誰でも練習すれば上手な絵は描けるけど、100年後の人を感動させるような絵は誰にでも描けないようなもん?
色々妄想したのでかいとく
実は盗聴機付きで先生達が厳重に監視しているのだ。それに気づいたギークたちがハックして混沌をきわめていく・・・
全国的にはやりほとんどの学校で導入される、おまえドコ中だ的なものがなくなり、「あ、あのバッチは○○中やつらだやべぇみたいになる。
各校一個の特別バッチが番長用に作られ市内、県内、全国と争奪バトルロイヤルが勃発する。
「俺は全部賭ける」、「ば、ばかなバッチがゼロになると言うことはいじめられしゃ隔離別室行きだぞ!」
「おまえの持っているバッチは2個、俺の4個にはつりあわないなぁ」「ふふ、俺はさらに命を賭ける」ドン☆
みたいになる
「××××」この能力は無敵だ
「××××!!(洋楽的なものや暗黒・炎・闇・氷などが入った造語が好ましい)」「ぐばしゃー、その能力は○○君の!貴様もしやぁ」
俺は生まれついての弱虫だッ!
100年後に誉めるコードなどというものが出てくるわけがないと思った。
あるとすれば一行テトリスとかじゃないかな。
文化っていうのはムーブメント。
追従してくれるひと、模倣するひとがいないかぎり優劣がつきようがない。
みんな違うものを創っている以上、コードそのものが評価されることはないとおもう。
才能なのか生まれ育った環境かわからないけど、努力して努力してやっとこ満足な文が書けるって人は、
むしろ自分の好きな分野の「ライター」を目指したほうが大成すると思う。
「うまい・・・感じちゃうっ・・・!」って文章がうまい文章かなw
シリーズものの作者だと、既に醸成されている世界観や登場人物の力を借りつつ
「読者どもッ!これが俺の書いた物語だッ!WRRRRRRRRRYYYYYYYYYYYYY!!!!」
ってやることができる。(もっともそれだけ懐の深い「設定」を産み出せるのは並じゃない)
でもそんな、いわば外部の力を借りることなく凄みのある文章を練り上げるのは・・・
中島らも御大のエッセイ(空からぎろちん)に「私の文章の書き方」ってのがある。
「うまい文章」を書く、ということを、まず初手から僕は諦めている
中略
ところが、ある日翻訳ものから目を転じて泉鏡花を読んだ。知らずに宝石箱をあけてしまったような感動だった。
世の中にこんな芳醇な、古酒のごとき文章があると知って、それから明治大正期の作家を読み始めた。
藤村、白秋、荷風、谷崎潤一郎に三島由紀夫ときて、文章に酔う喜びもさることながら、
「あ、こりゃだめだ」
と、気付いた。これだけの文章を書く人たちがきら星のようにいる以上、うまい文章を書こうという自分の望みは、
むしろこっけいに思えるのだった。逆立ちしようが百年千年練習しようが、自分には不可能であることに遅まきながら気付いたのだ。
何冊も売れた人でもこう言うんだからw
「あ、こりゃだめだ」って感覚に俺は耐えることができなかった。
>挙句、好きな漫画が中堅以下ならもう自分の嗜好がジャンプ本来の読者層から外れてるって自覚しろよ。
少年じゃなくなれば、そりゃ読者層から外れるわいな。
若くて美しいときは短いから価値があるんじゃね?花は散るからこそ美しい的な。
たとえ見た目が同等でも、その状態がさらに数年は見込める若い子と、そうでない30代では比較対象にならないと思う。なまものを買うときには賞味期限のラベル見て余裕ある方を選ぶだろ。
よくこういう話題で、みんな年をとるから、若い子と結婚しても年とったら一緒(相手が年をとったら乗り換えるのか?)っていう話でるけど、それも違うと思うんだよな。その女の一番いい時期を独占した上で、その記憶と共にその後の時間を過ごすのと、最初からそれがない相手とでは全然違う。
まあ見た目が全てじゃないから、その他の要素との兼ね合いだけど。しかし人間は寿命が延びるほど若さの価値が上がって若さに固執するようになると思うね。アメリカとかでも、余裕のある層は若さへの固執ってすごいよ。
んだから、俺はそんなもんに騙されて同じ内容なのに真逆のコメをつけるほど皆がバカだとは思ってなかったってこと。
そんな上っ面の話し方・書き方に騙されるほどとは思ってなかった。過剰に評価してたんだよ。増田とかはてブのやつとかを。
だから「ああバカだったんだな」って分かったって書いてあるだろ。
そういうこと。
はてなダイアリーやはてなブックマークと動物園のサル山の違いを教えてください。
一部の良心的な利用者を除けば、はてなダイアリーの殆どのエントリは自己満足的なパフォーマンスが目的となっています。はてなで行われている議論は殆どが議論することそれ自体に意味があるものばかりです。大人のための砂場です。しかも、都合が悪くなれば発言者の攻撃へと逃げるのです。はてな内で議論が盛り上がっても、他に飛び火することは殆どありません。殆どがはてな内、良くてもその周辺のWebサイトで力尽きています。素晴らしい議論や新しい発見ならば自然と他に広がっていくはずです。はてなダイアリーやはてなブックマークは既にウェブのサル山と化しています。外部者はせいぜい暇なときに眺める程度です。中に入ることはありません。
このことは、はてな内の書評サイトがライトノベルを一般文芸並みに(またはそれ以上に)取り上げることにも表れているように思います。一般文芸にはプロの書評家の書く「模範解答」が存在するために、書評が書きにくい。誰も見に来ない。ところが、ライトノベルというジャンルには書評家が不在のため、いくらでも好きなように書ける。そのために、書評サイトの方々は、論じやすい一般文芸作品を捨ててでも、ライトノベルを取り上げるのではないでしょうか。(大の大人がライトノベルしか読まないということは無いでしょうし)。
はてなはサービスの強化だけでなく、利用者の質の向上を図ることも重要な気がします。アホがアホを持ち上げ、アホだけで盛り上がっているようでは、限界があります。生ぬるいコミュニケーションのためのツールに終わるにはあまりにももったいない。
普通のお粥と比べてカロリーが低い(40??50カロリーくらい)のが特徴。味は六種類。
それなりに腹に溜まるので重宝しているんだけれどその中の梅じそ粥があまりにもうますぎて。
小腹がすいたら食べてしまう。別に梅干が好きなわけではないのに異様においしく感じる。
小学生って、思った以上に筆圧が強い。
小学校4年生の、100点取るような優等生の女の子でもそれはもう黒々とした力強い字を書くのな。
まだ力加減がうまくいかない時期なんだと思う。
そんな頃に折れやすいシャーペンを持たせたら、変に力を抜いて書く癖が付いちゃってよくないのは明らか。
実際、「シャーペン禁止って意味が無いから」という理由で小学生の頃からシャーペンを使っていた友人は、
必要以上に筆圧が薄くて「はあ?ふざけてんの?」と思う程にお粗末な筆跡の持ち主だ。
お前、なんのために話術って概念があると思ってんだよ……。
http://anond.hatelabo.jp/20080214225921
いや、俺なりにきちんと書いた文章だったんだけどね。
結構前、同じような内容の文章を、
一つはやや傲慢な態度で
もう一つはひたすら謙虚な態度で書いた。(勿論ここでね)
そうしたら同じ内容なのに、傲慢な方は物凄いバッシングで、謙虚な方は、優しいコメントばかりだった。
ああ、結局こんなもんなんだなって思ったよ
皆偉そうにブクマコメントしてるけど所詮こんなもんなんだなってね
感情的に勢いでネガコメしてるだけじゃんってさ。同じ内容なのに真逆のコメントつけてる奴とか普通にいて笑ったよ。
それまでは偉そうなコメント見ると「なんだこいつ、コメントすんならこっちが反論しやすいところにしろよ」とか思ってたけど。
今はそもそも腹が立たない。
まあそんなもんなんだよね。俺がそもそも他人に期待しすぎてたんだ。「ちゃんとした答え」なんて幻想を求めてた。他人は思った以上にいい加減でバカで何も考えてない「事がある」。それを俺はなぜかいままで分かってるようで分かってなかった。