はてなキーワード: 和室とは
田舎の実家では、法事となると親戚を集めて宴会が催されていた。
なんせ田舎なので家が無闇に広くて、襖を外して30畳くらいの和室を作ってワイワイやる感じ。
そこではいつも、仕出し弁当屋さんが持ってくるお膳を食べていたのだが、どれもこれも作り置きで冷めていて、固形燃料の土瓶蒸しが辛うじて暖かさを得られた。
冷めた料理の中でも、伊勢海老を半分に切ってグラタンぽく焼いたやつ(料理名がわからないが洋食ではない)がとりわけ食いづらくて悲しかったのを覚えている。
大人になった今なら、酒を飲みながら、大人同士の話をしながらであれば、あのお膳も美味しく食べられるのかな、と思うのだけど、あの場にいた爺さん婆さんたち、みんな亡くなったんだよなあということに気づく。
今は、あれはなんだったのか、を確認できないのが悲しい。
着付けできる人を外部調達して、ホテルは着付けできるスペースのある広い部屋を借りるだけとかできないのかね。
マージン取るのは場所貸し業でもあるホテルでは当然だし、パック以外で頼まれると色々手配がシンドイのも事実だろう。
自分がやったのは、家族だけで神社で挙式&地元の旨い料亭で友人等も交えて披露宴。和室の立派な広間だったし、披露宴用に飾ってもらうのも最小限にした。
母の結婚式の時の打掛を使うことにしたので着物は副装品と夫の一式のみレンタル、
着付けも自力で手配したし、カメラマンは伝手で知り合いのプロカメラマンにお願いした。
御礼20万(両家に渡す引き伸ばしパネル作成、あとはデータ納品)×着付け10万(着付け一式これも知人の伝手)
料亭の人にお願いをしたら着替えや準備用の前室をサービス?してくれた。
両家の家族と友人だけで、ただ旨いものを食べて酒を飲んでもらって、最後に私たちからあいさつをして終了。
50人は居なかったけど出し物とか一切なしなのでマイクも不要。
引き出物の持ち込み料もかからなかった。でもこれは自分たちで選んで運んで…って大変だったから、手数料ぐらい払ってもよかったかと後で思った。
家族・親族だけの引き合わせの会食はそれより前に別日にやった。仕事関係は報告のみ。
このぐらい割り切らないんなら、お仕着せのが色々楽なんじゃないかなぁ。全く根拠のない値付けもしないと思うよ。
自力で手配できれば安いけど、引き出物がうちに届いて、セットして2週間ぐらい家に放置&前日夜に料亭に自力で持ち込んで…とか
そうとう面倒くさかったし。
私の父は数年前、アルツハイマー型認知症を経て肺炎で亡くなった。
父は、昔の人によくありがちな典型的な癇癪持ちのタイプで、気に入らない事があると突然癇癪を起こすのが常だった。
好きなプロ野球チームが、父のお気に召さないプレーなどを示すと「なにやっとんじゃぁっ!!」と晩酌のビール瓶片手にしょっちゅう切れていたし、そのビール瓶を叩き割ってしまって自分で後片付けしていた背中が私の少年時代の記憶に焼きついている。
仕事は、一人親方の看板製作業で、小中学生の頃よく一緒に手伝いに連れて行かれたけど、現場に一緒に入っている他の会社の作業員にブチ切れて怒鳴り散らす事も珍しくない人だった。
私はそんな父が別に嫌いだということはなかった。プラモデル作りや釣り、音楽レコード鑑賞などそこそこ趣味を持っていた人で、私は釣りには興味は示さなかったが、プラモデルは好きでよく一緒に作ったものだ。父は職人肌のところがあり、プラモデルはとても上手だったし、音楽趣味も古い世代に多い演歌だけじゃなくて、ジャズやニューミュージックなどのレコードも豊富にあって、その影響で私の音楽趣味も醸成されたようなところがある。
ただ、夕食時は親父がテレビ見ながらいつ癇癪を起こすかわからないので、私や他の兄弟も大急ぎで食べ終えて子供部屋に逃げる日課。
そんな父に寄り添っていた母も大変だった。そんな風に子供が逃げるように食卓からいなくなってしまう事にまで腹を立てた父は母に怒鳴り散らして、「お願いだからもう少しお父さんと会話して」と母から何度も頼まれたりもした。
だけど、私を含め子供が中高生、大学生と成長するにつれ自分たちのプライベート時間が長くなってくると、自宅が仕事場だったから、家の中には父と母しかいない時間が長くなり、ストレスを溜めた母がアルコール中毒になってしまったこともある。
父は母なしでは生活できない人だった。
夜遅くに帰宅した私に「お母さんの様子がおかしい」と深刻な表情で訴えてきて、すぐに寝室にいた母の様子を見に行くと、泣き腫らして目も顔も真っ赤にした母が布団の上で一升瓶を抱きかかえて横たわり、「もうイヤだ。死にたい!死にたい!」と消え入りそうな声でずーっと呟き、身体を異常なほど震わせていた。
どう考えても、すぐに病院に連れて行かないといけない状態なのに、父にはそれすらも分からなかったのである。
それからしばらくは、私たち兄弟は出来るだけ自宅には早く帰って父母と一緒に過ごすようにしたので、母の状態は回復の方向に向かったけども、当時は精神科を受診する事すらも忌避される時代だったから分からなかったけど、母は多分かなり重度の鬱病のような状態に陥っていたのだと思われる。
その後、子供が社会に出て自立し、一人暮らしを始めたりしてからも親には随分悩まされたけど、父が60を超えるくらいになると糖尿病や高血圧が悪化して廃業する事になった。ちなみに子供は誰も家業を継いでいない。
そして、父は念願だった美術の勉強を始めるなど、廃業して何年かは穏やかな生活が続いた。私も結婚して孫を見せる事も出来た。
だけどそれも長くは続かず、父のアルツハイマーが発覚して、発覚時には医師から「発見が遅れたのであと1~2年でおそらく誰が誰だかも分からなくなる」と告げられ、その日のうちに孫の名前が言えなくなっていたのにみんなが気付いた。
徘徊は酷かった。あれは経験者じゃないと分からないと思うが、ほんとに突然いなくなるのだ。そうとしか言いようがない。例えば五分前に御飯食べてた筈なのに、周りにいた人がほんのちょっとテレビに気取られただけでいなくなっているのだ。そして、辺りを探し回ってすぐに見つかればいいものの、結局一晩見つからないこともしばしばで、しょっちゅう警察のお世話になった。
一度、GPS機器をお試しで身体に装着させようとしたけど、「こんなもんいらん!」と嫌がってしまって無理だった。
ただ、廃業してからずっと癇癪だけはなかった。いつの頃からか、「お母さんには散々迷惑かけたから優しくする事に決めたんだ」としょっちゅう言うようになり、その言葉のとおり癇癪を起こすことは、少なくとも私の知る限りなかったし、一緒にいた母にも聞いた事がない。
そんな父だったのに、亡くなる年に一度だけ癇癪を起こした。
それはお正月二日の日、実家にみんなが集まっていた和室で、おせち料理を囲んで団欒していた時、母が何かを台所まで取りに行こうとして立ち上がったときにふらっとよろけたその時だった。
「こらっ!そこどけ!」
多分、足を悪くしていた母に対する父の気遣いだと思うけど、にしてもしばらく聞いた事のなかった癇癪。
母のちょうど隣にいたのは私の息子だったが、それまで笑っていたその息子の顔が引きつっていた。
それから、二ヵ月半ほどして、肺炎を患った父は病院で亡くなった。
昨年くらいから、母も同様にアルツハイマー型認知症と分かり、今は施設にいるのだが、この前私が訪れた時、母はこう言った。
「お父さんすぐ怒るから一緒にいてあげてね」
嫁→32歳女。専業主婦。見た目地味。
嫁父親→52歳。人望厚いエリート。なのに人に優しくておおらか
その日俺と嫁は、ささいなことで喧嘩してた。喧嘩内容は関係ないから省略。お互い次の日仕事で、寝る前の喧嘩だったから話し合う間もなく寝る流れに。
いつもは俺と嫁で二人で一部屋、嫁父親と嫁母親も二人でひと部屋で寝てるんだけれど、嫁がいっしょに寝たくないから居間で寝るとか言い出す。さすがに居間で寝て風邪引かれると嫌だから、俺が居間で寝ると提案して居間で寝た。
朝起きたら、いつも通り食事は用意されていたんだがなんか微妙な雰囲気。嫁母親と嫁が無言でダイニングに座ってるし、いつもこの時間には起きてる嫁父親もいない。嫁目が真っ赤。
何があったか聞こうにも、あまりにムードが暗い。もしかしたら嫁父親が事故でも起こしたのかとか寝起きの回らない頭で必死に考えて、とにかく話を聞いて嫁の支えになろうって思って、それとなく聞いた。
嫁母親レイプって単語を聞いて号泣。俺呆然。頭がついてかない。
時間感覚めちゃくちゃで、どんくらい時間たったかわからないけど、少しして?嫁父親が居間に入ってきた。
居間に入ると同時に嫁父親土下座。頭砕けるくらいに床にガンガンして泣きながら謝られた。そっちよりも、嫁母親が嫁を抱きしめてすごい顔で嫁父親を睨んでたほうが印象的だった。俺は呆然。思考完全にフリーズ。
いやフリーズしてないか。なんか別世界の出来事というか、ドラマでも今どきこれはないなーとか考えてた。
とりあえずぼーっとしながらも、嫁と嫁母親に和室に移動してもらってから居間で話をしようと居間に戻った。とにかく何があったのか、訳とか聞こうと思って居間に戻ったら、自然と嫁父親殴ってた。もうフルオート。自分が何したかもわかってなくて、殴った後無表情でぼーっとしてたらしい。
で、話を聞いた。
嫁父親と嫁母親はずいぶんセックスレスだったらしい。誘っても母親が拒んだとかなんとか。嫁父親は性欲の発散にずっと風俗通いしてて、その日も嫁と同い年くらいの人に抜いてもらった。で、ここからが本当に意味わからないんだが、泥酔していて風俗嬢が家に泊まりに来たと思いこんで娘を犯したそうだ。
泥酔俺したことないからわからないんだけど、そこまで酒って訳わかんない勘違いとか誘発するもんなの?泥酔してると娘すら顔でわかんないもん?
明らかにとってつけの説明だろこれとか思ってたけど、嫁父親全部本音で話したとのこと。で、土下座で何時間も謝罪されたうえに、嫁にも嫁母親にも土下座祭り。嫁すげー怖がってんの。完全にトラウマになってて、俺抱きしめることしかできない。
で、それだけならさ、離婚して慰謝料ふんだくるか警察に通報とかして3人で生活してくとか出来たんだろうけど、
しかも、元々家族皆にいつも優しくしてくれて、どんなに辛いことがあってもそれを見せずに家族サービス、自分の稼いだお金全額を家族のためだけに使ってくれて、嫁の家事も仕事残業続きの時にも手伝ってくれて、俺の唯一の趣味のランニングも、そのこと話したらトレーニングメニューとかいっしょに調べて考えてくれた。
そんな嫁父を憎んでしまって、でも憎んでる自分は小さい人間じゃないかとものすごい自己嫌悪に襲われる。嫁父優しいからどうしても自分が許せなくて自殺したんだな、とか。でも逃げるのは卑怯だろ生きて償え、とか。たった1回の過ちを許せなかった自分が嫌だ、とか。許した方が良かったのかな。俺のせいで嫁父死んだんじゃないかとか。その場で許した方が良かったんじゃないかとか。
でも、嫁は未だに引きずってる。犯されたことのショック半端じゃないのか、俺や嫁母が体に触るのも怖がるようになった。
嫁のそんな状況見てると、憎むべきなのか迷ってる自分がどうしようもなく嫌だ。
どちらにせよ、俺さ、俺の家庭すげー好きだったんだよ。
もうぐちゃぐちゃで、許すとか許さないとかわけわかんなくなってて、もう戻れないってことが一番苦しい。
これから俺、どう生きればいいんだろう
寝れない
上ほど本格的で、下に行くほど簡単に実現できる
=======================越えられない壁==============================
さっき見た夢の話
彼氏と待ち合わせしてたら彼氏の友達(見たことない人)が迎えに来て、
なんて言うのかしらないけど、学校でやるお楽しみ会でよくある、
折り紙を丸にしたあの飾り付けを作ってる。
なんでそんなことしてんの?と思いながら手伝いだすと、従兄弟がおもむろに、
「○○ちゃん、もう分かってると思うけど、今日彼氏さんにプロポーズされるからね!」
といい笑顔で言いだした。どうやらこの飾り付けはそのためらしい。
うーん嬉しいけどお楽しみ会かーなんて返事しよう…って悩みだす私。
(いい加減早く来いよ。つか、プロポーズされる側に準備手伝わしてるんじゃねーよ)
と段々イライラしてくる。
でも会えない。
電話も出ない。
見たこともない彼氏のお母さんに料理も出来ないのか!と怒られながら
千切りにした生のキャベツ食べだす。
釈然としないながらもまたなんやかんやあって(またもや曖昧)結局元の和室に戻ってくる。
すると、従兄弟が「もー!ずっと待ってたんだよ!結局どうなったの!?」と話しかけてくる。
「いや、彼氏に会えてないし…」と答えると、
「はぁ?なんのために私ここで待ってたの?!もう知らない!帰るね!」と怒られる。
釈然としない思いを抱えてると、冒頭の彼氏の友達と彼氏の母親に、
「アメリカ人が家に帰る日ナンバーワンの母親の誕生日に彼氏を振り回すとか最低」と罵られる。
いや、アメリカ人が家に帰る日ナンバーワンとか知らねーしそもそも母親の誕生日とかも初めて知ったわ!
つか、結局お前(彼氏)出てこねーのかよ!さっさとプロポーズするならしろや!!
と彼氏に対して怒りで目が冴えた。
現在微妙に彼氏に対する私史上最大級に理不尽な怒りが残ってる。
つか、結局お前出てこないのかよ
百万畳ラビリンスっていうヤングキングコミックスからでてる漫画を買った。
上下巻なんだけど上巻呼んですぐに下巻も買った。
主人公たちは目覚めると畳のある部屋の中にいてそこから縦横どこまでも部屋が続いて脱出できない。
というか部屋の構造が迷路のようでふすまを開けると階段があったり畳をはがすと冷蔵庫が出てくる。
無機質な迷路っていうわけではなくふすまや畳のある部屋がごちゃごちゃになった見覚えのある景色が歪んでしまった世界。
外界はあるんだけど辺り一面が森。下に降りると水が張っている。水の中にも畳が敷いてある。
この世界観めちゃくちゃ好きだ。
部屋がどこまでも続いていたら面白いなーとか窓の外がいきなり部屋になってたらなーとか妄想していた俺にドンピシャリ。
しかも畳。全部和室。コンクリートの部屋じゃない。これがすごくいい。
畳っていいよね。地面がぜんぶ畳とか最高だ。
たぶん迷路だから緊張感ある話にできるんだろうけどこの畳の部屋が続くっていう感じがなんとも和む。
主人公の性格とか迷路に出てくる敵が怖くないってのも和みの要素だけど。
ぼんやりとした世界をただただ歩き回るっていうのがくっそいい。
下巻は残念ながら謎解きの答え合わせでもあり畳の部屋をぐるぐる探索っていう感じではない。
この謎解きの部分はやや淡白かなーと思わないでもない。
それこそ上巻では異次元的なものとか神の存在とかそういう抽象的で巨大な存在が関わってるんではないかとか
俺らの世界ってこういう裏世界あるんじゃね?って思わせてくれるワクワクがあったんだけど
まぁまとめるならしょうがないかな、と思う。
うちで飼ってた猫が亡くなった。
夜七時過ぎくらいにうちに帰ると、ドアを開けるなり娘が
「みーちゃんが息をしていない!」と大声で泣き叫んだ。
慌ててその場へ向かうと、押入れの手前下のちょうどそこだけフローリングになってる和室で静かに横たわってた。
体に触れるとまだ温かかったが、確かに息をしていなかった。
触れるとどんな時でも猫らしくぐるぐると嬉しがるのにまったく微動だにしない。
ふと見ると失禁というか、床には尿が大量に流れていた。
ともかくこのまま置いておけないと判断して、マンションのゴミ庫にあるダンボールを取りに行こうと玄関を出ようとするとちょうど買い物に行っていた妻が帰ってきたところだった。
「みーちゃんが亡くなったようだ」
と告げると妻は一瞬で表情を変えた。
ダンボールを取ってふたたび戻ると妻は動物病院に電話していた。
おそらく心停止して10分以上は既に経ってるから動物病院でも無理だろうと思いつつ、ダンボールにタオルを敷いてそこに入れた。
ふと、もう一人いるはずの息子のことが気になり、和室に引きっぱなしになってた布団をめくるとそこでゲームする息子がいた。
動物病院では、先生が酸素吸入しつつ心臓マッサージをしてくれたが、息を吹き返すことはなかった。
状況から、最初は押入れの段の上にいたが、そこから降りようとして失敗して落ちてしまい、頭を打ってしまって打ち所が悪く死んでしまったのではないか、とか先生と話したけど、遺体解剖するわけでもなく原因は分からない。
昨日まで、というか家にいた妻や子供の話では夕方まで、老いたとは言えそれなりにいつもと変わらない様子だったらしいし、腎臓は高齢とともに少し弱っていたが大した病気もしたこともなく、食事だって普通にとってたし排尿排便もまるで問題なしで、体重だって至って普通、予兆は全くなかった。年に一回の三種混合ワクチンも欠かしたことなく、その際にいつも軽く診断もしてもらってたし…。何れにせよ、原因は分からない。
うちにその亡骸を抱えて帰ると娘は依然として泣いていたが、息子がその死を理解できず、亡骸をみるもののすぐにゲームしようとしたので流石に妻が怒った。
でも、ほんとに理解できなかったようで、いずれ目を覚ますとでも思っていたらしかった。不意に息子が「これからどうなるの?」と聞いてきて「明日役所に引き取ってもらって焼かれることになる」と答えた時点で理解したらしく、突然大泣きしだした。
今年で17歳になる筈だった。
妻と結婚する年に、一人暮らししていた俺のマンションに妻が予告もなく生まれて間もない子猫を友達から貰い受けて連れてきた。
だから付き合いとしては多分、家族の中では一番長く付き合ったのが俺だろう。
彼女(※雌である)は子猫時代、恐ろしく元気でやんちゃだった。
俺は引っかき傷が耐えなかった。
あまりにとんでもなくやんちゃだったので俺も彼女をビシバシ叩いた。
そんなもんでやんちゃが止まることはなかったけど、カーテンを上るのだけは止めてくれたのが懐かしい。
思い出は語り尽くせないけど、なんとなく最近、死期は近いだろうなとは思っていた。人間にすれば90歳位だし。
亡くなって、実のところ、自分自身は特に悲しいとか感情は湧いてこないのが不思議。これからじわじわくるのかな。
16年と11ヶ月。ありがとう。俺がそっち行くまでまだ大分あるけど覚えててくれるかな。覚えててくれたらお前が一番気持ちよかったらしい尻尾の付け根をいっぱい叩いてやるからな(笑)
スマホからの投稿だから、見辛い感じになっちゃうかもだけど、勘弁してくれ。
今、ちまたて流行ってairbnbが儲かるって情報を聞いて、すぐに飛びついた。
やる前にすでにホストとして数百万円の利益を月間で出しているという人から色々とアトバイスをもらった。
具体的にはシーズンを考えて値付けした方がいいとか、ゲストの満足度を上げるためにはこうしなさいとかだったかな。
あんまりよく覚えていないけど、まぁ対ゲスト向けの話が多かった気がする。
そんで、東京の中でも外国人の多く来そうだが、比較的まだ競合が少ない地域で物件を借りた。
当時はそのエリアで検索すると6件ぐらいしか競合がいなかった気がする。
(今は60件ぐらいある)
又貸しはダメだよってすごく書いてあったが、どのホストもこのリスクに向き合いながら、やってるのかと思いながら、又貸ししません。の契約書にサインをして借りた。
それからはトレジャーファクトリーみたいなリサイクルショップを回って一通り家具を揃えた。
いよいよ、部屋をairbnbに掲載すると、初日からドンドン問合せがあった。
次の日には早速、予約が入って、そこからはみるみるうちに予約でいっぱいになった。
一気に3ヶ月先まで、ざっくり25日以上は予約で埋まった。
とにかく英語での問合せ返信と電話対応で、全然英語の出来ない俺でも、読み書きはかなり上達したと思う。
1ヶ月が経つ頃には、余裕も出てきて、毎月15万ぐらいの利益が出ていた。
それからは順調に予約も埋まるし、大きなトラブルはないまま4ヶ月が経った。
ゲストとはたまにご飯を食べに行ったり、泊まりに来てくれた時にお土産を持ってきてくれるゲストとかもいて、airbnbのホストを完全に楽しんでた。
んで、先月末。
「住民から外人がやたら出入りしている。どうなってるのかと言われている」と。
焦りながらも、外人が多く泊まりに来ているので、気をつけます。と言っといた。
その時すでに、5月末までほぼ埋まってたし、まぁ5月までやって解約しようなんて考えてた。
んで先週、急に家に内容証明が届いた。。。
「1週間以内に出て行かないと裁判する」と、、、
焦った。
5月末まで予約入ってるし。
とりあえず、全部の予約をキャンセルした。
キャンセルした途端に、泊まるはずたった予約済みのゲストから問合せがバンバンくる。
そりゃそうだ。来週の予約もあるんだから。
英語の出来ない俺なりにsorryを連発して、とにかく泊まれなくなった。別の部屋を予約してくれ。ここは空いてるって代替を提案した。
下手すると30万以上になる可能性もある、、、
んで今日、不動産に部屋を明け渡したが、どうやら原状回復費用は全額こちらが持たないといけないらしい。。。
困った。不動産会社からは恐らく50万ぐらいかかると言われた。
きっと50万近くの赤字になる、、、
ツライ。
年収が低い人がマンションを買ってはいけない、たった1つの理由
http://bylines.news.yahoo.co.jp/fshin2000/20140510-00035184/
コレな、タイトルは煽りだと思うんだけど、視点としては結構クリティカルなんだよね。
要約すると、年収低い奴が買えるマンションってのは、他の年収低い奴も買うだろうから、
オマエも破綻するだろうし、周りも破綻するだろうから、管理費修繕費が集まらなくて
荒廃する確率がバカ高ぇって話な。
まあヨタなんだが、本質の部分はマンション購入時の必須検討項目を端的に示してる。
いきなり言っちまうと、廃墟みたいになってるマンションって結構多い。
公団がジジババばっかりになって若手を入れるのに四苦八苦とか良く聞くよな。
まあ、六畳和室が4つとかって部屋に新婚カップルが入りたがるとは思えねぇな。
そして、どんなマンションも必ず年をとる。
新築で買ったマンションは、20年後には築20年のマンションになる。
たいてい15年後くらいにソコソコの大規模修繕したりするんだが、遅くても20年だな。
んで、管理費が集まらないくらい破綻するマンションってのは論外だが、修繕費が足りなくなるマンションはまあ有る。
たいていは一回目はなんとかなるんだが、その後ジリ貧で防水工事だけとか、そんなんになってくな。
まあ、揉めるのは40年超えで建て替えが見えてきてからだ。
ひび割れがそのまま蛍光灯が切れてる空き部屋が増えてくる、そんぐらいだよ。
マンション頑丈だから崩れたり壊れたりすることはあんまりない。
売る時だな。
自分が破綻したんで手放したいです、価値ダダ下がりでローン相殺できません。
これが困る。
で、だ。
一周回って元に戻るんだが、ハッキリ言って大規模修繕掛かるようなマンションって捨て値だよ。
築20年以降のヤツな。
住民が手塩にかけて丁寧に綺麗に使って35年経ったマンションってのは、単なる築35年のマンションだよ。
こりゃもうどうしようもない。
築いってても価値あるマンションってのは、良い土地に建ってるとか良い建築家の建てたとか、元々資産価値のあるマンションだけ。
丁寧に使われて維持の行き届いたマンションも、崩れかけのマンションも、中古なら捨て値は矛盾じゃねえかって?
まあそうだな。
だから、最初っから他に比べて高ぇマンションは資産価値を落とし難いっていう当たり前の話だ。
で、だ。
それ以外の普通の土地だと、手入れの行き届いた中古マンションってのは、買う側にとっては非常にお買い得だ。
あんま言たかないが、中古マンション買うときに大規模修繕計画みて難色示す奴は居ねぇよ。
つまりだ、売る側にとって見れば、中古マンションを売る時に住民の質が問題になることって、ほとんど無い。
分譲マンション内の賃貸率とか住民の家族構成よりも、水回りと壁紙が綺麗な方が嬉しいって人は多い。
ま、閑話休題。
まずな、35年住むのかそこに。
ガキが生まれる云々は置いといて、そもそも63歳まで住むのかソコに。
35年も住んでりゃ終の棲家にするだろうが、じゃあ40年後68歳の時に、現在価値で2000万ぐらいの立替費用って出せるのか?
そして、「周りの連中は、その立替費用を払うのか?」
いつまで住むつもりで、いくらで売るつもりなんだ。
これが、10年は綺麗な分譲仕様のマンションでイチャイチャ住みたいとかなら止めない。
立地によっては、賃貸よりずいぶん安く住める。もちろんリスクを負ってるからだが。
20年後っていうんだと、まあちっと止めた方が良いかな。
ガキが独立するタイミングで住み替えってのも無くはないが、たぶんカネないだろ。
で、どうせ定年後に立替費用とか払えないだろうから、建て替え反対派に回るつもりで終の棲家にするんだったらそれもまた良し。
どんなに周りが破綻したって、木造一戸建てと違って、コンクリのマンションはちっとやそっとじゃ壊れねぇよ。
マンション結構頑丈。修繕費滞納とか売値への影響軽微。結局立地が全て。
マンション買う時は、死ぬまで住むのか、いついくらで売るのかは、必須検討項目。
年収低いと買うのでいっぱいいっぱいだから、10年以内に売る or 終の棲家(建替反対派)のどっちかのみ。
近所の中古マンションの相場見つつ、10年後の需要を予想するのが良いんでないかな。
まあ、どうせ新築マンションが欲しいとかってのは夢も希望もある新婚家庭だろうし、10年も経ちゃ愛も冷めるから住み替えたらエエがな。
マンションもオマエさんも、歳は取るんだよ。
今朝方見た淫らな夢。
和室の隣で男女がぎっこんばっこんやっていて、それを障子の穴から覗きつつ
俗にいう潜望鏡のような仰向けスタイルで、つりそうになった首をかろうじて持ち上げながら。
そしたら、穴越しに腰を振っていた女と目が合った。その瞬間、金縛りにあって、
局部を掴む右手を離そうと必死になっていたら、障子をすり抜けてきたらしい女が
パフパフを始めて、その髪の毛の耳裏への流し方が妹にそっくりで、思わず頬に手をかけたら目が覚めた。
真っ先に右手を嗅いでしまった。栗の花の臭いでもティッシュ箱の腐った臭いでもない、汗ばんだ強い体臭。強烈だった。
布団を捲ると、パンツ代わりに履いているタイツの股間周りに丸い跡があった。
今年26になるのだから、約十年ぶりに夢精を経験したことになる。
時計を見た。四時を過ぎたあたりだった。
低いささやき声がする。隣からだ。時々騒々しくなることから、学生男子が住んでいることを知っている。
引っ越した当初は隣人運のなさを嘆いたりもしたけど、二年以上過ぎた最近では
友人一人来ない無柳を慰めるオーディオ機器の一つだと、勝手に親近感すら抱いていた。
いつもとは違った響があった。
起きた後にやることは決まっている。
刃物を規制すれば殺傷事件が減るのなら、わたしを規制できたら祖母は死ななかったのだろうか。刃物が人を死に至らしめた時、いかなる法が血を浴びた鉄クズを罰するのだろうか。わたしは祖母を殺した。違う、祖母を殺したのは母だ。わたしはナイフとして産まれ(実際、帝王切開という形で母の子宮を切り裂きながら生まれた)、何年も掛けて研ぎ磨かれ、頃合いを見計らって祖母へと突き立てられた。咽頭ガンだったという。いや違う。殺したのはわたしだ。
二世帯住宅が建てられたのは十五年ほど前だった。足腰を弱くした祖母の世話で週末ごとに車を二時間半飛ばすのはつらい、と母が呻き声を上たからだ。わたしが物心をつける頃にはもう祖母は未亡人生活を満喫していたから、独断で実家を売り払って新居に移り住んだ。恐らく孫のわたしを溺愛していたのも大きな要因だろう。当時、わたしは「おやつやおもちゃをくれて大好きなおばあちゃんといっしょに住める」程度のことしか考えていない。
祖父のことは知らない。葬式の記憶がうっすらと残っているだけだ。妻に働かせて、自分は酒や賭け事で金を使い果たして、家で我が子二人に八つ当たりするろくでもない親父だった、と母がいう。その家の世帯主は祖母だった。新しく出来た競輪場の売り子として、家にもろくに帰れないまま、女だてらにかなり稼いだらしい。あの人の気が強いところは、自分で稼いだってプライドからなのよ。と母がいう。
母は小学校の給食が大好きだったそうだ。級友たちがまずいまずいと顔をしかめて先生に殴られない程度に残すなか(知っての通り、体罰が非難され出すのは元号が変わる辺りからだ)、母だけは他人の分までもらって食べていたそうだ。幸せの基準は相対的なものだとよく言われる。味の基準も、自分を殴ったり風呂を覗いたり身体をまさぐったりする父親が嫌々作った飯よりは相対的においしかったというわけだ。ちなみに、今ではあの給食はまずかったと笑っている。
同居し始めると母が泣いたり祖母と言い争ったりする場面によく出くわした。カップルは結婚前に同棲した方がよい、というのは長らく別居していた親子関係にも言えたのだろうか。長年の恨み辛みが無理に塞いで膿んだ瘡蓋を破って泥のように流れ出たのだと、今はこう客観的なものいいが出来る。だが、当時十一歳ほどのわたしはもっと大雑把に考え、布団の中で怯えた。どちらか一人を選んで、自分の居場所を確保しなければならない、と思った。
打算的なわたしは、今後の人生で長く付き合う方を選んだ。そのとき、母によるわたしの研磨が完了した。
そう決めた次の日から祖母の言うことを無視し続け、嫌いだったヘビの人形を押しやり、目の敵にするそぶりを続けた。作家のヴォネガットがいうには「あなたが演じているものこそが、あなたの本性」らしい。わたしの本性は、高齢者をいたぶるクズ鉄となった。
祖母は二年としないうちにガン病棟へ移り、息を引き取った。あれほどおしゃべりだった人が、入院が決まった頃には自室でひっそりと背中を丸めてうなだれるようになっていた。祖母の自室は二階角の畳部屋だった。南側の窓は目の前の公園の高い樹木で覆われ、東側は隣接したマンションでふさがれ、日当たりがさほど良い空間ではなかった。敷きっぱなしの布団の裏側には黴が生え、母は布団をそそくさと捨てて買い直した。新しい布団はろくに使われず、今ではお客様用として和室に格納されている。
誰かを恨む気持ちはない。そもそも、わたしに生来そうした素質があったのだろう。祖父は他人だからどうとも思えないが、かといって娘を見殺しにした祖母と、子どもを使って復讐した母のどちらがより悪いなどと裁くこともできそうにない。申し訳なさというより、単純に分からない。
陽が傾いてきた。猫背で文章を打ちすぎて、肩が凝った。そろそろやめにしておこう。結論、刃物だけを規制しても意味はないとわたしは思う。