はてなキーワード: 体内時計とは
「99.99%の男は汚い。汚いから、女の子がやると官能的だったり、幼さが際立つことも、男がやると不愉快なだけ。だから、男は女の子が化粧とダイエットに力入れるぐらい面白い・頭いい・すごいにステ振りして殴りつけないと幸せになれない」
萌えは罪悪感を許すこと。
萌えとは「神道における大祓の人形代」と同じで、男性自身の穢れた性格・愚かさを「でも、美少女なら許せるよね」と押し付けてしまう。
といわれたら、この2つのツイートに書いてあることを投げつけたらいいと思うよ。 (キモイとしか思わない。キモイ)
同じ所に、年月と一緒に消費されるだけで何も残らないところに突っ込んでいく女の働き手が群がった結果として、産業単位で、ギャラリティ単位で地盤沈下していくあの業界と、その業界を見てると
「え?女って消費されたい生き物なの?」
簡単にできるもの、誰にでもできること、みんながやってることは消費されるだけで何も残らないんですよ。 (消費されるだけの最たる例のブロガーがなんか言ってる)
冷静に考えてみたら、美容院で女性誌読んで、友達と異性の話をさんざっぱらしてる女子に恋愛のことで勝てるわけないことぐらい気づこうよ。
床屋に行ったことない女性のために補足しとくと、床屋だと髪切りながら雑誌読めるない。あと、置いてあるものもティーン雑誌的なものじゃなくて多くの場合マンガ雑誌だからオタク力はつくかも知れないけど…恋愛力はつかないよね〜 (自分で服や美容院に行くようになってから言えよ豚)
女子会じゃなくて、君の観測範囲…つまり、お友達との共通項がそれって話でしょ?女子全般そうだというのは確認したことではなく憶測ですよね(マジレス) / “女子会の9割は下ネタと男の話。これはガチ。 - まじまじぱーてぃー” ただ、女子会の中では男が100%悪いという結論に関しては割と同意。でも、女子の難しいところは男や友達は「別れれば」が禁句で、「いい人そうなのに」とかフォローしないといけないこと。…はぁ〜 (女性にだめだしした後同じことを自分がさも新しいことを言ったかのように言い出す男ってモテなさそう)
前にゲス女問題の記事を書いた時にちらっと指摘したけど、「あなたがモテないのはあなたが気持ち悪いからです」を言い換えると、「女の子のイエスマン、女の子を悪く言わないポジションに陣取ると気持ち悪いと思われないからモテます」なのよね…。事実、提唱者の二村ヒトシ自体がフェミっぽいし(二村ヒトシ=フェミと定義してるだからトートロジー)
逆に言えば、フェミニストになればモテるんですよ。(なぜモテたくてモテる方法もわかっているのにそうしないのか。フェミニストぶってみてもモテないことを本当はわかっているのにそこから目をそらす醜い豚)
やたら愚痴っぽい女性の心理は「私、悪くないよね?ね?」だと思ってる - かくいう私も青二才でね (やたら愚痴っぽいブログを書く豚の心理は「僕悪くないよね?ね?」だと思ってる)
僕がMARCH以上入ってヤリサーに走ったり、お水の女王になってみたりして「社会に反発する私ってロックでしょ」とかやってるのを見ると「いや、君ら学歴でキャラ立てたり、ちやほやされてるんだから、君らほど体制的で権威主義な人達もそうはいないと思うよ。それも人の金を無駄遣いして」と思う (日本語がおかしい)
私の仮想敵は勝って当たり前な人が更に勝つためにしか才能を使わない人です。ほんとうは、そういう人達に「業が深いですね」といえばいいのかもしれないけど、そもそもカルマという概念に自覚のない人らだから…会話が成立せず一方的に苛々する (自己紹介乙)
つぶやきの内容が腹黒くなってきたから、離れるか…。(いつもはもっとまともな発言をしてると思っているらしい)
オレにしてはよくできた(むしろ、できすぎた)恋愛記事がかけてしまいました。女の子に愚痴られた経験、ブッチされた経験がここに生きていれば、次の恋が近々芽生えるんじゃないかな?と思います…はい。(ない)
汎用えりりさん @eririsan_usagi 18時間18時間前 滝ニ臭を感じた (これだけわかりやすく自分の内面暴露してたらそりゃ出身校バレるよな)
続いた躁状態にようやく終わりが見えてきた。やっと人並みにつかれたというか、ちゃんと体内時計が働いて眠いというか…。体内時計がおかしいと、ほんと良くない。人間が壊れる。 (これだけ好き勝手わめいて、躁状態が終わって鬱になったといっても全く同情の余地ないしこいつの躁状態はひたすらに迷惑だからずっと鬱でいればいいのに)
この間、DeNAのイベントで見てきたものと、最近感じていることから「これから先どうなるだろう?」というものを書いてみました。/これから起こる『ライター業の衰退』と『ブロガーの台頭』について|三沢文也|note(ノート) (斬新すぎるnoteの使い方)
なんか、kanose周辺の人は過激さでも、問題に突っ込む意味でも役割がtogetterに取って代わられたから、あの人達から完全にネット民的な強さが消えちゃったよなぁ〜。はてなダイアリー時代はネット民的にニュースやおかしな人を三枚おろしにしてきた連中がことごとく弱くなってる (ネット民的な強さって今じゃただのニート)
クッソうるさいタイプの目覚ましを導入してみて2週間。
毎日音が変わって慣れてしまわないぞ!ということだったのに、目覚ましを消した痕跡がないままアラームの数時間後に自然に気持ちよく目覚めることが頻発している。
時計は頑張って鳴り続けてたけど諦めて停まったパターンっぽい。
音漏れしてるかわからないけど、隣人に迷惑かけてしまいそうだから、別の方法考えた方がいいな……。
目覚ましで起きると、仮に起きられても頭痛が頻発して体調も悪いし、目覚まし使って起きること自体があんまり体に合ってないのかもしれない。
カーテンも明けて東向きの窓から燦々と朝日が射し込んでくるようにもしてるけど、これもまったく効果ないしなあ……。
睡眠時間が8時間でもまだ足りないのだろうか。でも今以上に早く寝るのはあまり現実的じゃないし、そもそも寝ようとしてもきっと寝付けないと思う。
目覚ましなしとか、小さい音でも決まった時間に起きられる人がホントにうらやましい。
25年ほど生きてきたけど、毎日決まった時間に起きる生活ってのがまだ一度もできてなくて、体内時計がハナから24時間で回ってないんじゃないかって感じがする。
休職してた時に、一度寝なきゃって思う気持ちを捨てて、眠くなったら寝る、眠くなるまで無理に寝ないようにしてみたら、
出かけたり運動したり勉強したりと22時間精力的に活動して、14時間睡眠する36時間周期のリズムが自然と出てきて、人生史上最高レベルに体調がよかったけど、
※これといって理系知識がすごくあるわけではない増田が適当に書いています。与太注意。
話を他の生物に広げるとややこしいので、とりあえず人間に限って考える。
体内時計を司る器官というのが人間では脳の底っちょの辺りにあるらしく、そいつの働きで体がざっくり24時間だか25時間だかのリズムを作ってはいるようだ。そういう意味では、時間の感覚は確かに人間の中に存在しているのだろう。
しかし、この体内時計は日光に当たるとリセットされるだとか時差で狂うだとかいうこともあるようで、そんなに精密ではなさそうだ。それに自分で「よし、だいたい25時間経過したぞ」と自覚するという経験は、少なくとも私自身はしたことがない。
時計を見ずにおおよその時刻を当てるのは比較的得意な方だと自負しているが、自分がその判断をするときは、「前に時計を見て時刻を確認してからどのくらい(歩く・仕事をする・本を読む等)の作業ができたか」「日の傾き具合」などを参考にしており、直感的に経過時間そのものを把握しているわけではない。だから、居眠りしたり窓のない部屋に居たりすると分からなくなる。
何かに強く集中すると時間が分からなくなるのは、周辺の情報が削ぎ落とされて時間の算出に必要な材料が足りなくなるからではないだろうか。
逆に、とても長い夢を見たような気がするのに大して時間が経っていないような場合は、脳内で雑然と行き交った情報を無意識に現実に当て嵌めて時間を逆算し、実際と違った長さを算出しているのではないか。
では純粋な時間の感覚が全く存在しないかというと、そうでもないと思う。リズム感がそれだ。一定のリズムを刻むのは、真っ暗で何の音もしないような部屋に居てもできる。
少なくとも一般的な手拍子1回分くらいの短い時間なら、参照する情報がなくても直感的に把握して、その次の手拍子をほぼ同じ間隔をあけて叩くことができるわけだ。
頭の中で拍を分割せずに手拍子を打てる、最もゆっくりしたリズムはどのくらいだろう。私自身は、おおよそ♩=60か、もう少しゆっくりなくらいまでだ。それより遅くしようとすると「二拍に一度手を打つ」感じになる。
「以上、お昼のニュースでした。時刻は12時15分です」と聞くと自然に「キン・コン・カン コキコカコカン」が脳内再生され、
「ちゃららら〜 ちゃらたらたら たーたーったらったたた」とのど自慢のテーマを聞きながら、
なぜだ?なぜなんだ俺?と自問した。
のど自慢が大好きでもないし、のど自慢を見るためにNHKを選曲していたわけでもない。
なんなのだろう?
幼い頃からの刷り込みと体内時計的なもので、日曜12時すぎにNHKが点いてると体が反応してしまうのだろうか。
それとものど自慢の映像には聞こえない・見えない特定の周波数の音や光が隠されていて、それに反応してしまうのだろうか。
とか考えて気がついた。
「お昼のニュースでした」なんて台詞を聞くこと自体が、日曜の昼のNHKしかないからだな。
土曜はこの時間はまだ寝てるし。
東京に本社がある会社の大阪支社に勤めてるんだけど、東京での朝9時スタートの会議に出席するための出張がしんどい。
新大阪から新幹線に乗るんだが、間に合うためには最寄駅を5時半頃出る電車に乗る必要があり、大体4時45分には起床する必要がある。
これが1〜2週に一度あるもんだから、体内時計は狂うわ疲れは取れないわで本当に辛い。
しかも、朝4時45分に起きたとしても9時に本社に着くまでの時間は単なる移動時間扱いで給与が発生しない。これが納得いかない。
(もちろん出張手当はあるんだが、1000円とかそこらなので弁当代に消えてプラマイゼロである。)
業務のために通常より遥かに早い時間に起きなくてはいけないんだから、給与面で何かしらの配慮があってもいいと思うんだけど。これじゃ出張しない人の方が得じゃん。
中途半端に9時の会議に間に合ってしまうダイヤを実現した新幹線のぞみって、出張サラリーマンの敵だと思う。
早くリニア出来て欲しい。
すき家やワタミの騒動で、飲食の24時間営業に若干歯止めはかかったと思う
てかみんな深夜サービスはもっと割増料金取ればいいと思うんだよね
インフラ関連で深夜勤務の人も割増料金払わなきゃいけないのかって
深夜勤務にはそうしたリソース調達コスト込以上の深夜手当を付けよう
いろんな側面で過酷なので、なるべく働く人を減らして
その分高給払うってのが健康的な世の中なんじゃないかなと思うんだけど
下げることを実現している。でも、これって個人としてはもちろん
社会としても、きっと持続可能ぽくないよなあ
この辺、一部外国は深夜やクリスマスとかの時給がすごく高いとか
見たことあるけど、どういう経緯で実現してったのか
ちょっと興味あるけど調べてない。国が規制して実現できるもんなんだろうか
北欧なんかだと、白夜の逆の極夜とか体内時計狂って鬱になりやすいとか聞くので
胸に液状の鉛が溜まった感覚と、吐息にスピリチュアルなものが混じってる感覚で理解するが鬱が来た。
毎年記憶する限りでは7月くらいに来るけども、今年は体内時計が狂っているのか暑くもないのに鬱が来た。
楽しかった趣味も今は視界に入れたくないし、ゲームも初めて10分持たない。
歩いてるといつでもその場にしゃがみこみたくなる。
そもそもこの文章すら完結させる自信がない。
平日は仕事から帰ったらベッドの上から動けないし、休日もベッドから動けない。
理屈で割り切れるものより感情が追いつかないものの割合が増えた。
これまでは単位とか研究とか仕事とか人間関係とか、具体的に自分を押しつぶすものがあったのに今年はそれらが全てない。
全てないとどうなるかというと、理由もないくせこれまでどおり心が苦しい。
お前どうしたいの?って自分の心に問い詰めたいけど、そんな辛く当たったら心がしょげるのでどうしようもない。
どうせ一月待っとけば躁がくるから、これまでどおりただ漫然と時間がすぎるのを待つことにしてやろう。
尿管結石と一緒だこんなもん。
わたしの中では割と幼いころから一日は24時間であったし、おおよそ世界の大多数がそう思って生きているだろうと、むしろそんなことに疑問を抱いたり、そもそも考える人がいるのかわからないが、とにかく一日=24時間というのはそのくらい当たり前のことだった。
(火星の一日は25時間で地球の人間の体内時計がどうとか聞いたことはあるのだが、ここではそういった話は横に置く。)
24時間、時計が二週回れば終わる程度の時間で、個人的には長いとは思わない時が多い。
そりゃあ苦痛に耐えている時間は長く感じるし、楽しいことをしている時間はあっという間なので、一日の大半が苦痛である今もあっという間だと思える時はあんまりない。
例をあげてみる。
わたしが学生の時にいた国語か社会?の先生で、「とにかくお前らは知識が狭くて浅い。受験生(この先生の講義を受けたのが受験生の時だった)ならこれくらい知ってて当たり前だ。せめて新聞を読め、ニュースを見ろ、本を読め。」とおっしゃる先生がいた。
確かにまだ若かったわたしは自分でも知らないことばかりで、もっと本を読んだりするべきなんだろうな、とは思っていたし、受験生だからってテストの勉強だけしていればいいわけではないこともわかってはいた。
けれどその時は正直「そんな時間がどこにあんの?」としか思えなかった。
時間の使い方が下手なのも、自分に甘い部分もあったので、きちんとスケジュールを組んでやることをやれば出来る人もいるのかもしれない。
でも無理じゃね?って思った。ほんとに。
平日の朝、学校に行く支度をしたりで6時には起きる。もっと早い人もいると思う。それから多少なりとも時間をかけて学校に行く。ここでバスや電車に乗るならまだしも、自転車で行く人は参考書なんか、本なんか読んでられない。事故に遭いたいなら別だけど。
八時半くらいから朝礼やら授業があって、休み時間を挟みつつも四時頃に終わる。ここからは帰る人もいれば部活に行く人もいる。
わたしは部活が割と遅めの時間まであったので、学校から帰って家に着くのは七時〜八時くらいだった。
そこからご飯を食べて、明日の授業の予習や今日の復習をして、出ている課題をやって、塾に行っていた時期は塾の課題もやって、小テストの勉強をして、お風呂に入る。気づくともう二時になって、急いで荷物をつめて寝ていた。
あくまでこれはわたしがこうだっただけで、他の方はもっと切り詰めていた人もいるだろうし、ゆるっとしていた人もいるだろう。
わたしは頭が良いとは決して言えなかったので、予習のスピードも遅かったし、どれだけ勉強しても成績はそこそこだった。
まあつまり、何が言いたいのかと言うと、この状況で新聞を読んでニュースを見て本を読む余裕はなかった、ということだ。
睡眠時間を削っても、学校で寝てしまえば意味がないし、何より睡眠不足で倒れれば保健室でもっと早く寝ろだの無理をするなだの言われるのがオチである。めんどくさい。
ゆとりと言われるかもしれない、甘えだと言うかもしれない。
なら、そのときわたしは一体何を犠牲にして、何を得るのが正解だったのか。
短い24時間の中では、趣味の時間なんかなかった。ひたすらに勉強だけして、親を、先生を喜ばすだけの機会に成り下がっていたと思う。
そうなることが正解だと思っていたから。
要はそんなに何でもやれと言わないでほしかった。寝かせろ、まじで。
いつもノルマに追われていた元ソルジャーで、汚い話で恐縮だが生理一週間前になると必ず自殺願望と
強烈な絶望感に襲われている横増田が生き延びている10の方法書いとく。
1.水+六甲の美味しい水とロックアイス そしてたまにアルカリイオン水
2.早朝の澄んだ空気と朝日を見ながら3.5kmほど週2回軽いスピードでゆっくり走る+ラジオ体操
5.冷凍食品やファーストフード、ファミレス、レトルトは食べない
6.子どもの頃に大人になって働いて金稼いだら何に使いたかったのか思い出す
7.たまにはサウナに行って汗を軽く出す。
8.朝起きる度に布団は必ず畳む
9.猫カフェに行って猫に触る
「Turn Off The Light」
「Lullaby」
「Drama」
無意識に溜め込んだ感情が上手く排出されず、体内時計が狂い、食事のバランスが崩れ
生き物や植物の生気が不足し、未知の発見に欠ける単調な日々だとネガティブになりやすいと肉体的に実感してる。
体から淀んだ気持ちが出て行かない。体を動かしたり踊ったり増田に書いたり絵を描いて感情を表現すると
少し楽になる。
とはいってもパワハラ気質の上司がいたりノルマに追われていると、これらの方法を用いても少しはましになる程度で
どうにもならないけどねー。
射精前後で男性は豹変します。射精後の男性は、それまでとはうってかわってダルく眠くなります。どうして賢者タイムが起きるのでしょうか。
射精した男性の脳内では、ノルエピネフリン・セロトニン・オキシトシン・バゾプレシン・NO・プロラクチンなどの物質が放出されます。
プロラクチンが放出されると性的満足が得られ、また「二回戦」をはじめるまでのラグを生じさせます。
このことは研究でも分かっていて、プロラクチンを欠く男性はより早く復活します。
プロラクチン濃度は睡眠中では高いです。プロラクチンを注射された動物はすぐに疲れた状態に入ります。
余談ですが、セックスのほうがオナニーより眠くなるのもプロラクチン説で説明できます。
理由は分かりませんが、セックスのほうがオナニーより4倍プロラクチン放出されることが研究で分かっています。
オキシトシンとバゾプレシンが放出されるのに伴いメラトニンが放出されることが多いです。
メラトニンは睡眠に関連するホルモンで、体内時計を調節します。
オキシトシンはストレスレベルを軽減させるとも考えられていて、これもまたリラックスと睡眠を引き起こすと考えることができます。
進化論的には、オキシトシンとバゾプレシンはパートナーとの感情的結びつきを高める作用もあるので、子孫を残すのに有利に作用します。
賢者タイムが存在する正確な理由を説明できた人はまだいませんが、以上に述べたような生化学的・進化論的解釈が存在します。
詳しくはhttp://scienceline.org/2006/09/ask-wenner-sex/をみてください。
あの頃の僕は、毒の唾で世界を汚すことが無常の喜びだった。本や
映画で得た受け売りの理論で身近な大人たちを追い詰め、彼らを軽蔑
することだけが生きているリアリティと感じていた。目で見える世界のほと
んどが許せず、ニ十歳まで生きていることはあるまいと本気で思っていた。
あの頃、高校時代、僕にはFという同級生のガールフレンドがいた。
正直、彼女を好きでもなかったのだが、女のひとりも口説けないのかと
周囲に思われるのが癩だったのでなんとなくつき合っていた。二人で観る
映画はいつも二番館の面倒臭そうなアート系の映画で、Fは僕に映画の
解説を求め、僕はそんなたわいないことで男のプライドを保っていた、どう
せ刹那的なつき合いだと酷く冷め、やがてくる彼女との別れの日をドラマ
チックにシミュレートして悦に入っていた。そんなある日、Fが僕を演劇に
誘った。芝居はテレビで紀伊國屋ホールを収録したようなやつを観たこと
がある程度で、それもおそらくそんな感じだろうとまるで期待していなかった。
が、打ちのめされた。体の震えが止まらなかった、舞台音楽が僕を子供の
頃の暗闇の恐怖にいざなった。その後、Fは地方に就職先を決め、卒業
の日、明るく「さよなら」と僕の前から去った、以来、彼女とは会っていない。
結局、見透かされていたのは僕のほうだった、そして間違いなく、あの頃、
彼女は僕の母だったのだ。今回、シーザー氏の歌に僕が固執したのは、
あの頃の無知な自分と母との時間を追体験したかったからかもしれない。
存在するものがこの世界にはある。我々の前では、美しすぎたり、
醜悪すぎたり、日常であったりして、正体は曖昧なものと感じられ
ているが、それは確かに、明確にこの世界に存在するはずなのだ。
私は、それをアニメーションという手段で整理分解して、判りやす
く伝えようとは思っていない。セル画で数値化、セリフで言語化でき
る部分だけを抜き出して、それを伝えようとは思っていない。むしろ
段を使って、混沌のまま明瞭に、確かに存在することを示したいのだ。
私は、光宗さんと上谷さんを尊敬している。二人は紛れもなく、
十四歳の頃、僕は学校が嫌いだった。いや、正確には、学校という名の世界での自分の状況が嫌いだった。
その頃は、いわゆる“校内暴力”なるものが全国的に取り沙汰されていた時期で、僕の通ってい
た学校も例に漏れず相当に荒んでいたと思う。生徒が教師の胸ぐらをつかみ上げ授業中断、など
ということも珍しいことではなかった。学校とは箱庭ではあるが、言うまでもなく「ひとつの社会」で
あり、「現実世界のミニチュア」だ。その社会の中で、僕は凡庸な者だった。休み時間にトイレでタバ
コを吸う勇気も、教師の胸ぐらをつかむ勇気もなかった。そして、僕はそのことが嫌で仕方がなかっ
た。子供だったが、凡庸が美徳だなんてウソだってことぐらいは知っていた。「ミニチュアの社会」の
中ですら凡庸な自分に控えている未来.凡庸な人生の予感に言い様のない絶望を感じていた。
あれから十数年。現実は残酷で、やはり僕は凡庸なる大人になってしまった。絶対に裏切って
はいけない人を、何人も裏切ってしまった。そうまでして手に入れたのが、凡庸なる自らの姿だった。
だが、いかなる夢も見ることを禁じられたこの世界で、僕はまだ密かに夢を見ている。まだ密かに
モラトリアムでありたいと甘えている。そのことを「少女革命ウテナ」はうまく表現できただろうか…。
J・A・シーザー氏の音楽を、僕は遥か十代の頃に体験した。氏の音楽はその時から、そして今も変わらず僕
シーザー氏と仕事の機会を得ることができたのは、ひとえに大月プロデューサーの手腕によるところだ。
いや、実はそのことだけではない。大月氏は、アニメーション作品「少女革命ウテナ」を世に送り出すために、
多大なリスクを負った。我々スタッフは、その彼のリスクの上に、完全な創作の自由を与えられたのだ。「自分の
若さと可能性を信じろ」などと言うインチキな大人には数多く出会ったが、リスクを負うと言うことを体現して
見せる大人に出会ったのは初めてだった。もちろん、僕自身もリスクは負っていたが、彼のそれは比べようもなく
大きかったはずだ。にもかかわらず、彼が僕にリスクを強要したことは一度もなかった。彼は、作品作りにおける
リスクの尊さを改めて僕に教えてくれた。そしてそのことは今回の作品制作において僕個人にとって貴重な
モチベーションになった。おそらく「少女革命ウテナ」という作品は、僕と大月氏の共同監督作品だったのだ。
だから、ある意味で僕は敗北者なのだろう。なぜなら、僕は絶対に裏切ってはならない友人を、数多く裏切っ
上田泰己さんが出るから。
彼は33歳なんだが、すでに生物学(システム生物学)では世界的な権威だ。20代で理化学研究所のチームリーダーになった、というエピソードは彼のサイエンティストとしての才能を端的に示しているが、実際の業績はそれ以上だ。
分かりやすい説明記事があった。彼がまだ20代のときの記事:
「20代で教授職相当に抜擢、体内時計研究で先頭走る」、理研の上田泰己氏
http://www.nikkeibp.co.jp/archives/326/326385.html
彼とは何回か会って話したことがある。アタマの回転はべらぼうだったが、それ以上に、なんというかものすごい人格者だったので感動した。一種世間を超越した感じで、自然の隠された方程式をすでに知ってんじゃないの、という感じだった。「情熱大陸」のサイトに顔写真が出ているので見てみると分かる。朗らかで、やわらかくて、シャープだ。クレバーなんてもんじゃない、もっとすごいものの片鱗を味わったぜ、、などとおバカなこと書いている33歳の自分は、彼と同じ年であることがちょっと恥ずかしい。
俺はああいう仕事をしていたからわかるんだけど
自分自身もそれっぽい職場で働いて観察してなんとなく思うのは、
「朝も夜もない部屋にいると人間の体内時計は一日一時間ずつ狂っていく」
というか、
進むべきメルクマークが示されないと大多数の人間は簡単に沈む。
企業の社員研修でも与えられた動機付けを自分のものとするのに1〓2年は見ると思うし、
そういってことを期待するのは結構酷かなぁ、という気がする。
って感じで、
「よい弱者」「悪い弱者」が存在するというのはそもそも主観的判断にしか過ぎないと思うのだが。
そもそも現時点でも議論(感情論を含め)が分かれてしまうわけだし。
また弱者というのはどちらかと言うとマイノリティであることも多いわけで、多数決で彼らの処遇を決めるというのも本当は難しいのだろう。
まぁ、行政レベルでは「よい」「悪い」を判断するのにもコストがかかるわけで、一律「救う」を基本方針とせざるを得ないのだろうね。
睡眠障害として治療する場合は、体内時計の調整を中心に加療するようです。
手軽に実行できるのは朝起きたら光浴びることとか(ブライトライトという商品もある)。
他にもガッテンでいくつか方法が紹介されてました。
http://www3.nhk.or.jp/gatten/archive/2006q2/20060426.html
精神論ではなく生活習慣などをコツコツ見直していくことが大事かと。