はてなキーワード: 恫喝とは
見解の相違だね。
少なくとも後者がアウトという点は同意が取れてるようでうれしいよ
そういう「俺の支持を得たければ俺の好みに振る舞えよ」と恫喝するような論法は良くないと思うよ。
「与党も下品な振る舞いをするから支持できない」と表明すべきだし、
同じことやってる両者のうちの一方だけを問題視してもう一方を支持するなら、
君が「恫喝」と呼ぶそれは有権者として当然の選択じゃないかな?
俺は下品なふるまいをする野党議員を支持しないし、それに輪をかけて下品な支持者を掣肘しない点にも不振を抱いてる。
それは与党にしたって同じ。ただ、与党議員が野党議員ほど下劣な人格攻撃をしてるってのは見ないね。なんかある?
実は、中学2年から3年にかけて、今にして思えばいじめであろう状態に置かれていた。
きっかけは、俺が入っていた部活とクラブチームでいじめられていた奴のいじめに加わらず、そいつを庇ったこと。その翌日から標的は俺になった。そして俺が庇った奴はそちら側に加わった。
まあ集団リンチ的なアクティブなことには晒されなかったが、無視、そして嫌がらせ。競技に使うものは何かしら隠され、裏の下水道に放り込まれていたり。クラブチームに通うのに乗っていた自転車は、前後のバルブを抜かれ、サドルがカッターで切り裂かれ、果てにはサドルごと抜かれて下水道に。
俺は部活を途中で辞めた。顧問も酷い奴で、職員室で何十分も恫喝されたけど。せっかくなので受験勉強に専念することにした。
で、ここからが面白かったのよ。俺のやってる競技で強いとされている学校が、実は俺の志望校だった。そこは地域で一番偏差値の高い高校だったのだけど、俺をいじめていた連中は、その高校の部活の顧問に賂(まいない)を渡して便宜をはかってもらおうとしたらしい。その顧問は俺の親父の友人で、そういう行為を何よりも嫌う人だったので、親父経由で速攻話が伝わってきて、俺はひぃひぃ言って笑った。バーカ、そんなに入りてぇんなら何故勉強しねぇんだ。俺は勉強する方を選んで、まあそりゃやりましたよ。
で、卒業の時期。俺はそこに合格。いじめに関わってた連中は結局受験することすらままならず、しかもレベルを下げに下げた第一志望にも軒並落ちたらしい。卒業式のとき、体育館の横で群れてるそいつらの目前に通りがかったが、そいつらは誰ひとり、俺と目も合わせなかった。
……と、まあ俺の思い出はどうでもいいよな。こいつらが、俺にしたことを今でも覚えているかどうか、って話さ。おそらく皆、都合の悪いことはけろっと忘れていると思うぜ。大人になってから追及されてもな、こういう手合いは言うのさ。「遊びのつもりだった」とか何とかな。やられてた側にしたら、
「遊びのつもりだった」は、
「殺すつもりはなかった」という、
なのにな。
だから、アンタのことも、集団の中でアンタをどう扱ったかも、おそらく半分位は忘れていると思う。しかし本質は変わっていないと思うぞ。三つ子の魂百まで、ってやつ。だからあえて近付きなさんな。
逆張りって言われるかもしれないし、たむけんをもともと嫌いだからだろ?って言われるかもしれない。
どっちもその通りのところがあるのは否定しないけど、それでもなんか世間の雰囲気が違くない?と思ったので久しぶりに増田を書いてみる
まず、前提知識というか、私のたむけんへのイメージを列挙する。
1)そもそもたむけんは特に関西においてはいじられキャラとしての位置づけである
2)松○家の休日などの番組でたむけんはおもんないなどの発言はよく耳にする
3)たむけんのTwitter歴はおおよそ9年であり慣れてないという言い訳は通用しない
4)これまでもたむけんはTwitterで個人攻撃をして相手を炎上させた経験を持つ
5)さらに言えばTwitterで相手を恫喝するような言動もしたことがある
次に、私の把握している今回の流れ
2)ラーメン店店主が記念撮影を依頼・Twitterに同写真を公開
3)公開したTwitterに対し店主自身が「カメラなかったらおもろ無い奴」とリプライ
5)そのツイートに「ショックです」という返しをたむけんがする
6)たむけんフォロワーらによってラーメン店店主のTwitterが炎上
さて、そもそもなんだけどこれってさ、本当にたむけんが大人の対応してる?
まず5の段階で「ショックです」ってリプライしたら、対象店舗が燃えるのは分かるでしょ?
それをあえて、ショックですってリプライしたんだよね?
自分で燃やしたんだよね?なのに、それをやめましょうって呼びかけたら大人の対応なの?
マッチポンプって知ってる?
確かにショックなのかも知れんけど、だとしてもそこは何も言わなければ燃えることもないし
何らかいうにしても「次は笑かしに行きますでー!」とか言えばそれこそ芸人、大人の対応って気もする。
いやいやいやいや、本当にこれがTwitterに慣れてないとかね
燃えることが想像できそうにありませんでした。とか言うなら分かるよ
でもTwitter9年やってきてて、しかも相手を炎上させることを何度もやったことがあるたむけんが
そんなつもりはありませんでした。って言われて信じられる?
なんか風通しが悪いなぁ。とか言ったら子分が消しに行くって言う
そういう雰囲気と何ら変わらん気がするんですけど、考えすぎですか?
あと「カメラがなかったらおもろ無い奴」って言うのは
割とテレビで楽屋裏を語るときに出てくる頻出ワードの一つだと思うんです。
眼の前に有名人が来た、そして、見聞きしていた通りおもんなかった。
なら、おもんないって言えば笑いが起きるんじゃないかな?って
いやいや、そこはちゃんと考えて発言しろよって言うのは十分分かる。
だけどそれに対してここまでひどい嫌がらせをされなければならないほどでしょうか?
なんか、たむけんだけが株をあげてお店はずっと実害を受けているって
今回のこの件を見ていて、ものすごくバランスが悪いというか座りが悪いというか
もうちょっとなんとかなりませんかねぇ?という気持ちになります。
■参考URLなど
たむけんのいじられっぷりの一部
https://twitter.com/matsumotokeno/status/1068791959467126784
これは一部だが、大喜利して面白くない回答をいじられてるシーンの一部
https://twitter.com/matsumotokeno/status/1048498893288177664
「奈良バーガー」に使うことが決められているという「郷ポーク」とはどこで作られているのか。
https://togetter.com/li/973536
たむらけんじさんのツイート: "@tonden2 @sakuray277 自分らこの発言必ず大変な事になるからね。事は進んでるよ。真実が明らかになった時大変な事になるよ。"
http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/tamukenchaaaaa/status/730754316504457218
ニュース見てるだけで当時のことが鮮明に思い出されてフラッシュバックする虐待サバイバーは自分だけじゃないんだなと思った。
個人的にしんどい事件なので必要以上に見聞きしないようにしていたが、母親が逮捕されたというニュースを見かけてすごく驚いた。
純粋に「母親もDVをされていたと聞いたのに、なぜ逮捕されるのか」という疑問だった。
母親逮捕のニュースへのコメントで、母親も悪い、なぜ助けられなかったのか、なぜ黙って見ていたのかと糾弾している人が沢山いるのを見てすごく心が傷んだ。
同時に、普通はそう思うだろうなと思った。
ごく普通の家庭で育って、普通の環境で生きてきたら暴力や恫喝による絶対的な支配というものには遭遇しないだろうし。
北九州の事件を引き合いにしてる人もいた。あれは犯人が意図的に共犯にさせていたけれど、根本は同じだと思う。
わたしと母が加虐されていた時代、家庭内暴力やドメスティックバイオレンスという言葉は一般的じゃなかった。浸透してなかっただけかもしれないけど。
母が紫に腫れ上がった瞼を氷嚢で抑え、私を幼稚園から連れ出したその足で交番に駆け込んだこともあった。
警官が「夫婦喧嘩には、警察は口を出せないんですよ。」などということを言っていたことをハッキリと覚えているし、母の絶望にくれた顔もよく覚えている。
加虐者は、小学校に上がったわたしを殴ることはあまりしなくなった。私が殴られないように立ち振舞っていたというよりは、母が一身に請け負うようにしていたというのが正しいと思う。
椅子を引く時に不愉快な音がしたとか、足の爪の形が気に入らないとか、そういう些細なことで加虐者は暴力を振るう。
それを無理矢理に止めて自分の方へ暴力を向けさせる母はいつも震えていたし泣いていた。
わたしは一切の動きをやめて、無表情に徹していた。感情を出すと更に殴られるのを知っていたから。
未だにあの時のことを思い出すと手が震える。あの、一度握られたら誰かを傷つけるまで収まることのない拳を自分へ向かうように仕向ける母のことが信じられないとさえ考えてしまう。
野田市の虐待死事件で母親も逮捕されたニュースを見て、それに付けられたコメントを読んで、
あの時母が死んでいたら私も逮捕されて、同じように糾弾されていたのかと頭をよぎった。真面目に考えれば、未成年なのでされていないと思う。
けど殴る父を、母の口が裂けて鮮血がぼたぼたと床に流れ落ちるのを、止めもせずに「床が汚れていると更に機嫌を損ねるから」という理由で、雑巾で拭っていたあのときのわたしは保身だけを考えていた。
「掃除をしていれば、いい子だと思われて私は殴られないかもしれない」と小狡い考えを持っていた。
今回の野田市の虐待死事件で母親が有罪となるのなら、この時の私の考えも明らかに罪になる。
結果母も私も死ななかったが、もしあの時母が死んで、父が逮捕されたなら、私はそのまま生きていたとしても「自分も裁いてくれ」と考える日が来たように思う。そう考えてしまうと一概に母親の逮捕に異を唱えることも出来ない。重ねて見てしまう点はあっても、彼女はわたしではないから。
20年近く経ったわたしですら、ニュースを見る度苦しさが募る。
「国立情報学研究所の新井紀子教授が科研費と思われる研究助成金の審査で同業者を恫喝していて面白い」
https://blogs.yahoo.co.jp/hokulea2006/64461868.html
新井紀子先生の発言は、端的に言ってアウトだと思うし、すぐに消えると思っていたが…
明らかに問題発言なので擁護する気はないが、この発言をもとに何らかの処分が下せるか、というと、かなり微妙なのではないかと思う。
「科研費」とも「落とす」とも一言も言っていない。税金と書いてあるが、研究費の原資が100%税金だとも書いていない。税金の入っている研究費であれば一応筋は通るので、別に官民連携のプロジェクトの研究費でもなんでもいい。
「誤った税金の使い方をしなくて済むように」としか書いていない。「落とす」とは書いていないので、通した上で、減額するように注文をつけたとしても筋は通る。
「ドラマティックな申請書をコピペを駆使して書いてきた」場合についてしか言及していない。「コピペを駆使して」が剽窃を意味するのかわからないが、剽窃を意味するのだとしたら、剽窃を含むような申請書を通してはいけないのは当たり前なので、当たり前のことを言っている、で済んでしまう。
そうは言っても、リストを作って、申請書を予断を持って読むこと自体がまずいのでは、という意見もあろう。
が、そうすると、同じ理由で、エセ科学やトンデモな人の申請書を落とせなくなる。研究業界では、あの人は明らかにトンデモになってしまったよね、という評価の人が、ずっとポストを持っていたりする。
科研費の申請書は、研究提案がいかに素晴らしくとも、「この人にはこの研究計画は無理である」と審査員が判断したら、実現可能性が低いことを理由に落としていいことになっている。
その実現可能性は、一緒に提出する業績リストだけで判断される事になっているが、トンデモな人は、そこにも虚偽の業績リストを入れて載せてきたり、とにかく業績の数だけ多くして出してくる可能性がある。
明らかにトンデモな人を頭に入れておいて、申請書を読むことを許すのであれば、それはリストを作って予断を持って申請書を読むことと何が違うのだろう…と考えると、予断を持って読むこと自体を否定することはできまい。
「児童相談所 誘拐」「児童相談所 奪還」「児相 連れて行かれた」どれでもいいから検索してほしい。
大半が児相に誘拐された、子供を返せといった内容だと思うが中には職員を晒す内容もある。
このように児相の職員も学校の教師も問題ある親と本気で戦うと名前や写真を晒される。
個人攻撃され、晒され、恫喝され、デマを広められて日常生活にまで干渉されると心が持たない。
今回の親も
「娘に暴力は振るっていない。一時保護といって子どもを引き離された者の気持ちがわかるか」
と訴えているため担当者は心を擦り減らしていたのかもしれない。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190131/k10011798391000.html
今回の対応はもちろん問題だが、現在の虐待事情や本件の詳細を調べずに叩くのはやめてほしい。
担当者叩きで得られるのは、ただでさえ少ない虐待担当職員の減少とそれによる虐待増加の未来だけです。
できるなら虐待の現状を調べ、自分が本件の担当者ならどうできたのかを考えてほしい。
警察に相談しろという声もあるが、明確な脅迫や危害がなければ警察も注意以上のことはできない。
そして何度も問題を起こす親はこれらの対応が巧妙で証拠になるような脅迫はしない。
子供にも大きな傷痕を残さない虐待をする(暴言、音で脅す、水攻め、寒さ、飢え、暗闇に閉じ込める、眠らせない、痕の残らない暴力、口止めの脅し)。