はてなキーワード: ありがちなとは
タンゴールーッス
本日はナミビアの日、パワプロの日、フランスの憲法制定国民議会が1789年に人間と市民の管理の宣言を採択したことから人権宣言記念日、と呼ばれてる日でもあります。ちなみに人権デーは世界人権宣言が12月10日。
マグナカルタが承認されたのは1215年の6月15日、日本人に基本的人権が設けられたのが1946年から
まぁ、なんというか正確な日付以上に持て余しがちなものを持たされてるなぁという感じですね。
今でもその権利を持ってる自覚とその権利を行使しきれているのかって感覚はありますね。
とはいえお互いのラインを見極めながらコミュニケーションを取らないと、よくわからないところで反抗されるのはありがちなところなので
そこら辺は見極めていきましょう。
ということで本日は【ラインの見極めよいか】でいきたいと思います。
「専業主婦OKって書けば間口広げられるはず」は
リアル同世代女性と縁が薄い男性にありがちな思い込みな気がするんだけど。
もちろん「専業主婦いいなーあこがれるー」って女性は一定数いるよ。
ただ、増田と相性のいいタイプに専業主婦志望が多いかどうかわからないよね。
専業主婦志望の女性が求める男性像と増田はタイプが違う気がする、つまりミスマッチなので2回目がないのもある気がする。
だから、
・自分自身の人生がどうありたいかきちんと自己分析して、「希望としては」どういう人生を作っていきたいか
をもっと煮詰めたほうが…。
そのうえで、どっちか限定でもないのであれば、それを軽くさらっと「人生何があるかわかんないからさ、共働きじゃなきゃ絶対だめだとは思っていないんだよね」ぐらいにしたほうがいいと思う。
それが強みになると思いすぎると足元すくわれるのでは。
強みになると思っているのが表に出ると増田の場合、魅力なポイントじゃなくなる。途端に足元見られるというか。
はまた別。
専業主婦志望の女性と共働き志望の女性はけっこうタイプが違う。
基本はこの増田と合いやすいタイプにどっちが多いかで自分の見せ方を変えていくのがいいかなと思う。
あと趣味の話をしてれば距離感縮められると思ってる節があるけど、
女性の反応を見る限り、表面的な話しかできていないので2回目がないんだと思う。
趣味の話を続けても男女としての距離感は縮まらない。女性側は友人が欲しくて来てるわけじゃないから、
なんか違ったと思って次がなくなるのかな…。
あと、言うまでもないことだから書くとなんか上から目線になって悪いんだけど、
話をしている間、適度に相手の目を見るってやってるよね?
ふと、広大なネットの海に彼の断片が揺蕩っていないことに、一抹の寂しさを覚えたので。
彼に逢ったのは大学2年の春のこと。九州出身の僕にとって、コートが手放せない北関東の春寒に辟易していた頃であった。
新歓委に適当に名を連ねた自分は、準備のために何ひとつ手を動かすこともなく、当日ふらりとやってきては三枚目を演じる役目に殉じていた。
定かではないが、正確にアイデンティファイしたのは、何度目かの食事会のことであったろうと思う。えらく目に残る濃紫のダウンコートに、これまた鮮やかなスカイブルーのボトムス、黄緑のリュックという出で立ちで、ママチャリを漕ぐ小柄な姿に、台湾の街なかをゆく人を彷彿したものである。
彼が口を開けばすぐに明晰さに気がついた。女史の多い学類の中で数少ない男子、話を聞いてみると、さらにマイナーなところで史学徒志望とあっては、親交を温めるに十二分であった。必然的に同じ授業を受けることになり、同じ時間に学生控室に居ることになった。
半年も経つ頃には、先輩風なぞ吹かせられないほど優秀であることを思い知らされた。彼の謙虚な姿勢で分かりにくかっただけで、史学は勿論、政治、社会、哲学、文学、芸能に至るまで幅広く人文学の素養を蓄えているさまは、正しく博学才穎と評するに値する。
なるたけ楽をしようという学生と対照的に、彼は努力の人でもあった。史学徒らしく先行研究を丁寧に洗い、批判的思考の先に論理的な積み重ねをするといった基本を忠実に守り、そしてその先を直向きに追究していた。
彼の尊い所は、それらの要素をコメディカルに自嘲し、扮飾していることであった。口癖に「チャップリンのような男になりたい」と言っていたが、恐らくはそのあたりに起因するのだろう。オフの彼は道化であることを心がけていたように思える。
実際、彼が醸し出す人間的魅力は、接する多くの人々の心を開かせてきたに違いない。それは悲しいかな、告別式に集まった人の数で可視化された。
院進を悩んでいた頃、自分の無才さとそれを補えない怠惰を刺激され、逃げるように就職した。
少ない給料でも、彼が困ったときに本代くらい捻出できれば、それで十分だと思って。自分は一線で人類の知を切り開く探求者にはなれなくとも、彼らを応援することくらいはできる、そう思っていた。
遺された人にはありがちな思考過程ではあるが、彼が居なくなった後の世界は何も変わらなかったことが恨めしかった。まるで彼という存在を皆忘れているかのようで。
自分もそんな世界の一員だった。彼の告別式でも、その後一人で2月の寒空の下をバイクで3時間走ったときも、ひとつぶの涙も出やしなかった。次の日にはケロッと出勤した。
暫くして事後処理で窶れきった主査の先生へ手紙を書いたとき、初めて涙が溢れた。「彼の分まで生きましょう。彼もきっとそれを望んでいるから」と、宛てたのは先生へだったが、届いたのは自分のところだったのだろう。
思いきり泣いたことで随分気持ちは楽になったのだが、前よりもずっと、フラットに彼と向き合える自分がいることに気づいた。それは嬉しいことだった。少し遠いところに行ってしまった、くらいに思えて、以前よりずっと身近に彼がいるような気がするからだ。聖書にある「神に近づいた」状態と似たような心持ちなのだろう。
以来、こうやってことあるごとに彼を思い出すわけだが、そのたびに僕の中の彼が記憶のリフレインだけでなく、その先の知新を促す。僕は過去の一時点に比べて、ずっと世界に対して心を開けるようになった。
彼がやっていた南相馬の農村社会史を引き継ぐことはできないが、彼がやろうとしたことは自分にも引き継げる。今、僕が眼の前の人々を愛し、その未来へと思いを馳せることを大切にしているのは、きっと彼がそうだったからだろう。
彼の不在は世界を変えなかった。だが、彼の存在は僕の視座を変え、そして僕からまた誰か別の人へ伝播する。それが世界を変える頃に、誰も彼の名を知らずとも構わない。よもや小汚い小男から手渡されたバトンだとは世人も思うまい。彼という人間の射程の如何に大きなことか。
君がいなくなっても地球は回り続けている。コロナで世の中がひっちゃかめっちゃかになって、東京五輪があって、君の好きだった能年玲奈は今も芸能界で頑張っていて、相馬の野馬追祭りは久しぶりに開催された。国会は相変わらずだけど、安倍さんのことは、そっちに行ったから君のほうがよく知っているだろうね。
どうか、もう少しそこで待っていて欲しい。君の好きな偉人たちがごった返しているだろうから、ヒマはしないだろう。僕はもう少し僕にしかできないことを探してやってみるよ。また会えたときには色んな話をしよう。
ミーティングでプロジェクトチームからの報告を私が担うことになり、みんなで考えた文書を提出した。
→伝え方が悪かったとされ、誤解を与えてしまった。
今度行う施策について、3月までゆっくり切り替えていきますが、全員ができそうな部分は早めに取り組んでください、と伝えた。しかし、
→移行期間を行わずに新体制に移行します。マニュアルよんでね。旧方法やる人は許さん。
というニュアンスで捉えられてしまった。なんで。怒った口調で言ったわけでもないのに。
それについて、「伝え方が悪い」とか、「誤解を招く表現してたんじゃないんですか」とグチグチ言われた挙げ句、新しい施策のうちわたしの介入したところを白紙にされそうになった。
こんな感じでやりますよ、じゃあ施行しよう。という段階で、詰めの甘さを指摘され、後出しでこれってだめなんじゃないですか。というのは急にもほどがある。
そもそもが有識者(詳しい情報を提供してる業者)の意見を聞いてそうなった部分もあるのに、考えてないだの思考停止だの言われた。自分たちより詳しい人たちとか、経験から導いたこととかを疑えってのはそれはそうなんだけど、「根拠は?」「根拠は?」と詰められて疲れてしまった。根拠はあるけど書籍に乗ってたとか導入事例があるとか、他社のやり方に習ったとか全部駄目で、完璧を目指さないと気がすまない某チームメンバーと対立してしまった。
新しい方法の導入についてだけど、きっちりやりたい一方、なるべく失敗しない方法で簡便を目指したい、というわたしの意見も手抜きとか意識低いとかで棄却された。
ミーティングでも「わかんないよ」と言われた。やってみればそんなに難しくないことですら、説明書が1から10まで書かれてないとだめだし、説明書がどんなに詳しく書かれていたとしてもそれを読んでくれないというのは薄々気づいていた。
ちなみにこのプロジェクトを指示した人物からはひたすらプロジェクトの完成を急かされ、呼び出されては怒られを繰り返した。
チームメンバーも敵だし、新しいやり方をこれから覚えてく人も敵に見えた。これをやりなさいと命令した人も。
ちなみに報酬もないしこれをやったからといって昇進するわけでもない。どこにモチベを見い出せばいいのか。
といってたどり着いた先が業務を簡略化し心理的負荷を下げれば救われはするかな…
だったんですが上記のそのスタンスすら根底から覆されようとしてるのを感じ、もうモチベーションもなにもかもが粉々に砕け散った。
そもそもがチームメンバー同士の会議で資料を事前に送っているのに読みもしないでミーティングを行い、初めてみた情報に対して怒りを顕にするような会議しかできないってのがおかしい。昔から思うけどそれで会議って言っちゃう人があまりにも多すぎる。そして一回決めたことを理由をつけてひっくり返すものだから、答えが決まらない。
また、理由を1から10まで決めないと気がすまない人も多い。もちろんなにかを選択しなくてはならないときに理由を挙げる大事さは分かるんだが、結局のところは選択肢AとBどっちが好きか?の問題でしかない。
対面会議の重要性は、まず文字でのやり取りを終えてから承認を得たり、会話じゃないと得られないやりとりをするのが本質なはず。だけど、ときに権力や知識を振りまいて感情的に物事を言うことでこっちからの意見を封じ込めたいという意図を感じることもある。
基準として、リモートや文面、Slackで完結しない会議は(それが必要なことがあるとしても)そういう要素があると思う。
ようは対面での会議は「怒られ」を象徴する。という認識になってきた。
わたしは昔からまあ部活動の運営とか技術系とかに関わってはいたんだけどそういう要素もあったので、これは弊社に限ったことではなくどこでもあることなんだろう。なので転職すれば直るかというとそうでもないと思ってる。(むしろ悪化するまである)
ようは定期的に精神力と睡眠時間・余暇を削って怒られるための文書や資料を作る、怒られるための準備をするってのがほんとに耐えられなくなった。怒られるのが嫌っていうと甘えに聴こえるかもですが、私が欲しいのは具体的な意見であって感情的な意味もない叱責や人格そのものの否定ではない。
ここ数ヶ月のわたしは
・いろんな人からの板挟み
・定期的に怒られるイベント
そういうストレスが蓄積して、今回爆発した。
川に飛び込み、ロープで絞首を行い、家にあるありったけの刃物で手足を刺した。普通の人であればこなせる仕事をこなせず反省もしないバカ(つまり私)に制裁を与えてやった。死んだら人や家族、職場に迷惑がかかるから。死なない程度に。誰かに気づかれたら心配されるから傷も隠した。(2人程度にはバレたけど)そして唯一の言葉の吐き出しができるツイッターにて、アカウントを「あれ」に乗っ取らせた。
あれっていうのはざっくりいうと不注意の多い自分に代償として生まれた概念で、分かりやすくいえばなにかを迷うシーンでありがちな「天使と悪魔」のうち「天使」に属するが手段を選ばない奴で、正義のためなら暴力や兵器すらも使うタイプのやつ。
つまり、「お前(わたし)はダメ人間なんだよ!」というスパルタを私から分離した超攻撃的な人格が私の中にはいて、自傷行為を引き起こす。
これを分離しすぎるとセルフネグレクトが起こるし、近づけすぎると自傷になる、とても扱いにくい奴をわたしは心の中に飼ってる。
まあ、この「あれ」に精神が乗っ取られて自傷行為が起きる、という認識だ。
今回、様々な環境要因もあり、「あれ」に精神を乗っ取らせてしまった。SNSの人格すらも乗っ取られた。
こう書くと中二病に見えるかもなのだが、事実自傷行為中の記憶がないし終わったら泣いててひっかき傷だらけの自分がいて理解ができない。怖い。
となると身近なツールで「あれ」との対話を残す、とか「あれ」の存在を私以外に客観的に見てもらうのはリスクが伴うけど対処法にはなる。
なので、鍵のアカウント化してああいうやり取りをわざと残した。ということになります。
今はアカウントは戻し、当時のやり取りは消しましたが、こういう現象があるということもご理解ください。
そして、SNS等で不安を与えてしまい申し訳ありませんでした。お声がけしてくださった方もありがとうございます。
そういうのってラブホテル以外だと迷惑にならないのかなとは思ってた。
昨日定員二名カップルばっか使う26万円のスイートルームがテレビで紹介されてた。
カップルで泊まるって把握してるならエッチの可能性ぐらい考えてると思うけど「高級ホテルでそんなのやる奴いない」と甘く見てるのかな?
ラブホテルならホモにありがちなスカトロプレイの残骸含め掃除係は覚悟してるだろうけど高級ホテルだと性腺由来の体液が飛び散ってるの見ただけで困惑しそうにも思える。
平均的なの女も、ふくよかな体形に相応しく耳にラー油がかかりそうな悪い意味で低音な声質の女も、AVの喘ぎ声という場では同じ声を出してるのが不思議でたまらない。まず物理法則を満たしてるのか疑ってしまう(だから吹き替えとすら思う訳よね)。
そこで思ったのが以下の声優連中が仮に指定の台本に基づき喘ぎ声を出さなければならない場に引っ張り出されても同じ声を出すのかというとだ。
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・金田朋子
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・野沢雅子
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いやーただのデブボの持主以上に一般的な喘ぎ声との差は大きいと思うんだよね。
たとえるならだいたいの男はオネエを演じる指定の台本用意されてそれに基づき演じたら同じような声質で演じると思うけど、本間朋晃が同じ状況に立たされた場合はどうやってもそのような声質にはならんだろう、みたいな感じ。
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まあ冷静に考えたら上記のような声を持ってる人は絶対的に少ないんだから、そもそもAVに出演する可能性がそもそも皆無でもおかしくない(声優界ですら稀ないんだから)
あるいはいたとしても作品の絶対数が少なくて俺の観測範囲に収まってなかったとしても全くおかしくないという理屈になる。
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でもたとえばうっせえわのAdoは地声としては女にありがちなある種の型に収まった地声だと思う。俺はあれを腐女子にありがちなイメージから腐女子(あるいは陰キャ)ボイスと呼んでいる。
女の平均的な声の一種ではあるけれども、あのような声でも喘ぎ声とはやや差があると思う。
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あのような声の持主が喘ぎ声を出そうとしても、俺に耳馴染みがある喘ぎ声よりも、その差がありすぎるせいでとても寄せきれず、地声に寄ってしまった声になってしまうような気がする。
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腐女子ボイスの人間はそれなりにいるからAVに参加してる人がいてもおかしくないわけで、そういう例もまだ俺が見れてないのが腑に落ちない。
レスバしてるとさ、途中で自分のしたい話に議論をすり替えるやついるじゃん。あれ、なんなの?ちゃんと自覚してるの?マトモな言葉のラリーじゃないって。
下方婚、学歴年収マウント、弱者マウント、モテ議論にありがちなんだけど、さっきまでマトモに話せてたのに急に
『でも女は下方婚しないですよね』(でもの前後がつながってない)
『でも所詮容姿でしょ』(それ言うなら今までの議論の意味あった?)
みたいなやつ。
現実世界にもいるじゃん。自分の会社の愚痴を話してたのに『わかる、俺(私)の上司もさー』って話を自分の話にすり替えるやつ。それと同じ感じがするんだよね。会話してるふりして結局は自分の主張を話したいだけで、もう結論は決まってる。
相手の主張や話がどれだけ議論の余地があろうと、その話をするつもりがなく、自分のしたい話をいかにしてするかしか頭にない。
わかってて、現実世界ではそれができないから増田ではそういう話法をするならいいけど、普段からそれやっちゃってるやつはやばいよ。相手の話を聞く能力がないの自覚したほうがいい。普通に嫌われる。
心はノンフィクションであって欲しいと増田が考えたのは、登場人物の心情に整合性を期待しているからだったね。ストーリーについて、世の中の多くの読者は与えられた情報から無意識に整合性を予測しながら読んでいる。そうして起承転結でラストだけ予測を裏切ったものを落ちと呼んでいる。逆に常に予想したパターン通りなら、良く言えば王道や雛型、悪く言えばありきたりと呼ばれる。
一方でキャラクターの心情や行動性格についても似たような予測機能が働いていて、これに意識的である人は増田のように違和感を覚える。勘のいい人なら前段の説明で気がついたかも知れないが、実はどちらも構造としては同じである。増田は心の王道展開が好きだと言っているに過ぎない。例えばヒーローの強さの理由として、修行して強くなったという整合性があるように、それらのありきたりなパターンを不条理で解決したのがワンパンチマーンというハズシがあった。勿論王道好きな人にとってはワンパンチマーンの不条理さを受け付けない人もいただろう。これを心のパターンに置き換えると多少分かりやすいかも知れない。読者の多くは無意識に心のありがちな整合性をつまらないと思っていて、そこを計算で微妙に外してきたチェーンソーマーンのキャラに新鮮さを覚えた。王道の四コマを見慣れている者の方が予測が強く働くために不条理マンガを面白く感じるように、恐らく、増田は物語を読んでいても特に重視しているのは心の葛藤だったり、心情の変化に重きを置くタイプのはずなので、これを意識的に面白いと感じる境界は紙一重のところにあると思う。
2chにありがちな『長い3行でまとめて』って言うお決まりのセリフ。
現代になったら、2行でも長いって言って読めない子が生まれてしまっていた。
これについて言及すると『ネタなのにマジレスって…』というお決まりのセリフが出てくる。
まあこの手の子に限って長いって言う割に煽って叩くために必死に読んでるから面白い。
3行でまとめてって言う子は、どっちかというと本当に文字が読めない子のタイプ。
試しにIDが出る掲示板で長文を投稿して様子見してみたところ、
しかも面白い事に、わざと煽りやすい部分をいくつかに分けて文章にしておいたら、その全てを使って煽って叩いてきた。
3行でまとめろって言う子は、そもそも日本語が読めていなかった。
試しに『日本語も理解できないなんて…』とレスしてあげたら、読めない長文をどうたらこうたらとヒステリックになってしまった。
そういう意味では長いって言いながらも読めるような子は煽る・叩くといった負の感情のために自然と身に着けている感じだった。
まあ性格の悪さが災いしているので、それほど評価は高く見られないが。
なんというか、増田もそんな感じの人いるよね。