はてなキーワード: 薩摩国とは
近衛家は、古い公家五摂家のひとつといわれている。鎌倉時代には、自らの荘官氏族である島津氏に薩摩国を支配させた。
戦国時代には、豊臣秀吉を親族にしたと思えば、その翌年には薩摩島津(近衛)が豊後大友氏の領地に放火して回っている。ところが大友軍は援軍を求め、豊臣秀吉(近衛)の傘下に入るのだ。やむない話だと言うこともできるだろう。
ところが調べてみると、大友軍の領地でも特に被害を蒙ったのは、飛鳥時代に公家だった豊後大神氏の末裔の城だった。大友軍が大神軍を居城から呼び出し、大友軍の城を護らせたからである。大友氏はそれまでにも大神氏の城の近くに同名の城を建てたりして、敬意のなさを見せていた。
近衛文麿首相(近衛)もまた、大神氏には敬意がない。第二次世界大戦中の国策で、大神氏末裔の民間水力電力会社数社を今の九州電力に接収した。
ところで天皇家とほぼ同等の近衛家は赤十字社とも関係が深く、外資軍需産業や外資金融産業との繫がりもあるはずである。なぜその辺の資料が少ないのかね?…と、頑張った大神氏の末裔は、思わないのかなあ。
「大切な人とのつながりなんか持ってない、それが大事だと説かれるとウザい」
などと思える人間が一定以上の数にまで増えたのは、人類史的にはつい最近なんや
とくに日本では長いこと、個人などというものはなく人間は地縁血縁身分と一体でな
尾張国だか薩摩国だか、どこそこ国のなんとか村の誰それ一族の五男とか六男とか
それがIDの全てで、それらと切り離された形での「×田△郎(個人)」
なんてもんはなかったんや
したがって親だの兄弟だの妻子だの一族郎党だの地元近隣の住民なんてのは
「大切な人」ですらなく、空気のように、その人を構成する要素の1つだった
河 原 乞 食
などと呼ばれた
地縁や血縁などと切り離された個人なるものが大量に成立し得るようになったのは
本邦においては、戦後の高度経済成長期に農業従事者が一気に減り
皆が皆サラリーマン化して「家業」特有の血縁のつながりも形骸化し
さらに会社組織に従属しない派遣社員やフリーターにまで細分化されて
一人でも生きていけるというかむしろそうでないと企業社会に適応できない
妻子なんて上場企業の正社員ぐらいしか持てないぜいたく品になってからの話
しかしだ
この度の病毒災厄によって俺や元増田のような人間は淘汰されるだろう
各国が物理的国境を閉鎖する時代状況で経済グローバリズムはやっと止まり
産業構造は少なからず昔のような自国内自給自足に戻さざるを得なくなるだろう
そうなったらしだいに昔ながらの地縁血縁は復活するのではないか
わざわざ「大切な人」なんて言うまでなく
親類や地元の人間と一蓮托生で切り離せない生き方が普通に戻るかも知れない
俺もそれが嬉しいとは思わんけどな