はてなキーワード: 部落とは
そして過去を整理するために記事にすることも、自分への治癒に繋がると信じて書くことにする。
とても長いです、すみません。
最初はちょっとしたハブりとかくらいだったんだけど、陰湿になっていったのは小学校3年制くらいからで、学校に行けばなにもしていないのに笑われる、嫌がられるという扱いを受けた。
私に非があったんだろうという輩が湧いて出てくるような気がするから先に述べるけど、私はガリガリで色黒で身なりがダサくて大人しいという典型的な地味な子どもだっただけだ。
苛められていることを学校の作文に小学校4年生くらいで書いたときは、担任に呼び出されて、詳細を聞かれたけど、いじめられているという事実が恥ずかしくてうまく答えられなかったせいなのか、まったく対処してくれてなかったように思う。
小学校高学年になったとき、苛められはしていたものの、とある女子グループにしがみ付いていた。苛められるとは分かっていても、それ以外に一緒にいる人がいなかったし、そのグループの数人は幼稚園も一緒で、近所だったこともある。帰宅グループだった。
けどある日、学校の近くで働いている父親が、私が友だちの軽い感覚でぶたれたところを偶然見つけ、私を怒った。その友だちと一緒にいるんじゃないって、だいぶ怒鳴られた。
私は、まぁ苛められてはいたものの、その女の子は幼稚園からの付き合いで、別に本気でぶたれたわけではなかったし、からかいはするけど一緒には帰ってくれるから、その子のことは好きだったから、まったく理解できなかった。
まぁ一方的に怒鳴られる状況下でそんなことが説明できるわけもなく、それ以降、恐縮した私は怯えながらその道を通ることになった。このあたりから父親への苦手視が始まったように思う。その通りを歩くとき、いつも父親がいるんじゃないかと怯えていた。いつも逃げるように歩いていた。
その子のグループから距離を取らざるを得なくなったあと、私は苛められっこのグループに混ざることになった。なんというか、嫌な視線は前よりも多かったし、高学年になるにつれて、わりと堂々となにか嫌なことを言われるようになっていった。
中学生になっても、その環境はもちろん変わらなかった。メンバーがほとんど一緒で、そこに他地区から3校分ほど加わったんだけど、苛められていた寝クラになりつつあった私が新しく中学校で再スタートできるわけなく、鬱気味になっていった。
中学校1年生のときはまだマシだったけれど、それでも徐々にやっぱり苛められキャラというのは定着するもので、ジャニーズが好きだったことなんかを理由に気持ち悪がられていた。
この頃から、自律神経失調症になった。朝起きると気持ち悪い、ご飯が食べれない、頭痛がする、だから学校に行きたくない。
3年生にあがったころは、学校に行っても終始寝ていた。朝遅れて授業に行き、英語の時間以外は昼まで休み時間もぶっ通しで寝ていた。英語だけは好きだったし、英語の科目の先生がとても英語のできる人で尊敬していたので、起きていた。成績は普通だったけど。
文化部に所属していたので、上下関係に揉まれることはなかった。
高校受験のとき、希望していた高校は当然だけど全部落ちた。美術科高校を目指して画塾に通っていたとはいえ、基礎の勉強していなかったから当たり前である。今でも当時、試験のために描いた白菜はよくできていたと自負してるけど、実際はどうなんだろう。分かんないや。
興味のない勉強を真面目にし続ける自信も体力もないと感じ、さらに同じ中学校の人がいない学校へ進学したいと考えた私は、定時制に入学することにした。
定時制で、ある意味高校デビューを果たしたけれど、間違った方向にすすんだ。
夜間学校なだけあって、ヤンチャしている生徒が多く、そんな子たちに混ざって遊びを覚えたため、高校1年生から夜遊びを繰り返していた。朝帰ることも多かった。
ただ美術科受験を失敗した私は、自分の美術に対する自信を完全に失っていて、挫折を強く感じていたため明るくなれたわけではなかったし、中二病も混ざって鬱はより悪化していった。
勉強もできない、絵の才能もない、コミュニケーション能力もない自分自身に対して、ただひたすら絶望していた。
中学校の先生に勧められたメンタルクリニックに行き、薬を服用し始めると、薬が効かないことへのいら立ちが増えた。飲む量だけは増えていくのに、精神的な落ち着きはまったく得られなかった。
1回だけオーバードーズを試みたこともあった。当時の私は死にたいとずっと考えていた。
鬱で泣いてばかりの私を、父親と祖母はよく思っていなかった。泣いていると怒られて、怒られたことに泣くと、さらに怒られるという悪循環だけがあった。
家族の恥のような扱いをされているふうにしか思えなくて、私は家族にいるべき人間じゃないと思っていた。
人生もなにもかもうまくいっている妹と比べるととても惨めで、その妹は私のことなんか気にせずのびのび生きていたし、母親だけは唯一鬱への理解を示してくれようとはしていたけど、基本的には小学生のころと同じように放置主義だったように思う。
問題を抱え続けていたわけだけど、こういうわけで、家族の中に頼る人間がいなかったし、頼れる友人関係を高校で築き上げたわけでもなかったので、中学からこの頃まではずっと孤独だった。
高校3年生の夏、ようやく打ち解けあえる友だちができ始めた。ようやく仲間と呼べる友だちに出会えて、今でもこのグループの人たちとは交流が続いていて、のちのち精神的に助けてくれる人となる。
高校4年生のとき、頼りにしていた母方の祖母が亡くなった。父親や家族と揉めるといつも、この祖母の家へプチ家出を繰り返していた私にとって、これは大きなダメージだった。ちなみにそんな家出を繰り返しては家族に嫌いとかそんな暴言を吐いていたため、父方の祖母は「あっちの家のほうがいいんだろうねぇ」なんてよく言ってきた。
母方の祖母が亡くなった日、私は唯一の身内で頼れる存在だった人を失ったこともあり、葬式中は泣きとおしていた。親戚一同が集まる食事会では、母方の祖母側の兄弟たちと、祖母の話をして気を紛らわせた。田舎の人たちなので、宴会になっていて、楽しかったから。
けど父親からは「葬式にきていた父親側の人間のそばにいなかった」ということでキレられて、それがショックだった私は2週間ほど、亡くなった祖母の家で、祖父と一緒に暮らした。どうしても父親の理論を理解することができず、頭ごなしに一方的に怒鳴られることにも嫌気がさし、この頃から本格的に父親嫌いとなった。
父親嫌い、父親側の祖母嫌いは、このあと数年続くんだけれど、このとき、高校の友だちが私に理解を示してくれたおかげでどうにかたちなおれた。だから高校の友だちには本当に感謝してる。ちなみに父親を嫌うエピソードとしては「お前なんかが大学に行けるわけがない」と言われたこともある。
父親の言葉を見返すつもりで、必死に勉強をし、第二志望だったけれど希望の大学に入学することができた。美術は諦めていたから、その次に好きな英語科へ入学した。
私の人生は大学入学と同時に、ようやく明るくなってきたように思う。
今まで女子の仲良しグループに属したことがなかったけど(高校のときは男友達に囲まれていた)、それが実現したり、定時制から入学したにも関わらず成績は中の上ということで、自信にもつながった。
家族とは距離を取りつつ、揉めつつ、という微妙な関係が続くも、大学2年生のとき、反対を押し切って1年間の留学をした。
嫌いな父親からの出資ではあるけれど、家族から距離を置けたのはよかった。今まで家にいても落着けないというか、父親と同じ空間にいると緊張して耳鳴りがするくらいだったので、ストレスから開放されたように感じた。
父親とのコミュニケーションがまったく取れない私とは違い、妹と父親は仲が良く2人で旅行もするくらいだったので、その差に絶望したり、自分の不適合っぷりに悲しくなったりもしたけれど、距離を置くことでどうにか凌いだ。
帰国日が近づき、電話先で父親が口頭一番に発した「帰ってくるなよ」みたいな冗談?をきっかけに、乱れ始めてたので、カウンセリングのお世話になった。話を聞いてもらうことでどうにか落ち着き、まぁ金銭的な援助だけはあるのでその辺の感謝はしつつ帰国した。
留学後の関係は以前よりもずっとマシだったけれど、どうしても距離は縮まりにくかったので、やっぱり何度か揉めた。
でも大学4年生のとある大規模な英語スピーチ大会でスピーチを行い、英語が理解できないのでいいやと思い両親を招待することで、なんとか今までの成果を見せることができた。まぁ特に褒められはしなかったけど。
今は教育を学ぶために自分で奨学金を借りて、二度目の留学をしている。
父親に対して批判的になる大きな理由の一つ、それを助長する理由の一つとして、大学に入ってから教職を取り、先生や親、大人の在り方について考えるようになったからというのがある。
子どもにどう接するのが理想なのか、自分の過去と照らし合わせて、教育論について考えている。そんなわけでより一層、父親は間違っていると認識してしまうため、寄り添うことはできなかった。多分、今もそんなにできてない。耳鳴りなんかはなくなったけど、あまり喋れないし。家では基本的に口数が少ないと思う。
感情豊かではない。
それに気づいたのは、つい最近、教育実習先の学校からのコメントについて大学の先生に触れられたのがきっかけだった。私は自分の気持ちを表すことや、人に頼ることが苦手なんだろうと先生に言われた。
過去を振り返ってみると、そうなんだろうと納得できるし、きっとこれまでのことが原因なんだろうと、教育について勉強してきた分、自分をそう判断することができる。
これから努力して少しずつ練習して変えていくつもりなんだけどね。
これを書いている最中、辛かった日々を思い出して泣いた。
けど、泣いても書き続けることで、辛かったあとにやってきた楽しい人生を振り返ることで、自分の成長を確かめることで、自己治癒に繋がったと思う。
ここまで長々と読んでくれた人はどうもありがとう。
境遇が似ている
ただ、自分は弟はかわいいと思えなくて、いま大卒一年目にしてニートになっていて母親が姉の自分に愚痴を垂れるのでかしましく思っている
宗教は信じていなかったけど、大学は母が喜んでいるのがうれしかったので名前がまんまの大学に入ってしまい、卒業はしたものの、何を学んだのかよくわからなかった
同級生に二人か三人かくらい仲良くなれたひとはいたけれど、大半は情熱的な姿勢についていけずに距離を置いていた
いまもときどきFacebookで関連性のある投稿の内容を見るたびにげんなりした気分になる
学校は間違えてしまったかもしれないと思ったけど、地方から実家を出てひとりで暮らして地元ではない場所でぐだぐだな生活を営めたことは良かったことだと考えている
母に首をしめられたことは自分もある
でもすぐにはなしてもらったからあのような鮮烈な記憶にはなっていない
いま思い出しても、あれだけでもこわい記憶で、この親には注意が必要だと思わせるには十分な根拠のひとつ
父は自分とはまだ話が合う
だが父は長年まともな職業につけず、ずっと母親から稼ぎが悪いし家のことも手伝わない、向かいの家の旦那さんは市役所勤めなのに家のことを手伝っている、云々と散々けなしてきたので、母が好きな弟は徹底的に父を嫌っているが、宗教についてのことを抜けばまだ話ができる
いきなり母の実家の旅館をつぐためにほかの地方から出てきて、結局旅館が務まらず、清掃業をメインに働いてきたひとだ
(余談だが、母方の旅館は間もなくたたむことになり、跡地に実家である我が家と母方の祖父母の家がある)
母は父のことを稼ぎが悪いといい、いつも彼女の母、つまり自分の祖母に金を無心していたらしい
それなら自分も働けばいいのにと今なら思う
そういうと、働いていたという
新聞配達もしていたし、ほかにも働いていたという
でもなぜなんだろう、自分の記憶の中には母が働いていたという記憶が少しもない
母に関心がなかった
よくわからない
弟もまた自分と同じ母の望む大学を卒業したけど、案の定働き口を見つけられていない
彼は母の、この地域は部落が多いから人間性がよくない、引っ越したい、という発言をうのみにして、大学を出たらそのままそこで就職すると言って出ていったはずだった
だけど結局家に戻ってきている
彼と自分は姉弟だが、お互い連絡先を知らない
そのくらいにはお互いとかかわるつもりがない
先日、五年ぶりくらいに両親にわかるように彼の現状をいろいろ話をしてあげてほしいと話しかけたが、それ今じゃないとだめ?とすこぶる億劫そうに面倒くさそうに布団の中から返された
彼の学費の援助もしたし(本人は学校をやめると言っていたようだが)、今も実家から時折生活費をお願いされていて彼はそこで一切働かず寝食をしているのに、それについて感謝されたことは一度もない
(母親が、お礼を言いなさいと無理やり弟に言わせようとしたことはある)
あと両親が老けていくことが目についてきたので、子供に会うとうれしいだろうと勝手に見積もって、ぼんやり一緒にテレビを見たりする
大学を出てしばらく二年くらいバイトを転々としていて、お金がたまったから家を出た、決めてから一か月くらいで荷造りや搬入、アパートの契約などすべて済ませた
もう三年は経つ
自分はまだ働いていたけど、母親が自分の洗濯以外の家事を手伝わないことを気にしていて、時々口喧嘩になったときにそれを持ち出すのがいやだったので家を出た
幸い家を出ることに両親の抵抗はなかったし自分は五体満足だったので、すんなり独り暮らしははじめられたし、両親、主に母親との仲も落ち着いた
宗教は、ちなみに、ついてまわった
引っ越し先を教えるなと母親に言っていたのに、教えてしまったらしく、いわゆる引っ越し先の担当が家をたずねてきて血の気がひいて、しばらく落ち着かないこともあった
母親は最近は金を借りていることに引け目があるのか、どうにかしてほしいと言ったら、何か対策を講じてくれたらしく、音沙汰はなくなった
今のところ平穏に過ごせている
生まれて間もなく入会させられているというよくある状態なので、退会したいけど、その話をしたら勘当とかドラマみたいなこと言い出してヒステリー起こしてめんどくさかったので、両親がなくなったら退会しようと思っている
退会はめんどくさそうだが、両親がいなくなったら今度は直にこちらにくることは目に見えているし、それはめんどくさすぎるし、幸いなことに口の立つ親しい人間がいるので巻き込むのは本当に申し訳ないけど手伝ってもらおう
自分はまだ運が良いほうだ
この匿名ダイアリーを書いたひとの手助けができたらいいのにとも思うけど、何ができるのか思いつかなかった
だったら、まだ救いというか、安らぎになっているのかな、そうだといいのに
35 :ソーゾー君:2013/01/16(水) 01:28:29 ID:fHCuh7yU
経歴で怪しいと思う点
「めぐみさん失踪後、親身になって捜索してくれた福音派に感銘を受けて入信」
↑これだ・・ここを異様に強調する・・その前は無宗教か?そんなわけねーよな?
朝鮮系だったらお笑いだわな・・完全無欠の統一信者で済州島の白丁難民だぜ?
でも京都だし済州島の白丁難民ならリ○ブ21の社長みたいに訛るぜ?サキエの方が年上だろ?
京都出身だろ?仏教系の学校だと思うぜ?京都にキリスト系の学校何かあるのか?
出身校書いたら部落って解るから書けないとか言うオチじゃねーよな?
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1357424442/l50
まあ、これも東京での常識 に 近い んだけど。 部落解放 がらみ なら あまり「頭数優勢」 を 「みない」 ことだろね。 「頭数優勢」を「みる」すけべ心 が もっとも 性質 が 悪い。
まあ、ある程度の年齢にさしかかると 自分の劣勢 を 自覚 する こと が 多々 あるんだけどね。
立ち回り かた だね。
あまり 「恥ずかしい立ち回り方をしないこと」だろね。 「頭数が見える馬鹿」って 土壇場 に 極端に 弱い こと がある。
まあ。事業規模 を ほどほど の 規模 に 区分 するよう 行政指導 が あるんだろうけど「さ」 それも 部落解放 水平社 の 基本方針 だったりする。
まあ 精神医学の分野で 「箱庭療法」 といわれる 生活習慣病 改善 の 手立て が あるんだけど。
(こんなところ で よろしいかな? 母体 母体数 母数 母数 と 母体数 は 一致 しない。 事業法人数 と 事業従業員数 の はなし に スライド してくる から ここにしつこいひと は いるだろうね たしかに。
別れて今日で1ヶ月が経った。
付き合って8年。
結婚は意識してた が、彼はあまり乗り気じゃないのも気がついてた。
別れるちょっと前に私の両親に会ってもらった。
楽しく過ごせたはずだったが、そこから何かが崩れ始めた。
少しずつすれ違いが始まって、それから別れに至るまでそう長くはかからなかった。
正直訴えたい。
30過ぎた女捨てる事とか犯罪にしてほしい。
もうどうすればいいの?
次の相手が見つかって相性を計るのに最低3年。
そしたらもう37歳なんだけど?
そもそも34で新しい相手とか無理じゃない?
女はどうすればいいんだよ。
犯罪だよ絶対。
まじ訴えたい。
意味分かんない。
絶対に結婚したいし、すると思ってた。
なんかもう絶望。
無理。
無理
はてな村民レベルの算出方法は数多く開発されてきたがここではFucking HatenaSayoku Algorithm[2007]を紹介する。
2007年にkanoseらによって開発されたこのアルゴリズムは、はてな左翼(通称はてサ)を物差しにすることではてな村民レベルを算出するもので、シンプルかつ高精度なアルゴリズムとして知られている。
---------一般村民-----------
---------村の幹部クラス-----------
レベル15 はてサ内にも様々なクラスタ(穏健派・武闘派・歴史修正派・アンチ自民派・貧乏派)がある事に気付く
レベル17 記事タイトルを見ただけでブコメにはてサが群がってるとわかるようになる
レベル19 橋下部落問題などでダブスタ墓穴を掘っているはてサを愛でる事ができるようになる
---------村で10年は語り継がれる命知らずの勇者クラス-----------
レベル20 はてダなどでidを出してはてサを批判することができる
レベル21 はてサが光が丘病院に入院したという情報を入手したらこっそり訪問し氏名と面構えを把握する
単に
に対しての
「発達障害だけど成り上がったオレ」という主張している人いたけど?
こう言われた場合、
部落出身者がそういった優越感に浸ることはしない、に対しての反論として、
発達障害だけど成り上がった俺、と言う人が居る、
ということだから、「部落出身者でそういった優越感に浸る」の例(もしくは近いこと)として
「発達障害だけど成り上がったと言うこと」を出したことになるのではないだろうか?
これについて、正しいのか、間違ってるなら説明して欲しいんだけど
どうなんですか?
まあ、なんでもいいけどさ、
に対しての
「発達障害だけど成り上がったオレ」という主張している人いたけど?
こう言われた場合、
部落出身者がそういった優越感に浸ることはしない、に対しての反論として、
発達障害だけど成り上がった俺、と言う人が居る、
ということだから、「部落出身者でそういった優越感に浸る」の例(もしくは近いこと)として
「発達障害だけど成り上がったと言うこと」を出したことになるのではないだろうか?
これについての説明は?
これについてちゃんと説明できないのに、人を文盲呼ばわりしてたら、それは恥ずかしいよね?
このレベルの自分の意図をきちんと表現出来ない(もしくは元の文章を理解できない)人間な上、
差別発言を批判する様なトラバの中で差別擁護使っちゃう様な低レベルな人間には
正直同じ日本人で居てほしくない。
に対しての
「発達障害だけど成り上がったオレ」という主張している人いたけど?
こう言われた場合、
部落出身者がそういった優越感に浸ることはしない、に対しての反論として、
発達障害だけど成り上がった俺、と言う人が居る、
ということだから、「部落出身者でそういった優越感に浸る」の例(もしくは近いこと)として
「発達障害だけど成り上がったと言うこと」を出したことになるのではないだろうか?
http://bayaread.hatenablog.com/entry/2013/07/04/004426
自分の話なので徒然として結論もない。
自分は育った家庭が日本ではかなり右寄り(アメリカなら普通くらい)で、外の世界に触れる前から中国人・韓国人は劣っていて悪いひとしかいないと教えられてきた。あと部落とか。とってる新聞はもちろん産経新聞。女は家庭に入るべきだし教育は不要、みたいな。母親が共産病院で働いたことがあって、その反動だったっぽい。
ほいで入った小学校が極左。校長が壇の下から壇上の卒業生に卒業証書を渡すみたいな意味のわかんないことをする(なんか偉い人ほどへりくだらないといけないそうだ)ほど極左な学校。もちろん同和教育とかもするし、原爆とか沖縄の基地とかの授業もいっぱいあった。国歌は習わなかったし、国旗掲揚とかもない。
小学校1年生にして価値観がぐらぐらとする。あれはたぶん実際体験してみないとわからないと思うけども、無自覚で受け入れていた思想が悪で、悪いと思っていたことが正義だと言われ、しかもみんなが無邪気にそれを信じているという状況に直面し、六歳の自分はものすごく混乱した。ただ子供なのですぐに順応した。子供的には楽な環境だったし、拒否する理由も、それを考える頭も当時はなかった。
その後、家庭の事情で転校し、今度は保守王国にきた。これまたすごい。イベントのたびに国旗掲揚、国歌歌うはともかく、集団行動を叩きこまれてそれを乱すとものすごい体罰。なんだここは地獄かと思った。それまですごいリベラル(といえばいいがまぁ野放図だった)だっただけに嫌悪感が半端ない。軍国主義じゃね、これ、みたいな。そん時が八歳。八歳なので軍国主義という語彙はなかったが、侵略戦争という言葉は知っていたのでこれはいけないことだ、と思った。ただ逆らうと体罰があるので大人しく従うほかない。
で、子供だったので順応するかとおもいきや、全然しなかった。学校大嫌いだったし、団体行動とかクソだと思ってたし、女子の幸せは結婚して子どもうんで家庭に入って、だから勉強だってそんなに頑張らなくていいのよ、役職はいつも副で男を立てましょうみたいな思想はクソ食らえだと思ってた。年齢相応の知性はあったのでそれをおおっぴらにはしなかったけど、ひっそりと拒否してるつもりで高校まで出た。
んで、大学入ってまたびっくりした。大学っていろんな地方から人が来るので、生まれた時からそれまで一貫して同じ思想を注ぎ込まれている人というのは多くいる。それ自体は別にどうでもよくて、そういう人と話した時に六歳や八歳の時に感じた、なんかよくわからない怒りというか嫌悪感というのがほのかに蘇ってきて、すごくたじろいだ。たじろいだというしかない感じ。
折り合いをつける過程で、子供の自分にできたのはどっちの思想も否定するということだった。受け入れない。受け入れないで適当にまわりにあわせてやり過ごす、というのが一番いいと思っていたし、誰かが強弁するならそれに合わせとけって思ってた。けど、ちょうど小泉さんが政権とってる時代で、靖国問題とかが出てきた時期だったんだが、それで当時の彼氏と言い合いになったんだよね。彼氏は関西の人でいわゆる「自虐史観」が正当だとおもってて、そもそも靖国神社には犯罪者が葬られているから参拝すべきでないという立場(らしい)。んで自分はまぁ、戦没慰霊はゴタゴタ言わなくていいんじゃないの、夜はどうせ墓場で同窓会でしょみたいな主張。
激しく言い合ったわけではないんだが、二、三言葉を交わした時に、どうしても彼氏の言葉が受け入れられないと思ってしまった。これに自分でびっくりした。びっくりしすぎてその後反論するのはやめてしまったくらいショックだった。日本で見ればやや保守、一部リベラルだから中道だろうと思ってたけど、がっつり保守派じゃん、無意識にそうなってたわ、と気づいたときはショックだった。しかもあんなに嫌いだったのに。
その後も地味ーに韓国嫌いだったり(口には出さないけども)(そして中国は不思議なことにそうでもない)、地味ーにおしゃれしているお母さんに冷たい視線を向けてしまったり、地味ーに結婚したり子どもうんだ友だちに嫉妬したり、そのたびに自分が保守的なことに気付かされる。逆に男性に対してはどうせ女だし軽く見てるんだろっていう気持ちが拭えなくて、気をつけないとつっけんどんな感じの対応をしてしまう。ほんでそのたびにショックを受ける。
結局一番最初に入ってきた時の思想から抜け出せないんだなぁってことを今も時々思う。意外なことに無意識に無条件で受け入れてることってたくさんあって、意識的に気をつけていても、気をつけきれないことってたくさんあるんじゃないかな。結局自分の頭で考えるってなんだろうって、こういう話題が出るたびに思う。全部は考えきれないし、把握もできない。多分これからもショックを受け続けるんだろうなぁ。
ここ最近盛り上がっている、子どもを産むことに対するネガティブな言説を読みあさってしまったが
子どもを産むことは鬼畜の所業、馬鹿、親のエゴ、生まれない方がマシ・・・
そんな言葉の渦のなかで、私のお腹からまた一人子どもが生まれようとしてる
これらの増田には強く非難される鬼の所業だろう この増田に共感するとブコメしてた人たちにも
同級生のようなキラキラした20代を送ることができず、引きこもって鬱屈としていた
それこそ、生まれてきたことが間違いだと思ったし、自分みたいな人間は生きる価値もないと思っていた
その時すごく思ったのは、こんなに毎日死にたいと思っているのに、どうして自分はなかなか死なないのかってことだったんだけど
何度か自殺未遂を試みるんだけど、どうしてもうまくいかなかったんだよ
ネットで楽な死に方をいっぱい検索した。その手の掲示板に出入りして、死にたい人の集まりみたいなところで死ねない自分を嫌悪していた。
それなのに。
死にたいと思うのと同時に、「怖い、やっぱり死にたくない」って思ってしまう
死にたいはずなのに、どうして「死にたくない」って思っちゃうんだろう、だってこんなに生きることが辛いのに。
毎日朝起きることが絶望でしかないのに。今すぐやめたいと思ってるのに。なんでこんな矛盾しちゃうんだろってすごく考えた
本当にさ、自分が心の底から自分の意志で死にたければ、死ぬのが楽しみなはずだよね。
ワクワクして楽しみで、指折り数えて待っちゃうくらい。多少痛くたって怖くたって、気にならないくらい、楽しみなはず
でも自殺する人って、みんなためらい傷とかあって、死ぬのを周囲にほのめかしたりして、誰かに止めてもらおうとする素振りを見せたりしてる
「死ぬ」という選択は「よりよく生きること」が否定されて初めて生まれるものだから。
「よりよく生きる」「楽しく生きる」「生きていて心地良い」が実現されない、「だから」絶望して、初めて「死のう」となる。
生まれたことを賛美されなかった障害者は、死んだほうがいいのか
生まれてすぐ周囲から虐げられる被差別者は、死んだほうがいいのか
不細工は、性的不能者は、貧乏人は、部落出身者は、在日は、デブは、ゲイは、障害者は
生まれて来なければよかったんだろうか
命そのものが悪なのか
でも、その人の死を望んでいるのは本当は誰なのだろう
世の中でうまく生きられない人が死を望んだ時、
本当にその死はその人の自由意志で選択された死なのか
誰かに、「よりよく生きること」を阻害された結果の、「押し付けられた死」ではないのか
死ぬことが楽しみに思えない以上、私は本当は「生きたい」んだと、20代の私は気づいた
「生きたい」のに、毎日たのしく生きられない、生きるのが苦しいと思う。
「死にたい」んじゃなかった。私は、「よりよく生きる」ことこそを切望していて、それが叶えられないから苦しかったんだった
今、生きていること。
呼吸をしていること。
触れていること。
見ていること。
考え、感じていること。
ただただ、自分がそこに在るだけ。命そのものに、生きていることそれ自体、そこに絶望はないと思った
私の子が、もし生まれたことを後悔して、死んでしまいたい、どうして生んだんだと私を責めたら
生きることが辛すぎる、こんなことなら生まれたくなかったと、残酷すぎると絶望していたら
あなたの命は、悪も善もない、ただそこに在るだけではないかと言いたい
あなたが生まれたことを後悔するのは、生まれてきたからではない
あなたが「よりよく生きる」ために、私は努力を惜しまないと 一緒に苦しんで考えようと
「死にたい」と思うのは、「生まれて来なければよかった」と思うのは、「生きていたい」という切ない願いの裏返しだと
日本の左翼がクズ揃いってのは、わざわざ声を大に出さなくても、もはや周知の事実だろ。
・「特定の民族に対するヘイトスピーチを許すな!」と叫んでおいて、いざ特定の民族(日本人)を狙った韓国人による日本人虐殺が発生するとダンマリ(なぜか左翼は、朝鮮人などが犠牲になると犠牲者が1人でも「虐殺」とか呼ぶので、それに倣っている)。
・「部落への差別を止めろ!」とか言っておいて、橋下徹に対して「部落出身のクズ野郎」みたいな言葉を平気で放つ。
・「犯罪者の子供は、親の犯罪とは関係無い。保護すべき」とかいいながら、「安倍首相は岸信介の孫。だから軍国主義」とか、血筋を理由に人を色眼鏡で見るという言動を平気で行う。
・中国共産党によるチベット人虐殺をスルーするどころか、日本国内のチベット人団体が保守系団体と親密にしていることからと、チベット人の文化や宗教まで差別的に罵る。
・一昔前は「自衛隊は人殺し」「憲法九条に沿って、自衛隊をなくそう」とか言っておいて、震災などの活躍で自衛隊の信頼度が上昇すると「自衛隊員のいのちを守るためにも、改憲はしてはいけない」とか自分の主張のために自衛隊を利用する厚かましさを平気で発揮。
・アイヌが、アイヌ民族に対して批判を行うと「アイヌのくせに、なんてことを!」などと批判するが、自分達は「日本人のくせに日本を批判するな!」という右派の批判に「表現の自由!」などと反発する。
上記の事を指摘すると、なぜか左翼は「ネトウヨは~」という言い訳を始める。ネトウヨがどれだけクズだろうが、左翼がクズな言動をしている事への免罪符にはならないのだが、それが理解できていない。