はてなキーワード: 老婆心とは
最近のアイドルマスターSideMに関して。
https://abcdefgz.hatenablog.com/entry/2018/05/23/153558
読んでくれるかわからないけれども、貴方がエゴサをしてこのエントリが引っかかってくれることを期待してこれを記します。
以下の文章は、直接貴方のために、というより、自分にとってのアイドルマスターのためにも書いた理論と感情の発露なので、伝えたいことはあるけれど、貴方はこれを読まなくてもいいし読んでもいい。
私は、所謂『箱マス』から始めて、765ASもDSもミリもデレも、そしてもちろんSideMもやっているアイマスPです(本家SideMは垢だけ作って放置、エムステは毎日のデイリー消費のみ、CDは全部買ってる、アニメは全部見て大変感動したけど金が無くて円盤は買えてない、ライブは金も時間もなくて行けてない、という状態)。そんな私から老婆心ながらアドバイス……というわけではないんだけれども、少し話しかけたくなったのでこのエントリを立ち上げました。
まず最初に、貴方の文章に対する自分の立場を明らかにすると、「今のSideMはまだまだ不十分だとは感じるけれども期待している状態」です。ちなみに、私はいわゆる『箱推し』。
そりゃもちろんゲームはクソゲーだし、アイドルの人気や演者さんの忙しさによって登場頻度の差があったりもするのは分かってるけれど、ゲームがクソゲーと分かるってことはまだ改善の余地があるってことだし、アニメ以外の新曲はほぼ公平かつコンスタントに出ているし、アニメはどの回も大変感動したし、2期だってまだ望みはあると思ってます。何より、『315のあいつらが生きてる』という事実それ自体が歓びなのよね。 冬馬たちと出会って8年。輝たちと出会って3年。なんだかんだあいつらを見てきて、なんだかんだ好きになって、あのスットコ共を見守れているということ自体が嬉しいのよ。ゲームがクソだったり出番に差があったりってのは、彼ら自身を彩るモノ……と、私は思ってます。
その上で、貴方に2点伝えたい。
①その『体験』を大切にしてほしい
まず最初に大切だと思うのが、「その体験を大切にしてほしい」ということ。
いや、ちょっと待ってくれ、ジコケイハツっぽいかもしれないけど聞いてくれ。
『アイドルマスターSideMというコンテンツと出会った』、『担当(推し)と出会った』、『セカライを楽しんだ』、そして『エムステをクソだと思った』、『アニメにがっかりした』、『ライブで期待を裏切られた』、『愚痴を見た』、『自分で愚痴を吐き出した』、『その愚痴に反応を受けた』……その全てが貴方にとっての『アイドルマスター』だと思うのです。元石原Dの言葉を借りるなら「アイマスを好きになったり嫌いになったりしてほしい」、中村繪里子さんの言葉なら「アイドルマスターに係る何かをすること全部が『プロデュース』」ってのが、その一端かも。
12年アイマスを見続けて思ったけど、アイドルマスターとは『体験』であり、『個人だけの物語』だ。貴方にとってのアイマスは、アイマスと出会い、楽しみ、失望し、愚痴り、場合によっちゃこのまま辞めちまうところまで含めて一つのコンテンツなんだ。その『体験』は誰にも否定できるもんじゃないし、口を出していい物でもない。喜びも悲しみも、嬉しいも楽しいも辛いも苦しいも、全部ひっくるめて『貴方のアイマス』なんだ。その『貴方のアイマス』を大切にしてほしい。辞めるなと言ってるんじゃない。辞めてもいいからその個人的な体験を個人的なものとして心の大切な部分にしまっておいてほしい。つまり、後から思い返してほしいし、その時に感じた事や行動をなかったことにしないでほしい。それら全部がアイドルマスターの欠片なんだ。それらみんなをまとめて初めてアイドルマスターなんだ。
自分でも書いてて自己啓発みたいな、宗教みたいなことを言ってると思うけど、これが私が12年見てきた『アイドルマスター』ってコンテンツの、偽らざる事実・側面の一つなんだ。俺も千早や愛ちゃんや未央で思ったけれど、『アイマスをプレイする≒アイドルをプロデュースする(DSはちょっと違うけど)』ってのはどこまで行っても個人的な体験に過ぎなくて、誰とも共有できるわけじゃない。逆に、誰とも共有できないからこそアイマスは素晴らしいんだ。そこが、一つの決まったストーリーをみんなで共有するコンテンツとの違いだと思う。(関係ない話になるけど、アイマスのこういう側面はアニメ『アイドルマスターシンデレラガールズ』の終盤で語られていたりする)。
ブコメやtwitterで色々な人が言っていて、逆に貴方の「追記」には、今これを書いている段階では無い要素に「二次創作してみたらいいんじゃない?」って事(への反応)がある。
上と同じで、『二次創作をすることそれ自体』『二次創作を楽しむこと(作ることも、視ること聴くことも)』も、自分にとっては『私のアイドルマスター』の欠片なのよね。ゲームとしてのアイマスを買ったのは2008年に『L4U』と一緒にだけど、2007年からいわゆる『ニコマス』に触れていたのも大きいと思う。2006年にニコニコ(仮)が始まり、2007年にpixivが始まり……アイマスは時期もよかった。
担当(推し)がもっと美しく見えるような、カッコよく見えるような、もっと好きになれるような何か……動画でもイラストでも小説でも、単なる「説明図」でもいいから、何か作ってみるのはいいんじゃないかな。それこそ正に『プロデュース活動』だろう。それを作る過程で、担当の事をもっと好きになると思う。
自分も、過去12年を振り返って「あれ、あの記憶は公式の作品だっけな、自分の二次創作だっけな、誰か他人の二次創作だっけかな」ってことがままある。それもまた『私のアイドルマスター』なのよね。
というわけで以上2点。どれか一文でも貴方の心に響いてくれれば嬉しい。
以下は私の愚痴。
……なんでこういう愚痴ばかりが取り沙汰され、人に害を与え、責めれられるんだろうね。本来、愚痴も、非難も、逆に称賛も、感動の言葉も、全ては感情の発露という点で同一、平等なはずなのに。
なんでインターネットにはマイナスばかりが溢れるんだ。なんで、そういう愚痴や非難ばかりが拡散し、人に害を与えまくり、さらに責められなきゃならないんだ。DSの時も、アイマス2の時も、アニマスの時も、デレアニの時もそうだった。なんで負の感情ばかりがこう強く広まるんだ。
追記
↓についてるトラバでも書いたけど、なんで発しただけで揶揄されるような、人から疎まれるような感情がポッと生まれなきゃいけないんだ。誰がその感情を回収するんだ。回収されなかった感情はどこへ行くんだ。誰かがそれに付き合ってやらなきゃ誰も救われないだろ。誰か一人でも寄り添ってやらなきゃならないだろ。なんでそれを誰も分からねえんだ。
皆さんと同じく老婆心ながら。
進路を変更することを「逃げた」と思う必要はないし、他にやりたいことのためなら「逃げた」って良いし、今「逃げた」としても人生先は長いから戻って来たくなったら何十年後であっても戻ってくれば良いと思います。
受験を通過するための手段としての数学とそこから一旦離れるかもしれないこと、趣味として長く続けるかもしれない数学、そして希望進路は分けて考えてみてはいかがでしょうか。
「(学部は問わず)京都大学のキャンパスで学びたい」ということであれば実現する方法は理系学部進学以外にもあるでしょうし、どうしても京都大学の理系学部に進学したいのであればまだ時間はたくさんあるように思います。ぎりぎりまで粘ってみてから私立文系に進路変更するのではダメですか?(そしてできれば、その際「諦める」「逃げる」と考えるのではなく、「他にやりたいことを見つけた」と考えられると良いかと思います)
今は目の前の挫折感で頭がいっぱいになってしまっているかもしれませんが、人生はとてつもなく長いので、長い目で見ると「大学受験の時に文転した」というのは本当に本当に些細なことで、どなたかが書いていらっしゃいましたが「配られたカードの中で最適な選択をして、なるべく毎日楽しく生きる」ことは理系でも文系でもいくらでも実現可能だと思います。
自分よりも優秀な人がたくさんいる環境に居られるということはとても恵まれていて、素晴らしいことだと思います。そしてそれはあなたが今まで頑張ってきたからこそ、でもある。
周りの優秀な人たちとの競争は一旦置いておいて、「大学の4年間を楽しく過ごすために自分は大学で何を学びたいか」考えてみていただけると良いかと思います。大学で学んだことを生涯の仕事にするかもしれないし、どこかの時点で全然違うことを始める気になるかもしれないし、先のことは計画しきれないことも多いので、「ひとつの選択で(あるいは挫折で)人生が決まってしまう、ダメになってしまう」なんてことほとんどないですよ。
私の好きなジャンルは女性向けソシャゲで、人気はそこそこ。知名度はある程度あるし、DL数はそれなりに行ってるけど、現役ユーザーはそんなに多くなくて、ざっくりわけてガチ勢と一般ユーザーに3:7くらいでわけられるようなそんな小さな界隈だ。
ゲームはソシャゲの中でもかなり乙女ゲーム的な要素が強く、ファンもそういう傾向の人が多い。
同担拒否も当たり前にいるし、推しが複数キャラいるだけで同担にブロックされるような世界だ。
好きなキャラが最推し以外に複数いるってことを先に断り入れないといけないような世界。
私は基本的に魅力的なキャラであれば何人でも好きだというし、それぞれの魅力をそれぞれ愛したいと思う。
そもそも夢女子じゃないから、もちろんキャラに告白されれば自分に言っているように想像はするけれど、かといって彼らに人生を託すと言うわけでもない。
普通にキャラが好きなだけなのに、キャラを好きだと言うことが悪いことのようになってしまう今の界隈は、正直息苦しい。
夢女子が多くて、一番困るのが交換だ。
この界隈は、同担拒否も過激派が多くて、RTやいいねで他の同担のツイートを見ることすら許せない人がいるらしい。それも、かなり頻繁に。
だから、交換でツイフィールを読むと「最推しが○○の方はフォロワーさんが嫌がられるのでお断りします」っていうのがよくある。
そこそこの年数乙女ゲーム界隈にはいたけれど、こんな注意書き、このジャンルにきて初めて見た。
初めて見て、ドン引きした。
名前も知らないどこの誰かもわからない交換相手のフォロワーと推し被りだから、当人は同担拒否でも推し被りでもなんでもないけれど、該当者はご遠慮されるのだ。
その交換相手とフォロワーがどれだけ仲がいいかはしらないが、ぞっとした。
交換が出来ない怒りとかを通り越して、それがクラスタ内で『異常』でもなんでもなくありふれてることに、再びドン引きした。
まるで村だな、と思った。
よそものは受け付けない。外部の人間は入れない、身内が嫌だと言うならその人の良い悪いに関わらず排除する、そんな雰囲気。
同担拒否で他人にまで拒否を強制する夢女子も、それを受け入れて悪意のない第三者をカットする人間も一体なんなんだろうかとか。
色々、考えてしまう。
作品が好きで、もっともっと作品が人気になって欲しいからこそ、こういう夢女子の存在がその障害になりそうで怖い。
作品を知ってキャラを好きになっただけでブロックされたり、気になる人との交流を制限されたり、そんな閉じきったジャンルになりかけているのが怖い。
人気が出たら、圧倒的に新規が増えたら、空気も変わるかもしれないけど、今はとにかく、澱んだ空気がジャンルに蔓延ってる。
ついでに、夢女子が、とは言ったけど、別に夢女子だけがこうだとは限らない。多分女性が多い界隈にありがちな話だと思う。形は違えど似たようなことはあるんじゃないかなぁと思う。
けど、交換にまでそういうのが入ってくるのは……なんとかならないのか。
実はアニメ化が決まっているのだけど、このままでは始めたばかりの新規ユーザーが私のようにドン引きして、そのまま作品から離れてしまいそうで、老婆心ながらも心配だ。
最後にこれはきちんと言っておかなくてはならないけれど、夢女子でも過激派ではない人もたくさんいるし、私のように多数キャラを愛でる人もいる。
これでも、今のジャンルは私が今まで辿ってきたジャンルでは1、2を争う良いファンに恵まれたジャンルだ。
だけど……優しすぎるファンが多いせいで、先の同担拒否過激派の言い分をそのまま受け入れてしまうという、皮肉な状況になっている。
妊娠準備中とのことなので、老婆心ながら少しだけお伝えさせてください。
こういうしっかりされた奥様だと、出産後は思い通りにいかない育児に対して、産後うつになりやすいかもしれません。
産後の奥様が一番ほしいのは、数時間でもいいから自分が好きにしていい時間というのを、覚えておいてもらえると嬉しいです。(こんな高スペックではありませんが、きちんと物事を進めるタイプの自分は産後うつになりかけたので…)
話がそれており、また、自身の体験からのアドバイスであり余計なコメントであるということは重々承知ですが、自分と同じような辛い思いをする人を少しでも減らしたいと思い、書かせていただきました。
外国籍の友人がいるんだが、とにかく行儀が悪い。
国が違えばマナーが違うから、行儀が悪いというより単純に知らないという感じなんだろうなとは思う。
両親ともに外国人で人生の1/3を母国で、2/3を日本で暮らしている感じ。(本人曰く母語は日本語。感覚?も日本人に近いとのこと。)
さらにここ10年は一人暮らしなので、誰にも注意されなかったんだろうなあという感じがする。
具体的にはこんな感じ
・会話に合わせて(?)箸を振り回したり、箸で方向を示したりする
・口に食べ物をいれたまま喋る
箸を振り回したときに水滴が飛ぶよ!とか、
そんなにストローズーズー吸うほど喉が渇いているならもう1杯頼めば?とか、注意とは呼べないような注意しかしてない。
あなた行儀が悪いよ!とはなんとなく言いにくい。
外国籍だから(文化が違うから)しかたないと思っている部分がある。
とはいえ日本で暮らしていくなら私がもっと注意してあげたほうが…とも思う。
酷評されていますね!「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」。
これだけの製作陣が集まって、何よりあの伝説の映画のアニメ化ということで、どこをどうするとこんなに酷いレビューになるのかと興味を持って観に行きました。
この記事のスタンスとしては、この映画は誰にでも勧められるわけではないけど、ここまで酷評されていると「観に行くべき人」が行かなくなるのは可哀想だなあ、、という曖昧な感じで書いています。
観る前「どうせ脚本の大根仁氏がわかりやすく書きすぎて、薄っぺらい映画になったに違いない」
↓ ↓ ↓
観た後「なんだこれは、、、微妙なところ付いてきたな。。。」
でした。
(ちなみに、それらを踏まえた上での「正しい見方」は後半にあります。)
映画レビューサイトなどは匿名ということもあり責任が無いため極端なレビューや部分的なレビューが多い感じがしました。
そこでYoutuberの皆様による参考レビューを見てみたところ、年代やレビュアーの特徴も出ていて面白かったので、まとめました。
映画の良し悪しに関わらず、どういう種類の人が、どういうことを言っているのか、というのは参考になりました!
https://www.youtube.com/watch?v=ImsZEy_5Q0U
・レビュアーについて
・絵について
・声優について
・その他
・総評
https://www.youtube.com/watch?v=h_TvQse51E4
・レビュアーについて
・絵について
・声優について
・ストーリーについて
https://www.youtube.com/watch?v=8L3zGz5O7-E
・レビュアーについて
・総評
・絵について
・音楽について
・ストーリーなど
・声優について
さて、、、、
そんなわけで「正しい見方」、、、
少し長いです、、、
を求めている人はいないわけです。
さて、原作とこのアニメ映画の関係ですが、意外にも大根仁氏は原作をベースにしながら独自の解釈で、魅力を増幅させようと脚本を書いたようです。
結果的に、
という作品となりました。
タイムリープの展開をより哲学的な形にまとめあげたりしています。
そんなわけで、岩井俊二の世界観が理解できない、好きではない人にとっては、
単なる「よく分からない話」で終わるのかもしれません。
プロモーションが「君の名は」を想像させたんでしょうねえ、、、
という前向きに捉える人ももちろんいるでしょう。
それにしても大衆向けという意味では「打ち上げ花火〜」はちょっと難しすぎたのかもしれません。
そんなわけでプロモーションの失敗ということは確実に言えそうです。
原作ではタイムリープは1回でした。あのとき違う行動をしていたら未来は変わっていた、という2つのストーリーを描いた映画です。
このアニメではタイムリープは何回も行われます(4回だったかな?)。タイムリープするための石という新たなアイテムも出てきます。
石のアイテムの効果で、現実感を薄くさせてしまって想像の世界という感じがもちろん強くなりました。
そのため、原作が好きな人にとってはちょっと不満はあるでしょう。
ただ、これによってアニメが好きな層にアプローチできると思って新たなストーリーを作ったのでしょう。
結果的にはそれでも良く分からなかったということで、アニメ好き層には響かなかったような感じがします。
原作では、完全に2つの世界があって、それらは別々でした。ただ、観客はその2つの世界を客観的に見ることによって、ノスタルジーや非現実感を感じて楽しむのが「打ち上げ花火〜」の醍醐味です。
のような、能動的なメッセージを伝えようとしているあたりが違うところですね。
(この辺りが、若年層には全く伝わっていないっぽい、、、、)
詳しくないのでわかりません。
ただ、声優は別に違和感は無いです(あまり期待していないというのもある)
詳しくないのでわかりません。
あと「君の名は」もそうですし、横田守細田守氏、ジブリ系のものと比べても書き込まれていない部分が目立つのはその通りと思います。
→岩井俊二氏が描きたかった人間を全然理解できていないというか、世代の違いなんでしょうか、、、
人って素直になれない時は変なこと言っちゃうっていう、そいいうことが理解されない時代になったんでしょうか、、、
→ある程度、知見を持った人が映画作ってるわけなんで、理解しようという視点も必要なんじゃないかなんて老婆心的に思います、、、
→この映画は恋愛は真ん中に置いてあるけど主題では無くて、子供の頃の気持ちとかノスタルジーが主題なんだと思うんですが、、、
「原作が好きな人が、原作をすっぽり忘れて観に行くと、爽やかな夏の午後のような気持ちになれる」
(どっちやねん!)
大衆的ヒットが得意な大根仁氏を擁立しながら、なぜこうなった、という話について少し言及を。
https://www.youtube.com/watch?v=4TeLnGkyCL0
この中で、原作・脚本・監督を一貫して行う理由を聞かれた岩井俊二氏は、こんなことを語っています。
https://www.amazon.co.jp/dp/4041056039
この本のあとがきで、岩井俊二氏自身がこんなことを書いています。
こういうことを踏まえると、大根仁氏は依頼が来た時に単純なリメイクや大衆受けする脚本ではなく、
そこに新しい世界を作りつつ原作を超える、新しい作品となるような脚本を作ること目指したのではないかと思われます。
(完全な推測)
小学生の典道と祐介は仲の良い友達だが、実は2人とも同級生のなずなの事が好きだった。しかしなずなの両親が離婚し、彼女が母親に引き取られて2学期から転校することになっているとは、2人には知るよしもなかった。親に反発したなずなは、プールで競争する典道と祐介を見て、勝った方と駆け落ちしようとひそかに賭けをする。勝ったのは祐介か? 典道か? 勝負のあとから、異なる2つの物語が展開する。
https://ja.wikipedia.org/wiki/打ち上げ花火、下から見るか%3F_横から見るか%3F
https://www.amazon.co.jp/dp/4041056039
(未確認)
この心根のままだと10年後とかに不幸になるやも知れないと思ったので、老婆心ながら一言。
諦観の中、日々を過ごす程に、心の中に溜まっていくものがあると思う。それを自覚して、取り除く方法を考えるべきだと思う。
今の時代には珍しいけれども、昭和の時代はお見合いをして周りに決められた結婚というのが沢山いた。
そんな人たちもそれを受け入れていたけども、周りもそうだったからというのが大きい。
余程幸運な人じゃなければ、誰しもが何らかの不満を抱いている。
自由に結婚した人だって、こんな筈じゃなかったという人も多い。
だから、その暮らしの中で、良いことが多いと思うのであれば、親から与えられたものというのは忘れて、幸せになることを考えるべきだと思う。
そして、そうではなかったのであれば、子連れの再婚だって選択肢だし、シングルマザーだって選択肢。
親の支援も期待できないだろうから、手に職をつけることを考えて、在宅、テレワークなどの検討に入ってもいいと思う。
人生は一度きりなので、我慢をするのではなく、パートナーに不満があるなら解消していき、自分が後悔したまま生きる人生だけは迎えないようにしてください。