はてなキーワード: 安室奈美恵とは
抽選の応募をしようと思ったのですよ。
なんでそこまでしなきゃならんのかと。
「本当に行きたい人が行けない」とかまったく意味がわからない。
大金を出せる人のほうがよほど「本当に行きたい人」であり、
定価以上出したくない人と何十万と払ってでも行きたい人、
どちらが「本当に行きたい人なのか」って考えれば
「本当に行きたい人」は運だけでなく「お金」という担保を用意してもいい。
個人的には「転売屋のせいで買えない」とわめく人間は努力不足だと思っている。
買うための最大限の工夫と労力を尽くせばある程度のものは手に入る。
WiiやDSLiteを買うために発売日にはビックカメラに徹夜で並んだ。
とまぁ、転売の是非についてはともかくとして。
ちょっと行きすぎでしょう。
なんで消費者がそこまでしなきゃならんのですか。
買うのにも入場するのにもめちゃくちゃ面倒なことになっている。
何か月も前から売り出しているくせに、
正規のルートで手に入れている人にはマイナスしかないわけですよ。
転売を撲滅するために「ちゃんと買っている人」がどんどん虐げられていく。
「転売屋がいるせいで買えない」なんて人間は転売屋を撲滅してもどうせ買えない。
なぜユーザーばかりが不利益を負担する世の中に疑問を感じないのか。
あぁ、本当にバカバカしい。
あ~わたしぃ~の恋は南の風に乗って走るわ~
元ネタ知らないけど、
アムロ行きますって言いたくなっちゃう感じのアムロジェットなのよ。
あのさ、
冷やしざるパスタ!
何とか間に合ったわ。
まあお店の人は閉店間際滑り込んできて迷惑だろうけど
もう片付け始めちゃったんだよねーと言わんばかりの形相だったけど。
背に腹は海川だわ!
ごめんね!
急いで食べてけど満たされるわ~。
お腹が減ってたら軍が出来ない!
うふふ。
釜上げシラスがあったので
それでいただいたわ。
上げたてシラスって美味しいのよねぇ。
めーだーかーの学校は~
そうそうそっと泳いでみてごらん~って
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
90年代後半~2010年代の男子高校生の生態が的確すぎて「わかりみが深い」「○○も追加で」と楽しむ皆さん - Togetter
https://togetter.com/li/1206408
なお地方、偏差値50以上60未満、私自身は陰キャ寄りの素朴な高校生活であった。
陽キャよりの人はDA PUMPとか聞いてた気がする。
あとモー娘な。
私は陰キャだったので椎名林檎を聞いていた。
あとスカ系が結構流行ってた気がする、東京スカパラダイスとかKEMURIとか。
ビジュアル系もまだ元気だった、GLAYとかL'Arc~en~Cielとかマリスミゼルとか。
・安室奈美恵に言及して浜崎あゆみに言及しないのは到底受け入れられない、
不幸な生い立ちを綴った自伝が出るわCD同時リリースするわ偉い騒ぎだった。
安室奈美恵と浜崎あゆみは常に比べられてた、みたいな記事よく見たが
アムラーはもう少し上の人たちだった。
あとハモネプがすごく流行っていて、男子がみんなボイパをはじめた。
一応履くけどそんなにしなくてもね、みたいな。
あとユニクロじわじわ流行ってた気がする、みんなでカタログを教室で見た記憶がある。
女子のタイプによってはベティーズブルーのショップバッグ持ってた。
みんな縮毛かけて定規で引いたような髪をしていた。
アイメイク偏重期だった、マスカラごりごりつけてひじきみたいになってた。それがかわいいとされていた。
あと腰パン。そんで裾を片方だけまくって足首を出す。
いわゆる無造作ヘア。
陽キャの人のことはわからないすまない。
ポケベルもまだいたがすぐに消えた。
はじめはストレート型白黒画面単音だったのに、
それまで単純なブザー音の高低だけで着メロを鳴らしてたのに、
教室で誰かがうっかりならしてざわついたのを覚えている。
携帯にはストラップをつけ、制服のポケットから覗かせて個性を出していた。
じゃらじゃらつけまくる派やぬいぐるみをぶら下げる派などいた。
大阪の食い倒れ人形とどーもくんのうさじいは、それぞれ気に入って長くつけてた気がする。
SMAPはすでに地位を確立していて、あこがれたり真似したりする対象ではなかったと思う。
まだAmazonがない頃で、ヤマトのブックサービスで友達と送料割り勘にしてよく本を買ってた。
そういや冷静と情熱の間を読んだりしたな。
あの頃は村上春樹が今みたいにノーベル賞だ売り上げだと叩かれたりしてなくて、もちろん有名ではあったが
藤原竜也が身毒丸に抜擢されたり、バトル・ロワイアルに出たりしたころだった。めっちゃ好きな子がよくいた。
326が流行ってた。
私も私の周りも三谷幸喜が当然みたいに好きだった。
関係者各位
従来より、株式会社はてな(以下、はてな)の提供する各種サービスを利用する方々の呼称を「はてなー」としてきましたが、この呼称は1990年代半ばに安室奈美恵氏のファンを「アムラー」と呼んだことから、ファン層を「〇〇ラー」と呼ぶ習慣が転じたものです。
「アムラー」の流行から20年以上が経過し、はてなの利用者も高齢化が進み、収益性への寄与が弱まっていることから、このたび、利用者層の若返りを目的とし、はてな利用者のあたらしい呼称を制定することとしました。
新呼称:はてにゃん(hatenien, 男性利用者)、はてにぇんぬ(hatenienne, 女性利用者)
フランス語で特定地域に住む人々の呼称を参考とし*、はてなという場所に住む人の名称としたものです。フランス語には男性名詞と女性名詞があり、はてな利用者の新呼称も男性と女性に分かれています。
*例:パリ市(Paris)の住民はパリジャン(parisien, 男性)、パリジェンヌ(parisienne, 女性)
フランス語の単語は多くの場合語頭の「h」は無音で、次の母音から発音しますが、hatenaの場合は日本語「はてな」のローマ字表記が由来であるため、有音のhとして発音することを推奨しています。
はてなのサービス上で所謂フランスパンをバケット(正式名称はバゲット)と誤って呼ぶ傾向が一部に見られます。このたびの新呼称につきましては、正しい呼び方を徹底するため、利用者の皆様のツイッターまたはブックマーク上での周知徹底をお願いいたします。
はてな利用人口の年齢構成をバランスの取れたものとするため、高齢者に偏りがちな利用方法の再検討を行い、フランス語の正しい使用とともに提言を行う任意団体です。
<<お問い合わせ先>>
年々少しずつやり方が変わっていくが、代表的なものを紹介する。
詐欺に使うTwitterアカウントを大量に作り、しばらく適当なツイートを行って育成する。育成するのは、詐欺をするために即席で作られたアカウントであると思われないようにするため。半年以上育成すれば十分活用できるアカウントが出来上がる。
これは、次の手順で行う口座準備のために行う。偽造は業者に頼むのが確実だが、自分で行ってもよい。ただし、その場合はラミネート機を自腹で購入して使う必要があるなど、割と手間がかかる。一番理想的なのは、赤の他人の免許証などをこっそり撮影して、それを複製することだ。こうすれば後工程で詐欺がバレた場合でも、その赤の他人が容疑を一身に負ってくれるようになる。この手順はTwitterアカウント育成と並行して行うのが良いだろう。
偽のチケット代金を振り込んでもらう口座を準備する。この時に身分証明書が必要になるが、今は楽天銀行などが「身分証明書の写真アップロード」でも口座開設可能にしてくれてるので、そういう敷居の低い銀行を活用しよう。これもTwitterアカウント育成と並行して行う。
電話番号を相手に伝えることは、相手を安心させて騙しやすくするために重要なファクターである。そこでプリペイド電話の出番である。これも、ソフトバンクあたりは「身分証明書の写真アップロード」で契約可能にしてくれているので、そういうキャリアを活用しよう。ここまでを手順1が終わるまでに並行して終えているのが理想的。
Twitterに「都合が悪くなったのでチケットを譲ります。希望される方はリプください」と書き込む。値段は定価+送料を上限にするのがポイントである。下手に高くするとダフ屋と思われ、別の意味で怪しまれる。ターゲットとしては、今なら安室奈美恵の最終ライブツアーあたりが最も食いつきが良い。一日に何十人も釣ることも可能だろう。
ここからが本番である。何十人~何百人と来ているチケット譲渡希望者というカモ1人1人に、丁寧な応対を行う。すぐにお金を要求せず、最初はターゲットにしているアーティストの話をしておき、「この人はファンだけど本当に都合が悪くていけなくなっちゃったんだな」と思わせるのが理想的である。手順4で準備したプリペイド電話の番号を教えて電話させることも効果的だ。一方で、絶対やってはいけないこととして、「相手の名前を間違えない」ことが挙げられる。相手の名前を間違えると、同時並行で複数人と取引しようとしていることがバレてしまい、詐欺ではないかと怪しまれるからだ。
頃合いを見計らって、取引の話を始める。手順3で作っておいた口座にチケット代を振り込むように要求する。これに対して、相手が代引郵便を要求してきたら断固断る。郵便や宅急便の不達が問題となっている昨今では、この問題を伝えて代引を断るのは割とたやすい。それでも代引をしつこく要求してきたら、「すみませんが他の方に決まってしまいました」と一言告げて取引を打ち切るのが良い。その分実入りは減るが、下手に怪しまれて詐欺がバレるよりはよっぽどマシである。ここまできっちり行えば、連日10万円以上のお金が口座に振り込まれるようになるはずだ。
偽チケットの対象としているライブイベントが近くなったら、少しずつ口座からお金を引き出す。引き出すのはもちろんATMだ。1日あたりの引出し上限枠をめいっぱい使おう。ライブイベント当日までは詐欺だと断定されないため、そこまでは口座が凍結されることは先ずない。当日の開演時間まで引出しを続けよう。
ライブイベントの終了時間を過ぎると、一連の出来事が詐欺であることが確定する。この1日~数時間前あたりから「チケット詐欺に遭った!このTwitterアカウントに騙された人は他に居ませんか?情報ください!」と騒ぎだす人が出てくるので、手順5から使ってきたTwitterアカウントとは別のアカウントを使い、その被害者とコンタクトを取り、自分も被害者だと偽った上で冷静な応対を行う。詐欺に遭ったことで混乱している被害者から見たら、詐欺師の冷静な応対は非常に頼もしく見えるはずだ。そして、「一緒に警察に行ってくれませんか?」と言ってくるようになれば完ぺきだ。詐欺師の元に次々と被害者達から連絡が来るようになる。
手順9でコンタクトを取った被害者達に、「警察に相談してきました」とウソの報告をする。その中で、「今の情報だけでは被害届は受け付けられない。○○と○○をそろえてもう一回来てください、と言われた」と付け加え、通信ログなどの証拠が揃えられないと警察も動けないと連絡する。これをやるだけで、被害者の8割は引っ込んでしまう。あと2割は残るが、同じように「警察に行ったフリ」をしておけば、1か月後には詐欺師に対して誰も何も言わなくなる。手順5を正しく行っていれば、被害者1人あたりの被害額はせいぜい数万円なので、被害者のほうが追いかけるのを早々にあきらめてしまうからだ。
おめでとう、あなたは数百万円の小遣いを得ることが出来たはずだ。
wikiで調べてみたら1996年が最盛期だったというから、ばっちりあう。
女子高生たちのルーズソックスの丈は日に日に伸びて、顔はどんどん黒ずみ、白いテカテカ光る粉の厚みは増す一方、という時代であった。
抜群のスタイル。お人形みたいな顔立ち。何をしてもカッコよく、超絶的な人気者。
彼女がそこに存在しているだけであらゆる価値を生じる――。そんな存在。
なりたいものは何か、と聞かれたら、安室奈美恵、と本音では答えたと思う。
いくらスポーツができても音楽が得意でも、勉強がトップクラスでも、安室奈美恵を乗り越えられることはない、絶対に。
どんな努力をしたって、私の顔が半分ぐらいに縮み、彼女と同じサイズになることはない。
奇跡が起こったって無理だ。
一流大学に入ったりお金持ちになったり、ビジネスで成功したり、その道を極めたり、お金持ちの伴侶をみつけたり……
そういうのをするのは、努力である程度、なんとかなるかもしれない。
どんなに血を流しながらの努力をしても、科学がいくら進歩しても、それは不可能と思われた。
(実際、そのときより20年以上が経過した今でも、いまだに顔の大きさが半分にできる技術など存在していないだろう。)
私はそのことで、根源的な失望感を味わったように思う。
少しでも彼女に近づくための方法がアムラーになることであった。
当時の世間を覆う雰囲気は、アムラーにあらずんば人にあらず、という雰囲気だった。
女子高生というだけでメディアではいつも注目されていて、輝いている存在のように映し出されていた。
ただその、アムラーになるためには過酷な条件があり、まず、小顔でスタイルがよくないと、悲劇に見舞われるのだ。
ガングロと呼ばれる女子はそれでも、いろんな高校すべての女子が100人いたとしても、そのなかでせいぜい数人ぐらいだったものと思う。
渋谷にはみなこぞって出現していたので社会現象になっていたが、それは総体のうちあくまで数%という存在の女子たちだったと思う。
一般の女子のほとんどは日々の生活で充実しており、そんな盛り場に出向くこともあまりなく、地に足のついた生活を楽しんでいた。
私にとっての「雲の上の存在」が、まちがいなく安室奈美恵であるということ。
大金持ち、ハリウッド・スター、お偉い政治家とか大成功している経営者とかには、
そういう憧れというか溜め息がでるような感じには、ならない。
あまり羨ましくなることは、ない。
なのになぜ、安室ちゃんにだけ、このような思いを寄せ続けてしまうのだろう??
しかも数十年にわたって。
私は歌やダンスに興味があるわけでもなく、とくに芸能界に興味が強いわけでもない。
間違いなく彼女は、ほぼすべての日本女子が、憧れを抱き続ける存在なんじゃないかと思っている。
そんな彼女の、収入面や私生活は、その国民的な憧れを引き受け続ける存在であるには似つかわしくないほど
派手すぎるというわけではない。
月給制だったとのことで金銭的にも成功した経営者なみの収入しかなかったようだし、
離婚もして、贅沢なくらしをしているというようにも思えない。
こんなにも思われている存在なのに、そのギャップは何なんだろう。
高校生時代は、彼女の華やかな、表面的なところしか見えていなかった。
安室ちゃんみたいに華をもって生まれていたら、世の中をすいすい、自在に、泳ぎ回れるんだろうな、
何をしようとしても、道は勝手に開かれていくんだろうなと。
でもこの年になって、わかった。
違和感のある引退報道を受けて、しばらく彼女のことを久しぶりに、思い出していた。
それで昔はなかったネットで、彼女の裏の顔を知ることができた。
彼女のダンスや歌は、後天的に努力をして素質をのばしていたったものであること、
女性は贅沢をさせてくれる結婚相手を求めがちだが、そういうことにも興味がなさそうだということ、
息子を大事に育てているということ。
安室奈美恵さんが引退するってなったときに、なんていうか彼女の人格っていうものはないよなあとぼんやり思っていて、でそんな感じの女はいつの時代もどこにでもいたなって思った。
安室奈美恵さんは絶頂期にできちゃった結婚をしたり、母親が殺害されたりなどとてもドラマチックな人生を送っている。でも彼女の言葉っていうものはどこにもない。
あるのかな、あるのかもしれないけれど、それは楽曲だとかからはにじみ出ない。
あくまでも彼女はただの「安室奈美恵」であって、その中の人が何を思ってどう感じたかはそのパフォーマンスには影響しない、そこに安定感がある。
いや、サユリストと呼ばれる人々にとって彼女が何を思ってどう感じてどうパフォーマンスに影響したかは言えるんだろうけど一般人にとっては吉永小百合さんは人生において何かがあったとしてもそれによって目の前の何かが変わることはない、安定感があり間違っても手首を切ったりはしないあくまでも理想の見るものの手のひらとても狭い想像の中で動いてくれる稀有な存在だ。
安室奈美恵さんの反対側にいるのが宇多田ヒカルさんだ。彼女は母親の死をモロにうけていてそれを自分の中でどうしても消化しなくてはならなくて歌う。音程は不安定で言動も不確かなときが多い。彼女にとっては母親の死というものは歌にのせて消化しなくてはならないものでその消化活動においてそれを聴いて癒される人も多いのだろう。でもとても不安定だ。そこに救いを求めてもいいものかどうなのか身内の死という誰にでもありうる現象において心が作品がこんなにも左右されるような人の作るものに対して、自分の心をゆだねてもいいものだろうか、的な。ここともに母親をある意味殺された歌姫ってことで対比させてドキュメンタリー作っても面白そうだし対談させたいとこですけど誰かそれやってほしいな。
この間テレビでHYのヴォーカル&ピアノの人がトーク番組で話してた。
で、結構、酒強そうー。
みたいな、印象があった。
みんなが、みんな、安室奈美恵さん、やらガッキーみたいにスタイルいい人ばかっりでもなくて。
高校生ぐらいまでは、みんな総じて細い。
たぶん、国際通りの土産物店にいる人達やマッサージ店の店員さん達は、やせてる。
付き合いの飲み会も、人と人との繋がりも多いし。
なんだけど、60代のおっちゃん・おじいちゃんでも、ガブガブコーラ飲んでるんだよなー、沖縄民。
アメリカの影響下にあるので、食文化もステーキ店がチェーン店で、あったりするし。
また、沖縄に行けたら、そば食べにいこうかなー。