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はてなキーワード: 河原町とは

2015-06-22

6月21日京都デモに思うこと。

昨日、とある映画を見に街中へと出掛けた際デモに遭遇した。

恐らくいつも通り円山公園から出発して四条を通り河原町を上がっていくのだろう。

ゴールは三条大橋下かあるいは市役所前広場辺りか。子供の頃から見慣れた光景だ。

彼らの主張する内容もまた聞き慣れたもので、戦争反対安倍辞めろ、その他諸々、駅前毎日共産党が叫んでいることと大して変わらない。

変わることと言えばやたらポップな雰囲気を醸し出していることといつにも増して大人数であることくらいで、四条河原町を封鎖して市民の足であるバスの往来が出来なくなるのも、外国人観光客が興味深げに写真を撮るのも普段と同じである

その点だけ抜き出せば祇園祭とそう変わりはなく、この形態があと1100年ぐらい続けば時の京都市伝統無形文化遺産として指定するかもしれない。

それはそうとして。

実際、彼らが主張すること自体に対しては何の不満もない。

そもそも言論の自由は何人にも保証されており、彼らの口を封じようとする勢力とは断固として戦わねばならない。

僕個人としても立憲主義プロセス無視しようとする現政権に対する不信感は非常に強いし、安倍晋三という政治屋ボンボン三代目がまともな政治家であるとも思わない。

しかし。

しかし、である

果たしてこの現代版踊り念仏政治指向を持たない人々の心に響くかどうかは怪しいと言わざるを得ない。

理由は簡単だ。

迷惑」と「聞き飽きた」。

京都市民の足はバス(と自転車)である

ただでさえ混雑していた四条行政の手で更に渋滞するよう作り替えられたのは記憶に新しいが、それに加えてデモによる道路封鎖が起こると四条だけでなく烏丸川端、果ては堀川辺りまで波及する。

この事を「迷惑」と感じる京都人は実際多い。

『主張しはんのは勝手やけどせっかくの休みやのに他人負担掛けてまでやらんといて』と。

その時点で彼らの耳に主張は届かなくなるのだ。

これが良いことであるとは僕には到底思えない。

重要なのは政権批判のものではなく、政権批判を行う仲間をいかに増やすか、であるはずだ。

左派には民主主義国民主権叫びながら国民主権があることを忘れて政権のものと戦おうとする人が多く、その点ではいわゆるネトウヨの方がむしろ主権者たる国民に向けて語っているのではないかとさえ思う。

『○○人はこんな悪事を働いてる!』というのは政権ではなく民衆に向けられた言葉だ。

この違いこそ日本リベラルと呼ばれる勢力が弱い理由だと僕は考える。

だがこれはやり方次第で解決できる問題であるとも言える。

より深刻なのは「聞き飽きた」ということだ。

ご存じの通り京都共産党が強固な地盤を持っている。

彼らは先述のようによく政権批判演説を行っているがこれがむしろデモの主張を陳腐化させているように思える。

またこの手の奴か、と。

普段から聞き慣れた言説に『多くの人が集まっているから』という理由だけで耳を貸す人間がどれだけいるだろうか。

これが大人しい田舎なら話は別だ。

ただ大規模なデモを行えばそれだけである程度衆目を集められるだろう。

しかしここは京都である。1200年の都である

そんなピュア人間殆ど存在しない。

その解決策は僕にも分からないが、飽きられているのは確かだと思う。

こんな風に書くと「典型的スノッブ京都人」扱いされるのかもしれないが、今回敢えて書かせていただいた。

重ねて言うが、僕は彼らの主張にもその内容にも文句はない。

と言うより京都は一種のアジールでなければいけないし、地方サムライマチズモに由来し明治以来続く国内外に対する植民地主義に対抗する存在でなければならない、と強く思っているので、こういった主張はどんどんしてほしい。

それこそが日本の都としての使命であり矜持であってほしい。

しかし、主張する人間が自ら居場所を減らしているのではないか? と感じるのである

報道によるとこのデモ若者主催したもので、この日は2000人を超える人が集ったと言う。

彼らの心意気に敬意を表すると共に、彼らの心意気が無駄にならないことを祈る。


あぁそうそう、コラボセットは真姫ちゃんでした。やったぜ。

2011-03-13

京都市民が感じた2011年東北地方太平洋沖地震

はてなという会社が存続し続ける限りはこの匿名ダイアリーの記事も残るはずで、あるいは、はてながつぶれてももしかした匿名ダイアリーログは残り続けるかもしれないから、後世のためにこの二日間、京都に住む普通大学生(若干だめな感じだけど)が何を感じたのかを書こうと思う。原発放射能漏れがほぼないと分かり安心したのもつかの間(犠牲となった方がいたのはショックだったが)、3/12、22時ごろに南三陸町で1万人の安否不明という見出しヤフーJapanニュースのトップに載った今の心境は、はっきり言って最悪だ。


注意:当時の心情をありのままに晒そう(それでも抑えているつもりですが)と思っているため、かなり配慮に欠けた表現うつる言葉かいをしていると思います。もし、このダイアリーを見てくださった方でお気を悪くされた方がいたら本当にごめんなさい。けれども、書き残す必要があると思って書いています。


3/11 15:00

今回の地震において、僕はちょうど図書館の地下に行っており、揺れを感じることがなかった。というより、その場に居合わせ人間5,6人も揺れを感じたそぶりを見せることもなく、僕がこの大地震が起こったことを知るのはこの3時間後、18:00頃だった。


16:00

近くのユニクロヴィンテージクラシックノータックチノを買いに行こうとする。恐らく本田圭佑が履いていたそれは品切れを起こしていたらしく入手することは出来なかった。ちょっと客が少ないし、従業員もそわそわしているかなとは感じたが、気のせいレベルのはずだった。


18:00

サークル棟に入ると、出会った知人に開口一番、地震すごかったねと言われた。「いや、何のことだよ(笑)?」と返したら、普通にどんびかれた。「揺れ感じなかったの?京都もすごかったんだよ。」と返されて、まず、しらねーと思ったし、後、「も」というのが気になった。そして、何やら東北大地震が起きたことを知った(今のところ自分の周りで京都において揺れを感じなかった人間はいない)。けど、東北大地震なんかよくあることだし、ま、今回もその異常耐震・免震っぷりが発揮されるのだろうと思っていた。ただ、死亡者がこの時点で30人を超えていたと聞き、普通東北大地震(通常はその規模に関わらず殆ど犠牲者が出ないので)ではないとは分かった。


19:00

ネットから遮断された状態の僕は、むしろ東北いか耐震大国である布教する宣教師となっていた。部室に来る人間には、東北いかに凄まじい耐震・免震ぷりを発揮するかを力説し、死亡者が3ケタ行ったらとんでもないことだと今となっては糞虫のような推察を披露していた。


20:00

中国人留学生本国の友達から心配されると話してくれて、同じく、東北耐震免震大国っぷりを話していた自分がいた。ベルセルクブリーチを読みながら、やっぱ蝕すげーとか思っていた。そして、帰宅。シャワー浴びて、ご飯を食べて、翌日河原町に行こうと思っていたので、ネットで靴みたり、雑誌とか読んでたら、あっという間に24:00になっていた。


24:00

事態がただ事じゃないことが分かったのは、23:57に、15:23に送信された母から自分の安否を気遣うメールが届いてから。なんで今頃?届くの?と思った。そして、yahooニュース見出し見出し自体は帰ってからちらっとはみたもののあまり衝撃的な見出しはなかったので流していた)を開いてみると、まず仙台空港が水没していた。ちょっと半狂乱になって、いろいろ見ていたらtelegraphに津波が家を飲み、田んぼを飲み、猛烈な勢いで海岸線を超えて陸地を飲み込もうとしている動画があり戦慄した。後は、3:00まで、いろいろな2chのまとめ記事を真剣に見るだけ(3か月くらいテレビ壊れたまま)。これは日本でおこっているのか?と思った。そして、この時点で死亡者の数が4桁を超えることがほぼ確実となっており、未曾有の大災害であることを認識した。知り合いで被災地の近くの人間は特におらず、不義理なことをしていないことも含めて少し安心した


3/12 12:00

朝起きて、yahooニュースを確認したら、実家群馬)の近くでも地震が起きていることが判明し、慌てて母に電話したメールでの返信は前日済み)。どうやら実家の周りでは被害がないらしく、一安心したが、改めて死亡者がこの段階で1000人を超えることが確実な中、今度はこの地震いかにとんでもない規模の災害であるか、耐震・免震大国である東北でこれだけの被害が出ており、津波がどれほど想定外で、規格外であったかを伝えなければならないと思い、部室へ向かった。


13:00

まず、話した全ての人に身の回りの人が無事かどうか聞き(幸い不幸なことは聞かなかった)、ショックを受けていることを伝えた。そして、これがいかにとんでもないことか伝えた。そして、今度は原子力発電所が危ないことを聞かされた。けど、このときもまた、馬鹿を露呈することになり、チェルノブイリたい原子力発電所事故は起こる可能性がかなり低いだろうこと、中越の時のような場合と違い、原子力発電所天災によって問題になることはそうそうあることじゃないことを力説した


16:00

メルトダウンと聞いた時も、ま、そうでもないと思っていた。(図書館にて勉強中)

17:00~22:00

帰宅して直後、原子力発電所が爆発と見て唖然した。これは悪夢しか言いようがないと思った。本が頭に入らない。後は、ぼんやりと事態をyahooニュースとしょぼんあんてなで確認するのみ。そして、犠牲になった従業員の方がいるというニュースを聞き最悪があるのかと脳裏をよぎり、22時手前位で最悪は防げそうと聞き安心したのもつかの間、南三陸町で1万人の安否不明という見出しヤフーJapanニュースのトップに載っていた。


もう何も起こってほしくない。

2010-07-19

京都道路は碁盤目状だから、バス停も通りの名前を組み合わせたものになる。

ただ、最近それがカップリングのように聞こえて仕方がない。


例えば、「千本今出川」は千本×今出川、「千本北大路」は千本×北大路という風に変換される。

この場合千本通りはどの通りと組み合わせても名前最初に来るので、攻め気質のキャラクターだということが分かる。


同様に、堀川通りも攻め側にまわる事が多い。

堀川上立売」「堀川中立売」「堀川下立売」を順番に聞くと堀川はこの三兄弟の誰が本命なのかとハラハラしてしまう。


中でも、河原町通りは気になる存在だ。「四条河原町」「三条河原町」の時は受けなのに、「河原町丸太町」の時は攻めになる。不可思議極まりない。

けれども、かわらまちまるたまちという音韻の可愛らしさから、この二人は双子気取りの百合カプなのかもしれないという考えに至る。


大宮だって気になる。「四条大宮」と「大宮五条」があるということは、攻めヒエラルキー四条大宮五条なのだろうか。

兄には受けて弟には攻めるなんて、大宮はリバ魔性にもほどがある。


ちょっと待て。今何となく調べたら「河原町五条」ってバス停もあるじゃないか。五条は受け確定なのか。

それに「四条堀川」って何だ。基本的に攻めキャラ堀川もさすがの四条には敵わないってことか。

京都には「四条は攻め、五条は受け」という決まりでもあるのだろうか……



しかし、こんな風に悶々としながら市バスに乗ってるのなんて自分だけだろうな。

修学旅行生が騒がしい時期だけど、この脳みそのおかげで車内は快適です。

2009-09-05

生まれ育った土地から離れないなんて馬鹿げてる

京都から東京に単身で引っ越してきて随分経つ。短期間、中部に住んでいたこともあるし10年以上前パソコンメンテ屋として京都大阪中を駆け回ったこともある。そのときに、いわゆる辺鄙土地を沢山見てきた。この先の長い人生において、再訪することは絶対無いであろう街の数々を。旅行地方の街並みを見ていてもこういうことを最近よく考える。

「こんなところに人が住んでいるなんて、ちょっと信じられない」といった気分になるのだ。最近の例では、京都府京丹後市だ。あそこにはコンビニもあれば学校だってある。役所だってあるし、民間企業の社屋だって存在することに激しい違和感を持った。なんだこれは。これじゃあここで一生を終えてしまうことが出来てしまうじゃないか、という「つまらなさ」を感じずには居られなかった。おそらくだが、amazon書籍を注文すれば普通に届けてくれるであろう地域だ。ユニクロだってあるかもしれない。

鉄道に乗れば制服を着た高校生が談笑している。彼らがこの先大学を目指すのか就職するのかは知らない。もちろん就職難のこのご時勢、彼らが無事就職できるのかどうかはわからないが、少なくとも彼らにとっての幸福人生とは、地元就職地元で家庭を持ち、地元で、地元で・・・すべてが地元で成す事を前提に設計されているはずだ。おそろしい、とてもおそろしい。彼らはうまくいけばいくほど、その土地から出る必要に迫られることは無いのだ。逆に、地元就職することに失敗した人は「仕方なく」、京都市大阪市に出てくるはめになるだろう。どちらが幸福人生だろうか? 俺は前者タイプを羨ましい面があると認めつつも、「怖い」とも思うのだ。自分があんなに辺鄙で、「ささやか繁華街に行けばそこに大抵顔見知りが居る」程度に小さな土地で過ごして一生を終えることを考えると、ゾッとする。

俺の実家京都市だが、たまに帰ってきて河原町を歩くとやはり同じ心境になる。そこに居る沢山の歩行者観光客を除けばだいたい京都府民だろう。この人たちにとってのレジャースポット最上位は、せいぜい河原町梅田なんだろうな、と。年老いてからもそれは変わらないのだろうな、と思うとやはりゾッとするのだ。

なぜみんなもっと外に外に出て行こうとしないのだろう。なぜ外に出ないうちに家庭を持ったりするんだろう。わけがわからない。同じように、会社組織もなぜ社員をいろんな土地で働かせようとしないのだろう。外の世界を教えてしまうと逃げられるから、という理由があるような気がしてならない。

ちょっと調べてみたが、海外でもたとえばアメリカでは同じ州で一生を終える人とかは普通に居るようだ。有り得ないって絶対。今自分が住んでいる土地人生を終えることが本当にベストなのかどうか、せめて幾つかの土地を見て回ってから結論を出したら?

俺はまだ結論が出せていない。この欲というか、迷いみたいなものがいつまで経っても断ち切れなくて、最近日本に固執する必要もないよな、みたいな考えにもなってきてる。

※「地方人間をバカにしている」と言われたら返す言葉が無い。確かに俺は今、京丹後市の人々をバカにしている。だから俺のこともバカにしてくれて構わない。ただ、悪意が無いことと、これは俺の一切の偽りの無い本心であることだけは理解してもらえたらと思う。

(追記)

コメントで「繋がれた象」というお話について教えてもらった。この話は知らなかったが、俺が言いたいことはこれにかなり近いので少し安心した。

2009-07-24

関西の話

尼崎市民が京都河原町とか木屋町の治安について文句言うなや

2009-03-22

何このドラマみたいな事件

22日午前0時15分頃、鳥取市河原町稲常の鳥取県林業試験場の敷地内にある木材乾燥機(高さ2・22メートル、横5・20メートル、縦2・25メートル)の中で、同試験木材利用研究室長の大平智恵子さん(45)(同市若葉台南)が倒れているのを、捜していた姉(49)が見つけた。

大平さんは既に死亡していた。鳥取県智頭署によると、死因は熱中症で、大平さんが乾燥機の中に入って木材検査中に何らかの原因で入り口のドアの鍵が開かなくなり、閉じこめられたとみている。

発表によると、ドアは金属製で、中からはボタン操作で鍵を開閉する仕組みになっていたが、壊れていたらしい。乾燥機コンテナ型で、内部は温度55度、湿度71%に設定され、ドアには大平さんがドアを壊そうとした際に付いたとみられる傷が付いていた。

http://s02.megalodon.jp/2009-0322-1306-29/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090322-00000476-yom-soci

県の林業政策をめぐるダークな何かに気づいたとか何かか?

たまたま一人きりで、鍵が閉まったら出られないコンテナに入っていたら偶然鍵が壊れた」とか、ねーよwwww。

オマケに見つけたのが所員でなく「捜していた姉」つーのがありえねーwwww職員全員が不明室長ガン無視かよwwwwwww。

鳥取怖ぇえええええええ((((( ;゚Д゚)))))ガクガクブルブル

2007-11-12

雨の中。走るように歩く。走らないのは疲労しているためだ。だからといって歩調を緩めないのは人と眼を合わせないため。そのために出来るだけ顔を俯けてもいる。

ポケットの中で携帯電話が震えた。取り出し、カラフルに輝くサブディスプレイを見れば、今もっとも見たくない文字列が表示されている。舌打ち。しかし、それもどしゃぶりの雨音にかき消される。雨がとうとう下着にまで染み込み始める。臀部に感じる冷たさ。

「ぁい?」精一杯不機嫌だという声を作って、電話に出た。雨音が強すぎる所為で判然とはしないが、どうやら電話の向こう側も雨の中らしい。「ああ出たでた、もしもし?」どこか間延びしたような、兄の声。こちらを苛立たせる、しかしそれを意図していない声音。くそ、なにが出たでた、もしもしだ。「……」「もしもし?」「……」「もしもーし? あれ?」「っんだよ」「あれ? なんでちょっと息が切れてんの?」指摘されてしまったので、出来るだけ息を整えながら、「うるせえな」そっけなく応える。理由は言わない。言うはずもない。「今どこ?」「どこ、だって、いいだろが」「迎えにいくから」「いらね、よ」「え? 傘持ってんの?」「……」押し黙ったのは、当然、傘を持っていないことを相手に告げたくなかったからだ。「どうせ、持ってないだろ」「別に、いい」「今どこなんだって」「いらね、んだよ」「え?」「迎え、とか、うぜえだろ」「だって傘持ってないんだろ、濡れるじゃないか」「……もう、濡れてん、だから、いいんだよ」「良かないだろう」「もう、家に着く」「嘘だぁ」「嘘、じゃねぇよ」「だって、河原町の方にいるじゃない」「っはあ?」何故わかったのだ、と思ったところで。

それまで延々と身体を苛み続けていた水滴の連打が、突然途絶えた。無論のこと、雨が止んだのではない。立ち止まる。

「やあ」振り返り見れば、大きく黒い傘をややこちらに傾けて、兄が微笑んでいた。

「なっ、ん、で」息をつく。「駅からずっと見てたからさあ」「……」「驚かそうと思ってね」「……」「うひゃあ、びしゃびしゃじゃん」兄の大きな手が肩やら背中やらを軽く叩いた。そして兄は、眼を合わせるために頭一つ分見上げる必要があるその長駆を屈めるようにして、こちらに顔を寄せてくる。いつもならば、身体ごと跳ねのけることさえする、そんな兄の所作を、「……」しかし今は静かに受け入れた。それは単に、雨に打たれ続け疲労していただけだと、言い張ろうと思えば言い張れたのだろうが。

「ところでさ」兄は笑みを引っ込め、顔をしかめてみせた。「誰に殴られた?」

その質問がきっかけとなったわけではもちろんないが、目頭から腫れた頬にかけて新しく水の流れが出来る。それが雨より温かいことなど、当然認められるわけはないものの、しかし不随意に咽喉はしゃくり上がってしまった。

「泣くなよなあ」そう苦笑しながら、兄はこちらの背中に片腕を回した。「大丈夫」

暖かい、と思う。

そう思った途端、何か理解不能な理由によって、身体から力が抜けてしまった。だから、その後兄がこちらの顔を自分の胸に押し付けても、抗うことが出来なかった。

「大丈夫だから、さ」その声とは何の因果関係もないに違いないが、顔が接している上等そうな布地に、さらに液体が染みこんだようだった。

「なあ?」兄のあくまで優しい声音は神経を逆なでし、しかしなぜか身体は力を取り戻さず……

2007-09-12

[]また、増田さんに会った。anond:20070905005245

京都駅彷徨編

当日は午前中からの野暮用で集合時間には間に合いそうもなく、参加表明をしておいた方が良いような気もしたが、どうなるか分からなかったのでそのままにしていた。前回だって全くその場の思いつきだったんだ、今回も行き当たりばったりで行こう。二度目の増田オフ、ということは俺史上二度目のオフ会参加。

結局現地に着いたのは集合時間より1時間も後。一応該当の場所を見に行ったが、休日の人混みの中にそれらしき一団を見つけることはできず、まあ当たり前か、このクソ暑いのにじっと立って待ってるなんて有り得ないよな、と納得して地下鉄で一旦帰宅した。

着替えて、洗濯物干して、ひとっ風呂浴びて、はてな匿名ダイアリーの画面を開く。この前みたいに夕方合流すればいいか、と思いながら幹事メールしたり匿名ダイアリーにどこにいるのか尋ねる投稿をしてみたりしていると、どうやら比叡山に向かっているらしい。

比叡山か。夕暮れの比叡山は何かと思い入れのある情景なので久々に行ってみたいし、夕方までにやっつけるつもりだった作業をするにはもう中途半端な時間になっていたので「今から向かいます」と返信して出発。日没までには何とか山頂に着けるだろう。今回も後先全く考えずに動いているが、細かいことは後から考えればいい。

比叡山独行編

地下鉄叡山電車と乗り継いで、ケーブルカー。ここまでの間に今にも泣き出しそうな空模様になっていたが、通り雨はすぐに上がった。日曜の夕方、人影も疎らな八瀬駅で、勾配に合わせてあらかじめ傾いだ形の車両の一番前に乗り込む。おっさんになっても、こういう乗り物には何となくわくわくしてしまうのが自分で可笑しい。大正時代に造られたという軌道と回る滑車に導かれるケーブルを眺めながら、もう一度連絡しておこうとして気付く。俺の携帯、ここだと圏外だ。

まあいいや、仕方がない。ケーブルカーからロープウェーに乗り換え、山頂へ。もうじき日も暮れようとしている時間、売店もシャッターを下ろし、閑散とした展望台から京都市街を見下ろす。谷間に溜まった霧のような雲が風に乗って吹き過ぎていく。まだジメジメと蒸し暑い市街地からすればかなり涼しくて快適だ。しばらく風と霧に吹かれながらポツポツと灯りの点り始めた街をぼーっと眺める。あー、なんかいいなー。

気が付いたらもう五時半を回っていた。そうだオフ会だよオフ会。でもケータイ通じないから連絡取りようもないし、さっきの雨でみんなもう下に降りてるかも知れない。確か19時くらいに四条で云々って書いてあったから、とりあえず降りてみるか。再びロープウェーとケーブルカーを乗り継いで下界へ。合流できるかなあ。できればいいなあ。

出町柳邂逅編

じっとりと暑い夏の名残に少々うんざりしながら、出町柳の駅で通じるようになった携帯で連絡を取ってみると、みんなまだ山頂にいるらしい。構内のロッテリア――ロッテリアに入るのって、何年ぶりだろう――でコーヒー飲みながら少し待つと「出町柳に着きました」と連絡が。

同じように人捜し顔でキョロキョロしている人を探せば良いんだな、でも駅の出口ってそういう人多いよな、と思いつつ改札を出た所でウロウロ。程なくそれらしい人を発見したので、

「あー、あのー」

「あー、ああ、どうもどうも」

増田さん、と呼びかければもっと分かりやすいのだろうが、一度は同席して数時間話をしたこともある人に、殊更に匿名であることを強調するような呼びかけをするのも違和感がある。でも名前を知らないので、久々の同窓会でお互いの認識はしたけど名前が思い出せない人同士のような、曖昧挨拶で合流。

前回に引き続いて今回も幹事のKさんと、こちらも前回から参加していたSさん。そして、あれ、二人だけ? 聞けば京都駅の集合場所には他に誰も現れず、二人でお茶してから比叡山に登っていたらしい。それって、まあいいや。

取り敢えず京阪電車に乗って河原町四条に移動。構内の駅周辺地図の前で、多少場所が分かりにくくても良さ気な処にするか、これ以降合流するする人のために分かりやすい場所にするかでしばらく逡巡。分かりやすさを優先して木屋町通四条上ルのイマージアムビルの中の店に決定。

木屋町集結編

あー、この店か。確か大学の後輩の結婚式披露宴三次会で来たなあ。それ以外にも2回くらい来たことがあるような気がする。落とし気味の照明とテーブルのキャンドル、青を基調にした内装。大声で騒ぐような雰囲気ではないが、客は同じようにグループ客が多い。日曜の夜なのでそんなに混んでもいない。

席に着くと、他の二人は携帯を取り出して何やら作業を始める。幹事は店の場所の告知を匿名ダイアリーに、もう一人は後から合流する人にメールで連絡を。そうか、前回はこんな風に書き込まれた記事を見て、俺が飛び入りで参加したんだ。今回も誰かがふと記事を見つけて、ふらっと現れたりすると楽しいんだが。

ガッツリ食うのはもう少し人数揃ってからということにして、幹事のKさんの提案でワインボトルを頼む。俺がワインを飲み慣れてないので、飲みやすそうな白のフルーティーだと書いてある奴を勝手に選んで注文。それにチーズの盛り合わせとかサラダとか。何に乾杯なのかよく分からないまま、何となくグラスを合わせて乾杯

前回のオフ会で交わされた話から予想した通り、Sさんの携帯端末は最新機種に変わっていて、機種変するかどうかをぬるく悩み続けている俺は手馴染みの具合や画面表示の精細さを試させてもらったり。Kさんが「Sさんの頭の中はゲーム携帯と女子のことでできてるんですよ!、しかも1年に1回は端末乗り換えるって聞いて、それは凄いって言うと『いや、1キャリアあたりにすれば2年に1回くらいだから』って、やっぱり変でしょ!」と笑う。この二人、比叡山ガーデンミュージアムのお花畑の中でどんな話してたんだ。

やがて、前回も参加していて合流するはずのDさんから、地下鉄烏丸四条に降り立ったところという連絡がSさんの携帯に入った。土地勘が無いだろうから、とにかく東に向かって歩いて四条大橋を渡る手前でそこら辺の人に聞くように、と指示しようとするがすぐに「電車に乗りました」という返事が。前回の帰り際に、電車賃が無いと言ってその場でカンパを募るという大技を披露した奴としては、むしろその電車賃を惜しむ必要があるのではないか、地下鉄一駅分なのに何というヘタレ、などと話をしたことはあるが未だ名も知らぬ若者を悪し様に言いつつ、カマンベールをつつく。

そうしているとDさんではない初めて見る顔が登場。「増田さんですよね」「はいはい、私たち増田です」幹事に連絡が入っていた新しい人だ。以後Nさんとする。若い。学生さんらしい。えーまた理系。いや、俺理系な人も話も意味分かんなくて好きだからいいんだけど、関西はてな界隈、というか増田界隈は理系率が高いのだろうか。俺も宇宙物理学専攻だし。嘘です。

程なく店員に導かれてDさん登場、と思ったら何だか妙な感じで店員と話している。もしかして我々を認識してない? と思っておーいと手を振るとようやく分かった様子。後から聞くと「すっかり顔を忘れてたのと、増田って言って案内されたテーブルがあまりにもコミュな雰囲気で、こんな人たちが増田な訳がないと思って店員に『この人たちは違います』って言ってました」とか。そんな全力で否定されても。

増田雑談

計5名。幹事が把握している合流予定は以上。匿名ダイアリーにこの店の案内を書き込んでもらって、後2つ空いている席が埋まるのを期待しつつ、パスタなど食事っぽい献立を注文。適当に取り分けながら、前回と同じく自己紹介もお互い名前を呼び合うこともなく、取り留めのない話を続ける。

でもやっぱり前回とは随分違うのだ。Kさんの知り合いのやたらと男にモテて困っている男の人の話とか、Kさんも昔からモテバレンタインデーとか大変だったとか、いやSさんはもっとモテだ、だいたいSさんの「パンツ見えてるぞ、と注意してやった女子からクリスマスは暇ですと言われてそのままゲットしたという話は何度聞いても意味が分からない」という前回からの引き続きネタとか、そして太一郎ラヴ事件とか。

どれも、もう名前も得体も知れない人の話ではない。いや、名前も得体も知れない人なんだけど、顔も声も笑い声もツッコミどころも、ほんの少しだけど知ってる人にまつわる話なのだ。利害関係はない、持ちようがない。だけどもう人間関係はある。共通の話題が成立する程度には。個体認識をしてしまっている以上、匿名ではあっても、所謂増田さんではないよなあ。この中の誰かがほんとに増田さんって名前だったら面白いなあ。俺、酔っぱらってきたなあ。

太一郎に起きたラヴアフェアの黒幕はやはりあなたではないのか、という追求を「ほんとに違うから!」とあくまで否定する幹事のKさん。何という内輪話。太一郎とは誰か、ラヴ事件とは何か、分かっていないとさっぱりついて行けない話だ。俺もラヴ事件についてはその場でSさんの端末から該当するはてな匿名ダイアリーの投稿を見せてもらって、初めて知ったことだ。

そして俺は太一郎とは会ったこともない。なのに「太一郎」と呼び捨てなくらい抽象的な存在匿名の投稿の集積でできた場をネタに語る匿名存在の中の一人が気に入っている匿名存在に付与された、いやどうやら自ら名付けたらしいいじられ用の記号?。なんだそりゃ。酔いがまわって考えはまとまらず、テンションだけは上がってる。俺酒激弱なんすけど。

誰かが唯一の新参であるNさんに「30代が不毛な話ばっかりしててゴメンね」と謝っている。でも、5人中2名は20代前半なんだから、いいんじゃないか。何がいいんだ? 俺が「いいじゃん、楽しいよ不毛な30代は。早くこっちにおいでよ」みたいなことを言って混ぜっ返してたような記憶があるが定かじゃない。へえ、グラスさんて対面で会うと無口なんだ。いおりん言語センスはマジで神懸かってるなあ。今頃ブラック太一郎があの人とあの人の名前を消しながら嗤ってるよ。プリンスCは俺とのケビン・ベーコン数が2か3くらいなんだよ、多分。世界は広くて狭いよね……。

終電車解散編

突然Sさんが「もう帰らないと電車が……」と言い出した。NさんとDさんも時間らしい。え、さっき来たとこじゃないか。そんな時間なのか。はぁ? もう23時!? 早っ!

勘定してもらって、精算して、電車で帰る組の3人とはここでお別れ。その後今日ネタの反芻などをしてから、しばらくして幹事のKさんと俺が店を出ると強烈な雨。タクシーで帰宅。みんなどこへ帰るんだろう。だいたいどの方向、というのは話の中で何となく分かっていても、どこに住んでいるのかは知らない。ゲラゲラ笑って話してた人たちが、良く知らない人たちに戻っていく。チャットで話したりもしてるけど、それとはやっぱり違うよなあ。

さよなら増田さんたち。酔っぱらってたせいもあるかも知れないけど、あんなに時間が早かったのは楽しかったせいだと思うよ。少なくとも、俺はね。また、いつか。

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