はてなキーワード: 不惑とは
ブログを書かなくなって久しいが、復活にむけリハビリがわりに増田に書いてみる。
もっとも、大学教員である私が学生指導を通じて感じた知性について今日は書きます。
知性が低いと思われている人の中には、単純に広義の体力がないケースが多い。病気がちであったり、何らかの事情により物事に集中出来なかったりするために、知性を獲得する上で必要な思考が妨げられているケースが多い。
案外、中等教育期間中に体力づくりのための運動をすることは頭を良くするためにも大変理にかなっていると思う。また、特にチームスポーツであればリーダーシップを学べるので良いと思う。自分の子供にはそうさせてやりたい。
とくに運動が苦手な人を中心に、大学生になると定期的に運動する習慣を失う人が多いが、案外知性の獲得に向けてよろしくないような気がする。
本能や感情を抑制するのがまずもって社会生活を送る上で求められる基本的な知性である。そして、それらの基本的な知性の多寡は生まれつきの要素が強いが、しつけによるものもあるだろう。
もっとも、知性ある親はしっかりしつけるし、知性が獲得させた様々な社会的資源を活用して子育てするから、親は選べないということは本当に不公平なことであると思う。
人間は感情が優先される動物なので、都合の悪い(=悪い感情を引き起こす)現実は直視したがらない。そのため、基本的な知性が乏しい(=コントロールできる感情の水準が低い)と、自分にとって不都合な真実を理解しようとしないために、理解できる法則に限界がある。結果として応用的な知性(職業的に求められる能力など)も獲得されにくい。
もっとも、感情的にならず、冷静に周囲と調和できる人、いわゆる「良い人」が社会的に成功するとは限らない。全体的にみて、その様な人は所詮当たり障りのないことをしようとするから、つまらないことになる。
社会的に成功する人、特に経済的に成功する人の中には、性格的にユニークな人が多い。やはり、人並み外れた目立ちたがりだったり、強い欲望を元に事業を成功させるような人は強烈なエネルギーを持ち回りを引っ張ったりする。その人が良い人である場合もあるが、その様な強烈な感情は何らかのコンプレックスであることも多く、「良い人」でないこともままある。
というより、日本的な文化の中で、冷静に周囲と調和して生きるよう指導されているのは、社会が安定を求めるがゆえに、大半の貧民・庶民に隷属を強要することの裏返しかもしれないとすら思う。一方、親が金持ちだったり、社会的なポジションを有するようなケースでは、根拠の無い自信を持っているような奴もいて、比較的楽にリーダーシップを握ったりするなど、成功に近づく。社会階層が最生産される精神構造がそこにはある。
一定の素養がある人が習熟すると、だいたいの見た目や立ち振る舞いだけで、その人の知性の水準がわかってくるようになる。もっとも、その能力を獲得するためには、直感的に人を見る目を養わなければならない(少しシビアな)環境にいたかどうかが重要である。おそらく、過去の生活の結果に基づいて顔の形や立ち振る舞いと知性や性格との関係に関するデータベースができていて、それを無意識のうちに当てはめることでその推論が成立しているように思える。その構造を理解すると、第一印象に気を配ることは重要であることにも気づくだろう。
だいたいにおいて、賢い人は見た目も良い。もっとも、私は「見た目」に二種類あると考えている。一つは持って生まれた「造作」の良し悪しであり、もう一つは後天的に獲得した、あるいは経験した感情によって作られる「面構え」のようなものだ。前者はいかんともしがたいは物理的必然であるが、後者は自分の心持ちによってある程度コントロールすることが可能である。(もっとも、そのそれを改善するような心持ちを持てるかどうかも基本的な知性によるのだが。)
10代の間の見た目はまだ前者の「造作」によるものが大きい。しかし、大学を卒業するぐらいの年令になると、どのような経験により、どの程度の精神的成長を遂げたか?ということが顔に出てくる。ましてや40にもなろうとすると、それまでやってきたことの影響が思い切り顔に出てくる。結果として、大人になればなるほど、賢い人は見た目も良くなる。
性欲の強さは性格や知性にある程度の関係がある。社会生活をうまくこなすためには、強すぎても、弱すぎてもダメ。もっとも、ここで言う性欲とはある種のバイタリティの言い換えかもしれない。
性欲がある程度強ければ、異性を誘惑するという、生存上もっとも戦略性が要求される行為について自発的に考える。特に取るべきコミュニケーションの内容や、自分の振る舞いが相手に与える影響をよく考えるようになるからか、結果としてある程度の知性を獲得するのだろうと思う。
もっとも、性欲が強すぎるとそれ自身が知性の獲得に障害となることもあるので、社会生活的に見てうまくいかないケースもある。
性欲が弱そうにみえるタイプは、やっぱりコミュニケーションのとりかたに問題が出てくる。実は、就職活動をするときにモテる人とモテナイ人の差は如実に出てしまう。
言うまでもないことだが、基本的な知性が乏しい人は、自分の能力を効果的に伸ばすための選択ができない。また、自分の適性もなかなか決め切れない。結果として解決すべき問題、獲得すべき能力に関して集中的に取り組むことをしないで、ばらばらで組み合わせの悪い能力を身につけたりする。あるいは単純に時間を浪費する。
もっとも、将来的にどのような組み合わせが望ましいのかわからないという言い分もよく分かるつもりで、無駄なことなどないと信じたい。ただそのような言い方は、気の毒にも無い内定で落ち込んでいる学生を目の前にしてあまりにも無力である。
以上リハビリ終わり。
もう不惑にさしかかろうとしているのに結婚もせずプラプラしている私とちがって、その幼なじみ(男)は、30で8つ下のかみさんと結婚して一子をもうけた。
小さいころから体が弱く、ぜんそく持ちで運動もしちゃいけない。そういう幼少時代からなのかワガママに育てられた彼奴は、高校時代に音楽に目覚めどんどん外向的になっていった。友だちも多かったように思う。
そんなアイツだから、カワイイかみさんを見つけて落ち着いたと聞いたときは「まー、そうだろうなあ」と思ったし、早々に家を買ったのも彼らしい選択だと思った。
そんなアイツが離婚をすると、帰省した実家で聞かされた。原因はかみさんの浮気らしい。
浮気の理由はわからない。でも、浮気について問いただしたおばさん(アイツのお母さん)に「新しい彼だって子供を愛してくれる。●●はもういらないの!」と、開き直ってまくし立てたと聞かされた時には、自分が当事者で無いにもかかわらず、とてもとても残念な気持ちになった。
本当の理由はわからない。直接の原因は当事者にしかわからないことだし、私が何を思っても余計な詮索だろう。二人とも分別のある大人だ。それに、どちらに原因があったとしたって一つの家庭が無くなることに変わりはない。当事者でない私ができることはといえば、前の男との連れ子を愛してくれるという、かみさんの新しい男の男気に期待することだけだ。
ただ、私のバイクが大好きで「足がつくようになったら後ろに乗せてね!」と言ってくれた、アイツの息子との約束が果たせなくなってしまったのだけは申し訳なくて仕方がない。
抑うつ感をクスリで押さえ込んでいるものの、今日は持病の背中の痛みが酷くなり
営業時間中にも関わらず、耐えかねてマッサージに行って解してもらった。
それが仕事の施術士さんに「ガチガチですねぇ」といわれるぐらい酷い状態だった。
日々老いていく肉体を誤魔化しながら、Webと電話だけの孤独作業が続く。
mixi日記の過去2年の5月ごろを見ると見事に虫食いだらけで
馬齢を重ねる意味があるのだろうかと考えて、無いなぁとネガティヴに考える。
大学時代の恩師が喝破したように人は「自分自身を目的に生きられない」のが運命で
真の目的は「代替できな他者との関係性の維持と発展」にあるとのことで
不惑にしてこの言葉の意味はやはり正しかったなぁと思わざるを得ない。
先日、宮台先生の新著を買ったのであるが「終わりなき日常を生きろ!」と嘯いていたのに
結局はご自分の配偶者と子息に自分の生命の意味を委ねているのが読み取れて
この人は相変わらず頭は良いけど、自分の言説に責任を持てない人だなぁと思った次第。
生きて行くことが無意味で、時間が未来にしか進まない不可逆性を「以下に耐えうるか」
を考えてみたときに、導き出される解は、「意味を与えうる関係性を、どこかに見つける」
それと「時間の不可逆性を受け止めて肯定する」と簡単な結論になってしまう。
しかし、理由を推察したとしても、解決方法が容易く手に入れば誰も苦労はしない。
たぶん、その境地を私が手に入るとしたら涅槃にしか無いのであろう。
要するに、ほとんど諦めているのである、もうどうしたらよいか分からない。
涅槃を欲せば答えは手元にあるが、まだそこまでは追いつめられてはいない。
真に追いつめられる日が来ないことを望んでいるのか、いないのか・・・
数年前に父が癌になった。転移もしていて手術は出来ない状況。
だけど見た目にはすごく健康で、定年した後も働いてもいるし、併発している糖尿の治療以外はいたって普通に生活している。
それは良い事だし、親には長生きして欲しい派な私としてはとても嬉しい事だ。
ただ父は精神的な部分ではなんとなく変化していて、だいぶ子供っぽくなった。
何かに当たったり、拗ねたり、ぷいっとどこかへ行ったり、昔からそういう所が無かった訳ではないけど、だいぶ顕著になってきたようだ。
私が子供の頃、親とは「絶対的な大人」という存在だったから寂しい。
定年になるかならないかの頃から「自分が今までやってきた仕事で誇りに思うこと」語りも多くなってきた。
まぁ、この語りは、私が社会人になった時にいくらか役に立ったが、同じことの繰り返しだから少々疲れてきた。
でもこのことに関しては帰省する度に聞いてあげようと思う。たぶん父の人生で一番の拠り所だから。(だからこそあんなに誇らしげに語るのだろう)
私は父親が不惑を過ぎてからの子供なので、よそから見ると相当可愛がられていた(る)ようだ。
実際私も父親が好きだし、思春期の頃に友人が「親父マジキモイ。死ねばいいのに」という感情が良く理解できなかった。もしかしたらその頃の友人には「こいつファザコンwww」くらいは思われていたかもしれない。
(だが私は自他共に認める家族全員大好きっ子であり、ファザコンと言うよりはファミコンである事を補足しておこう。くにお君マジパネェwwww)
さて、問題なのは父の病気発覚後の母だ。
先ほど私が「帰省」という単語を使ったとおり、親元から離れて暮している。上の兄弟も同様なので、実家には両親しかいない。
母親は幼少期から家族運に恵まれず、だからこそ今の家では人一倍、夫にも子供にも尽くしてきた。今考えると過保護・過干渉な所があったようにも思う。
その母が、父親の病気が発覚してから、その過保護・過干渉を父に向けているのだ。
構われすぎて煙たがってる父と喧嘩になるくらいならまだ可愛いものだが、その度に私に連絡してきて
「オカーサン、疲れちゃった……」
と言ってくるからたまらない。
父の病気のこと、家族のことで人一倍真摯に悩んでいるのは母だが、昔から悩みすぎてスパークするとネガティブ精神攻撃か、逆ギレで当り散らして来るので本当に困る。(唯一の同性で、末っ子だから当たり易いんだろう)
ファミコンなので母の事も当然好きだが(普段は可愛いカーチャンなんだぜ!)、この時ばかりは本気で憎らしくなってくる。
ちなみに父は己の病の事なのに、しばしば食事に気をつけなかったり、変な市販薬買ってきて具合が悪くなってたりしている。こっちもこっちで殴り倒したくなる。
こちとら長生きいて欲しいんじゃい!私には爺さんいなかったから、おとんにはナイス爺さんになって欲しいんじゃい!
何度か
「カーチャン、おとん構いすぎて疲れてるんだよ。ちょっと距離置いたら?」
と伝えたのだが、
「ダメダメっ・・!そんな事出来ないっ・・お父さんが、心配・・っ!」
と返されたのでもう何をかいわんや。
今日、どうしても人恋しくなってきて、ちょっと甘えたいなと実家に電話したら夫婦喧嘩したらしくてネガティブ攻撃くらいました。
「もうお母さんにはお前しか、相談したり、頼ったり、甘えたり出来る人はいないの」
あぁーそれまんま今の私がしたかった事だわ。すげーな親子って、テレパシーじゃん?
・・・なんて思いつつ、抱きつく予定の腕は受け止めるための腕に変わったのでした。
もう社会人なんだから親に甘えるとかキメェ考え捨てろ。むしろ親に頼られる事を目指せって事なんだろうけど、なんだろうね、今日は珍しく本気で親に甘えたかったんだ。
あぁん。・゜・(ノД`)
アドバイスをするというのは、疑わしい療法だ。
だが一般的に大した害もないだろう。
Giving advice is a doubtful remedy,
コミュニケーションにおける最大の問題はそれが達成されたという幻想
世界的に有名な児童精神科医、製薬会社との金銭的繋がりを暴かれる - 精神科医の犯罪を問う - Yahoo!ブログ
[ロバ売りの親子][粉屋と息子とロバ]粉挽きとその息子と驢馬
[悪口][陰口][告げ口][お世辞][心にもない言葉]ねたみ・批判にあった時
ブログならではのやり取りで微笑ましい。ただ、「頭がいい」って事を価値基準に置いた話は読んでいて幼稚で興ざめ。頭がいい事と人生の豊かさに相関は無い。弾氏もそろそろ不惑なんだから一皮剥けて欲しい
「頭がいい」ことに価値基準を置いた話が幼稚なのではなくて、元増田が触れられては困る話だから興ざめしたことにしたいと脳内で変換されたのだろう。一つのものさしで測れないというのはもっともではあるが、ではどうすれば正確に測ることができるのだろう?一つのものさしを絶対視しているのは元増田であるように思える。
「人生の豊かさ」が「頭のよさ」と対比され、こちらに価値基準を置いた話が望ましいように見える。しかし、これもものさしがないとわかりようがないではないか。さらに、dankogaiの人生が豊かに見せようとしているとしても、それが幼稚で興ざめということにならないとは言えない。
人への妬みはつきないものだ。
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50949374.html
このエントリーは決定的だった。
今までは、
まあ、技術的にそれなりのことしたし、
金も地位も適度にある。
それ以上に暇があって、たいした文章かいてなくても
はてぶの上位にランクインするちょっと江川達也にそっくりなおヒゲのおっさんだと思っていた。
ときどき散見する、
自分自身のなかにある「人とは違うことをしてきた」ことに関する自負と
コンプレックスを同時に感じて、おえってなってはいたけども
かわいらしいお嬢さんに対して大上段からプライドとは?と出てきたよ。
http://d.hatena.ne.jp/gomi-box/20071109/1194613291
自虐ネタとそれでもなお、あがいているんだよ。人と違うって大変だけど
がんばろうとしてるんだよっていう、かわいらしい文章じゃないか。
ヒゲもじゃのおっさんに説教たれてくれなんてとも言っていない。
単純に
「こういう種類の私たちを見つけて」
ってことじゃないか。
それをあざとくトラックバックして、話題に便乗して、そんなにまた小銭が稼ぎたいのかしら。
あえてこがい氏に対して疑義をもっているコメントを抜粋。
ブログならではのやり取りで微笑ましい。ただ、「頭がいい」って事を価値基準に置いた話は読んでいて幼稚で興ざめ。頭がいい事と人生の豊かさに相関は無い。弾氏もそろそろ不惑なんだから一皮剥けて欲しい
幼稚であるとの指摘。そのとおり。
しかも頭のよさがひとつのものさしで測れるとすら考えていそうな感じがするよ。彼は。
そろそろ場違いなところに押しかけて教えを垂れることの見苦しさに気づいたらどうか。
そうだね。まださ、技術とかWebとか、そこらへんの閉じたブロゴスフィア(笑)でやってんなら
ともかく、こういった些細なことにねぇ。
さりげなくプライド&学歴自慢。何かを自慢したくなる事ってのは誰にでもあるけど、格下過ぎる相手にそれをやるのはプライドが許さないから、ちょうどいい相手はほっとけないよね。子飼弾氏もまた人間なんだなぁ。
こういうのをうまーく隠していくのが切れる大人。
そういうひとをいっぱい見てきた。
そういったひとのソフィスティケイトな部分に知性を感じるし、実際の豊かさをよく知っているひとばかりだ。
最終学歴中卒の経緯がわりと面白い。ただこのエントリの趣旨はだいぶお門違いな気もする。ホットエントリの尻馬に乗って自分語りしてるようにとれなくもない。この文の説得力を支えるのが経歴それ自体にしかない。
そのとおり。でも彼の経歴ってそんなにすごい?
中2病でした、バークレーにいきました、成功?しました
ヤンキー先生と程度がちがわん。
ん、なんで全然違う話を「遠慮なく」なんて前置きでしているんだろうか。大人なら自重しる。
まったく違う話だよね。そう。普通の読解力があればそうおもう。
そうじゃない読み方は普通の文章の読み方ではないし、それは恣意的というものだよ。
愚痴を聞いてほしい女性のところにおじさんが説教をしに出てきたようにしか見えない。わかってやってる可能性が高いので始末に負えない
その人は彼氏でも友達でもなく、ただ一人ぽつんと考えていただけなのに
いきなり心を読んで絡んできたよっぱらいってかんじだ。
わかってやっているとしてどんな意味があるのかしら。
彼の自分の境遇に起因する被害妄想が、彼の読解力を著しく低下させていることがよくあるし、
読解した上で書いているにすぎないのだというエクスキュースを彼自身があえてしながら、さらに深いところで
自分自身のコンプレックスをあらわにしているという気がする。
書評をやっている彼にとって、こういった側面は致命的だ。
彼が書評をしているもので、私が読んだことがあるものに関して言えば、6割~7割で
まともな書評であったように思う。残り3,4割は決定的に悪い。本の読み方すら知らないのではないだろうかと
思ってしまうほどだ。特に小説と非コンピュータ関連などはそうだ。専門家ではないにもかかわらず、
わかっていますよといわんばかりの態度が、書評全体の品位を貶めている。
かつて多くの子供たちと接したとき、そしてその子供たちが大きくなったときを見てきたが、
彼のようなタイプはだいたい学校に1人から2人はいるようなありふれたタイプだ。
幼年期に自意識ほどに褒められず、求められて、自らの特殊性に押しつぶされそうになりながらも
あがいてあがいて、何とか手に入れたものを宝石のようにしまいこみ、大切に守ろうとする。
大人になってもほめてほめてとせがむような性格になってしまう。
敵が5人いれば1人は強い味方がいるタイプ。実力があればね。
ただ、そういうひとは書評は向いてない。
ものの見方に柔軟性が無いのだ。
しかも、柔軟性があると思い込んでいて、それがまた周囲にイタタタタと思わせる。
[一万時間][努力][天才][反復][質より量][閾値][九九]
Genius is 1% inspiration, and 99% perspiration.
Thomas Alva Edison
イチローに学ぶ「天才」と言われる人間の共通点 - 電子書店パピレス
イチローに“偉大《いだい》な才能”を与えたのは、名古屋空港の近くにあるバッティングセンターである。
イチローは小学三年から中学三年までの七年間、そこに毎日通いつめた。
それも一週間に一日くらいは休むといったレベルの生易《なまやさ》しいものではない。
一年間に三六三日通いつめたという。休んだ二日は、バッティングセンターが休業した、正月の二日間だけだった。
天才と言われる人間であっても、絶《た》え間ない精進《しょうじん》を繰り返して、初めて彼らは成功者の仲間入りをすることができる。
イチローが一流選手としての称号《しょうごう》を得たのは、二一〇本の安打を打ち、打率三割八分五厘で首位打者に輝いた九四年の秋である。
なんJ PRIDE : 【野球】門田博光(40) .311 44本 125打点 OPS1.062
ホームランバッター門田博光氏が・・・《500本塁打は誰でも打てる!》|ベースボールバイブル
門田博光の本塁打一閃―ホームランに魅せられた男 : 門田 博光 : 本 : Amazon.co.jp
http://www.h-kadota.net/profile.html
小学校の頃からプロ野球を目指し、中学、高校(天理高校)と野球部に籍をおいたが目立った成績もなく、
ホームランも公式戦はおろか練習試合でさえも打つことは出来なかった。
40歳を迎えた1988(昭和63)年には打率.311、44本塁打、125打点で2冠王に輝き、チームが5位ながらMVPを獲得。
ホームラン記録は王氏(現ダイエー監督)、野村氏(現楽天監督)に続き
史上3位の567本を打った。
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あらすじ検索サイト あたまにスッと入るあらすじ:無形の力 楽天を応援しようという気になる野村克也氏の私の履歴書
2年目で解雇されそうになるが、泣いて頼んで残して貰う。
それまで歯が立たなかった大投手稲尾も、クセを発見して3割近くまで打ち込むことができるが、同僚の杉浦がオールスターで3人一緒になった時に、稲尾にばらしてしまう。
404 Blog Not Found:一発は百の空振りから生まれる
伝説のインドの天才数学者ラマヌジャンは、貧乏で進学できなかった子供時代、
一人で分厚い数学の辞典「純粋数学および応用数学における基本結果概要」にでてくる5000の公式、方程式を丸暗記していたそうだ。