はてなキーワード: 入門書とは
「いい年した成人男性が小説読んでるというだけで気持ち悪いのに。」
とか書いてるけど、正直新書を好き好んで読む奴のほうが程度が低い。
確かに新書で面白いな、勉強になるなって思うのもあるけど、大体は「いかかがでしたか?ブログ」レベルで読む価値があるのってホントに一握りだわ。
参考文献もない。データもない。論点が不明瞭。お気持ちで決めつける。こんなのばっかりで「よくこんな内容で出版できるな」と思う。
実際の研究者が書いた入門書みたいな新書はまだ良いよ。生物系の奴は面白いの多いし。でも社会、歴史系はマジでゴミが多い。自己啓発系は論外。資源の無駄。
その点、ちゃんと出版されてる小説は偉い。ネットの個人小説より程度の低いのはまずない。素人が喚き散らした資源のゴミと違って、きちんとプロが書いたんだなって感じる。芸能人が書いたやつとか、ラノベとか携帯小説の派生みたいなのはゴミだけど、基本的に小説は議論を主としないないから資源の無駄ではない。
正直、新書とか自己啓発本読んで許されるのは大学生とか20代だけだよ。若いうちはゴミをゴミと分かるだけでも価値があるから。
でも相応に知識がついてるはずの3,40代にもなって「○○に騙されるな!」とか「○○しろ!」みたいな本読んでると馬鹿なんだと思う。
小説を読んで機微を感じる能力も鍛えようとせずに、ゴミを社会で必要なスキルをだと勘違いするような知性が欠けた奴ってヤバいよ。ラノベとか読みまくってる奴のほうがまだマシ。感性が死んでるだけだから。頭脳にゴミを貯めてが思考が腐ってる奴よりは相当マシ。
コロナ自粛で勉強中。以前買ったHaskell本を読み直している。落ち着いて読めば結構理解できる。
https://gihyo.jp/book/2016/978-4-7741-8390-9
現場の方々に向け,関数プログラミングのエッセンスを厳選解説した入門書。
関数型言語Haskellを用い,基本から,Java 8/C/C++/Python/JavaScript/Rubyをはじめ各種命令型言語との比較,オススメの開発/設計テクニック等を平易に解説。
改訂版ではGlasgow Haskell Compiler 8ならびに新機構のStackage/stackへの全面対応,関数型言語由来の他言語の機能解説章(第8章)の新設(Swift/Go/Rust/C#等の例も紹介)をはじめ実践開発に役立つ解説を増強し,関数型言語でも命令型言語でも活かせる「使える基本」を凝縮しました。
和書が入門書籍以降の中級上級の書籍が出版されなくなって久しい。
工業系数学だと30年以上前の書籍と目次は変わらないし、むしろ計算過程が省略されたりして内容が乏しくなった。
プログラミングも入門ばかりというか、インストールの説明何冊もいらない。
それでいて肝心なことが書いてなかったりする。
Pythonだとmatplotlibでプロットする所まで書いた後、信頼区間をプロットしなかったり、残差確認していなかったり。
先端は論文を読めというのは正しいが、ある段階で整理しないと次の段階にいけない。
書籍でもなくてもネット情報でもいいのだが、ネットでも体系立てることはできていないように見える。
arXiv、intechopenで読めるのはいいが、工学系ならIEEEやISOを沢山お金を払って読めない。
話題のツイートを引用したり、YouTubeで動画を上げて稼ぐとか、エンタメ部分はコンピュータの進化でできることが増えた。
中学高校生の内容はネット探せば勉強できるという意見もあるだろうが、そこから先が続いていない。
恥ずかしながら、一般法と特別法の関係を、今回の検事長定年の騒動で初めて知った。
ぶっちゃけ最初はなんでみんながそんなに騒いでんのかいまいちピンとこなかった。
ブクマにあがってるサイトとか呼んで、法律にも使い方みたいなものがあることが分かった。(この書きぶりから分かると思うけど、今でもちゃんと理解してるとは言いがたい)
先日たまたま法学部出身の同期と会うことになってたから、そいつに聞いたらいろいろ教えてくれた。
・いわゆる六法は憲法(行政法)、民法、刑法、商法(会社法)、民事訴訟法、刑事訴訟法で、基本となるのもこの六法。
・法律は包括的な言葉で書かれているから、解釈の余地があって、これは学者の論文とか裁判によって確立されていく。(法学部は主にこの解釈にどういうものがあるのかをひたすら勉強するところ)
・憲法や行政法は、行政府すなわち国家権力を縛る法律。(だから権力者は憲法を変えたがる)
・民法は大まかに言えば「こういう人にはこういう権利がありますよ」ということが定めらている法律。私的自治という考え方が根本あって、これに依拠して解釈する。他にも、権利外観法理とか信義則とかいう考え方があって、解釈が分かれたりするのはこういう元の考え方の違いによる。
・刑法は「こういうことをすると、こういう刑罰に処しますよ」ということが定められている法律。本来は自由なはずの人間に刑を与えるものだから、法律に書いてないことで人を罰してはいけない(罪刑法定主義という考え方)。だから、刑法の法が民法より体系立っていて厳格。何が犯罪にあたるか、それをその人の責任にしてよいか、というフェーズがある。あと、考え方については、犯罪の行為と結果のどちらを重視するかで大きな派閥争いがあるらしい(?)。
・裁判には民事と刑事しかない。法律には実体法と手続法があって、法律そのものも正義にかなうものでなければならないけど、そのプロセスである裁判も正義にかなうものでなくてはいけないよね、という考えによる。民法と民事訴訟法、刑法と刑事訴訟法。
・民事訴訟法にも私的自治という民法から続く考え方があって、でも同時に裁判を遅らせいないようにするべきとか、あるていどは専門家である裁判官に任せるべきとかの考え方もあって、その兼ね合いになる。刑事訴訟法は警察の捜査のフェーズと、裁判のフェーズがあって、捜査は結局どこまで国家権力が強制的に国民の権利を制限できるかという問題になる。裁判は証拠のこととか、身柄をいつまで拘束してよいか、とか。
・その他いろいろ。
なんとなく知っているつもりだったものにもちゃんと理屈がついてたりしておもしろかった。
こういう法律の考え方とか概要ってみんなどこで知るんだろうか。
ここ5年ほど、自分(30代半ば)の病気療養&休職や親(70代前半)の介護などで、社会保険を頼りまくってる。
こんな僅かな自己負担で、ここまで手厚い公的扶助が得られるのかと感激した。
反面、将来の国としての社会保険費の負担増が心配になり、また民間保険のぼったくりぶり(高額医療費支給制度で保険はほとんど不要だった)には呆れたが。もちろん病気や怪我の種類によっては、民間保険の方が手厚いのかもしれないが…。
どんな社会保険制度があるか教えてくれないって言ってる人も居ると思うけど、役所や病院で相談すれば丁寧に教えてくれるよ。その時間が無ければ、ネットで検索したり、Amazonで入門書買えば良いじゃん。
機械学習や深層学習がもてはやされて結構立つが第三次AIブームは今のところ下火になる様子はない。
機械学習をプログラミングしようとしたり学ぼうとするとほぼPython一択しかない。numpyとかの数値計算ライブラリが整ってた背景から機械学習系のフレームワークの多くはPythonである。入門書や学習書も当然Python。
それより前、なのかは知らないがPythonは「プログラミング入門者に最適」というブランディングも定着している。
私はPythonが好きになれない。嫌いとまで言うと言い過ぎだが、好んでつかいたいとは思わない。インデントベースでシンタックスを記述しなければいけないというのがもうまず第一にそして最も合わない。
まあ細かい理由についてはどうでもいいんだが。( zen of python )はわりと好きだ。
話が逸れたが、なんであんな堅苦しい貧弱な言語でやらないといけないのかと思うと機械学習に食指が動かない。それで仕事で困るということもないのではあるが。はやっているので勉強してみようかな、という私のミーハー心をいつも瞬時に打ち砕く。
ここ5年ほど、自分(30代半ば)の病気療養&休職や親(70代前半)の介護などで、社会保険を頼りまくってる。
こんな僅かな自己負担で、ここまで手厚い公的扶助が得られるのかと感激した。
反面、将来の国としての社会保険費の負担増が心配になり、また民間保険のぼったくりぶり(高額医療費支給制度で保険はほとんど不要だった)には呆れたが。もちろん病気や怪我の種類によっては、民間保険の方が手厚いのかもしれないが…。
どんな社会保険制度があるか教えてくれないって言ってる人も居ると思うけど、役所や病院で相談すれば丁寧に教えてくれるよ。その時間が無ければ、ネットで検索したり、Amazonで入門書買えば良いじゃん。
やってみたいとかマスターしたいと思うことは多々あるが、だいたいお道具とか入門書をそろえた時点で終わってしまう。公私ともにそんなに忙しいわけではなく、ほぼ毎日定時で家に帰っているのになぜそうなるのか謎だ。
最新バージョンの本は高いので、ブックオフで入門書を手に入れた。写真を撮るので特にフォトショップはできるに越したことはないのだが、ほとんどカメラのおまけソフトで済ませてしまう。
webについてもHTMLとCSSの基本を書いた本を持っているが、既存のSNSやブログサービスの機能で済んでしまうことが多く、わざわざお金払って勉強するのもなぁ…と思ってしまって現在に至る。
取っつきやすそうだったので本を2冊と12色入りの色鉛筆を買ってスタート。何ページかは塗ってみて達成感を味わったけど、「もっと色のバリエーションが欲しい」と36色の色鉛筆を買ったところでストップしている。どうせなら36色の色鉛筆を買う前に飽きる方がましだったと思う。
○着付け
正月に絣の着物を着せてもらい、「どうせなら自分で着られるようになりたい」とリサイクル着物の店で初心者向きの帯と着物を購入。DVD付きの着付け入門書も入手済みなので、私が動画と本を見ながら練習する努力家であればとっくのとうにマスターできているはず。救いはあまり高い着物を買わずにリサイクルで済ませたことだ。それでも総投資額は五万円ぐらいかかっているはず。
そもそも洋服でもあまりお洒落にうるさい方ではなく、何年も前に買った服を着続けるような女に着物のハードルは高かった。
○折り紙
これは今のところ続いているといっていいかも。元々子どものときから折り紙が大好きで、社会人になってからは金にものを言わせていろいろな紙を買い集めていたが、新聞で紹介されていた透き通った折り紙に心惹かれた。星や花のような平べったいものを数枚の折り紙を折って貼り合わせて作る。
窓などに貼ると光を通してきれいなんだけど、我が家は散らかっているし、職場の窓に勝手に折り紙を貼るわけにいかない。折り紙に付いてきた小冊子に載っていたものを何種類か折ってはみたけど、これを発展させるにはどうしたらいいかという状態。
趣味でも何でも、時間に余裕があればできるのでなく、根性のある人だけが上に登っていくことができるのだなと実感する今日この頃。どれか一つでもいいから全うしたい。
ほかあればどうぞ
anond:20191011152715 の続き。
その授業は全くといっていいほど、眠くならなかった。
先生は結局、自分の好きな作品語りで講義時間を使い果たしてしまった。ただ好きな著者や作品を語るだけの、講義と言えるかよくわからない時間だったが、俺は数式を写すよりも楽しくその内容をメモしていた。一番のお気に入りは三島由紀夫の「金閣寺」らしい。著者の切腹のエピソードなども挙げ、その不思議な人間性の話を、重く、楽しそうに語っていた。
終了時刻に近くなると、急に我に返ったようになり、先生はプリントをこちらに配った。一枚目はアンケート用紙で、二枚目は文学入門書の序章の写しのようだった。先生はアンケート用紙について「それ提出したら、帰っていいよ」と呟き、また入門書の写しは次回までに読んでくるように、と指示した。しかしこの入門書が、なんというか、堅苦しくて読みづらそうでげんなりした。その文章の塊を横目に、俺はアンケート用紙に手を伸ばした。
「文学とは何ですか?」初っ端からのこの質問に、俺は手も足も出なかった。
え、文学ってなんなの?
俺は文学という科目を履修登録したくせに、文学については何も知らなかった。「文学」と称されるもので自発的に読んだものといえば宮沢賢治の「注文の多い料理店」とか、三島由紀夫の「美しい星」とかだ。読んだは読んだ。でもだからといって文学が何かなんて、よくわからない。傑作とされた小説が、文学なのか?それともたくさん売れた、読まれた小説が文学なのか?普段本を読まない人間には、よくわからない。
そう思いながら俺は尤もそうな、うわべだけの説明を書き入れた。
他にも「好きな文学はなんですか?」「好きな言葉は?」「ノーベル賞を渡したい人は?」などと質問があり、モヤモヤする答えをひねり出しては、消しては書いてを繰り返した。最後の質問に関してはいくらか浮かんだが、著名人なのに漢字で書けないのは嫌という変なプライドが頭を持ち上げて、結局漢字が分かる三島由紀夫にした。先生みたいに強い思い入れもないのに、いいのか?なんて考えていると、終了時刻になってしまったので、結局そのモヤモヤを残したまま、アンケート用紙を提出した。
近年,人格障害者の関係していると思われる事例をネットで見かけることが多くなってきた.例えば
また一見すると分かりにくいが以下の比較的有名なプロジェクトにも人格障害者の関わっている痕跡を読み取ることができる
gentoo linuxの昔のドキュメント(もう残っていないらしくリンクを見つけることはできなかった)には,gentoo linuxの前身となったFreeBSDがベースになっているプロジェクトが,人格に問題のある人が開発に関わった結果,頓挫した話が記載されていた.
このドキュメントは人格障害という言葉が一般に知られるようになる前に書かれていたため,人格障害について明確に記述されてはいないが,どう見ても人格障害者の関わった事例であった.おそらく人格障害について広く知られるようになってから削除されたのではないかと想像する.
ここで人格障害について知らない人のために解説をしよう.人格障害という言葉が広く一般に知られるになったのは,この本が原因ではないかと思う
Stop Walking on Eggshells) Paul T. Mason , Randi
Kreger (2006)]
この本(以下ではSWEと呼ぶ)は医者ではなく人格障害者と日常生活で関わってしまって苦労した著者が,なんとか苦痛に満ちた生活の原因を探すため調べた情報がわかりやすく記述されており,専門知識がなくても豊富な役立つ情報を学ぶことができる名著である.この本が出版される以前に,小さな町の本屋で人格障害に関する本が目立つ場所に平済みされていた記憶はないため,おそらくこの本がブレークスルーであったと自分は想像する.SWEは人格障害について知らない人が最初に学ぶ入門書としてもとても良い本なので,多くの人にぜひ一度読んでみて欲しい本である.
SWEでは(境界性)人格障害(BPD: Borderline Personality Disorder)の様々な定義が紹介されているが,ここでは以下の定義を紹介する.
Borderline Personality Disorder)と呼ぶ
自分の手足は動かしすぎると疲労するが,他人の疲労を自分は感じないので,疲労なく無限に動かし続けられる自分の手足=他人 となっているので周辺の人間はとても苦痛を感じることとなる.近年話題になる長時間労働問題の原因はこれではないかと自分は考えている.BPDの本人は日常生活に何の苦痛も感じないが,周辺で「手足」となっている人はとても苦痛を感じることとなる.この周辺の人はnon-BPDと呼ばれる.SWEの特に重要な点はnon-BPDという言葉を一般人にわかりやすく解説し紹介した点にあると思う.
non-BPDはBPDについて調べる重要な検索キーワードにもなっている.BPD本人は何の苦痛も感じないためネット上に書き込みをするのはnon-BPDの人達である.
non-BPDで検索するともっと具体的で生々しい事例をいくつも見つけることができる.
BPDよりもよく知られた人格障害でサイコパスというものがあるが,ネット上のサイコパスという単語は本来の意味からかなり外れたある種のバズワードとなっており,サイコパスという単語でネットを検索しても実生活で役立つ情報を見つけることは難しい.
以下のBPDの定義を思いだしてみよう
疲労なく無限に動かすことができる便利な道具として最も良く知られたものはコンピュータ(ロボット)だろう.つまり他人をコンピュータと認識しているのがBPDであると言っても良い.これが多くの長時間労働問題の原因と考えられる.ここで以下の面白い話題を紹介しよう.
人間=獣と違う論理的なもの から 人間=コンピュータと違う感情的なもの
への変化は,Windows95が発売された1995年から2010年ぐらいまでに少しずつ起きたように思う.これは,この(長い)時期に放送されていたSF映画であるスタートレックやスターゲイトを見るとわかる.
これについては後で詳しく解説する.とにかくコンピュータは人間の認知にとても大きな変化をもたらした. https://trends.google.com/trends/explore?date=all&geo=US&q=BPD:title=google
trandでBPDを検索してみると] 2004年から2012の間に倍になっている.上昇は緩やかな単調増加で減ることはほぼない.これは他人からコンピュータとして扱われる人が毎年増えてきていることを示している.
BPDの本人がBPDについて検索することはない.本人は自分は普通の常識人と認識しているからである(SWEなどの人格障害について解説する本では,人格障害者の多くは自分を普通の人と認識していることが述べられている).
SWEではBPDの原因の1つとして幼児期の過剰な甘やかしを挙げている.幼児が泣いて両親がすぐに何かしてしまうと,泣けば自動的に世話してくれる自分の手足の延長として他人を認識してしまう,というものである.
この状態のまま大人になると他人は自分の世話をするのが普通という認識が固定される.大人の場合は泣いたりできないので,かわりに嘘や脅しで他人を(手足として)操作するようになる.嘘つきというのは人格障害の肝となっている.
人格障害者の見分け方として嘘を誤魔化すためにさらに嘘をつくのは人格障害である,とSWEなどの人格障害について解説する多くの本では述べている.ちょっとした嘘なら誰でもつくが,さらに嘘を重ねるのが人格障害の特徴である.
本人は当然と思っている「他人が自分の世話をする」状況を維持するために「普通のこと」=嘘や脅しを日常的に行うため,周辺の人間は苦痛を感じることとなる.本人にとっては当然の普通のことをしているだけなので普通に日常的に嘘や脅しをするのである.
この時,コンピュータ(ロボット)という本当に自分の手足の延長になってしまう道具という概念が存在していると,さらに悪い状況が生まれると私は考える.エクセルの関数機能やプログラミング言語について少しでも知識があるならば最悪である.
仮にwindows95がなかった(誰でもコンピュータが安く買える)1995年より昔はnon-BPD(コンピュータとして扱われる人)は少なかったとして,しかし,そのはるか昔から存在していた人格障害としてサイコパス(BPDと行動はよく似ているが内的心理状態は違うらしい)がある.サイコパスについて解説している(おそらく一番読まれている)本である
https://www.amazon.co.jp/dp/4794219296:title=- 良心をもたない人たち , Martha Staut
(2012)]
には,エスキモーにはサイコパスを殺してしまう慣習(クンランゲタ)があったことが述べられている.現代に置き換えるなら長時間労働で殺されるぐらいなら殺してしまおうという感じだろうか.そのため昔は,人格障害者は(殺されてしまうので)少なかったと解説されている.しかし現代ではnon-BPD(コンピュータとして扱われる人)は増えている.
BPDやサイコパスなどの人格障害について解説する本のほぼ全てでは,人格障害者からは「逃げろ」というアドバイスをしている.不運にもなんらかの人格障害者が隣に引っ越してきたら,自分も引っ越して逃げるしかないし,
職場にいた場合は辞めるしかない.ただしサイコパスの事例では辞めた後も嘘の責任追及などで追い込まれる事例も紹介されているので,安心はできない.先に紹介したgentoo linuxの事例では,FreeBSDベースのプロジェクトをうまくデコイとして使うことでなんとか逃げ切ったようだ(うまく逃げ切ったから今のgentoo linuxがある). 自分が想像するにgentoo linuxもFreeBSDと同じ「再攻撃」を受けたはずであるが,うまく乗り切っているようだ.non-BPDの多くの人達は「人格障害者と一度かかわるとある種の直感が鋭くなる」と言っている.直感で事前に危険を察知して予防できるようになるそうだ.最初に述べたlibavやsystemdに人格障害の関わりがあるという根拠も実は私の直感であってうまく説明できない.ただ,オープンソースと人格障害の両方の知識があるならば,みんな同じ判断を下すだろうと思う.SWEも「良心をもたない人たち 」でも直感の重要性について述べている.
BPDやサイコパスなどの人格障害について一般向けに解説する本の多くは事例の紹介が中心になっている.人格障害者本人が普通と思っている状況を維持するためにつく嘘や様々な行動は,工夫が凝らされており完全犯罪に近い.
普通は思いつかない工夫に満ちた方法が使われるため単純に類型化できないのもあり,個別の事例を紹介するしかないからだと思われる.とはいえgoogle trandの傾向からわかるように,BPDについて知っている人は増加傾向にある.
人格障害とみなされない(見破られない)ためにさらに巧妙な手段が近年は必要となってきている.ここでも人格障害を見破るために重要となるのは直感である.ここで直感というのは具体的には「良心をもたない人たち
」では「何かが変」と感じたら騙されている可能性が高いと言っている.
ただ直感でかたずけられてしまっては.なかなか気が付けない人も多いと思うため,ここでは近年巧妙になった人格障害者の手口について自分の気が付いた範囲で述べていこうと思う.
(と思ったけど気力切れ)
先に紹介した有名なオープンソースプロジェクトについて解説しよう
(と思ったけど気力切れ)