はてなキーワード: 中毒とは
敬意がインフレしているようでありながら、池田秀一の声で「ここで撃墜させていただく!」とか言うと敬意もクソもなくなる
考えてみれば、ジェリドの「汚名挽回」もそうであるが、皮肉なことにジェリドの場合は正しい用法であるのが困る
∀の「あれはどこのモビルスーツぅ?!」もモブの台詞でありながら、声優のアクセントも相まって癖になる台詞である
私も「あれはどこの名産物ぅ?!」とかつい使いたくなってしまう、そんな中毒性が富野節にはあるのである
今日まで公開されているZでも聴きながら作業していて、つい爆笑してしまったオネエ言葉があった気がするのだが思い出せない
MSデッキでカミーユがクワトロに言った台詞だったと思うのだが…
「モビルスーツ全機発進させぃ!」みたいなのも変な言い回しな気がする
もしくは、自衛隊などの「撃ちーかたーはじめー!」のような戦場では敢えて変なアクセントにするとかちゃんと研究したのか?
と思うのは無粋なのである
私がセンター試験で国語は半分、数学は満点になったのもガンダムの影響ではないのか?
しかも、ブライトは部下が「無理です、間に合いません」とか言ってるのに「言い訳するな!やれ!」みたいに恫喝までしてた覚えがある
さっさと死ぬ
・煉炭及び七輪を購入する
・目張りの技術を身につける
・気合を出す
マジで、「心からやりたいこと」考えるとこうなる こうしかならない
死ぬことすらできないまま老いたり病気になったり事故に遭ったりして死ぬらしいです、俺
なに?この人生……
「3000億円(非課税)を与えられる」
「一切の苦しみなく即死する(死後なども確実に存在せず、自我が完全に消滅する)」
のどっちかを選べって言われたら、わりと後者だと思う
働きたくねえのもあるが、それだけじゃないんだよな
八王子市歯科医師フッ化水素酸誤塗布事故(はちおうじししかいしフッかすいそさんごとふじこ)とは、1982年(昭和57年)に東京都八王子市で発生した医療事故である。歯科治療用のフッ化ナトリウム(NaF)と間違えて、歯科技工用かつ毒物のフッ化水素酸(HF)を歯に塗布された女児が死亡した。
1982年(昭和57年)3月19日、八王子市内にある歯科医院の院長である歯科医師X(当時69歳)は、虫歯予防薬が少なくなったため、助手である妻Y(当時59歳)に注文するように依頼した[1]。Yは、虫歯予防用のフッ化ナトリウムのつもりで「フッ素」と市内の歯科材料会社に注文したが、注文を受けた社員は歯科技工に用いるフッ化水素酸と解釈してその日に同院へ配達した[1][2]。その際、毒物及び劇物取締法に基づいて受領書への押印を求められたが(フッ化ナトリウムであれば不要の手続きである)、Yはその違いに気付かず印鑑を押して瓶を受け取り、その瓶を診療室の薬棚に入れた[1][2]。Xも、従来使用していたものとは瓶の大きさやラベルが違うことに気付いたが(容器の外側には「フッ化水素酸」等と表示されていた)、前年の暮に取引を始めた新しい業者から納入されたもののため、違うメーカーのフッ化ナトリウムが届けられたと判断し、使用しやすいように従来使用していたフッ化ナトリウムの瓶に移し替えた[3][4]。
4月20日午後3時40分頃、市内に住む女児(当時3歳)とその母親(当時33歳)が、虫歯予防のためのフッ化ナトリウムを塗布してもらうために、同院に訪れた[5][6]。Xは、「八王子ではフッ素の塗布が義務付けられている」といい、フッ化ナトリウムと勘違いしたフッ化水素酸を脱脂綿にしみこませ女児の歯に塗布した[5][6]。その直後、女児は口から白煙のようなものと臙脂色の唾液を出し、「からい」と訴えて仰け反った(フッ化ナトリウムは本来無味無臭である)[5][6]。Xの指示で、女児の母親と同院の助手の女性が女児の体を押さえつけ、再び液体を塗布したが、女児は悲鳴を上げて暴れだし、診察台から転がり落ちた[6]。腹痛を訴え床を転げ回る女児を母親が抱き上げると、口の周りが真っ赤にただれていた[6]。Xは、初めての反応に対して特殊体質によるものだと判断し、強心剤を注射した上で119番通報した[6]。女児は救急車で近所の病院に搬送されたものの、症状が重篤であるため東京医科大学八王子医療センターに転送されたが、同日午後6時過ぎに死亡した[6]。
Xが女児に付き添い医療センターに向かっている間にYは違和感を持ち、女児の歯に塗布した薬品を自分の歯につけたところ、強い刺激を感じ歯茎が荒れたため、うがいをして吐き出し、薬を間違えたと判断して、Xに無断で容器などを洗い自宅の焼却炉で焼却処分した[1]。同日に、八王子警察署が業務上過失致死の疑いで家宅捜索に入り、診療室内の薬品や焼却炉内の灰を押収した[1][7]。
4月21日、司法解剖により口の周りの皮膚がただれているなどの急性毒物中毒と考えられる特徴が確認された[6]。同日午後9時頃、女児の通夜の席で遺族から詰め寄られたXは、高血圧性脳症を起こし倒れた[4][5]。
4月23日、警視庁科学捜査研究所が治療時の容器などを分析した結果、フッ化水素酸が検出された[1][7]。
9月28日、東京地方検察庁八王子支部はXを業務上過失致死で起訴した[8]。
1983年(昭和58年)2月8日、Xが治療ミスを全面的に認め、3850万円の慰謝料を支払うことで遺族との示談が成立した[9]。
2月24日、Xは東京地方裁判所八王子支部で業務上過失致死罪により、禁錮1年6ヶ月、執行猶予4年の有罪判決を受け、この第一審判決が確定した[10][11][12]。
オタクやめたい。推しのこと嫌いになりたい。好きをやめたい。疲れる。追いかけたくない。忘れたい。
二次オタです。不祥事は起こさないし、スキャンダルもないし、死なない。ビジュも中身もエピソードも全て最高の推しです。信頼できる。
オタクとして目覚めて1番長い期間推してて、青春はこの推しに捧げた。思い出もたくさんあるし、これ以上の最高の人がいる訳ない。この推し以上の熱と愛を他の誰かに向けられる気がしない。
しかし、コンテンツが次々拡大していって、自分も年をとるにつれて、もう金銭的にも時間的にも追いかけられなくなりつつある。推しを追いかけていると人間として終わりそう。身体的にも金銭的にも精神的にも疲れる。
つまり推しではなく自分の問題でオタ活できない状態。最悪!自分の生活と推しの二択を選びきれないゴミ人間…
心としては!推しを追いかけたい……。推しを追いかけていないと心が枯れる。虚無になる。推しがくれる快楽を知って、それに依存してしまっている。中毒。
自分に無理のない距離感で推しを追いかけるとなると、なんか嫌なんだよ!中途半端というか!物足りなさが。これはわがまますぎ。
それであれこれ考えていると、なんかもうダメになる。他のオタクと自分を比べてしまったり、本当に自分は推しが好きなのか分からなくなったり、イベントに行けない事実に夜な夜な大号泣したり、推しのグッズ突然全部燃えるゴミに出したり、推しのあれこれ読んで大はしゃぎしたり、他のオタクのアカウント覗いて鬱になったり、なんなの〜〜〜〜〜?!?!?!もう!!!!!!!!!!
それまでは毎日抜いていた
その繰り返しだった
ちょっとエッチなシーンではムラっとくることもあったが先を見ているとその気持ちもすぐに収まる
そして金曜日になった
でも金曜日だ
久しぶりだし気持ちいいことを期待して
※ちょっとだけフェイクを入れてます。衝動的に書いたのでおかしいところもあるかもしれませんが、ご了承ください。
何とも情けないが、これから生きていける自信がない。私は社会不適合者だ。約束の時間には遅れるし、何かすべきことがあってもよく忘れる。そのせいでよく怒られたが、どう頑張っても直せなかった。
ADHDの特性だ。そして私の父もおそらくADHDだ。自身がADHDであることを父に言ったこともあった。すると父はこう言った、「そんなことを言い訳にするな!誰もそんな言い訳を相手にする訳ないだろ!この馬鹿が!」と。それもかなり厳しく叱られた。でもそんなことを言って欲しくて打ち明けたわけではない。そもそも、こちらから打ち明けようと思ったわけではなく、担任経由で父へと伝わっただけの話である。内密な話を勝手に打ち明けた担任も担任だが、父も父だと思う。父は他人のことになると無理解だった。
我が家の家庭環境はかなり難があったと思う。おそらく両親は二人とも認めないだろう。父は特に。
父は家庭にあまり関わらなかったことを良しとしてか、家庭問題に関して自身には微塵も責任がないと思っている。そして母に全てを丸投げして逃げたのにも関わらず、逃げたことを認めることはしなかった。
自分の落ち度を認めたくないのは誰だってそうだ。自分だってそれは嫌だ。でもいい加減認めてくれないと始まらないと思う。
これを見た人はどう思うだろうか。私のことを言い訳がましいやつだと思っているだろうか。変なヤツが自身の落ち度を家庭環境のせいにして責任逃れしているだけと思うだろうか。たしかに今までの人生は自分の落ち度だ。自分に返ってきているのが何よりの証拠だ。言い訳しても何も変わらない。そして何もかもが手遅れでどうしようもないことを自分自身、誰よりも知っている。
どうしようもない。私の精神はもう壊れてしまった。全てに対して。
ADHDだとカミングアウトされたらまたキレられるのだろうかと不安で、担任に打ち明けて以降は自身のADHDを誰にも話したことはない。そして誰かに意を決してそのことを打ち明けたとしてもきっとこう言われるのだ、「お前の努力が足りないからだ」と。「お前が努力して時間を守れるように、やるべきことをこなそうとする意思を見せないからダメなんだ」と。少し鬱気味だからそう思ってるだけかもしれない。
ADHDというのは脳の障害の一種だ。まとめると、「衝動的な行動」「集中力の欠如」の2つの特徴を併せ持つ障害である。ドラえもんにおけるジャイアンとのび太がその例だ。先天的な要素と後天的な要素のいずれも絡んでいるらしいが、あまり解明されていない。
ADHDは脳の機能に欠損があるだけであって、数学が苦手とか国語が苦手とかそんなのと変わらないものだと思っているが、身体的な障害と違って外からは気づかれにくいためよく誤解される。
「五体満足のくせに障害?舐めたことを…」と思われることも少なくない。打ち明けただけでも忌避され、疎まれ、蔑まされる。
「誰でもできていることができないことなんてあるものか。お前の努力が足りないだけだ。できなければ人の10倍努力しろ」みたいな根性論は、当人にとっては無い腕で箸を掴めと言われているようなもので気分的にもあまりよろしくない。この例えはちょっとマズかったかもしれない。気を悪くさせてしまった方がいたら本当に申し訳ない。
母から認めてほしかったなあと今でも思う。朝起きて、母が何も作ってくれないからと自分で朝ごはん作って6時過ぎには家を出て、朝練に行って練習して、それから学校の授業を受け、部活でクタクタになりながら片道1時間の道のりを自転車で帰り、家に着くのは夜の8時ごろ。それから自身の夕飯を作り、眠たい目を擦りながら勉強して。
それでも何も褒められず、むしろ他の家の子と比べられてはよく貶されていた。
「○○君は、○○ちゃんは頭がいいのに。部活で活躍しているのにあんたは何一つも取り柄がないね」と。
父は「その経験も大人になれば必要なスキルだ」と偉そうに言うだけで、無関心だった。
学校の宿題を終わらせても、自分の時間などなかった。宿題を終わらせて自室で本を読んでいると、たちまち母が怒鳴り込んできて「宿題は?まだ終わってないでしょ!」と決めつけて本を取り上げられ、ある時は捨てられることもあった。宿題が終わっていることを見せても、「それなら予習をやりなさい」とひたすら勉強を強要された。
この人は私の努力を認めてはくれないんだと思った。ただ認めてほしかった。こんなに頑張ったんだよと証明したかった。
虐待もあった。兄は毎日のように、母から布団叩きで何回も叩かれていた。毎朝のようにその光景を見ていたが、それを止めれば自分も叩かれる。庇うと自分まで損害を受けるのだ。理不尽極まりなかった。
「お兄ちゃんは社交的なのにあんたは社交性のかけらもないね」「空気が読めないよね」と兄弟間で何かと比較された。兄も同様に「△△(私のこと)は頭がいいのにあんたは馬鹿だよね」と言われていた。おかげで兄弟仲もかなり冷えた。兄の失態を擦りつけられることもあった。
しばしば外で立たされることもあった。母は何かひとつでも気に入らないことがあると、真冬だろうが子供を外に放り出した。そして私たちは訳がわからないまま外に追い出された。
思い返せば「連帯責任」というのがあった。兄の連帯責任で私も巻き添えを喰らって外に放り出された。
少なくとも自分は親から言われたことは渋々ながらも大体はやっていた、と自負しているが、「言うことを聞かない」からと外に出されたこともあった。
母に対して理屈で押し通そうとすると逆ギレされて「私の言うことを聞け!聞けないなら出て行け!」と言われて外に出されることもあった。母の説教は長くて、しかも声に圧があって怖かった。母は意地でも自分の命令に従わせようといつも怒鳴り散らしていた。
そして父は母のヒステリー気質にたびたびキレて母を殴ることもあった。
父と母はよく喧嘩していた。
変な始まり方から喧嘩することもあった。妙なイチャつきあいから小突き合いへと変わり、そして殴り合いに発展していくのだ。
見ている方はしんどかった。そして茶番はよく私たちにも飛び火した。「離婚する!私に着いてくるのか、父に着いていくのか決めろ」なんて言われたり、「あんたたちのせいで喧嘩したんだ!責任取れ!」といちゃもんをつけられたりするのは日常茶飯事だった。その茶番を何十回と目撃した。普通の家庭はこんなことってあるのだろうか。
母はよく私たちにキレるくせに、なぜか父への恨みつらみを吐くのも私たちに向けてだった。正直言ってしんどかった。「あんたたちが成人したら離婚する!あんたたちがいなければすぐ離婚するのに」とよく言っていた。
私は子供に喧嘩の責任があるみたいな母の言い方に内心苛立っていた。
父は「お前の教育(しつけ)がなってないから子供達が言うことを聞かないんだ!」とたびたび母に怒鳴っていたらしい。母はそのことに対してかなり腹を立てていたようだ。
しかし父は自分からそういうことを言う人間ではない。家庭にはあまり興味がない人なのだ。
おそらく母は父からそう言われる前に、「子供達が言うことを聞いてくれないんだけどどうすればいいの!」としつこく迫っていたのだろう。
そして、母はしつけと称して私たち兄弟を外に追い出したり、叩いたりしていたに違いない。要はしつけの仕方がどういうものかきっと分かってなかったのだと思う。
母曰く、かつては子供たちに優しく言っていたが、私たちがあまりにも言うことを聞かないので暴力で教えるしか方法がなくなった、だそうだ。実際殴られてたし、その頃は意味がわからなすぎて理不尽だと思っていた。それが十数年続いた。言葉の暴力も、体罰もざらだった。母はよく布団叩きを使って子供たちを叩いた。母は自分から叩いているくせに「あんたたちを叩くせいで私の手が痛くなるのよ!腹が立つ!」と言っていた。
正直言ってその言葉にはムカついた。千回は叩かれただろうか。冗談ではなく一度に100回叩かれることもあったし、毎回平均20発くらい叩かれてたから20発×50回くらいと考えたらそのくらいが妥当と思う。
母は外面はかなり温厚なので、このことを母の知り合いに告げたらきっと驚くだろう。
父も父で暴力が激しかった。ひとたび怒りに触れると手がつけられなくなり、子供でも容赦なく殴った。トイレの扉を壊したり、何かと荒々しい人だった。
おまけにパチスロ中毒で、負けて帰ってくるといつも荒れていた。
暴れる父を止めようとして足蹴にされたり、腹を殴られて吐いたりすることもあった。
他人に対してはとことん無理解な人なので、人の機嫌を損ねるような発言をして人付き合いが上手くいかない人だった。アスペも混じっているのだろう。
「一番尊敬しているのは両親です」と言う人がいるが、そんな人が羨ましくさえ思う。
私は高校進学も自分で決めたわけじゃないし、大学に至ってもそうだ。母から夢を一方的に押し付けられ、自分の夢は一蹴されて応援すらしてもらえなかった。
今なお人生の目標がないから生きてて楽しくないし、「お前は絶対他人に迷惑をかける」と言われていたから、バイトするのも怖くて仕方なかった。「迷惑をかけてしまったらどうしよう」と。バイトに入ってからは迷惑をかけっぱなしで自分の能力の低さに愕然とした。
母からはいつも努力の過程は認めてもらえず成果だけを褒められる、そんな感じだった。バイト先の店長もそんな感じだったが、私の成果がてんでダメだったので褒められるどころかよくダメ出しされていた。
むしろ店長からは憐れみと嘲笑の目で見られていたのかもしれない。「この出来損ないをここの環境で使える人間に仕上げてやろう」というしょうもない情けをかけられていた。
いつしか努力しても無駄だとさえ思うようになった。努力しなくても成果の出るものは勝手に出るし、出ないものは努力しても全く出ない。
私は中高とソフトテニス部に所属していた。よく自主練していたがどんなに頑張っても相変わらず下手だった。
「お前の努力が足りないからだ」とさえ言われた。みんなと同じ分量頑張っているのに?チームのキャプテンからは「チームの足をひっぱっている」とさえ言われた。部活は楽しい反面、私が下手なせいでいつも煙たがられて誰も練習相手になってくれず、部活中は壁打ちすることも多かった。同級生のみならず、一部の後輩にも馬鹿にされていた。そしてはぶられていた。人生とはつくづく楽しくないものだ。
馬鹿にされても笑って何も感じてないように装って、実際は嫌で嫌でたまらないのにつまらないイジリに耐えて耐えて何が楽しいのかわからなかった。
ひたすら耐えるだけの人生だった。
こんなところにいない方が楽だし、私がいない方が世の中のためになる。
もう失敗しきってるんだ。人生これからと言われてももう頓挫してるんだ。立ち上がることすらかなわない。こんなダメ人間にどうしろと。
どうせ何やっても失敗するというのに。
「つーかもう愛想尽きたけどよ、お前のためを思って言ってやるけど、まともな人間にさえ相手されなくなったら、そのままチンポに真珠とか入れた背中一面に紋々入れたヤクザとか半グレにシャブの粉をチンポに塗ったのなめさせられて薬物中毒にさせられた後、脂ぎったハゲのデブオヤジとか、お前がネット見てるところにいっつも張り付いている、キモオタどもみたいなのにチンカスまみれのチンポを舐めさせられて、糞してるところ見せられたり口では言えないような変態プレイとか体とか売らされてよ、脱肛して梅毒とか淋病とかコンジローマとか子宮頸がんとかで性病まみれになって死ぬほど苦しんだ後に、最後は出産AV撮影とかさせられたりケツの穴に握り拳ブッこまれる拷問みたいなプレイとか犬とコウビとかさせられたり、ゴキブリやムカデ並々入れた浴場に叩き込まれるAV撮影とかさせられて、最後は死んで骨は無縁仏とかにぶち込まれるんだぞ?わかってんのか?俺は昔大学で末期の薬物中毒患者の映像みせられたことがあったが、そりゃあ酷いもんだったぞ、あんなんもはや人間じゃない、生かしてやってる方が残酷だろってくらいなんだぞ」
水商売の母子家庭は時代が変わっても似たようなもんだろうから除外するとして、専業主婦なんてあり得ないからまあ共働きだよな。昔の底辺の定番といえば、父親はアル中の半ニートの日雇い肉体労働者で、母親はパートで清掃員とかだけど、今のトレンドじゃ父親底辺プログラマー(年収300万円)、母親は非正規雇用の事務員(200万)かな。
底辺家庭の父親ってのは、アル中で暴力を振るうのが定番だが、より令和っぽいのはソシャゲ中毒のモラハラ男か。帰宅してすぐにゲームを起動して罵声を上げながらボイチャしてるってのが現代の底辺親父かな。母親は多分(父親もおそらくそうだが)知的ボーダーだろう。だからこそ離婚できない。で、ワンオペ育児でネグレクト気味、ストレスから終始ヒステリックなんだろう。
食卓に並ぶのはパックのままの惣菜。子供は習い事や塾通いでなく学童。子供ももちろん知的ボーダーで、のび太レベルに授業についていけない。貧乏でもスイッチライトは持ってそうだな。で将来の夢はYouTuberかゲーム実況者。
夫の趣味はゲーム(オンラインで他のプレイヤーと対戦できてランクが変動するタイプ)なんだけど、一度始めると人格が変わる。
・壁を殴る
・奇声を上げる
・まともに返事をしない
・機嫌が悪くなる
・ぶっ通しで2〜3時間は続ける、自分で納得するまでやめられない
・途中でやめられないのがわかってるのに、外出直前になってゲームを始める(そろそろ行こうと声かけると、行く気なくなったから一人で行けと言われる)
平日なのに徹夜して朝まで続けることもあって、仕事にも体調にも影響出ている。
それでストレス解消になってるならまだ目をつぶるけど、まったく楽しそうじゃない。ゲーム始めて機嫌よくなったことがない。むしろ始める前の方がご機嫌。大体開始10分でため息つき始めて、だんだん不機嫌になっていく。
まさに百害あって一利なしなのに、どうしてやるんだろう。
一回膝突き合わせて話したことあるけど、どうしてもしたくなって、一度始めると途中でやめられないんだって。覚醒剤かよ。いや覚醒剤は打てばきまってる間は楽しい気分になるんだから、まだそっちの方が理解できるわ。
わざわざストレス溜めて苛々するためにゲームするってどういうことなんだろう。
ほんとこれさえなければ温厚でいい夫なのに。
【追記】
今日のゲーム時間は1時間ぐらいで終わって、すぐ機嫌良くなってくれたから、一緒にテレビを見てお風呂に入った。ゲームは私のカバンにこっそり隠した。
ゲームしていない夫は本当に大好き。
罪を憎んで人を憎まず、ゲームを憎んで夫を憎まず。
ぷよぷよ滅びよ。