安室奈美恵さんが引退するってなったときに、なんていうか彼女の人格っていうものはないよなあとぼんやり思っていて、でそんな感じの女はいつの時代もどこにでもいたなって思った。
安室奈美恵さんは絶頂期にできちゃった結婚をしたり、母親が殺害されたりなどとてもドラマチックな人生を送っている。でも彼女の言葉っていうものはどこにもない。
あるのかな、あるのかもしれないけれど、それは楽曲だとかからはにじみ出ない。
あくまでも彼女はただの「安室奈美恵」であって、その中の人が何を思ってどう感じたかはそのパフォーマンスには影響しない、そこに安定感がある。
いや、サユリストと呼ばれる人々にとって彼女が何を思ってどう感じてどうパフォーマンスに影響したかは言えるんだろうけど一般人にとっては吉永小百合さんは人生において何かがあったとしてもそれによって目の前の何かが変わることはない、安定感があり間違っても手首を切ったりはしないあくまでも理想の見るものの手のひらとても狭い想像の中で動いてくれる稀有な存在だ。
安室奈美恵さんの反対側にいるのが宇多田ヒカルさんだ。彼女は母親の死をモロにうけていてそれを自分の中でどうしても消化しなくてはならなくて歌う。音程は不安定で言動も不確かなときが多い。彼女にとっては母親の死というものは歌にのせて消化しなくてはならないものでその消化活動においてそれを聴いて癒される人も多いのだろう。でもとても不安定だ。そこに救いを求めてもいいものかどうなのか身内の死という誰にでもありうる現象において心が作品がこんなにも左右されるような人の作るものに対して、自分の心をゆだねてもいいものだろうか、的な。ここともに母親をある意味殺された歌姫ってことで対比させてドキュメンタリー作っても面白そうだし対談させたいとこですけど誰かそれやってほしいな。
アイドルとアーチストの違いかな
値札が付いていないと存在していないと思うのは想像力の欠如。