はてなキーワード: インターネットとは
元増田です。
こんなに反響があると思わなかったし、反響があったとしてもインターネット特有の小馬鹿にするようなコメントが半分以上を占めるだろうなと思っていました。
救われたというか、心が軽くなった気がします。
誰かに相談できないまま抱えていたから、慰めてもらったり辛かったねって同情して欲しかったのかもしれない。
本当は会社からの給料も3倍くらいにしてほしい!!!出張から逃げるべきだったけど、逃げなかったおかげで取れた案件だったんだからな!
ありがとうございました。
なぜなら、多数の根拠・方向性が混じってることに注意せねばならん。
まず第一に、ここは日本だし、ハレとケの概念で理解するんがええだろ。
エロとはハレであり、普段の公共の場でおいそれと出すものではない。
お前の「なんとなくAVの公告とかやだ」という感情には、この文化的感性が働いている可能性が高い。
ハレとケでは、ハレ=エロを削除するのはむしろ駄目だ。場をわきまえなきゃいけないだけで、両方が必要。どっちかというとハレの場で「AVとかだめだろ」とか言う方が顔をしかめられる。
でも一方で、法律が公共良俗という概念でエロを規制するのは、西欧輸入のキリスト教貞操概念が軸なんだよな。
この文化において、エロはシンプルに悪いことだ。良く言っても必要悪だ。悪いことを人と神の前ででしてはいけませんよ、とか発想がある。
だからこれに基づいて考えてると、そもそもエロとか規制して作れなくしたほうがいいじゃん、とか言いがちだ。
あと"人権"に基づいて話しているつもりのやつが、実はそういう宗教の話をしてたりするのが厄介。
エロい広告が存在すると性犯罪が増えるのか? 犯罪が増える以外に人間に悪影響があるのか? ヒトのメスがエロ広告を見ると不快になるがそれは何故でどれくらい耐え難いか? 統計という科学的手法によって測定可能で実際にされている。されているのでそれに基づく発言もされる。それらの発言は先二つの宗教倫理感とは一線を画すものだ。
この立場に基づくと、大抵の立場はエロ容認に傾く。科学的事実として、人間は広告を見たぐらいで行動を変えないからだ。メディアの悪影響とか、処理水海洋放出に影響が無いのと同様に、微細過ぎて実質無いです。
ただ「女性がエロが不快なのはしかたない」という事実も同時に得られるので、そこをどうするか。
だから結局は、主張が宗教に戻る。宗教は根拠がないから科学に戻る。堂々巡りだ。
政治ロビイング力とか、選挙で多数派かどうかが決めるということだ。インターネットの議論は、意味なくもないけど、直接関係ないね。特に勝ち負けは関係ない。
なんか似たような話は死ぬほどあると思うし、てかここで死ぬほど見たし、たかだか人生21年でなにがわかるのかという話である。私が一番そう思っている。
この日記は私の思考を整理したいのと、それに対しての反応が見たくて書いている。ぶっちゃけ初めて書くのでなんか変だったらごめんね。
先に言いますが弱者男性とか弱者女性とかそっち系では全然ないです。そういうの期待してたらごめん。
ここからしばらく自分の人生語りになるので嫌な人は結論まで飛ばしてください。長いし。
私は現在21の大学四年生である。タイトルにもある通り処女である。スペック的には152センチ45キロFカップ。顔は極めて普通であると思う。ナンパとかそこそこされる程度の顔である。地元ではそこそこ名前は知れてるけど全国だと聞かないよね、みたいなレベルの大学に行っている。IT企業の内定は出た。
小中はそこそこ男子とも話したが高校から女子校に行った。女子校とはいえ彼氏のいる子はいたし、女子校だから彼氏ができなかったというわけではないと思う。ただ私は積極的に学校外のコミュニティを広げる気は無かった(そこまで余裕がなかった)。学校での友達はできた。
大学に入学したのは2020年で、コロナウイルスが猛威を奮っていた年である。当然ながらリモート授業がメインとなり、出会いなんて夢のまた夢であった。あとソシャゲにハマった。私のバイトは諸事情ありより稼げることを優先したため、病院の清掃を選んだ。若い男性なんかいなくて、基本主婦の人が多かった。辞める人もめちゃくちゃ多かったがメンタルが強いのが売りだったので結構続いた。主婦の人が可愛がってくれるのも嬉しかった。
大学3年ごろからいい加減自分で動かなければ出会いはないのだなと思った。とはいえ大学ではサークルに入りそびれそのあたりの出会いは期待できず、ゼミではなんかみんな個人での活動が多く話す機会がない。
正直すぐに飽きた。まあおとなしめの清楚系に見られる顔ではあるため結構なレベルのいいねが来た。やってたのはタップルである。一日ほっておけば99+件のいいねが来る。ここでの選別(言い方が悪くて申し訳ない)だけでだいぶ疲れる。マチアプは写真というのは真理である、こんなんいちいち文章まで読んでいる暇はない。顔写真を出していて、一定以上太っていなくて肌が綺麗、年齢は27あたりまでの人を条件に選んでいた。余談だが見てる限りでは30後半や40あたりの人、果ては60あたりの人からもいいねが来ていた。彼らは何を求めて私にいいねをしているのだろうか。間違えたかパパ活かなと思ってスルーした。
さて、ようやくここから会う段階に入り、8人ほどと会った。デート内容は割愛するが自分の費用は自分で払った。大半の人は、二、三回目あたりで付き合いたいと言ってくれた。ヤリモクもいたけれど。
ヤリモクでなさそうなひとから2人ほどと、期間がめちゃくちゃ短かったが(一ヶ月と三ヶ月)付き合ってみた。いれる寸前まではした。が、私サイドがめちゃくちゃ何も感じなくて続行できなかった。触られようが何されようがビタイチ気持ちよくならない。触られることやハアハアいってる人間への不快感こそあれ、これで何が楽しいのかさっぱりである。男性が多いジャンルのオタクであるためエロ同人とかも読んでるんだがあんなふうに全然なれない。濡れるわけもなく、シンプルに続行不可能となり、気まずくなり別れた。面倒になりタップルはやめ、就活頑張った。
私と付きあった2人が特別下手だったとは思わない。私サイドに圧倒的な問題があったんだなと思う。女性はテクニックどうこうではなく好きな人だとか雰囲気だとかの感情で感じるとかいうのをどこかでみた記憶があるが、私にはそれがなかったんだなと。好きになってもいない人とどうこうなっても、面倒臭さの方が優ってしまうし、そんな相手に触られても、本当に申し訳ないが感じ方としては痴漢と遜色ない。
じゃあ好きな人を見つけよう、となったって、現実にいたるまでまともに人を好きになったことがない。なんかいいな、と思う人がいても、自分を俯瞰的にみている自分が白い目で見てしまう。俯瞰的な自分が、こんな自分が誰かを好きになってるのを気持ち悪いなと思っていてどうにもできない。実際付き合っていた時もどうにも嫌で嫌で仕方ないときがあったし、相手から事に及ぼうとするときになんとなくなにかに失望していたし、そういうことをしようとする自分が気持ち悪かった。ベタベタ触られるのが嫌だった。
改善策もよくわからないし、なんなら改善したいかと聞かれたら現状面倒くささが勝る、という感じではある。ただ自分が人間としてなんとなく不出来だなと思って、誰かを真っ当に好きになりたい、もしくは原因を知りたいとは思っている。心が二つある〜
あとなんかまともに付き合った経験がないと社会から異常者に見られるのはよろしくないなという気持ち。まともな人間に見られたい。
精神病とかそういうのではないと思う。元気。
当たり前だがそこそこ荒れててこれがインターネット…となっている。Twitterもろくに呟かない人間なのでめちゃめちゃ新鮮!
女風は2回ほど試したけど会ってすぐの人間に心開けるわけもなく苦痛なだけで終わりました。本番なし。対して彼氏と変わらなかった。お金が無駄だった。
二次元なら、というのはよくわからない。夢女子とか腐女子ではなく、誰かのことを好きなキャラが好きだからか自分のことを、とかは一切思わない。女子校出身だからか周りには多かったけど。恋には落ちたい。
アセクとかはそうなのかな?わからない。勉強不足なのもあるけど、恋愛したい、とは思ってるのでなんとも…理想としては性的なこと一切なしでお付き合いできれば、なんだけど難しいよね。
マチアプのいいねに関してはほんと男女で違うと思う。大量に来るいいねを捌くだけで大変で、女性側からいいねを送る機会は減るんじゃないかなとは思った。知らんけど。
女友達にこれ相談するの恥ずかしくね?周りは基本恋愛してるのでなんとなく相談しにくい。
三大都市圏内ではあるのでギリ田舎ではないと思ってるんだけど東京じゃないから田舎かもな。その辺りの感覚人によるからわかんないけど…
オナニーだがしない。これもしてる自分が気持ち悪くて気分が乗らない。数少ない付き合った彼氏におもちゃを使われたりもしたんだけど特に何も。有名な吸うやつとやらは痛くてキレた。
マチアプ向いてないは仰る通り。なのでやめた。結婚相談所とかでスピード婚!みたいなマンガ見るたびにどんな手を使っているのか聞きたくなる。
強制的な結婚、漫画の恋と嘘みたいな感じかな。その場合めちゃめちゃ相手に申し訳ないな、我ながらハズレくじ寄りだと思うので。
コメント総括すると恋しろっていうのが多いね。そのためにマチアプやってみたり書かなかったけど男子多めなバイトしてみたりしたんだが難しかった。根本的に私の気持ちを変えないとどうにもならないんだと思う。社会人になったら出会いが少なくなると聞いてるんだけどどうなんだろう。恋愛したい理由として、恋愛したことがある経験が欲しいっていうのがある。よく聞く40代で発狂とか、何かしらのロマンス詐欺とかも怖いけど。友達にいわゆる恋愛脳の子が多いのでしなきゃいけないんじゃないか、って気持ちにもなってるのかも。
インターネットではそういうのが目立つだけで実際は3割くらいなんじゃねぇの?
昔のインターネットって感じがして
今のインターネットって自分が求めるものだけを見るけど、昔はそうじゃなかった
今のインターネットはお前はこういうのが欲しいんだろ!みたいな押し付けもあるし、対立するようなものを積極的に能動的に排除しやすいから、それがエコーチェンバーを作るんだと思うけど、Tumblrは今のインターネットにしてはエコーチェンバーができにくいから好き
どうやら、そうならないから金にならないみたいだけどさ
金になる・なりそうなインターネットサービスってのはエコーチェンバーの中に留める仕組みなんだってユーザーは自覚すべきなんだなって思ったよ
お前ら全員気持ち悪いよ
つか、恋愛/性愛する奴はだいたい気持ち悪いな〜って感じながら生きてるよ、俺は
バカのひとつ覚えみたいにこっちが恋愛する前提でパートナーの有無聞いてくるしさ、街歩いてる異性見て自分が性的に興奮できる人間見たら目で追うしそれを別に気持ち悪いことだと思ってないしさ、全員がセックスするって前提の世界観でしか生きてないから性経験の有無とか回数とかで一生ゲラ笑いしてんの マジで頭悪いし気持ち悪いよ、お前ら全員な なんで自覚できないんだ?自分の気色悪さをさ 全員気持ち悪いんだよ、自覚してくれよ 変態じみてるよ なんで性欲剥き出しで生きていけんの?恥じろよ、己を
ああごめん、ヘテロって言っちゃったけど普通にゲイもレズビアンも俺は嫌いだよ 恋愛する奴全員気持ち悪いつってんの それを前提に生きてる奴が全員嫌いなんだよ、俺は
うん、結婚制度は平等であるべきだと思ってるし、俺は選挙は毎回同性婚に賛成の政党に入れてるよ マリフォーにも数回寄付したしな(マリフォー知らん奴はもうこの記事読むな、インターネットやめちまえカスが 目の前の液晶叩き割れ、お前に必要ないから)
仕事でちょっと儲けて金に余裕がある時は必ずしてるよ、俺は恋愛と性愛をする奴は全員心の奥底から気色が悪いと感じているけど、それはそれとして権利は保障されるべきだと思ってるからな
結婚制度とかいう気持ち悪い制度はそのうち消えて欲しいけど、その前に平等に保障された制度を皆が享受する段階は必要だから、俺は同性婚を支持してる
支持するしないとか言わなきゃいけないこの時代自体気持ち悪すぎる 当たり前のことなんだからさっさと進めよな馬鹿馬鹿しい あほくさ 結婚制度が平等になんないと制度自体の見直しが進まねーんだからさっさと同性婚程度通せよ 馬鹿じゃねえの本当に
まぁゲイとかレズビアンは所詮マイノリティだから接する機会も少ないし、それに伴ってそいつらから恋愛至上主義的価値観押し付けられる機会も少ないから、気持ち悪いな〜って思う機会も少ねえんだわ、気持ち悪いのはやっぱお前らだよお前ら、ヘテロだよ
数が多いからってデカイ顔して自分達が世界の法則てございってツラしてのさばってるお前らヘテロが俺はやっぱ一番嫌いなんだわ
あー差別は良くないな、うん、差別はよくない よく理解してるよ 俺の書いてるこれは確実に恋愛/性愛可能者への差別になるだろうな
昔からずっとそうだったし、これからもそうだってことは俺自身のことなんだから俺が一番よくわかってるのに、ヘテロのお前らは勝手に「モテないから卑屈になってる」とか「弱者男性の行き着く先」とか言うんだよな この文章にもどうせそういうレスがつくんだろ バカのひとつ覚えで「モテ」「非モテ」の二分類で人を測ることが当たり前だと思ってる、そういうところが本当に気持ち悪いんだよ、お前らは
本当に気持ち悪いよ、お前に言ってんだよお前に
今これ読んでるお前に言ってんの
自分以外の全員が全員、人間相手に欲情する世界観を共有してると思って生きてんじゃねえよ
わかるか?
丁寧に言うぞ
人間相手に欲情する、その価値観が是とされる世界観が今は主流だからお前は変態と見做されずに済んでいるだけであって、俺みたいな奴、つまり誰にも欲情しない世界観を持つ人間からしてみれば、お前は変態なんだよ
あーなんて言えばお前に伝わるかな
どっちも同じように気色悪さを感じるってこと
人間相手に欲情してる時点でどっちも共感できないしな、気色が悪いんだよ
まぁペドは内心にしまっておいてる分には俺は責めないよ 内心の自由は保障されるべきだからな 行動だけが責められるべきだ
その点でもヘテロは気持ち悪いね、なんでお前の性欲は内心にしまっておかなくていいと思ってるんだ?マジで笑えるよ
これでもわかんねーなら読むのやめろよ、理解力なさすぎるからな ヘテロって頭も悪そうだから、大丈夫 お前が頭が悪いことも俺は理解あるよ 四六時中人間に欲情してんのって友達とか見てると大変そうに見えるから、お前がこの文章を理解できなくても俺は責めないよ 可哀想にな
それにしても気持ち悪い世界だよな、そう思わないか?思わないか、俺とお前は同じ世界観を共有してないもんな
悲しいな
youtubeを見れば毎回毎回広告で知らねー女がこっちに微笑んできて出会おう!つってきて鬱陶しいし(あれ女向け広告はあんのかな?妹から見ないって聞いたけど、あんなクソキモ繁殖用アプリでもユーザー数多いんだから、女向けにちょうどよさそうな容姿の男が微笑んで出会おう!って言ってくる広告もあるべきだろ)、芸能人のセックス事情に世の中の全員が興奮してるしな、上司も同僚も飲み会の度に自分の恋愛についてそれがとても素晴らしいことかのように俺に語ってくるし、電車の中でも結婚式用の広告があって、好きなアーティストの曲は恋愛がテーマじゃない曲の方が少なくて、たいていのコンテンツは女と男が2人でメインの主人公をやっててさ、少年ジャンプじゃ最終回は繁殖三昧、それを全員当たり前だと思って享受してる
狂うだろこんなん
本当に毎日死にたくなるよ
毎日、毎日、お前らヘテロが思うところの「当たり前」ってやつを口から何度も何度も詰め込まれて吐いても詰め込まれる生活をやってんだよ
俺はただ俺として生活をやってるだけなのに、お前らヘテロは俺にすぐレッテルを貼るだろ
あーあ
くだらないよな
本当にくだらないよ
そいつは恋愛するし性愛も当然するんだよな 俺はその度にまぁまぁ悲しい気持ちになるんだよ あーまたそうなのかーってさ 海外のコミックは結構俺みたいな奴が最近出てくるから、嬉しいけど
でもたいていのコンテンツに出てくる俺みたいな奴はみんな「なんか冷たくて」「人間不信で」クールな感じのキャラクターなんだよな(お前がアニオタならなんだっけ、やが恋の男とか思い出せばいいんじゃないか?)
俺は結構明るい奴だから、なんか嫌な気持ちになったりするよ 恋愛も性愛もしない奴は全員暗い奴だと思ってんのかな?ヘテロは まぁこんなん書いてる時点で暗いのかもしれんけど でもさ、そういう面だけじゃないんだけどな、俺は
くだんねーよな
死にたくもなるだろ
やってられるかよこんなクソゲー
でも俺は自分が大好きだし家族が大好きで、妹も大好きなんだよ、友達も大好きだしな だから死なない
俺は俺の関わってる人たちが大好きだから、根性で死なないでいるだけなんだよ
俺の周りは全員今んとこヘテロだけどさ、俺はヘテロだって理由でみんなを嫌いになりたくないわけ
こんな文章書いてる時点で矛盾してるけど、まぁ許せよそんくらい ヘテロは心も狭いのか?
毎日頑張って嫌いにならないようにしてるんだよ
父親も母親もいい人だしな、妹はもう大人だけど昔から本当にかわいいし(顔のことじゃねえぞ、ヘテロはそういうところが気持ち悪いんだよな、人の顔の美醜を自分が欲情できるか否かで判定する文化は俺にはない、勘違いすんな 妹の生命自体がずっとかわいくて愛おしいんだよ)。友達とゲームすんのも好きなんだよ、気のいい奴が多いしな、大学の時のサークルの先輩も後輩も俺は大好きだよ
上司もたまにホチキスの止める向きとかで意味わからん細かい注意してくるところ以外はバイクが趣味の面白いおっさんで俺は好きだし、俺には推し文化はよくわからないけど同僚が好きなアイドルについて熱く話してるのを聞くのは好きだよ
あーあマジで みんな大好きなんだよな
だから怠いんだよな
それ前提で話すのやめてくれればもっと好きになれるからさ、大好きなままでいさせてくれないかなー
まぁ無理か
こんな文章長く書くの初めてだな
手怠くなってきたから終わるわ
👋
俺が小さい頃に初めて見たテレビは「小さく低画質なブラウン管テレビ」だった。
俺はそのテレビを使って、ビデオを見たり、スーパーファミコンをやっていたりしていた。あんな小さいテレビで、よくゲームをすることができたものだ…。
最近の10代(特に2006年以降に生まれた子供)は知らないかもしれないが、鮮明に映してくれる今のデジタル放送とは違い、当時はアナログ放送だったため、電波が悪いといつも「ザーザー」と砂嵐ばっかりになって画面が見えずらくなり、大好きな放送が見れないことにがっかりしたり、イライラしていた時期がよくあった…。
小学生高学年になってから、「ニンテンドーDSを買え!」と親にねだった時もあって、親はイヤイヤながら買ってくれたのが懐かしい…。
中学生になってから、家にあった「Windows Vista」の新しいノートパソコンをよく使うようになったのだが、動作が非常に遅く、じっと待つしかなかった…。どのくらい待つのかといえば、電源ボタンを入れてから、間食用のカップラーメンを3分で用意できるぐらいだ…。ゲームぐらいさせてくれよ…。
あとインターネット回線の速度も死ぬほど遅かったものだ。画像1枚を読み込むのに1分もかかったことも珍しくなかった…。
高校生になってから、自分のお小遣いを使って、内緒でウォークマン「NW-Sシリーズ」を1万円で買って、沢山の音楽を聴いていた時期もあった…。
大学生になり、家電量販店に行った俺はアルバイトで貯めたお金を使って、3万円した32型の液晶テレビを買うことができたのは、何よりうれしかった思い出だ…。
数年後には「各4Kテレビ」が販売されるようになったが、当時はまだ気軽に買える値段ではなかったぞ(たしか50型の4Kテレビは最初「40万円以上」もしていたのは覚えている)…。
そしてしばらく時が経ち、コロナが流行り始め、家に居る事が多くなった俺は、久しぶりに家電量販店に行ってみると、50型の4Kテレビが20万円以下で買えるようになったことに驚き、これを機にそのテレビを買った。やっぱり新しいテレビはいいよ…。より快適になればなるほど、感動は沸くものだ…。
そして最近になって、コンビニの店内や駅前、さらに電車の中にも、巨大モニターが設置されるようになったため、もはや街路中にモニターがあることが珍しくなくなった。
街路中に巨大モニターがあるだなんて、俺が高校生になるまで、「渋谷ビル」か「新宿アルタ」ぐらいしか思い浮かばなかったのに…。
まとめに入るが、俺は人生の中で最も変化があったものは、やはりテレビや電子機器の進化だったのではないかと思う…。
ちなみに今、4Kテレビの値段を見てみたが、50型でも10万円を切るほど気軽に買えるようになった…。あと8Kテレビの値段も、「20万円以下」で買えるようになったのも驚いた…。
1950年代に白黒テレビが販売された当初、一生かけても庶民には買えないぐらいの値段だったのが、今ではもう気軽に超高画質なテレビが買えるというギャップよw
いやマジで怖かったと思うんですよ。
インターネットからやってくる無数の暴力によって心を殺される可能性があった。
そう思うとですよ。
「俺はもっと人間らしい心を大事にすべきだ」とまず誓うべきは、友達を大事にすることよりも、「友達でもなんでもない他人にもそれぞれの人生があることを大事にすること」なんじゃないかなって。
誰かが自分の多様性に悩んで死なない世界を作るのに必要なのは、友達が駆け寄って助けてくれるっていうことよりも、通りすがりの誰かが自分の身勝手な都合で気楽にぶん殴ったり「ヘイヘーイ!袋叩きターイム!」とか始めないことだと思うんですよ。
いやマジで。
まずはそこだと思うんですよ。
俺も改めてそのことを感じてますよ。
本当に当たり前のことだけど、文字にするとエアマックス狩りかよみたいな感じだけど、これのごく薄まったことって僕らは毎日平気でしてしまっていると思うんですよ。
それをね、減らさないといけない。
この世界のすべての人間が、全員本当に心を持ち、それぞれの年齢と同じだけの長さの人生を生きてきったことを、十二分な解像度で考えられるようになった方が良いと思うわけですよ。
この話は難解という感想をよく見るが、その実は全く逆で、宮崎駿が監督作品として一貫して伝えたかった事を、教養のない愚かな大衆の為に限りなく簡潔で単純なストーリーに落とし込んだ結果、宮崎駿自身も「訳が分からなくなった」作品である。
この作品は宮崎駿の自叙伝であることは既によく知られているが、彼の内面やバックグラウンド、そしてこれまでの作品で彼が伝えたかったテーマの一貫性を保っている。
彼はそもそもこれまでの作品にも自分と周囲の環境とを幾度となく投影してきた。ただし、それは一部のマニアにしかわからないものであった。今回は、そのベースに加えて現実の宮崎駿自身の回想を複雑に絡ませて投影されているだけでなく、そのものずばりで作品のオマージュという形で追想しているのだ。
そしてここからが重要な点だが、当然それは単なる追想ではなく彼が監督作品で一貫して伝えたかった「生きるとはどういうことか」というテーマに対して「自分はこうしたがダメだった」のだというメッセージになっている。
戦闘機の風防を量産する軍需工場の経営をしていた父のもとで軍国少年として育ち、裕福ながらも厳しい家庭で母の愛を十分に受けることができなかった宮崎は、敗戦後左翼に傾倒して東映アニメーションで高畑功と出会い、強い影響を受けて監督作品にそれを秘めるメッセージをこめてきた。
これまでの監督作品で散りばめられていたオマージュや背景設定には、子ども向けの作品でありながら大人には「鑑賞者の教養」をもってして強烈な現代資本主義と衆愚政治に対するアンチテーゼが展開されてそれこそが深みとして楽しめるものになっていたのだ。
だがそれは一部のマニアだけが知るものとなり、実際に「大人」である大衆が想定以上に教養がなかったがためにジブリ作品のストーリーやアニメーションとしてのレベルの高さといった表面的なものばかりが「良い」とされ、宮崎駿や高畑功が伝えたかった事は伝わらなかったのである。
それでも宮崎駿は諦めず、本作のアオサギたる鈴木敏夫にそそのかされて愚かな大衆と私腹を肥やす連中のために作品を作り続けた。いつか伝わるだろうと鑑賞者を信じて。
いや、もう飛べないのに何度も何度も鈴木敏夫に首根っこをつかまれて。
そうして作った過去の作品たちだが、まるで伝わらなかった。そして彼は遂に「諦めた」のである。「諦観」にも近いだろう。戦後の日本人が当然に持っていた強く気高い教養は、戦後75年高まるどころか全く失われてしまった。
まさに劇中のインコのように、脳みそが小さく何も考えることができない、ただぴーちくぱーちくインターネットで喚き、特異なものを攻撃する。コンテンツをひたすら消費する愚かな大衆に対する、宮崎最後の強烈にシニカルな表現である。
そして現代日本人を代表するように庵野のような表現と個人主義的な自己実現による自己救済、新海のような風刺のない純潔な大衆作品、そして特に何もない残せていない息子が残った。中盤から終盤にかけて、継母のタッチが明らかにジブリのキャラではなく、庵野や新海といった顔の印象を残しているのは、「俺はこう生きた、お前らもあとは好きにやれ」という餞であろう。
こうした自身の溜まりにたまり、ある種の呪いに近しい諦観を、いよいよ吐き出し昇華せんと最後の力を振り絞って、教養が無くてもそれとわかるように単純かつオマージュもジブリ作品にし、走馬灯のように仕立てた。大叔父は死期を間近に控えた自分自身であり、13個の積み木と世界はスタジオジブリそのものである。自分自身が、自分自身に対してケジメをつけた作品なのだ。
「作家は経験したことしか書けない」は宮崎駿とて例外ではない。自己を総括するように、母性に対する渇望と周囲の女性達との思い出が上手く母・継母・見守るおばあちゃんたちといった具合に添えられている。
だが、この作品は紛れもなく宮崎駿の自伝かつ遺書であり、「君たちはどう生きるか」はこれまで一切メッセージが伝わっていなかった人間達に対する、まっすぐな問いかけである。
追記:
残念なことに、この作品を観て本当の意味で「あぁこれはねぇ~」と嬉々としてはしゃいで満足するのは岡田斗司夫ぐらいで、上記のような内容を今にYoutubeでレビューをするだろう。