※これといって理系知識がすごくあるわけではない増田が適当に書いています。与太注意。
話を他の生物に広げるとややこしいので、とりあえず人間に限って考える。
体内時計を司る器官というのが人間では脳の底っちょの辺りにあるらしく、そいつの働きで体がざっくり24時間だか25時間だかのリズムを作ってはいるようだ。そういう意味では、時間の感覚は確かに人間の中に存在しているのだろう。
しかし、この体内時計は日光に当たるとリセットされるだとか時差で狂うだとかいうこともあるようで、そんなに精密ではなさそうだ。それに自分で「よし、だいたい25時間経過したぞ」と自覚するという経験は、少なくとも私自身はしたことがない。
時計を見ずにおおよその時刻を当てるのは比較的得意な方だと自負しているが、自分がその判断をするときは、「前に時計を見て時刻を確認してからどのくらい(歩く・仕事をする・本を読む等)の作業ができたか」「日の傾き具合」などを参考にしており、直感的に経過時間そのものを把握しているわけではない。だから、居眠りしたり窓のない部屋に居たりすると分からなくなる。
何かに強く集中すると時間が分からなくなるのは、周辺の情報が削ぎ落とされて時間の算出に必要な材料が足りなくなるからではないだろうか。
逆に、とても長い夢を見たような気がするのに大して時間が経っていないような場合は、脳内で雑然と行き交った情報を無意識に現実に当て嵌めて時間を逆算し、実際と違った長さを算出しているのではないか。
では純粋な時間の感覚が全く存在しないかというと、そうでもないと思う。リズム感がそれだ。一定のリズムを刻むのは、真っ暗で何の音もしないような部屋に居てもできる。
少なくとも一般的な手拍子1回分くらいの短い時間なら、参照する情報がなくても直感的に把握して、その次の手拍子をほぼ同じ間隔をあけて叩くことができるわけだ。
頭の中で拍を分割せずに手拍子を打てる、最もゆっくりしたリズムはどのくらいだろう。私自身は、おおよそ♩=60か、もう少しゆっくりなくらいまでだ。それより遅くしようとすると「二拍に一度手を打つ」感じになる。