はてなキーワード: キャラソンとは
有名アーティストが手掛ける、作品の世界観をちょい臭わせ程度に入れ込んだような歌詞のOPED曲、あれなんかなあってなる。
有名アーティストというそれ自体世界観的なものが成立してる存在がどんだけ作品の内容を「わかった」ふうな歌詞を書いてもそれはそのアーティストの再解釈というかアニメ評論・二次創作みたいなもんであって
どんだけわかったふうな歌詞であってもアーティストという個のデカさが邪魔して「〇〇さんの解釈の深さスゴイ」みたいな評価軸が目立ってくる気がする。
作品そのものの世界観からは浮き出てしまうものなのにアニメのプロダクトとしては一つにまとめられてしまうみたいな。
有名アーティストの作品であっても、臭わせ忖度歌詞みたいなのが無いのに作品の内容と不思議な一体感、偶然のケミストリー感があったりするやつはいい。
それじゃなかったら声優てんこ盛りキャラソンみたいなプロダクトとして作品と一体的な監修がされたもののほうが楽しめる。
(追記)
こじらせ独自世界観の増田に思いのほかトラバブクマあつまったな。みんなサンキュー。
なんか完全に主観的な話だからあんまわかりみ無いやろなって思ってたけどわかる人もいるっぽいな。
なんかアーティストの世界観を守りつつ作品に忖度するっていう態度みたいなものが保守的というか、「足し算」のコラボに留まる感じというか。
それ自体で十分存在感があるはずの有名アーティストが敢えて作品の側に寄せてくる擦り寄り感によって「個性強すぎる別の色」みたいなのが入ることへの嫌気みたいなのもあるのかもしれない。それが掛け算になるならいいんだけど(主観)。
あとさぁ、これは有名アーティストあんま関係ないけど、アーティストの人によっては作品の本質を突けばええやろの精神で歌詞の中にズバズバ核心的ワード入れてくるのもおるやん?ネタバレってほどじゃなくても。
そうじゃねぇのよってならん?
その本質的なワードは作品全体を通してじっくり表現されていくべきものであって、主人公達を最後まで見守った視聴者が得ることになる果実であるべきじゃない?みたいな。
自分はオタクという部類でアニメも漫画もラノベも小説もキャラソンも同人もゲームも声優も全部大好きだ。
アラフォーになりコロナ禍になった。そして父が倒れ要介護になった。
施設に空きが出るまで入居できないため、会社の情けによりテレワークを許可してもらい数年間実家で父の介護を手伝っていた。
実家は田舎なのでネット回線が乏しくかつ自分も父と犬3匹の相手をし旧友や親戚との交流をしていたら自然と仕事以外でPCを触ることもスマホを見ることも減っていった。
久しぶりにネトフリでアニメを見ていたのだがいわゆるアニメ声というものに違和感を感じる自分がいることに気付いた。
学生や大人なのにキャンキャン幼児のような甲高い声、セクシー女優のようなお色気ボイス、ザ・イケメンな中性的な声、歌舞伎のようなドヤ顔声。
らきすたのOPみたいな電波曲も好きだったのに今では耳障りに感じて聞くことが出来ない。そんな訳ないだろとツッコミを入れてしまう。
数年前までアニメ映画で俳優を起用し声優を使わないことに文句を言っていたのに今は落ち着いて見れる。むしろ普通の喋り方に安心する。
俳優の声優演技は棒読みではなく現実世界に近いナチュラルな人の声なのだと気付いた。キムタクのハウルは異世界と現実の狭間で素晴らしい演技だ。
とりあえずアイドル声優が歌えばいい感
歌があまり上手くないのバレないような曲にすればいい感
どうせこんなの耳の腐った声優オタクしか聞かねえから適当でいいわってノリが辛い
いやまあ別に勝手に生まれては俺の知らないところで消えるならいいんすよ
でもSpotifyに毎週のように「ウマ娘の新作来たぞwwwキモオタはこういうの好きだろ^ー^」って紹介されるからいい加減キレそうだわ
ウマ娘のキャラソンは元ネタの競走馬からウマ娘に遺伝子組換えするときに使ったステレオタイプの再利用みたいなのばっかだから全然盛り上がんねえんだっての
そもそも劇中で歌ってるという設定を考えたらウィニングライブでファンに向けて歌うものになるはずだけどこのキャラこんなの人前で歌わねえだろってのがあるのが気に食わねえ
前回、学校園との体操着の変遷についてまとめると書いたが、気が変わった。
電波ソング歌詞DBから「ブルマ」という歌詞を含んだ歌を検索する。
「バトルアスリーテス 大運動会」という1997年から1998年にかけてのメディアミックス作品の曲。OVAでヒロイン夏樹リオが歌う曲。SF、スペースオペラ、スポ根ものらしい。
……。
「いもうとブルマ」というあまりにもそのまんまなタイトルのゲームのOP。2002年。
主人公と幼馴染の姉妹の親同士が突然再婚し、幼馴染の姉妹が自分の義妹になった。良好だった関係がふとした関係で性的なものとなり……みたいな話。
「体操服とブルマだけでなく、レオタード、水着、チアリーディング服などを収録」だそうな。
はいアウト。
いもうとブルマ2というあまりにもそのまんまなゲームの続編。中身も親の再婚により突然4人の義妹たちの兄になってしまうというもの。2006年。ちなみに歌っているのは上の人と同じ萌娘。
関係ないけどブルマーフェチにも裾だしと裾たくし込みフェチや、食い込みやハミパンフェチと区別があるみたいだ。
ストーリーは、彼女との初体験で挫折した主人公を、義母が教え導くもの。コスプレの一つとしてちょっと言及されるだけである。
2009年のPrincess Party〜プリンセスパーティー〜というエロゲのOP。
古いゲームなので情報が少ないのではっきりしたことは言えないが。メインヒロインが青春禁止令を出しているそうだ。ただ、キャラの振る舞いとしてはツンデレ風だとか。
ブルマは脱がして燃やせばいいよ
暴挙。
片想いの相手が同僚と結婚することを告げられて、何も言えずに田舎に帰ってしまった主人公が、伯父の代理として教師をする物語で、OP映像があの新海誠である。そういわれてみれば主人公のうじうじ具合もそんな気がしてこないか。
それと、「ほしのこえ」ではヒロインのブルマー姿があったよな。
『1・2・3・4・5・6・7・8』
2001年に連載が始まったみづきたけひとによる「こはるびより」という漫画があるが、これを2007年にOVAにしたもののOP。
人間と同等の容姿・能力を持つメイドロボが実用化されている時代を舞台に、オタクでフィギュアマニアのご主人様にあくまでメイドでなく愛玩人形として扱われているメイドロボが、その使命とのギャップに悩む話、らしい。
1000歩譲って着せかえOK
これもブルマーそのものではなく、数多くのコスプレの一つとして出てくるに過ぎない。
anond:20220613080116のブクマにて載っていたので掲載。
「ぶるまー2000」というゲームの曲。2000年のゲームかな? ジャンルが「ケツゲー」。なんじゃそりゃ。エロゲのジャンル、いや、エロゲだけに限らないんだけど、ジャンルの説明が説明になってないケースって多いよね。
内容はここによれば、「地球全土のブルマー化を目論む「BB団(ビッグブルマー団)」と世界の微妙なブルマバランスを監視する国際ブルマ機構「MIB(ブルマーの男たち)」の抗争の中、大陸間弾道ブルマーが発射される」らしい。
エロゲではときおり正気を疑う設定があるので面白い。個人的には設定がぶっ飛んだソローキンとか読むのが好きなのでこういうのは嫌いじゃない。
参考:バーチャルネットアイドル・ちゆ12歳「ちゆニュース - 歌関連」
Wikipediaによれば「ライターの大澤良貫は、書籍『美少女ゲームマニアックス』に寄せたレビューの中で、新撰組を題材としたアダルトゲームというと冒涜のように見えるが、実際は歴史ファンや幕末ファンをうならせるようなマニアックで愉快な作品に仕上がっていた」らしい。
参考:同上
「scungies」「basketball」という単語で検索をすると、以前の記事のようにバスケでブルマーをはいていた証言がたくさんヒットした。
以前と重複するのもあるが、貼る。記事を見ると豪州では90年代までブルマーは現役だったようだ。
ブルマーの流行、ショーツ化、廃止の流れは日本だけの現象ではなかった傍証がまた一つ増えた。
https://www.facebook.com/bibsnskirts/photos/a.245704185447177/245704202113842/
(これはネットボールか)
あと、こちらの拒食症を扱った記事では、陸上でもブルマーをはいていたことが記録されている。
関係ないけど、体育の教科書なんかだと、普通の体操着以外にレオタードを着ている女子生徒が映っている。普通の体操着以外の体操服を注文させられる学校が昔はあったんだろうか?
こちらでは男子が短パンなのに対して女子がブルマーなのは「不完全」に感じられるということが書いてある(ななめよみ)。
https://sirensport.com.au/op-ed/lycra-wars-when-one-size-does-not-fit-all/
ありえねえだろ。
これは99%虹夏しかありえねえって。
ジャケも虹夏だし。
底抜けに明るいわけじゃなくて、陰は陰としてあって、その中で前向きに生きてる感じ。
そうやって聞いてくと「親を失ったという心の傷を音楽の力で癒やし続けることで陽キャとして成立させている虹夏のキャラソン」だってことが確証に変わっていく。
単に音楽や青春が好きってよりも、音楽を好きという感情を共有できる仲間たちとの青春の中にいることで油断した途端に崩れそうな足元を固め続けている感じというか。
虹夏って基本陽キャでリーダーシップあるんだけど、結局は過去の傷から立ち上がった思い出が人格のコアになっているっていう、ある意味可哀想というか痛々しさを抱えたキャラなわけで。
「ぼっち・ざ・ろっく」みたいなのって、結局のところはキャラソンだけど滅茶苦茶上手いじゃん。
歌ってる人が頑張ってるのもあるんだろうけど、そもそも作曲や編曲がガチすぎるよね(KANA-BOONですよ奥さん。狂ってません?)
あとまあチェンソーマンとかもOP・EDだけどキャラソンにしつつも集めているメンバーに金かかってるなと思う。
まあこっちについてはそもそもの漫画が持ってるパワーが強すぎるから、「チェンソーマンの歌やりたい人~~~」で手を挙げた中で強そうな奴選べばそれだけで最強メンバー揃う上に歌詞もちゃんとチェンソーマンになるだけなんやろが。
ここ何日か表題のことをしばらく考えていて、自分なりに納得できた気がしたので残しておきます。
……というのは建前で、本音は何も知ろうとしていなかったのに食わず嫌いをしていた自分の愚かさへの悔恨と懺悔でもあります。あらかじめご了承ください。
学生時代からカーストの最下層に位置して、テレビゲームに視線をずらして現実から逃げて、流行りのテレビ番組を忌避していた系統の人間です。
学生時代に抱いていた『ジャニーズ』に対する印象はと言うと……あろうことか敵愾心でした。
何も知らない、ましてやファンですらない部外者の人間が思い込みだけで抱く印象が敵愾心と聞くと、いかに幼稚か分かる人には分かると思います。
学生時代の『私』が恐ろしく幼稚で狭量だったのは全く否定の余地がありません。
強いて言い訳をするなら、当時の『私』はカースト上位の男女問わずそれなりに過度ないじりをされていた、ということです。
坊主憎けりゃ……のあれです。
キャラソンを聞いて妄想して1人でニコニコしていた過去の『私』と、ジャニーズのかっこいいアイドルを見てときめいていた人達に優劣などありはしないのに。
こんな簡単なことも気づかず、気づくチャンスもなくアイドルとは無縁の世界で生きた『私』は順調に年齢だけを重ねていきました。
『私』は突如としてアイドル、しかもよりにもよってかつて嫌悪に近い感情を抱いていたジャニーズの沼に全身突っ込むことになります。
友人がいつもカラオケで歌ってるから歌詞はどんなものか見てみよう——
どうあれ『私』は生まれて初めて彼ら、ジャニーズに興味を持ち、自発的に近づいたのです。
こちらから距離を縮めようと努力し始めたら、あとは簡単に転がり落ちていくだけです。
熾烈な競争の中で、彼らは1人でも多くの人の目に留まろうと努力していると知りました。そしてより強く光り輝こうと、勝ち抜いてやるという強い生命力のようなものを感じられたのです。
歌に目を向けても、聞いてる人間が容易に感情移入出来るように計算され尽くしたキャッチーかつ明瞭なものばかり。
ありがちで陳腐だと感じるときもあるかもしれないけれど、『私』は三十路の、社会の荒波で心がすり減ったちっぽけなオタク。
ありがちでも、それを嗤う反骨心はどこにも無く、むしろその陳腐さに有難みすら感じてしまいました。
だって社会は、同僚は、誰もすり減った『私』をよく頑張ったとは労わってくれないのだから。
家族は、友人は、画面の向こうのあなたも、『私』の息苦しさの全容は分かりっこないのだから。
理想の『私』と、現実で苦しむ『私』を比較して萎えて、それでも頑張ることが出来ずに不完全燃焼だった『私』にとって、高みを目指す彼はとてもかっこいいと思いました。
ジャニーズの歌は、頑張る姿は、こんなちっぽけで狭量な『私』すらも、許してくれているような……そんな気すらしました。
とにかく金を使わないオタクなので、買い支えてジャンルを長生きさせてるファンにはとても感謝しているし尊敬する。
でもグッズを欲しがる気持ちは全く理解できない。ジャンルを去った後、最終的に不燃ごみに出すことを考えると心が痛むから、グッズ買う気にはならないんだよな。お布施のつもりなのかな
なんかシナリオが夢小説だってのばっかり言われてるけど、そもそもシナリオ自体の作りもかなりまずくないか?
いきなりウタのライブを見にきてバーベキューしてる、いかにも日本のフェス()満喫してますみたいな麦わら海賊団のシーンから始まるんだけど、なんでグランドライン進んでたはずのルフィがあの場所にいるのかも説明がないし、いきなり全員が知っていてファンだってことにされるのが意味不明。
いや、なんでああいう場所にいるかってのがそもそもの伏線になってるでしょ?って言いたい人がいるのもわかるよ。でも表現が稚拙すぎてそう機能してないんだわ。
あと、あのバーベキューシーンを書きたかったんだろうね。「こんな特等席で見れるなんて」みたいなセリフが出てくるんだけど、ルフィたちがいるのはステージ前に謎にある離れ小島だよ?ほかの観客はみんなその小島とステージを取り囲むように配置されてるの。なにその晒し台。しかも一応指名手配犯だろ。マジでどうなってるんだ。ファンみんな海賊嫌いって設定なんだから、秒で気づかれるだろこんなの。
あと、ビッグマム生きてるのなんで?時系列が意味不明すぎるんだけど。
まあ、原作準拠してないって話はパラレルワールドだからいいよってことにしよう。そういうアニメ映画結構あるしね。
あと、ライブシーンな。
まず、最初の「新時代」を歌うライブシーンと思われるシーンなんだけど、マジで最悪。
ライブというからには演者は観客の方に向かってないといけないけど、この映画では四六時中カメラに向かって歌う。それはライブじゃなくてPVなんだわ。舞台で歌ってるシーン自体もかなり少ないし、ウタの能力のせいもあって、本当にワンピースのキャラソンのPVって感じなんだけど、ライブシーンって銘打っていて、キャラクターのライブアクトを見せますよ!みたいな映画なのに肝心の歌唱シーンがこれって酷くない?とりあえず監督はアイカツとプリパラを1億回ぐらいみて、タツノコプロのトイレでウンコでも食ってろって感じ。
そのあとに「私は最高」って歌で「あーここはディズニーヒロインっぽいのやりたいのね」ってのもわかるんだけど、ああいうのはストーリー上でのキャラクターの描写とそれに沿った作詞あってこそであって、Adoから上がってきた楽曲に宛書でコンテ書いてるようなメインストーリーと全然整合性の取れてない歌唱シーンぶち込まれても、一切感情移入できないのね。
それ以降の歌唱シーンも全部本編の間にある異物て感じ。なんか、ワンピースのアニメをYoutubeで見てたら、合間合間にAdoの曲の広告挟まれる感じみたいな映画なんよ。
もう見てる間中ずっとクソクソクソって心の中で思ってたし、人生で初めて映画途中退席しようと思ったわ。
後半歌のシーンが減ってきたら嫌悪感も薄れてきて反笑いで夢小説的なシナリオを眺めてたんだけど、シナリオ抜きでも相当ひどい映画だったと思うよ。
追記:コメントで「逆張り」って言うけどさ、根拠なく批判してるわけじゃない分からないの?売れてても売れてなくても知らねーよ。見に行った映画がクソだったから書いただけだろ。
「何に対しても反論してそう」って言うけど、批判意見に根拠のないレッテル貼ってること自体が「何に対しても反論してそう」って感じなんだけど。ブーメランじゃないの?