようになった。給餌をしてくれているらしい。昼ごろ、何かあった時のために、スズメ用のエサの市販品と、鳥類に給餌するための道具を買ってきた。やっと一安心といったところだが、午後から雨が降り始めた。ヒナ足温器が濡れるといけないのでダンボールで覆う。ところが、雨のせいか、あるいはダンボールのせいか、親鳥は給餌をやめ、立ち去ってしまい、結局夕方以降、ヒナはエサを貰えなかったようだった。

足温器に入っているとはいえ、外は寒いので、中に入れてやることにした。結局この日の夜も、私は夜通しヒナを見守ることになった。ただ、ヒナ本能的に夜は眠るので、特に何もしないで寝かせてやればいいらしいのだが、ネット情報に惑わされて、ヒナを叩き起こしてエサ(買ってきた擂餌)を無理やり食わせたりしていた。このときヒナは既に人間への警戒心を思い出しており、私たちからエサを差し出されても、お腹は減っているだろうにあまり食べてくれなかった。差し出される注射器から後ずさって逃げて、イヤイヤと首をふるのがとてもカワイイ

当時、私は就職活動中で、この日の夕方に今働いている会社から内定をもらったのだが、スズメのことで頭がいっぱいで全然喜ぶどころじゃなかった。

10日、天気はくもり。夜明け前ヒナが腹減ったと主張し始めたので、擂餌と砂糖水をちょっとだけやり、そのあと外に出した。日の出と同時に親鳥が飛んできたが、ヒナはさっきので腹が膨れたのか、あるいは寝ぼけてるのか、親の呼びかけに返事をしない。少し焦ったが、しばらくするとちゃんとエサをねだり始め、両親の給餌が始まった。片親が屋根の上で周囲を見張り、もう片方がエサを取ってきて与える、という役割分担が美しい。

朝10時頃にハプニングがあった。近所の野良ネコヒナを見つけたのだ。母が気づいて、外に出て追い払った。その野良ネコはよく見かける子で、すごく人懐っこく、近所の夫婦に世話を焼かれているので野鳥なんぞ食わんだろうが、ちょっと怖い。ヒナに対して敵意はなく、単に箱を覗き込んでいただけだったようだが(追い払ってごめんね)、とにかく地上にヒナを置くのは、野良から守れず危ないという結論になった。

そして、ヒナ引っ越しを決行。親鳥が見守る中、箱ごと持ち上げて2階のベランダへ。ベランダの壁際の室外機の上に乗せた。ここならヒサシがあって雨も防げて、ネコも来れないし完璧じゃん!と思ったが、引っ越しが済んだ昼から夕方まで、親鳥は遠くからヒナを見つめるだけだった。さすがに窓際は人間が怖く、近寄れなかったようだ。日の入り前、片親がギーギーと大声で威嚇音を鳴らして人間牽制し、もう片方の親がエサを持ってヒナに近寄ろうとにじりよっていたが、やっぱり無理、怖い!という感じで諦めてしまう。そういうわけで、室外機の上よりもっとベランダの外側にアウトドア用の机を置き、その上にヒナを移動させたが、両親はそれを見届けたかどうか分からないうちに姿を消してしまった。とても残念だった。暗くなったのでヒナを私の部屋の中へ移動させ、一晩静かに寝かせた。

置き場は本当にベランダでもいいのか?親鳥は明日ヒナを見つけてくれるか?明日の天気はけっこう酷いけど大丈夫だろうか……など色々と心配事が重なってとても辛かった。私と同じ部屋で眠るヒナは、不安になるほど静かに眠っていた。

11日、天気は一日中雨という予報だったが運良く外れ、朝のみの降雨となった。しか低気圧のアレで風が強く、人間でも怯えるような突風が朝から晩まで吹き続けた。こんな天気だとヒナは外に出しづらいし、親鳥も来てくれないんじゃないか心配したが、親鳥は変わらず日の出と共にやってきた。風に煽られ、雨に濡れてもお構いなし。

さてヒナだが、足温器ごと外に出すと突風で吹っ飛ばされそうで、傘とかダンボールとか、いろいろ策を考えたが、レインコートをキツめに足温器に巻いて、ガムテープを駆使して机に固定してみた。親鳥がレインコートに怯えて近寄ってこないのでは……と心配だったが、あっという間に親鳥は欄干まで近寄ってきた。しかし「ヒナの声は聞こえるが、ヒナがどこにいるかからない」というふうに右往左往するので、少し場所をズラしてわかりやす位置に。私の部屋の窓からよく見える位置だが………? 少し経つと、どちらかともなくヒナを見つけ、暴風雨の中の餌付けが始まった。一体どこにいるのか、虫をしっかり見つけてきて与えている。天気こそ酷いが、足温器の中は暖かく風もなく快適で、ヒナ健康のもの、親鳥も献身的で、ネコ心配もない。この日、今までで初めて「誰も家にいない時間」が3時間ほど発生したが、なんのハプニングもなく、親子ともども普通そうだった。雨もやみ、あとは強めの風だけが難点だった。

帰宅後、ベッドで寝っ転がって、親鳥の給餌をぼんやりバードウォッチングしていると、ヒナと片親が、かなり大きな声で鳴き交わし始めた。それはまるで餅つきのように、ピイ、チュン、ピイ、チュンと交互にテンポが良い。ネットで調べると、互いの位置と安否を確認するためのコミュニケーションだと書いてあった。心配になった母が見に来るが、私はそのネット情報を伝えて、会話してるだけだと思うよ、となだめる。

しかし、母が立ち去った十数分後、突然スズメたちが叫び声を上げ、私が見ている中、ベランダの床にカラスが1羽降り立った!いじっていたスマホを放り投げ、窓にとびつき、開いて、怒鳴り声を上げてカラスを追い払う。カラスふわふわと飛んで、すぐ近くの電線の上にとまった。逃げたというより距離をとったという感じで、ベランダからは2メートルも離れていないが、人間では手出しできない位置だ。なんて狡猾な…!と、歯噛みした次の瞬間、親鳥2羽がファンネルのように屋根から飛んできてカラスに襲いかかった。カラスが飛び立つ。するとどこからともなく別のスズメツバメ(近所で育児をしてる別の夫婦たちのようだ)も飛んできて、空中戦がはじまった。カラス遠くへ逃げ、スズメたちはそれを執拗に追いかけて、追い払おうとしている。私はヒナの無事を確認したあと、ベランダで放心していた。あの鳴き交わしは、遠くにいたカラスを警戒するための点呼のようなものだったのだ。そして、私が見ていなかったら、カラスヒナにどこまで近寄っていただろうかと考えると恐ろしかった。カラスもこの時期は子育て中で、スズメヒナは「ごちそう」なんだそうだ。

母が駆けつけたので、事情説明すると、カラスけが必要ではないか、と言う。人間が見張っていれば追い払えるが、ずっと見ていられるわけじゃないし、なにより今週日曜日は家はずっと無人になる。賛成だった。母は手芸が得意なので、雨除けのために用意していたダンボールひとつ持ってきて細工を施し、「巣箱」のようなデザインに仕上げた。中に足温器カゴを入れ、コンセントはそのために開けた穴から外へ通す。もう雨は降ってないのでレインコートはひっぺがした。そして出入り口は上側に。幅5センチくらいの細長い広さにとどめ、スズメは通れるがカラスは通れないようにした。かなりゴツい見た目になってしまったが、両親は受け入れてくれるだろうか、と心配で、2時間ほど窓辺に座って観察。カラス撃退から帰ってきた両親がダンボールを見てギョっとしたが、片親はすんなりと入り口存在気づき、中のヒナの安否を確認した。受け入れてくれたらしい。もう片方は入り口に気づかず、何度か箱のまわりをうろついていたが、しばらくすると気づいてくれた。本当に良かった。これで安心である

日の入り前、それまで見張りと餌探しで手分けしていた両親が、両方とも餌探しを始めた。ヒナが寝る前の食いだめのためだろう。父が庭に撒いた米粒を拾い、ベランダといったりきたり上下運動しながら次々とヒナに与えていく。ヒナは生米は消化できないとネットに書いてあったが、そんなことないのか……? 日が沈むと両親は帰って行き、私はヒナを机ごと部屋の中へ。その晩はチョッカイを出さずに、ずっと眠らせていた。

12日、私が寝坊して夜明けに微妙に間に合わなかったが、慌てて机ごとヒナベランダに出すと、早速両親が給餌を始めた。部屋から観察してみると、両親とも巣箱に慣れ、給餌以外の用事でも箱のなかに入り、ヒナの世話を焼くほどになっていた。何度かカラスが近所に現れたが、そういうときは両親とも餌探しをやめ、巣箱に背を向けて欄干に並んで立つのがかっこよかった。

この日は天気がとってもよく初夏並に暑かったので、日中足温器をOFFにしていた。まったく問題が無さそうだったので、私は巣箱ガン無視普通勉強していたのだが、1時頃、突然様子がおかしくなり、窓の外を覗き込む。欄干に3羽のスズメが止まっていた。は?と呆然しかも穏やかじゃない雰囲気ベランダに飛び出すと、2羽は右隣の家の屋根に、1羽は電線に飛び退った。2羽のほうが両親だろうが、あの1羽はなんなの?

1雇われベビーシッター 2親戚 3両親が世話してる他の子供 4この界隈で子育てしてる友人 5赤の他人(縄張り争いに来た) とかそこらへん? 昼ごろからゲーゲー鳴いてたし、縄張りいかもしれない、と思った。巣箱を覗き込むと、ヒナと目が合い、ヒナが怯えて後ずさったが、元気そうだ。とりあえず部屋の中へ戻り、心配で巣箱を眺めていると、両親が来なくなった。たまに飛来しても、穏やかじゃない雰囲気道路に出てみて、家を遠巻きに眺めても誰もいない。育児放棄? 縄張り争いで追い出された? とか色々考えるが答えは出ない。それから時間ほど窓辺で観察していたが、

・青虫を咥えた親鳥がやってきて、箱のなかのヒナが鳴くが、なぜか親鳥は餌付けせず、咥えたまま箱から出てきて困り顔で飛び立つ(2回)

・エサを咥えていないスズメがやってきて、欄干を歩きまわって立ち去る

スズメが欄干にとまってカチカチと警戒音を鳴らし、アウトドアテーブルの中を歩きまわって隅々までチェック

・巣箱の上に立ってダンボールをつつき、ぐるぐると歩きまわる。そこにもう1羽のスズメがやってきて、威嚇音とともに飛び立つ

など、不可解な行動が続いてますます混乱。登場人物が親鳥だけなのか、それとも他のスズメが混じっているのか、さっぱり分からない(見分けがつかない)。

ヒナの安否を確認しに行くと、足温器の端っこの端っこで布にくるまって縮こまっていた。怖いらしい。心配だし謎だらけだったが、大学へ行く時間になってしまったので、今起こっている状況を母に説明して外出。そして授業中に、ハッと思い至った。もしかしてヒナ足温器の隅っこから動かないから、親鳥が箱のなかに入ってもヒナが見つけられず、ヒナがどっか行ったと思って混乱していたのではないか? そう考えると、あの謎の3羽目以外のすべての現象説明がつく。巣箱からヒナのおねだり声は聞こえるのに、中にはいっても、どこにも見当たらない。それで両親は巣立ったのか?とか食われた?とか考えてあちこちしまわっていたのだろう。そのことを母にメールすると、大正解だった。母の実験と観察の結果、ヒナは給餌にきた親鳥のために姿を見せることをせず、いつまでも隅っこでヌクヌクしていたというのだ。母は足温器の隅っこを折りたたんでめりこめないようにし、両親に突き出した。やがて両親がヒナ存在気づき、給餌を再開するが、もう夕方。2羽総動員でエサをかき集めて与えていたそう。その間にも、また布の隙間に隠れてしまったヒナを見失って両親が右往左往し、母がアシストするという出来事が繰り返されたとか。私が帰宅したときには日没後だったので、ヒナは家の中で寝ていた。まったく人騒がせな奴。

13日、快晴足温器のはじを折りたたむことでヒナの隠れ場所を無くしたつもりだったが、もうありとあらゆるスキマにめりこんでしまい、何度も親から姿を消してしまう。しょうがないので巣箱を外し、足温器+カゴの状態で外に出すと、数時間見失いっぱなしだった親鳥がやっとヒナと再会し、今まで聞いたこともないくらい優しく「ピヨピヨ」と鳴いて、エサを取りに飛び立った。ヒナ足温器から出てきてカゴの端に止まり、親の帰りを文字通り首を長くして待っていた…が、次の瞬間バサバサと飛んで落ちた!上へ上昇する力は無いらしく、ベランダの隅に落下。ああ、こうやって巣から落ちるのか、と感心しつつ、私はバッタを捕まえるようにヒナを手で捕まえて、カゴに戻す。しばらくして両親が2羽でやってきてヒナの安否を確認し、飛び立つと、またヒナがカゴの端に立ってしまう。落っこちそうだ。そろそろ巣立ちかな、と思うが、朝からカラスがうちのヒナをずっと見ていることには気づいていた。親鳥が屋根から見守る中、戻って戻って、と叫びながらベランダヒナににじり寄ると、ヒナ足温器の中に戻っていった。それと同時に、カラスものすごい近くを飛行して通り過ぎていった。やっぱり狙っていたか

こうなってしまうと、親鳥が餌付け&発見やすいようにカゴを外に出すよりも、カラスから身を守らせたほうがいいな、と思ってまたダンボール巣箱の中に戻した。すると、驚くことに、箱のなかでヒナが羽をばたつかせ、自力でよじのぼって外に出てきた。もう彼の巣立ちを止めることは誰にもできないようだ、と静観を決めるが、またベランダの隅に落ちてピーピー文句を言うので、もう一度捕まえに行った。捕まえる時、母親屋根の上からアブラゼミのようなすさまじい声で威嚇してきて殺されるかと思った。箱の上にヒナを戻して早々に立ち去る。その後、箱の上で「どうやったら飛べるの?」といった感じでモジモジするヒナの元へ両親がやってきて、となりに並んで早口でさえずり、まるで飛ぶコツを教えているような様子が見れた。ヒナが「ピ!」と元気よく返事をしているのも可愛くて、思わず録画した。しかしその後また飛ぼうとして落下。調べたところによると、スズメの巣立ちというのは他の鳥と違って、このように「飛ぶ力はないが羽ばたけるっちゃ羽ばたける状態になった頃にするのが正しいのだとか。そうして巣から落ちて、地面で暮らし始めるらしい。というわけで、もう箱に戻すのはやめた。それから夜まで、ヒナベランダの床で過ごすことになった。ピョンピョンと跳ねて歩くのは完璧にできるようになったが、飛ぶ力がなさすぎる。羽ばたいても10cmがせいぜい。親鳥の後を追って、ベランダの手すりに飛び乗ろうと試みるのだが、まったくできない。ただ、その壁を飛び越えるくらいのスキルがないと、カラス野良猫や自動車の渦巻く外界では生きていけないわけでして。親鳥はヒナ四苦八苦しているのを上から眺めるだけ。やがてヒナは疲れ果て、尻もちをついて座り込んでしまった。脚を前に投げ出してショボンと肩を落とした姿が可愛すぎてまた写真を撮った。すると親鳥がエサを与えに来て、励まし、また飛び去っていく。少し元気が出たヒナが親鳥のあとを追おうとして失敗。こんな調子夕方になってしまった。日が暮れるとヒナは室外機の下に引きこもり、親鳥が夕飯をたくさん与えて、この日は解散。野生の巣立ち雛は、ひとりで茂みなどに隠れてこうして夜を越すそうだが、さすがに寒いしかわいそうということで、室外機の下に腕を突っ込んでヒナをむんずと掴まえ、足温器の中に入れておいた。過保護干渉かもしれないが、ここまでやったんだ、こんなところで凍死してほしくない。結局そのあと机ごと部屋の中にいれて夜を越させた。

14日、15日はヒナダンボールの上やホットカーペットの箱の淵に立って風を浴び、たまに親からエサをもらう日々が続いた。天気はずっと良かった。ヒナがたまに飛ぼうとして落ちて、ダンボールのところまで戻れない~と悲しそうにしてるので、15日には机の上のダンボールまで自力で戻れるように、DIYで余った板や、プラスチックの箱を組み合わせて、スロープみたいなものを設けた。アスレチック場みたいになった。15日は家族全員が日中ずっとでかけてたので、そのスロープが役に立ったかは分からなかったが、帰ってきたらヒナは無事に足温器の箱にいたので良かった。夜は寒いので家の中へ入れてやる。

16日。風が強く、カラスもよく目立つ日だった。近くにカラスがいるときヒナダンボールと欄干のスキマに隠れ、親が並んで欄干に立ってヒナ背中に守ってたのがかっこよかった。

そして昼ごろ、親鳥1羽とヒナの2羽が段ボール箱の上にいて、私がそれをなんとなく横目に見た瞬間、目の前で2羽が飛び立った。えええ!飛んでった!と1階にいる母に向かって叫びベランダに出た。2羽は隣家の庭におちていた。直後、隣の家の奥さんが出てきて、どうするかなと思ったら、2羽ともちゃんと飛んで逃げた。しかヒナ電線まで飛び上がっていた!地上から電線まで飛べる力をいつの間にかつけていたとは。その後、姿見えなくなったが、数分後うちの庭に家族3人できた。母親?のうしろをテコテコついていくヒナがかわいすぎる。

このあと、ヒナがうちに現れることは二度となかった。ネット情報によると、飛べるようになったヒナは親のテリトリーから出て行き、同じような年齢の若いヒナグループを組んで暮らすらしい。17日・18日あたりは、親鳥らしき2羽がウチにきてベランダを覗き込み、うちの子来てます?って感じにピヨピヨ鳴いていたが、また見失ったのだろうか。母によると、スズメに米粒をあげると、たまに飲み込まずに咥えて飛んで行くやつがいから、もしかしたら餌付けしてるかもしれない、と言っていたがどうだろう。ヒナと親で飛んできて、親が米を拾ってヒナにあげるシーンが見たかったけど残念。

ヒナ長生きしてくれたらいいな。

なんで今更こんな昔の話を投稿たかというと、

野鳥保護って条例だかなんかで罰則対象な気がしてて、ネット上で言いふらしていいことじゃないと思ってたから。今もそう思っているが、9年前だし時効だろ

2023-03-02

昆虫レストラン誕生日を祝ってもらった

コロナの前(※調べたら、2020年12月だったわ。19年と勘違いしてた。失礼!)に

昆虫食のフルコース自分誕生日祝いで行ったことがある。

自分は食の仕事してるので、世界中の色々なものを食べたくてしょうがないのだけど、

パートナーは、まあ普通の食いしん坊という感じ。

最初は「えー、気持ち悪い」「私食べられないやつあるかも」といわれつつも、

美しく盛り付けられた料理写真を見せたり、シェフエルブリスペインの超有名なイノベーティブレストラン)での修行経験あることを伝えたり、などなど精一杯プレゼンして何とかOKをもらった。

【先に結論

ここから延々と食レポ書いていくのだけど、食べ終わった感想はこんな感じ。

出汁材として使われたら、ほぼ昆虫だと判別不可能

・幼虫系は普通に柔らかくて食べやす

・成虫系は硬い。川海老唐揚げかいければいける

・肉や魚では感じたことない果物/花のようなフレーバーがするものがあった

・それらは人口的に作られた香料と違って自然ほのか香りで洗練されていて、普通に感動した

・常食はしないかもだけど、出汁パックとかだったら使ってみたい

食レポ

19時に一斉にスタートするタイプコース形式で、

お店に入るとまずはウェルカムドリンクスナック

一品目)コオロギせんべいコオロギビール

コオロギスナック

コオロギ出汁を煮詰めたもの小麦粉を混ぜて固めて焼いたせんべい

前評判通りのエビ風味。食感も少し硬めで、「坂角本店海老せんべい」によく似てる。

マッシュルームトウガラシの粉をかけて少しスパイシー&うま味盛りしてあった。

コオロギビール

こおろぎ発酵時に入れたフレーバー黒ビール

黒ビール特有チョコレート風味はあるが、甲殻類感などは全くない。

苦味と濃さも強め。で、とても好み。そういえばむかし、

ヤッホーブルーイングが「前略好みなんて聞いてないぜSORRY」という

ビール鰹節を入れて発酵させた物があったが、それと同じロジックのようだ。

(2品目)ガンもどき春菊コオロギ出汁で炊いたん

コオロギ乾燥させる時に出てきたエキスと、

椎茸出汁を合わせて作った出汁で、ガンもどき春菊を炊いた料理

ガンもどき特に昆虫使ってるとかではない、普通のガンもどき

まぁ、海老出汁という感じだけど、濃厚なタイプエビ感は無い。

普通に和割烹とかで出てきても良いような感じの上品さ。

コオロギってわざわざ言われないと気づかないので、

こういう形で広まるかもなあと思ったりした。

解説によると小麦ふすまを与えて養殖したコオロギらしい。

特に小麦香とかは無かったけど、餌によって味は変わるんだろうな。

(3品目)コオロギ醤油雲丹

雲丹に、コオロギだけを熟成させて作った醤油を塗った物。

下には最初コオロギせんべいが添えてある。

マリアージュで合わせる酒は加世田30年という熟成させたコーン焼酎

大豆を使わずコオロギだけを8ヶ月発酵させた醤油だそう。発酵するんだな・・・

作り方は乾燥させて砕いたコオロギと麹を混ぜて発酵させるとのこと。魚醤ならぬ虫醤。

うま味はきちんとあるものの、甘味がかなり少ない。

薄口の大豆醤油もっとキリッとさせたみたいな感じ。

香りは麹の香りがメインでこちらも特に昆虫フレーバーは無し。

いわゆる魚醤のような癖のある臭いではまったくない。

甘味が少ないので、甘めの食材と合わせると良さそうということで雲丹なのだろう。

コーン焼酎もおそらくフレーバーは香ばしさで合わせて、甘い香りを補う狙いだと思う。

(4品目)カボチャスープ蜂の子ソース

ここでようやく新しい昆虫日本でも昔から食べられた蜂の子

料理の前に「この子たちですよー」と、アクリルボックスに入った蜂の巣を見せてくれるプレゼンテーション。

集合恐怖症の自分には正直かなり厳しい。(まあ絶対こういう演出あるだろう覚悟はしてたからいいけど)

まり直視しないように解説に集中する。

さて、料理の方は甘しょっぱく煮込んだスズメバチの幼虫とサナギソース

カボチャポタージュに落としながら飲むスープ

まあ見た目は幼虫とサナギそのままなので、ザ・虫。

とはいえソースも濃厚な茶色なので凝視しなければあんまりからない。

キャラメリゼされたナッツ香が特長的で、レーズンのような舌が少し収斂するような味わい。

バター感のあるカボチャスープと合わせると、プチプチとした食感とも合わさってなかなかに良い。

マリアージュで合わせるのはボタニカルジンキハダトニックウォーターで割ったもの

スープソースの濃厚さを上手く柑橘香で流してくれた。


(5品目)セミの幼虫&樹液気分ジュース

さぁ、いよいよ昆虫感が出る料理が増えてくる。

植木鉢のような器に木の枝。その先の葉っぱには蝉の幼虫がくっついている。

小学校の時に夏休み集めまくった、抜け殻のあれである

やばいかなと、パートナーをチラッと見るが、全く大丈夫のようだ。

アブラゼミミンミンゼミの幼虫を乾燥させてカラッと揚げたとのこと。

中は思ったよりもジューシーでプチュっとした食感。味は出汁感が強い。

海老唐揚げのような香ばしい感じかなと思ったけど、思ったより香ばしくはない。

香りアーモンドとかのナッツかにかい。成虫になるともっと香ばしくなるらしい。

食感が柔らかめなので、個人的には殻付きの甲殻類唐揚げより好きかもしれない。

合わせた樹液ジュースは、*****と******、***と**(注:これ演出としてクイズだった!ネタバレしないほうがいいと思うので伏せ字にしました)を合わせたもの

ストローセミになった気分で飲む演出。味は、まあ不味くはないけど普通材料の味がする。

(6品目)イナゴトルティーヤ

このコースで一番食べたかったメニューがこれ。

仕事タコスを作ったりしているので、「オアハカ昆虫タコス」は昔から気になっていたので

非常に食べてみたかった一品

イナゴパウダーを練り込んだトルティーヤ生地ベース

焼いてパリパリにしているので、トスターダというのが正しいかな。

イナゴの味的には先程のスズメバチソースのような甘酸っぱい系に仕上げてある。

ベリー感が来るので、ラズベリー系のソースで煮てあるんだと思う。

下にフリホーレス南米黒豆の煮込み)が敷いてあり、味の緩衝材になっている。

見た目はイナゴ佃煮大丈夫なら問題ないレベル

食感は比較バリバリしていて、イメージしてる昆虫食に近かった。

そのまま使う昆虫(成虫)はやはり「硬さ」が一つネックになりそうで、

それを他の食材パリパリに焼いたトスターダ)とかで合わせるのがコツのようだ。


(7品目)イノシシローストイナゴ醤油ソース、韮の蕾のケッパー添え

メインディッシュ

ロゼ色に綺麗にローストされた猪の上に黒ニンニクイナゴ醤油を使ったソースがかけてある。

昆虫の見た目は全くない。普通に美味しい。

イナゴ感みたいなのはからない。パートナー的には一番美味いとのこと。

普通食事が良かったんだね。ごめんよ。と少し思う。

(追加ドリンクタガメハイボール

名物ということで飲んでみたかったタガメハイボール

タガメ発情すると青リンゴに似た香りが出るようで、

かにジムビーム アップルっぽい感じがする。

ただ、それよりももちょっと繊細のような感じで、

人口的な強さがない。個人的には青リンゴよりも洋梨香を感じた。

話を聞いたら、ベースウイスキーブラックニッカとのことらしい。

タガメ漬けるだけで、あれこんなに美味しくなるんか。

(8品目)コオロギラーメン

昼間ランチで出してるというラーメンを〆めで出してくれた。

ヨーロッパエコオロギと二星コオロギの合わせ出汁ということ。

エビ系のあっさりした醤油ラーメン

出汁感はとても強く感じた。だいぶ酔っ払ってきたので、この辺りのメモ適当になってる。

デザートカイコの糞のアイスクリームアップルタルト

今回、全ての料理の中で一番美味しかった。カイコの糞を混ぜ込んだアイスクリーム

ほうじ茶香りのするアイスクリームで絶品。

アイスほうじ茶は入れておらず、桑の葉っぱを食べたカイコの糞を混ぜて香りを作ってるらしい。

これ以外も桜の葉っぱを食べさせると桜餅香りのする糞だったりと、

非常に面白い食材可能性を感じた。

糞を食べるのは結構抵抗感がすごいけど、

カイコの糞は、蚕沙というちゃんとした漢方にもなってるくらい昔から食べられていたらしい。


という、感じで全9品。店名は書かないけど調べれば出てくると思うので、

チャレンジャーは試してみても良いかなと思いました。

追記

いっぱいブコメどうもです。ちょっとだけ返信。

>どっかから依頼されてるの?電通か?

いや全然wなんとなく最近コオロギがすげえ叩かれてるから

結構美味しいのになあと思ったので、書きたくて書いただけ。

オーナー料理説明を毎回してくれるんだけど、

本当に虫取り小学生みたいにキラキラ語ってて本当に好きなんだろうなーと思ったんよね。

なんとなく、そういう人が流れ弾で叩かれたら嫌だなってのがあったかな。

>Antcicadaでしょ?

うそう。1コメ目で店名当てられてびびった。

俺のレポよりもずっと詳細で写真付きの記事あったので、恥ずかしいわ。

ちゃんと調べなくて書いたけど、結構な有名店にだったのね。

パートナーの食後の感想はどうだった?

普通に美味しかったし、楽しかったって言ってくれたよ。

彼女がおおらかな性格なのもあるかもしれんけど、

「食べてるうちに、あんまり気にならなくなった」らしい。

>そこ、もう予約取れなくなってるらしい

そうだろうなと思う。最近2万円弱くらいの客単価のコース系の

レストランは本当に予約取れないよね。

俺も勉強を兼ねて色んなレストラン回るけど、

真っ当な個人店はほとんど紹介じゃないと無理。

いいなと思った店は次回の予約も入れる(人はその後に集める)ことが多いなあ。

>休業中だって

3月から再開みたいだけど、まだ告知HPには来てなかったね。

新しいシェフになると味も変わるだろうし、また食べに行きたいなあ。

2021-08-05

生命と「重力」の話

 夜、帰宅途中の暗い路上セミの幼虫が「えーと、えーと」と言いながらもそもそやっているのを見かけて、さてはこいつは羽化しようとしているな、とわかったので自宅に連れていって見せてもらうことにした。

 と言っても何度もこういう経験があるわけではなく、これがはじめてで、足場にしてもらおうと吊るしたバスタオルの表を這わせてみても落ち着きなく動いて準備に入ってくれない。あらためてネットで調べたところ、明かりを落とさないとダメなのだそうだ。つかまるところは網戸がベストプレイスらしい。早速、常夜灯に替えて網戸につかまらせると、少し登っていたところで、「よし!」と言うのが聞こえるぐらい意志を持った感じで動かなくなった。

 十数分ほど経ったところで頭の部分が割れてきた。よく見かける抜け殻の焦げ茶色とのコントラストが鮮やかな白い「身」が出てきて、やがて、まだ縮まってやわらかい羽を左右にくしゅ、くしゅと丸め状態で頭を下にそっくり返る。

 そのまま落ちるんじゃないかと、見ていてものすごく怖い。ちなみに、このときからは他のセミが鳴いている声が聴こえていた。淡いうす緑の体で逆さまにぶら下がるこいつは、それを聴いて何を感じるんだろう、と俺は思う。

 奥手、あるいは根本的に性愛に興味がない人が子どもの頃に、周囲が色恋に関心を移していくのを見ながら、焦りというか居心地の悪さというか、そういうものを感じるのに近かったりするのだろうか。あるいは昆虫から他人(虫)とかどーでもいいのか。

 そんなことを考えているうちに腹を殻から抜いて、今度は頭を上にして丸まった羽を伸ばし始める。

 昆虫が嫌いな人はまじまじと見たことがないと思うけど、虫の羽に走っている模様というか、スジのことを翅脈という。

 俺もセミ羽化について今回調べてはじめて知ったこなのだが、殻から出てきたとき、この翅脈に体液を流すことで昆虫しわしわになっている羽を伸ばすのだそうだ。しぼんだ風船に水を入れて膨らます要領だ。そして、羽を伸ばすのにもう一つ、昆虫が利用している(可能性がある)ものがあって、それが重力だ。

 上を向いた姿勢重力を利用することで、下方に向かって羽を伸ばす・広げる時間をより短くさせることができる、という説がある。カブトムシだとかの地中で羽化する種類には寝た姿勢のまま羽化するものもいるが、面白いのはチョウのように葉っぱの上だの水平に伸びた枝だの、環境いくらでも横向きになれる場所があるのにわざわざ上向きの姿勢で行う種があることだ。こういう種類に寝た姿勢羽化させる実験を行うと、かえって羽がうまく広がらずに潰れてしまったりするらしい。

 上向きで何かに吊るされたりつかまったりしながら羽化を行うことには、当然落下の危険がある。

 俺が自宅に連れ込んだセミはうまく羽化してくれそうだけど、普通に落ちて死ぬやつもいるだろう。その辺は、種としてリスクメリットを同時に競争させた結果、メリットが上回っているのだと思う。

 もちろん、セミ自身はそんなことを考えない。大昔から、上向きに羽化するやつと横向きに羽化するやつが膨大な数いた中で、上向きに羽化するやつが重力を利用しきってたまたま生き残ったんじゃねえかな、という俺の予想。

 リスクメリットが両面であるもの活用して競争するというのは生命本質とも言える気がして、ヒューマンも学ぶところがあるというか、人間危険をどうしても警戒してしまうし、そもそもリスクを取らずに安全利益享受することこそ、人ならでは知性なのかもしれないが、何にせよセミは偉いな、と次第にうす緑から茶色になっていくやつを見ながら思っている(アブラゼミと判明)。

 ちなみに、危険性をはらむ「重力」を生き物として利用することは、過酷だが得るものの多い環境にあえて身を移すこととは、ちょっと違うのだろうな、と思う。つまり、修業とか冒険とかの行為とはおそらく異なる。

 なんでかというと、重力それ自体はどこにでも偏在するからだ。

 平時なら何事もなく受け流しているものを、姿勢を変えるというたった一つのアクションで違った意味を持たせ、かつ、なんというか、恩恵を完全に受けられるように自らをあっさりモノとして扱ってしまう発想、そういうあっけらかんとしたところがムシにはある。

 何を言っているかわかるだろうか? 思いつきで言っただけなので、俺にはまるでわからない。

 セミはほぼ茶色になったがまだ緑色の部分が残っていて、もう少し安静が必要っぽい。

 ということはしばらく網戸のままということで、冷房もかけられないが、良いもの見せてもらったかしょうがない。朝、出勤がてら放そうと思う。

2020-08-28

蝉たちはどこへ消えたのか

今年もうんざりするほど蝉がいた。特にアブラゼミ

奴らが這い出てきたであろう穴が、敷地内に無数に空いている。

猛暑増長させるようなあの鳴き声が、毎日時間、そこら中から響いていた。意外と夜でも鳴いているのだが、昔からそうだっただろうか。記憶にない。

幾らか暑さが弱まってきたここ一週間ほど、蝉の数が明らかに減ったのを感じる。

たまにアブラゼミクマゼミの死骸が道端などに落ちているが、しかし明らかに、圧倒的に、生きている時よりも数が少ない。

そしてその死骸も、一日経つと消えていたりする。逆にずっと転がっているものもある。

(補足だが、消えるのは人の手によるものではない。わざわざ蝉を掃いて捨てる物好きはうちにはいない)

あの大合唱が嘘のように静まり返り姿もなく、しかし抜け殻だけが大量に残っている。奴らがいたのは幻ではない。

奴らは、蝉は、どこへ消えたのだろう。

2020-08-23

今日多々良川(早朝)

くもり

すずしい

水位ひくい

ダイサギたたずんで

コサギが浅瀬をいったりきたりしながらつついてエサ探してた

カラスコサギを追い回してた

コサギはアシの茂みに逃げ込んでた

ほんとカラス・・・

亀が岸の上のほうにいる?と思ってよくみたら、甲羅割れて死んでた・・・

甲羅干しの亀はいなかった

くもりですずしいか野良猫も7匹みた

めがつぶれてる猫(どっかいって事故らないようにリードついて外に出したアる)にチッチッチといったら空を見上げてた

うそう、昨日ここらへんではちょうめずらしいミンミンゼミがないた!

福岡ミンミンゼミ少なくてだいたいがクマゼミアブラゼミから

きのうカマキリ先生クマゼミとるのにくろうしてたけど福岡ならそのへんのまっすぐな木にいくらでもいるからね・・・

さくらの木だから取りやすいし

今年はひぐらしもめずらしく鳴いてたし、ちょっとなんかがちがうのかもしれない

2020-08-02

ミンミンゼミはミーンミーンってなく。ツクツクボウシはつくつくぼーしってなく。

アブラゼミアブラタブラってなく。

2020-07-28

アブラゼミのオスが網戸にくっついてる・・・

もう寝てるみたいだからそっとしておく

2019-08-13

トイレアブラゼミ

職場トイレが外にあるんだけど、便器の中にセミが落ちていた(和式)

流そうとしたけど流れない。浮いてくる。てか生きてる……

しょうがないので掃除ブラシで救助して、箒の上に乗せて乾かしておいた

今見たらいなくなってたので飛べたんだと思う

良かったね

しかトイレくらい室内にあってほしいわ……

2018-09-03

昨日ドラマの「この世界の片隅に」を見てたら、蝉の鳴き声がアブラゼミで、広島ならクマゼミなのでは?ってなった。

広島行ったことないけど。

2018-08-12

つくつくぼうし

あいつらは今年初めて鳴き始めて、今年のうちに死んでしまうのに、上手に鳴くよなあ

アブラゼミヒグラシくらいの鳴き方なら、本能最初からできるってのもまあ分かるんだけど

つくつくぼうしってそのレベル越えてる気がするんだ

最初フレーズからして他のセミとは一線を画しているし、だんだんテンポが上がって

クライマックスBメロ突入し、それがマンネリ化する前に綺麗にすっとエンディングを迎える

見事というほかないよ

地面の下で幼虫やってる時代に、先輩の鳴き方を聞いて学んだりするのかな

2018-08-10

まーたセミが網戸で寝てる

まあ寝かしといてやるけどよ

こないだはアブラゼミだったけど今日のはクマゼミのメスだった

2018-07-14

(ねえちょっとゆっくりこっちきて!!!)

(ほら網戸見て!!!アブラゼミがwww寝てるwwww最初カメムシかと思ってめっちゃびびったんよwwwセミって裏がわけっこうぐろいしwwwでもよくみたらセミwww寝てるwwww多分また朝5時から動き出すんだろうねwwwでもまあメスだしこのまま静かに寝かせておいてあげるよwwうちって庭にもかなり穴空いててて壁にも抜け殻あるしセミメッカなんだよねwwwwwってかなんか寝言いってるwwwジジッとか言ってるwwwうはwwwwグンナイセミちゃんwwwいい夢をwwww)

2017-08-28

wikipediaの「セミ」の項目は風情がある

ヒグラシ:朝夕の薄暗い時間帯に「カナカナカナ…」という甲高い声で鳴く。その悲しげな鳴き声から晩夏のセミというイメージが強いが

ツクツクボウシ晩夏に多く発生し、宿題に追われる子どもたちのBGMとなる

アブラゼミ:午後の日が傾きかけた時間帯によく鳴き、「ジジジジジ……」という鳴き声は夏の暑さを増幅するような響きがある

こういう部分については客観的視点からの加筆が求められてはいません。

2017-08-02

https://anond.hatelabo.jp/20170802121854

成虫期間は1-2週間ほどと言われていたが、これは成虫の飼育が困難ですぐ死んでしまうことからきた俗説で、野外では1ヶ月ほどとも言われている[2]。

さらに、幼虫として地下生活する期間は3-17年(アブラゼミは6年)に達し、短命どころか昆虫類でも上位に入る寿命の長さをもつ

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%9F

2017-07-03

今日多々良川

晴れ

かなり暑い

日差しも強いか帽子かぶった

水位低い

サギなし

カモなし

甲羅干しの亀1

こんなに天気いいのに少ない・・・と思ったけど、たぶん、おとといと昨日十分に甲羅干しした(勝手な予想)から今日はもういいやってなってそう

亀の種類はぐぐって見てみたけど十中八九ミドリガメ外来種)だと思う

悲しいことに・・

ミドリガメ 川

でぐぐったらトップにでてくる並んで甲羅干ししてるのがまさに自分が見てるのと同じだし・・・

今朝は朝からめっちゃ暑くてもう夏本番って感じ

セミもめちゃくちゃ鳴き始めてめっちゃうるさい

九州からアブラゼミクマゼミメインだけど

2010-08-31

トカイとイナカとジャスコ

ずっと「トカイ」にいかなければと思っていた。

育った町は関東に位置している田舎だ。電車に乗れば東京まで一時間半か二時間程度の場所だが、それでも十分田舎だった。電車を目の前で逃すと一時間は待たなければならない。隣駅は無人駅で、最寄駅は7時にならないと自動券売機切符が買えない。バスに至っては二時間来ないこともざらだ。終電や終バス時間も早く、夕方差し迫ってくれば、乗り継いで行った先の終電のことを考えなければならない。東京は近くて、でも遠い街だった。

電車に乗ってあの町が近づいてくると、見渡す限りの田んぼとその中をうねうねと伸びる農道が見える。街燈がぽつぽつとしかない道を闇におびえながら全力疾走で駆け抜ける夜も、夏になると井戸からくみ上げた水が滔々と流れる用水路も、稲穂の上を渡る金色光る風も、その中を喜んで走る犬も、道端で干からびている車にひかれたイタチも、うっそうと道上に生い茂り時々大きな枝を落としている木々も、なにもかもが呪わしかった。どこへ行くにも車がなければ不便で、こじゃれた店は大規模なショッピングモールの中にしかない。それで、中高生はいつもそこに特に理由もなくたむろしていた。

みんな都会に行きたかったのだ。すぐにつぶれてしまう店も、郊外型の広い駐車場も、市街地から外れればとたんに何もなくなって農耕地だけになるニュータウンも、なにもかも厭わしかった。私たちはたまに触れるなにか新しいものを含んだ風にあこがれ、騒がしい日常を羨み、便利さに憧憬を抱いた。都会に行かなければいけない、という思いはまさに呪縛だった。こんな田舎にいてはいけない、田舎はつまらなく、古びていて、垢抜けない。だから都会に行かなくてはいけない。

高校卒業するとともに私を含めほとんどの友人は都会へと向かった。何人かは都会に住みかを確保し、住みかを確保できなかった人たちはどこかに拠点を確保して、毎日時間もかけて都会へと通った。

私は住みかを確保できた幸運な一人だ。山の手のかたすみにある、静かな住宅地最初下宿はあった。学生用の木造二階建ての、半分傾いたアパートだ。四畳半風呂がなく、トイレ玄関は共同だ。同じ値段を出せば、田舎では1DKが借りられる。しかしそんな場所でも、私にとってそこは「トカイ」だった。

トカイでは駅までの道に田畑はなく、駅では10分も待たずに電車が来る。どの駅でもかなりの人々が乗り降りし、夜が更けても街燈が一定の間隔で並んで夜を追い払ってくれる。月明かりに気付く余裕をもって往来を歩けるほどの安心が都会にはあった。そのくせ、私が慣れ親しんできた大きな木々や古い河の跡や、四季はきちんとそこにいて、祭りがあり、正月があり、盆があり、そうやって人々は暮らしていた。盆正月は店が閉まってしまうということを知ったのも都会に出てからだった。

都内にありながら広大な面積を有する大学の中には山があり、谷があり、そして池があった。そこにいると、田舎のように蚊に襲われたし、アブラゼミミンミンゼミくらいしかいないとはいえ、蝉の声を聴くことができた。近くに大きな道路が走っているはずなのに、喧騒はそこまでやってこず、昼休みが過ぎると静寂が支配していた。水辺で昼食をとるのが私は好きで、亀と一緒に日を浴びながらパンを食べた。

あるいは、田舎でそうしていたようにどこへ行くにも自転車で行き、アメ横からつながる電気街や、そこから古書街、東京駅サラリーマンの街あるいはおしゃれな店が並ぶ一帯までどこへでも行った。都会は平坦につながっているように見えるが、どこかに必ず境目があるのだった。境界付近では二つの街の色が混ざり合い、ある臨界点を超えると途端に色彩の異なる街になってしまうのが面白かった。その合間にもところどころ自然存在していて、いつからそこに植わっているのか知らない大きな木々が腕を広げて日陰を作り、その下にベンチが置いてある。くたびれた老人がその下に座り、コミュニティが形成される。それが私の見た「都会」だった。

山の手の内側で育ち、閑静な住宅街で育った人たちは、ここは「イナカ」だから東京じゃないという。私はそれを聞くたびに笑いをこらえきれなくなる。あなたたちは田舎を知らない。電車が10分来ないとか、駅まで10分くらい歩かなければならないとか、店がないとか、繁華街が近くにないとか、そんな些細なことを田舎だと称するけれど、田舎はそうじゃない。

田舎は不便だが、時に便利だ。車で移動することが前提だから、どこか一箇所にいけばだいたいのことを取り繕うことはできる。都会のように一つの場所に店が集まっていないせいで、あちこち足を運ばなければいけない不便性が田舎にはない。確かに近くに店はない。駅も遠い。でもそんなことは本当に全然大したことじゃないのだ。

大きな木が育っていてもそれを管理せずに朽ちていくばかりにする田舎邪魔になればすぐに切ってしまうから、町の中に大木は残らない、それが田舎だ。古いものは捨て、新しいもので一帯を覆い尽くすのが、田舎のやりかただ。昔からあるものを残しながら新しいものをつぎはぎしていく都会の風景とは全く違う。人工の整然とした景観があり、そことはっきりと境界線を分けて田畑が広がる区域が広がる。その光景あなたたちは知らない。人工の景観の嘘くささと、そこから切り離された空間の美しさをあなたたちは知らない。新しく人が住む場所を作るために農地や野原を切り開いて、道路を通し、雨になれば水が溜まる土壌を改良し、夏になればバスを待つ人々の日陰となっていた木々を切り倒し、そうして人工物とそれ以外のものを切り離していくやり方でしか町を広げていくことのできない田舎を、あなたたちは知らない。人々は木漏れ日の下に憩いを求めたりしないし、暑さや寒さに関してただ通りすがった人と話をすることもない。車で目的から目的地へ点と点をつなぐような移動しかしない。それが田舎なのだあなたたちはそれを知らない。

盆や正月田舎に戻ると結局ショッピングモールに集まる。友人とだったり、家族だったり、行くところはそこしかいから、みなそこへ行く。しばらく帰らない間に、高校時代によく暇をつぶしたショッピングモールは規模を拡大し、店舗数も増えていた。私が「トカイ」で足を使って回らなければならなかったような店が、都会よりずっと広い売り場面積で所狭しと並ぶ。それがショッピングモールだ。上野秋葉原新宿池袋渋谷原宿東京丸の内もすべて同じところに詰め込んで、みんなそこは東京と同じだと思って集まる。田舎は嫌だ、都会に行きたいと言いながらそこに集まる。

ABABというティーン向けの店でたむろする中高生を見ながら、私は思う。下町を中心としたチェーンのスーパーである赤札堂が展開しているティーン向けの安い服飾品を、田舎の人は都会より二割か三割高い値段で喜んで買う。これは都会のものから、垢抜けている、そう信じて買うのだ。確かにその服はお金のない中高生が、自分のできる範囲内で流行りを取り入れて、流行りが過ぎればさっさと捨てるために、そういう目的合致するように流通している服飾品だ。だから安い代わりに物持ちが良くないし、縫製もよくない。二、三割その値段が高くなれば、東京に住む若者はその服は買わない。同じ値段を出せばもう少し良いものが変えることを知っているからだ。田舎に暮らす私たちにとってのしまむらがそうであるように、都会に住む彼らにとって最低限の衣服を知恵と時間をかけてそれなりに見えるように選ぶのがABABだ。そのことを彼らは知らない。

ABABのメインの事業である赤札堂は、夕方サービスタイムには人でごった返し、正月が近づけばクリスマスよりもずっと入念にかまぼこやら黒豆やらおせち材料を何十種類も所せましとならべ、思いついたようにチキンを売る。あの店はどちらかというと揚げ物やしょうゆのおいがする。店の前には行商のおばさんが店を広げ、都会の人たちはそれを喜んで買う。若いこどもはそれを見てここは「イナカ」だという、そういう光景を彼らは知らない。田舎ではショッピングモールの商品棚のなかにプラスチックくるまれた商品があるだけだ。そうするほうが「トカイ」的で便利でコミュニケーションがいちいち必要いから、田舎人間はそれを喜ぶのだ。

そして私は「トカイ」という呪縛から逃れていることに気付くのだ。

どちらもよいところはあり、悪いところはある。便利なところはあり、不便なところもある。都会の人も「トカイ」にあこがれ、ここは田舎だというけれど、「トカイ」というのは結局幻想しかないということを、私は長い都会生活の中で理解したのだった。便利なものを人は「トカイ」という。何か自分とは違うと感じるものをひとは「トカイのものだという。それは憧れであり、決して得られないものだと気づくまで、その呪縛からは逃れられないのだろう。

「イナカ」はその影だ。「トカイ」が決して得られない憧れであるなら、「イナカ」は生活の中に存在する不便さや不快さや、許し難い理不尽やを表しただけで、「トカイ」と表裏一体をなしている。「イナカ」も「トカイ」も幻想しかない。幻想しかないのに、私たちはそれを忌み嫌ったり、あこがれ、求めてやまなかったりする。だから田舎はいやなんだというときのイナカも、都会に行けばきっとと願うときトカイも私の心の中にしか存在しない、存在しえない虚構なのだ


私はオフィス街の中で聞こえるアブラゼミの声が嫌いではない。でも時々その声が聞こえると、田畑を渡る優しく澄んだ夕暮れ時の風を思い出す。竹の葉をすかす光とともに降り注ぐ、あの鈴の音を振るようなヒグラシの音が耳に聞こえるような気がする。




補記:母は東京イオンがないという

記憶の片隅に、一面に広がる田んぼと、稲穂の上で停止するオニヤンマの姿が残っている。

父方の田舎は、人口の一番少ない県の市街地から車で一時間半かかるところにあった。周りは山と田畑しかなく、戦前から10軒もない家々で構成される集落だ。隣の家は伯父の家だったはずだが、確か車で15分くらいかかったと思う。幼いころにしかいなかったので記憶はもうほとんど残っていない。免許証本籍地を指でなぞるときにふと頭の中によぎる程度だ。父はあの田舎が嫌いで、転職と転勤を繰り返して、関東に居を構えた。あの村で生まれて、育ち、その中から出ることもなく死んでゆく人がほとんど、という中で父の都会へ行きたいという欲求と幸運は桁はずれだったのだろう。時代が移り変わって、従兄弟たちはその集落から分校に通い、中学卒業とともに市街地へ職や進学先を求めて移り住んでしまった。今はもう老人しか残っていない。日本によくある限界集落の一つだ。

引越をした日のことは今も覚えている。きれいな街だと思った。計画的に開発され、整然と並んだ町並み。ニュータウンの中には区画ごとにショッピングセンターという名の商店街があり、医療地区があり、分校ではない学校があった。電柱は木ではなくコンクリートだったし、バスも来ていた。主要駅まではバスで40分。駅前にはマクドナルド本屋ミスタードーナツもある。旧市街地門前町として栄えていたところだったから、観光向けの店は多くあったし、交通も車があればどうとでもなった。商店に売られているジュースは何種類もあったし、本屋に行けば選ぶだけの本があった。子供の声がして、緑道があり公園があり、交通事故に気をつけろと学校では注意される。

バブルにしたがって外側へと広がり続けたドーナツの外側の淵にそのニュータウンは位置しているが、新しい家を見に来たとき、祖父母はすごい都会だねぇと感嘆混じりに言った。

父は喜んでいた。田舎には戻りたくない、と父はよく言った。都会に出られてよかったと何度も言った。ニュータウンにはそういう大人がたくさんいた。でも、都心で働く人々にとってニュータウンは決して便利の良い町ではなかった。大きな書店はあっても、ほしいものを手に入れようとすると取り寄せるか、自分都心に探しに行くしかない。服屋はあるけれど、高いブランド物か流行遅れのものしかない。流行はいつも少し遅れて入ってきていた。都心に日々通う人たちはそのギャップを痛いほど実感していたに違いないと思う。教育をするにしても、予備校や塾は少なく、レベルの高い高校私立中学もない。食料品だけは安くて質のいいものが手に入るが、都会からやってくる品は輸送費の分、価格が上乗せされるので少し高かった。都会からじりじりと後退してニュータウンに落ち着いた人々にとって、言葉にしがたい都会との微妙時間的距離は苦痛だったのだろう。

子供にはなおさらその意識が色濃く反映された。簡単に目にすることができるからこそ、もう少しでつかめそうだからこそ、都会は余計に眩しいものに思えた。引力は影響を及ぼしあうものの距離が近いほど強くなるように、都会が近ければ近いほどそこへあこがれる気持ちも強くなるのだ。限界集落にいたころには市街地ですら都会だと思っていたのに、ずっと便利になって都会に近づいた生活の方がなぜか我慢ならない。

そして子供たちは大きくなると街を出て行き、後には老人だけが残った。さながらあの限界集落のように、ニュータウンもまた死にゆこうとしている。幸運なことに再び再開発が始まっているようだが、同じことを繰り返すだけだろう。

祖父母にとって東京得体のしれないところだった。東京駅に降り立った彼らは人込みの歩き方がわからず、父が迎えに来るまでじっと立ちつくしていた。若いころだってそうしなかっただろうに、手をつないで寄り添い、息子が現れるまで待つことしかできなかった。そういう祖父母にとってはあのニュータウンですら、生きていくには騒がしすぎたのだ。あれから二度と都会へ出てくることはなく二人とも、風と、田畑と、山しかないあの小さな村で安らかに一生を終えた。

たまに東京に出てくる父と母は、あのとき祖父母が言っていたようにここは騒がしすぎて疲れる、という。どこへ行くにもたくさん歩かなければならないから不便だと言う。車で動きにくいから困ると言う。智恵子よろしく母は、東京イオンがない、と真顔で言う。私が笑って、近くにイオン系列ショッピングモールができたし、豊洲まで出ればららぽーともある、といっても納得しない。田畑がない、緑が少ない、明るすぎるし、どこへ行っても人が多い。すべてがせせこましくてあわただしくて、坂が多くてしんどい。それに、とことさら真面目な顔になって言う。犬の散歩をする場所がない。犬が自由に走り回れる場所がない。穴を掘れる場所もない。彼らはそう言う。

あんなに都会に出たいと願ってやまなかった若いころの父と母は、あのニュータウン生活に満足し、さらに都会へ出ていくことはできなくなったのだ。それが老いというものかもしれないし、身の丈というものなのかもしれない。生きてゆくべき場所を定めた人は幸せだ。幻想右往左往せず、としっかりと土地に根を張って生きてゆくことができる。

私の住む東京千葉の境目も、不満に思う若者は多いだろう。都内はいっても下町からここは都会ではない、と彼らは言うかもしれない。都下に住む人々が都会に住んでいない、と称するように自分たちの住む街を田舎だと表現し、もっともっとと願うのかもしれない。引力は近づけば近づくほど強さを増すから逃げられなくなるのだ。でも、もしかすると、都会の不便さを嫌って、彼らは田舎志向するかもしれない。一つのところへ行きさえすれば事足りる、点と点をつなぐだけの便利な生活。地をはいずりまわって丹念に生きる必要がある都会と違って、郊外は行く場所が決まっているし、ネットがあればなんとかできる。彼らには、私たちが引力だと思ったものが反発力として働くかもしれない。未来は分からない。

それでもきっといつかは、みんな、どこかに愛着を抱くか、よんどろこのない事情で立ち止まるしかなくなるのだろう。祖父母がそうであったように、父と母がそうであるように、どこかに満足して、ここ以外はどこにも行きたくない、と主張する。それまではきっと都会と田舎という幻想の間を行き来し続けるのだ。

成田に育った:http://anond.hatelabo.jp/20080929192856

2007-11-07

ライト

ライトって使えるコトバではないでしょうか?

現状はライトノベルくらいしかないかもしれないけど。

セミ(セミプロのセミ)でも代用できるかも

俺はライト増田

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