はてなキーワード: 恫喝とは
https://twitter.com/bikeandriding/status/1145304367408377857
「煽り運転」で暴行罪の判決が初めて出たとTwitterで話題になってるので見に行ってみたが…動画を見てみると、車間をワザと詰める「煽り運転」だけじゃないじゃないか。煽り運転で暴行罪とか嘘やん。
この動画、追い越して急ブレーキかけて無理やり停車させて車から降りて恫喝もしてる。明らかに煽り運転以上のことやってるでしょ。
煽り運転、車間を詰めるだけの意味で使っている人と、こういう、無理やり停車させて恫喝する行為を含めた意味で使っている人がいて、非常に紛らわしい。
恫喝は暴行の一種だから、この動画の行為が暴行罪になるのは当然なのはわかる。
でも、強制停車させて恫喝するすることと、車間を詰めるだけの行為は全然違うだろ?この動画の行為は、煽り運転+強制停車+恫喝であって、この動画を「煽り運転」という言葉でまとめてしまうのは、虚偽だと思う。
煽り運転=車間詰める、だと思ってる人がまだまだ多い。車間詰めたから暴行罪になったわけではない。強制停車させて恫喝する行為は、何でもいいから、「煽り運転」とは別の名前で読んでほしい。
自分は、単に車間狭かっただけなのに、「煽り運転だ!」と思われて自宅まで追跡されて、怒鳴られて胸ぐら掴まれた事がある。
車間狭いのと強制停車させて恫喝するのを、同じ「煽り運転」で括らないでほしい。非常に迷惑。最近、煽り運転が話題なので、車間狭いだけで相手を非難していいと思ってる人がいる。車間がちょっとでも狭い人は全部煽り運転扱いにされて、前科が付くディストピアになるのは嫌だ。
車間が狭いのは安全運転義務違反ではある。だが、それは前科がつくような犯罪ではない。強制停車させて恫喝する奴が暴行罪になるのは当然だが、車間が狭いだけで暴行罪になる世界は嫌すぎる。
悠仁さま「お前らの将来潰すぞ」と、同級生を恫喝 子育て失敗で天皇は無理か https://t.co/TVcYwNR5SS
不謹慎オタクのコラ画像みたいなセリフに草— 南海書記長🇰🇷🇰🇵チョソンと五共の続編描きます (@leningradcheka) 2019年6月24日
地獄かよ
ガイジもキチガイも差別用語だと指摘されたためゴミクズに変更しました
お客様のお役に立ちたい一心だったが俺の至らないスキルではここまでのようだ。
ウチは小屋とかプレハブの建設を、設計図を受け取って建てる会社で営業をしている。
納期を厳守することや価格帯が他の競合と比べて安いため、業界でも割と有名な方だろうと思う。
その中で担当している1社の担当者が精神疾患を抱えてるのかと疑うレベルで文書のやり取りや、簡単な会話ができなくて案件が止まりつつある。
まず代表的なのが依頼を受注する際に、そもそも内容に不備があるという点。
それも一度ではなく何度も繰り返されている。
何が不足しているのか確認した後に毎回先方に送り返さなければいけない。
これに関してはこちらから確認しやすい依頼形式やフォーマットを提供したにも関わらず、「やります」という口約束だけで未だに守る気配すらない。
そして不足分の情報がいつ返ってくるのか不透明なまま棚上げされ、先方がそのことを忘れて「あの件どうなってるんだ!」と文句を言ってくる。
社内でまともにホウレンソウができてるのか、そもそも何故こちらに尋ねる前にメールを読み返さないのか全く理由が分からない。
再三同じことを繰り返した挙句、ちゃんと確認して作業を進めろ、とまるでこちらに不備があるかのような言い草を全体のメーリスで流す始末。
誰からも分かる自分の失敗は部下に謝らせるというから呆れ果てる。
また、こちらが共有されていない訂正箇所だと事前情報がないと気づかないところをこちらの過失扱いまでしてくる。
「分からないなら聞け!」と電話で怒鳴った次の日に、内容不備の依頼書を送ってきて「忙しいから一度で済ませろ!」とまた怒鳴ってくる。
いつ倒れるのか心配なので仕事せずに早く精神科に通院して欲しい。
確認の際にも「前回お話した内容だと別のドアにする予定でしたよね?」と質問すると
「この窓じゃおかしいだろ!何でそれに気づかないんだ?おかしいですよね?」とまたもや会話にならない。
その設計書はお前が送ってきた内容なんだが頭おかしいのかな、と思いつつ諸々の確認を済ませて電話を切ろうとすると
「いつできるのか?」の連呼が始まる。
それをこれから確認しなければいけないと何度説明しても壊れたように「いつできるのか?」を電話越しに繰り返される。
電話を切る時はいつも「はー!」と糞デカため息までご丁寧に吐く始末。
お前が働いてる場所分かってんだぞ。
オマケに金払いがいいのも最初だけで段々と費用を減らそうと交渉しようとしてくる。
交渉もまとまるまで時間掛かるためいつもギリギリで内部にやってくるため俺の印象まで悪くなってきている。
急がないといけないときに限って意味のない電話が何度も掛かってくる。
電話をする時間はたっぷりとあるのに、依頼内容を精査して送るという現代人なら当たり前のことさえ難儀されている。
社会にとって不利益だから今すぐ仕事をやめて生活保護を受給して欲しい。
どれだけ要点をまとめて何が問題で何が必要か書き記しても、内容がそもそも頭に入ってこない。
電話は掛かってくるがこちらの知りたいことではなく、文句や解決にならない横道の話ばかりする。
海外出張をしている間に部下に任せたところ、罵倒や恫喝までされたと後から報告を受けた。
これに関しては本当に申し訳ないことをしたとフォローしておいたが、
耐えかねて担当者を何とか変えることができないか内部事情を探っていたが、
どうやら他に担当できるものが1人もいないということが判明した。
そこまで知る事ができてどうしていくつもその会社が発注先を抱えていて代え続けているのかも理解した。
どうすれば関係が良好になるのか努力してみたがこれ以上の尽力は無意味だと悟った。
自分の社内評価が下がったとしても別の業務に支障をきたすよりマシだ。
これからはできるだけ省力化してまともに取り合わないようにすることに決めた。
正直契約が切れても今かけている生産性のない無駄な時間と比べたらそれ以上に見返りがある。
今こうやって増田で愚痴を書き連ねているのもスッキリして忘れて心身ともに休めたいからだ。
ああ。
もう土曜日だ。
「自供取れないことないし」
この言葉の裏で、警察がどんなことをしてるのかみんなご存知ですね?
まず所持品の没収で連絡を絶ち社会的立場を脅かし、20日もの拘留、その間の恫喝。
そして取られる「自供」。
いち早く適切な (印鑑などの相手が任意でつけられる手段ではない) 物証が出せるようになると、痴漢被害を受ける側としても助かる。
痴漢防止印鑑はむしろ証拠の捏造に寄与するから、万害あって一利無し。
長期拘留はそれ自体が社会的生活に多大な悪影響をもたらす(その間、電話すら碌にかけられない。社会人ならこの重大さが分かってもらえるだろう?)
「何月何日何時頃、何線どこどこ方面行きの電車で痴漢騒動が起こりましたが、誤認でした」とアナウンスすれば良い。
該当の事件を報道したメディアにも同等の扱いで報道することを義務づけるのもいい。
真面目な話、無実無関係の善良な男性を動員したいのならコレは急務。
誰も、自分を犯罪者と同様に殴ってくるやつを助けたいとは思わないから。
一応補足だが、「晒し上げるような内容でないなら〜」は、もちろん痴漢冤罪を吹っ掛けようという意志ではなく、(特に満員電車のような密集場所では) 痴漢を仕掛けてきた相手を間違えてしまうリスクがないとは言い切れないので、間違っていたら間違えてごめんで済んで欲しいんだ。 そこに高いリスクが発生して、冤罪をふっかけてしまうことを恐れて結局何もできなくなってしまうのが、いちばん痴漢を利すると思っているので。
全くだ。
うん、ありがとう。
どうしても性別間のメリットでぶつかりがちな話題なので、どうするのがいいかを淡々と考えていけると嬉しい。
いち早く適切な (印鑑などの相手が任意でつけられる手段ではない) 物証が出せるようになると、痴漢被害を受ける側としても助かる。
痴漢対策印鑑みたいな話も出てるけれど、そんなもの買わなくて済む使わなくて済むのほうが楽だしね。
技術的にそのあたりが早く解決するようになるといいんだが。
精神的にもその事象に長々拘束されるのも苦痛なのもわかる。やった前提の恫喝とか恐怖でしかない。
これも関係者 (家族や会社) に謝罪して、それで解決しましたで終わればそれに越したことはないからね。
説明広告は、すまない、ちょっとイメージがつかなかった。いずれの関係者も晒し上げるような内容でないのならいいのかな。
「冤罪は冤罪、なんの不利益ももたらしませんよ」というイメージがつくことは男性の安心につながるかもだし。
一応補足だが、「晒し上げるような内容でないなら〜」は、もちろん痴漢冤罪を吹っ掛けようという意志ではなく、(特に満員電車のような密集場所では) 痴漢を仕掛けてきた相手を間違えてしまうリスクがないとは言い切れないので、間違っていたら間違えてごめんで済んで欲しいんだ。 そこに高いリスクが発生して、冤罪をふっかけてしまうことを恐れて結局何もできなくなってしまうのが、いちばん痴漢を利すると思っているので。
数日前にtwitterで「チーズがビヨ~ンって伸びる食い物食ってる自撮りをSNSに上げるな! そんな下品なことしてたら就職もなくなるしいいところに嫁に行けなくなるぞ!」とか書いてて、それに某イスラム研究者が賛同してた。
最初はクチャラーみたいなよっぽど汚い食い方してるのかと思ったけど、「チーズがビヨ~ン」で検索したら単によくチーズが伸びる流行の食い物を食ってるだけの女の子の写真がたくさんヒットした。
まあ人の感覚は色々なので、あれが汚い食べ方だったしよう。
でもそれを持ち出して「嫁に行けない」と恫喝してるのはいったい何なの? ってドン引き。家父長制じゃん。
キズナアイバッシング、女がどうとか性的消費がどうこうとかそういう次元ではなく単に保守主義者がなんか喚いてただけだったんだな、と考えれば納得。
一部のフェミニストの皆さんはこんなのと共闘してたんですね、フェミニストの看板下ろせば? とは真面目に思う。女性の解放とはいったい何だったのか。
でも、これはいくつかの意味でおかしいと思う。この記事は、多くの人がワクチンを摂取するべきであり、そうしないのは不道徳である、という考えに基づいて書かれている。だが、私にはそれが自明の前提とはどうしても思えない。
そもそも、自分の身体に何を入れ、何を入れないか、決めてよいのは自分だけだ。自分の身体は自分だけのもの。当たり前だろう。これが身体にペニスを挿入してよいかという問題であれば、ほとんどの人がそれを決める権利は自分にしかないと答えるはずなのに、どうして同じ理屈がワクチンでは通用しないのか。
公益のために注射針を刺して弱毒化された抗原を身体に入れろ、なんて、他人に強制してよいこととはどうしても思えない。毒であることが問題なのではない。私はそれがほとんど無害であり極めて低い確率でしか副作用は起こらずおおむね安全であることを知っている。そうではなくて、自分の身体に何を入れるかを他人に指図されるべきではないということだ。
今回はワクチンにすぎないかもしれない。でも、次が行動監視用ナノマシンだったら? 治安の良さは公益だ、やましいところがなければ入れられるはずだ、公益のためのナノマシン接種拒否は不道徳だ。そう言われたらどうする?
自分の身体に何を入れるかを決めてよいのは当人あるいはその親権者だけだ。それを他人に強いるのは不道徳である(もちろん、説得はしてよい。ワクチンの安全性を説き、公衆衛生の重要さを熱弁するのは自由であろう。相手の自由を損なわない範囲においてだが)。
(この立場は、アメリカの反ワクチン運動を紹介しているWIREDの記事でも紹介されていた。私はニセ科学に傾倒した反ワクチンはばっかじゃねーのと思うが、「政府は自分たちの子どもの体内に入るものを強制すべきではない」という主義主張は自由主義者として大いに頷ける)
それでも、そのような自由は公益のために制限されてもよい、という主張もあり得るだろう。では、ジョセフ・ヒース氏の住んでいる国ではどうだか知らないが、我々が住んでいる日本という国においてその理路は成り立つだろうか?
自由を制限し、義務化するのなら、当然その負担は最低限にまで低減されなければならない。だが現実にはどうか。インフルエンザワクチンの接種は自由診療であり、無料でないばかりか保険すら利かない。風疹ワクチンの未接種が話題になったが、ある世代の男性に限っては無料になったとはいえ、多くの人にとってそれは保険外診療として打つものである。
公益のために義務で打てというなら、その負担は最低限のものであるべきだ。高い診療費を払ってわざわざ病院の診療時間に打ちに行く手間とカネを惜しんでいったい何が悪いのか。保険診療にすらなっていない現状で接種は道徳的義務なんてちゃんちゃらおかしい。
公益のために自由を踏み躙るなら、当然それによって被る不利益は最低限度であるべきだろう。高い代償を払ってこれこれのことをしろ、そうしなければお前は反社会的な行動をしていることになるのだ、道徳をわきまえた市民ならばこのくらいの代償は払えるはずだ、などと恫喝してくる国家や社会は、正直かなり胡散臭い。
それでも、ワクチン接種費用程度ならたいした実害はないじゃないか、という反論があるかもしれない。なるほど、もしもあなたが貧困層でなければ、確かにちょっと痛い出費程度で済むだろう。だが、問題はその「義務」はどこまで拡大されるのかということだ。今あなたが遵うべきだと言っているその「公益のための義務」が、いつの間にか「兵役」になっていなければよいのだが。
そして我々が住むこの日本国は、経済的自由主義の名の下に医療費を着々と削っている。小泉純一郎以来この国の福祉は自由主義の旗の下で掘り崩され、削られてきた。このような状況で「道徳的な義務」などというものが持ち出されることには警戒した方がよい。国家が市民の生活に対して負う義務を年々縮小しながら、市民に対して「公益」を根拠に負担を迫ってくる。冗談ではない。なぜもらえるかどうかわからない年金を払い続ける人びとが、そんな「公益」とやらを慮って差し上げねばならないのか?
経済的自由主義で公的サービスを縮小するのなら、民間の自由も拡大させなければ筋が通るまい。もちろんそこにはワクチンを接種しない自由も含まれる。逆に民間の自由にある程度制限を加えようとするならば、失われた自由に見合うだけの大きな政府を実現してもらわねば困る。
感染症にかかった人間が不用意に出歩いてウイルスが拡散され、流行が広がってしまう。なるほど悲劇だ。だがそういう悲劇が起こる度に、公衆衛生を錦の御旗のごとく掲げる人びとは、大元の罹患者に向かってバイオテロだのと心ない言葉を浴びせかける。彼もしくは彼女もまた、病気の犠牲者であることを忘れ去って。
たとえば敵国の社会を壊滅させることを狙ってウイルスや炭疽菌を散布するような意図を持ったテロリストは、道徳的な非難の対象となって当然だろう。だが、不幸にも病気にかかってしまった状態で不用意に歩き回ったという、ちょっと迂闊だった程度の人が、患者が、そこまで非難の対象とされるのは絶対に間違っていると考える。それは犠牲者非難とかいうやつじゃないのか。犠牲者非難を許してはいけない。
病気は人間の意志を超えたところに存在し、運やら体質やらの本人にはどうしようもない状況に付け込んで罹患させる。そのような感染症の患者を、運悪く感染し不用意な行動を取ってしまったという理由で、バイオテロだの加害者だのと責めるのは道徳的に間違っている。そして、道徳的に間違っている主張をしている人間の言うことに従わない人間がいることは当然である。
少なくとも私は、このような言説を振りまく一部の反・反ワクチン派の醜態を見て、風疹ワクチンは絶対に打たないと心に決めた。政策の失敗によってワクチン接種の機会を失っただけの、なんの責任もない特定世代の人びとを加害者呼ばわりする連中に腹が立ったからだ。風疹の流行をめぐって吹き荒れた犠牲者非難の言説は本当に醜悪だった。あれを見てしまった以上、風疹ワクチン接種に加担することはできない。
以上、反ワクチンが必ずしも道徳的に間違っているとはいえず、むしろワクチン接種の強制こそが道義に反していることを示した。自由主義者として、そして犠牲者非難を憎む者として、私は反ワクチン主義にも聞くべき理があると主張する。なるほど彼らは科学的にデタラメなことを信じ込んでいるのかもしれない。だがそれは、彼らにワクチン接種を強要する側の道義的な正しさを裏付けるものではないのだ。むしろその強要こそが、反ワクチン論者に三分の理を与えているのである。
あっ反知性主義者だ
こういうトラバが速攻でつくわけだろ? こういう言説を(たとえ自分宛てのものじゃなくても)見る度に、絶対にワクチンは打たないぞという決意を固めるよね。
権利と他の権利は常に対立するもので100%の正義は存在しないところではあるが、我々は武装する権利や他者を傷つける権利を行使することはできない。
他人を傷つける権利を行使できないというなら、身体に注射針を刺すことを強要することはできないという結論になるはずでは。医者の行為も傷害罪の構成要件に該当することはご存知ですよね? 正当業務行為だから違法性が阻却されるだけで。そして医者にかかる患者は医療を受けることに同意しているわけですが、ワクチン接種を拒否する人たちの身体にワクチンを打つことを強要しようとしたら当然彼ら彼女らの身体への侵害となります。他人を傷つける権利を行使してはいけないというならまずワクチン接種の強要をやめるべきでしょう。
そもそも感染症を他者にうつしてしまうことは基本的に他者への加害ではないわけで。それを加害と呼ぶのなら人より感染症への抵抗力が弱く生まれついた人間としては全力で抵抗せざるを得ないですね。そのような言説を振りまく人間の言うことに従わないという消極的抵抗を今後も続けていきたいと思います。基本的にめんどくさがりなのでデモとかも意義は認めるものの参加したことはないのですが、これはコストのかからない良い抵抗方法だと思うので加害者呼ばわりバイオテロ呼ばわりに憤る人たちにオススメです。
もしこれが男性の研究者で、分野がフェミニズムではなくてたとえば物理学とか中世史学だったら、君もそんなことはしようとは思わないのではないかと思う。そこにこそ、あの祝辞の意味がある。私は、東京大学での学びの門出にふさわしい、よくできた祝辞だと思う。
物理学や中世史学だったら、そもそも「あなたは恵まれているので持っている資本を、恵まれない人に提供しなさい」なんて恫喝を言わないんだよなぁ。
社会学って、こういう「正義の名のもとに」人から奪おうとする人間が多すぎる、というか、それしか存在しないんじゃない?
別にこの分野で権威って、内輪で勝手に持ち上げても、ほかの学会とは格が違うから。比べないでくれる?(社会学者は比べるのが大好きだから無理だと思うけどw)