はてなキーワード: 缶チューハイとは
夜に飲みきれなかった缶チューハイに蓋をして台所に放置して、翌日の夜に夕飯作りながらそれから消費するってやり方をしてる。
朝の身支度の間に換気扇の下でタバコを吸うときいつもそれが視界に入ってたけど、これまではなんとも思ってなかった。
それが今日も同じようにタバコを吸ってたらふと視界に入った飲みかけの缶を、なんでか飲みたいような飲んでしまおうというような、とにかく初めて覚える緩やかな衝動が芽生えて、本当に飲んでしまった。
寝酒的な飲酒習慣があるだけでお酒の味や何たるかや昼飲みとかには興味ない。
一晩放置してアルコール感は弱まっていたとは言え朝からお酒を飲むなんて行為がいよいよアル中ぽくて、これから会社に行くのに…という罪悪感で一口二口で止めたけど、今後もあの謎の衝動が起こるかもしれないとすると自分の飲酒レベルが一段階(悪い方向に)進んでしまいそうで怖くなった。
当方、35年間守り続けた童貞をついに卒業しようと思い、前日の夜にソープランドに電話して予約。
翌日はソープが開く昼の12時まで朝からずっとソワソワ。電車に乗ってソープに向かう間も心臓はバクバク。マスク越しで息苦しくてハァハァしてたので、欲情している訳では無いのに周りからみたら変態に見えていたかもしれん。
開店の1時間前に最寄駅に到着。すぐにソープランドの位置も確認。後は開店を待つだけ。コンビニで缶チューハイを買い、珍しく昼間から酒を飲んでテンションを上げる。
いざソープランドに入場。代金を支払う。安価なお店ではあるが住民税の支払いも滞ってある年末の貧乏人には痛い出費。
待合室で呼ばれるのを待ち続けていると、ついに
自分が呼ばれる。店員が指し示す暖簾の奥に行くと自分が指名した女の子がいた。
正直、HPの写真からイメージしていたのとは違う。ただ、まあOKなレベル。この人が俺の初体験の相手かと思うと感慨深い。嬢に案内されてついに部屋に。これがソープランドの部屋か。簡易的な風呂とベッド、噂には聞いていたスケベ椅子の実物を初めて見てテンション上がる。
「初めてが私でいいんですか?」
嬢に促されて全裸に。嬢、俺の陰茎を見て言う。
スケベ椅子に座り、陰茎を洗ってもらい、勃起はマックス。軽く湯船に浸かった後、いよいよ全裸のままベッドへ。
嬢が俺にコンドームを付ける。
いざゴムを付けたまま、嬢のサービスが開始。ネットリした口淫、そして手淫。俺の陰茎はマックスをキープ。しかし、嬢はその先になかなか進まない。
ところで、自分は長年淫語系のAVやエロマンガを楽しんできていたので、
「挿入する時に、童貞くんバイバ〜イ、って言ってください」とお願いする。
嬢、笑う。
ついに挿入完了。嬢、グラインドする。皮とゴム越しの膣を感じる俺。だんだん俺もノってくる。
「初めて挿入できて嬉しい?」
「僕の事……変態って罵って下さい!」
「そろそろ君の方も動いてくれる?」と言われ、
ついに自分も動くことに。
「次は正常位でやってみようか?」
挿入した陰茎を抜くと……俺のマックスに勃起し続けている陰茎のサイズ、約5cm。正に短小包茎ペニス。嬢もゴムを付けた時は「大きい」と言っていたが、多分勃起前のサイズだと思っていて、まさかコレがマックスとは思わなかったのだろう。Lサイズのコンドームはダルダルに伸びている。
正常位で挿入しても、陰茎が短すぎてピストンをしても直ぐに抜ける始末。バックに変えてもすぐ抜ける。結局騎乗位に戻る。自分の情けなさが辛い。
「挿入しただけじゃなくて、セックス中に射精しないと童貞卒業にならないんだよ?」
マジか。知らなかった。必死に腰をヘコヘコして、嬢の体重でなんとか騎乗位で膣に入ってる陰茎を動かす。自分はひたすら「変態って罵って」とリクエストしながら、「変態でゴメンナサイ」と言い続けている。嬢もノってきて
「変態の僕を、◯◯さんで童貞卒業させて下さい!って大きい声で言ってみて」
叫んだ。思いっきり叫んだ。
「そんな他の部屋まで聞こえる声で叫んだら、◯◯ちゃんのお客さんって変態だったでしょ、って控え室で笑われちゃうよ〜」と嬢、爆笑。
情けなさと、童貞卒業射精をしたくて仕方ない俺は完全に変態モードにギアを入れる。
「顔面にツバを吐きかけながら罵って下さい!」
嬢、またも笑うが全てを察した模様。その後の嬢はツバを吐きかけながら言葉責めの数々。
「35年間使ってないチンポってチンカス凄そうだね〜ゴムと皮越しだから関係無いけど!」
「下手くそな腰使い、素人の女の子でも君が童貞って分かるよ!」
「保険適用できる真性包茎なんだからソープ来る前に先に手術してきなよ!」
「もう、マ◯コの中でゴム越し射精させてあげるから、イク直前まで自分でオナニーして!」
後半は嬢に足で踏んでもらったりツバをかけられながら、ゴムチンポを自分でシゴいて、イケそうな感じになったら挿入、を繰り返してもイザ挿入したら出る気配が無くなる。
「時間だね〜童貞卒業できなくて残念でした〜家に帰ってマ◯コの感触を思い出しながらオナニーしてね〜」
完敗。同時に思い出した。自分は陰茎が小さいのがコンプレックスだから35年間、彼女もいないし女性にアプローチできなかったと。そして、そのコンプレックスが紛れもなく弱点であると分かった。まともなセックスもできない陰茎なのだ。
プレイ後、嬢も優しくなって
優しい。俺の陰茎が小さいからまともなセックスが出来なかった、などとは一言も言わない。
服を着た俺は礼を言った。挿入させて頂いてありがとうございます、と。嬢は
俺は小さく頷いていたが、もう自分にはセックスは無理だと悟っていた。
ただ、正直金額以上の満足感はあった。AVやエロマンガの言葉責めを体感できた事は大きな経験だった。
「また来てね〜」という嬢の声を聞いて、そっとソープランドを出た。まだ真っ昼間。太陽が眩しい。俺は帰りの電車の中、帰宅したら真っ先に何のAVを見て抜くかをずっと考えていた。
お前らそうだろう?知的プライドだけ抱えた不完全燃焼の中高年(ハッタショ率高し)が吹き溜まっている現代の集会所。日本の中高年の醜さを煮詰めた残酷なにおいがする場末の”掲示板“。顔を合わせるとニコニコして社会人ヅラしてるけど、帰ったら発泡酒や缶チューハイ片手にtwitterや5ch、そして青春のよりどころだったはてブ(や増田)にゴミみたいなコメントつけて溜飲を下げてるんだろ?キモいよ。そして俺もその1人だと思うと泣けてくる。本当は仲間に友達になりたいのに。クズ同士で罵りあって傷つけあうのなんかやりたく無いのにな。はてなはしんどいわ。mondかQuoraに行ってくるわ。みんなあっちではニコニコして話そうな。
「子供や家族連れで賑わう公園が突然の閉鎖。そのきっかけは、子供の声がうるさいという近隣住民からのクレームだった」
そんなニュースを聞いてあなたはどう思う?
――そいつは何て心の狭いやつなんだ!せっかくの遊び場を、どうせ使いもしない奴が文句言いやがって!
――死にゆく老人がこれからを担う子供の遊び場を奪うな!
そう感じるだろう?俺も同感だ
子供はしっかり外で走り回り、きゃっきゃと声を上げ、草や土を掴み、全力で遊ぶのが何よりだ。本当に心からそう思う。
だが、そんな俺も公園を管理する市に対してクレームを入れたことのある1人なんだ。勿論、騒音について。
つまり傍から見れば、俺は「公園で大きな声を上げて遊ぶ子供を愛しながら許容しない」不思議な存在だということになる。
日本各地にあるこの問題、まず確実に言えることがある。
「公園クレーマーと非公園クレーマーが見ている公園の姿は違う」。
そして、「現状、公園クレーマーたちはクレームを上手に世間に伝えられていない」。
次に、これを読んでいるあなたが「公園クレーマーってちょっとオカシイよね」と思っていることを前提に、以下の事実を列挙したい。
・公園クレーマーは必ずしも子供の声が無条件に嫌いな偏屈ジジイではない。
・非公園クレーマーが公園クレーマー化するのは、一部の非常識な利用者のせいである。
・非常識な利用者だけを除外する仕組みを、行政は持ち合わせていない。よって、公園クレーマーは全ての利用者を敵視するしかなくなる。
・公園クレーマーは、クレームをつける行為に負い目がある。
さて、じゃあ早速冒頭の文章をニュース原稿だとして、続きを想像してみよう。
――子供や家族連れで賑わう公園が突然の閉鎖。そのきっかけは、子供の声がうるさいという近隣住民からのクレームだった。
とすれば、次に来るのは男性ナレーションの低音ボイスであえて野暮ったく読み上げられる次の語句だ。
――「子供の声が、うるさい」
その次は行政の記者会見のシーン。
――「近隣の方との話し合いを続けてまいりましたが、双方の納得には至らず、やむを得ず閉鎖の判断を致しました」
で、そこからが問題だ。恐らくここで、普段の公園の様子か、或いはイメージ映像などで、元気よく遊ぶ小さな子供たちが映し出されることになる。
――「家族連れで賑わう平和な公園で、何が?」
これが大問題なんだ。
少なくとも俺は、こうした元気よく遊ぶ小学生、保育園児、幼稚園児は、好きなんだ!癒される!
きゃっきゃきゃっきゃと楽しそうにおいかけっこをして、たまにミ゛ャー!と寄声を発して、あーあーと泣き出して、しばらくすれば何でもなかったかのようにまたギャーギャーと走り回って…
心から平和を感じるんだ。
精一杯走りたまえ。あーあー、転んじゃって。大丈夫?
俺はこれを、うるさいとは思ってはいないんだ。
じゃあ、「子供の声がうるさい」と言ったクレーマーの気持ちはなんなんだ?
俺はそのクレーマーの気持ちを理解しようと努めることができる。恐らくその人も、最初からそれがダメだったわけではないんだ。「ダメになった」んだ。
(一応補足しておくが、この日記では「俺」と「公園クレーマー」という主語をほぼ同一として扱う。いわゆる「主語がでかい」状態だが、便宜上許して欲しい)
俺が公園クレーマーになった原初のきっかけは、とある夜のことだった。
当然すぎて端折っていたが、俺の家の目の前には公園がある。住所はとりあえず北関東ということでボカさせてほしい。
大きくはないが、追いかけっこは勿論、キャッチボールやフットサルくらいなら十分できる広さがある。
2階の窓からすぐ見下ろせるところにベンチがある。そこに、夜な夜な中学生か高校生くらいの男子連中がたむろし、談笑しながらボール遊びをするようになった。
変声期を終えた男子の声は、かなり通る。そして、ボール遊びの中でもとりわけサッカーボールを蹴る音というのも、実はかなーり、通る。
少なくとも俺の家の窓は全く防音性という面で貢献しなかった。
ボン、ボン。ギャハハ。ボン。ボス。ギャハハ。ボン。
不規則なリズムで、しかし短い間隔でリビングに響くその音を聞いていると、30分も経たないうちにまるで面白半分に自分の頭を蹴られているような気分になり、怒りが湧いてくる。
ここで、自明の事実を書く。
こうしたたむろ連中は、必ずしも「迷惑をかけるつもりで」やってはいない。
彼らは、「自分達の発している音が、目の前の家の中にまで達していることを想像できない」のである。
壁を隔てた向こうに、自分たちの存在が察知されていることを知らないのである。
これは誰しもが陥りがちなことであるが、どうも人間と言うのは「見えていないならば聞こえていない」と認識しがちである。
自分から見て、近くの家の中など当然透視はできない。ならば聴覚も届かぬ場所であると錯覚するのだ。
要は、「想像できないことは認知できない」のである。
結局その日は警察を呼び、お帰り願った。(夜9時台だったので世間一般的にも迷惑案件だと判断した)
翌朝、その場所にはペットボトルやカップ麺などの大量のゴミが散乱していた。
夜の騒音はその日で終わらなかった。
ここでのポイントは、「同じ連中が毎晩たむろしに来るわけではない」ことである。
とにかく色んな人が来る。
金もなく公園に行くしかないカップル。
夜しか時間が取れないのであろう、子供を引き連れてバッティング指南をするおっさん。
花火をしに来た家族連れ。
先程の件と別の男子学生グループは幾つもいた。
中には缶チューハイで酒盛りする中学生男女グループというのもいた。世の中的に見れば全く珍しくもない、可愛い非行の一種だが、目の前で見せつけられるのはさすがに弱った。
そしていずれの人達も、当人らが思っている以上にその声や動作音は聞こえてきた。
中にはTikTokの流行りの動画を大音量で流す奴もいた。
ただ、それですら、彼らはこちらのことを認識していないのである。
単に「流行りの音楽を好きな音量で鳴らす俺」という環境を欲しているのであり、それが他者に聞こえているとは思っていないか、考えたこともない。
彼らにとって俺の家は書き割りの背景と同じなのである。
そのうち、夜に公園に来るすべての人間がバカに思えてくるようになった。
先ほど書いた通り、「自分の出した音がどのくらい遠くまで聞こえているか」「それが思いもよらぬ誰かの耳に届いているか」というのは「想像力」の話である。
なので、彼らは「想像力の無いバカ達」だということになる。
一方こちらは常に公園の音が耳に入ってくる。
自分の感知エリアの中に公共の場があるのだ。自分の感知エリアの中にバカが入り込んでくる可能性が常時あるのだ!
これは結構大変なことで、つまり自分自身が「公園の24時間警備システム化」してしまったのである。
これは良くないと思い、市に電話を入れた。
クレームではない。「夜間の大声やボール遊びを禁じる看板を立てられないか」という要望としてだ。
「あくまで自分は要望のつもりだったんですがねえ」と言い訳したいのではなく、あらゆる体裁において実際要望として伝えた。
いわゆる公園クレーマーとしての立場になりたいわけではないし、日中の利用のマナーは良く感じているというようなこともできるだけ言った。
結果、1週間内には夜間早朝のボール遊びや集会、騒音を立てる行為はご遠慮ください、といった旨の即席看板が立った。
この看板にはある程度の効果があった。
ありがたいことに地域の全体的な民度は低くなく、夜の利用者がこの看板を見て「もう1個の広い公園行こうか」などと発言する様子も見られた。
だが、それでも無視する者も少なくなかった。
そして、俺ももう手遅れだった。
警備システム化した神経は、最早日中の音ですら気になるようになってしまったのだ。
常時テレワークであるため、在宅せざるを得ない中、ボールを蹴る音や子供の騒ぎ立てる音が聞こえる。
いや、それでもやはり冒頭書いたような、「小さな、天使のように朗らかな子供たちの駆ける音」は何の問題もなかった。
中高生男子の声とサッカーボールの音が、いかにもたむろ連中を想起してしまい、聞くだけで頭痛がするようになった。
大半の少年たちは育ちが良く、騒ぎ立てはするものの、辺りが暗くなればささっと帰ってくれる。
だが恐ろしいことに、「そもそもいること」が許せなくなった。夕陽が沈みかけ、薄暗くなったあたりで「早く帰れ早く帰れ」と念じるようになった。
そして――どうにかベンチを撤去出来ないか?一部の区画だけでも閉鎖できないか?
いつしか「クレーム」を入れるようになったのだ。
ここで、非公園クレーマーであろうあなた方に問いたい。
あなたが想像する公園クレーマーが「子供の声がうるさい」と言った時、あなたが想像する声の主はどんな姿だろうか?
小学生や、幼児たちを想像していないだろうか?
そのうえで「まさかこんな子供たちを排除するなんて!」と憤っていないだろうか?
また、「勝手に昼間で想像している」のではないだろうか?
違うのだ。
もう少し上の年齢の、「自我が目覚め、夜遊びもしたい、生意気盛りの子供たち」なのだ。
そして、俺には今自宅の目の前にいる利用者が「良い利用者」なのか「悪い利用者」なのか判別がつかない。
全ての音を拾うしかないのだ。
そうなれば俺が言うことはただひとつ、「子供の声がうるさいんだ」である。
しかしその言葉から逆引きされる「子供」とこちらのいう「子供」には隔たりがあるし、経緯はいっさい伝わらない。
さて、そろそろあなたには幾つかの疑問、というより「ツッコミ」が生じていることだろう。
――引っ越せばいいのでは?
――家の防音性能を上げればいいのでは?
――イヤホンとか耳栓でなんとかならない?
――他の住民が気にしてないなら気にし過ぎなのでは?
引っ越しはそう簡単にできるものではない。膨大なローンが残っているし、自分ひとりの問題ではなく家族を巻き込んだ話になる。
窓を増設するという手がある。しかしこれも公園に面した各窓に処置するだけで100万円はカタい。マインクラフトみたいに素材があればポンと設置できるものではない。
イヤホンや耳栓というのは応急処置として有効である。しかし「自分の家で行動を制限される」ストレスの方が強い。なぜ自分の家で、家族との会話もシャットアウトし外界の音に我慢させられているのか、ということになる。
それに、これはまた派生的な「症状」なのだが、俺のようになると音だけでなく「窓を開けたら人がいる」という状況ですら悩みの対象になるのだ。目の前のバカがいつバカをやり出すかわからない恐怖が発生してしまうのだ。
大体、「夜間の集会はご遠慮ください」という看板がある状況で集まっている時点でそいつはルールを自己都合で無視できる人間なのは確定しているのである。
そんな奴が自宅から10m強先にいること自体がストレスになってくるのだ。
そして最後。
ここがまた、公園クレーマーと非公園クレーマーの隔たりの原因である。
公園クレーマーとは、恥ずかしいものなのだ。
だって、公園は良いものである、という世間の認識があるのだから。
そして既に、公園にクレームを入れるのは「わからずやの偏屈ジジイ」だとする一般通念があるのだから。
俺だって、もし街を歩いていてテレビの取材にあたり、「公園にクレームを入れるのってどう思いますか?」と聞かれたら、
「ウフ、うん、まあその、公園って子供たちがねえ、元気よく遊び回る場所だからねえ、その、それをねえ…」
などと口ごもるだろう。
「アッ、こいつ公園クレーマーの仲間だぞ!」と思われたくないので。
恐らくだが、インタビューで公園の騒音を肯定的に捉えている人の中にも、「実は参ってるんだけどね…」という人がいる可能性はゼロではないと思う。
こうして、公園クレーマーの印象は「誰にも理解できないキチ○イ」へとどんどん先鋭化されていく。
とはいえ、この日記では解決策を示して欲しいわけではない。
あくまで公園クレーマーとは何なのかを公園クレーマーの立場から書いているだけである。
ということで長くなったが、それでも、俺のような公園クレーマーに対して「偏屈」「気にし過ぎ」と感じる人は多いだろう。
それはそれで問題ない。何せ事実、神経過敏になっている。
最早俺は、バカが来て騒音を出すのがダメなのではなく「常にバカが来て騒音を出す可能性がある」ことがダメになっている。
もしかすると、今はまだ俺が愛おしく思っている小さな子供たちすら、今後は煩わしくなっていくのかもしれない。
そうなれば、次にニュースに登場し、世間から罵られるのは俺ということになるだろう。
だが、非クレーマーたる皆さんには、少しだけ想像をしてもらえないだろうか。
あなたがイメージする「公園」「公園の騒音」は、クレーマーの思うそれとは時間帯も対象人物も在り方も違っていないだろうか。
また、あなたは公園の目の前には住んでいないのではないだろうか。
ならば、「自分が自宅に居ながら公共の場の音を感知する警備システム化する」という感覚を知らないはずである。
何も公園クレーマーを理解しろとは言わない。
ご推察の通り、精神疾患的な症状は少なからずあるので、そこを含めて理解しろというのは傲慢であろう。
ただ、公園の騒音という社会問題について何か語ろうと言う時、少しだけ、想像をしてほしいのである。
最後に余談として。
あなた方が考えるツッコミにはもう一例あると思う。
――自分が若い時もやんちゃしたのに、今の若い子のそれは許せないの?
これはこれでデカいテーマなので書くなら別の日記として書くべきだろうことだが、正直に言えば「許せない」が「心の慰めにはなっている」という程度だろうか。
俺も学生のころ、男子連中で友人の家に寝泊まりし、近くの公園でバカ騒ぎした記憶がある。
下校時に彼女を連れ立って、公園の木の陰でいい思いをしたこともある。
迷惑をかけたし、その近隣の住民に我慢を強いたうえで「仕方なく許された」のが今の俺であることは解る。
実際それらは個人的には「いい思い出」として処理されているし、懐かしく思うこともある。
だが、「ならば自分も許そう」はそもそも道理でない。単に個人の思想の一種でしかない。
あえて極端な例を言えば、過去にゲーム感覚で万引きをした経験のあるヤンチャ坊主が成長して小売店の店長になったとして、自分の店の万引き犯に対して「でも自分もやったことだしなあ」と許せるかという話である。
学生の頃イジメを働いた人間が社会人になって会社でイジメられて「でも俺もイジメっ子だったしなあ」となるかという話である。
そういう因果律で人生を捉える人がいてもいいが、それがイコール正しい考え方ではない。
https://togetter.com/li/1997468
土屋「ユーチューブな、Youtube。それでなんてバンド?」
塙「ビートルズっていうんですけど」
塙「ビートルっていうのは、羽の生えたかさかさ動く茶色い虫のことで」
塙「それで、4人組のバンドで」
塙「ジャン・レノ」
土屋「ジョン・レノンな。それじゃフランスの俳優になっちゃうから。」
塙「ポール牧」
土屋「ポール・マッカトニーな。牧だと指パッチンになっちゃうから。」
土屋「フォードはいらない。ハリソン・フォードと混ざっちゃってるよ」
塙「りんご娘」
土屋「なんで青森のロコドルなんだよ、王林ちゃんとは何回も仕事してんだろ」
土屋「だからなんで青森のモノマネ芸人なんだよ。青森から離れろ」
塙「ああ違った。りんごすった」
塙「あとオノ・ヨーコ」
塙「それで代表曲なんですけど、まずは『ヘルプ!』、なんでも鑑定団のテーマです」
塙「レット・イット・ゴー」
土屋「レット・イット・ビー」
塙「あ!そう言えばそうだ!なんか見たことある曲名だな―と思って」
土屋「知らないでやってたのかよ、すごいなお前」
塙「いやー、なんか変な歌歌うからどうしたのかと思って」
二人「どうもありがとうございました」
デービッド・アトキンソンがいうには、1990年から2021年までに生産性年齢人口(16−64歳)が1299万人も減っているらしい。高齢者は2141万人も増えている。人口動態によって、社会保険料、消費税も増えて、移転的政府支出が増えている。そんなツイートをみて僕は「どうすんだよこの社会・・・」とつぶやいた。
どうすんだよこの社会。
「おれはさ、どんなに社会がクソだったり、自分の身の置かれている環境がどうしようもなかったり、システムによってどんな不利益が被られようと、そういったことを理由に行動をせずに批判者側に回るっていうのが一番嫌いなんだ」
Kは黙って聞いている。きっとこのクソムカつくどうしようもない共感性皆無男をどうにかして言いくるめてやろうと思っているのだ。
「それでさ、どうするわけ?大事なのはその置かれた状況を出発点にどんな一歩目を進めるかじゃん」
「あなたって本当に、なんてことを言ってくるんだろうね。むかつく」
「おれがそれを言って嫌われるかもしれない可能性は、そいつにいったときにそいつの人生が好転するかもしれない可能性とは関係がないからな」
人はみんな弱い。日本人とかじゃなく、人類全体で弱いのだ。30年間も生きてきて、ようやっと肌で理解してきた。
おそらく自分が雇用者側に回ったからだろう。その人間の本性を前提にシステムは構築されなければならないのだ。
自分はそれをものすごく憎んでいる。いや、憎んでいた。正確に言えば、昔はそういった理不尽な抑圧がものすごく窮屈で、どうにかなりそうだった。
なぜだか知らないけど、自分は昔からずっとそうだ。そういう人間として生まれ育った。
でも今は違う。それは社会として必然的に存在しているものだ。それを自分が体感してしまった。
「エリート女性がシステムに抑圧されるのは、女性全体の勤労意欲が低いからだ。きみがどんなに自分のことを才女だと思ったとしても、それを証明する方法が他になければ、面接の時に語り得るものなんて雇用者側は信用することなんかできやしない。どうせ好きな人ができて、その人と結婚したら、すぐに子供を作って辞めていくんだろうって。そう思われている。きみがどうかは重要じゃない。問題は、社会がずっとそのように回ってきたということなんだ」
「だけどそれは間違っている。社会は女性の機会均等を実現すべきだし、資本体力のある会社だったらそれを実現できるはずでしょう?」
「なんで?会社が何十年と高い法人税を払いながら貯めてきた内部留保を、なぜ利益がでるかどうかもわからないもののために使わないといけないの?そしてなんでそのような貯金が当然の権利として自分に提供されると思っていて、そうしない社会が間違っていると思っているの?」
「そんなの綺麗事だよ」
理想というのは脆いものだ。僕は理想論者だ。正真正銘の。正真正銘すぎて理想と同化しているかもしれない。
それほどの理想論者がいうことが極めて現実に即したものになるなんて、だいぶ皮肉の利いた人生だと思う。
「でもね、なんであなたがそれを言ってくるのかをよくよく考えてみると、あなたになにか得になることがないっていうのがわかってくるのよ。そういう意味で、稀有な存在よね
、あなたって。どうしてそんなことをしているの?」
Kは自分がLOVEの輪廻を回したいんだと言った。僕は「自分もそれをやっているつもりなんだ」と言った。
「誰かにもらった恩を、別の誰かに与えたい」 それ自体は物凄い誇大な理想論かもしれない。
正確にいうと、元彼氏だ。別れた後に、いろんなことが重なったのだという。
彼氏は理想論者だったそうだ。とてつもない理想論者だったのだろう。きっと、世の中に蔓延する悪意や、欲望を受け止めきれなかったんだと思う。
僕たちは北千住にいた。ずっと北千住にいた。Kと出会ったのも北千住だった。
ずっと仲が良かったわけではないが、期間だけで見ると長い付き合いとなる。僕がまだサラリーマンの時だった。
「それって、いい意味よね?」
「この広い空に包まれているせいで、きっと気が大きくなっちゃったのよ。こんなこと言うつもりなんてなかったのに」
Kはそう言って泣きながら笑っていた。
「今日は月がすごく明るいから、だいぶ遠くまで見通せたのかもしれないね」
僕は橙色のランプが等間隔で並ぶ夜の首都高が魅せるトラックの明かりをぼんやりと眺めているのが好きだった。
それは北千住に住む僕にとって、今日の星空と同じくらい、大切なものだった。
僕がKにプライベートのことを聞くと、Kは仕事に集中するんだって言った。
Kはなにか煮え切らぬ様子で僕に話を聞いて欲しそうだった。2件目に行けるような時間だったから、「もう少し話していく?」と聞いて、
前の彼氏の話を聞くと、Kは「うーんそれは言えない」と言った。
言えないんだったら話さなくていいし、きっといろんなことがあったんだと思う。
そうして1分くらいぼんやりしながら、Kは「まだ自分の中で整理がついていないのよ。この感じをどう処理したらいいのかわからなくて」と言った。
「なにやら元カレが死んじゃったような心残りだね」
「死んじゃったのよ」
Kは言った。
彼氏はとても誠実な人だった。不誠実なことは許せない。浮気や、不倫だとか、そういうものに自ら手を染めるようなことはしないんだって。
相手に対してそんなことがあるかもしれないだなんて想像もしないほど実直な人だったのだと言う。
一社目に入った会社を辞めて転職した会社がちょっとブラックみたいなところでね、自分と別れたタイミングっていうのもあったのか、いろんなことが重なって、それでかな。
実家のお母さんから電話がかかってきたとき、私は会社にいたんだけど、気が動転していてね、私の様子を見兼ねて先輩がタクシーをGOで呼んでくれて、それで帰ったの。
だから私のお母さんも私がぐちゃぐちゃになっていたことを知ってるし、私その時子供のときのように泣きじゃくってた。葬式はもう済ましているって向こうのお母さんは言ってた。カレが亡くなってから3日後くらいに連絡がきたから。それで、東京にいるカレの友達に連絡をして欲しいって。ひどくない?それを私に頼むのよ。
でもね、私よくわからないの。何だろう、栃木の実家に行くなんて、いまだにできてない。だって、なんかそれをしちゃったら、もう二度と戻ってこないような気がするでしょう?もし、私が会いに行かなかったら、まだカレは生きているのかもしれないって。確かに私は人の死に携わることが多かったけど、葬式が残された人たちのためにあるんだってこと、いまだったらすごくわかる。
僕は煌々と輝く月を見上げてから、その隣にある星に向かって念じるように言った。
「行こう。絶対行こう」
だよね。いかないとだよね。
「絶対に行きなよ」
「あとね、一つ、言えることがあるとしたら。俺の姉も、当時付き合っていた彼氏を亡くしたことがあるんだ。
俺からKに言えることは」
僕は「絶対に生きなよ」と言った。生きるしかないんだよ。どんなに絶望の淵に立たされたって、残された側は後を追うことができないんだ。
だって、それは、負けたことになるじゃん。相手に。ずるいよね。ムカつくよね。自分勝手だよね。
「私もね、最初に聞かされた時、なにかずるいってきもちが片隅にずっとあった。何だろうね、ずるいよね。卑怯よね。ムカつくよね」
「わかんないけどさ、Kちゃん。応援してるから、どうにかしなよ」
「なにそれ笑雇ってくれるってこと?笑」
「それもありなのかな笑」
「800万円で、秘書!とかどう?」
「たかいなあ笑」
僕たちが今経験していることは、必ず乗り越えられるものなんだと思う。
認識できるものにしか経験できるものはない。僕は、Kにとって4人目の人間だった。
幸か不幸か、僕はKの背負っているものを一緒に背負うことになった。
「こんな話を聞かせてもらえるなんて、俺の人生って素晴らしいなぁ」と僕は言った。
商店街を抜けて駅に向かう前に僕はKの腕を引っ張って、力一杯抱きしめた。
そこに純粋な気持ちしか込められていないことを理解したKがいることがわかった。
「悪い方がほとんどでしょうね」
理想と現実があることを理解している。理想と現実は明確に区別されるものでなく、現実の一部として理想が存在していることを理解している。
僕は極めて現実的な立場から、理想のためにできる一歩目を進めている。その区別ができなくなってしまった先に死が存在していることを理解している。
僕は生きるために、現実と理想を分けて考えるようになった人間だった。この社会の答えを生み出すために。
改札に上がる東口のエスカレーターの前でKはじゃあねと言った。
僕は言った「頑張ってね」
「あのさ、きょーこちゃん。とにかく、頑張ってね」
僕は静かに笑った。
Kはエスカレーターを登っていった。
僕はそっと歩き出した。
れてんさんとジャダムさんの二人からなる「れてんジャダム」っていうyoutuberがいまして、その人たちの動画が好きでよく見てるんですよ。
どれぐらい好きかっていうと、一つの動画につき30回ぐらいは見るほどで、夜勤終わりに酒飲みながら見るのが生きがいみたいになってたんです。
彼らの動画の魅力は、youtubeでも随一の尖った動画のテーマ選びと言葉運びのセンスに集約されるでしょう。
具体的に言えば、Tiktok撮ってる陽キャとか女とかをバカにする、ってだけの動画なんですけど……
そこでの差別的・暴力的な発言が結局、僕みたいな童貞陰キャチー牛キモ男に一番ウケるんです。
でも同時にリア充のTiktok動画が僕らにも見せつけられることで、そこに文句を言うしかできない自分の人生がいかに哀れかというセンチメンタリズムのようなものも感じられるのです。
彼らのスタイルは「陰キャ営業」とか言われたりもしていますが、僕らの感じている陽キャ・女性への劣等感、妬み、僻み、嫉みを代弁してくれているみたいでスカっとするんです。
昔はよく日常系の動画(料理とか)もアップロードしていて、その時は女性視聴者も多かったようですが、最近は女性を差別するかのような過激な動画も増え、僕みたいな童貞陰キャ男が視聴者の99%なのだと勝手に勘違いしていました。
つまり、この時点で僕は彼らに対して、自分の「理想の陰キャ像」みたいなのを押し付けてしまっていたのです。
「陽キャのやってることってキモいよな、それに気づけている僕らは普通の人とも違うよな、しかも自分の悲惨な状況も客観視できてて偉いよな」
なんて捻くれまくっていた自分は、彼らからこのような言語成分をチロチロと受け取り、反芻し、消化していたのです。
その膨れに膨れ上がった利息をまさか今日、支払うことになるとは知らずに……。
そんな彼(れてんさんのみ)がトークライブをするっていうんで見に行ったんです。
場所は渋谷loft9、彼のおかげで生まれて初めて渋谷に来ました。もしライブがなければ一生足を踏み入れることはなかったでしょう。
本当は渋谷なんてキラキラした場所、本当に行きたくなくて朝から缶チューハイ三本開けてなんとか根性で電車に乗り込みました。
家から渋谷までは一時間ほどなので、その間もスミノフで自分にATフィールドを張った気になり過ごしていました。
そうして渋谷につき、どうにかloft9までぼっちで歩いていきながら、どんな人がイベントに来るのかを想像します。
正直、イベントに来るのは僕みたいな陰キャひねくれチー牛か、もしくは動画をキチンと冗談として楽しんでいるれてんさんのようなオシャレな男の人ばかりだと思っていました。
loft9現地に到着しても、何度か行ったり来たり通り過ぎ、機を伺いいざ中へ入りました。
入場したのは開演三十分ほど前だったのですが、この時点ですでに違和感がありました。
入場の際に感じた違和感は、昔クラスでいじめられていた時、重い引き戸のドアを開けて教室に入るような、そんな感覚に近かったでしょうか。
屋内は照明が落とされていたのでそのせいかとも思いましたが、周りを見渡せばその違和感の正体にはすぐに気づきました。
思わず、会場を間違えてしまったのかと脂汗をかき、急にむせ返るような暑さを感じ始めました。
よくよく見てみれば、前列も横列もほぼほぼ女女女女女女…の女性専用シート化(なんなら本当に女性専用シートなんだと勘違いしました)、しかも女のほとんどはまふまふとか好きそうな見た目。
れてんさんは昔「コンテンツに女が寄ってくると廃れる」とおっしゃっており(これ自体は昔からよく言われていることですが)、そうに違いない!と当時は首を縦に振っていました。
が、この驚異の女率……。
単に渋谷かつオフイベントという共通部分に属しているのがそのような女ばかりなのであって、男の視聴者はこんな大叫喚地獄には来ず、ほぼ家でダラけているのでしょう。
ですがその会場の光景に思わず呆然とし、ドリンクの生ビールを片手に立ち尽くしてしまいました。
今までPK shampooの曲を聴いていたと思ったら、実はそれはクリープハイプの曲だった、みたいな衝撃。
もっと陰キャの集まるコミュニティみたいな幻想を勝手に思い描いてしまっていただけに、自身が少数派という現実が苦しく、開演してからもれてんさんの話はあまり耳に入ってこず、JaneStyleをいじっていました。
何もかもすべて、自分自身の空虚で、卑屈で、傲慢な意識が、れてんさんをおかしなまでに理想化し、そのコミュニティまで極度に理想化し、ライブへと足を運んでしまったことが原因です。
もちろん、れてんさんの動画内での発言もすべて冗談だとわかっています。でも1%くらいは本心なんじゃないかと、そう自分に都合のいい解釈ばかりをしてしまっていました。
結果として起きた、この理想と現実の乖離、まるでTiktokでリア充の動画を見せられ自分の不甲斐なさを感じながら、そのルサンチマンとして動画をバカにして楽しんでいるかのような、理性と感情に矛盾を孕んだ状況。
勝手に理想を思い描き、勝手に現実に失望する、今まで自分が馬鹿にしてきた女のようなことをそのまま自分がなぞっているという更なる矛盾、それに気づいてしまい、乾いた笑いが起きました。
いままで心のよすがにしていた何かが、蜃気楼のように歪んで消えていきました。
いままで自分がれてんさんと一緒に思っていた(と思い込んでいた)女に対する悪口が、なぜだかすべて自分に返ってきたかのように感じました。
ライブが終わり、澱んだ空気に吐き出されてすぐ外に出てみれば、まるで僕を嘲笑うかのように腕を広げた黒い雲が空に広がっていました。
家に帰る途中、セブンイレブンで缶チューハイと月見そばを買い、レジ袋をもらって、疲れたまま歩きました。
今、酒を飲みながらこの文章をクドクドと書いて、ようやく一つの結論に達しました。
渋谷まで行って得られたその結論は、「俺は本当に早く死んだ方がいい人間だ」ということです。
まあ貯金あるし余裕だろと思って休職した。傷病手当の交付は休職期間+申請から交付までの期間(組合による)っていうのは理解してたんだけど、ここに更に「申請する気力が湧く期間」が必要だっていうのは盲点だった。
結果、休職し始めてから3ヶ月遅れで入金される事になって一時的とはいえ貯金の目減りが凄かった。そして金が無くなることへのストレスも凄い。普段と同じように買い物してたら金が飛ぶ飛ぶ。
しかも年末調整でかえってくるとはいえ社会保険料なんかは会社に振り込まなきゃいけないから貯金無しで休職してたら病みが深まっていたと思う。
ふたつめ思ったより遊べない
適応障害で休職したんだけど、ぶっちゃけ「朝から晩まで好きな事してやる!長い夏休みだ!!!」って気持ちで休みに入ったのに、蓋を開けてみればベッドから殆ど出ない日々。一応人間の姿でいるために毎日風呂に入るようにはしてるけど、お腹がすいても食べる気にならないし適当に麦茶飲んで過ごしてる。
たまに美容室行って馴染みの美容師さんと話したり食料品買いにいってみたりするけど、外から帰ってくるとどっと疲れてそのままベッドで踞る始末。当然飲みに行く元気もないのでちゃんと食事した日に缶チューハイを飲む程度。
酒なんて週に缶チューハイ3本くらいだよ
文脈としては「増田が彼氏だと思っているホストが「店長の指名客の接待を手伝った」と言い訳して増田を放置したが、増田は店長がすでに接待の現場(プレイヤー)から引退しているのを知っている」ということである。
安い缶チューハイ。もともとは「カロリ」って銘柄の缶チューハイが終売に伴い投げ売りされてたのがホストクラブの業務利用に流れたのだと思われる。人工甘味料を使ってカロリーオフにした甘いフルーツチューハイの走り的な商品。
苦い酒は苦手、太りたくない、そういう女性客のニーズに合致しており、原価がゴミのように安いので、缶チューハイはホストクラブのレギュラードリンクとして普及している。金を使わずに遊ぶ客は、カロリだけ頼んで適当に帰る。
デリヘル嬢は本番しないので騎乗位ではない。文字通り客が仰向けに寝っ転がってるだけで下手に何もしないのが一番楽という意味
指名するホストのこと。ホストクラブは一度本指名を入れるとその店で他のホストを指名することはできず担当ホストは固定される。
激しく手マンすること