はてなキーワード: とんかつ屋とは
tyhe 俺は知っているぞ。名古屋の民は名古屋に来て矢場とん行きたいと言われた時に他の美味い味噌カツを案内したくてうずうずしていることを。なんなら矢場とんに行ったことが無いことを。
四十ウン年間名古屋民やってるけど、うずうずしてないしそもそも味噌カツなんて名古屋人にとってそんな特別な料理じゃないんだよなあ。ソースにするか、味噌にするかだけの違いでしかない。
そこらへんのとんかつ屋で食うことはあるけど、トンカツに味噌つけただけの料理なんてどこで食ってもそんな大差ないよ。
矢場とんも言ったことあるけど、あそこは味噌カツがどうこうより味噌汁が赤味噌じゃないのがおかしいと思う。
うなぎはひつまぶしよりうな丼の方が好き派だが、うなぎの良し悪しはあるんで下手な店では食わない方がいい。それなりの店なら好みでしかないね。
個人的に言わせてもらえば、名古屋で本当に食べてもらいたいものはあんかけスパゲティなのよ。ピリ辛いコショウのきいたトマトベースのソースに太麺が最高にあう。
私は大学に入るまで、スパゲティといえばあんかけスパゲティをさすものだと思ってた。少数派として弁当に入ってるナポリタンと、喫茶店にあるインディアン。
大学に入って初めて他のスパゲティが存在することを知ったが、それでもあんかけスパゲティ以上のスパゲティはないな、と思っている。
上に乗せるのは個人的にはソーセージ系かフライ系をおすすめしたい。ミラネーズとかバイキングとかね。たまねぎとかの野菜系のものもあるけど、野菜の水が出てソースが薄まってしまっていまいちだと思う。でもそちらも人気みたいなんであくまで個人の感想です。
で、できれば鉄板。あんかけスパはあつあつが最高にうまい。火傷するぐらい熱いんで、熱いのが得意な人以外にはおすすめしない。私は毎回やけどしながら食ってる。
あんかけスパゲティは店によって結構味が違うんで、自分の好みのあんかけスパに出会う楽しみもある。私がよく行くのはチャオとドンキカフェ(旧ドンキホーテ)。チャオは鉄板があり、ドンキカフェはコショウがよくきいてて好み。チャオもドンキカフェも一応チェーンで、以前はたくさんあったのだが今は大分数を減らしてしまった悲しい。チャオはイオンとかのSCに時々入っている。ドンキカフェはチェーンなのにいまいちソースや麺の温度と具材の調理が安定しないという欠点があるのが残念。
20年ほど前から某大手カレーチェーンがあんかけスパゲティの店をはじめたが、こちらは結構独特な味で、まあ全然好きなんだけどちょっといつものあんかけスパゲティとは違うな、と思ってしまう。初めて食べる人にこれをあんかけスパゲティのベースだと認識されるのはどうなんだろうと思って薦めるのは躊躇してしまう。
そんなあんかけスパゲティの代表といえばヨコイだろう。私も学生時代に何度もお世話になった名店だ。だけど、こないだ名駅店で観光客に混じって食べたらぬるいスパゲティ出されて幻滅したね。昼時で客も多かったからか知らんけど、観光客にあんなもの食べさせてヨコイはあんかけスパゲティの代表として恥ずかしくないのか?と憤りを感じた。
ふと思い出した
学生時代働いてたとんかつ屋の店長が45歳で、一回りぐらい年離れた奥さんがいた
その時点でパワフルな奴だな……って感じだけど、
その店長はバイトの女の子(大学生ばっか)が閉店まで勤務するとき、必ずサシで飲みに誘ってた
皆仲は良かったし異性として眼中になかったからおー!行きましょ!つって行くんだけど、
飲んでもう帰ろうってなったときに「今から俺の家来ない?」って必ず誘ってた
本当にキモかった だってただの45歳のおっさんだから 命の恩人でもなんでもない、ただ週2ぐらいで働いてるバイト先の店長なだけだから
多分断る子が殆どだったと思う、そのせいで気まずくなって辞める子が多かった
(自分が働いてたときは知らなかったけど、後からその子達に聞いて分かった)
とんかつ屋はなんかお洒落な雰囲気で、店長が洋楽好きだからって音楽はプログレ系のロックばっかり流れてた
あと店の中に本棚があったんだけど、岩波文庫ばかりだった 純文学とか哲学の本ばかりなのは国立大中退というおっさんの経歴のせいかもしれない
https://anond.hatelabo.jp/20230726225333
共通点は、配信者が意図したものとは別の反応をリスナーがして、それを配信者が不愉快に思うのが問題、ってことだ。
本人(配信者)が不愉快に思っていなければ問題ではない。むしろ人によっては喜ばしいことにもなる。
元増田にはきっと当てはまらないだろうが、個人で1万程度のフォロワー数ならばファンを増やしたがいために、そういう売り方を積極的にしてところも多い。
ちなみに配信者を好意的に思うあまり、表に出していないものまでを汲み取ろうとする行為は火種の元である。
表に出す出さないを決めるのは本人とその所属事務所の意向であり、本人がたとえ裏で愉快、不愉快に思っていたとしてもリスナーはそれを確認できない。
そしてもし裏で不愉快と思っていたとしても、それを仕事として割り切っていたら憶測で同情するのも気分を害するものである。そのデリケートな精神的ケアはリスナーには求めておらず、事務所や同僚に頼む。本当にリスナーに対して理解してほしかったら定期的に何度も口にする。
こちらは楽しさを売っているのだから、大人しく楽しさを受け取れ!と思うだろう。
正解のない問題をいくら考えても徒労でしかないのだ。リスナーは出されたモノだけを享受すべきである。
出されたモノというのは、アイドル売りをしていない者をアイドル視することも内包する。
このインターネットは広いので、「かわいい」を歓迎している男配信者もいる。
どれだけオムライスが食べたいからってとんかつ屋のメニューにはオムライスはない。カツ丼の卵とご飯の組み分せを見つけてキャッキャッするのは勝手だが、そんなに食べたいのなら洋食店にいけばいい。もちろん好みじゃなくてもとんかつの美味しさを純粋に楽しむのもいい。自分の好みのようにコントロールしようとするのがダメなのだ。その点、元増田は早く気が付いたほうだろう。一生気が付かないやつも世の中にいる。
なんでもOKの人や、限度を超えたその妄想やメタ的視点も楽しみの一つであると考えている人も多い。隠れてやればOKとかな。見聞が悪い言い方をすれば、反発するリスナーがめんどくさいから。
だが多少のことでアレルギーを起こす男は多い。
じゃあどうして、「かわいい」はたびたび話題に出るが、「エロい」は問題にならないのか。
それは今までインターネットは男達が強者として君臨していたからである。
現実社会で弱者だった彼らは、インターネット上の匿名性を利用して強者として振る舞い。様々な差別用語や差別文化を生み出した。その言葉や文化はSNSが普及した今でも残っている。
女性にこっぴどく振られたり、騙されたり、そもそも縁がなかったり、なんらかの恨みを持つものが多かった。というか幸せなやつはインターネットをやっていなかった。そして女性と深い関係の男性に対しても、バカにする文化もあった。現実だと小学生がよくやるやつだ。幼い。
だが実際、女体は好きなので手のひらくるりんとなるやつらばっかりだった。なので過激な性的搾取は当たり前で矛盾はしなかったし、どれだけ気持ち悪いこというか大喜利があったりもした。本田望結には同情する。
女も女でそれはわかっていたので、性別を男だと偽ったり、荒らされないように隠れたり、棲み分けを徹底したり、と自治を行った。その常識を逆手にとって、色気を武器にして成功を収めたものもいた。腐女子の元増田のほうが詳しいかもな。
元増田は配信者といっているので、まあゲーム実況だろう。それかひろゆき。
ゲーム実況ならば、なおさら男社会で女性差別が激しい。少し前に「人権」で炎上したがあんなものかわいいものだ。そう思えるぐらい凄まじい。特にFPSと格ゲー。
今はインターネット人口が増えて、体感だが男女の比率が6:4になってきている。スマホとSNSとコロナのおかげだな。
そしてモラルの向上を求む声も大きくなっているが、知ってか知らずか文化を受け継いでいる人も多い。
そんな中で、自分がセクハラされるとなると免疫がない男は発狂しやすい。ネットじゃなくても、現実社会を生きていても、男性は女性に比べてセクハラはされることが少ないのに。ゲームをミスって罵詈雑言をなんなく受け流すことができる人も予想もされない「かわいい」「えらい」を受けると無視できないのだ。女性のように諦観せずに、タレントとみてほしい配信者としてみてほしいという人が多い。
まあ10年ぐらいすれば、男女平等にネットでセクハラされることは当たり前になり、男女ともに厄介なやつは一定数いるのが常識になり切り捨てられるだろう。それで「かわいい」って言われても別になんとも思わないやつがのし上がる。
それが待てないのならば、やはり元増田の言う通り、「かわいい」に代わる新しい言葉を生み出すのがいいと思う。
ひとくち食べた瞬間「こんなにソースカツ丼ってうまかったっけ!?」とびっくりした。
最後に食べた時よりかなりおいしくかんじるな〜なんて思っていたが、どれだけ思い出しても最後にソースカツを食べた記憶がない。
とんかつには味噌をかける家庭で育ち、たまに行くちょっといいとんかつ屋では特に調味料をかけずに食べていた。
まさか27年生きてきて、ソースがかかったとんかつを食べたことないとは思わなかった。食べたことがあると思い込んでいた。
料理のレパートリーが少なめの家庭で育ったから、もしかしたら食べたことがあると思い込んでいる食べ物がまだあるかもしれない。
なんて考えながらスーパーに寄ったら、モンブランが売っていた。モンブランも最後に食べた記憶が思い出せない。この世の中そんなのばっかりだったりしないかちょっと不安になった。
富裕層の課税が議論される時に必ずと言っていいほど言及されるのが、富裕層に課税すると彼ら彼女らが海外に移住してしまう、という意見。
海外移住は色々な点で大変だ。富裕層なので金銭的な負担は少ないだろうが、言葉の壁と向こうの文化に慣れることは大きな問題となる。そして、その解決のためには多大なる努力が必要で、お金だけでは解決できない。不自由なく意思疎通ができる語学力を身に着けたり、向こうの文化(食事・住まい・マナーetc...)を理解し慣れていくことには、結構なモチベーションとエネルギーが必要である。
そして、日本で慣れ親しんだ文化から離れることに耐えられる日本人は、どれだけ居るだろうか。あなたは、昼飯に悩んだとき、お気楽にラーメン屋やとんかつ屋に入ってうまい飯を食える生活や、家の風呂でザバザバ湯をかぶれる生活から離れられるだろうか。半年や数年程度であれば何とかなるかもしれないが、一生となるとかなり厳しのではないだろうか。少なくとも、私は幾ら金が有り余っていても絶対に無理だ。
また、日本で築き上げた人間関係から離れられる人も居るのだろうか。特に富裕層ほど人間関係が広そうだし、だからこそ金が稼げている面もあると思うのだが、そういった関係を「金がかかる」という理由で離れられる人はいるのだろうか。
ちなみに、富裕層に限らずインドネシアのような物価が低い国に移住すれば、かなり裕福な暮らしが可能である。メーカー技術者の知り合いからは、海外赴任先のホテルが5つ星ホテルだったり、使用人付きの家で暮らしていたなんて話を聞く。
しかし、長くても数年程度で彼らは日本に帰ってきた。そんな様子をみると、課税を理由に富裕層が海外移住するムーブメントは果たして来るのだろうかと思ってしまう。