はてなキーワード: ゴキブリとは
妹が一人暮らししていたゴミ屋敷のような部屋を、この3日間をかけて片付けた。
とにかく吐き出して残したいという思い9割、誰かの役に立つかもしれないという雑な期待1割で書きます。
2009年春に妹が地方の大学へ進学し、それからアパートで一人暮らししていた。
その後いろいろあって、3年前の4月に突如実家に帰ってきて、実家ニートに転身した。もともと内にこもりがちの性格であったが、在学中にうつ病も患っていたらしい。3年近い休学を経て、結局退学した。今もそれほど状況は好転していない。
それ以降、アパートに戻っておらず、契約だけが残る状態が続いていた。
丸3年放置されていたため、さすがにだめだろうと父へ打診し、今年の5月に父と僕で片付けと解約を行った。この件については妹は一言も口を聞かなかったので、二人で強行した。
大人二人いればなんとかなるだろうと2泊3日で予定を組み、自分が先行して部屋に入って片付けを先行する手はずになった。
この件については全く頑なな妹の態度から、「人が死んでるのかな?」とか、「異臭騒ぎになっているはずだからバラバラにして冷凍されているかも」とか、「郵便受けに大量の督促状とか入ってたらどうしよう」とか、出発までの数日間はそんなことを勘ぐり、心中穏やかではなかった。
父が出発当日に妹に声をかけたが、部屋に引きこもって出てこなかったらしいので、結局父と二人で作業も行うこととなった。
大家さんに借りた鍵(妹は持っているとも無くしたとも、何も言わなかったらしい)を使い、ドアを開ける。
アパートはよくあるタイプの1Kで、玄関から入るとキッチンがあり、扉を挟んで左にユニットバス、奥の戸を開けると6畳の居間があるという構造。自分は妹のアパートにこの時初めて入ったが、大学時代は全く同じ間取りのアパートを借りていたので、。
開けた瞬間、なんとも言えない臭いが真っ先に鼻についた。多分、配管の中の水が蒸発しきって、下水の臭いが逆流していたのだろうと思う。3年間開けていたのでこんなものかもしれない。
玄関は、空き缶が詰められた大きなゴミ袋(45Lくらい)と、紐でくくられた雑誌が何束か、それと買ってきたであろう掃除用具が転がっていた。
次に、左側のユニットバスの扉を開ける(内心、かなりビビっていた)。ゴキブリかカマドウマの死体が転がっていたり、シャワーカーテンが真っ黒にカビていたり、臭いも更にきつかったけど、思っていたほどではなかった(シャワーカーテンなんかは消耗品だし)。とはいえ、ここで用を足す気には全くなれなかった。
最後に居間の戸を開ける。が、30cm位しか開かない。何かがつっかえているらしい。30cmの隙間からは、ゴミ部屋が広がっていた。テレビで見た、あのゴミ屋敷のような部屋だった。
床が見えなかった。ベッドと同じ高さまでゴミが層に積み重なっており、畳なのかフローリングなのか、カーペットを敷いているのかどうかとかは全くわからなかった(ちなみにフローリングの上にカーペットが敷かれていた)。
その後合流した父と3日間(作業時間は丸2日)をかけて、なんとか片付けを終え、解約までこぎつくことができた。
可燃ごみは45Lのゴミ袋で40袋弱、ビン・缶が10袋程度、ペットボトルも同じくらいで10袋、粗大ごみが約100kg、これに加えて冷蔵庫・洗濯機のリサイクル家電を処分した。
片付け作業でのポイントを忘れないように記録します。もう二度とやることは無いかもしれませんし、そう願っていますが。
事前に”どの程度の”状況なのかは把握したい。
妹がこの件については全く口を割らず、また僕も父も部屋に入ったことが無かったので、状況がわからず、準備も中途半端になってしまった。
もし屋敷と言えるくらいの広さだったり、糞尿があるようなら、心身の衛生のためにも、専門業者に頼んだほうが良いと思う。今回はそういうのが無かったので、なんとかなった。運が良かった(?)。
二人以上で作業するのは必須だと思った。一人では絶対に心が折れる。
僕は心が折れた。居間をひと目見ただけで、頭の中が真っ白になり、10分くらい部屋の前で狼狽していた。動転していた中、「とにかく十分な装備が要る」と思い、部屋からいったん離れて近くのスーパーでマスク・ゴム手袋・軍手・ウェットティッシュを調達した。部屋に戻り、まずは何かに着手しようと玄関に散らばっていたカタログ雑誌を、紙紐(転がっていた掃除用品の中にあった)で縛り始めた。雨が降りしきり、薄暗い玄関で黙々と作業しながら、「妹はこんなところで6年間も住んでいたのだろうか」「こんなところにいたら頭がおかしくなるに決まってるやろ」「こんなしょうもないものに囲まれて、6年間で何が得られたんだろう」「玄関にあった掃除用品は自分でなんとかしたかったけど、どうにもならなかったのだろう、自分を恨んだり呪ったりしたかもしれない」「なぜ助けを求められなかったんだろう」「今もそう、どんな思いで、どんな気分で生きているんだろう」「なんでこうなったんやろ、なんでやろ」と頭がぐるぐるし、だんだん悲しくなり、終いには泣きそうになっていた。作業したくない言い訳かもしれない。その後、父が到着するまでの間、恥ずかしいことに作業を投げ出して近くのカフェに逃げ込んで、清掃業者を調べていた、というか茫然としてしまっていた。
父が加勢してからは、とにかく話しながら作業した。話すことがなければ、「オラオラオラ」とか「うげーなんじゃこりゃ」とかなんでも良いから独り言を出して、”黙々”という状況をなるだけ避けた。そうして余計なことを考えないようにした。独り言は案外一人では言えないものなんだな、というのも初めて得た気付きだった。
できれば一緒に作業する人は年長者が良いかもしれない。
僕の父は、僕ら兄妹の引っ越しや祖母の遺品整理などを手伝っていたので、片付けは手慣れたもので、そういった作業用キット(父曰く「いつものやつ」)を自前で作って実家から駆けつけてくれた。僕が狼狽して入れなかった居間を見ても、「おうおう、アイツ(妹)、なんちゅう散らかしようや。ちょっと中入ってつっかえてるもん取って」と怯まなかった。「あ、このおっさん、やる気やな」と、自分もここで覚悟を決めた。
車も必須。可能なら、軽トラなどを借りておきたい(量が多いのと、ゴミなので車内を汚したり臭いをつけたりするため)。
借りるときは、片付けている部屋から持ち込み可能な自治体の清掃センターがどの程度離れているのか、といったところから積載量も考えた方が良いかもしれない(遠いとこまめに運んだときにタイムロスになるため)。
土足で作業すること。そうでないと身動きが取れない。靴もできれば底が頑丈な登山靴や安全靴が望ましい。ゴミの下に鏡などがある(今回はゴミの下から合計5枚、そのうち2枚が割れていた)。自分も気づかずにそれを踏み抜いたが、軽登山も可能な厚手のスニーカーだったので助かった。
土足に加えて、ゴム手袋・マスク・メガネ(花粉症用の装備が良いかもしれない)は必須。3年人が住んでいなかったので臭いはそこまでだったが、代わりに埃っぽさが酷く、メガネが無いと危険だった。実際、作業が終わるころにはレンズがホコリで白くぼやけていた。衛生面でダメージを受けるとモチベーションがすっごい下がるし、何より感染病とかが心配になってくる。
作業スペースが限定されるので、二人で作業するときはきっちり役割分担をすること。
居間のゴミ処分が作業の中心になるが、動けるスペース・何かを置いておけるスペースが全く無かったので、二人が作業するためには何らかの作戦が必要になった。
そこで、僕がとにかく可燃ごみ・ビン・缶をゴミ袋に詰め込みまくって部屋を原状復帰させること、父がダンボールや分別が必要なものの解体や、分別が必要なゴミの分解、雑誌などの資源ごみの紐括りなどを担当することにした。そうすることで、足の踏み場がない居間には僕、玄関には父という配置で、前衛の僕が分別できないゴミは玄関に投げ、後衛の父が投げられたゴミを処理するというフローができるので、二人の動線が干渉せず、効率的に作業できた。
進捗は正義。
床に敷かれたカーペットが少し見えたときは「このゴミも無限ではなく作業に意味があるんだ」と勇気づけられたし、いっぱいにしたゴミ袋の数を数えるのが少なくともそのときは僕にとっての勲章だった。2日目の午前、居間の奥の窓まで到達し、締め切られていたカーテンと窓を開け、光と風が差し込んだときは「ライン川を渡った連合国軍の兵士はこんな気分だったのか」と思いながら、ガッツポーズをしていた。完全に頭が湧いているけども、何にせよ進捗をあげている気分になれないと、無限に続くような作業に耐えきれなかった。
一番ゴミが多いのはベッドの周り。
ゴミ屋敷になってくるとベッドの上は最後の生活圏になるので、燃えるゴミの大半はここから出るのだろう。実際、ゴミ袋に詰め込む作業時間の7割程度は、ベッドの周りに関わっていたと思う。逆にベッドからというところのゴミは、実はベッド際ほど層が高くなかった(放り出された空のダンボールが折り重なって、最初は見えなかったが)。
ちなみにベッドの周りのゴミの中に、(合算すると)現金十数万円が埋もれていた。大事な物もきっとベッドの付近で見つかるのだろう。「こうして廃棄品から数千万が見つかることになるんやなー」と父がのん気にぼやいてた。そのとおりだと思う。
延々と続く作業の中で、「なぜこうなってしまったのだろう?」と考えていた。
妹が精神的に患っていたこともあって決して一般論ではないですが、自分の一人暮らしの経験とも照らし合わせながら、整理したい。
ベッドの周りのゴミの中で特に多かったのは、ティッシュ、ビニール袋、綿棒、割り箸、から揚げ棒や焼鳥の串、500mlの牛乳パック、レシート、アイスの棒とカップ、コンドーム(もちろん全て使用済み)。要するに、普通は捨てることに一切躊躇しない物がほとんどだった。
でも人によっては、ビニール袋は「何かに使うかも」とか、レシートは「いくら使ったのかわからなくなるのが不安」とか、そういう(場合によっては無意識的な)抵抗が働くかもしれない。捨てるときには、その都度、軽重異なるが判断が求められるし、捨てて得られるものも無いので"保留"という形で、なんとなくそのへんにうにゃむにゃしてしまうのかもしれない。
上でも述べたとおり、ベッドの周り(特に上層)はもはやゴミ屋敷化してしまった状態での行動を反映していると考えられる。この時点では、もう何かを判断する力を失っていたのだろう。ベッドの周りには大量のバファリンもあった。ゴミ屋敷とかそれ以前に、妹がそうなってしまう前に手立てを打ちたかった。悔やみきれない。
「余計なものを買うから、ああなるんだ」と思い込んでいたが、そうではなく「本当にしょうもないものも捨てられないから、こうなるんだ」という当たり前の気づきもあった。
あれだけ汚い居間の中で、中身の入ったゴミ箱・ゴミ袋の類が不思議と見当たらなかった(未開封の市指定ゴミ袋は片付けの途中で見つかった)。
捨てることがシステムの中に組み込まれておらず、捨てるハードルを高くしてしまっているというのもわかった(これは自分の一人暮らしの中で覚えがあって、生ゴミ用に蓋付きのゴミ箱を買ったが、ゴミを放り込むのも、袋を出して捨てて入れ替えるのも面倒になって使わなくなったことがあった)。
ゴミ箱なんて使わずに、不格好でもそのままくくって捨てられるように市指定のゴミ袋を部屋に転がしておき、そのゴミ袋の下とか横にでも換えのゴミ袋を置いておくなど、とにかく「捨てやすい、ゴミ出ししやすい」を状況を作ることが大事なのだと思った。
捨てられない人にとって、通販は敵。
ダンボールは処分に困る。解体担当の父もうんざりしていた(任せきりですまんかった)。硬くて解体しくいし、資源ごみだし。中身の方を早く取り出したくてダンボールの処分どころではないかもしれない。
特にひどいなと思ったのはニッセンで、ゼクシィみたいな分厚いカタログが何冊も何冊もゴミの山から出てきた(発狂するかと思った)。体積的には、ニッセンで買ったものより多かったのではないだろうか。資源ごみは回収日が限られていて、しかも包装ビニールから取り出して紙紐で縛るなど手間がかかるので、捨てられない人間はあっという間に溜まる(自分も定期購読した雑誌を、未開封状態で積読した覚えがある)。
ゴミの下層の方に多く見られたのも、もともと捨てる手間が大きく、また捨てるメリットも少ない(生物のように腐ったりしないし)ので、まだ正常な判断ができる初期の時期でもなかなか捨てられず、結果、ゴミ屋敷へのトリガーとなるのだろう。
仕送りも敵。
ごみの下層でほったらかしにされたダンボールの中には、自分も見覚えのあるものメーカーのものが散見された。送り主は母で、仕送りされたものだった(僕も同じ時期に別の地方大学へ進学し、一人暮らしをしていたときに送られてきていた)。
中身はマヨネーズとか、ごま油とか、缶詰とか、そういうどこでも買えるような食品だったが、台所を片付けていたときにほとんど未開封なのに気づいた。確かに、そのへんで買えるもので、しかも調理しないと使えないようなものなど邪魔でしかない(僕は強く「仕送りをやめろ、やるなら現金にしてくれ」と伝えていた)。
送られた品というのはなんであっても捨てにくいものだし、ましてやそれが一人暮らしの栄養状態を心配する母なのだからなおさらだ。ありがた迷惑とはまさにこのことなのだろう。残念ながらこれもゴミ屋敷のトリガーとなっていたと思える。
これは僕の直感なのだけど、一面床が見えなくなったらおしまいで、誰かに助けを求めたり介入したほうが良い。
床にゴミがある状態というのは、心理的ストレスが高い。捨てたくなるはず。だけど、一回ゴミで覆い尽くされたら、あとは高さしか変わらないのでゴミが増えたことを認知できない。そしてその期間が長くなるほど、もはや変えられない事実になる。ちょうど僕が初めて居間を見て「これは専門業者に頼むしかない」と感じたときと同じ絶望に、毎日毎日曝される。
この状況を打破するためには、他の誰かの助けがいるのだと思う。
初日に父がアパートに到着したときのこと。ユニットバスを見ると「うわーきたなー」と言いながら、そのまま入って、じょぼじょぼじょぼとおしっこをしていた。ちなみに2日目には自分の大事な荷物をユニットバスに置き、3日目には大の方もしていた。団塊世代の衛生感覚、恐るべし。僕は最後まで我慢してしまった。
意外とゴキブリは居らず、生きているのは1匹も見なかった(これは地域の特性かもしれない)。
その代わり、5ミリくらいのうねうねした、尺取り虫のような、ちっちゃなムカデのような虫がそこかしこで這っていた。なんだったんだろう。
賞味期限が5年前に切れた卵の処理は簡単。乾燥しきっているので液体ではなくなっていた(冷蔵庫の中だからかも)。
定期的に生活が荒れる。ゴミは捨てずにそこらへんに置きっぱなし、掃除はせず、みるみるゴミ屋敷になる。ゴキブリにも慣れる。久しぶりに部屋を掃除して、多少、きっちりした生活を取り戻した。
きっちりした生活を取り戻すと、次の日のために米を研ぐようになる。多少の未来を見据えた生活になる。しかし米を研ぎながら、希望もない生活が続いてくことにぞっとするというか、うんざりというか。楽しくない。小さな幸せを幸せへ昇華できる感受性もない。
恋人がいればましかもと思う。あくまでまし。もしそばにいてくれても前向きになれない無気力な幸せじゃない自分はい続けるし、そういう自分との時間を共有させることになる。見せたくないし、もし見せてそれを受け入れてくれても自分はそれで救われるわけじゃないし、その救われないどこにも行けない状況を、好きな人を巻き込むなんて。。。そういうこと考えると、とてもじゃないけれど、恋人作って付き合っていく自信は持てない。
生前の行いがどうであれ、葬儀の日取りがどうであれ、親類中で嫌われ者で、きちんとした葬儀が行われないにしろ、最悪火葬だけはやるわけだから、絶対に立ち会ったほうがいい。「たった一人の親じゃないか」とか「親類が亡くなったのに冷たい事するなよ」なんてきれいごとを言うわけじゃない。
「葬式というのは、死者と決別し、日常生活に戻るまでの手続きの側面があります」
今までに出たいくつかの葬儀で、お坊さんは大体こう言った内容のことを話した。宗教的な話はさっぱりわからんから、掘り下げてツッコミを入れられても困るので概要だけにとどめるんだけど、大事な人が亡くなったからといって、悲しみの感情にいつまでもすがっていてはいけない、死んでしまったものは元通りには絶対にならないのだから、生きている人たちはいずれ日常生活に戻らなくてはならないというような論旨だったとおもう。
死にました、という電話を、警察なり病院なりから受けたときに、まず最初に浮かぶ感情は人それぞれだろう、自分は「失踪してたと思ったけど、死んだんだ」くらいの感情だった。とはいえおれの個人的な例を掘り下げてもそれも仕方ない。
結論からいうと、おれたちは葬儀を拒否した。ロクデナシは無縁仏同然の扱いをされ、名も知らぬ遺体は簡易的な葬儀と共にどこかに消えていった。だがこれが失敗だった。
生前さんざっぱら他人の人生と金を食いつぶして生きてきたような人間だ。知らぬ間に多額の借金すら背負わされていたこともあった(払わずに解決したが)。逃げる先々をなぜか調べ当てて荒らしにくるような人間だった。あいつはドブネズミよりもずる賢くゴキブリよりもしぶとい。死体を見なかったのは本当にうかつだった。
死してなお狡猾なあいつは、死に顔を見ていないおれたちに、戸籍に書かれた「死亡」すら偽りではないかという疑念を抱かせる。死んだはずの奴が金をせびりにくる夢を見る。遠い地に引っ越したおれたちの住居を探し当ててまるでフィクションの世界のように蹂躙していく夢を見る。おれたちの想像力の限りを使ってあいつは生き延びて、そしておれたちを永久に苦しめ続ける。
大事な人の死を受け止め、いつか流れる涙も止まったときに、次の一歩を踏み出すことは何よりも大切だと思う。しかしそれ以上に、殺しても死なないような人間が死んだという話を聞いたときには、絶対にその死を確認しなくてはならない。それが親族であれば、向こうから死をお知らせしてくれるのだから、脳みその中に巣食うあいつを合法的に殺すことが出来る唯一の機会を失ってはならない。
んで、話を聞いていてふと思ったのだが
以前ホッテントリした機械室で事務仕事させられて入院した人https://anond.hatelabo.jp/20180403154941って
Q;どんな症状がでますか?
A;ジクロルボスは、吸入、経皮、経口によって中毒症状がでますが、特に吸入による中毒に注意が必要です。有機リン系農薬による中毒症状としてコリンエステラーゼ活性阻害による症状を示します。
軽症;倦怠感、頭痛、めまい、胸部圧迫感、吐き気、嘔吐、多量の発汗、下痢、腹痛、軽い瞳孔の収縮など
中程度の症状;(軽症の症状に加えて)瞳孔の収縮、けいれん、歩行困難、言語障害、除脈など
重症;瞳孔の収縮、意識混濁、全身けいれん、血圧上昇、失禁など
http://www.eiken.pref.kanagawa.jp/008_topics/files/topics_081016.htm
かつてペヤングにゴキブリが混じってた事件で、何故かそれを公表した未成年女子が叩かれ煽られ晒され挙げ句特定されかけた
ハニートラップだの意地でも女が悪いと言いたいヤカラが多いのである
女嫌いこじらせて全部女は悪人ってか、ははははっ、お前ら見てるとフェミが男滅ぼしたがるのも分かるわ
確かにそうだな、男って時点で加害性あるわ!主に女が被害被った時に今は関係ない痴漢冤罪とかを例に出して女のせいにするその姿勢!
ニュースではなく、私の姉の話をしてみたい。
姉の上司(既婚者の男性らしい)に当たる方から、ある腐女子に需要があるアニメに「興味がある」と話を振られたそう。
それからというもの、二人きりでそのアニメに関係している場所に二人きりで旅行していたらしい。
姉は土壇場で勘のいい方で、宿泊先で同じ部屋で、という話になった時に「さすがにちょっと」と断り、事なきを得たらしい。
上司としてはその日に関係を持ちたかったらしく、姉にとっては致命的な過ちを犯さずに済んだようだ。(まあ、その上司がストーカーまがいになって転勤する羽目になったようだが)
私としては、そもそも異性が都合よく自分が好きな物を好きになる可能性あるか?とかまず疑問に出てきた。そこから色恋沙汰には疎いとみて、こういう時の男の心理を教え、厄介事がまた降り積もらなくする程度の協力はした。
我が姉は悲しいことに、乙女ゲームは自然な気持ちでやると、なぜか誰からも振り向かれない系のバッドエンドに行き着いてしまうらしい。(筆者でも好感度調整という発想ぐらいは出てくるぞ…)
思ったこととして、世の女性は、父、他の家族、あるいは元カレなどから、どういう男がマズいか、男がいかにケダモノか、正しい知識を身に着けているのか?
わかりやすく極端な例を挙げてみよう。
不動産投資の営業に対するあなたのイメージはどうだ?銀行の窓口で勧められる定期や投資信託はあなたの為を思っての銀行の厚意か?
あなたの僅かな銭を増やす為に、なぜ彼らはあなたに大真面目に勧めるのか?
あえて答えは挙げない。
もし男性からのそういった行為に拒絶するなら、ラグビー部やテニス部の主催する飲み会に参加するべきでもないし、二人きりになりたがる男と一緒になってはならない。
なんか危なそうな空気になったら、なりそうなら逃げ道を確保しておくのも重要だ。
万が一そんな男の絶滅を望むのであれば、それはオタクの5000兆円欲しい!ぐらいの態度で日々に臨んでいた方があなたのためだ。
(必然的に、社会とはラグビー部や相撲協会のようなメンタリティーの男性を望むので、彼らの絶滅はゴキブリの絶滅並みに絶望的だ。)
レイプとかではなく、より身近な、結婚しろとかケツ触られるとか、こういうのが嫌な場合もあるだろうが、これは気にしない方がいい。
むしろなぜいちいち腹を立ててしまうのか、私には理解しがたい。
私も歳が歳なのもあって、しょっちゅう結婚や彼女について聞かれるようになった。
そういう時には、私は決まって「なかなかいい人がいないんですよー。誰か紹介してくれませんかー?」と答えることにしている。
大抵はそこまで深くは突っ込まれないし、もしお見合いにでもなれば儲けものだ。
(お前を見る限り、今結婚できなきゃ一生結婚できないぞ、と暗に注意されていることには申し訳ない気持ちでいっぱいになる。)
ケツを触られることについては、男である私が語るのは僭越なのだが、会社内ではワンタッチ100円、みたいな割り切りで済ました方がいいのでは?と思ってしまう。
耐え難いなら、私の家系はプロテスタントでうんたらかんたら、みたいなめんどくさいこと言っとけばいい。
いちいちお冠にならず、相手は天気を聞くつもりでやってる、程度の認識でいい。
総括すると、まずはコミュ力を身に着けた方がいい。
後は、もっと人の悪性を学んだ方がいい。
あなただって、DQN(一般にヤンキー)やキモオタやマナーのなっていない老人やリア充など、あなたにとって腹立たしい存在に向ける眼は、きっとあなたの悪を象徴しうるほど酷薄なものだ。
ヤリ捨てという言葉。主に、女性がセックスさせてあげたのに、男は交際や結婚という対価を払わなかった、男は女性の体を盗んだ的な行為を指す言葉だと解釈している。つまり、セックスは結婚や交際という社会的な契約を結んだ男への、女性からの対価、ご褒美、という考え方が根底にあると思うのだが、私はこの考え方に違和感を持っている。もちろん、そう思う気持ちとか、構造は理解できる。もし友達がヤリ捨てされたーと泣きついてきたら、おのれヤリチン野郎、バナナカッターでそのチンコ輪切りにしてゴキブリの餌にしてくれるわ!と言うと思う。
でも冷静に考えると、やはり違和感がある。私が恋人とセックスするのは、何かの対価に、「させてあげているもの」なんだと言われているようで嫌だ。私は自分の意思でセックスを楽しんでる。だから自分の意思で拒否もする。誕生日だろうがクリスマスだろうが彼からプレゼントされた旅行先であろうが、気が乗らないなら決してセックスしない。彼にもそうあってほしい。ヤリ捨てという言葉は、こういった態度をまるでパートナーを持つ女として失格だと言ってくるように思わされるんだろうなあ
死ね!!!!!地獄に落ちろ!!!!!市中引き回しの上牛裂きして晒し首にしてやる!!!!!バーフバリに手首切られろ!!!!!テメーにナンパされるためにおしゃれして髪切ったわけじゃねーぞ人の一日台無しにしてくれやがって!!!!!ソフトタッチなら許されるとか思ってんじゃねーぞ!!!!!ナンパしてきた時点で-100だった好感度が-10000000000000だわ!!!!!!お前よりゴキブリのほうがよぽど好感度高いわ!!!!!!そんなにおっぱい触りたいなら風俗行け!!!!!!こんだけMeTooMeToo言ってるのに時流がわかってねーのか!?!?!?!?時世もわからねーバカがナンパなんて10000000年はえーんだよクソ!!!!!!!来来来来来来来世で出直してこい!!!!!!もう二度とお前と出会うつもりはねーけどな!!!!!!!脳みそに精子つまってんのか倫理観を取り戻せ!!!!!!取り戻せないなら去勢でもしとけ!!!!!!!!
タイトルそのままの内容だ。今年18歳になった女だが、生まれてこのかた恋愛感情に縁がない。恋愛に縁がなかったとかではなくて、誰かを恋愛的な意味で好きになったことがないし、他人の抱いている恋愛感情も理解できない。他人に恋愛的な意味での好意を寄せられたことはあるけれど、それがどんな感情なのか、どうして友達ではいけないのか、私には理解できなかった。
理解できないってなんなんだという感じかも知れないが、本当に理解できないものは理解できないのだ。他人を好ましいと思う感情に親愛以外のものがあることがそもそもわからない。人間たるもの好ましい造形をした他人なら男女ともにいくらでもいるけれど、相手の性別に関わらず、それが恋愛感情に繋がることはない。
正直、恋愛感情を持ち得ている他人が気持ち悪いとすら思う。(まあわたしも人間だし、理解できないものが気持ち悪いに繋がるのは別段おかしいとは思わないのだけど) とても悪い例えなのは理解しているけれど、恋愛している他人(いちゃついてるカップルとか)を見たときの気分を敢えて何かに例えるとしたら、ゴキブリを目撃したときみたいな気分。ゴキブリが好きな人がいたらごめん。でも少なくともわたしはゴキブリを見ているだけで気持ち悪いし、早くここからいなくなってほしいし、こちらに飛んできてほしくもない。関わってこないでほしい。流石に人前でこんなこと口に出したことはないが。
18歳にもなって恋愛のひとつもしたことがないと流石に驚かれる。「理想が高いだけじゃない?」なんて何回も言われているが、そもそも恋愛感情が湧かないのに相手の理想も何もない。友人として好ましい人間像はあっても、そういう人と恋愛したいだとかセックスしたいだなんて感情は湧いてこない。ちなみに性欲もないけれど、まあそれは長いのでまたどこかで。
恋愛感情のひとつも抱けない自分が嫌いなわけでもないし、誰かを好きになってみたいわけでもない。ただ、理解されなくて面倒なので普段は他人に話すことはない。 わたしみたいな人間のことを、アセクシャルとかアロマンティックとか呼ぶんだろうか。