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2014-02-03

鬼子たちと刀鍛冶

 刃物規制すれば殺傷事件が減るのなら、わたしを規制できたら祖母は死ななかったのだろうか。刃物が人を死に至らしめた時、いかなる法が血を浴びた鉄クズを罰するのだろうか。わたしは祖母を殺した。違う、祖母を殺したのは母だ。わたしはナイフとして産まれ(実際、帝王切開という形で母の子宮を切り裂きながら生まれた)、何年も掛けて研ぎ磨かれ、頃合いを見計らって祖母へと突き立てられた。咽頭ガンだったという。いや違う。殺したのはわたしだ。

 二世帯住宅が建てられたのは十五年ほど前だった。足腰を弱くした祖母の世話で週末ごとに車を二時間半飛ばすのはつらい、と母が呻き声を上たからだ。わたしが物心をつける頃にはもう祖母は未亡人生活を満喫していたから、独断実家を売り払って新居に移り住んだ。恐らく孫のわたしを溺愛していたのも大きな要因だろう。当時、わたしは「おやつおもちゃをくれて大好きなおばあちゃんといっしょに住める」程度のことしか考えていない。

 祖父のことは知らない。葬式記憶がうっすらと残っているだけだ。妻に働かせて、自分は酒や賭け事で金を使い果たして、家で我が子二人に八つ当たりするろくでもない親父だった、と母がいう。その家の世帯主は祖母だった。新しく出来た競輪場の売り子として、家にもろくに帰れないまま、女だてらにかなり稼いだらしい。あの人の気が強いところは、自分で稼いだってプライドからなのよ。と母がいう。

 母は小学校給食が大好きだったそうだ。級友たちがまずいまずいと顔をしかめて先生に殴られない程度に残すなか(知っての通り、体罰が非難され出すのは元号が変わる辺りからだ)、母だけは他人の分までもらって食べていたそうだ。幸せの基準は相対的ものだとよく言われる。味の基準も、自分を殴ったり風呂を覗いたり身体をまさぐったりする父親が嫌々作った飯よりは相対的においしかったというわけだ。ちなみに、今ではあの給食はまずかったと笑っている。

 同居し始めると母が泣いたり祖母と言い争ったりする場面によく出くわした。カップル結婚前に同棲した方がよい、というのは長らく別居していた親子関係にも言えたのだろうか。長年の恨み辛みが無理に塞いで膿んだ瘡蓋を破って泥のように流れ出たのだと、今はこう客観的ものいいが出来る。だが、当時十一歳ほどのわたしはもっと大雑把に考え、布団の中で怯えた。どちらか一人を選んで、自分の居場所を確保しなければならない、と思った。

 打算的なわたしは、今後の人生で長く付き合う方を選んだ。そのとき、母によるわたしの研磨が完了した。

 そう決めた次の日から祖母の言うことを無視し続け、嫌いだったヘビの人形を押しやり、目の敵にするそぶりを続けた。作家ヴォネガットがいうには「あなたが演じているものこそが、あなたの本性」らしい。わたしの本性は、高齢者をいたぶるクズ鉄となった。

 祖母は二年としないうちにガン病棟へ移り、息を引き取った。あれほどおしゃべりだった人が、入院が決まった頃には自室でひっそりと背中丸めてうなだれるようになっていた。祖母の自室は二階角の畳部屋だった。南側の窓は目の前の公園の高い樹木で覆われ、東側は隣接したマンションでふさがれ、日当たりがさほど良い空間ではなかった。敷きっぱなしの布団の裏側には黴が生え、母は布団をそそくさと捨てて買い直した。新しい布団はろくに使われず、今ではお客様用として和室に格納されている。

 誰かを恨む気持ちはない。そもそも、わたしに生来そうした素質があったのだろう。祖父は他人だからどうとも思えないが、かといって娘を見殺しにした祖母と、子どもを使って復讐した母のどちらがより悪いなどと裁くこともできそうにない。申し訳なさというより、単純に分からない。

 陽が傾いてきた。猫背で文章を打ちすぎて、肩が凝った。そろそろやめにしておこう。結論、刃物だけを規制しても意味はないとわたしは思う。

2013-11-26

http://anond.hatelabo.jp/20131126030547

和室ワンルームといえば聞こえがいいが、これは、昔都内にも良くあった、めぞん一刻アパートみたいな奴のことではないだろうか。

六畳一間(場合によっては、4畳半)に半畳ほどの台所と、おしいれ、

トイレは共通、お風呂銭湯いってくださいみたいな、内廊下で、入り口部分に全員の靴箱がおいてあるタイプ

夜中にマージャンしてると大家が怒鳴り込んでくるような下宿だ、

そういうのが好きな人もいると思うけど、かなり気がめいる居住環境だと思った。

http://anond.hatelabo.jp/20131125191911

家賃がきついか東京郊外埼玉)の月々2万8千円の和室ワンルームに住んでる。

横だが、和室=貧乏という感覚一般的なのがよくわからない。

フローリングではない部屋というのは、文化的ではない、前時代のものと思われているのだろうか。

自分は生まれてから畳の部屋にしか住んだことがないが、不便を感じることはないし、快適に生活している。

だいたい、金がなくてワンルームならなおのこと、ベッドを置いて部屋を狭くするよりも、布団を毎日上げ下げしたほうがよいだろう。

2013-10-24

http://anond.hatelabo.jp/20131023131933

備忘録として、私がした結婚式を。

私たち夫婦は前提として、以下の2点があった。

1)沢山の人を呼ぶ派手な披露宴や、儀式に興味はない

  キリスト教でないので神に対して誓いたくない、両親への手紙は、わざわざみんなの前で読む必要はなく親に直接言えばいい、

  色直しもキャンドルサービスも金の無駄・・・偏屈同志の二人の意見はぴったりであった。

2)なるべく中間搾取されずに、払った金額ができるだけ招待客にいきわたるようにしたい。=コスパを高くしたい。

予算

まず、開催時期を半年後に決め、開催地を決めた。

次に、結婚式の枠組みを決めるために試算を作成した。

1.大前提として、夫婦として妥協できる持ち出し金額を決めた。結婚式が終わってからが長い二人三脚のはじまり

  したがってお金は極力出したくはなかったが、かといって皆に遠方から来ていただいているのにも関わらずプラスにしたい

  (持ち出しをしない)という観念もなかった。それは失礼だと思った。

  話あって、私たち場合は、持ち出しは40万程度と決めた。

2.必ず呼ばなければいけない親戚をリストアップ、期待されるお祝儀計算した。

3.人数、新郎新婦側のバランスを考えて招待する友人をリストアップし、一人当たり3万円(夫婦場合5万円)のお祝儀勘定

  それとなく周りに声をかけて、参加意思を確認。

この1と2と3の和が、私たちの全ての予算となった。

なお、ケチケチと算盤をたたいて、予算以上の金額を払いたくなかったということではない。

しろ終わった結果がこれより多少ずれていても良いと考えていて、

とりあえず予算の大枠を決めないと、業者と話したときに方針がすぐぶれてしまうことが容易に予想できたからだ。

(尚、精確には2次会の参加徴収費×期待人数も予算に含まれる。)

式場・開催のスタイル選定

ゼクシィネットなどで情報を集めると、一つの現実が浮かび上がった。

結婚式場を使うと、人数が数十人規模でも数百万は必ずかかる” ※スマ婚は不明

これは、結婚式場でも たくさん人を雇っており、豪華な建物や機材の減価償却があり、

毎日目標売上を決まった時間枠内で達成しなければいけないためだと思う。

支払を小さくすべて内容をなんとか質素にするならば、単価が高くなる。

ケーキを持ち込む際、カメラマンを知り合いに頼む場合、自前のドレスを使う場合、、全て持ち込み料を数万円ずつとられる模様。

逆にオプションをつければつけるほど、単価が下がりお得に見えるようにできているが、全体のボリュームは無論膨らむ。

ここのオプションの値段が、半端ない

階段での記念写真に盛大に飛ばすバルーンが5万円

・招待状、メニュー、メッセージカード、席次表、すべて込みで10数万円

キャンドルサービス数万円

ドレスレンタル30万円、着物もお色直しで着るなら40万円

一部金額うろ覚え。とにかく驚いた。

予想と現実乖離が大きく、安くてよい式場があれば・・という、私達の淡い期待は見事に打ち砕かれた。

悩んだ結果、地元田舎の老舗の料亭に決定。

ここは畳部屋でキャパが小さいので、必然と呼ぶ人数は40人までに絞られた。

なぜ料亭にしたかというと、かかるのは料理代と酒代だけで、会場代(≒原価償却代)がいらないからだった。

庭も雅で、貸切のため他グループの喧噪に神経を使うこともないだろうと思ったからだ。

さらに、老舗だけに金屏風と赤絨毯を持っているのでタダで使わせていただけるとのこと。

加えて、入場退場の際に女将さんが唄を歌っていただけるとのこと、、私たちは、ラッキーだった。

数は多くないが、過去にも何度か披露宴はしているとの話。

しかし、会場が小さいせいか ごく稀にしか依頼は来ないらしい。

披露宴の内容がイベントに欠けることは確定したので、せめて招待客には舌鼓を打っていただこうと、

料理予算を一人2万円に決定。酒代別途。親族地元伝来の舞を踊れる方がいたので、依頼。

装い

ドレスはいらないものの、あまりしょぼい恰好も場にふさわしくないだろうということで

新婦和装で、動けて、食事ができて、且つ値段が休めな引き振袖に決定。新郎もあわせて袴に。衣装替えはなし。

地元ブライダル衣装屋を2件回り、相見積をとったが合わせて22万。

田舎ではライバルが少ないため、これ以上下がらない様子だった。柄もいまいちで、種類も少なく、使い古している感じ。

着物がたくさんあって競争が激しいところに行けば、相場もっと安いんじゃないか??

と思いつき、着物メッカであろう京都に照準をあて、ネットオンラインレンタルできるところを探した。

3件ほど目星をつけ、嫁さんに1日かけてもらい実際に赴いてもらった。

目的は試着、値段交渉、条件、手続き確認。

着物制作工房レンタルが一緒になっているところがあり、仕上がったばかりの新品があった。

デザインも気に入った上、値段も安かったので即決。

二人合わせて12万円程度にまで圧縮できた。

さらに、地元着付け美容院も2件巡って相見積をとり、印象がよいところに決定。

新郎希望新婦は文金高島田に。かつらだけで8万円。これはどうしようもなかった。

開催当日

田舎ならではという感じで、酒が入ってから新郎側も新婦側も ひざ歩きで畳の会場を回って、

皆がわらわらと適当にまじりあい、酒を注ぎあい、終始ガハガハやっていた。

人数も多くなかったため、夫婦も一人一人としっかり会話ができた。

新郎は完食した。(それでも新婦時間がなく、大分残したが)

いかつらを外すために、途中で新婦は一度退場。髪だけ整えてまた戻った。

途中、長老がどこから持ち出したかカラオケを歌いだしてやんややんやのハプニング(?)も。

(あれは可笑しかった。)

最後新郎新婦側で盃をかわし、参加御礼のスピーチをし、集合写真を撮ってお開き。

出口でお見送りと引き出物を手渡し。なんと5時間半も同じ部屋でやっていた。

・招待状、メッセージカード、席次表はすべて自作印刷業者に見積もりをとったが、

 数千枚刷らないと、うまみはない。コンビニレーザー印刷高級紙には対応していないので注意が必要

 kinkosなどを利用するのが良いかと思う。

 模様が入っている結婚式用の封筒などは高いので、安い無地のものを買い、

 消しゴムはんこで鶴や亀などを作ってアクセントに。案外いい感じになった。

 返信用はがきは、楽天で嫁さんお気に入り画家のものを購入。

 宛名習字が得意な妹に依頼。お礼としてお小遣いを。

 席次表は、ドタキャンで何回も作り変える可能性があったため、前日に実家プリントアウトして作った。

 切手など含め、総計で2万円くらいだった。

・招待客が40名と少なかったため、全員個別のプレゼントを用意。楽天活用した。

 嫁さんが昔お菓子を作る職に就いていたので、お菓子詰め合わせも入れた。

 年配の親族は何をあげていいかよくわからなかったので、お菓子と共に1~2万円のギフトカタログを送った。

宿泊客の宿代は全額夫婦負担。ここでも2件ほどホテルに交渉。

二次会はバーで、何もなしでただ皆で飲むだけ。途中で適当分散するよう席を移ってもらい、

 あとは参加者たちの化学反応に任せた。参加者負担2000円で残りは夫婦支払。

 フリーオーダで、それでも8万くらいで収まった。

親族カメラマンだったため、撮影をやってもらえた。お礼として3万円包んだ。

・簡単な司会進行は友人に頼んだ。A4一枚にまとめて、何回か打合せをした。

 こちらもお礼を包んだ。

・招待客の帰りのタクシーは事前にタクシー会社に連絡をとり、

 一括で請求してもらって後日支払をした。

着付け、ヘアメイクの方にお礼を包み、控室での食事を出した。

・高齢で膝の悪い方もおられたため、和室用の小さい椅子?を用意した。

決算

1次会40名、2次会15名。

準備期間の移動費など全て含めた支出が150万で収入が151万。

予想外に多く包んでくださった方が若干名いたため、ほぼトントンになったが、

そうでなければ思惑通りに持ち出し35万ほどに収まっていた。

仔細まで管理し、当初の予定どおり できるだけ招待客に分配することができたと思う。

その他、雑感

1)参加者をたくさん呼びたい場合、それはもう選択肢がどんどん狭まっていく。

  究極的には式場しかなくなる。

  私たちとしては 公民館でもイベントスペースでもどこでも ワイワイとみんなでご飯を食べれて、

  夫婦の顔をお披露目できればそれでよかったのだが、やはり色々考えるとそうはいかなかった。

  まず、何かイベントがないと、空気がもたない。日本人パーティー形式になれていない。

  (知らない人としゃべらない) 若者だけならいけるかもしれない。

  台湾なんかは家の前の道路の一部を貸し切ってパーティーするらしいです。

2)私たちのやり方は嫁さんが無職時間があったためにできたと思う。

  共働きだったらそこまで時間を捻出できなかったんじゃないだろうか。

  私は出張で不在がちだったので、手と足を使った準備は殆ど嫁さんが。感謝

3)後日、写真コンビニプリントアウト、L判アルバムにして家族に送った。

  会場となった料亭から無料招待券をいただいたので、その内にお礼がてら訪れて

  こちらにもアルバムを渡す予定だ。これからの営業に使っていただければと思う。

4)試算表を作って、項目を全て羅列したのが 予算管理にとてもよかったように思う。

  項目を炙り出そうとすると、内容もおのずと煮詰められていくので。

5)私たち田舎で丁度良い料亭があったが、都会にはあまりないのではないか

  都会では会場の選択肢が少なくて、結局そういう式場しかないような気がする。

6) 円卓方式じゃなく、和室だったからこそ 行き来しやす雰囲気が容易くこなれて、

  いい方向に運んだんじゃないかなあと思う。日本文化万歳


当初、漠然とこんな結婚式、いいなあ~と思っていたのは、宇宙工学研究者小野雅裕さん。

http://onomasahiro.net/tsurezure/852

当然同じものにはならず、計画に時間はかかったし喧嘩もしたが、

僕たちにとって とても満足のいく結婚式になった。

見知らぬ誰かの参考になれば。

2013-09-25

同居人

月4~5万くらい入れてくれて共同生活してくれる人いたらいいのにな

空けるのは6畳間和室風呂別、L無D有、部屋別振り分け 池袋まで10分程度

30前後女性を探すのが難しすぎる

2013-07-09

和室AVってなんであんなに興奮するんだろう。

そんでもってだいしゅきホールドなんてしようものならもう出すしかない。

2013-06-16

知らなければよかったこと

小学生の頃。

友達の部屋で遊んでいたら、家の奥から突然お経が聞こえてきた。

とても野太い声。どうやら奥には男の人が何人もいるようだった。

私と彼女は同じマンションから、部屋の作りも同じ。

から家の奥にはうちと同じように畳の部屋があるはずなのだけど、

家に行くといつも彼女はその部屋の襖を真っ先に閉めて、

決して私たち友達にそこを見せようとはしなかった。

そんなことは特に不思議にも思っていなかったのだけど、

たまたま彼女のお母さんが和室に入っていったときに見えたのは

選挙ポスターのようなものだった。

センキョなんて大人のすることだし、私が気に留めることは何もなかった。

床にまで響くお経は、止む気配がなかった。

私たちZONEの歌で無邪気にダンスを考えていた最中だったけど、

お経がうるさくって もうそれどころじゃない。

彼女オーディオスイッチを乱暴に切って、

さっきまでの笑顔はどこへやら、追い立てるように私を外へと促した。

 今日はもう帰って。


意味も分からず家へ戻り、母に事の顛末を話す。

ふうん、と聞いていた母は「外で話すんじゃないよ」とだけ言った。

母同士も仲がよかったから、

学校のこととか、事あるごとによく長電話をしていた。

彼女と仲のいい、1こ上の女の子遊んだことがあった。

「あたしたち昨日、まちゃみに会っちゃったんだよねー」と笑顔だ。

どうして1こ上の子と仲良しなんだろう。芸能人に会うなんてうらやましい。

どこでまちゃみに会ったのか聞くと、そう遠くない場所だった。

テレビに映ったんだろうか。置いてけぼりみたいな気分で、つまんなかった。

お察しの通り、

彼女(もちろん1こ上の子も)が「そういうこと」だったのを知ったのは

だいぶ後になってからだった。

彼女のお母さんが母に電話をかけ、時々 母とお茶をしていたのは、

センキョの前と、まちゃみに会える機会のお知らせと、新聞購読のお願いのとき

まきちゃん(私)のお母さんには電話しないで」

そう言って、彼女は泣いていたという。

地鳴りのようなお経が聞こえたあの日の晩も、地団駄踏んで泣いていたらしい。

友達に知られたくなかった、と。


彼女は まだ小2なのに、

私の母に電話する用件とその意味が分かっていた。

私がそれに気付いたのは、中学生になってからだったのに。

その頃になるともう彼女とも話すことはなくなっていたけど、

すっかりギャルの姿になって大声で笑っている彼女とすれ違うたび、

あの頃の姿で彼女が泣いている光景が浮かんでくるのだ。

泣くところなんて見たこともなかったのに。

の子が泣く理由を、知らなければよかったと思う。

2013-05-06

一人で温泉旅行に行ってきたら元気なくなった

GW最後に、唯一の予定である温泉旅行へ。場所熱海。初。

別にどこでもよかった。伊豆とか箱根とか、地名しか知らない俺にはその違いがわからぬ。

経路はちゃんと調べなかった。東海道線っぽいね東京駅スタートでいっか。昼出れば夕方のチェックインに間に合うだろう。カバンに最小限の着替えとiPad、予備バッテリーを詰め込み、出発。

そしてすぐ不測の事態に陥る。東京駅は人でごった返しており、普段利用しないs(ry 要するに迷った。広いし尋ねられそうな駅員いないし案内の地図見当たらないし、あぁGoogleマップJRあっちのほうか。なんとか改札抜けて、列車の中で駅弁食うか〜旅行っぽいしと思いついたところでヒヤリときた。

財布忘れた。

戻る?いやねえよ。なんとかならないのか。冷静になれ。お、iPhoneの背につけたVIEWSuicaカード。お、ジーパンのポケットに800円くらいあるわ。宿代は予約時に払った。これはいける!

そんなこんなで電車に乗る。特に書くことはない。途中から海が見えておおーとなったくらい。目的地近くの駅について、あ、やべ、と思ったけどSuica使えた。ふぅ。旅館へ向かう道のすぐ隣が海だったので砂浜を一人で歩いて無事チェックイン

浴衣に着替えて露天風呂へ。あれはよかった。これだけでも来てよかった。そして夕食。旅館は古め小さめだったからか、落ち着いた感じの30前後の男女がほとんどだった。そうだよね、普通そうだよね。あるべき姿みたいなのを見せつけられ、どんよりする心。

部屋に戻って、布団を敷く。和室。畳。この匂いがよい。ああ、普通はここでお酒を飲むのか。まぁ、いいや。。..!!

でっかいクモ…!!

小学生の手のひらくらいあるだろうか。俺の動作が緊急停止。思わず口ずさむ「ウェーイ…」。押入れの中だったので、とりあえず封印。近くにいた管理の婆さんに報告。渡されるキンチョール。え、俺やんの?と躊躇したら婆さん俺の部屋へ。盛大に部屋にスプレー振りまいてクモと格闘、ティッシュで掴んで帰ってった、、。たぶん、俺には男らしさが足りない。

荒らされた部屋の真ん中に立ち尽くしながら、どんよりする心。

iPhone充電しとくか〜そういえば昨日書いた日記((また一人でバーに行ったら絵に描いたような展開になった))どうなったかな。ふと見えるネガティブコメント。やっぱりだめだった…?見るのこわい。とりあえず今日はやめとこう。またどんよりする心。

さて寝るか、じゃなくてこの旅行はまた別の目的もあって。クソ重いのに持ってきたiPad。こいつでアニメを見る。友人が勧めてきた「ひぐらしのなく頃に」。ご丁寧にも全話詰め込んで本体ごと貸してくれた。

布団に入ってiPadを壁に立てかけ、視聴開始。なんか怖いぞ。。4話になって、ドアに手を挟まれるところでビクッてなった。おいなんだよこれ。。

しかし怖いもの見たさで次へ。なんかあれ、時間戻ったけど?ああ違う世界線なのかな。。..!! 7話なにこれヤバい無理、直視できなかった。はしごのところ。。なんとか8話まで見て、一段落たから、もうやめた。さらにまたどんよりする心。怖いけど寝る。

朝起きてまた露天風呂入って朝ご飯食べてチェックアウト。帰りは初のロマンスカーで帰りました。快適。来る前はここでもアニメを見るつもりだったけど、まぁ、無理だったよね。途中でランチ休憩したときに、なんか、疲れて動けなくなってた。ご飯食べる手が進まないし、なんかちょっと震えてるし、珍しく残してしまった。何しに来たんだろう、俺。。

帰りに例のバーに立ち寄って、マスターのしおりさんが一人いたのでシローさんの分含めおみやげを渡して来ました。二人で話しながらくつろいでいると、また知らない人が来て喋って、ほどほどで帰りました。

なんかもうくたくた。。明日からまた、低空飛行でがんばろう。

2013-01-07

片付けることができない親への絶望

自分はもうズボラな親にもう匙を投げるしかないのかもしれない。

今日がまとまった作業のできる最後年末からだらだらと続けた掃除をしているが、

よくよく考えると、いくら片付けたところで、

脱いだ上衣を決まった場所にかける、本は本棚に入れる、

服は見えない場所(和室なので押入れ収納の引き出し)に入れて部屋の乱雑感をなくすなどという当たり前のことができないのだ。

かい一動作を足すだけの話なのに、その認識の差はいつまで経っても埋まらないだろう。

妙に親は聡明なので断捨離の本などを読ませても意味は無いだろうし、

自分自身としても、風水で! とか、物を減らすと磁場がよくなる! みたいな

アホらしくなるほど愚かな思考は信じかねるので、もうどうしようもない。

2012-12-01

http://anond.hatelabo.jp/20121201164307

快速45分で東京まで行けるうちの市では学生向けで1万4千、エアコンなし、バストイレ別、6畳和室があるよ。

3万あれば8畳洋室バストイレ別バス停近く、2万後半なら和室6畳ユニットバスぐらいであるよ。

学生街なら安いとこいっぱいあるでしょー。

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